長年活躍を続けている元石原軍団の俳優・神田正輝さんの実家や家族が話題です。
この記事では神田正輝さんの実家が空き家となり近所とトラブルになっているとの報道や父親の神田正次さんや母親の旭輝子さん、兄弟、元嫁の松田聖子さんや娘の神田沙也加さんら家族についてまとめました。
この記事の目次
神田正輝のプロフィール
神田正輝のプロフィール
生年月日:1950年12月21日
出身地 :東京都港区赤坂
身長 :178cm
血液型 :A型
神田正輝(かんだ・まさき)さんは1970年代から活躍されている人気俳優で、「大都会」シリーズ、「ゆうひが丘の総理大臣」、「太陽にほえろ!」シリーズなどの代表作で知られています。
神田正輝さんは23歳の頃にレストランで昭和の大人気俳優だった石原裕次郎さんに出会い、誘われる形で俳優の世界に入りました。
石原軍団の主要メンバーの1人として人気を上げ、アクション物や青春ドラマなどを中心に多数の作品に出演されています。
石原プロモーションでは、2011年まで取締役を務めていました。石原プロモーションが2021年に解散したのちは、新たに芸能事務所に所属する事なくフリーで活動を続けており、俳優としては事実上の引退状態だという事です。これは本人の意向だそうで、俳優の仕事には全く未練はないと周囲に話されているとの情報が週刊誌などで報じられています。
神田正輝の実家は都内の一軒家で現在は空き家でトラブルも
神田正輝さんの実家は正確な場所は不明ですが、東京都港区の赤坂か台東区の浅草だと言われています。
「週刊女性」(2021年12月14日号)に掲載された記事によると、神田正輝さんの実家が空き家状態で長い間放置されていて、近所トラブルが発生しているという事です。
記事では、現在は空き家となっているこの実家は、元々は神田正輝さんの祖母の持ち家で、神田正輝さんは高校生の頃に、母親の旭輝子さんと一緒にこの家に住むようになり、高校や大学にはこの実家から通っていた事なども近所の住民の証言として明かされています。
神田正輝さんの実家は、都内にある15坪ほど(約49.5平米)の一軒家で2階建だそうです。表札は母親の輝子さんが住んでいた当時のままという事なのでおそらく「杉(旭輝子さんの本名)」という表札がかけられていると思われます。
神田正輝さんが俳優としてデビューした後は、この実家には母親の旭輝子さんが1人で暮らされていたそうなのですが、2001年12月31日に旭輝子さんが亡くなった後は、空き家のまま20年以上放置されたままになっているという事です。
実家が空き家になった後は、人気女優だった神田正輝さんの母親の旭輝子さんの後援会の人が片付けをされたそうですが、実家を相続したという神田正輝さんは放置したままで、窓は締め切り、錆びついた門扉の後には雑草が生え放題で、落ち葉やゴミが溜まり、建物にも2階部分にまで壁一面に蔦が絡み付いた廃墟のような状態になっているそうです。
この実家の掃除や繁茂した植物の除去などは、向かいの家の人や隣接するお寺がやっており、老朽化していることや衛生面、火災の恐れなどもあって近所の人々は困っているという事です。
隣接するお寺の住職は、人伝に神田正輝さんに実家の片付けをお願いしたそうなのですが、神田正輝さんは「実家の管理は俺じゃない」、「俺も母親の弟に連絡がつかなくて困っているんだ」と回答されたそうです。
この事から、神田正輝さんの実家の名義は神田さん1人ではなく、母親の弟(神田正輝さんの叔父)など、何人かの親族の名義となっている可能性が高そうです。
もしそうであれば、神田正輝さんも親族に連絡がつかずに実家を処分したくても処分できない状態で困っているという事なのかも知れません。
ちなみに神田正輝さんはこの実家に高校生の頃に母親の旭輝子さんと越されてきたという事ですが、2014年1月7日放送の「徹子の部屋」に出演された際に、小学校1年生の時に神奈川県鎌倉市に引っ越して、赤坂の小学校まで2時間くらいかけて1人で通っていたという内容を話されています。
この内容から、神田正輝さんの実家は小学生時代から中学時代にかけては神奈川県鎌倉にあった可能性が高いようです。小学1年生以前の実家については情報がなく不明です。
