「福知山線脱線事故」は107名が死亡し、562名が負傷、内88名もの人が四肢切断の後遺症を負うという未曾有の大惨事となりました。
今回は「福知山線脱線事故」について、白い車原因説や運転士のスピード出し過ぎの真相、事故後の現在、また、その後起きたとされる心霊現象についてまとめました。
この記事の目次
- 「福知山線脱線事故」とは?運転士を含め107名が死亡した悲惨な脱線事故
- 「福知山線脱線事故」の起こった場所は?
- 「福知山線脱線事故」の直接的な原因は運転士によるスピードオーバー
- 「福知山線脱線事故」の原因は当初「白い車」説他、多数の説が浮上
- 「福知山線脱線事故」では四肢切断88名など負傷者も多数〜生存者の体験談も話題に
- 「福知山線脱線事故」の現在① 事故現場は慰霊施設に
- 「福知山線脱線事故」の現在② 社長らが起訴されるも裁判で無罪が確定
- 「福知山線脱線事故」にまつわる心霊話① 不思議な老女に命を救われた女性がいた
- 「福知山線脱線事故」にまつわる心霊話② 事故現場のマンションで心霊現象が多発
- 「福知山線脱線事故」にまつわる心霊話③ 事故前日に起きた不思議な現象
- まとめ
「福知山線脱線事故」とは?運転士を含め107名が死亡した悲惨な脱線事故
「福知山線脱線事故」は、2005年4月25日、午前9時18分頃に、JR西日本の福知山線で発生した列車事故で、乗客106名と運転士合わせて107名が死亡し、負傷者も562名に上りました。
死亡者数ではJR発足後では史上最悪で、列車事故全体としても戦後では史上4番目、戦前に遡っても史上7番目となる、歴史に残る悲惨な事故となりました。
事故発生時の車両や現場の状況
出典:https://www.huffingtonpost.jp
事故を起こした車両は宝塚駅発のJR東西線・片町線(学研都市線)経由の同志社前行き上り快速の7両編成で、塚口駅-尼崎駅間の右カーブを南行中、先頭から1両目と2両目が左側に横転、続けて3両目から5両目までも脱線しました。
横転した1両目と2両目は、線路横の分譲マンション「エフュージョン尼崎」に衝突し、先頭車はマンション1階に駐車場スペースとして開けられた穴部分(プロティ式)に先頭側から突入して、奥のコンクリート壁に衝突して原型を留めないほどに大破。
2両目はマンション外壁に横転した状態で衝突し、マンション北西部の柱に激突、その直後に脱線してきた3両目に押しつぶされる形で、柱を起点して「く」の字型に折れ曲がり、車両前部は横から圧縮され、縦にひしゃげるように破壊されました。
3両目から5両目は直立したまま脱線し、3両目と4両目は反対側下り線路上にかかるような形で停止し、同時刻に下り路線を特急列車が接近中で二次災害が発生する危険がありましたが、事故を目撃した近隣住人が、とっさに「踏切支障報知装置」を押して特殊信号発光機を点灯させ、それを察知した運転士が100m手前で緊急停止、二重事故は回避されました。
また、1両目と2両目が突入したマンション住人や、現場付近にいた人への死傷事故は発生せず、不幸中の幸いとも言うべきか人的な二次的被害は起こりませんでした。ただし、マンション駐車場にあった自動車はほぼ全てがスクラップとなり、マンションも住居として継続利用する事は不可能な状態となって、多大な物的損害をもたらしました。
車両ごとの死亡者数
「福知山線脱線事故」による死亡者のほとんどは、1両目と2両目に集中しています。もっとも死亡者が多かったのは2両目の「57人」、続いて1両目が「42人」、そして3両目では「3人」と続きます。また、その他に、乗車車両が不明の死亡者が「4人」いました。
死亡者の死因の多くは、車両が圧壊した事で、車体や内装部に押しつぶされた事による窒息死(圧死)、頚椎損傷、骨盤損傷、それに伴う失血やクラッシュシンドロームでした。
「福知山線脱線事故」の起こった場所は?
