戦前から戦後の時代にかけて活躍した作曲家の服部良一さんが話題です。
この記事では服部良一さんの家系図や父親など家族、嫁との結婚や子供、作曲家の長男と役者の次男の2人の息子、孫やひ孫、ジャニー喜多川からの性被害告発などジャニーズとの関係、現在についてまとめました。
この記事の目次
- 服部良一のプロフィール
- 服部良一の家系図
- 服部良一の家族① 父親は土人形師の服部久吉できょうだいは5人
- 服部良一の家族② 妹の服部富子は元宝塚歌劇団で歌手
- 服部良一の家族③ 結婚した嫁は・万里子(旧姓は富澤)
- 服部良一の家族④ 子供は5人で息子が2人に娘が3人
- 服部良一の家族⑤ 孫は少なくとも10人でひ孫も
- 服部良一の息子① 長男は作曲家の服部克久
- 服部良一の息子② 次男は舞台俳優の服部吉次
- 服部良一の孫① 作曲家の服部隆之
- 服部良一の孫② 振り付け師でバレエダンサーの服部有吉
- 服部良一のひ孫はヴァイオリニストの服部百音
- 服部良一の次男・服部吉次がジャニーズ元社長・ジャニー喜多川からの性被害を告白
- 服部良一のひ孫がジャニーズ事務所に所属していたという噂も
- 服部良一の現在① 1993年に85歳で死去
- 服部良一の現在② 朝ドラ「ブギウギ」で草なぎ剛演じる作曲家のモデルに
- まとめ
服部良一のプロフィール
服部良一さんは、戦前から戦後期にかけて活躍した作曲家で、独自の昭和歌謡の世界を築き上げた事から「日本のポップスの元祖」とも評される存在です。
昭和の時代を代表する数々の名曲を生み出し、特に「別れのブルース」、「東京ブギウギ」、「青い山脈」、「銀座カンカン娘」などが代表曲として知られています。
服部良一さんは子供の頃から音楽の才能を発揮し、16歳の時に大阪出雲屋少年音楽隊入隊し、次いで19歳の時に大阪フィルハーモニックオーケストラに入団してオーボエを担当。指揮者を務めていた亡命ウクライナ人の音楽家エマヌエル・メッテルに師事し4年にわたって音楽理論、作曲、指揮の手ほどきを受けています。
同時期には自身のジャズバンドも作り、道頓堀の人気音楽家として活躍。
その後、タイヘイレコードの専属作曲家を経て、コロムビア・レコードの専属作曲家となり、昭和の時代を代表する数々の名曲を生み出しました。その作品は音楽的にも完成度の高いポップスであり、戦前から戦後にかけて常に庶民に愛され続けました。
服部良一の家系図
服部良一さんの家系図です。
父親は土人形師の服部久吉さん、母親はスエさんで、きょうだいは姉が2人と妹が2人の5人きょうだいで服部良一さんは長男です。妹の1人、服部富子さんは元宝塚女優で卒業後は歌手としても活躍されました。
嫁は富澤万里子さんという方で、万里子さんのいとこは上の家系図には記載できませんでしたが作曲家の原六郎さんです。
嫁の万里子さんとの間には子供が5人おり、そのうち息子2人はいずれも作曲家と俳優として活動されています。また、孫やひ孫達も芸能や芸術の世界でそれぞれ活躍されています。
次の見出しから上の家系図に記載した服部良一さんの家族や結婚や嫁、子供、息子や孫達について1人ずつ見ていきます。
服部良一の家族① 父親は土人形師の服部久吉できょうだいは5人
出典:https://ryoichi-hattori.com/
服部良一さんは大阪府大阪市の生まれで、土人形師の父親の服部久吉さんと母親のスエさん、姉2人(久枝さんとキクさん)、妹2人(玉子さん、富子さん)との5人きょうだいの7人家族で育っています。
父親の服部久吉さんは、代々尾張(愛知県西部)で土人形師(土をこね素焼きにしたおもちゃの人形を作る職人)で、祖父の代に尾張国から大阪へと移り住んできたそうです。
父親の久吉さんは、セルロイドゴム製の人形が出回るようになると、昼間は砲兵工廠で臨時の工員として働きながら夜だけ人形作りを続けていましたが、その後に土人形師を廃業し魚屋に転身されています。
服部良一の家族② 妹の服部富子は元宝塚歌劇団で歌手
服部良一の家族で妹の服部富子のプロフィール
