元バレーボール選手で現在タレントとして活躍する川合俊一さんですが、若い頃や子供を作らない理由が話題です。
今回は川合俊一さんの身長などプロフィール、若い頃のモテエピソード、嫁や実家のとんかつ屋、子供がいない理由、現在を紹介します。
この記事の目次
川合俊一のプロフィール~身長や経歴も紹介
生年月日:1963年2月3日
出身地:新潟県西頸城郡青海町(現在の糸魚川市)
身長:195cm
体重:100kg
血液型:A型
所属事務所:ワタナベエンターテイメント
川合俊一さんは、1980年台に活躍したバレーボール界のスーパースターです。
1984年のロサンゼルスオリンピック、1988年のソウルオリンピックなどで日本代表の主力選手として獅子奮迅の活躍を見せ、国民的人気を獲得しました。
1990年、所属していた富士フィルムからの退社と共に、インドアのバレーボール選手を引退。
その後、休暇として訪れたアメリカの海岸で現地の人々がビーチバレーをしているのを見て衝撃を受け、プロビーチバレーボールの世界に挑戦。世界ツアーなどを回りました。
ビーチバレーの楽しさを日本国内でも伝えたいと思った川合俊一さんは、「流行らせるならテレビに出るのが手っ取り早い」と思いつき、テレビタレントとしての活動を開始します。
バラエティ番組などに出演し始めると、タレントとしても人気が爆発、クイズ番組やバラエティ番組などに多数出演して人気を博します。
さらに、司会業でも活躍し、2001年~2007年に平日午前中に放送されていた大人気情報バラエティ番組「こたえてちょーだい!」では6年半司会を担当し、午前中のテレビの顔になります。
タレントとして活躍する傍ら、本来の目的であったビーチボール普及の活動にも精力的に取り組んでいた川合俊一さん。
川合さん自身で地方自治体と直接交渉し、海岸にビーチボールコートを作ってもらった事もあるそうです。
現在は「日本ビーチボール連盟会長」の肩書きも持っており、日本のビーチボール界の発展に大きく貢献されています。
川合俊一の若い頃のモテエピソード 【高身長でイケメン】
そんな川合俊一さんですが、若い頃はバレーボールのスター選手だったことに加えて、イケメンでおしゃれ、高身長でスタイル抜群だった事もあって、女性からモテモテでした。
ここでは、川合俊一さんの若い頃のモテモテエピソードを紹介します。
中学時代はモテすぎて女子同士で争いが勃発
川合俊一さんは中学時代、学校中の女子からモテすぎてしまい、下駄箱からラブレターが溢れて靴が入らないほどだったそうです。
あまりにも女子人気が高過ぎたために、女子同士が川合俊一さんにラブレターを出す権利を巡って(交際を巡ってではない)争いが起こっていたんだとか。
他の女子にラブレターを入れさせないために、靴箱の周りにバリケードが築かれた事もあったといいます。
さらに、休み時間には川合俊一さん目当ての女子で教室がごった返してしまうくらいだったそう。
さすがにこれはまずいと感じた川合俊一さんは、女子同士の争いを避けるために男子高校へと進学したそうです。
ちなみに、川合俊一さんは中学入学当初は身長160cmほどでしたが、毎朝牛乳を1リットル飲み続けた結果、半年で9cmも身長が伸びたそうです。中学1年生で169cmはかなり大きいです。
この高身長に加えて、当時から運動神経抜群でオシャレだったという中学時代の川合俊一さんがモテモテだったのも納得です。
現役時代はさらにモテモテだった
モテモテ過ぎる状況を回避するために、高校は男子校に進学した川合俊一さんでしたが、バレーボールの選手として注目を集めると、そのモテモテ度はさらに上昇してしまったようです。
当時、川合俊一さんは通学に電車を利用する際に乗車する車両を決めていたそうです。
すると、川合俊一さんが乗るその車両だけが毎朝、ファンの女子高生やOLで満員になるようになってしまったのだそうです。
また、富士フィルムのバレーボールチームの現役選手だった頃は、あまりにもラブレターやプレゼントの数が多過ぎて、川合俊一さんだけ特例で寮の部屋を3部屋を使っていたんだとか。
プレゼントとラブレターをそれぞれ別の部屋に保管していたのだとか。
