歌手でTOTOのCM出演でも話題になった戸川純さんですが、TikTokでブームです。
今回は戸川純さんの若い頃の経歴、家族(父親や妹)、上野耕路さんとのユニット「ゲルニカ」、結婚や病気の噂、自殺未遂事件、現在を紹介します。
この記事の目次
- 戸川純のプロフィール:歌手・役者・作詞家とマルチに活躍
- 戸川純の家族① 両親から愛されていたものの、父親の厳しさが苦痛に
- 戸川純の家族② 妹・戸川京子も役者として活躍していたが2002年に自殺
- 戸川純の生い立ち:児童劇団に入るも、両親によって退団させられていた
- 戸川純の経歴① 役者デビューし、ウォシュレットのCMでブレイク
- 戸川純の経歴② 役者としてもブレイクするもののメディアを敬遠…
- 戸川純の経歴③ 上野耕路らとの音楽ユニット「ゲルニカ」などでも活動
- 戸川純の経歴④ 漫画家・冨樫義博は戸川純の大ファンだった
- 戸川純が起こした自殺未遂事件とは?壁に「皆憎」の文字…人間関係が原因?
- 戸川純は結婚している?過去には熱愛報道も
- 戸川純は病気?車椅子は事故の影響だった
- 戸川純の現在① 芸能活動40周年を記念して13年ぶりにヤプーズを復活
- 戸川純の現在② 2020年にYouTubeチャンネルを開設!
- 戸川純の現在③ 海外のTikTokで「好き好き大好き」がブームに
- 戸川純の現在④ 過去と現在のファンの違いを語り話題に
- まとめ
戸川純のプロフィール:歌手・役者・作詞家とマルチに活躍
生年月日:1961年3月31日
出身地:東京都
所属事務所:不明
戸川純さんは役者で、歌手・作詞家としても活動されています。
また、音楽ユニット「ゲルニカ」やバンド「ヤプーズ」のメンバーとしても活躍。タブー視されるようなテーマを歌詞に採用し、話題となった人物でもあります。
戸川さんの表現は昔から「伝わる」ということが第一にあった。ただ、『玉姫様』(1984年)が「生理」をテーマに扱った作品だったり、“好き好き大好き”の<愛してるって言わなきゃ殺す>といった歌詞だったりに対して、誤解や風当たりも結構あったのではないかと思います。
戸川純の家族① 両親から愛されていたものの、父親の厳しさが苦痛に
戸川純さんの父親は貿易会社を経営しており、台湾バナナなどをはじめとする果物を取り扱っていたそう。
母親は歌が好きな専業主婦で、鼻歌まじりに家事をこなしていたといい、戸川純さんは「母の鼻歌が私の音楽的なルーツ」だと思っているのだとか。
また、戸川純さんが小学校に入る頃には暮らしが比較的裕福になっていたそうで、父親からは次々とおもちゃを買い与えられ、母親とは頻繁に舞台を観劇するような生活でした。
しかし、中学校に入ると父親の愛情が過剰なまでに高まり、執着に近い状態にまでなっていたそう。門限は17時で、日曜日は外出禁止。しつけとして体罰もあったといいます。
厳しいしつけや門限は大学に入学後も続き、ある日父親から理不尽な内容で2時間近く攻め続けられ、パニック障害を発症。
救急搬送されたことを機に一人暮らしをはじめ、ようやく父親から距離を置くことができたといいます。
戸川純の家族② 妹・戸川京子も役者として活躍していたが2002年に自殺
戸川純さんには3歳年下の妹・戸川京子さんがいます。戸川京子さんは役者として活動していま
した。
戸川京子のプロフィール
生年月日:1964年8月13日
出身地:東京都
職業:役者・タレント・ミュージシャン
所属事務所: オフィス斬
戸川京子さんは5歳の時に児童劇団「ひまわり」に所属。子役としてTBS系列の「水戸黄門」や、1979年公開の映画「太陽を盗んだ男」など数多くのドラマ・映画に出演しました。
また、女性ファッション誌「CUTiE」でモデルを務め、その最先端な着こなしが話題に。
