黒田勇樹さんは子役時代・若い頃に大活躍した役者ですが、一度引退しており、今現在の活動も話題です。
今回は黒田勇樹さんのプロフィールや学歴、ハーフ説と両親、結婚した元嫁や離婚理由、再婚、子供ができて父親になった現在をまとめました。
この記事の目次
- 黒田勇樹のプロフィール:美少年子役として「人間・失格」でブレイク
- 黒田勇樹の家族:ハーフに間違えられるも両親は日本人?
- 黒田勇樹の学歴:最終学歴は亜細亜大学卒業
- 黒田勇樹の経歴① ”天才”と言われていた子役時代・若い頃
- 黒田勇樹の経歴② 体調不良をきっかけに若い頃に役者を辞める
- 黒田勇樹の経歴③ 様々な職を転々するも充実した日々を送っていた
- 黒田勇樹の経歴④ ハイパーメディアフリーターに
- 黒田勇樹の経歴⑤ 2014年に舞台で役者へと復帰
- 黒田勇樹は2012年に元嫁・中村瑠衣と結婚
- 黒田勇樹と中村瑠衣は2013年に離婚・離婚理由はDV?
- 黒田勇樹は2020年に役者で地下アイドルの珠居ちづると再婚
- 黒田勇樹が父親に・2021年に子供が誕生していた
- 黒田勇樹の現在① 役者・裏方両面で精力的に活動中
- 黒田勇樹の現在② ネット番組で語った「子役の親」への意見が話題に
- まとめ
黒田勇樹のプロフィール:美少年子役として「人間・失格」でブレイク
生年月日:1982年4月23日
出身地:東京都
所属事務所:フリーランス
黒田勇樹さんは役者で、子役時代から活躍。代表作には「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」や「名探偵 明智小五郎シリーズ」などが挙げられます。
また、一時役者を引退し、「ハイパーメディアフリーター」の肩書で活動し始めたことでも話題に。
近年は再び役者としての活動をしているほか、映画監督などにも挑戦しています。
黒田勇樹の家族:ハーフに間違えられるも両親は日本人?
黒田勇樹さんは独特の雰囲気を持っており、目鼻立ちもしっかりしていることから、ハーフではないかと思われることが多いそう。
本人はあまり家族について言及していないものの、両親はともに日本人だといわれています。
また、一部では父親が元バンドマンで、母親が芸能事務所のマネージャーだったと噂されているそうです。
また、2019年には自身のブログに母親の還暦祝いの様子を投稿。
幼い頃に約束した「ストッキングを買ってあげる」という約束を守るため、赤いストッキングを探し回り、なんとか赤いタイツを贈ることができたと綴っています。
黒田勇樹の学歴:最終学歴は亜細亜大学卒業
黒田勇樹さんは亜細亜大学を卒業しています。
出身高校は明かされていませんが、幼い頃から芸能活動をされているため、芸能コースがあり、数多くの芸能人が通うことで知られている堀越高校出身の可能性が高いのではないでしょうか。
また、大学を卒業した時期が不明のため、中卒から大検を取って大学へと進学…というパターンもありえるかもしれません。
黒田勇樹の経歴① ”天才”と言われていた子役時代・若い頃
黒田勇樹さんは、1歳の頃からモデルとして、CMや雑誌を中心に活躍。
1988年に大河ドラマ「武田信玄」で役者デビューを果たし、子役としての活動を開始します。
8歳の時には、ミュージカル「オリバー!」で主演。
黒田勇樹さんはオーディションで2792倍もの倍率を勝ち抜き、主演をつかみとりました。なお、公演会場である帝国劇場において、史上最年少での主演でもありました。
その後、1994年放送のTBS系列のドラマ「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」で、堂本剛さん演じる大場誠をいじめる同級生・武藤和彦役を演じてブレイク。
同作は最高視聴率28.9%を記録する大ヒット作となりました。
1998年公開の映画「学校III」では、キネマ旬報賞で新人男優賞、日本映画批評家大賞の新人賞、日本アカデミー賞の新人俳優賞、全国映連賞の男優賞なども受賞し、賞を総なめにします。
しかし、黒田勇樹さんはそんな輝かしい経歴を、逆にコンプレックスに感じていたのだとか。
1歳からデビューして常に仕事があった。その環境が当たり前すぎて、“がんばる”という感覚がわからなかった。周りはがんばれているのに、オレだけががんばれていない。そんな他人にはなかなか分かりづらいコンプレックスをずっと抱えていました
子役から役者となるにつれ、周囲にはアルバイトをしながら必死で役者業に食らいついているような人達も増えていったといいます。