さらに、バレンタインデーにはトラック4台分ものチョコレートが届くため、その時期だけはさらに1部屋追加で使用していたのだとか。
川合俊一が結婚した嫁・中野みゆきとは
このように、若い頃に圧倒的なモテモテエピソードを多数持つ川合俊一さんですが、1997年、34歳の頃に結婚しています。
ここでは、モテモテな川合俊一さんを射止めた気になる嫁について紹介していきます。
川合俊一の嫁は女優の中野みゆき
川合俊一さんは、タレントとして人気が爆発していた1997年9月に、女優の中野みゆきさんとの結婚を発表しています。
中野みゆきさんは、映画「ビーパップハイスクール」シリーズでの如月翔子役や、映画「新・極道の妻たち」、国民的時代劇シリーズ「水戸黄門」などで知られる女優です。
1971年の東京都生まれで、川合俊一さんの8歳年下です。
2人は1年間の同棲を経ての結婚だったそうですが、馴れ初めなど出会いの詳細については2人の口からは明らかにされていません。
この結婚を契機にして、中野みゆきさんは芸能活動を停止しており、事実上の引退状態になっています。
ちなみに、川合俊一さんはこの結婚後に個人投資家として株式投資を始めています。
これは、中野みゆきさんの父親が某証券会社の役員で、その義理の父から投資について色々と教えてもらった事がきっかけになっているのだそうです。
現在も夫婦仲は良好だという事で「結婚してから良い意味で夫婦の関係は変わっていない」のだそうです。
川合俊一が子供を作らない理由が話題に
夫婦仲は円満という川合俊一さんと中野みゆきさん夫婦ですが、実は2人には子供がいません。
どうやら子供ができないのではなく、あえて作らない方針のようです。川合俊一さんが子供を作らない衝撃の理由について紹介します。
子供が男の子だった場合はきっと馬鹿にしてしまう
川合俊一さんは、子供がいない理由について、バラエティ番組に出演した際に言及しています。
それによれば「子供が男の子だったらスポーツをやらせると思うが、もしその競技で日本一になれなかったらその子供の事を凄く馬鹿にしてしまうだろうから、子供は作らない」のだそう。
川合俊一さん自身が、自分自身で綿密に計画を立て、日本でトップクラスのバレーボール選手になった経験を持っています。
そのため、子供にも当たり前にそれができると考えてしまい、結果的に子供に嫌われてしまうと思い、それならば子供は作らない方が良いだろうと考えてしまうのだそうです。
子供が女の子だった場合はきっと心配し過ぎてしまう
また、川合俊一さんは子供が女の子だった場合は「心配で仕方がなくなり、精神的に持たないだろうから子供は作らない」という事のようです。
川合俊一さんは異常とも言えるほどに警戒心が強いのだそうで、寝室のベッドの下には侵入者に備えて木刀、スタンガン、警棒が常備してあるのだそうです。
そんな自分自身の性格もあり、もしも娘が生まれたとしたら心配すぎて「学校に1人で通わせられない」と語っており、それならば子供は作らない方が良いだろうという事なのだそうです。
川合俊一の実家はとんかつ屋~生い立ちと父親との関係も紹介
以上のように、かなり独特な感性を持つ川合俊一さんですが、これには川合俊一さんのお父さんの影響も大きかったようです。
川合俊一さんのお父さんは、元々は真面目な会社員だったそうですが、ある時病気を理由に会社を1ヶ月休んだ際に降格になってしまい、それが原因で会社を辞めてしまったのだそうです。
このお父さんはかなり負けん気が強い男性だったようで、会社の奴らを見返したいという一心で独立を思い立ち、住んでいた新潟から上京し、トンカツ屋を始めました。
しかし、商売は中々難しかったようで、それならば子供をオリンピック選手にして見返してやろうと思い、川合俊一さんにスポーツの英才教育を施したのだそうです。
実は、川合俊一さんは子供の頃は囲碁や将棋の方が好きな運動が嫌いな少年だったそうで、体育の成績もよくても「3」だったのだそうです。
しかし、それでもお父さんの想いに応えたいと感じた少年時代の川合俊一さんは、文句も言わずスポーツに取り組み、見事お父さんの「子供をオリンピック選手にする」という夢を叶えます。
川合俊一が父親の夢を叶えたいと思った理由は?
