即身仏の本物を日本で見れる場所!山形になぜ多い?作り方と失敗理由・現在禁止される理由も総まとめ

あなたは即身仏を知っていますか?一見、不気味に見える即身仏はとんでもない強い信仰心・救済の心から生まれたものでした。

 

即身仏の概要や作り方、失敗したらどうなるか?、日本で本物の即身仏を見れる場所、山形になぜ多いのか、現在禁止されている理由などをまとめました。

即身仏とはミイラ化した僧侶

出典:nippon.com

 

即身仏とは日本の僧侶のミイラです。

 

人々を救う目的で永遠の瞑想に入り、そのままミイラ化したしたものを即身仏と呼びます。日本で文献上確認できる即身仏の最古の例は1003年6月9日の大和国多武峰寺の蔵賀です。その後、江戸時代になると、多くの高僧が即身仏になるべく永遠の瞑想に入りました。

 

日本の仏教(密教)では、弥勒菩薩出世の時まで僧侶は死なずに修行救済を目的として永遠の瞑想に入る(入定)と考えられています。僧侶が入定(永遠の瞑想)した後、肉体は仏となるため、即身仏と呼ばれるようになりました。

 

そして、日本の一部の地域では、即身仏は信仰・崇拝の対象となっています。

 

即身仏は現在では崇拝の対象、つまり「仏」ですが、入定以前から崇拝の対象として祀られるとわかっていた例とわかっていなかった(祀られるとは想定していなかった)例があります。

 

後期の即身仏は、当時の身分制度の中では身分が低く、僧としての地位も高くなかった人が多いとされています。その場合、即身仏になった後に祀られるとは思っておらず、後世の人たちが崇拝するようになったと考えられます。

 

 

即身仏はエジプトのミイラとは異なる

自らの身を投げ出して、飢饉や病気に苦しむ人々を救おうとした高僧が即身仏になりました。即身仏は、厳しい修行を自分に課し、即身仏になるために自分の体をミイラに近づけて行き、最後は瞑想を行いながら生き埋め状態になります。そして、亡くなった後に寺の者に掘り出されて、即身仏になっている(ミイラ化している)ことを確認されます。

 

それに対し、エジプトのミイラは生前は特別なことは何もせず、亡くなった後に防腐加工・防腐処理されることでミイラになります。遺体はそのままにすると、身体が腐敗してしまいますので、腐敗しないように臓器を取り除き、乾燥させて、布でくるんで棺に納められます。

 

即身仏は自然環境の中で自然にミイラになるのに対し、エジプトのミイラなどは人為的になるという違いがあります。

 

 

即身仏の作り方

出典:mokkedano.net

 

即身仏になるには、つらい修行を乗り越え、自らの身体をミイラに近づけていく必要があります。即身仏の作り方を説明していきます。

 

ここでは即身仏信仰がある山形県の湯殿山で伝承される即身仏の作り方の手順はこちらになります。

 

一、生前に徳を積み、善行を積み重ねる
二、弟子たちから尊敬され、信者からも厚い信仰を集める
三、雪深い湯殿山に籠もる荒行の「山籠修行」
四、千日単位で繰り返される「千日行」
五、何十年にもおよぶ五穀断ち、十穀断ちの「木食行」
六、己の悟りを開き、生きながら土中の石室に入定
七、土中で鐘を打ち鳴らし、読経によって衆生救済を祈願
八、土中にて息絶える
九、三年三カ月後(千日後)に、土中より掘り出される
十、衣を着せられ厨子に安置され、即身仏として祀られる

 

この作り方の手順を見るだけで、即身仏になるには想像を絶する苦行に耐えなければいけないことがわかると思います。

 

 

1.まずは徳を積む

即身仏になろうと思ったら、だれでもすぐに即身仏になれるわけではありません。即身仏になるためには、まずは仏門に入り、徳を積み重ねる必要があります。常日頃から善行を積み重ねて、弟子からも尊敬を集め、信者からも尊敬・信仰を集めるような高僧でなければいけません。

 