黒田勇樹さんはそんな人たちと自分との熱量の差を感じていたそう。
こいつらとオレとではモチベーションが違う。でも、残念ながらオレの方が芝居は上手だから仕方ねえ。一生懸命なのと、上手なのは違うからな」とクサクサした気持ちを持て余していた。
黒田勇樹の経歴② 体調不良をきっかけに若い頃に役者を辞める
出典:http://bennu.co.jp/management/
黒田勇樹さんは2004年に公開された映画「劇場版 仮面ライダー剣 MISSING ACE」に出演。
仮面ライダーグレイブに変身する、志村純一役を演じており、子役から役者となっても順調なキャリアを築いていました。
しかし、26歳の時に体調不良となり、出演予定だった舞台を降板。
これをきっかけに、それまでのモチベーションの低さも影響してか、仕事が徐々に減少していき、それにつれて「このまま仕事がなくなったら死ぬな」と感じるようになったといいます。
がんばれていない自分より、がんばれている奴らがオレのポジションに座ればいい。仕事が見つかるかどうかより、役者を続けていく不安感のほうが勝っていた。黒田さんはいっさいの芸能活動をやめ、初めての”転職”をすべく派遣会社に登録した。28歳になっていた。
そして、2010年5月に突如役者を引退しています。
黒田勇樹の経歴③ 様々な職を転々するも充実した日々を送っていた
引退後は「ハイパーメディアフリータ―」を名乗り、ネット配信番組などウェブを中心に活動していたことが強く印象に残っていますが、実際はそれまでに様々な職種を経験しているそう。
特に、コールセンターでのアルバイトではクレームへの対応力や、同僚への面倒見の良さが高く評価されていたといいます。
時には、病欠した担当者に代わって70名以上の研修も担ったのだとか。そして、その評判の良さから主任代行にまで昇進したというのだから驚きです。
さらに仕事に慣れを感じた頃から、新しいことをと週末に引っ越し屋のアルバイトにも挑戦。
力仕事に慣れていなかったものの、黙々と取り組むことで、1人で冷蔵庫を運べるスキルも身につけたそう。
黒田勇樹の経歴④ ハイパーメディアフリーターに
それぞれの仕事で実績を出し、金銭的にも困ることなく充実していたという黒田勇樹さん。
しかし、世間が「天才子役からの転落」に仕立て上げようとしていることに憤りを感じていたといいます。
そして「今活躍している子役らが将来仕事を辞めやすくなるように」「辞めても全然楽しくやれるんだよ」との思いから自身の体験を「ハイパーメディアフリーター」として語るように。
オレは普通の人が普通にしているように転職しただけ。でも、それが事実であろうとなかろうと、“子役のその後”を転落人生のように描きたがる風潮がある。そういう報道に面白いから対抗しようと思ったんです。 『辞めても元気ですけど、なにか?』って伝えるために、ただブログで書くだけじゃつまらないから、イベントスペースやネット媒体を使って触れ回りました。
すると、徐々にイベントの出演依頼や執筆依頼が舞い込むようになったといいます。
2012年には当時話題だったステルスマーケティングを揶揄するように「メールマガジンの読者を増やすために流行のステルスマーケティングに挑戦」とウィットに富んだ内容をツイート。
またたくまに話題となり、「つぶやきメディアサミット2012」でツイートエンターテインメント部門賞を受賞。また、年間大賞にあたるゴールデントゥギャり大賞を受賞しています。
さらに同年には、特撮映画「メンタルヒーローJ1(仮題)」で監督デビューすると発表。
同作は、日本初となる映画に特化したクラウドファンディングサービス「FiRoom」によって制作されており、世間からも注目を集めました。
しかし、同作は自身の離婚・DV疑惑報道の激化によって白紙となっています。
黒田勇樹の経歴⑤ 2014年に舞台で役者へと復帰
黒田勇樹さんはその後、ワークショップなどで演技指導を行ったり、映像制作に携わったりといった活動を経て、2014年に役者として舞台へと復帰。
復帰には、演出家・IKKANさんからの誘いがあったといいます。
黒田勇樹さんはIKKANさんと共演した際に、自主制作映画への出演をオファー。撮影を通じて仲良くなり、飲みにいったバーで酔いつぶれてしまったそう。
すると翌朝、IKKANさんから「昨日舞台に出てくれると約束してくれた」と告げられます。
そのやり取りを黒田勇樹さんは一切記憶していなかったものの、自身の映画に出演してくれた恩からIKKANさんの舞台での役者復帰を決意したのだとか。
