徳光和夫さんの兄弟でミッツ・マングローブさんの父の徳光次郎さんは伊勢丹のエリートでした。
徳光次郎さんのプロフィールや学歴・伊勢丹での経歴、家族や家系図、兄弟の徳光和夫さんや結婚した嫁や子供のミッツマングローブさん、死因などをまとめました。
この記事の目次
徳光次郎は徳光和夫の弟でミッツ・マングローブの父親
徳光次郎さんとは、タレントやドラァグクイーンとして活躍しているミッツ・マングローブさんの父親であり、フリーアナウンサーの徳光和夫さんの弟でもあります。。
ただ、「タレント」の父親として有名というわけではなく、ご本人が日本を代表するデパートの伊勢丹のエリートであり、退職後は実業家として活躍していますので、実業界・経済界では徳光次郎は有名な人物なんです。
徳光次郎のプロフィールや年齢
徳光次郎さんの父親は映画監督をしていた徳光壽雄さん、母親は松屋のデパートガールをしていた女性で、2人の間の次男として1947年に東京都で生まれます。
徳光次郎さんは2021年5月に亡くなっています。亡くなった時の年齢は74歳でした。
徳光次郎の大学や学歴
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徳光次郎さんの出身大学は慶應義塾大学です。高校からの学歴を見てみましょう。
・大学:慶應義塾大学文学部社会学科
ご本人のFacebookによると、暁星高校を1965年に卒業し、そのままストレートで慶應義塾大学に進学しています。そして、1969年3月に慶応義塾大学文学部社会学科を卒業しました。
時代が違いますので、一概には言えませんが、暁星高等学校の偏差値は71です。また、当時から中高一貫教育を行っていたようですので、中学も暁星中学かもしれません。
この暁星高等学校はフランス系のカトリック校であり、フランス語教育を行っていることが特徴です。徳光次郎さんを知る方からは、息子のミッツ・マングローブさんのインスタグラムに次のようなコメントをしていました。
徳光和夫さんとは違う印象で、背が高くてダンディ、高校(私と姉妹校でした)からフランス語を習っていた雰囲気を醸し出しながら、つまらないダジャレの連発をされる、そんな最高の方でした
引用:ミッツ・マングローブ【公式】はInstagramを利用しています:「@jirotokumitsu 父 徳光次郎が5月19日他界しました。 享年74歳。…」
暁星高校+慶應義塾大学という学歴ですので、オシャレでかつ頭が良く、成績優秀者であったことは間違いないでしょう。
徳光次郎の経歴:伊勢丹のエリート
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徳光次郎さんは1969年に慶応義塾大学文学部社会学科を卒業した後、伊勢丹に入社しました。母親が松屋のデパートガールだったことが影響しているのでしょうか?
伊勢丹に入社した徳光次郎さんはトントン拍子に出世していきます。伊勢丹での経歴はこちらです。
・1987年~1991年:ロンドン転勤、株式会社英国伊勢丹の初代社長
・1992年~1994年:MD統括部 婦人部特選部、紳士特選部営業部長
・2000年~2004年:新宿本店次長
入社と同時に新宿本店に配属になります。この時点で、会社から期待されていたことがわかりますね。
2004年時点で57歳。定年まであと数年でしたが、徳光次郎さんは2004年に伊勢丹を退社し、2005年から株式会社チェルシーの代表取締役社長に就任しました。
・2010年~:株式会社大沢商会グループ取締役
・2011年~:モノコトコネクション株式会社設立
2010年からは株式会社大沢商会グループ取締役を務め、今までの経験・経歴を生かして、マーケティングや街おこしに関する講演活動も行っています。さらに、2011年からは「モノコトコネクション」という会社を設立し、自ら代表取締役社長に就任しています。
徳光次郎の家系図と家族がすごい
徳光次郎さんは芸能関係の家族に囲まれています。まずは家系図を見ていきましょう。
この家系図を見ると、徳光次郎さんの家族はなかなか「濃い」家族であることがわかると思います。
・曾祖父(母方):服部誠一=ジャーナリスト
・祖父(父方):徳光賢五郎=東京電燈株式会社
・祖父(母方):須藤音吉=石工
・父親:徳光壽雄=映画監督、日本テレビ社員、実業家
・兄:徳光和夫=日本テレビアナウンサー、フリーアナウンサー
・甥:徳光正行=タレント、キャスター
・甥の元嫁:田野辺実鈴=フリーアナウンサー
・息子:ミッツ・マングローブ=タレント
父方の徳光家は、芸能関係者が多いですね。父・兄・甥・息子が芸能関係の仕事に就いています。ただ、母方の家系もすごい人たちなんです。
