中島誠之助さんは「開運!なんでも鑑定団」の人気鑑定士ですが、病気説や引退の噂も話題です。
今回は中島誠之助さんの若い頃の経歴、結婚した嫁や子供(娘と息子)、鑑定ミス騒動とその後、脳梗塞など病気説、引退など現在を紹介します。
この記事の目次
- 中島誠之助は「何でも鑑定団」で有名な鑑定士
- 中島誠之助の生い立ち① 両親と死別・養母に育てられた
- 中島誠之助の生い立ち② 10代以降は骨董商の伯父の家で育つ
- 中島誠之助の若い頃の経歴① マグロ漁船に体験
- 中島誠之助の若い頃の経歴② 鑑定士として活動をスタート
- 中島誠之助の若い頃の経歴③ 声優活動の経験も
- 中島誠之助の鑑定ミス騒動① 天目茶碗を即座に本物と断定
- 中島誠之助の鑑定ミス騒動② 鑑定を疑問視する声が噴出
- 中島誠之助の鑑定ミス騒動③ その後どうなった?
- 中島誠之助が結婚した嫁は一般女性
- 中島誠之助の子供① 娘の森由美も鑑定士
- 中島誠之助の子供② 息子はテレ東勤務?
- 中島誠之助は病気なの?脳梗塞の噂も
- 中島誠之助の現在:鑑定士を引退している?
- まとめ
中島誠之助は「何でも鑑定団」で有名な鑑定士
中島誠之助のプロフィール
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中島 誠之助(なかじま せいのすけ)
生年月日: 1938年3月5日
出身地: 東京都
血液型: O型
中島誠之助さんは1994年からテレビ東京で放送されている「開運!なんでも鑑定団」の名物鑑定士。いつも和服姿で、「いい仕事してますね」の決め台詞が親しまれています。
古美術の中でも特に陶磁器を専門としており、古伊万里(伊万里焼のこと)を世に広めたという貢献が称えられ、伊万里市から「伊万里文化大使」に任命されています。
中島誠之助の生い立ち① 両親と死別・養母に育てられた
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中島誠之助さんは現在でこそ、古美術界隈で成功を収めていますが、若い頃に家族と死に別れており、遠縁の親戚や伯父に育てられるなど苦労したようです。
養母に育てられた
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中島誠之助さんは、東京都港区青山で誕生しました。
しかし、1歳の頃に両親は肺炎を患って病死しています。
現在であれば、肺炎はきちんとした治療を受ければ回復しますが、昭和初期の頃は特効薬がなく、明確な治療方法がなかったことから致死率が高い病気だったのです。
当時まだ1歳という年齢だった中島誠之助さんに両親の記憶は残っておらず、父親が着ていた着物1枚のみが遺品として残されました。
その後、神奈川県鵠沼に住んでいる遠縁の家に引き取られ、そこで面倒を見てくれた養母こそが、中島誠之助さんの恩人となった女性です。
養母は横浜界隈で1番の売れっ子芸者で、直接血の繋がりのない中島誠之助さんを常に慈しんで育ててくれました。
中島誠之助さんによると養母は日本舞踊をやっていたそうで、稽古をする姿を「それは美しいお母ちゃんだった」と思い出として語っています。
中島誠之助さんは8歳の時に、養母から実の母親ではない事実を聞かされたそうで、それまで実の母親だと疑ったことがなかったそう。
ただ、この事実を知っても中島誠之助さんはショックを受けることはありませんでした。それは「養母が自分を愛してくれていることを知っていたから」と語っています。
戦争が全てを変えた
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そんな幸せな幼少時代が一変したのは、第二次世界大戦後期に入ってからでした。アメリカ軍の攻撃を受けて、都市部も広い範囲で焼け野原になりました。
当時、養母は絹糸産業を経営する人物に経済的な支援を受けていたのですが、この人物が死去してしまい、後ろ盾がなくなってしまったのです。
やがて、食べるものに事欠くような事態に陥り、養母は売春婦になって、なんとか中島誠之助さんの生活の面倒を見てくれていたといいます。
もちろん養母自身がそういった発言をしたわけではありませんが、周囲の噂話が中島誠之助さんの耳にも入り、幼いながらも養母のために自分も何かしたい、と考えるようになりました。
そして、骨董商を営む伯父のもとに行くことを決意した中島誠之助さんは、東京都港区赤坂に引っ越ししています。
なお、このことがきっかけで、晩年まで養母との関係に亀裂が入ってしまったそうです。
中島誠之助の生い立ち② 10代以降は骨董商の伯父の家で育つ
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伯父が中島誠之助さんを引き取ったのは、実子に厳しい骨董商の道を歩ませることに躊躇していたからのようです。