そして、周りの人から尊敬されるような高僧になってはじめて、即身仏になるための修行を始めることができるのです。この「徳を積み、即身仏にふさわしいと周囲に認められる」ということが、即身仏の作り方の中では最も時間がかかるかもしれません。

 

 

2.つらい修行を行う

次は、山籠修行を行います。山籠修行とは文字通り山に籠り、火を使うことは禁じられ、さらに冬でも行衣一枚だけを着て行う修行です。この湯殿山は山形県の中でも雪深い場所です。雪の中でも火は使えないし、着こむこともできません。


その後の「千日行」は下山は許されません。「千日行」ですから最低3年。千日行を繰り返すことがありますから、修行が6年、9年に及ぶこともあります。

 

山籠修行も千日行も、脂肪を落とすために栄養価の低いものだけを最低限食べてダイエットしながら行います。

 

 

3.まずは徳を積む

山籠修行と千日行を終えたら、いよいよ即身仏になるための準備を本格的に始めます。即身仏になるための一番問題は、遺体の腐敗です。即身仏は死後に防腐処理をするわけではありませんから、遺体が腐敗しないように体内の腐敗する要素を生前から取り除いていきます。

 

具体的には木食修行を行います。米や麦などの穀類を食べず、木の皮や木の実などを食べて命をつなぎ、脂肪や筋肉をそぎ落としていきます。また、防腐作用と嘔吐作用で水分を体内から出すことを目的に、漆のお茶を飲むこともありました。

 

即身仏の1人である真如海上人は、さらに余分な水分等を体から出すために、水と塩のみで47日間の断食を行いました。

 

この木食修行ではただ単に断食して脂肪などをそぎ落とすだけででゃなく、この時も経典を読んだり、瞑想したりして、精神的にも即身仏に近づいていきます。

 

 

4.土中入定

木食修行のあとは、いよいよ入定となります。深さ3mの穴を掘り、そこに石室を作ります。その中に木の箱を置いて僧侶が入り、竹筒の先だけを地上に出して呼吸を確保した状態で埋められます。木の箱の周りには、湿気取りと招集目的で木炭が敷き詰められました。

 

埋められた僧侶は蓮華座で衆生救済を祈願して読経・瞑想を続けます。僧侶は瞑想をしながら鈴を鳴らしますが、その鈴の音が途絶えた時が入定ということになります。

 

 

5.3年3ヶ月後に掘り起こされる

僧侶からの鈴の音がなくなり、入定したら、弟子たちは呼吸のための竹の筒を抜いて石室を密閉します。

 

石室は地下3mにあるため、密閉すると夏も冬もほぼ一定の温度・湿度に保たれることになります。そして、3年3ヶ月後に弟子たちが掘り起こし、即身仏になっていた者(ミイラ化した者)だけが祀られます。

 

 

即身仏は失敗することもある

出典:togetter.com

 

即身仏になるためには、つらい修行を乗り越えなければいけません。でも、即身仏になるために辛い修行をしても、即身仏になれずに失敗することもあります。

 

 

パターン①:途中で断念

即身仏になろうとして失敗するパターンの1つ目は、途中で断念することです。

 

即身仏への修行は非常につらいものです。冬に服1枚で修行し、3年以上山を下りられず、木の実や木の皮を食べて脂肪や筋肉をそぎ落とす。そこから埋められる。

 

いくら即身仏になる覚悟を決めていた高僧でも、この過程を途中で断念・脱落することはあります。山籠修行や千日行で断念することもあると思いますし、木食修行でギブアップする人もいるでしょう。いざ石室の中に密封されて、死が迫っていることを実感した時にパニックを起こして脱落することもあると思います。

 

 

パターン②:白骨化

即身仏に失敗したパターンの2つ目は、腐敗して白骨化した場合です。

 

遺体がミイラ化するためには、急速な乾燥が必要です。遺体が急速に乾燥すると、細菌の活動が弱まりますので、人体の腐敗が進まなくなり、ミイラ化しやすくなります。砂漠で発見された遺体にミイラが多いのは、乾燥した環境だからですね。

 

しかし、日本は高温多湿の気候です。いくら地中3mの環境とはいえ、うまく乾燥せずに腐敗してしまうこともあります。腐敗してしまったら、ミイラにはならずに白骨化してしまいます。