テレビでも活躍しており、日本テレビ系列のお色気番組「11PM」ではパーソナリティを担当しました。
子役から役者となった後も活躍は続き、1991年にフジテレビ系列で放送されたオムニバスドラマ「世にも奇妙な物語」の一編「さよなら蔵町キネマ」に出演。
1997年にテレビ朝日系列で放送されたドラマ「ガラスの仮面」や、2002年に関西テレビで放送されたドラマ「イマジン」などにも出演していました。
また、プライベートにおいては、1993年にはロックバンド「ZIGGY」のドラマー・大山正篤さんと結婚していますが、その後は離婚しています。
しかし2002年、37歳のときに自殺。自宅マンションで首を吊っているところを事務所スタッフに発見されたのだそう。
自殺の理由については具体的にはわかっていませんが、幼い頃から喘息の持病があり、それを苦に思っていたのではないかと推測されています。
また、うつ病を患っていたことも要因の1つではないかという説もあるようです。
戸川純の生い立ち:児童劇団に入るも、両親によって退団させられていた
戸川純さんは小学校3年生の頃に、大橋巨泉さんのバラエティ番組を観たことを機に芸能界入りを志望するように。
また、妹・戸川京子さんが児童劇団入りを希望しており、姉妹で児童劇団「ひまわり」へと入団しました。
その後、小学校5年生の時に舞台「王将」に出演し、「本格的に芝居がしたい」と感じたものの、学校生活への影響を心配した家族によってひまわりを退団させられています。
高校生になった戸川純さんは演劇部に所属。演劇部では主にシェークスピア作品を演目としていたのだとか。
高校卒業後は、関東学院大学へと進学。たまたま訪れた日比谷公園でパンクバンド「81/2」と知り合います。
そのメンバーの中に、のちに音楽ユニット「ゲルニカ」を結成する、上野耕路さんがいました。
そして、81/2のメンバーが出入りしていたロックカフェ「NYLON100%」に入り浸るようになったといいます。
戸川純の経歴① 役者デビューし、ウォシュレットのCMでブレイク
戸川純さんはロックカフェ「NYLON100%」に入り浸り、上野耕路さんらと交流していた頃、すでに役者を目指していたのだとか。
1980年にはオーディションを経て、TBS系列のドラマ「しあわせ戦争」に準レギュラーとして出演しました。
その後、1982年放送のTBS系列のドラマ「刑事ヨロシク」に出演したほか、TOTOのウォシュレットのCMに出演。
「おしりだって、洗ってほしい。」というキャッチコピーと印象的な戸川純さんのキャラクターは瞬く間に話題になり、世間からの注目を集めます。
まだまだ「おしり」というワードどころか、「便器のCM」すら受け入れられがたい時代に、かなりのインパクトを残した同CM。
実際、放送直後からクレームが殺到したそうですが、担当者が「排泄も尊い行為です」「自信と誇りを持って作っています」と答えることで徐々にクレームは減っていたといいます。
ある意味、CM界におけるエポックメイキング的な作品だったとも言えるでしょう。
また、戸川純さんもその爆発的な反響を感じていたそうで、のちに「私にとって1982年は、物事が一気に動いた年」と語っています。
以降はタレントとしてもブレイクし、1983年~1985年で「森田一義アワー 笑っていいとも!」「ライオンのごきげんよう」「さんまのんまんま」など人気番組に数多く出演しました。
戸川純の経歴② 役者としてもブレイクするもののメディアを敬遠…
戸川純さんは1985年に入ると「パラダイスビュー」「男はつらいよ」「釣りバカ日誌」などといった映画に多数出演し、役者としてもブレイクします。
―そもそも「女優をやりたい」と思ったのはなぜだったんですか?
