日本の地震~死者数など被害・規模の大きさランキング17選まとめ

日本はこれまで、関東地震、東海地震、東南海地震、三陸地震など、定期的に巨大地震が日本列島を襲ってきました。

 

今回は、日本でこれまでに起きた地震(歴史地震も含む)死者数1,000人以上の巨大地震について被害の規模順にランキング形式で総まとめしました。

日本の地震~被害の大きさランキング1位~5位

「地震大国日本」とも言われているほど、地震が多い日本。

 

今回は、近年最も大きな被害が出た地震を被害の大きかった(死者数など)順に、ご紹介していきましょう!

 

 

日本の被害の大きい地震ランキング1位:関東地震

 

日本史上最悪の災害で知られる1923年9月1日「関東大震災」を引き起こしたこの地震。


東京・神奈川が死者の9割以上を占め、建物の全壊が109,000棟に対し、全焼が212,000棟となっていることから、被害者の9割が火災による死者と言われていました。

 

 

死者:105,385人

 

1日正午ごろ、富士火山帯を中心に大地震があり、関東各地で甚大な被害が出た。関西から東京への電話はつながらず、被害の全容はつかめないが、鉄道局などに届いた各種の情報を総合すると、静岡県沼津市より東側、神奈川県横須賀市や横浜市、東京方面にかけての被害が大きい。各地で家屋が倒壊・炎上し、多くの死傷者が出ている模様。鉄道や通信網にも被害が出ている。濃尾大震災以来の震災になった。

 

引用:言語に絶する大混乱 関東大震災(1)

 

 

 

 

 

日本の被害の大きい地震ランキング2位:東北地方太平洋沖地震

 

東北地方太平洋沖地震は、2011年(平成23年)3月11日14時46分頃に、日本の三陸沖の太平洋を震源として発生した地震です。

 

地震の規模はマグニチュード9.0で、日本の観測史上最大規模となりました。また宮城県で最大震度7が観測され、この震度7の観測は1995年の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)、2004年の新潟県中越地震以来の、観測史上3回目となる地震でした。

 

この地震による被害は「東日本大震災」と呼ばれ、本震の地震とそれに伴う津波、そしてその後の余震は東北から関東にかけて広範囲に渡り、東日本一帯に甚大な被害をもたらしたことで、日本史上、第二次世界大戦後最悪の自然災害となってしまいました。

 

 

死者・行方不明者 24,627人

東北地方太平洋沖地震は、関東大震災以来、およそ90年ぶりに1万人を超える死者をもたらした巨大地震となりました。


関東大震災では、死者の死因9割が焼死だったのに対し、こちらは死因の9割以上が津波によるもので、焼死・圧死は1割にも満たなかったことが分かっています。日本は免震・耐震において、世界中のどこの国よりも厳しく、津波が世界共通語になる程の国でしたが、それでも甚大な被害は免れなかったのが、この地震でした。

 

原発問題も含め、残った課題は果てしなく大きいものとなってしまいました。

 

「気仙沼港は火の海。すごいことになっている。」

 

午後5時半すぎ、気仙沼港口にある漁船用燃料タンクが津波に倒され、火が出た。その火が漂流物に次々に燃え移っている。さらに、波が押し寄せるたびに、燃え移った漂流物が街の中に入り、民家に延焼している。あちこちで火が上がり、『バーン、バーン』という爆発音もあちこちで聞こえる。気仙沼市街地北側で火柱が3本見える

 

引用:「気仙沼港が火の海」 市街地の民家へ延焼、爆発音も

 

※津波の映像が流れます。ストレスに感じる方もいるので閲覧に注意して下さい。

 

 

 

 

 

 

 

日本の被害の大きい地震ランキング3位:明治三陸地震

 

 

明治三陸地震は、1896年(明治29年)6月15日午後7時32分30秒、日本の岩手県上閉伊郡釜石町(現在の釜石市)の東方沖200kmの三陸沖を震源として起こった地震でした。

 

マグニチュードは8.2~8.5の巨大地震で、この地震に伴い、東北地方太平洋沖地震前まで本州における観測史上最高の海抜38.2mを記録する津波が発生していて、甚大な被害を被りました。

 

なお、この地震を機に「三陸海岸」という名称が広く使用され始めたとのことです。

 

 

死者:21,915人

 

高さ40メートル近い波が三陸海岸を襲い、死者が2万人を超えた1896(明治29)年6月15日の「三陸地震津波」では、岩手県北部の太平洋岸に位置する田野畑村の羅賀(らが)という集落で標高29メートルの高さまで海水が駆け上がった。このときに海中の巨石が、海岸線から約250メートル内陸の標高25メートルの畑地まで運び上げられた。

