2000年代に話題になったウォーキングメソッド「デュークズウォーク」の生みの親・デューク更家さんの現在に興味が集まっています。
今回は、デューク更家さんの経歴や嫁や娘などの家族、兄弟の噂やウォーキングの弟子、現在の様子などについてまとめました。
この記事の目次
デューク更家のプロフィール
デューク更家のプロフィール
本名 :更家拓也
生年月日:1954年4月10日
出身地 :和歌山県新宮市
身長 :177cm
血液型 :A型
デューク更家さんは、2002年から2006年にかけて大流行し、テレビなど各メディアでも度々取り上げられた「デュークズウォーク」を確立したウォーキングトレーナー、ウォーキングドクターです。
「デュークズウォーク」は、デューク更家さんが、気功や呼吸法、運動生理学、バレエに武道、ヨガやピラティス、さらには能や花道に至るまで、歩く事に関連する様々な分野の知識を取り入れて確立したウォーキングエクササイズ法で、正しい姿勢でエクササイズをしながら歩く事で細胞から身体を活性化させ、健康で美しい身体を作り上げるのに効果が高いとして、女性を中心に絶大な支持を集めています。
デューク更家の経歴① ウォーキングトレーナーになるまで
デューク更家さんは、上に3人の姉を持つ長男として生まれました。4人目にしてやっと出来た男の子だったという事で、お母さんはとても大切に育ててくれたそうで、デューク更家さんもとてもお母さん子だったのだとか。
デューク更家さんは、新宮市立緑丘中学、和歌山県立和歌山北高校、大阪経済大学経済学部と進み、中学から大学まではかなり本格的にバスケットボールに打ち込みました。
バスケットボール選手として注目され、大学進学時には強豪校からのスカウトもされたそうなのですが、デューク更家さんは、アルバイトをしたいからとその誘いを断ります。
1978年3月の大学卒業後も就職せずにブティックの店員などのアルバイトとして働き続け、そこで貯めた資金でジーンズショップを開店し独立しますが、経営に失敗して多額の借金を背負う事になります。
デューク更家さんはその借金を返すために、焼き鳥屋や市場、レストランなど様々なアルバイトを掛け持ちして4年かけて完済しています。その間、元々ファッションに興味があったという事でショーの勉強をし、その後にファッションショーの演出の仕事を始めています。
デューク更家の経歴② 最愛の母の死をきっかけにウォーキング指導者の道へ
デューク更家さんがファッション業界での仕事に慣れてきた頃、最愛の母が「肝硬変」を患います。デューク更家さんの母の主治医は、治療の一環として「たくさん歩くと良い」と勧めたのだそうです。
それでデューク更家さんも「お医者さんが言っているのなら、たくさん歩けばええやん」とお母さんが歩く事を後押しします。
アドバイスを信じ、毎日たくさん歩いていたデューク更家さんの母でしたが、その結果両膝を悪くし、階段から転落して車椅子生活になり、母はショックを受けて、それからわずか半年後に亡くなってしまったのだそうです。
デューク更家さんは、健康になると信じてたくさん歩いた事が、母の命を奪う一因となった事に疑問を覚え、それをきっかけにして「歩くのはどういう事か?本当に健康にいい事なのだろうか?」と深く考えるようになります。
デューク更家さんは「歩く」という事について突き詰めてみようと思い立ち、医学やスポーツ関連の本を読み漁り、クラシックバレエの回転、相撲の股割りの効果など、歩く事に関係のありそうな事ならば、どんな分野でも徹底的に研究したのだそうです。
すると、次第に「ただ長い距離を歩けば良いというわけではない」「正しい姿勢や歩き方が大切で、正しい歩き方を身につけてから歩く事ではじめて健康になるのだ」という事が、理論的にわかってきたのだそうです。
デューク更家さんは、こうして得た理論を活かしウォーキングトレーナーになる事を決意します。「このままでは母のように、間違った歩き方をした結果苦しむ人が出てくる、その現状を変えたい」という想いもその決断を後押ししました。
デューク更家の経歴③ 「デュークズウォーク」で大ブレーク
