コワモテの個性派俳優である六平直政さんの若い頃や結婚や子供が話題です。
この記事では六平直政さんの若い頃、結婚と嫁、投資詐欺疑惑の会社社長である長男や元プロサッカー選手の次男、娘ら3人の子供、現在などについてまとめました。
この記事の目次
六平直政のプロフィール
六平直政のプロフィール
生年月日:1954年4月10日
出身地 :東京都中野区
身長 :175cm
血液型 :B型
六平直政(むさか・なおまさ)さんは、1度見たら忘れない迫力のある顔つきとアクの強い個性的な演技で人気を集める俳優です。
長年にわたって名バイプレイヤーとして活躍しており、映画やドラマ、舞台など、数多くの作品で、凶暴な悪役からコメディ・リリーフまで幅広く多種多様な役柄を演じられています。
六平直政さんは、若い頃は武蔵野美術大学と同大学院に在籍して彫刻家として才能を表すも、教授と仲違いをして大学院を中退し、溶接工を経て俳優になったという異色の経歴の持ち主としても知られています。
六平直政さんは国内を代表する大御所監督のヒット作品にも数多く出演しており、伊丹十三監督の「ミンボーの女」、「スーパーの女」、「マルタイの女」、周防正行監督「シコふんじゃった。」、深作欣二監督「忠臣蔵外伝・四谷怪談」、佐藤信介監督「修羅雪姫」、本木克英監督「ドラッグストア・ガール」、「ゲゲゲの鬼太郎」、堤幸彦監督「大帝の剣」などが代表作として知られています。
近年も俳優として第一線で活躍し続けており、2020年のTBSドラマ「テセウスの船」、2023年のNHK朝ドラ「らんまん」、2022年の水谷豊監督映画「太陽とボレロ」、2023年の北野武監督映画「首」をはじめ数々の話題作に出演して印象深い演技を見せました。
六平直政の若い頃① 小学校〜高校時代は成績超優秀で東大を目指していた
六平直政さんは東京都中野区の生まれで、父親は秋田県由利本荘市で33代も続く真宗大谷派の超光寺の住職の家系でしたが、弟に住職を譲って東北大学で美学を専攻した後、東京へ出て都立高校で英語教師をされていたそうです。
六平直政さんは4歳まで中野区の公営団地に家族と住み、小学校に上がった後は地元のリトルリーグチームで野球を始めています。
中学時代は成績がとても優秀で通知表はオール5、剣道部に所属して文武両道の超優等生であり、将来は東京大学への進学も考えていたそうです。
高校は全国最難関校の1つである「東京都立国立高等学校」(偏差値73)へと進学。高校時代も勉学を志し当初は東大法学部を目指していたそうです。また、部活動もサッカー部と美術部を掛け持ちされていたそうです。
六平直政の若い頃② 武蔵野美術大学と同大学院で彫刻を専攻
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六平直政さんは、全国でも最難関として知られる都立国立高等学校在学中に美術の道へと進む事を決め、高校卒業後は美大進学を目指すも1度目の受験では不合格となり、1年の浪人生活を送られています。浪人時代にはお茶の水美術学院に通われたそうです。
六平直政さんは2度目の受験で無事に共に美大の名門である「多摩美術大学」と「武蔵野美術大」に合格し、武蔵野美術大学に入学されています。武蔵野美術大学を選んだ理由は、彫刻家の篠田守男さんが教えていたためだったそうです。
六平直政さんは武蔵美在学中から彫刻の才能を示し現代美術展にに入選しています。これは当時の史上最年少入選でした。
その後、六平直政さんが大学3年生の時、篠田守男先生が大学を退職するというので、アトリエに通い詰めて弟子入りさせてもらっています。
そして、六平直政さんは大学卒業後も武蔵野大学大学院へと進んで彫刻を続けるも、しばらくして主任教授との意見の食い違いから大学院を中退しています。
ちなみに、主任教授との意見の食い違いの理由は、教授に「後輩に指導しろ」と言われたのに、六平直政さんが「学費を払っているのに、なんで俺が指導をしなければいけないのか」と反論した事だったそうです。
大学院に進んで、しばらくして武蔵美の主任教授に、『大学に来て、後輩に指導しろ』とか言われて。俺は、『学費を払ってる立場なのに、なんで俺が後輩を指導しなきゃいけないんだよ』って、大喧嘩して辞めちゃった。
ちなみに、この武蔵野美術大学時代、六平直政さんはスキューバーダイビングクラブに入っていたそうですが、その理由は男子学生に比べて女子学生が圧倒的に多かったからだそうです。
