名司会者として一時代を築いたみのもんたさんが、2025年3月に亡くなりました。
今回はみのもんたさんの若い頃、しゃべらない&顔色が悪いことなどから囁かれていた病気の噂、死去した現在をまとめてみました。
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みのもんたのプロフィール
生年月日:1944年8月22日
出身地:東京都世田谷区祖師谷
身長:167cm
職業:タレント、司会者、会社社長
みのもんたさんは、フリーアナウンサー、タレント、司会者、ニュースキャスター、実業家で、自身の個人事務所である「株式会社ニッコク」の代表取締役社長でもありました。本名は「御法川法男(みのりかわ のりお)」と言います。
みのもんたさんは、顔が黒いのは「日光浴でこうなった」と語っていました。
2004年、2005年の長者番付芸能人の部で第1位となっています。また、2006年11月28日、「1週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者」としてギネス・ワールド・レコーズに認定されました。
妻はスタイリストの靖子さんという方で、2012年にがんのために66歳で亡くなっています。
みのもんたさんの交友関係は幅広く、芸能界やスポーツ界はもちろん、政財界などにも交流のある人物が多くいたようです。
また、政界の遠縁に自民党所属の議員がいる事などから、親戚には自民党関係者が多いと言われていました。
度重なるスキャンダル
出典:http://www.officiallyjd.com/
2013年8月30日に放送されたTBS『みのもんたの朝ズバッ!』の生放送内のCM明け直後、隣に立つ吉田明世(当時TBSアナウンサー)の腰付近に手を伸ばした様子が一瞬画面に写りました。
これを見た視聴者から抗議が殺到、同年9月9日より夏休みを理由に、テレビ出演を休止しています。
しかしその休み中、当時日本テレビ社員だった次男が、泥酔し道で横たわっていた男性の鞄からキャッシュカードを盗み出し、現金を引き出そうとしたとして窃盗未遂容疑で逮捕されました。
同年10月8日付で日本テレビを諭旨解雇処分となったことで、みのもんたさんは『朝ズバッ!』と『サタデーずばッと』への出演を自粛することに。
その後、10月25日にTBSの全ての報道番組を降板させられ、以後、『秘密のケンミンSHOW』と ラジオ番組『みのもんたのウィークエンドをつかまえろ』への出演のみとなりました。
みのもんたさんは、セクハラ疑惑に関しては、「(アシスタントやキャスターが)発言をとちることがあるので、『しっかりしろ』の気持ちで腰を叩いた。セクハラなどということは全くありません」と述べて、否定しています。
また色々あったことで、各方面に“謝罪行脚”もしていたようです。
みのもんたの若い頃の活躍まとめ
みのもんたさんは、大学卒業後に文化放送に入社すると、24歳の時、深夜ラジオ番組「セイ!ヤング」のパーソナリティーに抜擢され、一躍人気を博します。
これがのちの人気テレビ司会者、パーソナリティーとしての足がかりになっています。
しかし当時は、立場上社内ではあまり好評な人物ではなく、社内いじめに遭っていたそうです。
そして、28歳でラジオ番組は降板となっています。その後は営業部に回され、しばらく芸能界の下支えに奔走することになります。
知り合いには俳優の森繁久彌さんがおり、幼い頃に森繁さんは、みのさんの自宅の離れに下宿していたそうです。叔父が同じ芝居仲間だったそうですね。
そのため、森繁さんから映画のチケットをよく譲ってもらい、映画を観いくことがよくあったそうです。このことがきっかけで、映画やお芝居に興味を持ったと言われています。
みのもんたさんは、立教大学硬式野球部で活躍していた「立教三羽烏」と呼ばれた長嶋茂雄さん、杉浦忠さん、本屋敷錦吾さんに憧れ、立教中学校(現・立教池袋中学校)に進学。
その後、立教高等学校(現・立教新座高等学校)、立教大学経済学部とエスカレーター式に進学する中で高校時代は演劇部、大学時代に放送研究会に所属し、ラジオドラマを自主制作します。
同じ放送研究会出身で、みのもんたさんよりも4年先輩にあたる徳光和夫さんがアナウンサーになったことを知り、大学仲間と日本テレビを訪問、直接徳光さんを訪ねます。
そこで徳光さんから『これからはテレビの時代だ』と言われたことに共感し、スタジオ見学に連れて行ってもらい、美空ひばりさんなど当時の大スターを間近で見ることになります。
大学卒業後文化放送に入社
しかしながら、当時は日本テレビは新入社員を採用していなかったので、1967年に大学を卒業すると、現フジテレビ系列の文化放送に入社します。