 

白骨化して即身仏に失敗した遺体は、無縁仏として葬られることがあったそうです。

 

 

パターン③:忘れられる

即身仏に失敗するパターンの3つ目は、忘れられてしまうことです。即身仏は入定してすぐに掘り起こされるわけではありません。

 

湯殿山の即身仏の作り方では3年3ヶ月後に掘り起こします。3年3ヶ月だったら忘れないだろうと思うかもしれませんが、直属の弟子がその寺からいなくなってしまったら、忘れ去れらることもありえます。

 

また、光明海上人の場合は、「死後100年経ったら掘り起こして欲しい」と伝言しています。この光明海上人は運よく覚えられていましたが、100年経ったら忘れ去られることも十分にあります。

 

衆生救済のために苦しい修行を耐え抜いたのに、忘れ去られてしまうなんてなんとも悲しい結果です。実際に、忘れ去られたまままだ地中に残っている即身仏はいるかもしれません。特に、明治政府が発した墳墓発掘禁止令のために、掘り出す時期になっても掘り出すことができない即身仏はいたはずですから、そのまま忘れ去られてしまったとしてもおかしくはありません。

 

 

即身仏に失敗すると殺される?

出典:news.yahoo.co.jp

 

即身仏になろうとして失敗して修行から脱落すると、仲間の僧侶に殺害されたと言われています。

 

即身仏のWikipediaには次のように書かれています。

 

これらは死を前提にするため、当然ながら大変な苦行であり、途中で断念した者も存在する。断念した者の中には脱落者に対する慣習により僧侶仲間に殺害される者もいた。

 

引用:即身仏 – Wikipedia

 

断念すると慣習で殺される。とても厳しい世界です。ただ、「慣習」とありますので、即身仏になろうと決意した高僧は、「失敗したら殺害される」とわかっていて、それでも即身仏になろうと決意したのでしょう。

 

そして、「失敗したら殺害される」とわかっていても、それでも即身仏になる修行から脱落する僧侶がいたと感g萎えると、即身仏になる修行が「死」よりもはるかに苦しいものだったことが推測できます。

 

ただ、1つ恐ろしい可能性として考えられるのは、周囲・寺院からの半強制的な圧力で即身仏になることが決まったケースです。その寺院の名誉のため、もしくはその土地の住民からの圧力(村の飢饉を救うために即身仏になれという圧力)で即身仏の修行を始めたケースがあったとしたら・・・?

 

そう考えると、失敗したら殺害という慣習が生まれたのも納得できます。

 

 

即身仏の本物が見れる日本の場所一覧

出典:mokkedano.net

 

日本で本物の即身仏を一覧にしてまとめました。日本に現存する即身仏は18体あります。その中で赤字のものが現在公開されていて、見れる場所になります。

 

僧侶名住所寺院名入定年享年
石頭希遷

神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1

總持寺790年91
弘智法印

新潟県長岡市寺泊野積8996

西生寺1363年82
弾誓上人

京都府京都市左京区大原古知平町83

阿弥陀寺1613年67
本明海上人

山形県鶴岡市東岩本字内野388

本明寺1683年61
弘智法印 宥貞

福島県石川郡浅川町小貫宿ノ内63

貫秀寺1683年92
舜義上人

茨城県桜川市本郷1

妙法寺1686年78
全海上人

新潟県東蒲原郡阿賀町豊実甲1779

観音寺1687年85
心宗行順大行者

長野県下伊那郡阿南町新野字八幡原1099

瑞光院1687年45
忠海上人

山形県酒田市日吉町二丁目7-12

海向寺1755年58
秀快上人

新潟県柏崎市西長鳥甲502

真珠院1780年62
真如海上人

山形県鶴岡市大網字入道11

大日坊1783年96
妙心法師

岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原1160

横蔵寺1817年36
円明海上人

山形県酒田市日吉町二丁目7-12

海向寺1822年55
鉄門海上人

山形県鶴岡市大網字中台92-1

注連寺1829年62
光明海上人

山形県白鷹町黒鴨544-1

蔵高院1854年不明
明海上人

山形県米沢市簗沢小中沢

明寿院1863年44
鉄龍海上人

山形県鶴岡市砂田町3-6

南岳寺1881年62
仏海上人

新潟県村上市肴町15-28

観音寺1903年76

 

