三宅智子さんは若い頃にかわいいフードファイターとしてブレイクしましたが、社長だった飲食店の閉店や大食いYouTuberとしての活動も話題です。
今回は三宅智子さんの若い頃、結婚した旦那と子供、年収や現在の活動も紹介します。
この記事の目次
三宅智子のプロフィール
生年月日:1983年11月21日
出身地:岡山県
所属事務所:MTコーポレーション(個人事務所)
三宅智子さんは、かつてフードファイターとしてブレイク。
その後はアイドル・タレントとしても活動し、現在は大食い系YouTuberとしても活躍されています。
三宅智子の若い頃の経歴①
出典:https://www.amazon.co.jp/
三宅智子さんは小学生の頃から、テレビ東京の競技型バラエティ番組「TVチャンピオン」の規格の1つだった「全国大食い選手権」のファンだったそうです。
当時からどれだけ食べても満腹になることがなかったそうで、幼いながら「これぐらいの量なら自分も食べられる」と思って番組を見ていたといいます。
そんな三宅智子さんは、中学を卒業後すぐに上京し、通信制の八洲学園高等学校と美容専門学校を卒業しました。
いずれも学費を自分でまかなっており、コンビニやスーパー、居酒屋などでアルバイトをしていたそうです。
三宅智子さんはインタビューで、若い頃の自分の食欲について次のように語っています。
「子供の時分から親に“もうやめなさい”と止められるまで食べてました。上京してきたのも、早く自分で稼ぎ、好きなものを思いっきり食べたかったため。学校帰りに、友達と初めて新宿で中華の食べ放題に行った時、制限時間の2時間食べ続け、人生で初めてお腹いっぱいという感覚を実感して、本当に幸せでした。家で自炊する時は、一度に8合炊いて食べきります」
その後は、エステティシャンとして就職し、働き始めます。
三宅智子の若い頃の経歴② かわいいと評判でアイドルとしても活動
出典:https://www.tv-tokyo.co.jp/output/backnumber/200511.html
三宅智子さんは若い頃から整ったルックスで、周囲から「かわいい」と評判の美少女でした。
当時の三宅智子さん自身も芸能界に憧れ、ダンスや歌のレッスンを受けていたそうです。
そして2005年、アイドルを目指して、オーディション番組「OUT★PUT」(テレビ東京)にオーディション参加者として出演します。
モノマネタレントの原口あきまさんらが司会を務めており、レコード会社「avex」からの歌手デビュー・グラビアデビューを賭けて、様々な企画に挑戦するという番組でした。
同番組には、三宅智子さん以外にも、グラビアタレントの上原美優さんや森下悠里さん、モデルで女優の高橋ユウさん(当時は高橋優名義)なども出演していました。
三宅智子の若い頃の経歴③ フードファイターとしてブレイク
初の大食い番組では予選敗退
2002年頃、中学生が大食い選手権のマネをしていたところ、食べ物を喉につまらせて死亡するという事件が発生しました。
社会的な影響を配慮し、三宅智子さんもファンだった「大食い選手権」の企画は放送が終了しますが、その後の2005年に特別番組「元祖!大食い王決定戦」(テレビ東京)として復活。
それを知った家族や友人から「出てみたら」と薦められた三宅智子さんは、同年秋にフードファイターとして初めて、特別番組「元祖!大食い王決定戦〜信州・上越編」の予選に参加します。
ただこの時は、予選で敗退。フードファイターの道も諦めようとしていたそうです。
男女混合だったから、たまたま隣にいたのが白田(ジャイアント白田)君で、食べていても付いていけない。それで、「所詮私は一般人だわ」と、もう出るのはやめようと思っていたら番組の人から「次の大会は女王戦です」と電話がかかって来て。
女性大会で活躍し、フードファイターとしてブレイク
- 大食いに初挑戦した男女混合大会では成績が振るわなかった三宅智子さんでしたが、番組スタッフから誘いを受け、翌年に開催された同番組の女性大会に出場します。
- 「仕事が忙しく、あまり食べていなかったため胃が小さい状態だった」としながらも、4位入賞を果たします。
- そして、この入賞を機にブレイクし、数多くのメディアやイベントで活躍するようになります。
エステティシャンとして働きながら、合間を縫ってテレビ番組の大食い企画や地方のイベントに出演していたそうです。
イベントでは、1本につき10~20万円ほどの出演料がもらえたんだとか。
三宅智子さんはその後、フードファイターに専念するためにエステティシャンを辞めています。