「福知山線脱線事故」の発生した場所は兵庫県尼崎市久々知に位置し、JR西日本の福知山線の福知山線塚口駅と尼崎駅の間、塚口駅の南へ約1km、尼崎駅の手前から約1.4km地点で、曲率半径304mの右カーブ区間でした。
周りは住宅地帯で人口も多く、福知山線と名神高速が交差する場所からすぐの地点にあたります。こうした市街部で起きた大規模脱線事故でありながら、周辺住人に被害が及ばなかった事については不幸中の幸いだったと言えるかもしれません。
しかし、事故直後にこの付近に住んでいた住人は、悲惨な事故を目撃したり、事故後の救助活動に参加したりした人も多く、事故から10年以上が経過した現在でも、心に傷を抱えている人も多いという事です。
「福知山線脱線事故」の直接的な原因は運転士によるスピードオーバー
「福知山脱線事故」が発生した直接的な原因は、運転士・高見隆二郎さんによるスピードオーバーだとされています。
事故後の2006年12月20日に、事故調査委員会が発表した「事故調査に関する報告書の案」によれば、運転士・高見隆二郎さんは事故発生直前、伊丹駅と塚口駅間の直線状線路を制限速度である時速120キロ以上で列車を走行させた後、事故が発生した曲率半径304mの右カーブに時速116キロメートルで進入、その直後に急ブレーキをかけたものの、時速105キロメートルまで減速した時点で、1両目が左に横転するように脱線したと言う事でした。
事故を目撃した人の証言
現場から南西50メートルほどの位置にある踏切で事故を目撃した当時20歳の主婦の証言によれば、列車がカーブに入った直後に大きな音がし、1両目の車体の下部からは火花が飛び散っていたそうです。その直後に左側に車体が傾き脱線、横転してマンションに激突していったという事です。
また、近くを自転車で走行中に事故を目撃したという60代男性によれば、カーブで車両はどんどん左に傾き、右側の車輪が線路から浮いていたそうです。
この証言から、事故発生時列車がかなりのスピードでカーブに突入した事は間違いなさそうです。
運転士は事故直前「伊丹駅」を大幅にオーバーランし焦っていた?
それでは、「福知山線脱線事故」でスピードオーバーをした運転士・高見隆二郎さんは何故このような運転をしてしまったのでしょうか?
実は事故を起こす直前、運転士の高見隆二郎さんは、「伊丹駅」で本来の停止位置から72メートルも超過して停止するというオーバーランを起こし、慌ててバックさせると、今後は3メートルバックし過ぎるなどのミスを繰り返し、結果的に電車は1分20秒遅れで「伊丹駅」を出発する事になります。
一部からは高見隆二郎さんが、これまでにもミスを繰り返し、度々罰則(日勤教育)を受けていたという情報も出ていますが、実際のところは、新人時代に、何度か(2件ないし4件)ほど、15メートルほどのオーバーランをしているものの、それ以外には模範的な運転士だったようです。
ただ、この「伊丹駅」でのオーバーランの後、高見隆二郎さんは同乗していた車掌に「(オーバーランした距離を)まけてくれへんか?」と司令所に対し少なく報告してもらうよう頼んでいます。
車掌はこの頼みを聞き入れ、実際は72メートル行き過ぎているところを「8メートルほど」と大幅に改竄して報告しています。こうした事実から、高見隆二郎さんが遅れた時間を取り戻すために、かなり焦ってスピードを出していた可能性が高まりました。
ミスをした運転士への日勤教育(懲罰)も批判対象に
さらにその後、運転士・高見隆二郎さんが慌てて遅れを取り戻そうとした理由は、JR西日本で行われていたミスをした社員に対する「日勤教育」を恐れたためではないか?との疑惑が浮上します。
「日勤教育」はミスを再び起こさないための重要な社員教育の一環だとされていましたが、実際にはミス内容とはあまり関係のない懲罰的、暴力的な「日勤教育」が行われていた事が明らかになり、これが運転士に焦りを生んだのではないか?とされたのです。
事実、事故後の国交相の事故調査委員会の最終報告書では、「事故を起こした運転士が日勤教育を懸念しながら運転士たために注意力がそれて事故に至った可能性が高い」という内容が報告されています。
この「日勤教育」は、他の運転士や車掌に対しての見せしめのような形で、晒し者のようにされて行われ、また、その内容も教育とは名ばかりの「草むしり」「トイレ清掃」などが含まれ、さらには、炎天下のアスファルトの上に枠を書かされ、その上でひたすら立たされるような虐待的行為も行われていた事が判明しています。
この「日勤教育」の存在が「福知山線脱線事故」の原因の一つとなったのは間違いないでしょう。
JR西日本は「転覆限界速度」を算出していなかった?