希望は元々TBS系列の東京放送でしたが、採用試験で不合格となっています。
入社後同じフジサンケイグループの産業経済新聞社(産経新聞社)に通い、新聞原稿をラジオニュース用の原稿に書き換える仕事をします。
しかし、この仕事があまり合わなかったようで、「ニュースには向かない」と言われ、社内でよくいじめに遭っていたと言われています。
みのもんたさんは、やがて芸能を担当するようになり、深夜ラジオ放送「ゲリラでいこう」でレギュラー番組を持ち、この時の話術が巧みで人気になりました。
24歳の時には、「セイ!ヤング」の初代パーソナリティに抜擢されます。
同時間帯に放送されていた「オールナイトニッポン」や「パックインミュージック」と共に、当時の学生に支持される深夜放送全盛の時代を支える人気番組へと成長し、一時代を築きました。
その後、洋楽ランキング番組「オール・ジャパン・ポップ20」「みのもんたのワイドNo1」「ダイナミックレーダー~歌謡曲でいこう!~」など、次々とラジオ番組のパーソナリティーを務めます。
そして、フジテレビ「オールスター水泳大会」で司会を務め、やがてアナウンス部長まで登り詰めます。
文化放送退社からサラリーマン、司会者へ
しかしながら、1973年、番組編成が変更になると人事異動で営業部へ配置転換となります。
営業部では、ラジオのスポンサー企業の販売促進に協力するため、スーパーでの店頭販売をすることもあったそうです。
仕事に身が入らず、商品は全く売れずに営業成績の悪さを指摘され、人気アナウンサー時代の社内の妬みから、色々陰口を叩かれるようになります。
そして、34歳の1974年についに文化放送を退社しました。
以後、父親が経営する水道メーター製造販売会社「日国工業(ニッコク)」に入社、10年間は全国を営業で回るサラリーマン時代になります。
そのため、後に『今でもメーターを自分で組み立てられるし、図面も描ける。上場会社は楽に仕事をとっていくのに、こちらは頭下げてペコペコして悔しかった』と語っています。
1980年、ついにフジテレビから声がかかり、「プロ野球ニュース」の週末版のキャスターとして出演が決定します。
そして、同番組の看板企画として定着した「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」が大人気になります。
ここからみのさんはTVキャスターの道を進み、「なるほど!ザ・ワールド」「オールナイトフジ」にも出演。
コミカルなサブ司会者として、知名度を上げ、45歳のときに人気番組、お昼の「午後は○○おもいッきりテレビ」の司会者に抜擢されていくことになります。
みのもんたが「秘密のケンミンSHOW」でしゃべらないと話題に
喋らないのは寝ていたから?
みのもんたさんは、2018年頃に『秘密のケンミンSHOW』でほとんどしゃべらないと話題になっていました。
ニッポン放送の『土田晃之の日曜のへそ』で、久本雅美さんと土田晃之さんがこの件について、次のように語っています。
「視聴者の人にとってわかりやすいのは、久本さんをワンショットで抜いているとき。みのさん寝てますよね。普通は司会者2人のグループショットを取るわけだから。それなのに久本さん一人のワンショット(になっちゃう)」
また久本さんは、
「(番組中)みんなでご飯を食べてるときに(みのさんは)一人だけ座ってるときもある。まだ『どうだった?』『塩胡椒が効いてる』ってやってるのに普通に座ってる」
と語っています。さらには、
「もんたさんてすごいのは、『あれ? 聞いてないのかな』と思っても、(いきなり)パッと目を開けて、博識がすごいから『この県はこうだから』『このうどんはこうで』って(話を始める)。オヤジすげえなって思っちゃう」
と久本さんが語っており、どうやらしゃべらないのは、年齢のせいであるという印象を受けました。
さらに土田さんによれば、話に感心してみのさんを見た瞬間、寝てしまっていることがしばしばあったそう。
久本さんはよく寝るみのさんの代わりに謝り「もう慣れっこですから」と土田さんに語っていました。
以上のことから、みのさんは、しゃべらないというよりも、深夜にも及ぶ収録で眠気に勝てず、本番中でも寝ることが多くなっているのではないかと思われていました。
みのもんたの病気説とその真相① 顔色が悪い
みのもんたさんは大の酒好きで知られ、銀座に週末や度々出かけては、飲み歩くのが常だったそうで、肝臓が疲弊しているため顔色もあまり良くなかったみたいですね。
2011年に『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)に29年ぶりに出演した際、今でも飲んでるのか?というタモリさんの質問に、みのさんは次のように答えています。
