ギランバレー症候群という難病をあなたは知っていますか?ギランバレー症候群は、簡単に言うと、身体が動かなくなってしまう恐ろしい病気です。
ギランバレー症候群の基礎知識や症状、原因とギランバレー症候群を患ったことがある芸能人・有名人19人をまとめました。
この記事の目次
ギランバレー症候群とは
ギランバレー症候群とは、筋肉を動かす末梢神経に障害がおこる病気です。筋肉を動かす神経がきちんと働かなくなるので、筋肉を動かすことができなくなります。
急性単相性の末梢神経障害により、四肢および脳神経領域の運動麻痺をきたす疾患。4 週以内に症状はピークとなり、その後は病態は鎮静化して回復に向かう。
筋肉を動かすことができなければ、歩くこともできません。腕を動かすこともできません。寝たきりの状態になります。
ギランバレー症候群は10万人に1~2人の割合で発症する病気です。この割合を見ると、とても珍しい病気であることがわかりますね。日本の人口を1億人とすると、ギランバレー症候群を発症するのは1,000~2,000ということになります。
男女比は3:2で男性がやや多めになります。発症年齢は幼児からお年寄りまで幅広いですが、20~30代の発症が多く、発症の平均年齢は39歳となっています。
身体が動かなくなってしまうとても恐ろしい病気ですが、予後はそれほど悪くありません。治療をせずに自然回復する例もありますし、ギランバレー症候群の8割の患者さんは後遺症が残らずに日常生活に復帰しています。
ただ、残りの2割の人は車いす生活を余儀なくされるなど後遺症が残ってしまいます。そして、5%の人が死に至ります。
難病指定はされていますが…
ギランバレー症候群は、厚生労働省の治療研究(難治性疾患克服研究事業)に指定されています。ただ、医療給付(難病医療費助成制度)の対象にはなっていません。
つまり、ギランバレー症候群になったら、医療費は自分で支払う(保険診療で自己負担は3割)必要があるということですね。
ギランバレー症候群の症状
ギランバレー症候群は、末梢神経の障害によって起こる病気です。ギランバレー症候群になると、次のような症状が現れるようになります。
・手足が動かなくなる
・手足のしびれがある
・目が動かせなくなる(眼球運動麻痺)
・顔の筋肉が動かなくなる(顔面神経麻痺)
・呼吸できなくなる
ギランバレー症候群の特徴は、これらの手足が動かなくなるなどの症状が現れる前に、前駆症状として風邪のような症状が現れることです。
咳やのどの痛み、腹痛、下痢などの症状が現れて、「風邪かなぁ?」と思っていたら、それから1~3週間後に手足に力が入らなくなり、ギランバレー症候群の症状が現れ進行していくのです。
重症化すると、手足や顔の筋肉だけでなく、胸の筋肉も動かなくなっていきます。胸の筋肉が動かなくなると、呼吸ができなくなります。肺が膨らまないので、息を吸い込むことができないんですね。
その場合、喉に穴をあけて太いチューブを気管に通し、人工呼吸器管理をしなければいけません。
治療で回復すれば、人工呼吸器を離脱して、自分で呼吸をすることもできますし、自分で体を動かしたり、歩いたりすることもできるようになります。
ギランバレー症候群の原因
ギランバレー症候群は自己免疫疾患とされています。つまり、自分で自分の末梢神経を攻撃してしまうことが原因なんです。
なぜ、自分で自分の末梢神経を攻撃してしまうのか?それは、感染が引き金になることが多いです。
ギランバレー症候群の症例のうち60~70%程度で、先行感染が起こっていることがわかっています。カンピロバクターやサイトメガロウイルス、エプスタイン・バールウイルス、マイコプラズマなどに感染すると、ギランバレー症候群を発症するリスクがあるのです。
ただ、ギランバレー症候群の全症例に先行感染があるわけではなく、感染以外にも自分で末梢神経を攻撃してしまう原因があるのかもしれません。
ギランバレー症候群を患った芸能人・有名人12人~国内編~
ギランバレー症候群は10万人に1~2人の割合で発症する難病です。芸能人や有名人にも、ギランバレー症候群を発症した人はいます。
ギランバレー症候群にかかったことがある芸能人・有名人をまとめました。
1.大原麗子さん
出典:zakzak.co.jp
大原麗子
生年月日:1946年11月13日
没年月日:2009年8月3日,
出身:東京都文京区
身長:156cm
活動:女優
代表作:「春日局」、「チロルの挽歌」、「徳川慶喜」、「おはん」
往年の大女優である大原麗子さんは、1975年にギランバレー症候群を発症しています。その後、回復されて女優業を続けられていますが、1999年11月にギランバレー症候群が再発したとして、女優業を休止されました。