そして、中島誠之助さんに店の小僧になることを条件に、養育を持ち掛けていました。
伯父が住む赤坂の家に住まいを移した中島誠之助さんでしたが、先に引き取られていた実兄や伯父の実子だった従兄との人間関係が芳しくなく、肩身の狭い寂しい思いをしていたようです。
中島誠之助さんはその後、芝高等学校を経て日本大学農獣医学部水産学科に進学。なお、大学入学と同時に中島家と正式に養子縁組を組んでします。
伯父はビジネス的な思惑で中島誠之助さんを引き取ったという経緯はありますが、骨董に関係のない大学に進むことを認めており、中島誠之助さんの意思を尊重してくれていたと思われます。
養母との再会・その後
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中島誠之助さんは伯父の家に引き取られてからは、養母とは絶縁状態になっていました。
その後、骨董業界で成功を収めた中島誠之助さんは、養母探しに奔走します。
そんなある日、美術家仲間から養母と思われる女性の情報を得ることができました。
なんでも、老人ホームで暮らしているその女性は80歳過ぎぐらいで、中島誠之助さんが出ている新聞や書籍などを集めているとのこと。
中島誠之助さんが現地に赴くと、養母は「知らない、私ではない」と最初は否定したそうです。
中島誠之助さんが「今は商売も成功して結婚もしている。何の不自由もしていない」と伝えると、やっと養母であることを認めてくれたといいます。
養母はずっと迷惑が掛かってしまうと考えて、自分の存在をひた隠しにしてきたそう。
再会後、中島誠之助さんは女性が暮らす老人ホームを度々訪れるなど交流が続きましたが、養母は2年後に死去しました。
養母の遺品を整理していると、「自分が最後まで責任を持って育てられなかった」と、過去を悔いた気持ちが丁寧に綴られていた1冊のノートがみつかったそうです。
中島誠之助の若い頃の経歴① マグロ漁船に体験
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中島誠之助さんは大学を卒業すると、すぐに伯父の店に就職したわけではなく、しばらく海外で暮らしたいと考えていました。
ここでは、学生時代やその後のエピソードを紹介します。
海外旅行のためのアルバイト
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中島誠之助さんは、大学生の頃から海外旅行を夢見ていました。
今でこそパスポートがあれば海外に行けますが、日本で海外渡航の自由が認められたのは1964年で、これ以前は一般人が海外に行くためには多くの書類が必要で、渡航費用も莫大でした。
なお、1960年代の大卒国家公務員の初任給は1万9100円、ハワイ旅行9日間は36万4000円(現在の約400万円)だったと、2014年1月20日付の「トラベルボイス」に掲載されています。
中島誠之助さんが大学を卒業したのはこれよりも前のことですから、さらに高額だった可能性が考えられます。
こういった背景もあり、中島誠之助さんは短期で高額を稼げるマグロ漁船の乗組員として働くことを決意しました。
命懸けの漁船
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中島誠之助さんは2014年8月15日に放送された「アナザースカイ」で、この頃の思い出を語っています。
当時、延縄漁を行っていると目が見えなくなってくることが辛かったそう。
さらに、出航から14日目に飲み水に油が混入するというハプニングが起こります。中島誠之助さんも体調を崩し、緊急入院のために乗っていた船はシンガポールに入港しました。
治療を受け、容態が良くなってきた頃にやっと落ち着いて現地を観察することができたそう。
シンガポール港は海上の交通要所として繁栄したエリアで、人類のるつぼという環境に中島誠之助さんは大いに刺激を受けたそうです。
そして、ふらりと入ったシンガポールの骨董屋の奥に「商戦」と書かれた掛け軸をみつけます。この時に初めて、心から骨董商になりたいと感じたんだとか。
また、困難に遭遇した時に逃げないという不屈の精神、マグロ漁船でのプロ精神という2つを学んだことは、その後の人生に良い影響を与えているのだといいます。
マグロ漁船の給料は飲み代に消えた
こうして半年間のハードな勤務を終えた中島誠之助さんは、70万円(当時)の収入を得ました。
海外旅行のためにマグロ漁船のアルバイトを始めたものの、骨董商になる意思を固めたことで、旅費に使われることはなく、飲み代などで消えてしまったんだとか。
中島誠之助の若い頃の経歴② 鑑定士として活動をスタート
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マグロ漁船から無事帰国した中島誠之助さんは、伯父が経営する「中文商店」に就職し、骨董商として伯父から目利きのノウハウを教わる生活に入りました。