神田正輝の家族① 父親は神田正次で元海軍軍人で林業や石油販売業経営者
続けて、神田正輝さんの家族についてみていきます。
神田正輝さんの父親は神田正次という方で、元旧海軍の軍人で終戦後は長野県での林業経営をしていたとも、石油販売会社の2代目だったとも言われています。
神田正輝さんの父親の神田正次さんは、母親の旭輝子さんの10歳年上で輝子さんと知り合う前に結婚していて別に妻子がいました。そのため、父親の神田正次さんと母親の旭輝子さんは神田正輝さんが生まれる1年前の1949年に事実上の結婚関係となったものの入籍はしておらず、法律上は輝子さんは未婚の母親でした。
神田正輝の家族② 母親は女優の旭輝子
神田正輝の母親・旭輝子のプロフィール
本名 :杉輝子
生年月日:1924年10月30日
没年月日:2001年12月31日(享年77歳)
出身地 :東京都台東区浅草三筋町
神田正輝さんの母親は戦後から1970年代にかけて活躍した女優の旭輝子(あさひ・てるこ)さんです。最初に触れた神田正輝さんの都内の実家に2001年末に亡くなられるまで独りで住われていたようです。
神田正輝さんの母親の旭輝子さんは、14歳だった1938年に東京都渋谷区の女学校「実践女学校(現在の実践女子学園中学校)」を中退して「松竹少女歌劇学校」に入学し、1939年にミュージカル劇団「松竹少女歌劇団」に6回生として入団しました。
この頃から「旭輝子」の芸名で舞台に立ち1947年まで同劇団で活躍しました。
松竹少女歌劇団退団翌年の1948年、斎藤寅次郎監督の映画「唄まつり百万両」に芸者役として出演して映画女優としてのデビューを飾り、同年の榎本健一さん主演の映画「歌うエノケン捕物帖」、1949年「エノケンのとび助冒険旅行」、1953年の「エノケンの底抜け大放送」など映画出演を重ね、、1953年の映画「恋人のいる街」では準主役を演じるなど人気を上げました。
その後、映画には1971年公開の「冠婚葬祭入門・新婚心得の巻」を最後に出演されていません。
神田正輝さんの母親の旭輝子さんが、神田正輝さんの父親の神田正次さんと知り合い、事実婚状態となったのは、映画女優として活躍されていたこの頃で、1950年12月に神田正輝さんを出産されています。
また、榎本健一さんの「エノケン劇団」に所属して舞台女優としても活躍し、1965年の「パノラマ島奇談」、1969年と1970年の「じゃがたらお春」などに出演。
テレビドラマにも数多く出演し、代表作として1958年の日本テレビ「金四郎江戸桜」、1970年の日本テレビ系列「細うで繁盛記」などがあります。
そんな神田正輝さんの母親の旭輝子さんですが、2001年11月に都内の自宅(前述の神田正輝さん実家)で心筋梗塞で倒れて緊急搬送され、一時は回復に向かったものの、12月31日の午後に容体が急変し入院先の病院で亡くなりました。77歳でした。
旭輝子さんの死を悼み、浅草公会堂のスターの広場に花束が置かれました。
旭輝子さんの葬儀には、神田正輝さんと元妻の松田聖子さん、2人の娘の神田沙也加さんも出席し、週刊誌やワイドショー、スポーツ紙などでも大きく報じられていました。
神田正輝の家族③ 兄弟はおらず一人っ子
神田正輝さんは兄弟はおらず一人っ子です。
ただ、父親の神田正次さんには本妻との間に子供がいるという事なので、母親違いの義理の兄弟がいるという事になります。
しかし、神田正輝さんは母親違いの兄弟との交流や関わりは特にないようで、これまでに話題にされた事はありません。
神田正輝の家族④ 元妻は女優で歌手の松田聖子
神田正輝の元妻・松田聖子のプロフィール
本名 :蒲池法子
生年月日:1962年3月10日
出身地 :福岡県久留米市荒木町
身長 :160cm
血液型 :A型
神田正輝さんの元妻は、1980年代に国民的アイドル歌手として絶大な人気を集め、現在も活躍を続ける歌手で女優の松田聖子さんです。
神田正輝さんと松田聖子さんは、1985年6月に結婚されています。結婚時は、神田正輝さんが34歳、松田聖子さん23歳で11歳差でした。
馴れ初めは、1985年4月公開の映画「カリブ・愛のシンフォニー」での共演だったとされています。