武蔵美(むさび)に入り、どっかのクラブに入ろうと思って見渡したら、美人が集まってる部室があった。それがスキューバダイビングクラブだったのよ。男の部員が4名で、女は35名くらいいた。最高だったね
六平直政の若い頃③ 唐十郎の「状況劇場」にスタッフとして入団
武蔵野美術大学の大学院を中退した後は、職業訓練校で学んで溶接の免許を取得し、溶接工として町工場で働きながら彫刻を続けていたそうです。
そして、六平直政さんは劇作家の唐十郎さんの劇団「状況劇場」にスタッフとして入団しています。
入団の経緯は、六平直政さんは武蔵野美術大学の時代から唐十郎さんに興味を持っており、大学院を中退した後に、偶然に師匠の篠田守男先生に「状況劇場」がスタッフ募集している事を教えられ入団を勧められた事だったそうです。
当時、付き合っていた女の子が唐十郎の大ファンだっていうんで、「状況劇場」の芝居を一緒に見に行ったら、面白くてね。
ある日、新聞に「状況劇場」の求人広告が出ていたので、舞台美術をやったらどうかなと思って応募したら合格。
六平直政さんは、武蔵美の大学院を中退した後も大学時代からの師匠である篠田守男先生の下で彫刻を続けてられていたそうです。
そんな日々の中で、篠田守男先生が六平直政さんの将来を想って勧めてくれたというのが「状況劇場」入団の直接的なきっかけになったようです。
ある日、八王子にある小松製作所の工場にいたら…そこで篠田守男の作品作ってたんだけど、そこにあった朝日新聞に『状況劇場スタッフ・キャスト募集』っていうのが出てたわけ。『ロッペイくん、これ受けてみたら?』って、篠田守男が言うんだよ。俺が観に行ってて唐 十郎に才能があるとか思ってること知らないで。偶然にだよ」
“ロッペイ”は六平さんのあだ名だ。劇団では舞台美術も作れるし、演劇は総合芸術だから、様々な表現を展開できる、というのが主張だった。
この時には3000人の応募者がいて合格したのは30人のみだったそうです。
俺も、唐さん(劇団主宰者の唐十郎)の舞台セットが好きだったから、『セットを作るのはいいな』と思って受けたわけ。3000人応募して30人採用。そのなかの1人に入った。
この時、六平直政さんが合格できた理由は、溶接の免許を持っていて、劇団の施設の補修の時に便利だと思われたからだったのだそうです。
六平直政さんは、23歳の時に「状況劇場」に入団し約9年間在籍されていたという事でした。
あとで不破万作さんに聞いたら、俺が溶接の免許持ってたのが『テントの杭とか施設の補修したりするのに便利だから』って入れてくれたらしい(笑)。結局、23歳から9年ぐらいいてさ。
六平直政の若い頃④ 舞台に立つようになり個性派の人気俳優に
六平直政さんが唐十郎さんの「状況劇場」に入団した理由は、当初は舞台美術をやるためでしたが、役者として舞台に立つようになりました。
当時、唐十郎さんの劇団「状況劇場」はノーギャラだったため、若い頃の六平直政さんは30歳を過ぎるまで役者としては食べていけずあらゆるアルバイトをして食い繋いでいたそうです。
六平直政さんは「状況劇場」に入って2年目に1度逃げ出したそうですが、自宅のアパートに隠れていたところを同期の佐野史郎さんらに見つかって連れ戻されています。
3年目の1981年には舞台「お化け煙突物語」で初めてセリフのある役をもらい、その後は毎年「状況劇場」の舞台に立ち本格的に役者としての活動をスタートさせています。
ただ、六平直政さんは最初から役者を目指していたわけではなかったため、31歳の時に「状況劇場」を退団して1度は彫刻の道へと戻っています。
しかしその後、1987年に「状況劇場」の同期だった金守珍さんに誘われて、劇団「新宿梁山泊」の旗揚げに参加する事になって再び役者の道へ、数々の舞台に出演し、1990年代からテレビドラマや映画への出演も増やし、個性は俳優として人気を上げました。
六平直政の結婚と嫁
六平直政さんは、「状況劇場」を辞めた31歳の時、1985年に1度目の結婚をされています。
最初の結婚の嫁は有名ブランドのパタンナーで、交際半年で結婚を決めたそうです。結婚式はインドネシアのバリ島で民族衣装を着て挙げられています。
六平直政さんはこの嫁との間に3人の子供を儲けていますが、1998年に離婚されています。六平直政さんは離婚会見も開いていますが、当時の映像や詳細な情報はネット上には残されていません。
