岸惠子の若い頃と現在!元旦那や子供(娘/息子)・結婚と離婚原因・イケメンの孫や最新情報も総まとめ

岸惠子さんは女優・作家として若い頃から活躍する岸惠子さんですが、フランスでの結婚生活や離婚原因も話題です。

 

今回は岸惠子さんの若い頃の経歴、旦那や子供(娘・息子)、離婚原因、孫と登場したトークショーなど現在を紹介します。

岸惠子のプロフィール

 

生年月日:1932年8月11日

出身地:神奈川県

所属事務所:舞プロモーション

岸惠子さんは役者で、文筆家としても活動。

 

女優としての代表作は1977年公開の映画「悪魔の手毬唄」、1983年公開の映画「細雪」などです。

 

また、ストールの「真知子巻き」は、岸惠子さんが映画「君の名は」3部作で演じた主人公・氏家真知子役が由来となっています。

 

 

岸惠子の若い子の経歴① 生い立ち

 

岸惠子さんは1945年、12歳の時に横浜大空襲を経験しています。

 

岸惠子さんの母親は、風呂水に浸けた掛布団で岸惠子さんをくるみ、「1人で寝ている隣の家の赤ちゃんを助けに行くから、先に逃げて」と、集合場所に先に行くように言いました。

 

岸惠子さんは爆風の中、阿鼻叫喚となっている一帯を目にしながら集合場所の公園へと向かったといいます。

 

公園の石段に斜めに傾いて座り込んでいる若い女性がいました。被(かぶ)っている防空頭巾が燃えていました。夢中で肩を揺すぶると、そのまま私の方へ倒れ込んできた。
 −その女性は亡くなっていたんですね。
そうです。眼(め)を見開いたまま、焼け焦げた髪の毛が頬にめり込んでいた。不思議と怖いと思わなかったわね。

 

引用:<戦後76年> 俳優・岸惠子さんインタビュー

 

その後、防空壕に入るよう促されますが、その防空壕の造りはもろく、今にも崩れそうだったそうです。
 
そのため、大人たちの制止を振り切って母親との集合場所へ向かい、木の上で震えながら爆撃の終わりを待ちました。
 

防空壕にいた人は爆風や土砂崩れで、ほとんどが死にました。「今日で子どもはやめよう」と決めました。大人が止めるのに逆らって地獄へ飛び出した私は生き残ったんですから。

 

引用:<戦後76年> 俳優・岸惠子さんインタビュー

 

そして、お隣の赤ちゃんを連れた母親と、集合場所だった小学校の講堂で無事再会できた岸惠子さん。ショックからか、以降の記憶がプッツリと途切れているとも語っています。

 

無事戦争を生き延びた後は、高校在学中に小牧バレエ団に通ってバレエを習ったり、小説家を志して書き物を書いたりしていたそうです。

 

 

岸惠子の若い頃の経歴② 松竹の看板役者として活躍

 

岸惠子さんは高校時代、映画に興味を持つようになり、のちに役者となる田中敦子(のちの小園蓉子)さんと松竹大船撮影所を見学に行きます。

 

その際に映画監督・吉村公三郎さんからスカウト。岸惠子さんは一旦断りますが、「本物の女学生に出演してほしい」と依頼され、「1本だけなら」と1951年に松竹に入社します。

 

そして、同年公開の映画「我が家は楽し」で役者デビューを果たしました。

 

デビュー当初は「大学入学まで」という約束でしたが、同作が大ヒットしたことでそのまま役者の道に進むことになり、翌1952年公開の映画「坊ちゃん重役」ではヒロイン役を務めます。

 

その後、同じ松竹の看板スターであった鶴田浩二さんが独立し「新生プロ」を設立。独立後第1作目となる映画「弥太郎笠」のヒロイン役に、岸惠子さんを指名します。

 

しかしこのオファーを松竹が拒否したことを知った岸惠子さんは、松竹に辞表を提出しました。

 