不思議なもので、それまで頑なに拒んでいた自分が『これでコケたら二度と演劇界に戻れない』と肚をくくった瞬間、がんばれた。常々、周囲には「がんばれる」と思えるときが来たら、そのときはがんばると言っていて、それが今だと思った。だって、こんなことってないじゃないですか。奇跡としか思えない
復帰後は精力的に舞台に立ち、2年間で20本以上もの舞台作品に出演。
「仮面ライダー剣」で共演した縁のある、同年代の役者たちと演劇ユニット「サーティワンアイスクリーマーズ」を立ち上げ、同ユニットでの活動も開始します。
また、2016年に開催された「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」には、自身が監督した作品を出展。
2017年には株式会社ベンヌと業務提携を結んでおり、より役者業に本腰を入れています。
黒田勇樹は2012年に元嫁・中村瑠衣と結婚
黒田勇樹さんは、2012年に当時歌手だった中村瑠衣さんと結婚。
しかし、検索した人たちが誤って「中村瑠依」さんを検索するという事態に、次のようにコメントしています。
黒田は8月1日のGoogleの急上昇ワードで「中村瑠依」が1位になっていることについて、「寝て起きたら俺でもなく嫁でもなく『中村瑠依』さんという見知らぬ人がGoogle急上昇1位になっていました」と言及すると、「うちの嫁は『中村瑠衣』です ニンベンいりません そこんとこ宜しく」と訂正した。
また、中村瑠衣さんはギターのseiyaさんと音楽ユニット「リル・キャッツ (little cats)」」としても活動。モデルとして雑誌の誌面に登場したり、CM出演歴もあるのだそう。
バツイチで、元夫との間に5歳の男児がおり、黒田勇樹さんとは再婚でした。
2人は黒田勇樹さんが主催したイベントで知り合い、子供を交えた3人で1年半ほど交流したのちに結婚に至ったといいます。
黒田が主催したイベントを通じ知り合った中村と5歳の息子との交流も1年半が過ぎ、プロポーズした。「子どもがいる女性との交際は責任が大きい。どっちつかずの状況の中で監督の話をもらい、自分の手のひらにあるものを守りたくなりました」。
黒田勇樹と中村瑠衣は2013年に離婚・離婚理由はDV?
黒田勇樹さんは、結婚した年に中村瑠衣さんからDV被害を暴露されています。中村瑠衣さんはその翌年には、警視庁へ被害届を提出。
中村瑠衣さんはDV騒動にあたり、TBS系列のワイドショー「サンデージャポン」などにも出演しました。
ツイッターに黒田氏からワインボトルで殴られて目の周りにあざができた顔写真を掲載し、家庭内暴力を暴露した中村だが、その痛々しい画像は実は1年前に撮られたものだったと告白。最近は仕事で公の場に出ることが多くなったことから、黒田氏に対しては「顔だけはやめて」と伝えているという。
また、中村瑠衣さんいわく、黒田勇樹さんに頭を何度も踏みつけられ、脳しんとうまで起こしてしまったのだといいます。
しかしその一方で、黒田勇樹さんも中村瑠衣さんからDVを受けていたと主張。
勇樹さんもすかさずツイッターで瑠衣さんに反撃し、殴っていたことは認めたものの、同じように殴られたと明かした。また、包丁で手首を切られたと写真付きで暴露し、瑠衣さんは警察にこう留されたとした。これに対し、瑠衣さんも自らのツイッターで釈明し、「包丁に関しては嘘」と反論した。
DVのきっかけは、結婚前の同棲期間にさかのぼるそうで、黒田勇樹さんの浮気疑惑をめぐって中村瑠衣さんが手を出すようになり、黒田勇樹さんがそれに反撃するようになったといいます。
そして、2人は離婚調停を経て2013年に離婚。
黒田勇樹さんは離婚報道から離婚成立まで、メディアやそれまで勤めていた職場を離れ、自宅にこもっていたそうです。
離婚報道から裁判で離婚が成立するまで10カ月の間は、ほとんど人にも会わず、家に引きこもっていた。こうなった以上、芸能関係の仕事はもう続けられない。野次馬的なものも含めて、くるオファーはすべて断った。コールセンターを辞めて雇用保険でしばらく食いついないだあと、新たに始めた仕事はひたすら肉をむしり続ける食肉工場でのバイトだった。
そんな黒田勇樹さんは離婚後、トークイベント「黒田勇樹の離婚報告会〜何となく横浜で〜」を開催。徐々に表舞台にも登場するように。
なお、元嫁・中村瑠衣さんはその翌年に一般男性と3回目の結婚をしており、2人目の子供が誕生しているそうです。
黒田勇樹は2020年に役者で地下アイドルの珠居ちづると再婚
黒田勇樹さんは2020年に役者の珠居ちづるさんと結婚しました。
珠居ちづるさんは、地下アイドルグループ「Nyan7」にも所属しているそうです。