戸川:それに関しては……小さいころからいじめられてたし、家庭内でもひどい仕打ちを受けてたこともあったから、どこかで「私も生きてるんだ」っていう想いを説明したい気持ちがあったんだと思います。それで「表現」っていうものへの欲が小さいころから培われてきて、結果的に女優と歌手になった。
しかし、1995年の自殺未遂を機に3年間の充電期間に入り、1998年にフリーランスとなって個人事務所「ヤプーズ」を設立。以降、テレビ・ラジオなどには出演しなくなってしまいました。
ただ、舞台においては役者としての活動を継続していたようで、1999年公演の「羅生門」や2001年公演の「すべての犬は天国へ行く」などの作品に出演。
- 2006年には二人芝居「ラスト・デイト」、2018年も「グッド・デス・バイブレーション考」などに出演しました。
メディアにおいては長らく出演がなく、2007年に入ってからウェブラジオ「オールニートニッポン」「ハート温泉」のパーソナリティを担当した程度です。
それから10年ほど経過した2017年には、ライブストリーミングチャンネル「DOMMUNE」で配信された特別番組「疾風怒濤きょうは晴れ」に出演。
久しぶりのメディア出演となり、大きな話題を呼びました。
同番組は戸川純さんの芸能生活35周年を記念したもので、映像での出演は実に22年ぶりのことだったといいます。
戸川純の経歴③ 上野耕路らとの音楽ユニット「ゲルニカ」などでも活動
戸川純さんは歌手としても活動しており、1981年に上野耕路さん・太田螢一さんと音楽ユニット「ゲルニカ」を結成。
役者として活動しつつあった1982年に、ゲルニカとしてもアルバム「改造への躍動」でデビューを果たしています。
ゲルニカのライヴを見た評論家の方々が雑誌等でゲルニカについて言及して下さると、どうしてもアカデミックな難しい言い回しになるんですよね。でも、このライヴ音源を聴いて頂ければかなりユーモアに溢れたバンドだったことが判ると思うんです。ライヴも和やかなムードですしね。実際、当時のライヴを見て下さった方々には意外がられたんですよ。
その翌年には、バンド「ヤプーズ」としてもライブデビュー。さらに1984年にはアルバム「玉姫様」でソロデビューも果たしました。
作詞を手掛けることもありましたが、本人いわく創作意欲が高いというわけではなかったそう。
そもそも作詞や作曲に対する欲はなくて、「歌さえ歌えれば」みたいな感じでしたからね。ソロで初めて出した『玉姫様』のときは、歌いたい歌詞を書いてくれる人がいなかったから、仕方なく自分で書いたんです。そしたら、作詞も向いてるのかなって手応えを感じて。
ヤプーズ時代にはランドセルをしょった、小学生かのような衣装でパフォーマンスをするなど、その後に登場する歌手の篠原ともえさんやタレントのフワちゃんのような”個性派”として活躍。
本日は #ランドセルの日
— Groove (@Groove71749969) March 20, 2022
ランドセルと言えば この方のこのパフォーマンスを連想しますね🎒
変態っぽい歌詞も この格好で歌うと無邪気に聴こえるから不思議です🚃
戸川純「電車でGO」https://t.co/UbDwonmpbx pic.twitter.com/fukHeb2hgY
また、話のリズムやかみ合わなさ、そして作品の世界観から、“不思議ちゃん”キャラとして扱われることが多かったものの、本人はそのイメージを良しとしていなかったそうです。
その個性が「キャラ作りによるもの」だと勘違いされることも多かったそうで、世間のイメージとのギャップに悩んだ時期もあったのだとか。
―「インパクトのある言葉を使って注目されよう」みたいなことではなく。