これに慌てた松竹が、急遽許可する形で、「弥太郎笠」のヒロインとして出演が決まったというエピソードがあります。

 

続く新生プロによる1953年公開の映画「ハワイの夜」でも鶴田浩二さんと共演し、映画もヒット。

 

当時、共演作が多かった鶴田浩二さんと岸惠子さんは熱愛も報道されていましたが、松竹によって無理やり別れさせられたと言われています。

 

その後、岸惠子さん主演で1953年~1954年にかけて公開された映画「君の名は」3部作が大ヒット

 

岸惠子さん演じる主人公・氏家真知子が、頭と顔回りをストールで覆う「真知子巻き」は、若い女性の間でブームとなりました。

 

 

 

岸惠子さんは以降も、松竹の看板役者として活躍。

 

1954年には、役者の久我美子さん・有馬稲子さんとともに「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立、役者の岡田真澄さんや菅井きんさん、三田佳子さんなども所属していました。

 
 

岸惠子の若い頃の経歴③ フランスに移住後も女優として活躍

出典:https://pixabay.com/
 
1956年に、フランスと日本の合作映画「忘れえぬ慕情」に出演した岸惠子さんは、同作の監督であるイヴ・シャンピさんと結婚したことを機にパリに移住します。
 
移住後も日本での役者業を継続し、1960年公開の映画「おとうと」、1973年公開の映画「男はつらいよ 私の寅さん」などに出演。
 
国境を越えて活躍する姿に、「空飛ぶマダム」との異名で呼ばれたこともありました。
 
岸惠子さんはのちのインタビューで「フランスに移住する際、スターの座を捨てることに不安はなかったのか」と問われています。
 
それに対し、「映画においてなにも成し遂げられていないという悔しさはあった」としながらも、「閉塞感を感じていた」そうで、以下のように回答しています。
 

スターという身分を素直に喜べない、可愛くない女の子だったかもしれない。いろいろなレッテルを貼られて皮膚呼吸もできない、と自分で作った部屋に閉じこもっていた。その部屋のドアが大きく開いて、すがすがしい春風が入ってきた。イヴ・シァンピが春風をまとって入ってきたのです。

 

引用:『徹子の部屋』出演の岸惠子さん「女子高生でデビューし、女優の絶頂期にフランス人監督・イヴ・シャンピと結婚。スターの身分を捨て、ただ世界を見てみたかった」〈前編〉

 

1975年にイヴ・シャンピさんと離婚した後もパリを拠点とし、1977年公開の映画「悪魔の手毬唄」1983年公開の映画「細雪」などに出演。
 
1983年には、男性向け雑誌「ペントハウス」で後ろ姿のヌードを披露し、大きな注目を集めました。
 
1999年にフランスから帰国して以降は横浜の実家に戻り、役者のほか、執筆活動などに注力しています。
 
 

岸惠子の若い頃の経歴④ 文筆家・ジャーナリストとしても才能を発揮

 

岸惠子さんは役者としてだけではなく、文筆家・ジャーナリストとしても活躍しています。

 

1983年に発売したエッセイ『巴里の空はあかね雲』は「文芸大賞」でエッセイ賞を受賞。

 

1993年に発売したエッセイ『ベラルーシの林檎』では「日本エッセイストクラブ賞」を受賞しています。

 

小説では、2003年に『風が見ていた』、2017年に『愛のかたち』を執筆。そのほかにも多数の著書があります。

 

また、パリ在住時にはNHK衛星放送でキャスターも務め、世界の要人たちへのインタビューも行いました。

 

 

岸惠子が結婚した旦那はフランス人映画監督のイヴ・シャンピ

岸惠子さんは前述のとおり、1956年に出演した映画「忘れえぬ慕情」を機に映画監督のイヴ・シャンピさんと結婚

 

フランスで挙式を挙げ、立会人は作家の川端康成さんが務めました。その後、1967年にフランスへ移住しています。

 

