女優の佐藤オリエさんは、本名と役名が同じという珍しいパターンの女優さんです。
佐藤オリエさんのプロフィールや身長、経歴、若い頃のかわいい画像、家族や父親について、結婚や旦那・子供の有無、山本圭さんとの関係、今現在の活動などをまとめました。
この記事の目次
佐藤オリエは「男はつらいよ」のマドンナ役
出典:geigeki.jp
佐藤オリエ
生年月日:1943年3月25日
出身:東京都
所属:元劇団俳優座
活動:女優
佐藤オリエさんは劇団俳優座出身の女優です。
1966年の「若者たち」の佐藤オリエ役でブレイクし、「男はつらいよ」ではマドンナを演じて人気となりました。
佐藤オリエさんの名前は本名です。芸名ではありません。そして、「若者たち」の「佐藤オリエ」役は、佐藤オリエさんの本名が役名となった珍しいパターンです。役名をそのまま芸名として使うパターンはありますが、本名を役名とするのは「本人役」を除けば、非常に珍しいパターンと言えるでしょう。
本名を役名にしたケースは、佐藤オリエさん以外にはほぼありません。しかも、佐藤オリエ役のドラマ「若者たち」は大ヒットしたので、女優・佐藤オリエは一気にブレイクしたのです。
佐藤オリエの身長
佐藤オリエさんの身長は公表されていませんが、おそらく身長は160~165cmと思われます。1943年生まれの日本人女性にしては身長が高いですね。
本当に佐藤オリエさんの身長は160~165cmなのかを写真で確認していきましょう。
まずは、女優の満島ひかりさんと並んだ時の写真です。満島ひかりさんの身長は162cmです。こちらの写真は座っていますが、体格・身長はほぼ同じくらいであることがわかります。もしかしたら、満島ひかりさんよりも佐藤オリエさんの方が少し身長が高いかもしれません。
また、立った状態で並んだ時の写真もあります。これを見ても、2人の体格・身長はほぼ同じであることがわかりますね。
出典:ameblo.jp
次は、「男はつらいよ」で渥美清さんと並んでいる写真を見ていきましょう。
これを見ると、佐藤オリエさんは渥美清さんはほぼ同じ身長と言えます。衣装を見ると、おそらく佐藤オリエさんは少しヒールのある靴を履いているはずですので、ヒールありで佐藤オリエさんは渥美清さんと同じ身長と言えます。
渥美清さんの身長は169cmです。ヒールありで佐藤オリエさんが身長169cm程度とすると、やはり佐藤オリエさんは身長160~165cm程度と推測できます。佐藤オリエさんはスラッとしていてスタイルが良いですよね。
佐藤オリエの経歴
出典:twitter.com
佐藤オリエさんは子供のころから父の佐藤忠良さんに連れられて、よく舞台や映画を見に行っていました。そのため、「演劇」というものをとても身近に感じていたようです。
鷗友学園女子高校を卒業後に演劇の道に入ることを志し、劇団俳優座に所属します。そして、22歳の時に初舞台を踏みます。ただ、初舞台は22歳の1965年でしたが、ドラマや映画には1963年の20歳の頃から出演していました。
そして、1966年にフジテレビの「若者たち」で長女・佐藤オリエ役を演じて、ドラマは大ヒットし、佐藤オリエさんは4人の暑苦しい兄の中の爽やかな清涼剤のような存在で、庶民的ながらも知的なイメージで人気になりました。
若者たちはヒットしたため、映画化&シリーズ化されています。
・若者たち(1966年)
<映画>
・若者たち(1967年)
・若者は行く-続若者たち-(1969年)
・若者の旗(1970年)
また、佐藤オリエさんは1968年のフジテレビで放送されたドラマ「男はつらいよ」で、マドンナの坪内冬子役を演じて、さらに人気が高まります。また、視聴者からだけではなく、主役の渥美清さんからもその演技を評価されました。
ドラマ版「男はつらいよ」はヒットしたため、1969年には映画化され、映画2作目となる「続・男はつらいよ」でも佐藤オリエさんはマドンナを演じました。
その後は映画やドラマに定期的に出演しています。
<ドラマ>
・おこれ!男だ
・わが兄はホトトギス
・3年B組金八先生第2シリーズ
・2年B組仙八先生
・カムバック・ガール
・法医学教室の長い一日
・チョッちゃん
・想い出にかわるまで
・愛という名のもとに
<映画>
・塩狩峠
・野性の証明
・ハイティーン・ブギ
・ユーパロ谷のドンベーズ
・人間の約束
・十六歳のマリンブルー
しかし、1990年代前半を最後に、映画やドラマへの出演は少なくなっています。
舞台での活動も評価されています。
・文化庁芸術祭賞(平成3年度・第46回)
紀伊國屋演劇賞は1991年に杉村春子さんや加藤剛さんらと共に受賞しました。また、文化庁芸術祭賞は、「薔薇の花束の秘密」での演技が評価されての受賞となりました。
佐藤オリエの若い頃がかわいい