国民的アイドル歌手と人気俳優の結婚は、お互いの名前の一字を(聖輝の結婚)をもじって「世紀の結婚」と報じられて大きな話題となりました。同年6月24日の2人の結婚式(目黒サレジオ教会で挙式)と披露宴はテレビで10時間にわたって中継され、ゴールデンタイムでの平均視聴率は「34.9パーセント」を記録しました。
結婚翌年の1986年10月1日には第一子となる神田沙也加さんが誕生するなど、芸能界でも最も有名な夫婦として知られていました。
しかし、結婚から12年後の1997年に神田正輝さんと松田聖子さんは離婚しています。
離婚の原因については、松田聖子さんの度重なる不倫だったとも言われています。松田聖子さんはその後1998年5月に6歳年下の歯科医と再婚されていますが、2000年12月に2度目の離婚をされています。
一方の神田正輝さんは、松田聖子さんとの離婚後は、タレントの三船美佳さんなど何人かの女性との熱愛が報じられていますが、現在まで再婚はされていません。
神田正輝の家族⑤ 娘は女優で歌手の神田沙也加(2021年に他界)
神田正輝の娘・神田沙也加のプロフィール
生年月日:1986年10月1日
没年月日:2021年12月18日(35歳)
出身地 :東京都
身長 :159.9cm
血液型 :A型
神田正輝さんと元妻の松田聖子さんとの間に生まれた唯一の子供が長女の神田沙也加さんです。
神田沙也加さんは、中学1年生の時、母親の松田聖子さんの仕事の都合でロサンゼルスの日本人学校に通われていました。その在学中の1999年8月、神田沙也加さんは両親の事を明かさずにオーディションを受けて、アメリカ人監督による戦前の日本を舞台にした短編映画「ビーン・ケーキ(おはぎ)」にヒロイン役に選ばれて女優としてデビューしています。
日本でも「SAYAKA」の名義で芸能活動をスタートさせ歌手や女優として活躍。2003年9月公開の妻夫木聡さん主演の映画「ドラゴンヘッド」のヒロイン役に抜擢されています。
その後、高い歌唱力と遠目にも伝わる華やかなルックスを活かしてミュージカル女優として活躍しました。ミュージカル女優としての代表作は「キューティ・ブロンド」、「レ・ミゼラブル」、「ダンス・オブ・ヴァンパイア」など多数あります。
ミュージカル女優として高く評価され、絶大な人気も得ていた神田沙也加さんでしたが、2021年12月18日に宿泊していた札幌市内のホテルから転落して外傷性ショックにより亡くなりました。転落の原因については公表されていません。
その後の報道で、神田沙也加さんは亡くなる直前に、父親の神田正輝さんに誕生日の前祝いをする電話をして会話をしていた事が明らかにされています。
沙也加さんに近しい関係者によると、転落する直前に父で俳優の神田正輝に電話していたという。正輝は18日にテレビ朝日系「朝だ! 生です旅サラダ」(土曜・朝8時)に生出演。番組終了後の午前10時頃、沙也加さんから正輝の誕生日(今月21日)を前祝いする電話があり、会話をしたという。
まとめ
今回は、1970年代から活躍を続けられている人気俳優の神田正輝さんの実家や家族などを中心にまとめてみました。
神田正輝さんの実家は東京都港区赤坂か台東区浅草と言われていますが、確定情報ではありません。ただ、実家は都内にある一軒家だという事は明らかになっており、現在はこの実家が空き家状態で長年放置され近所とのトラブルも起きている事などが週刊誌で報じられています。
神田正輝さんの家族については、父親は神田正次さんという林業や石油販売業の会社経営をされていた方、母親は女優の旭輝子さんで、神田正輝さんの父親の正次さんには別に妻子がいたため入籍はしておらず、神田正輝さんは婚外子である事などが知られています。
神田正輝さんには兄弟はおらず一人っ子ですが、父親の神田正次さんには本妻との子供がいるという事で、母親が違う義理の兄弟がいるようです。
また、元妻は歌手で女優の松田聖子さんで、松田聖子さんとの間に生まれたのが、ミュージカル女優として人気の高かった神田沙也加さんでした。神田沙也加さんは2021年12月に35歳という若さでこの世を去っており、この時には神田正輝さんも突然の娘の死に憔悴されていたという事ですが、その後のテレビ出演で気丈に振る舞う姿も話題になっていました。