伯父は中島誠之助さんに店を継いでもらいたかったものの、中島誠之助さんが消極的だったため、死去する直前に銀座の画廊で働いていた実子(中島誠之助の従兄)を後継者に指名します。
店を継いだ従兄は古美術に精通していなかったため、騙されてばかり。中島誠之助さんはなんとも頼りない存在だと感じていたそうです。
そして、もともと仲が悪かったこともあり、中島誠之助さんは見切りをつけて独立し、1976年に南青山に古伊万里染付の専門店「からくさ」を開業しました。
1979年には、真咲みどりさんの楽曲「南青山骨董通り」の作詞を担当したことで、骨董通の名付けの親として知られるようになったのです。
1994年に始まった「開運!なんでも鑑定団」は、中島誠之助さんの目利きの腕に目を付けたスタッフがレギュラー出演して欲しいとオファーをしてきたことがきっかけでスタートしています。
なお、中島誠之助さんが独立して開業した「からくさ」は2000年に閉店しています。
中島誠之助の若い頃の経歴③ 声優活動の経験も
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中島誠之助さんは鑑定士として人気を博しましたが、そのほかにも声優としてアニメや映画に出演したことがあります。
1998年7月に公開された映画「ズッコケ三人組 怪盗X物語」では、骨董屋として出演。
同年7月24日に日本テレビで放送された「ルパン三世 炎の記憶〜TOKYO_CRISIS〜」ではタイトルロゴの一部のデザインを担当し、本人役として本編に出演しています。
こういった本人役で登場することをカメオ出演といいますが、俳優やスポーツ選手、漫画の作者など著名人が選ばれることがほとんどです。
中島誠之助さんの知名度がいか高く、人気があったということがわかりますね。
中島誠之助の鑑定ミス騒動① 天目茶碗を即座に本物と断定
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長年、「開運!なんでも鑑定団」において番組の顔を務めていた中島誠之助さんですが、2016年12月20日放送の番組内で鑑定ミス騒動が起こりました。
番組内では、徳島県在住のラーメン店経営の男性が、天目茶碗の鑑定を依頼。
依頼者によると、大工をしていた曽祖父が、戦国武将・三好長慶の子孫達から屋敷の移築を請け負った際に古美術品を買い受け、その中に入っていたものだそう。
天目茶碗を見た中島誠之助さんは「国宝の曜変天目と同じものに間違いない」と断言。
さらに「漆黒の地肌に青みを帯びた虹のような光彩がわき上がっていて、まるで宇宙の早雲をみるようだ」と褒め称えたのです。
なお、曜変天目とは南栄時代に中国福建省で作られた陶器で、完全な形で現存しているのはわずか3つで、いずれも日本の美術館と寺院に保管されてきました。
曜変天目は昔から謎の多い茶碗で、作者が不明であるにも関わらず、なぜか日本では室町時代から最上級の茶碗であると珍重されてきました。
さらに、中国では欠けた状態の曜変天目しかないのに、完璧な形で残されている現物が3つともなぜ日本にあるのかは判明していません。
仮にこれが本物であれば、天目茶碗の最上級と呼ばれる「曜変天目」がもう1つ発見されたということになり、古美術に携わる人間であればビッグニュースです。
所有者の男性は天目茶碗について100万円と評価していましたが、中島誠之助さんは2500万円の鑑定額をつけ、スタジオは大騒ぎになりました。
中島誠之助の鑑定ミス騒動② 鑑定を疑問視する声が噴出
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2016年12月20日放送の番組終了後から、複数の専門家から中島誠之助さんの鑑定を疑問視する声が寄せられたといいます。
その中でも、曜変天目の再現に父親の代から挑戦し続けている、愛知県瀬戸市の陶芸家・九代目長江惣吉さんは「国宝の曜変天目茶碗とは似ても似つかないものだ」と否定。
その他にも有識者から、「本物の曜変なら桁(けた)が3つくらい増えてもおかしくない」と、中島誠之助さんが付けた2500万円の値段にも否定的な声があがりました。
中島誠之助さんの鑑定は物議を醸しましたが、番組の放送を受けて徳島県教育委員会は、男性が所持する天目茶碗を文化財に指定するための調査に乗り出しました。
当初、所有者の男性は協力的な態度を取っていましたが、ある日「諸般の事情で資料を外に出さないでもらいたい」と、調査の白紙を申し出てきたのです。
テレビの力は偉大で、男性はにわかに地元の有名人になってしまい、取材が突然やってきたり、自宅や店に脅迫電話がかかってきたりするなど、生活に支障をきたしていたことが理由でした。
中島誠之助の鑑定ミス騒動③ その後どうなった?