「飲んでる。だいたい夜11時くらいまで飲んで、湘南の家に帰るという生活。(以前に比べて)早くなりました。3時に起きるのが習性になっちゃったから、0時にはベッドに入って」
出典:https://contents.oricon.co.jp/
また、ある番組では、みのもんたさんは自分のお酒の飲み方についても語っています。
まず飲み始めは巨大なブランデーグラス(直径18センチほど)に、クラッシュアイスを満杯にして、そこにウィスキーを注いで飲むのが好きだったそう。
そして、深夜遅くまでブランデー、ウィスキーを交互に飲んでいたそうです。
そういったクラブ通いで、ホステスから色々な情報を得ることも多く、それがまたお昼の番組での話題作りにも活かせていたそうです。
ちなみに、みのさんは看板番組だった『午後は○○おもいッきりテレビ』の司会者の頃は、CM中にセットの後ろでお菓子やサンドイッチ、ミネラルウォーターなど、食事をしていたそう。
「秘密のケンミンSHOW」でも同じで、収録が深夜に至る場合は、スタジオセットの裏にはお酒も用意されていたようですね。
本人も、酒を飲む方が気合が入ったようですが、根っからの酒好きが講じて、肝臓も加齢と共に弱っていたのでしょう。
みのもんたの病気説とその真相② 糖尿病
みのもんたさんは前述の通り、無類のお酒好きのため、若干のアルコール中毒症で、一時期、血糖値はHbA1cが8%を超えていたと言われています。
さらに、40歳を過ぎた頃に診断されて以来、糖尿病が持病となっていました。
そのため、自分でしている工夫として、みのさんは次のように語っていました。
「野菜スティックが好きなので、食事の前にドレッシングなしでちょっと多めに食べるようにしたりしています。お寿司を食べに行った時は、最初から握りを食べるのではなく、まずはお刺身を作ってもらう。体を動かすのは元々好きでジムに通っていましたし、銀座でハシゴ酒する時も、2軒目の店まで走って移動したりしていたね」
昔は”羊羹をアテに日本酒を飲む”という甘党だったようで、40歳を過ぎても続けていたそうです。
みのもんたの病気説とその真相③ うつ病?
みのもんたさんは、「目がおかしい」「しゃべらない」という理由から、うつ病なのではないかと噂になっていたようです。
ですが、これは根拠不明の憶測の域を出ない話です。
みのもんたさんは、『秘密のケンミンSHOW』では、好奇心丸出しで各地の珍味に「これ、ホントにおいしいの?」と突っ込みを入れたり、美人ゲストが出るたびにニヤニヤするキャラクターでした。
70代になってからはすっかり「いい感じのシニア」となり、40代のときのようなギラツキ感はなくとも、番組中はほとんど腕組みをして上を向き、時折ゲストたちのコメントに大笑いしたり、自分がやりたいように番組内で立ち振舞をする”おじいちゃんキャラ”となっていました。
各地のグルメを様々な世代のゲストたちと試食する場面でも、サブ司会者の久本さんにいじられて喜んでみせたりと、うつ病を感じさせるものはありませんでした。
また、ネットで2016年から2019年まで配信されていた『みのもんたのよるバズ!』では、みのもんたさんらしい、滑舌の良い番組進行を継続していました。
以上のことを総合しても、うつ病だったというのは単なる憶測でしょう。
みのもんたの現在① パーキンソン病を公表
みのもんたさんは2020年にパーキンソン病であることを公表しました。
パーキンソン病は中脳の黒質にあるドパミン神経細胞が何らかの原因で少なくなり、身体の運動の調節などに関係しているドパミンという物質が不足することにより発症する。
引用:https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202503010000646.html#goog_rewarded
同年3月いっぱいで『秘密のケンミンSHOW』を降板し、みのもんたさんのレギュラー番組はゼロになりました。
みのもんたさんは2019年にはパーキンソン病を発症していたようですが、最初は病気であることに気づかなかったといいます。
病気に気づくきっかけとなったのが、なんと「番組中に寝てる?」と話題になった『秘密のケンミンショー』での自身の様子だったのだとか。
みのもんたさんは番組中に寝ていたわけではなく、体の動きに障害が出るパーキンソン病の影響により目が閉じてしまっていたようです。
ある日、自分が出ている『秘密のケンミンショー』を見ていたら、画面の中の僕の目が全然開いていない。『これはおかしい』と思って病院に行ったら、検査の結果、パーキンソン病と診断された。だから番組を降板する決意をした。