 

引用:明治三陸地震津波(1896年)

 

 

 

 

日本の被害の大きい地震ランキング4位:濃尾地震

濃尾地震(のうびじしん)は、1891年(明治24年)10月28日に濃尾地方で発生した、日本史上最大の内陸地殻内地震であり、「美濃・尾張地震(みの・おわりじしん)」とも呼ばれています。

 

辛卯の年に発生しているので、辛卯震災と呼んでいる報告書もあるそうです。

 

 

死者:7,273人

 

岐阜県南西部の西根尾村(現本巣市)が震源でマグニチュード(M)8・0を記録。阪神大震災(1995年、M7・3)を超える国内史上最大の内陸地殻内地震といわれる。これを機に震災予防の機運が高まり、政府が近代地震学の基礎となる震災予防調査会を設置した。

引用:濃尾地震 M8.0、内陸地殻内で最大

 

この地震では、濃尾2県以外にも、近隣である滋賀県や福井県にも被害は及んだと言われています。明治時代のなかで、最大規模の地震で、宇佐美龍夫の「新編日本被害地震総覧」によれば、死者は7273名、負傷者17175名、全壊家屋は14万2177戸と報告されています。

 

この地震の揺れにより山の木が全て崩れ落ち、”はげ山になった”などとも伝えらています。また岐阜市とその周辺では火災も発生したためさらに被害が拡大してしまったそうです。岐阜の壊滅を伝える新聞記者の第一報では、「ギフナクナル(岐阜、無くなる)」だったと言われています。

 

 

 

日本の被害の大きい地震ランキング5位:兵庫県南部地震

兵庫県南部地震は、1995年(平成7年)1月17日に兵庫県南部を震源として発生した地震で、兵庫県南部を中心に甚大な被害と発生当時は、戦後最多となる死者数を出した「阪神・淡路大震災」を引き起こしました。

 

日本では初めての大都市直下を震源とする大地震だったことから、気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7が記録された地震でもあります。

 

地震の震源は野島断層(六甲・淡路島断層帯の一部)付近で発生し、地震により断層が大きく隆起してしまったため、地表にも露出してしまいました。

 

 

死者・行方不明者:6,437人

 

兵庫県南部地震は、発生時、冬場の早朝だったため、自宅で就寝中に地震に見舞われた人が数多く、死因の80%が建物や家具の倒壊による圧死(窒息死)だったことが判明しています。

 

電気・ガス・水道・電話などのライフラインや道路・鉄道などの交通網は広範囲に渡り破壊され、全く機能しなくなってしまいました。

 

津波の影響は小さかったですが、大規模な火災も発生してしまい、東日本大震災が発生するまでは、戦後最悪の自然災害と言われていました。

 

 

 

 

 

日本の地震~被害の大きさランキング6位~12位

日本の被害の大きい地震ランキング6位:福井地震

福井地震は、1948年(昭和23年)6月28日16時13分29秒に発生し、福井県を中心とし北陸から北近畿を襲った地震で、福井大地震とも言われています。

 

震源は福井県坂井郡丸岡町(現在の坂井市丸岡町)付近で、戦後復興間もない福井市を直撃した都市直下型地震でした。規模はM7.1と推定されています。

 

 

死者・行方不明者:3,769人

 

福井地震は、昭和東南海地震の影響を受けた誘発地震とも考えられているようで、この頃戦後の復興途中でもあっため、脆弱な建物が多くそびえ立つ人口密集地が被災地だったために、東日本大震災・阪神淡路大震災に次ぐ、戦後3番目の甚大な被害を被りました。

 

またマッチ工場からの出火や、夕食時の家庭からの出火なども多かったため、多くの火災が発生してしまい、数百人規模の人間が焼死したと報告されています。

 

3769人の犠牲者と3万6184棟の全壊家屋を数えた福井地震は28日、発生から70年を迎える。福井県丸岡町(現坂井市)を震源とするマグニチュード7.1の激しい揺れは1948年6月28日午後4時13分に発生、夕食の準備時にも重なり、福井市などで火災を引き起こした。70年となる28日は追悼式が営まれるほか、犠牲者を悼む催しがある。

 

引用:発生70年で追悼式や催し 28日に

 

 

 

 

 

 