即身仏は山形県が8体で最も多く、次いで新潟県が4体となっています。

 

 

即身仏がある日本の代表的な場所

石頭希遷(非公開)

出典:teishoin.net

 

石頭希遷は中国の唐代の禅僧です。南嶽衡山の石上に庵を編んだため、「石頭」と称されるようになり、門下には有名な禅僧が多くいます。石頭希遷は中国で即身仏となり安置されていましたが、後世に日本に渡来して、横浜市の總持寺に安置されています。

 

 

弘智法印(見れる場所:新潟県長岡市の西生寺)

出典:saisyouji.jp

 

鎌倉時代に千葉県の農家に生まれ、子供の頃に寺に預けられて僧侶となり、日本各地で寺院を設立し、高野山でも修行しています。その後、即身仏になる決意をして、新潟県長岡市にある西生寺で1363年10月2日に入定しました。

 

 

弾誓上人(非公開)

出典:blog.goo.ne.jp

 

弾誓上人は尾張出身で9歳で出家した後に諸国で修行し、京都で1609年に阿弥陀寺を改ざんしました。その後、1613年5月23日に自ら石棺になり即身仏になるために入定しています。日本で最南端・最西端の即身仏とされていますが、現在は公開されていません。

 

 

本明海上人(見れる場所:山形県鶴岡市の本明寺)

出典:yamagatakanko.com

 

本明海上人はもともとは侍でしたが、39歳の時に藩主が病気になったため、湯殿山で平癒を祈願するように命じられました。

 

その後もそのまま仏門に入り祈願を続け、藩命に背く行動をとったことから一度は妻子追放・食録没収の罰を受けましたが、藩主が回復したため、妻子が戻され食録も加増しました。ただ、本明海上人は修行を続け、1683年に入定しています。

 

 

弘智法印 宥貞(見れる場所:福島県石川郡浅川町の貫秀寺薬師堂)

出典:nishinippon.co.jp

 

1591年に生まれた弘智法印宥貞は、23歳で出家し仏門修行に励んだ後、27歳で諸国行脚に旅立ちます。その後、湯殿山に立ち寄り、高野山で修行を行った後、福島県に来て、1683年に悪病を行う村人を救うために入場し、即身仏となりました。

 

 

舜義上人(見れる場所:茨城県桜川市の妙法寺)

出典:city.sakuragawa.lg.jp

 

舜義上人は相模国三浦郡出身で鎌倉の宝戒寺38代目の住職となった天台宗の高僧です。

 

1675年に隠居し、1686年78歳で入定しました。その後、石仏に納められましたが、87年後の1773年に当時の住職の夢枕に立って掘り起こすように命じ、住職が掘り起こしたところ即身仏となっていました。

 

 

全海上人(見れる場所:新潟県阿賀町の観音寺)

出典:domperimottekoi.hatenablog.com

 

全海上人は両親と妻子が立て続けになくなったことで仏門に入り、18年の間、湯殿山で 修行をします。その後、地元に帰り、阿賀野川の難所の掘削に取り組みました。

 

入定する3年前から木食修行に取り組み、1687年に入定しています。

 

 

心宗行順大行者(見れる場所:長野県下伊那郡阿南町の瑞光院)

出典:town.anan.nagano.jp

 

長野県に生まれた心宗行順大行者は身長約180cmの大柄な武士でした。しかし、26歳の時に火事で妻子を失い、それをきっかけに仏門に入ります。17年間の修行を行い、妻子の17回忌を済ませた後、親友に「鐘の音が聞こえなくなったら穴をふさいで10年経ったら掘り起こしてくれ」と依頼し、43歳で入定しました。

 

 

忠海上人(見れる場所:山形県酒田市の海向寺)

出典:nippon.com

 