戸川:それはないです。「個性を出そう」とか「周りとの差別化を図ろう」みたいに考えたわけじゃないんです。表現として硬いものじゃないと伝わらない硬さも伝えたかったんですよね。“諦念プシガンガ”が、「あきらめ踊り歌」だったら伝わらないから(笑)。
実は、「不思議少女」という、今で言う不思議ちゃんの言葉のルーツは、わたしの造語なんですよ。80年代初頭に出したわたしのエッセイ集の中で、批判的に書きました。当時も今も、ファンの中にそういう方がかなりいて、批評家の方にもそのせいで誤解されて、わたし自身も不思議ちゃんととられて悪く書かれ、本当に苦しかったんです。
TOTOのウォシュレットのCMでタレント・役者としてブレイクして以降も、歌手として勢力的に活動。
1985年にはNHK「みんなのうた」で「ラジャ・マハラジャ―」を発表したほか、1989年には昭和の懐メロをカバーしたアルバム「昭和享年」を発売しました。
その後の1989年には、サポートメンバーとして加入した平沢進を交え、大人気コント番組「夢で逢えたら」に出演。
お笑いコンビのダウンタウン、ウッチャンナンチャンらとともにセッションを行い、話題となりました。
戸川純の経歴④ 漫画家・冨樫義博は戸川純の大ファンだった
自分のように戸川純さんがすでに音楽活動されていた頃に生まれていない世代は幽遊白書の仙水と樹の会話シーンから戸川純さんを知って、興味を惹かれ魅了されていった人少なくないと思うのよね。
— モリ ◆M0ri/Sh1🍦🌈 (@fusaji_low) February 14, 2017
#DOMMUNE pic.twitter.com/XL7YsqxfeD
漫画「幽☆遊☆白書」や「HUNTER×HUNTER」などで知られる漫画家・冨樫義博さんは、戸川純さんの大ファンであることでも知られています。
そのため、当時の「幽☆遊☆白書」には、音楽番組「夜のヒットスタジオ」に戸川純さんが出演することについて言及しているシーンも。
コミックス16巻に収録されており、ファンの中でも度々名シーンとして挙げられています。
このように役者・タレント・歌手として人気を誇っていた戸川純さんですが、1995年には前述の通り自殺未遂事件をきっかけにメディア出演を控えるようになり、歌手活動がメインに。
2006年に7枚のアルバムを発売したほか、2008年・2009年にはベストアルバム、9枚組CDBOXなどを発売。
2010年公開の映画「名前のない女たち」では、「バージンブルース」が主題歌として起用されました。
また、2012年公開の映画「ヘルタースケルター」では、「蛹化の女」が挿入歌として起用されています。
以降も音楽活動は続き、2016年には「戸川階段」「戸川純 avec おおくぼけい」「戸川純 with Vampillia」という3つのプロジェクトを指導。
アルバム「わたしが鳴こうホトトギス」では、アーティストヴィジュアルを冨樫義博さんが担当したことでも話題となりました。
謹賀新年
— 戸川純事務所 (@juntogawaoffice) January 1, 2017
本年もよろしくおねがいいたします。
冨樫義博さんに、戸川純 with Vampilliaのイメージ画を描いてもらいました。
1/13 恵比寿リキッドルーム
1/20 梅田クラブクアトロ
「わたしが鳴こうホトトギス」発売記念ライヴよろしくおねがいします。 pic.twitter.com/gupxOYIM4r
さらに2018年には、上海の音楽フェス「Concrete & Grass Music Festival 2018」に出演しています。
戸川純が起こした自殺未遂事件とは?壁に「皆憎」の文字…人間関係が原因?