日本の被害の大きい地震ランキング7位:昭和三陸地震

昭和三陸地震は、1933年(昭和8年)3月3日午前2時30分48秒に、岩手県上閉伊郡釜石町(現在の釜石市)の東方沖約 200 kmを震源として発生した地震で、気象庁の推定によればこの地震の規模はM8.1とされています。

 

 

死者・行方不明者:3,064人

 

明治三陸地震の震源が、海岸から200km以上と遠かったことから、地震そのものの被害は少なかったそうですが、地殻変動によって大津波が襲来したことで、沿岸部に甚大な被害をもたらしました。津波の高さは、最大で28.7mを記録しました。

 

1933(昭和8)年の昭和三陸地震の記録が刻まれた「津波石」と呼ばれる巨岩が、東日本大震災の津波をきっかけに岩手県大船渡市三陸町吉浜(よしはま)地区の土中から見つかった。この地区では当時の津波の教訓が伝え守られ、高い場所に人家があったため、震災の被害が比較的少なかったことで知られる。住民たちは改めて先人の教えに感謝し、掘り出して現地に展示している。

引用:津波の教訓刻む巨岩…「東日本」で再び露出

 

 

 

日本の被害の大きい地震ランキング8位:北丹後地震(2925人)

北丹後地震(きたたんごじしん)は、1927年(昭和2年)3月7日、18時27分39秒に発生した地震で、震源は京都府丹後半島の北部M 7.3の地震でした。兵庫県の豊岡町(現在の豊岡市)、京都府の宮津町(現在の宮津市)、峰山町(現在の京丹後市)で震度6、京都市、兵庫県洲本市、福井県福井市、敦賀市、奈良県奈良市、広島県福山市で震度5を記録した地震です。

 

 

死者:2,925人

 

北丹後地震では、最も被害が大きいとされる京丹後市で、7~9割の建物が倒壊しています。


地震の発生時刻が夕方だったために、食事や暖房で火を使用していた家庭も多かったため大規模な火災が発生してしまい、大勢の焼死者を出してしまいました。


震源地から離れた大阪市内においても、液状化現象を発生させ、西日本に甚大な被害をもたらしてしまいましたが、この地震をきっかけに地震学が大きく発展していきました。

 

 

 

 

 

 

日本の被害の大きい地震ランキング9位:三河地震

 

三河地震(みかわじしん)は、1945年1月13日午前3時38分23秒に、愛知県の三河湾で発生したM6.8の直下型地震です。

 

また、三河地震は、1945年の終戦前後にかけて4年連続で起きた1,000人を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、東南海地震、南海地震)の1つのことでもあります。

 

 

死者・行方不明者:2,306人

 

三河地震発生時は、戦時下ということもあったため、国民の士気低下を嫌う軍部によって隠蔽されてしまい、大規模な報道はされませんでした。

 

それが原因で、軍部による小規模な救助活動以外は、近隣県からの救助活動や支援が全くなかったため、被害を拡大させてしまいました。直下型の地震でしたが、壊滅した集落の隣の集落はほぼ無傷だったり、都市によって被害状況に大きな差がでた地震でした。

 

この地震の37日前に起こった昭和東南海地震によってダメージを受けた建物が十分に修理されないままこの三河地震を受けてしまい、それによって倒壊した家屋も多かったそうです。近年発見された資料によると、愛知県の一部だけで2,652人が死亡したと記されています。

 

 

 

 

日本の被害の大きい地震ランキング10位:昭和南海地震

 

昭和南海地震は、1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分過ぎに潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78 km、深さ24 kmを震源とした、M8.0の地震です。

 

1946年南海地震とも呼ばれ、「南海地震」といえばこの地震を指すことが多いそうで、南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生しています。

 

 

死者:1,330人

 

90年程度の周期で定期的に発生していると予測されている南海地震ですが、他の年代に比べて昭和南海地震は、比較的規模の小さかった地震だったと言われています。

 

津波の高さもそれほど高くはありませんでしたが、それでも沿岸部には甚大な被害をもたらした地震でした。敗戦後の焼け野原の状態から、街を復興させようと懸命になっていた矢先の大災害だったために、人々に追い討ちをかけるような地震の甚大な被害に、人々はかなり苦しめられることになった出来事でした。

 

 

 

 

日本の被害の大きい地震ランキング11位:昭和東南海地震

昭和東南海地震は、1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分に、紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約 20 kmから浜名湖沖までの破壊が進行した、M7.9プレート境界型巨大地震のことです

 

東南海地震震源域で発生した前回の巨大地震だった安政東海地震から、およそ90年ぶりの発生となった地震だったそうです。

 