その後、六平直政さんは正確な時期は不明ながら2度目の結婚をされています。2度目の結婚の嫁は一般の女性のようですが詳細は不明です。
六平直政さんは2008年に9歳年下の女優・日下由美さんと不倫している事が週刊誌に報じられた事があり、2017年には、現在も不倫関係が続いており、嫁とは別居状態にあるとも一部で報じられていました。
六平には2008年に9歳年下の女優・日下由美との不倫同棲が報じられている。以降、不倫の行方については一切報じられていないが……。
「六平さんと日下さんは、今でも一緒に暮らしてますよ。六平さんは離婚もせずに、慰謝料代わりという形で生活費を奥さんに払いながらのようですが……。自宅には奥さんが住んでいて、六平さんと日下さんは別宅で暮らしています。
2024年現在の六平直政さんと嫁との結婚生活、日下由美さんとの関係がどうなったのかについては特に情報が出ておらず不明です。
六平直政の子供① 娘(長女)は一般女性の麻奈未さん
六平直政さんは1度目の結婚の嫁(1998年に離婚)との間に3人の子供を儲けています。
六平直政さんの1人目の子供は娘さんで、一般の女性ですが麻奈未さんという名前である事が明かされています。
2011年に消防士の男性と結婚した事も六平直政さんが明かしています。この当時、娘の麻奈未さんは24歳との事だったので、2024年の現在は37歳前後だと思われます。
2021年には、六平直政さんがテレビ出演時(旅バラエティ「なりゆき街道旅」)に、娘の麻奈未さんが34歳である事を明かされていたので、娘さんの現在の年齢は37歳前後で間違いないと思われます。
六平直政さんの娘さんの麻奈未さんは2013年に子供(娘)を出産しており、六平直政さんにとっては初孫でした。
六平直政の子供② 息子(長男)は広告エンタメ事業関連会社の代表取締役
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六平直政さんの2人目の子供は息子さんで、名前や年齢が明かされた事はありません。
ただ、2021年10月31日に放送された旅バラエティ「なりゆき街道旅」に出演された際に、六平直政さんは長男が2022年の1月に結婚する予定である事を明かしていました。
長男が来年1月結婚する
そんな六平直政さんの息子さん(長男)ですが、2024年4月に「FRIDAY」により、2億円の投資詐欺疑惑を報じられています。
FRIDAYの記事によると、この投資詐欺疑惑は、広告やエンタメ関連の事業を手掛ける会社を経営する六平直政さんの息子さん(長男)に、関西に本社を構えるA社が韓国の音楽フェスを日本で開催する費用として2億円を投資して欲しいと持ちかけられ、投資したものの、契約から2ヶ月目には配当金の支払いが滞り、その後、2億円のうち大部分を別の用途に使用していた事が判明。
六平直政さんの息子がA社に証拠として示していた送金記録や通帳記載なども全て偽造だった事が判明し、最初から投資資金を騙し取るつもりの詐欺を働いた疑いが生じているという事です。
そして、このA社が六平直政さんの息子さんを信用した理由は、俳優として信用のある六平直政さんを保証人に立てると息子さんが言ってきたためだったそうです。
A社側は、息子さんとのオンライン会議の場に六平直政さんも出席し、保証人になってもらう事を確認したと主張しており、その際の録音データや契約書に六平直政さんの電子署名がある事なども証拠としてFRIDAYに示しているようです。
六平直政さんはFRIDAYの取材に対して、自分も息子に騙されたと説明しており、息子には早く捕まって10年くらい刑務所に入ってほしいとも話していたとの事です。
「俺だってあいつに騙(だま)された。ふざけんじゃねぇよ。刑務所で10年ぐらいクサい飯を食ったほうがまともな奴になるよ!」
そう憤るのは、俳優の六平(むさか)直政(70)である。六平が「あいつ」と語る人物は、長男の勇樹氏(仮名・30代)だ。
A社は、息子さんと六平直政さんの親子連名での刑事告訴も予定しているとFRIDAYに話しているようで、今後は六平直政さんも訴えられる可能性がある事が示唆されています。
A社は、詐欺罪での刑事告訴に向けて着々と準備を進めている。