イヴ・シャンピのプロフィール

 

生年月日:1921年2月9日

出身国:フランス

職業:映画監督・医師

 

 

イヴ・シャンピさんは若い頃は軍医として活躍。

 

第二次世界大戦時に、ヒトラー邸の炎上や、ナチスの占領下にあったシャンゼリゼ大通りをド・ゴール将軍が凱旋する様子を撮影したドキュメンタリー映画が世界的に大ヒットしました。

 

その後、1982年に61歳という若さで亡くなっています。

 

 

岸惠子と旦那イヴ・シャンピ監督の馴れ初め

 

イヴ・シャンピさんは、1956年公開の映画「忘れえぬ慕情」で出会った岸惠子さんを撮影休みのタイミングで食事に誘い、その場でプロポーズ。

 

「あなたには好奇心がある。日本も素晴らしいけど、地球上には色々な国があり、生き方がある。僕が招待するからヨーロッパやアフリカを一緒に見てみませんか」複雑な顔の岸恵子にシャンピは笑って言った。「卵を割らなければオムレツは作れない、という諺がある。色々な国を見て、それでもやっぱり日本がいいと思ったら帰ってくればいい」

 

引用:川端康成と岸惠子

 

思わず「そんなことしていいの」と返すと、イヴ・シャンピさんは「あなたは自由。阻むものがいるとしたらそれはあなた自身だけ」と答え、この言葉で岸惠子さんは恋に落ちたそう。

 

フランスで結婚した岸惠子さんはその後、フランス語・フランス文化の専門学校「アリアンス・フランセーズ」へ通い、卒業後はソルボンヌ大学に進みますが、多忙を極め1年で中退。

 

岸惠子さんは2020年に受けたインタビューで、フランスでの生活について以下のように振り返りました。

 

日本とはまったく歴史も文化も精神も違う、とにかく成熟した大人の国だったわけです。私は、カルチャーショックなんて簡単な言葉では言い尽くせないほどの非常に強いショックを受けました。そして、長いこと鎖国をしていた東海の島国で育った女は、ヨーロッパで国境をせめぎ合って生きてきた、したたかに強い人たちの中では、やはり負けてしまうんですね。負けの中には、無防備だったための「失敗」もあります。

 

引用:自分流に生きる勇気がもらえる!岸惠子さんの名言集

 

岸惠子の離婚原因は旦那イヴ・シャンピ監督の浮気

 

岸惠子さんは結婚後、パリに拠点を置きながらも役者として日本を行き来する生活を送り、さらに映画の裏方も担っており、家を不在にすることが多かったのだとか。

 

その間に、旦那であるイヴ・シャンピさんが別の女性と浮気。岸惠子さん曰く、イヴ・シャンピさんが好むようなタイプではなくバツ2の女性だったそうです。

 

浮気を知り、別れを決意した岸惠子さんは、イヴ・シャンピさんに日本語で啖呵を切ったといいます。

 

あんな女でコト足りるなら、あたら短いこの命、なにがかなしくパリくんだりで、女を捨ててあくせくと、裏方さんの裏方で、内助の功と取っ組んで、朝は早よから夜おそくまで、ケイコの料理は絶品と、おだて、すかされ喜んで、あげくの果ての愛し子の、失踪事件で報らされた、アッと驚く夫の事情。

 

引用:岸惠子が離婚を決心して切った、夫 イヴ・シァンピ監督への“啖呵”

 

日本語でつらつらとまくし立てられたイヴ・シャンピさんは、「日本語で言われてもわからない」「フランス語で言ってくれ」と慌てたそうです。

 

しかし、岸惠子さんは日本語で続けて「あたしゃあんたに惚れちょるばい。惚れちょるばってん、言われんたい」と返したといいます。

 

 

岸惠子は離婚後、フランスでシングルマザーとして奮闘

出典:https://pixabay.com/

 

そして、1975年に41歳で離婚

 