 

死者:1,223人

 

昭和東南海地震は、戦時下のさなかでもあり、真珠湾攻撃3周年を迎える年でもあったため、国民の士気を低下させる情報として軍部によって徹底的に隠蔽された事柄でした。

 

被災地住民にも箝口令が敷かれ、被災地はさらに孤立していったと言われています。こうした状況下だったため、正確な死者数などの詳細は分かっていません。

 

ちなみに地震計の情報によって、連合国はこの大地震を正確に把握していて、アメリカ軍が撮影した被災地の写真も残っているといいます。その後震災直後に、津波被害の最も大きかった名古屋地区の軍事工場一体はアメリカ軍によって大規模な空爆を受けました。

 

 

 

 

日本の被害の大きい地震ランキング12位:鳥取地震

 

鳥取地震は、第二次世界大戦中だった1943年(昭和18年)9月10日17時36分54秒に発生した地震です。

 

震源地は、鳥取県気高郡豊実村(現在の鳥取市)野坂川中流域で、M 7.2と推定されています。震源は極めて浅く、気高郡湖山村(現在の鳥取市)で震度6、瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5を記録した地震でした。

 

この地震により、1945年の敗戦前後にかけて4年連続で1,000名を超える死者を出してしまった4大地震(東南海地震、三河地震、南海地震)の1つになります。

 

 

 

死者:1,083人

 

鳥取地震は、戦時中に発生した大地震だったため、古い家屋なども多く、倒壊率は80%に達したと言われています。

 

夕食時だったこともあり多くの家で火災が発生しましたが、うまく延焼を食い止めることに成功したので、関東大震災のような火災による甚大な被害は発生しませんでした。


また、関東大震災直後の厳戒態勢の戦時中ということもあってか、避難や対策がスムーズで、大きな混乱は起きなかったそうです。ちなみに、男性は出兵のため少なかったため、死者の性別は女性が6割に達しています。

 

この震災により、戦時中にも関わらず国内外からたくさんの支援が寄せられていたことが分かっていますが、資料が消失しているため詳細不明とのことです。

 

 

 

 

 

 

日本の地震~規模の大きさランキング1位~5位

 

近代観測が始まる前の地震のことを「歴史地震」と呼びます。

 

歴史地震とは、歴史時代に発生した地震のなかで、地震計を始めとする近代的観測機器が存在しなかった時代に属していて、また記録で確かめられるもののことを言うそうです。

 

それら歴史地震は、古文書や災害記念碑という形で現代までに伝えられてきました。今回は、規模の大きかった歴史地震を紹介します。

 

 

日本の規模の大きな地震1:白鳳地震(684年)

 

歴史地震の中で、最も最古の観測された地震が白鳳地震(はくほうじしん)で、白鳳時代(飛鳥時代後期)の天武天皇13年(684年)に起きていて、南海トラフ沿いの巨大地震と推定される地震です。

 

 

西日本を襲った巨大地震

 

白鳳地震は、白鳳の大地震(はくほうのおおじしん)、白鳳大地震(はくほうおおじしん)、または天武地震(てんむじしん)とも呼ばれています。

 

記録によると、土佐や伊予の被害の様子から南海道沖の地震と考えられていたことなどから、白鳳南海地震(はくほうなんかいじしん)とも呼ばれていましたが、その後の発掘調査により、ほぼ同時期に東海道沖も震源域となったことが推定されています。

 

五十余万頃(しろ)は約12平方キロに相当する。高知県の海岸沿いの沈降や浸水の状況を詳しく記録している。白鳳地震は、後の安政南海地震(1854年)、昭和南海地震(1946年)などと同じく、南海トラフを震源とする巨大地震とされる。日本書紀には「古老いわく『このような地震は、未曽有なり』」とも書かれており、当時の日本人が激しい揺れと津波に恐れおののく様子が伝わってくる。

 

引用:古文書が語る日本災害史、刻まれた「先人の教え」

 

 

 

日本の規模の大きな地震2:貞観地震(869年)

 

貞観地震(じょうがんじしん)は、平安時代前期である貞観11年5月26日に、日本の陸奥国東方沖(現在の日本付近)の海底を震源として発生したであろうと推定されている巨大地震のことです。

 

地震の規模はマグニチュード8.3以上であったと推定されていて、地震に伴い発生した津波による被害も甚大だったことが判明しています。この地域に周期的に発生する三陸沖地震の1つとして捉えられていたため、貞観三陸地震とも言われているようです。

 

 