2人は2018年公演の舞台で共演したことを機に知り合い、「芝居の話を永遠にできるところ」に惹かれたのだとか。
挙式に関しては、コロナ禍だったため執り行っていないといいます。
また、家庭は円満のようで、所属事務所は結婚について問われた際に、以下のように回答しました。
事実です。昨夏に入籍しました。隠すつもりは全くありませんでした。コロナ禍で発表する機会がなく、誰にも聞かれなかったので答えなかっただけです。
黒田勇樹が父親に・2021年に子供が誕生していた
黒田勇樹さんは珠居ちづるさんとの間に子供が誕生しています。
子供は男の子で、珠居ちづるさんとの結婚と同時に息子の存在も報じられました。
報道から2週間ほど経った2021年5月には、自身のブログでも結婚と子供が誕生したことを報告。その時点で、子供が1歳近いことも明かしています。
お相手はアイドルで女優で僕の主宰する令和反戦楽団の団員でもある珠居ちづるさんもう二度と、世界中の出演者に手を出した演出家を笑いません子どもは男の子でもうすぐ1才です時期が時期なので、将来の見えない毎日ですが周りに支えられながらなんとか楽しくやっております沢山のお祝いのメッセージありがとうございました
引用:ご報告
2021年4月に受けたインタビューでは、黒田勇樹が東京で暮らし、珠居ちづるさんと息子は珠居ちづるさんの実家で暮らしていると明かしています。
また、「元気に育ってくれればそれ以上は何も望みません」と子供に対する思いについて語りました。
--お子さんにどうなってほしいですか?
黒田 太陽王と呼ばれたルイ13世と同じ「魔歯が2本生えて生まれた」ので、世界を導く“覇王”になってほしいです。でももう、動いてるだけでお父さんを癒やしてくれるので、なんでもいいっちゃいいです。
黒田勇樹の現在① 役者・裏方両面で精力的に活動中
黒田勇樹さんは現在も役者として活動中。
舞台を主としており、2022年公演の舞台「うしおととら」や「絶対にNTRれないオ・ト・コ」などに出演しています。
また、映像作品ではTOKYO MXのドラマ「妖ばなし」や、2020年公開の映画「いつくしみふかき」などに出演。
ドラマ「妖ばなし」においては、監督・脚本・キャラクターデザイン・作画監督などをはじめ、裏方にも幅広く携わっています。
黒田勇樹の現在② ネット番組で語った「子役の親」への意見が話題に
黒田勇樹さんは、バラエティ番組などにも多数出演しています。
2017年には、テレビ朝日系列のネタ番組「笑×演」やテレビ東京系列のトーク番組「じっくり聞いタロウ ~スター近況(秘)報告~」などに出演。
2021年に出演したABEMAのネット番組「ABEMAPrime」では、子役であった経験から「子役の親」について語り、話題となりました。
黒田勇樹さんは同番組で「子役の親は子どもの盾にならなきゃダメ」と述べ、さらに「いつでも辞められること・やりたいことをやれることが大事だ」と主張。
さらに、演技をしたことのない人たちは演技に口を出さず、プロに任せるべきとも語りました。
だって、親御さんたちは『外郎売』を言えますか?言えないでしょ?ということ。2世の俳優の演技が上手なのは、佐藤浩市さん、柄本佑くんだったり、親もちゃんとした演技ができるから。“子役に付き添う”人たちが、自分の領分を分かった方がいい。
また、メンタルケアや逃げ道を用意することの重要性を説き、さらに、母親を性的に狙う人が多いからその点も気を付けてほしい、とも呼びかけています。
まとめ
黒田勇樹さんは1歳の頃から芸能界で活躍し、TBS系列のドラマ「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」や「名探偵 明智小五郎シリーズ」などでブレイク。
その整ったルックスと、映画賞を総なめにした高い演技力で天才子役と称されていました。
年齢を重ね、役者と呼ばれるようになっても順調にキャリアを積んでいた黒田勇樹さんですが、2010年に突如役者を引退。
引退後はフリーターとして様々な職種を経験しつつ、「天才子役の転落人生」に仕立て上げてくるメディアを揶揄するかのように「ハイパーメディアフリーター」と名乗るように。
メディア出演や執筆活動を続ける中で、演出家・IKKANさんの誘いにより舞台へと復帰しています。以降、制作側にも携わりつつ、役者として精力的に活動している黒田勇樹さん。
プライベートでは最初の結婚でDV・離婚騒動があったものの、現在は再婚して嫁との間に子供も誕生しているようです。
今後は、ドラマ・映画といった映像作品にもどんどん出演していってほしいですね。