かつて“食肉の帝王”と呼ばれ食肉業界のフィクサーとして君臨した浅田満ですが、「ハンナン事件」を起こし逮捕されています。
今回は「ハンナン事件」の詳細と背景、浅田満の経歴、家系図と嫁や息子・娘、自宅、現在をまとめました。
この記事の目次
浅田満が起こした「ハンナン事件」とは
まずはハンナン事件のきっかけとなった「BSE」について
2001年9月に国内で初のBSE感染牛が確認されました。
ちなみに「BSE(牛海綿状脳症)」は「Bovine Spongiform Encephalopathy」の略称です。
別名「狂牛病」とも呼ばれ、欧米をはじめとする牛肉を食する習慣のある、全世界の国々を恐怖のどん底に陥れた牛に発生する病気です。
脳がスポンジ状になり、足腰が立たなくなってしまった牛のショッキングな映像は、記憶に新しいのではないでしょうか。
このBSEの症状と特徴、原因は次の通りです。
症状: 脳の組織にスポンジ状の変化を起こし、攻撃的あるいは沈鬱状態となり、体重減少、異常姿勢、強調運動失調、麻痺、起立不能等の症状を示します。(遅発性かつ悪性の中枢神経系の疾病です)
潜伏期間: 2~8年程度で、発症すると消耗して2週間から半年ぐらいの間に死亡します。(英国では3~6歳牛が主に発症しています)
原因: 脳などの神経組織や腸などに存在する「プリオン」と呼ばれるタンパク質が異常化するためとされています。牛が異常型プリオンを含む餌などを摂取すると、それが脳に達して元々脳内に存在するプリオンを次々に変性させるため、異常プリオンが脳に蓄積し2~8年の潜伏期間を経てBSEの症状が出ます。
引用:BSE(牛海綿状脳症)について | 海外医療情報 | JOMF:一般財団法人 海外邦人医療基金 https://jomf.or.jp/
出典:https://news.line.me/
ヒトがこのBSEを発症した牛の“特定危険部位”を食べると、BSE同様、脳の組織がスポンジ状に変化する「新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病」を発症する可能性が指摘され、当時社会問題となりました。
1986年にイギリスで初めてこの病気が確認されると、その後、アイルランド、ポルトガル、デンマーク、ドイツ…と感染牛の確認が相次いでいきます。
そして2001年9月、とうとう日本国内で初のBSE感染牛が確認されたわけです。
浅田満は農水相の対策事業「国産牛肉買い取り事業」を悪用
日本で初めてのBSE感染牛が発見されてからわずか3ヶ月、農水省は国産牛の全頭検査の実施を決定しました。
出典:http://www.naramed-u.ac.jp/
さらに“消費者の不安を取り除く”ために、検査前に既に処理され、保管されていた国産牛肉も国が一括して買い取り、その全てを焼却処分することにしたのです。
これは、BSEの発生を境に牛肉が消費者に敬遠され、突然売れなくなったことから、国が税金を使って、食肉業者の在庫を高く買い取るという“食肉業界保護政策”でした。
国産牛肉の買い取りと焼却に、実に総額293億円もの多額の国費が投じられることに…。
そして、この“国産牛肉買い上げ制度”は、鈴木宗男らの農水族議員が中心となって、農水省幹部に詰め寄り…
「国が引き受けますと言えばいい。簡単なことなんだよ!」
などと強引に説き伏せたことで実現したと言われています。
出典:https://www.zakzak.co.jp/
そして、今回のテーマである浅田満は、鈴木宗男ら農水族議員を中心に、様々な政治家を資金面で支えてきた人物なのです。
ちなみに、浅田満は元々は故中川一郎元農水相の支援者でしたが、1983年の中川氏の急逝により、その秘書を務めていた鈴木宗男がその関係を引き継いだのです。
より具体的には…1983年、鈴木宗男が衆議院議員に初当選した際、その選挙資金を負担したのが浅田満でした。
さらに2002年、鈴木宗男が斡旋収賄罪により逮捕・収監される直前まで乗り回していたセルシオは、浅田満が社長を務めるハンナングループの企業名義でした。
また当時、鈴木宗男の政治団体「大阪食品流通研究会」の大阪連絡所は、なんと浅田満が社長を務める「南大阪食肉畜産荷受」の中に置かれていたと言います。
浅田満と族議員・鈴木宗男は、まさにズブズブの関係だったわけです。
出典:https://girlschannel.net/
浅田満が国から13億円もの利益を得たハンナン事件のカラクリ