働いているときは、さすがに地方にしょっちゅう行くことはできなかったですし。でも1~2回イベントに出るだけでエステの月給を超えてしまうわけだから、さすがに気持ちがグラつくようになったんですよね。それで1年半くらい働いたタイミングで、エステは辞めさせていただくことにしました。
三宅智子の若い頃の経歴④ 再びアイドル活動を行うも違和感を感じ
三宅智子さんはエステティシャンを辞めた後、フリーでタレント・フードファイターとして活動していましたが、すぐに映像制作会社「エイベックス&イースト」に所属します。
同社所属後は再びアイドル活動も行い、2008年には月刊誌『sabra』でグラビアデビュー、ソロ写真集やDVDを発売しました。
また、シングル「Confession」で歌手デビューも果たしています。
所属会社の「可能性を広げるため、なんでもやらせていこう」という方針により、歌・ダンス・声優と様々なジャンルのレッスンを受けていたそうです。
しかし、当時の三宅智子さんはタレント志望ではなかったため、次第に「周囲に申し訳ない」という気持ちが芽生えてきたといいます。
だって周りのレッスン生は賞を獲ったりしながら、デビューを必死で目指しているわけですよ。のちに三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEになる今市(隆二)君とか、Da-iCEの花村想太君とか。みんな歌もめちゃくちゃ上手いし、私なんて完全に場違いな感じ(笑)。でも、今にして思うと本当に貴重な経験ができたと思います。
引用:ここにテキストを入力(URL変更も忘れずに)
そして27歳の時に「エイベックス&イースト」を円満退社し、個人事務所「MTコーポレーション」を設立しました。
その一方で、知人のラーメン屋に勤務しはじめ、飲食店で働くことに楽しさを感じたといいます。
これが本当に楽しかった!すごくやりがいを感じたんです。根本的に飲食業が好きなんでしょうね。朝9時から仕込みをして、休憩時間もほとんどないまま家に帰ると1時とかになっていましたけど、それでも毎日の充実感が尋常じゃなかったんです。15歳から道の駅でバイトを始め、そこからずーっと自分探しみたいなことを続けていましたけど、ようやく自分にピッタリ来るものを見つけたというか。
三宅智子が結婚した旦那と子供
旦那は一般人で、バーテンダーをしている
三宅智子さんは、2015年に一般男性と結婚しています。
馴れ初めや交際期間については不明ですが、2022年に受けたインタビューでは、旦那はバーテンダーと明かしていました。
2016年に第1子を出産
出典:ご報告。
三宅智子さんは結婚した翌年、2016年4月17日に第1子となる長男を出産。
妊娠中には切迫早産の状態だったことも明かし、順調な妊娠生活ではなかったようです。
出産後、三宅智子さんはブログに結婚・出産を報告する記事を次のように投稿しています。
- 初めての出産は、想像以上に大変でしたが、無事に産まれてきてくれた我が子をだっこさせてもらった瞬間、今まで味わったことのないような喜びと感動で胸がいっぱいになりました。
引用:ご報告。
三宅智子は社長として「OKAYAMA DINNING 銀座みやけ家」をオープンするも閉店
2010年にエイベックスを退社後、知人のラーメン店で働いたことで飲食業に興味を持つようになった三宅智子さん。
2014年に、岡山県の郷土料理をコンセプトとした飲食店「OKAYAMA DINNING 銀座みやけ家」を銀座にオープンしています。
岡山県出身者や三宅智子さんのファンが数多く来店し、経営は順調でした。
また、三宅智子さんのファンからは「食べっぷりを見たい」と言われることが多く、ファンから毎晩5~6kgほどの食事を振る舞われるため、20代の頃より10キロほど太ったといいます。
なお、飲食店経営者、さらには個人事務所も経営していることから、呼び名がそれまでの”エステ三宅”から”三宅社長”に代わったそうです。
しかし、2016年に第1子を出産すると状況が一転します。
スタッフと三宅智子さんの2人で運営していた小規模な店舗だったため、三宅智子さんが出勤しない日は売上が激減するようになってしまったそうです。
そのため、三宅智子さんは産後1ヵ月で無理に復帰せざるをえなくなり、お店のベビーベッドで子供を寝かせながら働くなど工夫していました。
子供が大きくなるに連れてそれも難しくなると、悩んだ末に「お店はいつでもできるけど、子育ては今しかできない」と決断。
2018年に、育児に専念することを理由に同店を閉店しました。
三宅智子の現在① フードファイターの仕事には消極的?
