飯塚事件の犯人・久間三千年は冤罪?真犯人は?生い立ちや家族・前科・死刑執行と最後の言葉も総まとめ

1992年に起きた「飯塚事件」は犯人の久間三千年さんの死刑執行後、冤罪として遺族が再審請求し話題です。

 

今回は「飯塚事件」の概要、久間三千年さんの生い立ちや経歴、家族(妻や息子)、前科や最後の言葉、再審の動きを紹介します。

「飯塚事件」の概要

 

1992年2月20日の朝、福岡県飯塚市内に住む当時7歳の2名の小学1年生の女児が、登校中に一緒に行方不明になりました。

 

翌21日午後0時10分頃、福岡県甘木市(現在の朝倉市)の国道を走行していた男性が、小用を足すために外に出た際、ガードを越えた崖下に人が倒れているのを見つけ、警察に通報しました。

 

警察が駆けつけて現場を検証したところ、2名の女児の遺体が発見されました。

 

同日午後9時頃、甘木署にて2名の女児の両親が遺体を確認し、署長が殺人事件の可能性を発表しました。

 

翌22日には遺体発見現場から約2km離れた場所で、2名の女児の遺留品が発見されています。

 

 

「飯塚事件」で久間三千年が犯人として逮捕されるまでの経緯

 

久間三千年が重要参考人として取り調べを受ける

2名の女児の遺留品が発見された現場付近では、不審な車を見かけたという証人が現れ、その目撃証言に基づいて割り出された福岡県内にある車両は127台ありました。

 

その車両のうち、さらに割り出された特徴が酷似する車の所有者が久間三千年さんでした。

 

事件発生から5日後となる2月25日、警察は久間三千年さんの自宅を訪れ、事件発生当時のアリバイなどの事情聴取をしています。 

 

さらに3月20日、久間三千年さんは重要参考人として取り調べを受け、毛髪と指紋の任意提出や、ポリグラフ検査などが実施されました。

 

この時、殺害された女子2名に付着していた犯人のものと思われるDNAと、 久間三千年さんの DNA型が一致しましたが、この時はまだ逮捕はされていません。

 

 

久間三千年が犯人として逮捕される

その後の捜査の結果、2名の女児の衣服に付いていた繊維片が、久間三千年さんが所有する車のシートのものと一致したとして、久間三千年さんを死体遺棄容疑で逮捕しています。

 

さらに10月14日には、殺人などの容疑で久間三千年さんは再逮捕されました。

 

この同日、福岡地検は死体遺棄で久間三千年さんを起訴しており、11月5日には殺人・略取誘拐でも追起訴しています。

 

 

「飯塚事件」の犯人・久間三千年の生い立ち

 

 

「飯塚事件」の犯人として死刑が執行された久間三千年(くま・みちとし)さんについて、詳細なプロフィールや生い立ちは現在までに明かされていません

 

ネット上では、久間三千年さんの生年月日は1940年1月9日だとする説もありますが、これを裏付ける記事は見当たらず、信用に足る情報だとは見られていません。 

 

ただ、久間三千年さんが2008年に残した手記の中に「今年の1月9日で70歳になった」という記述があったため、この情報から本当の生年月日は1938年1月9日だと言われています。 

 

私は無実の罪で捕われてから、拘置所に十四年収監されている。今年の一月九日で七〇歳になった。本件は冤罪事件だけに、重大な人権侵害である

 

引用:冤罪処刑だったのか? 小1女児2人殺害「飯塚事件」久間三千年が獄中で訴え続けた「警察の捏造」! 妻も主張「夫は正義感の強い人間」

 

 

「飯塚事件」の犯人・久間三千年には家族(妻・息子)がいた

 

 

「飯塚事件」発生当時、久間三千年さんは女児2名の殺害現場の近くにある街で、妻と小学生の息子の3人で生活していました。

 

元々は公務員として働いていたと言われていますが、事件発生当時は久間三千年さんは52歳のであり、妻の給料と自分の年金で生活していたとみられています。

 

久間三千年さんは昭和の男性には珍しく、非常にマメな性格で現在で言うところの”主夫”だったようです。

 

平日は毎日妻を車で送り迎えし、家族のために動く思いやりのある性格だったと妻が証言しています。

 

2015年1月に、久間三千年さんの妻が、再審弁護団による福岡市内の集会で出した声明文の中でも、久間三千年さんが良き夫だったことを綴られています。

 

〈私たち家族の幸せは、日々のなかにあり、夫の優しさ、思いやりは、生活の中に満ちあふれていました。子供の成長に合わせて、軽自動車のワンボックスから普通車のワンボックスに替えて、運転席に3人で座って出かけるのが楽しみでした。

 