事故当日、JR西日本は「理論上、時速133キロを出さないと脱線しない」と発表しています。これは、事故発生を受けて急遽算出された数値で、それまでJR西日本は「転覆限界速度」を算出していなかったのではないか?との疑惑が浮上しました。
つまり、JR西日本はこの線路を、「転覆限界速度」を算出する事もなく設計したのではないか?と疑われ、であるならば必然的に、運転士は誰一人「転覆限界速度」を知らないまま列車を走行させていたのではないか?という疑惑が持ち上がったのです。
事故区間の「自動列車停止装置」にはスピードリミッター機能が搭載されていなかった
また、「福知山線脱線事故」が発生したカーブに入るまでの線路は見通しの良い直線で、そこの制限速度は「時速120キロ」に設定されていました。そして、このカーブの前では制限速度は「時速70キロ」に設定されており、急激に制限速度が下げられる区間という事がわかります。
早い速度のままこのカーブに突入すれば、事故のリスクが高まる事は自明ですが、この区間には旧式の「ATS-SW」という自動列車停止装置が設置されており、これには速度を自動で制御するようなスピードリミッターの機能が搭載されていませんでした。
そのため、もしスピードリミッターの機能が搭載された「自動列車停止装置」がこの区間に設置されていれば「福知山線脱線事故」は防げたのではないか?という提言が一部の専門家から出ています。
こうしたいくつかの事実が明らかになると、JR西日本側は責任を運転士になすりつけようとしているのではないか?運転士が誰であったかに関わらず、いつかは事故が発生するのは必然だったのではないか?といった批判が高まったのでした。
「福知山線脱線事故」の原因は当初「白い車」説他、多数の説が浮上
「福知山線脱線事故」発生当初の報道は混乱を極め、事故の原因についても様々な説が浮上しました。
「白い車」と列車が衝突したのが原因説
JR西日本は「福知山線脱線事故」の発生直後に「踏切内での乗用車との衝突事故」と発表しています。これは2時間後に警察からの発表で否定されるのですが、第一報がこれだったため、マスコミ各社は初期報道で「自動車と列車が衝突し脱線」と報じています。
また、その後繰り返し報じられた事故現場の映像に、大破した白い車(ワゴン車)が映し出されていたため、この白い車が列車に衝突して事故が発生したのではないか?という噂がネットを中心に拡散される事になりました。
その後の調べで、この白い車は1両目が突入したマンションの駐車場に駐車されていたもので、所有者もこのマンションに住む男性である事が判明しているため、この「白い車原因説」は明確に否定されています。
ただし、現在でもこの「白い車原因説」は、あまりにも突然に報道内容が一転して変わってしまったため、なんらかの理由により意図的に隠蔽されたのではないか?と疑う人が一定数おり、中には、これは反日勢力によるテロ行為だったが、これを隠蔽するために国家ぐるみで別の事実を報道したのではないか?と疑うような声もあるようです。
いわゆる陰謀論で、説得力のある証拠なども見られないため不用意に信じてはいけません。
運転士が非常ブレーキを使用したの原因説
列車がカーブを走行中に、運転士が非常ブレーキをかけ、車輪が滑走状態になった場合、車輪の出っ張り部分の機能が正常に働かずに脱線に至る可能性が高まるという説があるそうです。
そのため、「福知山線脱線事故」の原因は、カーブに突入した直後に、運転士が非常ブレーキを作動させたためではないかとの説が浮上し、当初は、運転士が非常ブレーキを作動させなければ脱線の可能性は低かったのではないかとの報道も見られました。
しかし、その後の調査によると、運転士はカーブで脱線しかけた際に常用ブレーキを作動させていた事が判明し、この説は否定されています。
線路の置石が原因説
JR西日本は「福知山線脱線事故」の発生から数時間後に開かれた記者会見の場で、列車が何かを踏んだ「粉砕痕」の写真を提示し、脱線の原因が何者かによる「置石」である事を匂わせました。