生年月日:1917年4月6日
没年月日:1981年5月17日(没年64歳)
出身地 :大阪府大阪市中央区
服部良一さんの10歳下の妹の服部富子さんは、宝塚歌劇団21期生で、水間扶美子の芸名で宝塚女優として活躍されていました。
服部富子さんは宝塚には1931年から1938年まで在籍し、卒業後はテイチクレコードから歌手としてデビュー。
その年に発表した「満州娘」が大ヒット曲となり、以降も「晩香花の咲く頃」、「北京娘」、「父さん星」、「興亜行進曲」、「小鳥娘」、「僕は特急の機関士で」など多数のヒット曲に恵まれました。兄の服部良一さんが作曲した「霧のサンフランシスコ」も歌っています。
女優としても活躍し、日活映画「鴛鴦歌合戦」(1939年)、東宝映画「支那の夜」(1940年)、「孫悟空」(1940年)などに出演しています。
服部良一の家族③ 結婚した嫁は・万里子(旧姓は富澤)
出典:https://ryoichi-hattori.com/
服部良一さんは1930年代半ばに富澤万里子さんという女性と結婚しています。結婚した年にしては、1935年説(服部良一オフィシャルサイトに掲載)と、1936年2月説(ビクターエンターテイメント掲載のプロフィール情報)があります、27歳から29歳の間に結婚されています。
服部良一さんの結婚相手の嫁の富澤万里子さんの実家は東京神田の鍛冶町の唐物屋で、後に浅草でお茶屋を経営されていました。服部良一さんと嫁の万里子さんの出会いはこの浅草で、当時服部良一さんが浅草芸者出身の美ち奴という歌手を育てていた縁で、浅草のお茶屋の女将の娘として紹介されたのが万里子さんだったそうです。
服部良一の家族④ 子供は5人で息子が2人に娘が3人
出典:https://ryoichi-hattori.com/
服部良一さんは嫁の万里子さんとの間に5人の子供に恵まれています。
服部良一さんの子供は息子が2人と娘が3人で、息子のうち1936年生まれの長男の服部克久さんも名作曲家として知られています。息子のうち1944年生まれの次男の服部吉次さんはアングラ俳優として活躍された人物です。服部良一さんの息子さん2人については後述します。
服部良一さんの子供のうち娘3人については、長女が1938年生まれの初音さん、次女が1940年生まれの梢さん、三女が1942年生まれの早苗さんです。服部良一さんは晩年は長女の初音さんの元に身を寄せられていました。
服部良一の家族⑤ 孫は少なくとも10人でひ孫も
服部良一さんには孫が少なくとも10人います。
服部良一さんの孫で名前がわかっているのは、長男の服部克久さんの長男で作曲家の服部隆之さん、長女の奈緒さん、次男で俳優の服部吉次さんの長男でバレエダンサーで振り付け師の服部有吉さんの3人です。
服部良一さんの孫が最低でも10人というのは、世界的バレエダンサーとして活躍されている服部有吉さんが「情熱大陸」で特集された際に「作曲家服部良一の10番目の孫」と紹介されているためです。
有吉は、国民栄誉賞の作曲家服部良一の10番目の孫。
服部良一さんの孫の1人奈緒さんは、父親の服部克久さんのマネージャーを務められていました。他の孫2人については後述します。
また、服部良一さんのひ孫(孫の服部隆之さんの子供)の服部百音さんはバイオリニストとして活躍されています。服部良一さんのひ孫の服部百音さんについても後述します。
服部良一の息子① 長男は作曲家の服部克久
服部良一の息子で長男の服部克久のプロフィール
生年月日:1936年11月1日
没年月日:2020年6月11日(没年83歳)
出身地 :東京府(現在の東京都)
服部良一さんの最初の子供で、息子で長男の服部克久さんも昭和の時代と平成初期を代表する作曲家の1人です。
服部良一さんの息子で長男の服部克久さんは、子供の頃から父親の服部良一さんによる音楽の英才教育を受け成蹊中学校・高等学校を経て、フランスの名門であるパリ国立高等音楽院に留学しています。