忠海上人は1697年に庄内藩の武家に生まれました。しかし、仏門に入り、現在も即身仏が安置されている海向寺の中興に尽力します。50歳になると、即身仏になることを決意し、55歳で土中入定して即身仏になっています。

 

秀快上人(非公開)

出典:shinjuin.buzan-echigo.org

 

1718年生まれた秀快上人は9歳で仏門に入り、修行を行います。1733年には真言宗の豊山派総本山長谷寺に留学し、1756年には真珠院の住職に就任しました。50歳で入定することを決意し、木食修行などの苦しい修行を行った後、1780年に入定しました。

 

 

真如海上人(見れる場所:山形県鶴岡市の大日坊)

出典:shonai-nippo.co.jp

 

真如海上人は1687年に山形県朝日村の農家の長男として生まれました。幼いころから仏門に帰依し、大日坊を拠点として各方面の教化・社会福祉に勤めています。入定するまでの七十余年間苦行を積み重ね、96歳で入定しています。

 

 

妙心法師(見れる場所:岐阜県揖斐郡揖斐川町の横蔵寺)

出典:kamanasi4321.livedoor.blog

 

妙心法師は1779年に生まれ、9歳の時に仏門に入りました。1791年には両親を亡くしたことで故郷を離れて修行します。1813年には山梨県の鹿留村を訪れ、そこで座禅・断食を行い、入定しています。当初は鹿留村に安置されていましたが、明治23年に生まれ故郷の横蔵寺に移されています。

 

 

円明海上人(見れる場所:山形県酒田市の海向寺)

出典:twitter.com

 

円明海上人は1767年に生まれ、海向寺の住職を務めた後、50歳で即身仏になることを決意し、忠海上人と同様に即身仏になるための修行に耐え、55歳で土中入定しています。

 

 

鉄門海上人(見れる場所:山形県鶴岡市の注連寺)

出典:ameblo.jp

 

鉄門海上人は1759年に鶴岡市で生まれました。21歳で仏門に入り、木食修行を2000日行って、衰退した湯殿山信仰の復興・拡大に傷害を捧げ、71歳で入定しています。

 

 

光明海上人(見れる場所:山形県西置賜郡白鷹町の蔵高院)

出典:yamagatakanko.com

 

光明海上人は1854年に「百年経ったら掘り出してくれ」という遺言を残して入定しました。そして、124年後の1978年に掘り起こされていました。入定からあまりにも長い時間が経っていたため、一部がミイラ化しているだけでしたが、新潟大学に依頼して化学処理を行い、安置しました。

 

 

明海上人(見れる場所:山形県米沢市の明寿院)

出典:hisashi3blog.info

 

1820年に農家の長男として生まれた明海上人は飢饉や両目失明、母の死などの苦難によって1842年に仏門に入り、衆生救済に尽くしました。体力の衰えを感じたことから即身仏を志し、1863年に入定しています。入定後は棺に納められたままでしたが、1982年に補修され、安置されています。この明海上人は唯一個人が所有している即身仏です。

 

 

鉄龍海上人(見れる場所:山形県鶴岡市の南岳寺)

出典:syakeassi.xsrv.jp

 

鉄龍海上人は1820年に秋田で生まれ、16歳の時に鶴岡市で仏門に入ります。仏門に入った理由は人を殺めて逃げて来たからという理由もあります。1862年に山籠修行を行い、その後寺院や道の改修に尽力しました。その後、1881年に62歳で入定しています。

 

墳墓発掘禁止令があったために、鉄龍海上人の入場は1868年と偽られ、さらに時効となる大正元年まで即身仏の存在は秘密にされていました。

 

 

仏海上人(見れる場所:新潟県村上市の観音寺)

出典:niigata-kankou.or.jp

 

1828年に生まれた仏海上人は16歳の時に湯殿山注連寺に入門しました。1862年には木食修行を行い、山籠修行を行い、下山後は布教や貧民救済に尽力しました。その功績を讃え、新潟県知事から感謝状や賞状が7回も贈られています。

 

そして、1903年に76歳で入定しています。死後3年で掘り起こすように遺言がありましたが、墳墓発掘禁止令があったために掘り起こすことができず、1961年にようやく掘り起こし安置されています。

 

 

即身仏は山形になぜ多い?