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中島誠之助さんの天目茶碗の鑑定は大きな波紋を呼び、騒動は意外な形で新たな展開を迎えることになりました。
偽物宣言がされた
中島誠之助さんの鑑定から約1年後、中国福建省のテレビ局「福建電視台」が、建陽県に在住する女性陶芸家の李欣紅さんの衝撃の告白を放送しました。
李欣紅さんが語ったところによると、日本で話題になっている天目茶碗はレプリカで、その茶碗は自分が作ったという内容でした。
李欣紅さんによると、友人から「開運!なんでも鑑定団」で話題になっている天目茶碗の画像を見せられ、「なぜ私の作品が?」と驚いたそうです。
2011年頃から作り始めたそうで、100元〜200元(当時の日本円では1500円~3000円)の価格でお土産として販売していて、これまでに1万個程売っているとのこと。
この報道を受けたテレビ東京は、「鑑定結果は番組独自によるもの。この件についてお答えすることはございません」と、鑑定ミス疑惑に関しては肯定も否定もしていません。
また、中島誠之助さんも嫁を通して「自分の意見は今まで通りです」とコメントを発表し、今もこの考えは変わっていないようです。
他局はどう見ていたのか?
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2018年1月16日に放送されたTBSの朝の情報番組「ビビッド」では、この騒動について次のように報じました。
MCの国分太一さんが「今日一番の大変なニュースが入ってきましたけど」と興奮気味に共演者に話を振ると、堀尾正明さんと真矢ミキさんは以下のように発言しています。
堀尾正明アナウンサー(62)は「この方(李欣紅さん)の情報が怪しい可能性もあります」と冷静にコメント。
最後は真矢ミキ(53)が「(たとえ贋作でも)人の目を魅了する魅力があるということですよね」とまとめていた。
引用:国分、困惑「鑑定でそんなミス…」 – スポニチアネックス https://www.sponichi.co.jp/
他局でも大きく取り上げられた騒動ですが、今現在でも鑑定ミスだったのか、本物だったのかは解明されていません。
中島誠之助が結婚した嫁は一般女性
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中島誠之助さんの嫁は一般人で、名前や顔写真は公開されていません。馴れ初めや嫁の職業も不明です。
嫁と結婚した時期も明確ではありませんが、2014年にゲスト出演した「アナザースカイ」で、金婚式をシンガポールで行ったことを明かしています。
ということは、少なくとも50年前の1964年には入籍していたことになりますよね。
かつて鑑定ミス騒動が起こった際、取材陣が中島誠之助さんの自宅を訪れると、嫁が対応しました。
嫁は「(中国人陶芸家について)主人は噂では聞いてるみたい。曜変騒動に関して、以前から取材はお断りしています」とコメントし、対応に慣れた様子だったそうです。
ある程度、マネジメントができる女性なのかもしれませんね。
中島誠之助の子供① 娘の森由美も鑑定士
出典:https://www.tv-tokyo.co.jp/
娘で陶芸研究家をしている森由美
中島誠之助さんの子供といえば、陶芸研究家の森由美さんです。
父親同様、「開運!なんででも鑑定団」で鑑定士として出演していますので、ご存知の方も多いことでしょう。
改めて、森由美さんの学歴や経歴について紹介します。
娘・森由美は理系出身
出典:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/
娘の森由美さんは、1966年に東京都内で誕生しました。
通っていた小学校や中学校は不明ですが、立教女学院高等学校を経て、立教大学理学部化学科を卒業されています。
意外なことに理系の出身で、森由美さんも「小さい頃は化学少女でして、美術系に進学するつもりはまったくありませんでした」とインタビューで語っています。
また、幼少期の森由美さんは「なぜうちの食器は、全部白地に青い模様のものばかりなだろう」と疑問に思っていたんだとか。
そんな森由美さんが、古美術に興味を持ったのは高校生の頃でした。修学旅行先で訪れた高松塚古墳を見学しているうちに「こんな仕事してみたいな」と頭にフッと思い浮かんだそうです。
そして、理系が得意だったので、古美術品の修復に使う薬品を扱うことを想定して大学の学部を選んだそうです。
森由美さんは大学を卒業すると、東京藝術大学大学院の美術研究科に入り、文化財保存学を学んでいます。
美術館に就職
森由美さんは大学院を修了すると、戸栗美術館に学芸員として就職しました。
この美術館は、実業家の戸栗亨が集めた東洋陶磁器を保存、展示しています。収蔵品は2008年時点で7000点だったことが判明しています。
その後も森由美さんは東洋陶磁を学び、日本陶磁協会が発刊している専門誌「陶説」で編集を9年間担当しました。
さらに、NHK文化センターの講師、美術館の学芸顧問、本の出版など幅広い業務に携わり、今や準レギュラーとして「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士を務めています。
中島誠之助の子供② 息子はテレ東勤務?