しかし、この置石の可能性の発表後に国土交通省が「調査が済んでいない段階で置石が原因だと持ち出すのは不適切」と否定し、JR西日本も「置石」が原因であると断定するかのような発言を撤回しています。
その後も置石の可能性は調査されたものの、事故発生区間はそもそも数分毎に列車が通過する往来の激しい区間であり、列車を脱線させる複数の「置石」をする事がそもそも困難であるとされ、また、「置石」をする不審人物を目撃したものも皆無であったため、この「置石」説は明確に否定されています。
この「置石」報道を見て、事故後に線路上に石や自転車などを置く犯罪行為が全国的に頻発しており、逮捕者まで出ています。
こうした事件は2005年5月21日の時点で、大阪市内だけでなんと「32件」にも及んでいました。数百名が被害に遭うというこの悲惨な事故の影響を受け、実際に置石をして、また事故を起こしてやろうと発想する人間がいる事自体に強い恐怖を覚えます。
「福知山線脱線事故」では四肢切断88名など負傷者も多数〜生存者の体験談も話題に
「福知山線脱線事故」では、562名もの負傷者が出ていますが、その内、88名が四肢切断、8名が指切断の重い後遺症を負いました。また、事故の影響で脳に障害を負った人らもおり、生存したとはいえ事故によってその後の人生を大きく狂わされた被害者も大勢出ています。
こうした、重い後遺症をおった被害者達の事故の体験談やその後の生活についても注目が集まっています。ここでは、こうした後遺症をおった「福知山線脱線事故」の被害者の方々の体験談などを紹介します。
事故で「高次機能障害」を負った女性
出典:https://www.huffingtonpost.jp
事件当時、30歳になったばかりだった兵庫県西宮市に住む女性は、事故車両の中でも最も被害の大きかった2両目に乗車していました。
この女性は事故から5時間後に救出され病院に搬送されますが、非常に危険な状態で集中治療室へと運ばれました。医者の見立ては「もって3ヶ月」という残酷なものでした。しかし、意識不明で寝たきりの女性に両親が懸命に呼びかけ続けた結果、事故から5ヶ月後に初めて声を上げ、1年後には自宅に戻れるほどまでに奇跡的に回復。
しかし、この女性は事故の時に頭部に受けた強い衝撃が原因で、記憶力や言語能力に障害が残る「高次機能障害」という障害が残りました。ほんの数分前の出来事を忘れてしまい、事故の記憶も失って、「私なんで車椅子なんやろ?」と度々呟くのだそうです。
女性の母は、つきっきりで女性を介護し、その苦労で腰を痛めてしまったそうですが、「(娘が)生きているだけで幸せな事」と自分に言い聞かせ、笑顔を絶やさず女性を支え続けました。
その後、女性は作業療法士の介護を受けながらですが料理なども出来るようになり、確実に前進を続けているようです。担当している先生からも「これからも回復していく」との言葉も出たそうで、前向きに生活を続けられているという事でした。
2018年4月からは、この女性は伊丹市の介護施設で働き始めたそうで、社会復帰への第一歩を踏み出されています。
事故で消防士の夢を奪われながらも福祉職員として人々のために働く青年
「福知山線脱線事故」当時、大学生になったばかりだったこの男性は、その日も大学に向かうために事故車両の先頭車両に乗車していました。
この男性の父は消防士で、この男性も父に憧れて消防士になる事を志していました。しかし、事故によって、男性は18時間も車両内に閉じ込められ、その間ずっと脚が圧迫され続けていたため筋肉が壊死、一時は切断も検討されるほどの大怪我を負い、自由に走り回る事が出来ない重い後遺症を負いました。
消防士の夢も諦めざるを得なくなってしまいますが、この男性は希望を失いませんでした。新たに「生まれ育った街の役に立ちたい」という目標を定め、大学卒業後に伊丹市の職員になります。
この男性が配属されたのは「伊丹市障害福祉課」で、様々な障害を抱える人々を支える仕事に従事されています。男性はこの仕事を通じて、様々な障害を持つ人々と関わる内に自分の障害についても「ただ苦手な事があるだけ」と受け入れる事が出来るようになったと言います。