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/cb00862503bd3fb27b594373fc1a3f81c31fe5a6
パーキンソン病であることを公表したみのもんたさんですが、2020年2月に応じたインタビューでは元気な様子を見せていました。
出典:https://friday.kodansha.co.jp/
「自分の遅くなった話のテンポで通用する番組があれば、ぜひ出たいよね。捲土重来、なんてね。でももう、そうはいかねえだろうな……。水道メーター会社の社長業はもちろん続けます。あ、それと、〝夜の帝王〟もやめませんよ(笑)。銀座にはいまも月水金で通っている。今度は銀座で会おうよ!」
引用:https://friday.kodansha.co.jp/article/94051
パーキンソン病の症状は出ていたものの、みのもんたさんは病気と上手く付き合いながら投薬治療をして闘病生活を続けていたようです。
痛みはないが「筋肉がしゃきっとしない。飲み屋でふかふかしたソファから立ち上がれない。寝ていても寝返りが打ちにくかったり、ベッドから起き上がりにくくなってるから、この間、フランスベッドのショールームに行って電動ベッドを試してみたよ」とも。2021年3月のコラムでは「毎朝6時半に起きて3000歩歩いてるよ。健康に気をつけながら病とうまく付き合って、まだまだ頑張っていきたい」と語っていた。
引用:https://www.daily.co.jp/gossip/2025/03/01/0018703079.shtml
出典:https://www.instagram.com/
みのもんたさんは『秘密のケンミンSHOW』降板後も時々メディアに出演していましたが、2024年11月にTBSの井上貴博アナウンサーのインタビューに応じたのがメディアにおける最後の姿となってしまいました。
◆みのさん:
しょっちゅう外に出て歩くようにしているのだけど、足腰が駄目になっちゃうね。
ついつい出かけるのが嫌になってしまう。まさか自分がパーキンソン病になるなんて…右を向こうかなと思っても、スムーズに右を向けなかったり、左を向こうと思っても何か1クッション、2クッションあるような感じ。足が駄目で、前に進むのが引っかかるような感じがして、それで転んで骨を折ったりとかしたら…結構怖い。
引用:https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1622892?display=1
みのもんたの現在② 2025年に80歳で死去…死因は牛タンの嚥下事故?
出典:https://gyoukaijin-log.com/
2025年3月1日、みのもんたさんが80歳で亡くなりました。
ものもんたさんは、同年1月に高級焼肉店で牛タンを喉に詰まらせ意識不明の重体となり、救急搬送され一時は心肺停止の状態になったといいます。
みのもんたさんの死因、牛タンなのかい。やっぱり高齢者の嚥下事故は恐ろしすぎる pic.twitter.com/BTDPeh1aio
— AVRSUR@あばすーる (@avrsur) March 1, 2025
それから45日後に、病院で家族に見守られながら息を引き取ったとのことです。葬儀は親族のみの家族葬で執り行われました。
みのさんは当日、19時頃に港区にある芸能人御用達の高級焼き肉店で食事をしていた際、牛タンの肉片をほとんど噛まずに飲み込んでしまったという。同席していた知人が急いで背中をさすったものの、息ができず苦しそうにしていて、関係者によると一時は意識不明の重体だったという。すぐに救急搬送され、一時は心肺停止状態に。それから約45日──。 “みの節”が再びお茶の間に戻って来ることはなかった。
引用:https://www.news-postseven.com/archives/20250301_2026614.html?DETAIL#google_vignette
みのもんたさん死去
— 一ノ瀬 (@Kzg6azJhJFIDaeu) March 1, 2025
1月にこのニュースだったもんな
焼肉屋で牛タンを喉に詰まらせてそのまま心肺停止状態が続いていたという報道
今日まで自宅に帰る事もなくそのまま病院だったのね
死因の原因が牛タン
口舌、饒舌、長舌、毒舌な男の最期が舌に命をとられるのは何となく皮肉的な終わり方
R.I.P. https://t.co/6SRqKgVa2k
まとめ
『秘密のケンミンSHOW』での眠そうな様子が話題になり病気説も囁かれていたみのもんたさん。実際にはパーキンソン病を患っていたようです。
テレビ業界に大きな功績を残されたみのもんたさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。