ただ、専門医などによると、ギランバレー症候群が再発することはほとんどないとして、ギランバレー症候群が本当に再発したのかは疑問が残るという意見があります。
とてもキュートで美人で魅力的な大女優さんでしたが、女優業を休止されてからはうつ病を患うなど、色々とご苦労があったようです。2009年にご自宅で孤独死されていたのを弟さんに発見され、大ニュースになりましたね。
2.安岡力也さん
安岡力也
本名:リカルド・ニコ・バレンティーノ
生年月日:1947年7月19日
没年月日:2012年4月8日
出身:イタリアのジェノヴァ
身長:187cm
活動:俳優、タレント、歌手
安岡力也さんは強面の印象がありますが、どこか憎めなくて、良い人そうな雰囲気を出している方でしたよね。
安岡力也さんは2006年にギランバレー症候群を発症し、治療に励んでいます。闘病生活は20009年ごろまで及んでいます。2009年8月には公の場に姿を見せていますが、まだ本調子ではない様子でした。2010年に徹子の部屋に出演してカムバックしています。
3.芳根京子さん
出典:oricon.co.jp
芳根京子
生年月日:1997年2月28日
出身:東京都
所属:ジャパン・ミュージックエンタテインメント
身長:159cm
活動:女優
代表作:「べっぴんさん」、「表参道高校合唱部!」
朝ドラのヒロインの経験があり、今大注目の女優さんである芳根京子さんは、中学2年生の時にギランバレー症候群を発症しました。学校に通うことすら大変でしたが、1年間の治療で回復されています。現在では後遺症もなく、ステキな女優さんになっていますね。
芳根さんのように子供のころにギランバレー症候群を発症して、今は回復し、女優という中も臆される仕事をバリバリされているのを見ると、全国のギランバレー症候群の患者さんに勇気を与えるのではないでしょうか?
4.福永泰さん
出典:ameblo.jp
福永泰
生年月日:1973年3月6日
出身:東京都町田市
所属:元浦和レッドダイヤモンズ、元ベガルタ仙台
身長:172cm
活動:元プロサッカー選手、サッカー指導者
元プロサッカー選手だった福永泰さんは、青山学院大学を卒業後の1995年からJリーグの浦和レッズに加入し、レギュラーを獲得しています。
しかし、1997年にギランバレー症候群を発症し、その年のリーグ戦には1戦も出場できないまま終わりました。しかし、懸命の治療・リハビリの結果、1998年からはリーグ戦に復帰し、ボランチからフォワードまでこなせる器用なプレーヤーとして活躍しています。
その後は、ベガルタ仙台に移籍し、引退後は母校の青山学院大学やベガルタ仙台のコーチを務めています。
ギランバレー症候群を患っても、プロサッカー選手として活躍できるまでに回復できるのは本当にすごいですね。
5.佐藤寿人さん
佐藤寿人
生年月日:1982年3月12日
出身:埼玉県春日部市
所属:ジェフユナイテッド千葉
身長:168cm
活動:プロサッカー選手
プロサッカー選手の佐藤寿人さんは、2000年に双子の兄佐藤勇人さんと共にジェフ市原でJリーグデビューを果たします。その2年後の2002年には、セレッソ大阪に移籍しましたが、春先にギランバレー症候群を発症し、出場機会には恵まれませんでした。
その後、治療の甲斐あって回復し、2003年にはベガルタ仙台に移籍しています。そして、2005年にはJリーグのベストイレブンに選出され、さらに日本代表にも選ばれています。2012年にはJリーグの得点王・MVPを受賞しています。
6.有村竜太朗さん
出典:barks.jp
有村竜太朗
生年月日:1973年3月6日
出身:千葉県千葉市
身長:173cm
活動:Plastic Treeのボーカル、モデル、エッセイスト
ビジュアル系バンドのPlastic Treeのボーカルである有村竜太朗さんは、2010年にギランバレー症候群を発症して、一時的に活動を休止しています。お父様を亡くされて、2~3ヶ月後に発症したそうです。
ただ、不幸中の幸いなのが、有村さんの場合は、比較的症状が軽症だったことです。ご本人が清春さんとの対談の中で次のように語っています。
2日間ぐらい首の下が動かなかったですからね。幸い3日間ぐらいですぐ回復に向かったので、清春さんが来てくれた時には上半身が動くようになったんですよ。
引用:有村竜太朗×清春 “唯一の関係”とソロアーティストの魅力 | SPICE – エンタメ特化型情報メディア スパイス
実際に、事務所が有村さんのギランバレー症候群の発症と活動休止を発表したのは2010年12月25日のことですが、2011年3月には復帰されています。
7.美馬寛子さん