また、この男性は講演活動なども行い、事故やその後の体験を人々に伝えています。
事故により「PTSD」を発症し自ら命を絶った男性
「福知山線脱線事故」で重い後遺症を負いながらも、前向きに進み続ける被害者がいる一方で、事故の後遺症の影響で人生を奪われた人々も存在します。
当時22歳の大学生だったこの男性は、通学中に「福知山線脱線事故」に遭遇し軽傷を負います。
しかし、事故で見たあまりに衝撃的な光景はこの男性の心に深い傷をもたらし、事故から2ヶ月後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し、元々優しい性格だったのでしょう、生き残った自分を責め苦悩するようになったそうです。
そして、事故から3年後の2008年、この男性はこれを苦にして自ら命を絶ってしまいます。
「福知山線脱線事故」を風化させてはいけない
事故直後は周囲に多数の遺体が横たわる中、10時間以上も車内に閉じ込められた被害者も多くおり、それがどれだけ心理的ショックをもたらしたか想像も及びません。
「福知山線脱線事故」では、体の傷は軽傷だったとしても心には深い傷を負っている人が大勢いる事も忘れてはならないでしょう。
また、当然ながら重い後遺症が残る被害者の中には、いまだ前向きに進む事ができず、鬱屈した気持ちで苦しんでいる人々も大勢いる事でしょう。こうした人々への支援の手が失われないためにも、事件を風化させず、関心を持ち続ける事が大切なのではないでしょうか。
「福知山線脱線事故」の現在① 事故現場は慰霊施設に
2005年に発生した未曾有の大惨事「福知山線脱線事故」から2020年で15年が経過します。ここからは「福知山線脱線事故」のその後や現在について紹介します。
「福知山線脱線事故」の事故で、脱線した車両が突入したマンション「エフュージョン尼崎」は事故後にJR西日本が買い上げて所有し、住人はおらず無人の状態になっていました。
JR西日本はこの場所に、事故の慰霊施設として「祈りの杜(もり)福知山線列車事故現場」の建設を計画し、2018年9月に完成し、同年9月21日から一般公開されています。
「福知山線脱線事故」の被害者や遺族は、事故の痕跡が残るマンション「エフュージョン尼崎」とその一帯をそのまま保存する事を希望していた人が多く、この慰霊施設「祈りの杜(もり)福知山線列車事故現場」の建設について「JR西日本はただ隠蔽したいだけではないのか?」などと反対意見も多数出ていたようです。
ただ、施設にはこうした被害者や遺族らの声も踏まえ、「エフュージョン尼崎」の建物の一部が残されて保存されています。また、施設内には事件を報道する当時の新聞や、事件発生時の現場の写真なども公開され、事件時の恐ろしい光景が脳裏に呼び起こされます。
また、遺族からの手紙や思い出の品などが公開されており、訪れれば事故の悲惨さや遺族の無念の想いなどを切実に感じる事ができます。
こうした意味では、この「祈りの杜(もり)福知山線列車事故現場」は、JR西日本による事故後の取り組みとしては、一定の評価を得ているようです。
何れにしても、人生に影響を及ぼすような後遺症を負った被害者や、大切な家族を奪われた遺族にとって、この場所が重要な意味を持つ場所である事は間違い無いでしょう。JR西日本には今後もこの場所を慎重に取り扱って欲しいと願います。
「福知山線脱線事故」の現在② 社長らが起訴されるも裁判で無罪が確定
「福知山線脱線事故」の発生から4年後の2009年7月、神戸地方検察庁は業務上過失致死傷罪で、当時の安全担当の役員だった山崎正夫社長(事故当時副社長で、社長と会長の引責退任を受けて社長に就任)を在宅起訴しています。
また、JR西日本の歴代社長3人(前任社長や会長ら)についても神戸第一検察審査会は「起訴相当」とし、強制起訴に踏み切っています。
なお、この起訴を受け、山崎正夫社長は社長職を退任しています。