佐藤オリエさんは若い頃、とてもかわいかったんです。
出典:twitter.com
出典:twitter.com
佐藤オリエさんは、清楚で上品だけど、どこか庶民的で、しかも知的な印象がある女優さんでした。「お嫁さんにしたい」と思える女優でした。美人だけど清楚で清潔感があり、庶民的な役も演じられるのは、非常に貴重な女優だったと言えるでしょう。
佐藤オリエの家族
佐藤オリエさんの4人家族でした。
・母親:佐藤照
・兄:佐藤達郎
・佐藤オリエ
父親の佐藤忠良氏については、次で詳しく述べます。
母親の照さんは結婚前は吉田照という名前で、父親の佐藤忠良さんの3歳年下で、忠良さんが28歳、照さんが25歳の時に結婚します。佐藤忠良さんは芸術家でしたので、結婚当初はあまりお金がなく、照さんが生活を支えていたそうです
父親の最大の理解者が母親だったというわけですね。
また、佐藤オリエさんの兄は医師です。佐藤オリエさんの兄は東京医科歯科大学出身の医者であることがわかっています。とある病院の院長まで務められた方だそうです。
東京医科歯科大学は国立大学です。その医学部なんて、相当優秀でなければ入学できませんし、父親の佐藤忠良さんやそのほかのコネで入学できるような大学でもありません。
つまり、佐藤オリエさんの兄は超優秀な人物だったということになります。佐藤オリエさんは演劇の道に進んだため、大学進学こそしていませんが、進学校だった鷗友学園女子高校に進学していますので、勉強もしっかりできるタイプだったと考えられます。
これを考えると、佐藤オリエさんの家族は勉学面でも芸術面でも才能があるすごい家族だったと言えます。
佐藤オリエの父親は佐藤忠良
出典:ameblo.jp
佐藤忠良
生年月日:1912年7月4日
没年月日:2011年3月30日
出身:宮城県
活動:彫刻家
佐藤オリエさんの父親は、佐藤忠良さんです。佐藤忠良さんは、日本を代表する彫刻家でした。
佐藤達郎さんは1912年に宮城県黒川郡で生まれました。6歳で父親を亡くしたため、母親の実家がある北海道夕張市で幼少期を過ごします。当時の夕張は石炭炭鉱の町で、かなり活気があったようです。
母親は教育熱心で息子の夢を応援するタイプだったようで、貧しいながらも、小学校卒業後は忠良さんは札幌の中学で学ばせます。そして、忠良さんが20歳の時(1932年)には絵の勉強のために、忠良さんを東京に送り出しました。
1934年には東京美術学校(現在の東京芸術大学)彫刻科塑像部に入学しました。卒業後は、仲間の彫刻家たちと一緒に、新制作派協会彫刻部の創立に参加します。
1940年には結婚し、翌年には長男の達郎さん、1943年には長女の佐藤オリエさんが生まれます。しかし、1944年には兵役で招集され、満州に渡りました。そこで終戦を迎え、シベリアに3年間抑留され、1948年になってようやく帰国することができました。
それから、本格的に芸術活動を始めることになります。
日本を代表する彫刻家
佐藤オリエさんの父親である佐藤忠良さんは、日本を代表する彫刻家でした。代表的な受賞歴はこちらです。
1960年:第3回高村光太郎賞受賞
1966年:東京造形大学の教授に就任
1974年:第15回毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞受賞
1975年:第6回中原悌二郎賞受賞、第3回長野市立野外彫刻賞受賞
1977年:第5回長野市立野外彫刻賞受賞
1981年:フランス国立ロダン美術館で個展
1986年:東京造形大学名誉教授に就任
1989年:朝日賞受賞
1990年:宮城県美術館内に佐藤忠良記念館設立
1992年:第41回河北文化賞受賞
文化功労者や文化勲章の候補にも選ばれていましたが、「職人に勲章はいりませんから」という理由で全部辞退しています。福音館書店版の絵本『おおきなかぶ』の挿絵なども担当しています。
98歳で死去
佐藤忠良さんは不整脈の心房細動を患っていました。また、晩年は認知症も進んでいたとのことです。
2011年1月に脳梗塞を起こし、一度は退院したものの、そのまま眠るように亡くなったそうです。98歳の大往生でした。
佐藤オリエさんには厳しくも優しい父親
佐藤忠良さんは、娘のオリエさんに厳しくも優しい父親だったとのことです。佐藤オリエさんが役者の道を進むと決めた際に、次のように言ったそうです。
・「CMに出るな」
兄は国立大学医学部に進学したのに、(おそらく成績優秀だった)娘は高卒で役者の道に進むことを許した時点で、子供たちの意思を優先させる教育方針で、理解のある父親だったのでしょう。
佐藤オリエさんに父親が言った言葉を大切にしたのか、CMの出演歴はないようです。「若者たち」や「男はつらいよ」に出演した後は、かなり好感度が高かったので、CMのオファーは殺到したはずですが、父親の佐藤忠良さんの言葉をしっかり守っていたということだと思います。