母方の曾祖父は服部誠一氏です。服部誠一氏は当時のベストセラーである『東京新繁昌記』の作者であり、ジャーナリストとしても活動していました。あの歴史上の人物である袁世凱の息子の家庭教師を務めていたこともあり、明治を代表する人物と言って良いでしょう。
また、母方の祖父である須藤音吉は、赤坂氷川神社のこま犬の石像を制作した人物ですから、すごい人物だったと言えるでしょう。
徳光次郎の父親は日テレ局次長
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徳光次郎の父親は徳光壽雄です。徳光壽雄は、映画監督・日本テレビ社員・実業家だった人物です。
1932年に河合映画製作社に入社し、宣伝部・助監督・監督を務めます。その後、毎日新聞に移籍し、映画部でニュース映画を担当しました。太平洋戦争前の1941年には、国策で大手新聞社3社のニュース映画部門を統合した「日本映画社」のニュース映画部門で働きます。
終戦後は日本映画社の渉外課長・取締役営業部長・総務部長を兼務していました。
そして、1953年に設立された日本テレビに開局社員として入社します。そして、外国映画や海外ドラマを日本語吹き替えで放送する最高責任者として働きます。1961年2月から編成局次長、報道局次長、芸能局次長(局長待遇)、芸能局顧問を歴任しました。
1967年からは、「科学テレビ協力委員会」の委員として、テレビ東京に出向して経営再建を手掛けます。
1970年に日本テレビを定年退職し、東京テレビセンターに移籍して、CMスタジオ室長を務めました。
徳光次郎さんの父親である徳光壽雄さんは、戦前から映画・テレビ畑の人だったんですね。となると、徳光和夫さんが日本テレビに入社したのは、父親の徳光壽雄のコネ入社だったのかもしれませんね。
徳光和夫さんが日本テレビに入社したのは1963年。徳光壽雄さんが日テレを退社したのは、1970年。徳光壽雄さんは当時編成局次長~報道局次長だったのですから、息子をアナウンサー職で入職させることくらいは簡単にできたはずです。
徳光次郎の兄弟は徳光和夫
徳光次郎は3人兄弟だった
徳光次郎さんの兄弟と言えば、日本テレビのアナウンサーの徳光和夫さんですよね。しかし、徳光次郎さんの兄弟は徳光和夫さんだけではなかったんです。
徳光次郎さんには4つ年上の姉がいました。
・姉:1943年生まれ
・徳光次郎:1947年生まれ
徳光次郎さんの姉は、徳光和夫さんが5歳の時に病気で亡くなっています。徳光和夫さんが5歳ということは、当時はまだ徳光次郎さんは生まれていません。生まれる前にお姉さんが亡くなっていたんですね。
徳光和夫は日テレ&フリーアナウンサー
兄の徳光和夫さんは、徳光次郎さんの6つ年上です。徳光和夫さんは立教大学卒業後、日本テレビのアナウンサーになります。
父親の徳光壽雄さんが当時の日本テレビの「お偉いさん」だったので、アナウンサーになれたのかもしれませんが、本人は最終選考に残った2人が学生運動に関与していたことが発覚し、辞退したため、徳光さんが採用になったと語っていました。
日本テレビに入社後、徳光和夫さんは人気アナウンサーになり、次のような番組を担当しました。
・新・底抜け脱線ゲーム
・ズームイン!!朝!
・NNNニュースプラス1
1989年には日本テレビを退社し、クイズダービーや徳光のTVコロンブスなどに出演し、さらに24時間テレビの総合司会を務めています。
また、徳光和夫さんは長嶋茂雄さんの熱狂的なファンとしても知られています。立教大学時代委の長嶋茂雄さんを見て感動し、自分も立教大学に進学し、その後もずっと長嶋茂雄一筋で「人生のすべてを長嶋茂雄に捧げる」と決めています。
徳光次郎と徳光和夫はあまり似ていない
徳光次郎さんと徳光和夫さんは、兄弟です。でもそこまで似ていません。
目元は似ていますが、輪郭などは似ていません。
徳光和夫さんとは違う印象で、背が高くてダンディ
引用:ミッツ・マングローブ【公式】はInstagramを利用しています:「@jirotokumitsu 父 徳光次郎が5月19日他界しました。 享年74歳。…」
確かに、徳光和夫さんはずんぐりしていて、ユニークで涙もろい「昭和のおじさん」という感じがしますが、徳光次郎さんはダンディでカッコいいタイプの「おじさま」というタイプですよね。
兄弟で目元は少し似ているけれど、雰囲気が全然違うタイプなのは、ちょっと面白いですよね。
徳光次郎が結婚した嫁・由利子さんは博報堂勤務だった女性
徳光次郎さんは由利子さんという女性と結婚しています。
嫁は由利子
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徳光次郎さんは由利子さんという女性と結婚しています。徳光次郎さんと由利子さんは、いつ結婚したのかは不明ですが、息子が1975年に生まれていますので、1973~1974年ごろと思われます。