また、“食肉の帝王”や“食肉業界のドン”などと呼ばれ、当時の食肉業界のフィクサーとして絶大な影響力を示していた「ハンナン」の社長・浅田満。
出典:http://info-aki.com/
当時、全国同和食肉事業協同組合連合会(全同食)や大阪府食肉事業協同組合連合会(府肉連)などの幹部を務めていた浅田満。
その地位を利用して行政側から得た情報により、「国が買い上げた牛肉は最終的には焼却される」と確信します。
そこで浅田満は、「焼却されるのであれば、証拠が残らないはず」と偽装牛肉で利益を得ようと思い立ったと言います。
「時間がないから、とにかくどんな肉でも集めろ!」
浅田満は部下に対して、このように指示を飛ばしました。
これを受けて、本来であれば国産牛肉だけが対象となるはずが、輸入牛肉などの対象外肉が大量にかき集められ、書類も偽装するなどの工作が進められることに…。
出典:https://www.jcp.or.jp/
結局、「ハンナン」による不正は2001年から2002年にかけて行われ、輸入牛肉など対象外の牛肉434トンを含む、牛肉の買い上げや処分費用などを申請したといいます。
そして、実に約50億4,000万円もの助成金を不正に受け取ったのです。
検察によると、一連の牛肉偽装により、浅田満が得た実質利益は計13億円を超えていたと言います。
そして2004年4月17日、浅田満はBSE問題に関する国の補助制度を不正に利用し、多額の利益を得ていたとして、詐欺罪など複数の容疑で逮捕されました。
浅田満が“食肉の帝王”と呼ばれた経歴とは?
浅田満のプロフィールと主な経歴
プロフィール
・名前: 浅田 満(あさだ みつる)
・別名: 浅田満利
・通称: 食肉業界のドン
・生年月日: 1938年12月6日
・出身地: 大阪府羽曳野市
・職業: 実業家
・肩書き: ハンナン元会長
・大阪府同和食肉事業協同組合連合会元会長
・部落解放同盟大阪府連合会向野支部元副支部長
・1947年、浅田満の実父・浅田浅太郞が食肉卸「浅田商店」を設立。
・小学5年生の頃から家業を手伝っていた浅田満は、中学入学直後に中退して大阪・三国の食肉小売店「神戸屋」に奉公に出る。
・当時の日本ハム会長の大社義規に取り入り、1964年、日本ハムの子会社「日本ミート」(現在の日本マトラス)の専務に就任。
・1967年12月、浅田商店を「株式会社阪南畜産浅田商店(現「ハンナン」)に改組して、自ら取締役に就任。
・1970年、部落解放同盟(解同)大阪府連向野支部副支部長に就任すると、解同大阪府連の指導と協力の下に大阪同和食肉事業協同組合を設立、専務理事に就任。
・さらに1976年には、全国同和食肉事業協同組合連合会を設立して、専務理事に就任。
これにより浅田満は、食肉業界で強大な権限を握ることになります。
浅田満の家系図を紹介 【息子と娘・嫁など浅田ファミリーの全体像を把握】
“食肉の帝王”とまで呼ばれた浅田満が築き上げた、浅田ファミリーの大変わかりやすい家系図を見つけたので紹介しましょう。
主戦直後の1947年に食肉卸を営む「浅田商店」を興した浅田浅太郎には、長男・清美、次男・満、三男・照次、四男・英教、五男・暁と5人の息子がいました。
しかし、長男の清美は温厚な人柄で商売に向いていなかったことから、家業の食肉業は、中学校すら満足に卒業せず、食肉店に奉公に出ていた満が継ぐことになります。
そんな満は非常に気配りが利き、マメな性格だったことから年長者に可愛がられたと言います。
また、彼がこれと見込んだ相手には、接待、そして現ナマ攻勢をかけるカンの良さでのし上がっていきました。
また、当時は「差別からの脱却」を旗印に掲げる政府の方針により、同和対策事業に豊富な予算がついていた時代で、「ハンナン」が急成長を遂げた裏にはそういう背景もあったようです。
出典:https://mainichi.jp/
さらに、「ハンナン」の北海道進出に伴って、故中川一郎氏、そして鈴木宗男といった農林族議員や、農水省や畜産振興事業団といった農水官僚にも人脈を築いていった浅田満。
特に前述のように、中川一郎氏の死去により地盤を引き継いだ鈴木宗男とはズブズブの関係でした。
1984年10月には、当時九重部屋の若の富士(斉藤照一)と浅田満の娘(長女)との結婚式で、鈴木宗男は仲人まで務めていたと言います。
その一方で、浅田満は指定暴力団・山口組にも深く関与していきました。