佐藤オリエの結婚した旦那と子供情報…結婚相手の加藤賢治は早稻田企画のライター
佐藤オリエさんは、結婚しているのでしょうか?「若者たち」で佐藤オリエ役を演じ、知的な庶民派というイメージがつきました。さらに、男はつらいよのマドンナ役で、清楚で清潔感のある女性として人気になりました。
知的・庶民派・清楚・清潔感。当時なら「お嫁さんにしたい女性」であることは間違いありません。
佐藤オリエさんは1977年に早稻田企画のライター(ジャーナリスト)加藤賢治さんという男性と結婚しました。
女優の佐藤オリエさんと結婚した早稻田企画のライター加藤賢治(という名前だったと思う。二人はこのあと離婚した)の家に遊びに行ったら、オリエさんが加藤にオレのことを「いままで家に遊びに来たあなたの友だちの中で一番いい男ね」といってわたしの美男子を褒めてくれた。
2人の結婚は1977年に週刊平凡が「佐藤オリエと加藤賢治さんがほのぼの結婚」というタイトルで報じています。
数年で離婚したとのことですので、1980年前後には離婚をしていたと思われます。佐藤オリエさんは、1977年~1980年ごろまでは途切れることなく、ドラマなどに出ていますので、結婚期間に子供を産んだとは考えられません。
佐藤オリエさんの妊娠・出産報道もありませんので、子供はいないようです。また、再婚もしていないと考えて良いでしょう。
佐藤オリエは山本圭と結婚の噂も出ていた
佐藤オリエさんは、俳優の山本圭さんと仲が良いと言われています。2人は結婚するのではないか?という噂まで出ていたようなんです。
山本圭は名脇役
出典:sanspo.com
山本圭
生年月日:1940年7月1日
出身:大阪府大阪市
身長:167cm
所属:有限会社活動屋
血液型:O型
活動:俳優
山本圭さんは名脇役の俳優さんです。劇団俳優座に1960年に研究生として入り、俳優としてのキャリアをスタートさせます。テレビやドラマでは次のような代表作があります。
・若者たち
・ひとつ屋根の下
・白線流し
・リング~最終章~
・SP
・天地人
<映画>
・君が青春のとき
・陽のあたる坂道
また、舞台でも活躍しています。
・戦争と平和
・お気に召すまま
・マクベス
・ハムレット
・リア王
1980年代以降は、無名塾の舞台に立つことが多くなっています。
佐藤オリエとは家族ぐるみ
佐藤オリエさんと山本圭さんは仲は良いようです。でも、結婚はしていません。山本圭さんは囲碁棋士六段の小川誠子さんと結婚して、最後まで添い遂げていますから。
ただ、友人・俳優仲間としては親しくしていたことは間違いありません。佐藤オリエさんは高校卒業後に俳優座に入っています。高校卒業は1960年ですので、その後すぐに入ったのでしょう。山本さんも1960年に俳優座の養成所に入りました。
つまり、佐藤オリエさんと山本圭さんは俳優座の同期なんです。さらに、佐藤オリエさんがブレイクした「若者たち」でも共演しています。山本圭さんは三男の佐藤三郎役でした。
また、家族ぐるみの付き合いもあったようです。
山本圭さんが所属していた俳優座は結構、囲碁が盛んだったようで、山本三兄弟と言われた山本学・山本旦さんや俳優座にいた佐藤オリエさん(ドラマ・若者たち佐藤オリエ役で出演)を通じて、佐藤オリエさんの父親で著名な彫刻家である佐藤忠良さんやオリエさんの兄が当時医科歯科大学で、当時の医科歯科大学や東大の学生などで囲碁好きな人たちがサロンのように集まっていたようだ。
佐藤オリエさんと山本圭さんが家族ぐるみで仲が良かったために、結婚の噂が出たのかもしれませんね。
佐藤オリエの現在…舞台を中心に女優活動
出典:umegei.com
佐藤オリエさんは2000年代に入ると、舞台での活動を中心に女優活動をしていました。2010年以降の舞台出演作品はこちらです。
・2011年:Noises Off -ノイゼス オフ-
・2013年:秋のソナタ
・2016年:かもめ
・2017年:OTHER DESERT CITIES
もともとが舞台出身の女優さんですので、やはり映像作品よりも舞台にやりがいを感じるのかもしれません。
ただ、2017年以降は舞台の出演はないようです。2022年で佐藤オリエさんは79歳になりますので、体力的に舞台に出演するのは難しくなっているのかもしれませんね。
それでも、佐藤オリエさんが出演した舞台は評判が良いものばかりですので、また出演してほしいと思ってしまいます。
佐藤オリエのまとめ
佐藤オリエさんのプロフィールや身長、経歴、若い頃のかわいい画像、家族や父親の情報、結婚した旦那や子供の情報、山本圭さんとの関係や今現在の活動をまとめました。
佐藤オリエさんの演技は、もう見れないのでしょうか?もう一度、舞台に立つ姿を拝見したいですね。