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中島誠之助さんには息子も1人いることが判明しています。それは自身の著書『山が家族を育ててくれた』にも描かれています。
残念ながら息子の名前や生年月日、画像など個人を特定できるような情報は分かっていない状況です。
ネットを検索すると、ツイッターで「中島誠之助の息子はテレ東なのか」という呟きが複数ツイートされています。
その後、息子に関する新たな情報は入っておらず、中島誠之助さんも明言していないため、真偽の程は定かではありません。
しかし、テレ東勤務という噂が本当であれば、中島誠之助さんは息子と収録先で顔を合わせている可能性もありますね。
中島誠之助は病気なの?脳梗塞の噂も
出典:https://www.excite.co.jp/
中島誠之助さんについて検索すると、「脳梗塞」、「病気」などが検索ワードの候補として出てきて、体調が悪いのかと心配になっている人も多いようです。
調査してみたところ、ツイッターで2014年頃から「中島誠之助さんが心配」というようなツイートが目立つようになりました。
「開運!なんでも鑑定団」に出演していた際の中島誠之助さんの口が歪んでいたようことが噂の発端で、これは脳梗塞による顔面麻痺では?と疑った人がいたようです。
また、「呂律がまわっていないけれど大丈夫か」、「中島氏の口調が怪しい」、「中島誠之助さん、最近倒れたのかな?喋り方が」など、話し方の変化を感じている声も多数聞かれました。
しかし、これまでに中島誠之助さんが病気を公表している様子はなさそうです。
このため、脳梗塞という具体的な病名までささやかれてきましたが、真相は定かではありません。
中島誠之助の現在:鑑定士を引退している?
出典:http://utsuryman.com/
鑑定ミス騒動で、中島誠之助さんは鑑定士引退かとの噂も流れましたが、2022年現在も現役の鑑定士として活動を継続しています。
ただし、中島誠之助さんはいつまでも変わらない風貌ですが、現在の年齢は84歳という高齢でもあります。
ネットで調査すると、ツイッターには「中島誠之助さんは将来のことを考え、娘の森由美さんを開運!なんでも鑑定団に出演させて、自分は引退するのでは」という声がありました。
また、Yahoo!知恵袋では「中島誠之助さんが引退してしまっても代わりの鑑定士はいるのですか」との質問も投稿されてます。
近い将来、中島誠之助さんが引退するかもしれないと心配している人が多いようですので、無理のない範囲で鑑定活動やメディア出演を続けていただき、ファンを安心させてほしいですね。
まとめ
出典:https://page.auctions.yahoo.co.jp/
中島誠之助さんの若い頃からの経歴、結婚した嫁や子供(息子・娘)、鑑定ミス騒動とその後、脳梗塞など病気説、引退の噂など現在についてまとめました。
かつて脳梗塞など病気説や鑑定ミス騒動によって、引退もささやかれた中島誠之助さんですが、2022年現在も、娘の森由美さんと共に「開運!なんでも鑑定団」に出演しています。
とはいえ84歳なので、病気には気をつけて元気に活動を続けてほしいものですね。これからも中島誠之助さんを応援していきましょう。