由利子さんは広告代理店の博報堂勤務だった女性です。博報堂勤務だったということは、かなりのエリートだった可能性が高いですね。当時も博報堂に入社できるのは、「仕事ができるタイプ」だったはずですから。
ただ、徳光次郎さんがロンドン勤務になった時には、一緒にロンドンに行っていますので、仕事は結婚して辞めたようです。
当時の写真を見ても、由利子さんはパッと目を引くタイプの美人だったことがわかります。また、由利子さんは広告代理店勤務のコピーライターだっただけあって、とてもオシャレだったようです。
(でも、なぜか)水牛のバックスキン革で、スイスの人が『パホーン』って吹くみたいな、ハイジのおじいさんが持っているような(水筒)。本革ですよ。危機を感じて、恥ずかしいから『やだ』って朝からごねたんですけど、(母は)『何を言ってんの。は〜っ! わかってないねえ、これが一番カッコイイんじゃないの』って
幼稚園児の遠足の水筒に水牛のバックスキン革を選ぶなんて、独特なだけど、めちゃくちゃオシャレですよね。
写真を見ても、嫁の由利子さんは間違いなくオシャレであることがわかります。
徳光次郎と嫁の馴れ初め
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徳光次郎さんと嫁の由利子さんの出会いは、仕事です。徳光次郎さんは伊勢丹の新宿本店で働いていましたが、そこに広告代理店の博報堂でコピーライターとして勤務していた由利子さんが仕事で訪れました。
その時に知り合って交際に発展したようです。
徳光次郎の子供はミッツ・マングローブ
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徳光次郎の子供はミッツ・マングローブです。ミッツ・マングローブには弟がいますので、徳光次郎さんには息子が2人いるということですね。
ミッツ・マングローブさんは学歴がすごいんです。小学校・中学校は徳光次郎さんの転勤についいていったので、ロンドンで過ごします。
・大学:慶應義塾大学法学部政治学科
慶應義塾大学を卒業した後は、イギリスのウエストミンスター大学コマーシャル・ミュージック学科に留学しています。また、ミッツ・マングローブさんは学習障害があることを告白しています。
ミッツ・マングローブさんはゲイであることを公表し、ドラァグ・クイーンとして有名ですが、その点については徳光次郎さんは寛容で理解があるタイプだったようです。
「長年、デザイナーたちと仕事をしてきて(同性愛や女装などに)違和感がない。性の偏見はない。男性と付き合っても構わない」
ロンドンにいたことも大きかったようですが、ミッツ・マングローブさんとしては、父親にこんな風に言ってもらえるのは、とても嬉しかったはずです。徳光次郎さんの年齢でLGBTに対してここまで理解があるのはすごいですよね。
むしろ、LGBTであることではなく、ミッツ・マングローブさんが自立していなことが心配の種だったそうです。
ミッツ・マングローブさんはイギリス留学から帰国した後は、作詞作曲で生きて行きたいと言った時、徳光次郎さんは有名な作曲家とゴルフをする機会があり、その人にミッツさんのデモテープを渡したりして、息子の支援もしていたとのこと。
素敵で理解があるお父様だったんですね。
徳光次郎の死因
徳光次郎さんは、2021年5月19日に亡くなりました。74歳でした。
ミッツ・マングローブさんはInstagramで次のように伝えました。
「ミッツ・マングローブ」という荒唐無稽な生業を選択してしまった息子に、あらゆる機会と出逢いを与え、その手と知恵を差し伸べ続けた男。きっとこの先も様々な場所や場面で、私は「徳光さんの息子さん」と呼ばれ続けることでしょう。彼が「ミッツ・マングローブの父親」と呼ばれる日は、どう頑張っても来ないような気がします。
引用:ミッツ・マングローブ【公式】はInstagramを利用しています:「@jirotokumitsu 父 徳光次郎が5月19日他界しました。 享年74歳。…」
とてもステキな文章です。徳光次郎さんへの感謝と愛情があふれているのがわかります。
ただ、死因は公表されていません。2017年までは徳光次郎さんの記事や画像が出てくるのですが、それ以降はほとんどありませんので、何か重い病気を患った末にお亡くなりになったのかもしれません。
徳光次郎のまとめ
徳光次郎さんのプロフィールや年齢、大学などの学歴・経歴、家族や家系図、兄弟の徳光和夫、結婚した嫁や子供のミッツ・マングローブ、死因などをまとめました。
徳光次郎さんは兄に徳光和夫さんがいて、息子にミッツ・マングローブさんがいますので、かなり変わったタイプかと思いきや、とてもカッコいいタイプの男性だったんですね。