 私が一度は行ってみたいと思っていた富士山にも連れていってくれました。富士山に向かって走る高速道路でトンネルを抜けると目の前に現れる富士山は美しくて素晴らしいものでした。深く心に残っています〉

 

引用:冤罪処刑だったのか? 小1女児2人殺害「飯塚事件」久間三千年が獄中で訴え続けた「警察の捏造」! 妻も主張「夫は正義感の強い人間」

 

この妻の証言から、久間三千年さんは夫としての務めをしっかりと果たしていた善良な常識人だったことが分かります。 

 

 

久間三千年は町内会長をしていた

家庭内で良き夫だった久間三千年さんは、家庭の外でも評判が良く、町内会長を務めていたと言われています。

 

〈夫にとってこの上ない屈辱だったのは、幼い二人のお子さんの命を奪ったと言われたことだと思います。もし、その現場に遭遇していたら、夫は自分の体を張って子供たちを守っていたと思います。夫はそういう人です〉

 

引用:冤罪処刑だったのか? 小1女児2人殺害「飯塚事件」久間三千年が獄中で訴え続けた「警察の捏造」! 妻も主張「夫は正義感の強い人間」

 

こうした久間三千年さんをほめる証言は妻からのものであるため、当初は身内びいきだと見られていました。

 

しかし、久間三千年さんは警察の捜査にとても協力的だったそうで、町内会長として、容疑者がいる可能性が高い明星寺団地の住人全員の毛髪を提出する提案を警察にしたと言われています。

 

久間三千年さんは正義感の強い人物で、自身の想いをはっきりと伝えて行動に移すタイプだったようです。

 

そして、逮捕前から一貫して無罪を主張していたのです。

 

 

「飯塚事件」の犯人を久間三千年とした検察側の主張① 車の特徴の一致

久間三千年の車が目撃証言に最も一致していた

 

2名の女児が犯人に誘拐された場所や時間には、 当時の人気車種だった後輪ダブルタイヤのワンボックスで、窓に色付きフィルムを貼った車が目撃されています。

 

この特徴を持つ車は、2名の女児の遺留品発見現場付近でも見かけられており、偶然とは考えにくいこの共通点から、真犯人の車だと有力視されています。

 

車の所有者は10人に絞られましたが、そのうち9人は色付きフィルムを貼っていなかったのに対し、久間三千年さんだけが貼っていて、完全に特徴が一致したことで犯人と確定されました。 

 

 

「飯塚事件」の犯人を久間三千年とした検察側の主張② 車内の遺留物

出典:https://pixabay.com/

久間三千年の車の繊維片と被害者衣服に付着していた繊維片が一致していた

2名の女児の洋服から採取された繊維片と、久間三千年さんが所有していた車の後部座席シートの繊維片が一致しています。

 

つまり、女児らが久間三千年さんの車に乗った証拠だとして、久間三千年さんは犯人として濃厚だと認められました。

 

 

久間三千年の車の後部座席から血痕・人尿痕が見つかる

2名の女児の遺体は出血や失禁をした状態で見つかっています。

 

実は、久間三千年さんの車の後部座席からは、血痕や人尿痕が確認されていました。

 

これらについて久間三千年さんは検察側が納得できる説明ができなかったため、犯人として濃厚だとされました。

 

久間三千年さんの妻は当初、長男も含めて車内で出血や失禁をしたことはないと証言していました。

 

しかし、それから2年以上が経過した公判で、この証言が間違っていたかのような供述を妻がしたため、結果として妻の証言の信用性が疑われ、久間三千年さんはより不利になりました。 

 

「飯塚事件」の犯人を久間三千年とした検察側の主張③ 女児に付着していた血痕が一致

久間三千年の血液型が被害者の血痕と一致

 

 

2名の女児は犯人から強姦されていました。

 

そして、局部周辺や内部に付着していた血痕と、久間三千年さんの血液型やDNA型が合致したことから、犯人である可能性が濃厚とされました。

 

この鑑定は、福岡県警察科学捜査研究所、警察庁科学警察研究所の2か所で行われましたが、血液では約266人に1人の割合で一致することが分かっています。

 

このことから、積極的な証拠にはなりえないという判断がされています。

 

 

久間三千年が被害者を強姦した際の血痕が見つかる

 

2名の女児の局部周辺から犯人と思われる血痕が検出されましたが、女児の下着には血液が付着していませんでした。

 

そのため、犯人は手指からではなく、局部から出血していたと見られています。

 

当時、久間三千年さんは亀頭包皮炎で泌尿器科に通っていたようで、捜査段階での担当医師の証言によれば、摩擦等で容易に局部から出血する可能性が高い状態だったそうです。

 

久間三千年さんは常態的に、局部の包皮が容易に破けて出血し、下着に付着することから痛くて歩くことも困難だったんだとか。

 

そのため、セックスにも興味が無かったと久間三千年さんは供述していました。

 

しかし、検察側が犯人の血痕を発見したことを提示した公判で、久間三千年さんは供述を覆し、疾患は完治していたと変更したことから、供述は信用できないと判断されています。 

 

また、行きつけの薬局の店員が、強力な皮膚の薬である「フルコートF」を定期的に購入していく客として久間三千年さんのことを覚えていたと証言しています。

 

ただし、久間三千年さんの妻は、薬局でフルコートFを購入した事実はないと主張しました。

 

 

「飯塚事件」の犯人・久間三千年は前科がある?