2008年のミス・ユニバース・ジャパン代表の美馬寛子さんは、中学1年生の時にギランバレー症候群を発症しました。その後、治療を結果、3ヶ月の療養で復帰したそうです。両手両足の麻痺が出たわけではなく、右足の運動障害と右手の感覚障害が症状だったとインタビューで語っています。3ヶ月の療養で日常生活に復帰できたということは、比較的軽症な部類だったのかもしれませんね。
このギランバレー症候群から復帰した後は、リハビリにもなるとの理由で陸上を始めて、高校の時には国体に出るほどの成績を修めて、大学でも陸上競技をするほどの才能でした。
こんなにきれいで運動もできるなんて、ステキな女性ですよね。
8.鴨下信一さん
出典:fujitv.co.jp
鴨下信一
生年月日:1935年3月17日
出身:東京都台東区出身
活動:テレビプロデューサー、エッセイスト、演出家
代表作:「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎たち」、「高校教師」など
テレビプロデューサーで、ふぞろいの林檎たちや高校教師など大ヒットドラマの演出をした鴨下信一さんは、1999年にギランバレー症候群を発症しています。たった一晩で全身の中で左足の親指しか動かせなくなってしまったほど進行が速かったそうです。
しかも、四肢の運動障害だけでなく、呼吸もできなくなってしまったため、喉に穴をあけてチューブを通す気管切開まで行っています。
療養期間は10ヶ月にも及びましたが、無事に回復されていますね。
大原麗子さんがお亡くなりになった時には、同じギランバレー症候群の患者としてコメントも出されています。
9.川口順子さん
出典:twitter.com
川口順子
生年月日:1941年1月14日
出身:東京都
活動:明治大学国際総合研究所特任教授、豊田通商株式会社取締役、石油資源開発株式会社取締役
歴任:環境庁長官、環境大臣、外務大臣
元自民党の政治家である川口順子さんは、2007年3月にギランバレー症候群を発症しています。車から降りる時に、足に鋭い痛みとしびれが走ったのだそうです。そこから、病気は一気に進行しましたが、早期治療の甲斐もあり、約1ヶ月の入院生活後に退院。
同年の6月4日のパーティーには車いすで参加されています。同年7月の参議院選挙には比例区で立候補し、当選されています。
10.兼元謙任さん
出典:twitter.com
兼元謙任
生年月日:1966年7月22日
出身:愛知県名古屋市
活動:実業家、株式会社オウケイウェイヴ代表
インターネットを使う人なら一度は耳にしたことがある「OKWave」の創業者である兼元謙任さんは、小学6年生のころにギランバレー症候群を発症しています。最初の入院生活は半年間にも及び、そこからは入退院を繰り返しながら、回復されました。ただ、大学に入学するころまでは、ステロイドの薬を飲み続けなければいけなかったそうです。
このギランバレー症候群の闘病生活や小学生のころの壮絶ないじめの経験がもとになって、芸術大学を卒業後にいろいろなことにチャレンジし、OKWaveを立ち上げ、社会的に成功されています。
11.阿部守一さん
阿部守一
生年月日:1960年12月21日
出身:東京都国立市
所属:無所属
活動:政治家、現長野県知事
横浜副市長や長野県副知事などを歴任し、現在の長野県知事を務めている阿部守一さんは、1999年にギランバレー症候群を発症しています。最初はなかなか原因がわからずに診療科をたらいまわしにされたり、針灸師を頼ったなどの経緯がありました。
そのため、阿部守一さんは長野県知事になってからは、長野県の医療政策にも積極的に取り組んでいます。
私の場合はギランバレー症候群にかかったときは、治療を受けながら働くという状況ではなかったので、完全にずっと入院していましたけれども、しかしながら最近は、がん治療は通院で治療を受けられるという方も大分増えてきていますので、病気と闘いながら就労される方々の支援は大事だと思います。
12.石川真二さん
石川真二
生年月日:1970年4月19日
出身:福岡県出身
身長:163cm
活動:競艇選手
福岡県出身の競艇選手である石川真二さんは、1990年にデビューしましたが、2001年にギランバレー症候群を発症しました。その後、治療に専念し、4ヶ月で競技に復帰したという経緯の持ち主です。
競艇選手として復帰後は、2006年に年間最多勝を獲得し、2014年には全24場制覇を達成しています。ただ、40代になってからは膀胱がんを患いましたが、手術をしてレースに復帰されています。2つの大きな病気を克服しているのはすごいですよね。
ギランバレー症候群を患った芸能人・有名人7人~海外編~
ギランバレー症候群を患った芸能人・有名人、次は海外編です。海外にもギランバレー症候群を患った芸能人・有名人がいます。
1.フランクリン・ルーズベルトさん
フランクリン・ルーズベルト
生年月日:1882年1月30日
没年月日:1945年4月12日