服部克久さんは1958年に帰国。プロの作曲家としての初仕事として、男声コーラスグループ「ダークダックス」のアルバムのアレンジとレコーディングを担当し、日本民謡をフランス歌曲風にアレンジして話題を呼びました。
服部克久さんは若手の頃は「ダークダックス」といつも行動を共にし、家族よりも一緒にいる時間が長く続いたそうです。後年、服部克久さんは「ダークダックスが自分の音楽人生の原点」とも語っています。
服部克久さんの妻の時子さんは京都出身の女性で、ダークダックスの後援会のメンバーで、よく事務所に遊びにきていた事で知り合い結婚されています。
服部克久さんは、戦後に放送が始まったばかりのテレビ業界でも作曲家として活躍し、前述のダークダックスの冠番組である日本テレビの「サンデーダークダックス」や「ハニータイム」(日本テレビ)、フジテレビ「ミュージックフェア」などの音楽を若い頃から担当。
その他、テレビやラジオ、アニメ番組などの音楽を数多く担当しました。代表的作品としては、TBSのドキュメンタリー「新世界紀行」のテーマ曲の「自由の大地」、音楽番組「ザ・ベストテン」のテーマ曲、クイズ番組「クイズ100人に聞きました」のテーマ曲、フジテレビバラエティ「とんねるずのみなさんのおかげでした」のエンディングテーマ「喜望峰への道」、「FNS27時間テレビ」のエンディングで流れるBGM「虹 Arc en Ciel」などがあります。
また人気歌手の楽曲のアレンジも数多く担当しており、代表的なものでは谷村新司さんの「昴-すばる-」、「群青」、竹内まりやさんの「駅」、「ハイ・ファイ・セット」の「卒業写真」などが知られています。
生涯にわたって日本を代表する作曲家・編曲家として活躍しましたが、2020年6月11日に末期腎不全のため83歳で亡くなっています。
服部良一の息子② 次男は舞台俳優の服部吉次
服部良一の息子で次男の服部吉次のプロフィール
本名 :服部良次(読みは同じ)
生年 :1944年
出身地:東京都
服部良一さんの末の子供で2人目の息子で次男が服部吉次(よしつぐ)さんです。
服部吉次さんは兄の服部克久さんと同じように成蹊中学・成蹊高等学校を卒業後、国立音楽大学の声楽科へと進みました。
しかし国立音大2年生の時に芝居の世界への興味が強くなり、桐朋学園短期大学部の演劇科(現在の桐朋学園芸術短期大学芸術科演劇専攻)に再入学しています。
桐朋学園短期大学部の演劇科卒業後、演出家で劇作家の佐藤信さん、演出家の津野海太郎さん、俳優の斎藤晴彦さんらと演劇集団「演劇センター」に参加。1970年に黒色の大型仮設テントで旅公演を行う「劇団黒テント」を旗揚げし50年以上にわたって活動を続けられています。
俳優活動以外にも、バンドでの音楽活動も展開されていました。
プライベートでは、女優の石井くに子さんと1978年に結婚されています。石井くに子さんは1970年に別の男性(同じ劇団の俳優)と1度目の結婚をし子供1人(息子)を産んでいますが、4年で離婚しており、服部吉次さんとは2度目の結婚でした。
この服部良一さんの息子で次男の服部吉次さんですが、2023年に社会問題化しているジャニーズ事務所の元社長・ジャニー喜多川氏による性被害問題で、自身も子供時代に同様の被害に遭った事を告発した事で現在大きく注目されています。服部吉次さんのジャニー喜多川氏からの性被害告発については後述します。
服部良一の孫① 作曲家の服部隆之
服部良一の孫で作曲家の服部隆之のプロフィール
生年月日:1965年11月21日
出身地 :東京都
服部良一さんの孫の1人が、現在も作曲家として活躍されている服部隆之さんです。
服部隆之さんは、服部良一さんの長男の服部克久さんと嫁の時子さんとの間に生まれた長男で、成蹊小学校、成蹊中学校を経て成蹊高校へと進学しましたが2年で中退してフランスパリのコンセルヴァトワールにある名門「パリ国立高等音楽院」和声科、対位法科に留学しています。
パリ国立高等音楽院を修了後の1988年に帰国しプロの音楽家としての活動をスタートさせました。