久間三千年は「福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件」が前科だった?

 

 

「飯塚事件」の約4年前である1988年12月4日、「飯塚事件」の被害者女児らと同じ小学校に通っていた当時7歳の1年生の女児が行方不明になる事件がありました。

 

1年生の女児は、久間三千年さんの息子と遊ぶために久間三千年さんの自宅を訪れた後、行方が分からなくなっています。

 

久間三千年さんはこの女児にチョコレートをあげていることが分かっており、最後の目撃者でした。

 

事件発生当時は犯人につながる物証が挙がらず、未解決事件となっていました。

 

しかし1994年、「飯塚事件」後に再捜査したところ、久間三千年さんや女児が住んでいた団地近くの雑木林に、女児が着ていたと思われるジャンパーとトレーナーが見つかりました。 

 

この衣類を久間三千年さんに見せたところ、動揺した様子で「骨も一緒にみつかったのか」と捜査員に尋ねたようですが、事件に関して久間三千年さんは一貫して無関係を主張しています。 

 

その後この事件は進展せず、1995年2月18日に捜査は打ち切られて迷宮入りになりました。

 

 

「飯塚事件」の犯人・久間三千年が冤罪である可能性① 目撃証言の信ぴょう性が低い

出典:https://pixabay.com/

 

久間三千年さんに不利な証拠が多く残る「飯塚事件」ですが、実は冤罪の可能性があるとも言われています。

 

ここでは、冤罪の可能性について見ていきましょう。

 

まずは、目撃証言の信ぴょう性が低い点が挙げられます。

 

久間三千年さんに嫌疑がかけられるきっかけとなったのは、被害者の女児らの遺留品が発見された山間部の付近に、久間三千年さんの車と酷似した車が停車していたという目撃証言でした。

 

しかし、久間三千年さんの弁護団が再審請求後に捜査記録を再検証したところ、当時の捜査本部の警察官が久間三千年さんの車の特徴を覚えた上で、証人を誘導した疑いが浮上しました。

 

 

「飯塚事件」の犯人・久間三千年が冤罪である可能性② DNA鑑定の精度の低さ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「飯塚事件」で用いられたDNA鑑定は、同じ冤罪事件として有名な1990年の「足利事件」と同じ「MCT118鑑定」で行われました。

 

この2つの事件は同時期に鑑定が行われています。つまり、科警研のメンバーはほとんど同じであり、技術的な違いはなかったと思われます。

 

ただ、「足利事件」は冤罪が確定した一方、「飯塚事件」では久間三千年さんの死刑が確定してしまうという、まったく別の結末を迎えています。 

 

飯塚事件のMCT118鑑定は、足利事件以上に不出来であり、①目盛りとなる123ラダーマーカーに重大な欠陥がある、②電気泳動像のバンドの幅が広すぎ、形が悪すぎて、型判定ができない、③現場で採取した試料と被告人から採取した試料を同時に電気泳動していない等、数々の問題点があります。

 

引用:飯塚事件

 

この2つの事件の命運が分かれた理由は、「足利事件」では真犯人につながる試料がしっかりと保管されていたからでした。

 

そのため、2009年に「足利事件」は再鑑定が行われ、再審で無罪が証明されました。 

 

一方で「飯塚事件」においては、最初の捜査段階の関係で試料を使い切っており、再鑑定ができない状態にありました。

 

つまり、約30年前のDNA型鑑定に問題があると分かったにも関わらず、再鑑定ができないことを理由に、警察がゴリ押しで再審を認めない方向で動いていた可能性が指摘されています。

 

また弁護団は、検察側が当時の捜査試料をしっかり保管し再鑑定していれば、久間三千年さんが犯人ではなかったことがはっきりした可能性が高いと述べています。

 

「飯塚事件」の犯人・久間三千年の死刑執行は異例の早さだと話題に 【最後の言葉とは?】

 

 

限りなく真犯人だと思われるような証拠や類似事件がありながら、最後まで一貫して無罪を主張していた久間三千年さんは、死刑判決を受けてからも再審請求の準備を進めていました。