裁判では主に、被告らが「危険性を事故前に認識していたかどうか」を争点に争われましたが、2012年1月11日、神戸地方裁判所は山崎正夫氏に対して「危険性を認識していた事は認められない」として無罪判決を下しています。検察側は控訴せず、無罪判決が確定しています。
また、歴代社長3人については、2013年9月27日に神戸地裁が無罪判決を下しますが、検察側はこの判決を不服として控訴。しかし、2015年3月27日に大阪高裁は控訴を棄却、検察側はこれも不服として上告しますが、これも棄却され、歴代社長3人についても無罪が確定しています。
「福知山線脱線事故」にまつわる心霊話① 不思議な老女に命を救われた女性がいた
戦後史上最悪とも言われる悲惨な脱線事故である「福知山線脱線事故」ですが、実はその後、この事故にまつわる数々の心霊現象が報告されている事も話題を集めています。ここからは「福知山線脱線事故」にまつわるいくつかの心霊話を紹介していきます。
鹿児島県在住のある女性は、事件を起こす事になる列車に、運転士がオーバーランを起こした伊丹駅まで乗車していたそうです。
しかし、伊丹駅に停車した時に、見知らぬ老女に突然「この電車に乗っていてはいけない!」と大声で叫ばれ、腕を掴まれると強引に車両から下されたのだそうです。
この老女は女性を車両から下ろすと「携帯電話の電源も切りなさい」と女性に言い、圧倒されて女性が言う通りにすると、その直後に、先ほどまで乗っていた列車が脱線事故を起こした事を告げるアナウンスが流れたのだそうです。
女性は、この老女が自分の命を救ってくれたのだと驚き、この女性の行方を追ったそうなのですが判明せず、この女性が何者だったのかも不明なのだそうです。
ネット上では、「この女性のご先祖様が救ってくれたのでは?」といった見方や、この老女は難を逃れた女性以外の乗客にも列車から降りるように呼びかけていたとの情報から「この列車が事故を起こす事を予見した霊能力者だったのでは?」との見方が出ています。
「福知山線脱線事故」にまつわる心霊話② 事故現場のマンションで心霊現象が多発
「福知山線脱線事故」で脱線した車両が突っ込んだマンション「エフュージョン尼崎」では、事故後すぐに引っ越す事も難しい事から、多くの住人がその後しばらくの間住み続けていたようです。
しかし、事故発生の後から、このマンション住人が度々心霊現象に遭遇するようになったとの証言があるようです。
内容は主に、夜になると苦しそうなうめき声や悲鳴が聞こえてくると言うもので、管理会社にも複数の問い合わせがあったと言う事でした。
また、中には血まみれで立つ人を見たという住人や、大きな音を聞いて外に飛び出したところ、事故現場の映像が一瞬再現されて見えたと言う住人もいたそうです。
「福知山線脱線事故」にまつわる心霊話③ 事故前日に起きた不思議な現象
また、「福知山線脱線事故」の前日、2005年4月24日のお昼ごろ、走行中の車両から車掌が線路の間を歩く人影を目撃します。
車掌はそれをすぐに報告した事で、一時列車の運行が停止され、ダイヤが大幅に乱れる事態になりました。しかし、結局人影の正体は判明せず、その翌日に「福知山線脱線事故」が発生した事から、この事故を暗示する心霊現象だったのではないか?との噂を呼びました。
まとめ
107名が死亡し、562名が重軽傷を負った未曾有の脱線事故「福知山線脱線事故」についてまとめてみました。
事故後の混乱もあり、事故原因としては「白い車」が衝突した説、線路に置き石がされていた説など、様々な説が流れますが、その後の調査により、脱線の原因は、運転士が猛スピードでカーブに突入したためだと結論づけられました。
ただ、カーブに設置されていた自動列車停止装置がスピードリミッターの搭載されていない旧式のものだった事や、運転士がその直前にオーバーランするミスを犯し、その罰則である「日勤教育」を恐れ、遅れを取り戻そうと焦っていた事などが判明し、JR西日本側の組織としての責任も強く追及される事になりました。
2度とこのような悲惨な事故を起こさないためにも「福知山線脱線事故」を記憶にとどめ、後世に語り継いでいきたいと思います。