40歳の手前頃ウォーキングトレーナーという道を選んだデューク更家さんでしたが、当時はウォーキングブームが来る以前であり、ただ「歩く」という事を教えてもらうためにお金を払おうとする人はほとんどいませんでした。
そのため、仕事はほとんどなく、デューク更家さんはまたしても5年から6年にもわたる借金生活へと突入します。
しかし、デューク更家さんは諦めず、コミカルな動きで体操をしながら歩くという現在の「デュークズウォーク」のスタイルを確立していきます。
そうして個性的なスタイルを貫いていると、次第に雑誌やテレビなどのメディアが取り上げてくれるようになり、いつの間にかデューク更家さんの教室は満員になっていきます。
そんな折、様々な分野で活躍する人に密着するドキュメンタリー番組「情熱大陸」の出演依頼が舞い込みます。これを受けて、デューク更家さんは「どうせテレビに取材されるならモナコ在住の方がインパクトが強いだろう」と考え、兼ねてから夢だったというモナコ公国への移住を2002年に実現させ、そこで密着取材を受けています。
そして、その「情熱大陸」が放送されるや否や、デューク更家さんの人気は爆発。この時には月の収入が1億円以上あり、それが1年以上も続いたという事なので、どれほどの大ブレークだったかがわかります。
以降、デューク更家さんは順調に事業を展開し、現在は、日本と生活拠点を置くモナコを往復する生活を送りながら全国にウォーキングスクールを展開し、年商数100億円とまでいわれるほどまでに成長させています。
デューク更家の家族① 嫁・更家由美子
続いては、デューク更家さんの家族を紹介します。
デューク更家さんの嫁は、1991年に結婚した更家由美子さんです。当時、更家由美子さんがデューク更家さんの知人の社長の秘書をしており、その縁で知り合ったのだそうです。
嫁・更家由美子さんに対するデューク更家さんの第一印象は「べっぴんやけど、真面目そうで俺には合わないな」というものでした。
一方、嫁の更家由美子さんのデューク更家さんに対する第一印象は「人を楽しませる事ができる魅力的な人」だったそうですが、同時に、派手な遊び人だったデューク更家さんの事を警戒もしていたとの事。
初めての出会いから3年後、2人でバーで飲む機会があり、デューク更家さん曰く、この時に更家由美子さんの顔の横に赤ちゃんの顔が浮かび、結婚を意識するようになったのだそうです。
プロポーズはデューク更家さんからで、「結婚してくれませんか?」というシンプルな言葉だったようです。
デューク更家さんの嫁・更家由美子さんの年齢については公表されていませんが、2002年3月にモナコの病院で次女を出産したのが40歳の時だったと更家由美子さん本人がブログにて明かされているので、現在(2020年4月時点)の年齢は58歳前後ではないかと推測されます。
デューク更家の家族② 娘(長女)・小麦
デューク更家さんの家族2人目は、娘(長女)の「小麦」さんです。「小麦」さんについては、更家由美子さんがブログで、次女の出産について「10年ぶりの妊娠」と書いているので、次女の生まれた2002年の10年前、1992年頃に誕生されているようです。
デューク更家さんは2002年に一家でモナコに移住しているのですが、その時には娘の小麦さんは10歳、それまでは東京のインターナショナルスクールに通い、モナコに移住した後は、現地のインターナショナルスクールへと編入学しています。
その後、小麦さんはモナコ大学経営学部を経て、2015年の時点ではイギリス・ロンドンでゲームソフト会社「キング・デジタル・エンターテインメント」(キャンディークラッシュの会社)に勤めていたようです。
デューク更家さんの娘(長女)の小麦さんは、2020年4月の現在は、28歳前後のはずですが、現在何をされているのかについては不明です。
デューク更家の家族③ 娘(次女)・クリステル紗々
デューク更家さんの家族の3人目はモナコで生まれた娘(次女)のクリステル紗々(さしゃ)さんです。
誕生はデューク更家さんが家族の拠点をモナコへと移した2002年、現在は17歳か18歳のはずです。