日本への帰国を希望していたものの、娘であるデルフィーヌ=麻衣子・シャンピさんがまだ11歳。

 

当時の日本は戸籍法の改正前で、父親の血統が優先されたため、娘の日本国籍取得が認められず、「娘が結婚するまで」とフランスに残ることを決意しました。

 

そんな岸惠子さんのフランスでの自宅は、パリの高級住宅街サン・ルイ島にある築400年の家だったそうです。

 

フランスでのシングルマザー時代について、以下のように語りました。

 

夫と別れてから約30年もの間、一人で生きてきましたが、いろいろなことがありながらも少しずつそれらが自分の中に蓄積されていき、今日の自分になったのだと思う方が、苦労話として思い出すよりもずっと精神的にいいのではないかと思っています。だから、過去のことをぐちぐち言わない。

 

引用:自分流に生きる勇気がもらえる!岸惠子さんの名言集

 

岸惠子の子供(娘)は作曲家と結婚し、息子2人が誕生

 

岸惠子さんは1963年、イヴ・シャンピさんとの子供である娘、デルフィーヌ=麻衣子・シャンピさんを出産。

 

イヴ・シャンピさんと離婚後も、岸惠子さんが親権を持ち、フランスで育てていました。

 

実は、イヴ・シャンピさんの浮気に最初に気づいたのが当時10歳だったデルフィーヌ=麻衣子・シャンピさんで、父親の不貞を知ってショックのあまり失踪騒ぎを起こしています。

 

岸惠子さんはその騒動で、初めてイヴ・シャンピさんの浮気を知ったといいます。

 

デルフィーヌ=麻衣子・シャンピさんはその後、作曲家のウォーレン・エリスさんと結婚。2人の息子に恵まれました。

 

つまり、岸惠子さんはおばあちゃんになっているんですね。度々、孫に会いにフランスに行っているそうです。

 

 

岸惠子の現在① 1人で日本に帰国してからは1人暮らしを満喫中

岸惠子さんは、1999年に単身日本に帰国し、横浜大空襲の後に父親が購入したという自宅で1人暮らしをされています。

 

1日のほとんどを書斎で執筆して過ごし、朝食から夕食までほとんど1人で食べているそう。

 

しかし、1人だからといって寂しい訳ではなく、様々な考え事をしたり何かを読んだりしながらと自由気ままに食事をとることが好きなのだそうです。

 

岸惠子さんは、1人で過ごすことについて以下のように語っています。

 

友達は、女に一人、男に一人、そして離れて暮らす家族がいればいい。そう思っていれば気が楽ですよ。人間は、生まれてくるときも、死ぬ時も一人でしょう。だから“結局は一人”という自分と向き合って暮らしていく方が私はいいと思うし、それが心地いいんです。孤独をネガティブにとらえてしまったらおしまいです。人に頼らず、自分の生活をきちっと営んでいけること、それが孤独ということです

 

引用:自分流に生きる勇気がもらえる!岸惠子さんの名言集

 

岸惠子の現在② 2019年頃までドラマや映画で女優として活躍

 

岸惠子さんは日本に帰国後も、役者として映画やドラマに出演していました。

 

映画においては、2001年公開の「かあちゃん」や2002年公開の「たそがれ清兵衛」などに出演しています。

 

ドラマでは、2003年放送の朝の連続テレビ小説「こころ」でヒロインの祖母役を演じたほか、2005年に日本テレビで放送された「火垂るの墓」などに出演。

 

また、2019年にNHK総合で放送されたドラマ「マンゴーの樹の下で〜ルソン島、戦火の約束〜」では主演を務めています。

 

 

岸惠子の現在③ 2021年に自伝を発売

 

岸惠子さんは2021年に、自伝「岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない」を発売しました。

 

タイトル「卵を割らなければ、オムレツは食べられない」はフランスのことわざで、元旦那である映画監督イブ・シャンピさんに言われた言葉だそうです。

 