三宅智子さんは、2015~2016年頃まではタレント活動をしていました。
紀行番組「三宅智子の駅弁女子ひとり旅」(BS 鉄道チャンネル)やバラエティ番組『チャンネル生回転TV ALLザップ」(BSスカパー!)などに出演。
大食い関連の番組は出演者が代替わりしたこともあり、徐々に機会が減っていったそうです。
それと同時に、三宅智子さんは兼ねてよりフードファイターの仕事について消極的な姿勢を見せていました。
2008年に受けたインタビューでは、同年開催予定の大会について「大会は同じものしか食べれないし、苦しくて辛いから出場しない」と参加しない意向を語りました。
私は美味しく食べたいんで、大会は「何のために食べるんだろ?」という気になるので…。みんなも苦しいんですけど、負けず嫌いの子は負けたくないから食べている。私はもともと勝負心というのがなくて、負けたくないというのがないんです。大会に出続けると、食べることが本当に嫌いになるような気がして。
しかし、2020年のバラエティ番組「ウワサのお客さま」(フジテレビ)に久しぶりに登場した際には、”フードファイター”ではなく”大食いタレント“として出演。
“ウワサの大食いオールスターズ”のメンバーとして、食べ放題新記録に挑戦しました。
三宅智子の現在② ラーメン屋で働きながらYouTuberとして活躍中・年収は?
三宅智子さんは2022年に受けたインタビューで、お子さんが保育園に通い始めたのをきっかけに、日中はラーメン屋で働いていると語っています。
また、「子供が大きくなったらまた自分の店を持ちたい」とも述べていました。
さらに、2011年に開設したYouTubeチャンネル「三宅智子の大食いTV」は2022年現在、チャンネル登録者数15万人超えの大人気チャンネルに成長。
もちろん、同チャンネルでは得意とする大食い企画に挑戦しています。
かつて”魔女”と称された大食いタレント・菅原初代さんなども出演されており、競うことなく互いに楽しみながら大食いに挑戦する姿が話題となりました。
年収は不明だが、ある程度の広告収入がある
三宅智子さんはYouTubeチャンネルのほか、InstagramやTikTokでもアカウントを開設していて、15万人ほどの登録者がいます。
どれも収益化が見込める状況で、再生回数などから計算すると、合計で年に200~300万円ほどの収益になっているのではないかと予想できます。
また、三宅智子さんは不定期でテレビ出演をしたり、日中はラーメン屋で勤務したりしています。
そのため、SNSでの収益+不定期のタレント活動+ラーメン屋からの給料を考えると、350万円~500万円以上だと思われ、生活をするには十分な収入を得ていることでしょう。
ただし、三宅智子さんはハンパない食欲の持ち主ですから、食費は一般的な家庭とは比べ物にならず、「十分な収入」の基準は当てはまらないかもしれませんね。
まとめ
中学卒業後に上京し、自身で学費を稼ぎながら高校と美容専門学校を卒業した三宅智子さん。
若い頃からかわいいと評判の美少女で、グラビアアイドルやタレントとして活動後、フードファイターとしてブレイク。CDや写真集もリリースしました。
しかし、”同じものを我慢して食べ続ける”ということに辛さを感じ、大食い大会などから遠ざかるように。
所属していたエイベックスを退社後は飲食業に活路を見出し、社長として銀座にお店を出したこともあります。
2018年に育児に専念するためにやむなくお店は閉店しましたが、将来は再度飲食店をオープンすることを目標にしているそうです。
また、自身のYouTubeチャンネルでは再び大食いに挑戦。
かつて辛さを感じた「競うための大食い」ではなく、「楽しむための大食い」にシフトチェンジし、楽しんでたくさん食べている姿が大きな反響を呼んでいます。