運動が嫌いだったという川合俊一さんなので、父親からスポーツを強要されれば反発してしまいそうです。
しかし、川合俊一さんが父親に逆らわず、素直にスポーツに打ち込みました。その理由を後に川合俊一さんは以下のように語っています。
親に「お前は反抗期がなかった」と言われますね。だって、自宅がとんかつ屋です。両親の仕事を目の前で見ているんです。大変な仕事なんですよ、本当に。朝5時半に起きて仕込みをして、掃除して、昼は店のほかに出前もして、夕方から仕込みして店開けて、全部終わるのは夜の10時とか11時です。そんな姿を見ていると反抗する気にならないですよ。「すげえ、親って」となる。
引用:【話の肖像画】元バレーボール選手・川合俊一(2)父が立てた「五輪出場作戦」-産経新聞 https://www.sankei.com
必死に頑張る両親の姿を見て、自分も頑張ろうと思ったという事のようです。川合俊一さんの素直な性格がよく伝わるエピソードですね。
川合俊一の実家のとんかつ屋はどこ?
川合俊一さんの実家のとんかつ屋は新潟県糸魚川市で経営されていた「とんかつ亭」というお店です。かなり評判が良く、ネットのグルメサイトでも高評価をつけられていました。
https://tabelog.com/niigata/A1503/A150302/15010578/
https://ameblo.jp/chiba-hakuba/entry-11278954208.html
しかし、残念ながら川合俊一さんの両親が高齢のため、2019年10月現在はすでに閉店しているそうです。
川合俊一の現在
最後に、現在の川合俊一さんの活躍を紹介します。
ここ数年はタレントとしての活動は控え目にしている様子で、バレーボール関係の仕事に力を入れられているようです。
バレーボール界に絶大な影響力
川合俊一さんは現在「日本ビーチバレーボール連盟会長」「日本バレーボール協会強化事業本部付顧問」「トヨタ自動車ビーチバレーボール部GM」などバレーボール関連の肩書きを多数持っています。
これも、これまでに川合俊一さんがバレーボール界に多大な貢献をしてきた結果だと言えそうです。
ケイブロスの代表取締役社長
川合俊一さんは自身で「ケイブロス(K.BROS)」という芸能事務所を立ち上げ、代表取締役社長として経営されています。
この「ケイブロス」の目的は、ビーチバレーやバレーボールの振興のために、バレーボール選手の芸能活動をバックアップするというものです。
現在、この「ケイブロス」には元女子バレーのスター選手・杉山祥子さんなどの元人気選手や、現役のビーチバレー選手なども多数所属しています。
個人投資家としても人気
川合俊一さんの現在の活躍として注目を集めているのが、個人投資家としての活躍です。
数千万円から数億円単位で資金を動かしているようで、その様子がテレビ番組などで度々紹介されています。
デイトレードにも取り組んでいる様子で、1日で数十万円から数百万円の損益を出す事もあるようです。
まとめ
今回は、元バレーボール選手で現在はタレントや経営者など様々な顔を持つ、川合俊一さんについてまとめてみました。
若い頃の川合俊一さんの驚異的なモテモテエピソードをはじめ、現在の嫁である女優の中野みゆきさんとの結婚、子供を作らない衝撃的理由についても触れてきました。
また、川合俊一さんは選手引退後から現在まで、様々な事に挑戦していますが、その行動から一貫して伝わってくるのはバレーボールを心から愛しているという事です。
川合俊一さんは今後も、先頭に立ってバレーボール界を牽引してくれそうです。これからもその活動を応援していきたいですね。