何か新しいものをつくろうとしたときには、それまでのものを壊してでないと進めないことがあるでしょう。「卵は割りたくない、でもオムレツは食べたい」というのはダメなのだと。崩壊からの創造のように、「何かをつくりたかったら、それまでのものを壊す勇気と覚悟が欲しい」と言われました。

 

引用:岸惠子「これまでの人生で3回、卵を割りました」

 

岸惠子さんは同著に関するインタビューで、「これまでに3回卵を割った」と語っています。

 

また、今後については若い人たちと意見交換をする「私塾」を作っていきたいそうです。

 

 

岸惠子の現在④ 2022年8月のトークショー「いまを生きる」に孫と登場

 

岸惠子さんは2022年5月にトークショーを開催。

 

開催後の取材では、新型コロナウィルスの感染拡大を懸念して、3ヶ月ぶりに外出したことを明かし、8月に開催されるトークショー「いまを生きる」についても語りました。

 

このトークショーは岸恵子さんが90歳となる8月に開かれ、主治医からは「100歳まで生きる」と太鼓判を押されるほどの健康体ですが、これで最後の舞台にするとおっしゃっています。

 

そんな健康に自信のある岸恵子さんですが、健康のためには特に何もしていないそう。寝たい時に寝るため、お昼まで寝ていたり、夜も深夜3時まで原稿を書いたりすることもあるのだとか。

 

また、加齢による衰えについては以下のように語りました。

 

人間って、能力が衰えるんですよ。89歳の私も、脳が本当に衰えたなと感じます。自分が訪ねたことのある国ですら、どこだっけ? と思うことも。知っていたはずの字が思い出せない。書こうとすると、手が震えてしまうの。

 

引用:岸惠子「運転免許は返納済み。終活はしない。死は子どもの頃から意識していた。原稿は手書きからパソコンへ」デビュー70年、8月で90歳

 

原稿はかつて手書きで書いていましたが、今はパソコンで執筆しているそうです。また、運転免許は83歳の時に返納したんだとか。

 

「終活はまったくしていない」というものの、死については5~6歳の頃から意識しており、どんなに嬉しくても「いつかは死ぬ」と思いながら生きてきたと語りました。

 

90歳になっても、5、6歳の時に思った『死』は厳然としてある。けれど、だからどうってことはないんです。今を生きるだけ。昨日があるから今があって、明日があるから、今を一所懸命生きるってことだと思います。

 

引用:岸惠子「運転免許は返納済み。終活はしない。死は子どもの頃から意識していた。原稿は手書きからパソコンへ」デビュー70年、8月で90歳

 

なお、トークショーには孫2人のエスコートで岸恵子さんが登場し、孫がイケメンだと話題になりました。

 

 

まとめ

岸惠子さんは役者で、90歳となった今でも美貌を保ちつつ、女優・執筆活動を継続されています。

 

高校在学中に映画撮影所でスカウトを受けて芸能界入り。出演した映画が次々とヒットしました。

 

そんな人気絶頂の中、映画撮影で出会ったフランス人映画監督のイヴ・シャンピさんと恋に落ち、フランスに移住して入籍。しかし、イヴ・シャンピさんの浮気により離婚しています。

 

日本への帰国を望みましたが、娘の国籍問題で叶わず、以降40年に渡りフランスでシングルマザーとして奮闘しました。

 

その後、1999年に帰国して以降は、役者として様々な作品に出演する一方、エッセイや小説など執筆しています。

 

現在、役者としての活動はほとんど行っていないようですが、2022年には自伝を発売。

 

今後も「私塾を作りたい」と語るなど、文筆家・ジャーナリストとしての活動は継続されていくようです。

 

若い頃はあっという間にスターとなって、フランスへと移住した岸惠子さん。

 

フランスでは離婚を含め苦しい経験も多かったといいますが、高齢となった今も日本で1人暮らしを楽しみながら、好きな仕事だけを続けていけるその姿にはとても憧れますね。

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