戸川純さんは、1995年に自宅マンションにて自殺未遂をしています。
当時所属していた事務所の方向性や金銭面での不信感、バンドメンバーの脱退など、人間関係にまつわるトラブルが経て続きに起きたことが原因だとされているのだそう。
戸川純さんは事件発生時、自ら剃刀で首を斬りつけていますが、頸動脈に達していなかったことが幸いし、死にいたることはありませんでした。
また、その際に流れ出た血液で壁に「皆憎」と描いていたと言われています。
なお、当時のメディアは狂言自殺疑惑なども報じており、それら心ない報道も戸川純さんがメディア出演を控えるようになった要因の1つと考えられているようです。
戸川純は結婚している?過去には熱愛報道も
戸川純さんは現在、結婚しているかどうかについては言及されていません。しかし、結婚に関する報道もなく、恐らく独身だと思われます。
そんな戸川純さんはこれまでに複数回、熱愛を報じられた過去がありました。
1983年には男性芸能人との熱愛が報じられましたが、その後破局。
1990年には音楽を通じて仲を深めたという男性と、3年間の同棲期間を経て婚約するも、結婚式1ヵ月前に破局してしまったのだそうです。
戸川純は病気?車椅子は事故の影響だった
戸川純さんに関して「病気を患っており車椅子生活を送っている」という噂があるようですが、戸川純さんは特に病気を公表しておらず、実際のところは不明です。
大学時代には前述のとおり、父親の厳しいしつけのためにパニック障害を発症しているものの、それ以降は目立つ病気は報じられていません。
しかし2006年に交通事故に遭われたそうで、足と腰を怪我したせいで足に痺れが残っているといい、普段の生活についてはわかりませんが、ライブには車椅子で出演することもあったそう。
戸川純、スタッフからの撮影録画禁止のインフォメーションでスタート。車椅子での登場にショックを受けたが、なんというか、生きざまをみた。 #夏の魔物
— ひぢかた (@hijirock) September 29, 2019
新宿LOFT戸川純ちゃん。今日は体調も声の調子もよかったっぽい。骨折の足が痺れるとは言ってたけど頑張ってた!いっぱい立ち上がって唄ってくれた!可愛いかった!「パンク蛹化の女」盛り上がった↑↑「好き好き大好き」で「俺もー」って絵恋ヲタさんの謎の掛け声おもしろかった。笑
— ユキノ (@FYoitomake) May 7, 2017
ライブ中に思わず立ち上がることもあるようなので、まったく立てないというわけではなさそうです。
また、妹の戸川京子さんがうつ病を患っていたことから、戸川純さんもうつ病なのではないかと間違えられている可能性もありえます。
戸川純の現在① 芸能活動40周年を記念して13年ぶりにヤプーズを復活
戸川純さんは2019年に芸能活動40周年を記念して、バンド「ヤプーズ」として13年ぶりに活動。
活動再開のきっかけは、戸川純さんがソロ活動の際にサポートメンバーを務めていたギタリスト・石塚“BERA”伯広さんからの呼び掛けだったそうです。
BERAちゃんが「来年、このバンドで1枚出そうよ」と去年から言ってて、そうしようってことで。もともと私が常日頃から立てるようになったらヤプーズをやろうって話してたんですが、なかなか腰が良くならなくて。だけど完治するのを待ってるといつまでもやれないし、ライブでも基本は座りながら感極まった時、ちょくちょく頑張って立てばやれるんじゃないかということで、思い切ってやることにしました。
ヤプーズは同年、アルバム「ヤプーズの不審な行動 令和元年」を発売しました。
戸川純の現在② 2020年にYouTubeチャンネルを開設!