出身:アメリカのニューヨーク州
活動:アメリカ大統領
任期:1933年~1945年
アメリカの第32代大統領であるフランクリン・ルーズベルト氏はニューディール政策とアメリカの第二次世界大戦への参戦で有名な歴史上の人物ですね。
ルーズベルト大統領は39歳でポリオにかかったという説がありますが、実はこれはポリオではなく、ギランバレー症候群であったという説があります。そして、この時の病気が原因で、車いす生活になり、アメリカ歴代大統領の中で唯一の重度の身体障碍者となりました。
病気を克服後、ニューヨーク州知事となり、その後アメリカ大統領まで上り詰めます。今でも、歴代大統領の中で5本の指に入るほどの人気が高い人物です。
2.ジョセフ・ヘラーさん
ジョセフ・ヘラー
生年月日:1923年5月1日
没年月日:1999年12月12日
出身:アメリカのニューヨーク州
活動:風刺作家、小説家
代表作:「キャッチ=22」、「笑いごとじゃない -世にも明るい闘病記」
アメリカの風刺作家であり小説家のジョセフ・ヘラーさんは、1981年にギランバレー症候群を発症しています。集中治療室で半年間過ごした後、リハビリ病院へと転院しています。
この時のことを書いたノンフィクションが「笑いごとじゃない -世にも明るい闘病記」です。この時のギランバレー症候群になったことをきっかけに35年間連れ添った妻とは離婚して、彼を支えた看護師と再婚しています。
3.ハンス・フォンクさん
出典:hmv.co.jp
ハンス・フォンク
生年月日:1942年6月18日
没年月日:2004年8月29日
出身:オランダのアムステルダム
活動:指揮者
世界的な指揮者であったハンス・フォンク氏は1990年代にギランバレー症候群を発症し、約1年間の休養を余儀なくされました。その後は指揮者として復帰し、約10年にわたり活動をしてきましたが、2002年には筋萎縮性側索硬化症を発症します。一度ならず二度も神経系の難病を患うなんて、なんとも数奇な運命です。
筋萎縮性側索硬化症が原因で、2004年にお亡くなりになっています。
4.マルクス・バッベルさん
マルクス・バッベル
生年月日:1972年9月8日
出身:ドイツのミュンヘン
身長:191cm
所属:元バイエルン・ミュンヘン
活動:元プロサッカー選手、サッカー指導者
元ドイツ代表であり、名門のバイエルン・ミュンヘンなどでディフェンダーとして活躍したマルクス・バッベルは、2000年にプレミアリーグのリヴァプールに移籍後、ギランバレー症候群を発症します。
長期的に戦線を離脱することになりましたが、2004年には復帰しています。
5.スコット・マッケンジーさん
出典:amass.jp
スコット・マッケンジー
生年月日:1939年1月10日
没年月日:2012年8月18日
出身:アメリカのフロリダ州
活動:シンガーソングライター
代表作:「花のサンフランシスコ」
アメリカのシンガーソングライターであるスコット・マッケンジーさんは、2010年にギランバレー症候群と診断され、その後は入退院を繰り返していました。ギランバレー症候群が直接的なん死因なのかどうか不明ですが、その2年後の2012年にお亡くなりになっています。
6.ロウディ・ゲインズさん
出典:s.webry.info
ロウディ・ゲインズ
生年月日:1959年2月17日
出身:アメリカのフロリダ州
身長:185cm
活動:元水泳選手
ロサンゼルスオリンピックで100m自由形・400mリレー・400mメドレーリレーで3つの金メダルを獲得した水泳選手のロウディ・ゲインズさんは、1991年8月にギランバレー症候群を発症し、2か月入院されています。ただ、その後はまた水泳選手として現役復帰を果たしていますね。
7.オスカル・タバレスさん
オスカル・タバレス
生年月日:1947年3月3日
出身:ウルグアイのモンテビデオ
身長:174cm
活動:元サッカー選手、サッカー指導者
サッカーのウルグアイ代表監督を務めるオスカル・タバレス氏は、2018年にギランバレー症候群を発症していることを公表しました。ロシアワールドカップでは、杖を突きながら、ウルグアイ代表チームを率いていた姿が印象的です。
ウルグアイ代表監督の契約は2022年まで、つまりカタールワールドカップまでとされていますが、カタールのワールドカップでも監督としてウルグアイ代表を率いている姿を見ることはできるでしょうか?
まとめ
難病であるギランバレー症候群の基礎知識や症状、原因、ギランバレー症候群を患った芸能人・有名人をまとめましたが、いかがでしたか?
ギランバレー症候群は手足の筋肉が動かなくなる恐ろしい病気ですが、早期治療をすれば、後遺症が残らないことが多いです。もし、そのような症状が出たら、早めに病院を受診してくださいね。