嫁の更家由美子さんが、このクリステル紗々さんの妊娠中に「モナコで優雅な子育てをしたい」と思い立った事が、デューク更家さん一家のモナコ移住のきっかけになりました。
モナコで生まれたクリステル紗々さんは、「インターナショナルスクールオブモナコ」に通い、その後はイギリス・ロンドンの大学へと進学されたようです。
デューク更家にはテリー伊藤やゴルゴ13との兄弟説も存在
実は、デューク更家さんとタレントのテリー伊藤さんが兄弟ではないかという噂があるようです。
テリー伊藤さんは1949年12月生まれなので、デューク更家さんの兄という事になりますが、デューク更家さんは3人の姉の下に生まれた長男なので、テリー伊藤さんとの兄弟説は2人がそっくりな事が出たデマ情報でした。
また、デューク更家さんと「ゴルゴ13」ことデューク東郷が兄弟だとする説も出ていますが、こちらももちろんネタです。
デューク更家の弟子・ウォーキングインストラクターとは
デューク更家さんは「デュークズウォーク」を学べるウォーキングスクールを全国展開されていますが、その全国のスクールで指導にあたっているのが、デューク更家さんの弟子にあたる「ウィーキングインストラクター」達です。
このデューク更家さんの弟子「ウォーキングインストラクター」は、デューク更家さんの開発したウォーキングメソッドを理論から学び、ウォーキングのプロフェッショナルとしての技術を身につけています。
デューク更家さんの弟子「ウォーキングインストラクター」は、教室や講習会などで大人数に向けて、エクササイズや歩き方を指導する「ウォーキングスタイリスト」と、主に少人数やマンツーマン指導で、チャクラを活性化させるエクササイズや歩き方を指導する「ウォーキングセラピスト」の2つの役職に分かれています。
「ウォーキングスタイリスト」は、その技術レベルによって階層化されており、最高位の「マエストロ」から下に「プロフェッサー」、「セカンドプロフェッサー」、「キュレーター」、「ナビゲーター」と続きます。
この、デューク更家さんの弟子「ウォーキングインストラクター」になるためには「インストラクター養成セミナー」を受講し認定を受ける必要があります。
しかし、2020年4月の現在は新規募集はされていないようです。
デューク更家の現在① 一時は激太りしていた
続いては、デューク更家さんの現在についても見ていきましょう。
2014年、デューク更家さんはバラエティ番組「有吉反省会」に出演し、現在激太りしている事を反省しました。
番組では、ぽっこり出たお腹で生徒達の指導にあたるデューク更家さんの映像が公開され、エクササイズでは生徒達より先にバテてしまうという、全く説得力の欠ける指導ぶりに、スタジオからツッコミが殺到していました。
さらに、番組内でデューク更家さんは「実はあんまり歩かない」と衝撃の告白までしています。
デューク更家の現在② コロナウイルス対策エクササイズを考案
2020年4月現在、世界中で「新型コロナウイルス」への脅威が広がっていますが、デューク更家さんはこの脅威に対抗するため「新型コロナウイルス対策エクササイズ」を考案されたようです。
現在もYouTubeで公開されているため、自宅で試してみてはいかがでしょうか?
まとめ
今回は2002年から2006年にかけて話題になったウォーキングエクササイズ「デュークズウォーク」の生みの親、ウォーキングインストラクター、ウォーキングドクターのデューク更家さんについてまとめてみました。
デューク更家さんは、最愛の母の死をきっかけに、健康を促進するウォーキングメソッド「デュークズウォーク」を考案しました。
当初は中々受け入れられず、借金を背負うなど苦労されたデューク更家さんでしたが、その個性的な取り組みは次第に人々の注目を浴び、「情熱大陸」で取り上げられた事で一躍大ブレークを果たされました。
現在もウォーキングスクールの経営に力を注がれている様子で、「新型コロナウィルス対策エクササイズ」なども考案されているようです。今後のデューク更家さんの活躍も楽しみです。