戸川純さんは2020年にYouTubeチャンネル「戸川純」を開設。「戸川純の人生相談」といった視聴者からの相談に答える動画や、歌っている動画を投稿しています。
2022年現在の登録者数は1.25万人ほどですが、現役時代を知る世代にチャンネル開設が知られれば、もっと伸びていくでしょう。
戸川純の現在③ 海外のTikTokで「好き好き大好き」がブームに
近年、戸川純さんの楽曲がTikTokをきっかけに世界でブームになっており、YouTubeにおいても世界各地での再生回数が激増しているといいます。
その勢いは他の音楽プラットフォームへも瞬く間に広がり、Spotifyではチェコ共和国、フィリピン、フィンランド、ポーランドなど各国のバイラルチャートでTOP50に入り、昨年10月の月間リスナーは50万人に急増し、再生数はなんと890万回オーバー。
現在は、Spotifyだけで2400万回再生を突破していました。
特に人気なのはアメリカ・ブラジル・メキシコで、次いで日本なのだとか。
さらに注目なのがその年齢層。18歳~24歳のいわゆるZ世代が60%を締め、さらにそのほとんどが女性だといいます。
35年も前の楽曲とは思えない攻めた歌い方やアングラな雰囲気、女の子特有の情緒不安定さを歌った歌詞など、今でも心に刺さるものがあるのではないでしょうか。
平成以降でいうと、バンド「神聖かまってちゃん」などの楽曲にも通ずるものがあります。
また、MVの映像もアニメ映画「ディープブルー」や「パプリカ」などに感じるような「アングラっぽさ」が全面的に押し出されています。
海外での火付け役が一体どこの誰なのかは特定しにくいが、TikTokで「好き好き大好き」の頻繁に耳にするようになる以前の今年1月1日に、韓国のイラストレーター・VIVINOSが同曲を使い、“百合×ホラー”な動画をYouTubeにアップしており、現在までに845万回以上も再生されている。
また現在、日本の80年代シティポップがジャンルとして世界的に流行しており、それらの楽曲を追うユーザーが「好き好き大好き」にたどり着いた可能性もあります。
なお、戸川純さんは近年の注目度に以下のようにコメントしています。
若い方々が支持してくださるのは、非常に喜ばしいことではありますが、何故、となると、わたしにはさっぱりわからないんです。スカッとするからじゃないですか。ただ、海外の方々には、歌詞が日本語なので、曲だけで支持していただいているわけで、作曲者には申し訳ないけれど、そんなに特殊な曲調かなあと、ますますわかりません。途中、歌い方が極端に変わるところもありますが、それだけではなあ、と思いますし。
戸川純の現在④ 過去と現在のファンの違いを語り話題に
TikTok人気により、若い女性からの人気を得つつある戸川純さん。
そんな戸川純さんはインタビューで過去のファンと現在のファンの違いについて問われた際、「はっきりと、くっきりとあります!」と断言。
当時は楽曲やそのキャラクターから「キワモノ」「ゲテモノ」扱いされていたといい、つらい思いをすることも多々あったのだとか。
中でも壮絶だったのが、ライブでの体験談です。観客はいつも大騒ぎで、シリアスな曲だろうがおかまいなしだったそう。
さらに、最前列のお客に丸めたポスターでスカートをめくられたり、酷いときには足首を掴まれて観客席に引きずり降ろされたことも。
その際、興奮した観客が集団ヒステリーのような状態となり、「何か持ち帰れるものを」とブーツや服を無理やり引っ張ってきたそうです。
そのため、服はビリビリに破け、髪の毛もブチブチとむしられたといいます。
戸川純さんはそれでもマイクだけは離さず、ボディーガードにステージに戻された後も四つん這いで歌い続けました。しかし、その様子に辟易したギタリストが演奏を止めて楽屋へ。
当時は、このような状態からライブにならないといったことが多々あったそう。
あれから何十年も経ち、あれは幻だったのか、と過去を疑いたくなるほど、今のお客さんは、わたしのシリアスな曲を聴いて、泣いてくれる方々もいてくださるくらいなんです。それで、わたしのほうこそ、こんな歳になって、しかもケガの後遺症で太ってしまって、でもどんなに醜く歳老いても、歌を続けていこう、と励ましていただけているんです。
また、当時は個性的であることばかりに目が向けられがちだったそうですが、現在のファンは歌の上手さなども褒めてくれるから嬉しい、と語っています。
まとめ
戸川純さんは役者・歌手として活躍。
1982年に出演したTOTOのウォシュレットのCMでブレイクすると、タレントとしても引っ張りだこになり、多数の番組に出演しました。
しかし、その個性の強さから「不思議ちゃん」扱いされることが多く、ライブでは服や髪を引きちぎられるという壮絶な体験をするなど、辛い思いもしたようです。
また、人間関係のトラブルから自殺未遂事件も起こしており、以降はメディアに出演しない時期が続いていました。
近年はTikTokの影響から海外での人気が高まっている戸川純さん。バンド「ヤプーズ」の復活やYouTubeの始動など、新たな動きも見せています。
今後、さらなる活躍に期待したいですね。