若い頃から腕っ節が強かった浅田家の三男・照次と四男・英教は、それぞれ山口組系白神組の幹部、山口組系山健組の舎弟として山口組系浅田会を率いました。
その後、「ハンナングループ」は食肉事業を全国に展開するとともに、建設(浅田建設)や金融(昭栄興業)の分野にも進出。
浅田満は、弟である三男・照次と四男・英教をこれらのグループ企業の社長に据えています。
そんな浅田満が実質的に率いる「ハンナングループ」は、食肉からレストラン、建設、不動産、ゴルフ場、金融、美術品販売、清掃、廃棄物処理など、60社を越えるとも言われています。
つまり…浅田満が率いる「ハンナングループ」の驚異的な発展の背景には、「同和と暴力団」が見え隠れするわけです。
やがて浅田満は、官界やマスコミ、捜査機関からタブー視される存在へとなっていきました。
出典:https://7net.omni7.jp/
浅田満の自宅「聊賓館(りょうごてい)」とは
日本を揺るがした牛肉偽装事件で逮捕された「ハンナン」の社長・浅田満の自宅、「聊賓館(りょうごてい)」は大阪府羽曳野市のほぼ中央部にあります。
この「聊賓館」は、浅田満が政界や官界、業界などの来賓を招く「迎賓館」で、別名“浅田御殿”とも呼ばれていました。
高さ2メートル以上の塀に囲まれた敷地は、庭も含めて約9,200平米(約3,000坪)を誇り、豊富な緑に囲まれ、庭石にも贅を尽くしていると言います。
出典:https://presidenthouse.net/
“浅田御殿”の建物は、瓦ぶき2階建ての鉄筋コンクリート造りで、のべ床面積は1,559平米。土地・建物の取引価格は10億円を下らないとも…。
浅田満の現在
浅田満に懲役6年8ヶ月の実刑判決が確定する
2015年4月8日、食肉卸大手「ハンナン」グループによる牛肉偽装事件で、詐欺罪と補助金適正化法違反の罪に問われた同社元会長、浅田満被告。
懲役6年8ヶ月の実刑判決が確定しています。
食肉卸大手「ハンナン」グループによる牛肉偽装事件で、詐欺罪などに問われた同社元会長、浅田満被告(76)について、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は、被告の上告を棄却する決定をした。証拠隠滅教唆罪は無罪とし、詐欺と補助金適正法違反の罪で懲役6年8月の実刑を言い渡した大阪高裁の差し戻し控訴審判決が確定する。決定は8日付。
引用:食肉卸ハンナン・浅田元会長の実刑確定 懲役6年8月 最高裁が上告棄却 https://www.sankei.com/
出典:https://buyee.jp/
病気のため収監が見送られていた浅田満、2016年11月に強制収監される
ただ、病気を理由に、長らく刑の執行が停止されていた浅田満ですが、2016年、検察は収容に耐えうると判断し、11月23日付で強制収監されています。
2004年4月の逮捕から12年以上が経過し、そんな浅田満受刑者は強制収監時には77歳になっています。
出典:http://forzacornesmi16.doorblog.jp/
これまで表に出ることを極端に嫌い、タブー視されてきた“食肉業界のドン”とまで呼ばれた人物が人生を締めくくる場としては…なんとも侘しい場所となりそうですね。
浅田満が率いるハンナングループの現在
“ドン”である浅田満の手を離れたハンナングループは現在も万全
ただ、「ハンナン事件」により“ドン不在”となったハンナングループですが、その経営は現在も万全だと言われているんですよね。
あるハンナングループ幹部はこう胸を張ります。
「ウチは販売ルートが確立、経営基盤がしっかりとしているうえ、公判の過程で、甥の浅田勘太郎社長に権限を委譲。グループ経営に問題はなく、そこは満元会長も心配していない」
つまり、ハンナン事件後のハンナングループは、事件とも暴力団社会とも最も遠いところにいた、五男・暁氏の息子の勘太郎氏が会社をリードし、浅田満の後継者として社長になったと言います。
そして、現在ではすっかり普通の会社となったとも…。
出典:https://page.auctions.yahoo.co.jp/
まとめ
いかがでしたでしょうか。
かつて、“食肉の帝王”とも呼ばれた浅田満が起こした、牛肉偽装事件「ハンナン事件」の詳細と背景、そのカラクリについて調べてみました。
また、そんな浅田満の家系図から、嫁や息子、娘などの家族関係、“浅田御殿”とも呼ばれる自宅、そして事件後の浅田満とハンナングループの現在についてまとめてみました。