即身仏は現存する18体のうち、8体が山形県に安置されています。即身仏は山形になぜ多いのでしょうか?

 

それには3つの理由があります。

 

 

湯殿山信仰があった

出典:dewasanzan.jp

 

山形県には湯殿山信仰があります。湯殿山には真言宗の開祖である空海が開山したと伝えられる湯殿山総本寺大日坊瀧水寺があります。空海は入定して即身仏になったという伝説があることから、湯殿山は即身仏信仰が芽生え、湯殿山では即身仏になる僧侶が多かったと思われます。

 

羽黒山は観音菩薩(現在)、月山は阿弥陀如来(過去)、葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされ、それらの加護と導きにより現在・過去・未来の三関を乗り越え、湯殿山の大日如来(三関を超越した世界)の宝窟に安住し、即身成仏(生きたまま悟りを開く)の妙果を得るというものである。

 

引用:湯殿山|出羽三山神社 公式ホームページ

 

空海の伝説と厳しい自然環境の山岳信仰があったことから、山形県には即身仏信仰が根付いたのかもしれません。山形の即身仏となった僧侶の多くは、空海から一字取って名前に「海」がついている人が多いです。

 

 

山形の気候が適している

出典:pref.yamagata.jp

 

山形県に即身仏がなぜ多いか?その理由の2つ目は気候です。

 

山形県は雪深い地域です。特に湯殿山では雪が多く、土中入定した後、地中は雪のおかげで天然のクーラーのようになり、遺体の乾燥が進みやすく、腐敗しにくい環境だったと言えます。

 

もともと、湯殿山信仰で即身仏になる人が多かったと思われますし、さらに腐敗せずに遺体の急速な乾燥が進みやすい気候だったために即身仏に失敗する人が少なかったのでしょう。

 

 

飢饉で貧しい土地だった

出典:mainichi.jp

 

山形県に即身仏がなぜ多いか?その理由の3つ目は、飢饉が多かったからかもしれません。

 

山形に即身仏が多い時期は江戸時代です。江戸時代は冷害・気温低下などで凶作・飢饉が起こりました。山形でも宝暦の飢饉や天保年間の異常冷夏などがありました。

 

飢饉が起これば、僧侶は飢饉で苦しんでいる人を救うために何か行動を起こそうとします。その1つが即身仏だったのかもしれません。元々、即身仏は衆生救済を目的としています。「民衆が飢饉で苦しんでいるなら、即身仏になろう」、そのように考える高僧は少なくないはずです。

 

 

即身仏は現在禁止されているが・・・

出典:tenki.jp

 

即身仏は現在、禁止されています。現在の日本では、どんなに本人が望んでも即身仏になることはできません。もちろん、物理的には即身仏になることは可能です。ただ、即身仏になろうとすると、法律に触れてしまうのです。

 

明治政府は墳墓発掘禁止令を出しました。この墳墓発掘禁止令によって、お墓を掘りおこすことはできなくなったのです。


さらに、現在の法律で即身仏になろうとすると、即身仏になる人物ではなく、それに協力する人物が罪に問われます。

 

・自殺幇助罪
・死体損壊罪・死体遺棄罪
・墳墓発掘罪

 

本人がどんなに即身仏になることを望み、「周りには迷惑をかけない」としても、即身仏になるためには協力者にお墓を掘り起こしてもらい、ミイラ化しているかを確認してもらわないといけません。即身仏になることができていたら、劣化しないように防腐処理を行うこともあります。

 

となると、自殺幇助罪・死体損壊罪・死体遺棄罪・墳墓発掘罪に抵触してしまいます。だから、現在は即身仏になることは事実上禁止されているのです。

 

 

即身仏のまとめ

即身仏の作り方や失敗した時のその後、本物の即身仏一覧や日本で即身仏を見れる場所、山形になぜ多いのか?現在は禁止されている理由などをまとめました。

 

即身仏は見世物ではなく、信仰の対象です。即身仏を参拝しに行くときは敬意を持つことは忘れないようにしましょう。

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