平安時代にも東北地方に大地震がきていた

 

2011年3月11日に起きた「東北地方太平洋沖地震」が、この地震の再来ではないかと言われていました。

 

北海道大学の平川一臣特任教授らは岩手県宮古市の地層調査から、869年の「貞観地震」の規模が東日本大震災並みのマグニチュード(M)9級だった可能性があることを明らかにした。また宮城県気仙沼市の海岸の崖で、過去6000年間に6回の大規模な津波があったことを示す明確な痕跡も見つけた。

 

引用:貞観、M9級の可能性

 

 

 

 

 

日本の規模の大きな地震3:天正地震(1586年)

天正地震(てんしょうじしん)とは、天正13年11月29日(1586年1月18日)に、日本の中部で発生した巨大地震です。濃尾地震をも上回る広範囲での被害が記録されていて、マグニチュードは7.8~8.2と推定されています。

 

 

出典:https://matome.naver.jp

・震源地:伊勢湾内

・マグニチュード:8クラス

 

天正地震は、天正大地震(てんしょうおおじしん)、天正の大地震(てんしょうのおおじしん)とも呼ばれていました。また、各地の被害の様子からから長浜大地震(ながはまおおじしん)、白山大地震(はくさんおおじしん)、木舟大地震(きふねおおじしん)、天酉地震とも呼ばれていたことが分かっています。

 

「東寺執行日記」「多聞院日記」などの多くの古記録に残されていて、「梵舜日記」には約12日間にわたる余震があったと記録されているようです。

 

 

 

 

日本の規模の大きな地震4:慶長三陸地震(1611年)

慶長三陸地震は、1611年12月2日(慶長16年10月28日)に起きた大地震で、午後2時頃に大津波があったことを記録されています。「武藤六上衛門所蔵古大書」には「大地震三度仕」と記されていて、3度大きく揺れたことを記録しています。

 

当時、日本を探検中だったビスカイノらも、奥州沿岸の測量中に地震と津波に遭遇してしまったようで、その記録を残しているそうです。

 

 

青森県・岩手県・宮城県を襲った地震

 

この地震で、現在の三陸海岸一帯は強い地震に見舞われましたが、太平洋側沿岸における震度は4~5程度と推測されていて、この地震による被害はほとんどなく、津波による被害が大きかったことから津波地震と推定されています。

 

この地震による津波被害においては、「慶長三陸地震津波」あるいは「慶長三陸津波」とも呼ばれています。この地震が起こる7年前には日本の太平洋沿岸で大津波が発生していました(慶長地震)

 

ちなみに、この地震が発生した当時、「三陸」という地域名称は存在しませんでした。

 

 

 

日本の規模の大きな地震5:宝永地震(1707年)

宝永地震(ほうえいじしん)とは、江戸時代の宝永4年10月4日(1707年10月28日)に、東海道沖から南海道沖を震源域として発生した巨大地震のことです。

 

南海トラフのほぼ全域にわたり、プレート間の断層破壊が発生したと推定されていて、記録に残る日本最大級の地震とされています。宝永の大地震(ほうえいのおおじしん)、または、宝永大地震(ほうえいおおじしん)とも呼ばれ、亥の大変(いのたいへん)とも呼ばれているそうです。

 

ちなみに、この地震の49日後に起きた宝永大噴火は亥の砂降り(いのすなふり)と呼ばれています。

 

 

今から300年前に起きたM9クラスの地震

 

産業技術総合研究所の石川有三・招聘(しょうへい)研究員は1707年に西日本などを襲った「宝永地震」の規模が、東日本大震災並みのマグニチュード(M)9級だったとの分析結果をまとめた。古文書の記録から算出した。従来はM8.6程度と推定され、西日本でM9級の地震は知られていなかった。政府や自治体の防災計画に影響する可能性がある。

 

引用:M9級、西日本でも 300年前の宝永地震

 

 

まとめ

・日本の被害の大きい地震ランキング1位は関東大震災で死者は105,385人に上る。

・日本の歴史地震の中で最も規模の大きな地震は宝永地震で東日本大震災並みのマグニチュード(M)9級だったと言われている。

 

いかがでしたでしょうか?

 

過去の甚大的被害をもたらした地震を紹介しました。「地震大国日本」と言われるだけあって定期的に大きな地震がきているようです。また、「南海トラフ地震」がくると予言している方もいるとのことです。

 

「備えあれば患いなし」ということわざがあるように、いつ地震がきてもすぐに逃げられるように、震災に備えておきましょう!

 

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