 

久間三千年さんの弁護を担当した弁護士によれば、死刑確定後も慌てた様子は見せていなかったそうで、最後に面会した時には次のように語ったと言われています。 

 

最後の面会で、久間元死刑囚は冤罪(えんざい)を扱う雑誌の情報を基に作ったリストを示しながら「私より前に確定した死刑囚がこれだけいます。(再審請求を)急がなくて大丈夫ですよ」と話したという。

 

引用:【検証飯塚事件・2.6高裁決定を前に】(下)死刑後の再審高い壁 前例なし刑事司法根幹に影響 可否判断「裁判官に重圧」

 

久間三千年さんのこの言葉から、先に死刑宣告を受けた他の死刑囚の方が先に刑が執行されると考えていたため、比較的心のゆとりを持っていたと思われます。

 

しかしその期待を裏切るように、再審請求が通る前に、異例の早さで久間三千年さんの死刑が執行されています。

 

 

「飯塚事件」の真犯人とは? 【新たな証言者が現れる】

 

 

久間三千年さんの死刑執行から約1年後となる2009年10月、妻は夫の無念を晴らすために再審請求をしました。 

 

1995年の初公判からおよそ11年にかけて戦い続けてきた妻は、再審請求の趣旨について以下の3つを挙げています。

 

弁護団の再審請求の趣旨及び理由は、次の3点である。

 

・本田克也筑波大学教授の鑑定書等から、科警研が実施した血液型鑑定及びDNA型鑑定の各証拠能力ないし信用性が否定されること

 

・足利事件の再審判決等から、科警研のDNA型鑑定の証拠能力が否定されること

 

・嚴島教授による、「第1次実験について確定控訴審から指摘された諸々の問題点を是正し、Tが不審車両を目撃した条件にできるだけ近付ける形」でなした新たな実験に基づく鑑定書(嚴島第2次鑑定書)等から、自動車の目撃証言のうちTの目撃供述の信用性が否定されること

 

引用:Wikipedia – 飯塚事件

 

しかし、福岡地方裁判所はこの再審請求を2014年に退けました。

 

再審請求を認めなかった理由として、すでに久間三千年さんを死刑にしてしまっているため、仮に再審請求を認めると死刑制度のあり方を根幹から揺るがすものになるためだとされています。

 

妻は即時抗告していますが、最高裁も翌年の4月に退けました。

 

 

「飯塚事件」2度目の再審請求で真犯人が浮上<現在>

死刑が執行された久間三千年さんの遺族が、新たな目撃証言を証拠に2021年7月9日、2度目となる裁判のやり直しを申し立てました。

 

新たな証言をした男性は、事件当日、被害者と見られる女児2人が乗った車を目撃したそうで、運転していた男は、髪型など久間三千年さんの当時の特徴と異なっていたと語りました。

 

つまり、真犯人は別にいた可能性が高いと遺族は訴えたのです。

 

証言したのは福岡県内の男性(72)。再審請求書によると、男性は女児2人の遺体が遺棄されたとされる92年2月20日午前11時ごろ、飯塚市と福岡都市圏を結ぶ八木山バイパスを福岡方面に走行中、追い越した軽ワゴン車の後部座席にいた小学生の女の子2人を目撃。1人はランドセルを背負って「うらめしそうな、今にも泣きそうな表情」、もう1人は横になっていたという。運転手は元死刑囚とは特徴が異なる「丸刈りで色白、細い体の30~40代くらいの男性」としている。

 

引用:新たな目撃証言「別人の車に2女児」 飯塚事件、2度目の再審請求

 

久間三千年さんの妻による2度目の再審請求が通るかどうかはまだ分かりませんが、国の司法の根幹を揺るがしかねないのであれば、今回も認められるのは難しいのかもしれません。

 

ただ、もし久間三千年さんが本当に冤罪だったのであれば、それをきちんと国に認めさせることは、今後の同様の冤罪事件に対して大きな意味を持つことになるでしょう。 

 

 

まとめ

 

1992年2月20日に福岡県飯塚市で発生した、2名の女児が行方不明になった後に強姦・殺害された「飯塚事件」についてまとめてきました。

 

久間三千年さんを犯人だと裏付ける数々の証拠や、類似事件への関与が疑われることを見る限り、久間三千年さんが犯人であるかのような印象を受けます。

 

しかし、当時のDNA鑑定のまずさは、同時期の「足利事件」でも証明されていることであり、試料が残っていればと悔やまれてなりません。

 

久間三千年さんが冤罪のまま死刑囚として亡くなったのなら、警察側の証拠捏造や証人の供述の誘導など、法治国家としてあるまじき行為です。

 

この「飯塚事件」の2度目の再審請求の動向に注目していきましょう。

 

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