当初は編曲家としての活動を中心としていましたが、次第に作曲家としても高く評価されるようになり、数多くのドラマや映画の音楽を手がけ、サウンドトラックが大ヒットを記録するなど、当代屈指の売れっ子作曲家として活躍されています。
音楽を手がけた作品の代表作としては、ドラマでは「お金がない!」、「王様のレストラン」、「HERO」、「NHK連続テレビ小説・すずらん」、「NHK大河ドラマ・新選組!」、「NHK大河ドラマ・真田丸」、「半沢直樹」、「のだめカンタービレ」、「華麗なる一族」など。
映画では、1996年公開の「蔵」、1998年公開の「誘拐」、「ラヂオの時間」の3作品で日本アカデミー賞の優秀音楽賞に輝いています。
その他にも、テレビのニュース・情報番組やバラエティ、テレビCM、ゲーム音楽、舞台やミュージカル、アニメ音楽など多岐にわたるジャンルで音楽を担当し活躍されています。
プライベートでは、父親の服部克久さんのオリジナルアルバム「音楽畑」シリーズのコンサートマスターを務めていたプロヴァイオリニストの岡本エリさんと結婚されています。
服部良一の孫② 振り付け師でバレエダンサーの服部有吉
服部良一の孫・服部有吉
生年月日:1980年9月12日
出身地 :東京都
身長 :162cm
服部良一さんの孫として知られているもう1人が、振り付け師、バレエダンサーとして活動している服部有吉(ゆうきち)さんです。
服部良一さんの10番目の孫である服部有吉さんは、服部良一さんの次男の服部吉次さんと嫁の女優の石井くに子さんの息子です。
服部有吉さんは6歳でクラシックバレエを始め、13歳で自分の意思によりドイツの歴史的名門「ハンブルク・バレエ団」のバレエスクールに留学。
卒業後、12ものバレエ団のオーディションを受けるも、東洋人である事と身長162cmの小さな身体を理由に入団を拒まれ全て不合格とされます。
しかしそれでもドイツに残り、ひた向きにバレエを続けていた服部有吉さんを、アメリカ出身の世界的バレエダンサーでハンブルク・バレエ団の芸術監督を務めていたジョン・ノイマイヤー氏が認め、1999年にハンブルク・バレエ団への研修生としての入団を認めました。
翌2000年には、ハンブルク・バレエ団の正団員となり、2001年12月上演のジョン・ノイマイヤー振り付けの新作「冬の旅」の主役に抜擢され、同バレエ団初の東洋人ソリストとなりました。
この作品で、服部有吉はスタンディングオベーションを受け、一躍ヨーロッパのバレエ界に知られる存在となりました。
2006年、カナダのアルバータ州のカナダ3大バレエ団の1つ「アルバータ・バレエ団」にプリンシパル(バレエ団の中のトップダンサー)として移籍し、「七つの大罪」、「モーツアルト作品集(Mozart’s Requiem)」、「カルメン」などの振り付けを手掛け、2010年のカナダ・バンクーバーオリンピックの閉会式にも出演しています。
2016年にアルバータ・バレエ団を退団後は、カナダアルバータ州カルガリーにバレエスクール「H/W School of Ballet」を設立。
2017年10月には、カナダ建国150周年のイベントの構成、演出、振り付けを担当し自身も出演しており、現在、カナダのアルバータ州で最も有名な日本人とも言われています。
これまでに、ハンブルク州立オペラ劇場のウィルヘルム・オバーデェルファー賞、プリ・ドン・ペリニョン国際振付コンクール第一回奨励賞および第2回観客賞、2006年の舞踊批評家協会新人賞、2016年のカナダ・アルバータ州「在外公館長表彰(Consul General’s Commendation)」などを受賞および授与されています。
プライベートでは、カナダのアルバータ州エドモントン出身の女性と結婚されています。
この服部有吉さんですが、歌手の宇多田ヒカルさんの小学校・中学校時代の1学年先輩である事も知られています。
小・中学校の一年先輩だった男の子が、いつの間にかすごいダンサーになってた!
w(゚o゚)w オォ-
見てよこれ。飛んでるよ。虚空を舞ってるよ。
っつか体脂肪率何パーセントなんだよ。
名を、服部有吉くんという人です!