「私たちは六平さんが保証人になってくれると信じてお金を預けました。しかし、蓋(ふた)を開ければ入金直後に偽造の送金記録を見せるなど、当初から騙すつもりであり、明らかな詐欺行為だと感じています。打ち合わせでも六平さん本人に保証人の意思確認をしている以上、二人で騙したという疑念も拭(ぬぐ)えません。現在、親子連名での刑事告訴を予定しています」
真相は不明ですが、名脇役俳優として現在も人気が高く、様々な作品にひっきりなしに出演している六平直政さんがお金のために詐欺行為を働く事は考えづらいように思えます。六平直政さんの説明の通り、息子さんに騙されてトラブルに巻き込まれてしまったと考える方がしっくりきます。
六平直政の子供③ 息子(次男)は元プロサッカー選手の六平光成
六平直政の子供(息子・次男)の六平光成のプロフィール
生年月日:1991年1月16日
出身地 :東京都西東京市
身長 :176cm
血液型 :O型
六平直政さんの3人目の子供も息子さんで、清水エスパルスやギラヴァンツ北九州でプレーした元プロサッカー選手の六平光成さんです。
六平直政さんの息子さんの六平光成さんは幼稚園の頃にサッカーを始め、中学時代にFC東京のユースチームに合格するなど早くから才能を表しました。
サッカーの強豪として知られる前橋育英高校を経て中央大学へ進み、高校時代から大学時代にはU-18日本代表、U-19日本代表、ユニバーシアード日本代表に選出されるなど、トッププロスペクトの1人として注目されました。
大学卒業後は、Jリーグチームによる争奪戦の末に2013年に清水エスパルスに入団し、ボランチやサイドバックとして2020年まで献身的なプレーでチームを支えました。
2021年からはギラヴァンツ北九州に移籍し、主力として活躍するも2022年シーズンで退団し、2023年に現役引退を発表しています。
私生活では、2014年6月に群馬県出身の同い年の一般女性と結婚されています。
六平直政の現在…映画「おいしい給食 Road to イカメシ」に出演
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六平直政さんは現在も俳優として第一線で活躍を続けられています。
2024年現在の最新の情報としては、2024年5月24日に公開が予定されている映画「おいしい給食 Road to イカメシ」にPTA幹部で水産加工会社社長の白根澤仁という役で出演しています。
市原隼人さん演じる主人公の甘利田幸男と敵対する役柄で重要な役柄のようです。
なお、2024年4月22日に開催された同映画の完成披露舞台挨拶には六平直政さんも出演されていますが、当たり前ではありますが、この時には長男の投資詐欺疑惑については特に言及されませんでした。
六平直政(70)が22日、都内で行われた、映画「おいしい給食 Road to イカメシ」(綾部真弥監督、5月24日全国公開)の完成披露舞台あいさつに出席した。
六平は一部週刊誌で、自身の長男の詐欺疑惑が報道されてから初の公の場となったが、一連の報道には言及しなかった。
まとめ
今回は、一度見たら忘れないコワモテと、特徴的ながら様々な役を演じ分ける演技力で名バイプレイヤーとして人気の俳優・六平直政さんについてまとめてみました。
六平直政さんは若い頃は、超名門校である「東京都立国立高等学校」を卒業後、彫刻家を志して「武蔵野美術大学」へ進み、同大学院で学ぶも、教授と仲違いをして大学院を辞め役者の道へと入ったという異色の経歴で知られています。
六平直政さんは、1985年に1度目の結婚をしており、嫁は有名ブランドのパタンナーを務めていた女性でした。この嫁との間に3人の子供が生まれていますが、1998年に離婚されています。その後に2度目の結婚をされたようですが詳細は不明です。
六平直政さんの子供は息子2人に娘1人で、長女の麻奈未さんは結婚していて、六平直政さんにとって初孫にあたる娘も出産しています。
息子については、次男が元プロサッカー選手の六平光成さんである事がよく知られています。長男いついては情報がほとんどありませんでしたが、2024年4月にFRIDAYに2億円の投資詐欺疑惑が報じられており、それに六平直政さんも絡んでいる疑いがあるとの内容が報じられていて物議を醸しています。
現在も六平直政さんは俳優として活躍されていて、2024年5月公開予定の映画「おいしい給食 Road to イカメシ」にも出演されています。