服部良一のひ孫はヴァイオリニストの服部百音
服部良一のひ孫・服部百音のプロフィール
生年月日:1999年9月14日
出身地 :東京都世田谷区
服部良一さんのひ孫にあたる服部百音(もね)さんは、ヴァイオリニストとして世界的に活躍されています。
服部良一さんのひ孫の服部百音さんは、孫で人気作曲家の服部隆之さんと、その嫁で元プロヴァイオリニストのエリさんの娘です。
服部百音さんは、5歳でヴァイオリンをはじめ、8歳でオーケストラと共演。10歳だった2009年にポーランドでのリピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクールで第1位と特別賞に輝き、史上最年少記録を更新し天才ヴァイオリニストとして注目されました。
11歳の時にはイタリアのミラノ音楽院のヴェルディ・ホールでリサイタルデビューし、イタリア、ロシア、スイス、ポルトガル、ドイツなどヨーロッパ各地でオーケストラ共演やリサイタル活動を展開。
2013年のブルガリアでのヤング・ヴィルトゥオーゾ国際ヴァイオリンコンクールにて、グランプリと特別賞に輝き、同年ロシアでのノヴォシビルスク国際ヴァイオリンコンクールでは、13歳にしてシニア部門に参加し、史上最年少でのグランプリを獲得し、審査員特別賞、新曲賞にも輝いています。
さらに2015年のスイスでのボリス・ゴールドシュタイン国際ヴァイオリンコンクールでグランプリ。同年4月にはウラディーミル・アシュケナージ指揮によるEUユース管弦楽団とスイスとイタリアで共演。2016年には、ロシアサンクトペテルブルクの歴史あるマリインスキー劇場に招かれ演奏しています。
同年10月には、CD「ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番、ワックスマン:カルメン幻想曲」を発表し、クラシック音楽レコード専門誌・レコード芸術の特選盤に選出されるなど高い評価を得ました。
2017年には、新日鉄住金音楽賞および岩谷時子賞を受賞。2018年にはアリオン桐朋音楽賞、服部真二音楽賞を受賞。2020年には、ホテルオークラ音楽賞、出光音楽賞を受賞。
桐朋学園大学ソリストディプロマコースを経て、「ブルガリ アウローラ アワード」にも選ばれた2021年からは、桐朋学園大学音楽学部大学院に進学し在籍し、N響、東フィル、日フィル、読響、東響など数々の著名オーケストラ、指揮者と共演を重ね国内外で演奏活動を展開されています。
服部良一の次男・服部吉次がジャニーズ元社長・ジャニー喜多川からの性被害を告白
2023年7月、服部良一さんの息子で次男の服部吉次さんが自身が小学生だった頃に、ジャニーズ事務所の元社長のジャニー喜多川氏からの性被害を100回近くも受けていたことを告発しました。
ジャニーズ事務所の創設者ジャニー喜多川氏(2019年に87歳で死去)による性加害問題で、俳優の服部吉次さん(78)が都内で取材に応じ、小学生だった70年前に、喜多川氏から自宅で100回近く繰り返し性暴行を受けていたと証言した。
元々、服部良一さんとジャニー喜多川氏はジャニー氏がジャニーズ事務所を開く前から親しく、家族ぐるみの付き合いをしていました。
ジャニー喜多川氏は服部良一さんの自宅に頻繁に遊びに来ており、ある日泊まっていくことになったそうです。それで、当時小学2年生だった服部吉次さんの部屋で2人で寝る事になったそうなのですが、その時に初めてジャニー喜多川氏に「マッサージをしてあげる」などと言われて下半身を触られ、オーラルセックスをされるという性被害を受けたそうです。
その後も、ジャニー喜多川氏は毎週土曜日に服部良一さんの自宅に泊まりに来るようになり、同じ事を服部吉次さんに繰り返すようになったのだそうです。
それは何と2年半にわたって続き、年間で30回ほど合計で100回近くも性被害を受けたと服部吉次さんは証言しています。
服部良一のひ孫がジャニーズ事務所に所属していたという噂も
服部良一さんの息子の服部吉次さんはジャニー喜多川からの性被害を告白しましたが、実は以前から、服部良一のひ孫の1人がジャニーズ事務所に所属して活動しているとの噂がありました。
服部良一さんのひ孫と言われていたのが、2001年から2002年にかけてジャニーズJr.として活動していた富沢宏順さんだと言われています。
富沢という姓は服部良一さんの嫁の万里子さんの旧姓にあたりますが関係性は不明です。服部の苗字でない事から、直系のひ孫ではないのかもしれません。
はっきりした事はわかっていませんが、服部良一さんとジャニーズ事務所との関係の深さは以前から知られているため、関係者がジャニーズ事務所に所属していたとしても不思議ではありません。
服部良一の現在① 1993年に85歳で死去
服部良一さんは1993年1月30日に85歳で亡くなっており、現在はこの世にいません。
服部良一さんの死因は呼吸不全と発表されています。死去の直後、服部良一さんには国民栄誉賞が授与されています。
服部良一の現在② 朝ドラ「ブギウギ」で草なぎ剛演じる作曲家のモデルに
2023年10月から放送が予定されているNHK朝ドラの「ブギウギ」には、服部良一さんをモデルにした音楽プロデューサーの羽鳥善一が登場し、元ジャニーズの草なぎ剛さんが演じる事が発表されています。
草なぎが演じるのは、「東京ブギウギ」「青い山脈」「別れのブルース」など数多くの名曲を生み出した作曲家・服部良一がモデルの羽鳥善一。上京した主人公・鈴子の才能に惚れ込み、鈴子を鍛え上げて一流の歌手へと成長させる。
ジャニーズ事務所と関係の深かった服部良一さんを、元ジャニーズの看板タレントの1人であった草なぎ剛さんが演じるという点も注目されています。
ただ、上でも触れたように2023年7月に服部良一さんの息子である服部吉次さんがジャニーズの生みの親であるジャニー喜多川氏から受けた性被害を告発した事で、この「ブギウギ」にジャニー喜多川氏をモデルにした人物が登場するのではという点が議論を呼んでいます。
まとめ
今回は、戦前から戦後にかけて活躍した作曲家で、独自の昭和歌謡の世界を築き上げた「日本のポップスの元祖」とも評される服部良一さんについてまとめてみました。
服部良一さんの家系図の家族は素晴らしい音楽一家、芸能一家として知られており、父親は土人形師だった久吉さん、妹は元宝塚女優で歌手としても活躍した服部富子さんです。
結婚は1930年代の半ばで、嫁は万里子さんという一般女性でした。万里子さんとの間には子供が5人生まれており、うち息子2人はそれぞれ音楽と演劇の世界で活躍されています。
長男の服部克久さんは作曲家・編曲家として活躍しテレビ業界を中心に幅広く活躍し、次男の服部吉次さんは舞台俳優として活動しました。
孫やひ孫たちも活躍しており、服部隆之さんは長男の服部克久さんの息子で、作曲家として当代屈指の売れっ子として活躍されています。また次男の服部吉次さんの息子の服部有吉さんは、世界的バレエダンサー、振り付け師としてその名前が知られています。
ひ孫では、服部隆之さんの娘の服部百音さんがヴァイオリニストとして世界的な評価を得ています。
服部良一さんはジャニーズ事務所との関係が深い事でも知られていたのですが、2023年7月に、次男の服部吉次さんが、自身が小学2年生の頃から2年半にわたり、ジャニー喜多川さんから性的な被害を受けていた事を告発し衝撃が走っています。
服部良一さんのひ孫の1人がかつてジャニーズ事務所に所属していたとの噂が存在する事や、2023年10月スタートのNHK朝ドラ「ブギウギ」に服部良一さんをモデルにしたキャラクターが登場し、その役を元ジャニーズの草なぎ剛さんが演じる事が発表されている事などもあり、服部良一さんとジャニーズ事務所の関係について、現在様々な話題が飛び交っている状況となっています。