カールルイスさんと言えば日本でも人気がある伝説の陸上競技選手ですが、ドーピング疑惑で窮地に立たされた過去もあります。
今回はカールルイスさんのプロフィールや記録、ドーピング疑惑騒動とその後、名言、現在をまとめました。
この記事の目次
カールルイスのプロフィール
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陸上界においてカールルイスさんと言えば、今でも多くの方が名前を耳にしたことがあるかもしれません。
ここでは、陸上選手だった時代にどのような活躍を見せたのかを振り返ってみましょう。
カールルイスのプロフィール
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Carl Lewis(カール ルイス)
生年月日: 1961年7月1日
生誕地: アメリカ合衆国アラバマ州
身長: 188cm
体重: 88kg
カールルイスさんは、アメリカのアラバマ州で生まれ、その後ニュージャージー州で育ちました。
両親は元陸上選手で、兄はサッカーの元アメリカ代表です。また、妹のキャロル・ルイスさんも陸上の世界に進み、1983年にヘルシンキで行われた世界選手権で銅メダルを獲得しています。
カールルイスさんは、生粋のアスリートファミリーということになりますね。
1979年に行われたパンアメリカンゲームズにおいて、走り幅跳びで銅メダルを獲得し、注目を集めることになりました。
初めて大きな舞台に代表として選ばれたのは、1980年に開催されたモスクワ五輪でした。しかし、モスクワでは走ることが叶わず、成果を残していません。
モスクワ五輪は幻と呼ばれ、数多くの選手が名を残すことができない大会だったのです。
当時のモスクワは、ソビエト連邦と呼ばれるロシアの前衛となる国です。
ソビエト連邦は各国と冷戦状態だった中、開催が決定しましたが、アメリカのカーター大統領によりボイコットが提唱されました。これにより日本もボイコットを発表しています。
カールルイスさんが五輪で名を残すのは、1984年のソウルの地で世界中から注目を集める記録を出した時のことでした。
追い込み型スプリンターとして注目を集めた
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カールルイスさんは、アスリートとしては珍しく筋肉トレーニングは一切不要だと言い切っており、ほぼ行わなかったそうです。
走り方も独特で、かかとを地に付けない走り方で「タッピング走法」と呼ばれています。
レース序盤はスローペースで、後半のラストスパートにおいて一気に抜き去るスタイルに定評がありました。
現役時代に歌手活動をしていた
日本でも大人気の競技者となったカールルイスさんは、競技活動を続けながら日本で3枚のシングルを発売しています。
プロモーションの一環としてザ・ベストテンに出場した経験もありました。
小さい頃はチェロを弾いていた経験があり、エンターテイメントにも興味があったカールルイスさんは、歌を出せて本当に嬉しいとコメントしています。
番組内では、自身でメイクや髪型のセットができることを取り上げられ、司会の黒柳徹子さんにセンスを褒められていたカールルイスさん。
歌番組出演時の動画では、スタイルの良さが際立ち、歌もダンスも危なげなくこなしています。
ヴィーガンとして有名
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カールルイスさんは、元は菜食主義者として生きてきましたが、アスリート生活の中で乳製品や、卵などの動物性の食べ物を口にしない「ヴィーガン」に切り替えています。
結果的に目覚ましい記録を打ち出していることから、カールルイスさんに合っていたようです。
食生活に関しては、1990年にベジタリアン向けの本を出版し、多才な才能を発揮していました。
NBAからドラフト指名もされていた
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カールルイスさんの活躍に注目したのは陸上関係者だけではなかったようで、1984年のNBAドラフトにおいて、2つの球団から指名された実績を持っています。
カールルイスさんを指名したのはシカゴ・ブルズとダラス・カウボーイズでした。
そのまま陸上競技を継続したので、入団は断ったようです。
カールルイスのドーピング疑惑騒動① きっかけや真相
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カールルイスさんについて調べると、何かと「ドーピング」というワードが表示されます。
実は、ドーピングによって明暗が分かれてしまった大会があったのです。
カールルイスさんに何が起こったのかを見てみましょう。
カールルイスのドーピング疑惑
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1988年に行われたソウル五輪の選考会においてドーピング検査が行われ、カールルイスさんに陽性反応が出て、危うく出場停止になるところでした。
当時検出された成分は感冒薬で、興奮剤を摂取したという見方がされた模様です。最終的な審議の結果、出場許可されています。
この疑惑を受けた一件から、カールルイスさんは反ドーピング派として知られるようになりました。
「陸上選手は、一歩踏み出して自分達の手でドーピング問題を終わらせなくてはならない」と意見を述べています。
さらに、「1人の意見次第でドーピング問題を変えていくことができる」と、具体的なアクション例を語るカールルイスさん。
例えば、リレーチームに入れば、選手は誰が汚れているかが分かる。5年でメダルを失うようなリレーチームで何故走ろうとするんだ?選手の発言次第になってくる、『私は走らない。君が何をしているか知っている。どうなるか分かる。君がチームにいるなら走らない』とね。
引用:選手たちに反ドーピング運動を呼びかけるカール・ルイス氏 – AFP https://www.afpbb.com/
1980年代の判定方法に疑問を呈している
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1988年に3つの薬物検査において陽性反応が出ていた過去を振り返り、カールルイスさんは、ドーピング検査の判定薬品検査のリストに対して疑問を感じているようです。
植物性の生薬から興奮剤を知らない内に摂取していたという点に関し、「今は医薬品の薬物検査のリストにさえ載らないようなものだった」と語っています。
最初に検査を始めたとき、それ(禁止物質のリスト)に全てが載せられていたというのが真実だ。人体への(とある物質による)影響を見てからそれを調整し始めた。そう、だからもし私が今全く同じものを摂取しても陽性反応はないだろう。運動能力向上剤を摂取したことはないというのが事実だよ。
引用:選手たちに反ドーピング運動を呼びかけるカール・ルイス氏 – AFP https://www.afpbb.com/
カールルイスのドーピング疑惑騒動② 別選手の薬物疑惑で金メダルに
1988年に行われたソウル五輪決勝において、ベン・ジョンソンさんは、9.79秒という驚異のタイムでゴールしました。
カールルイスさんを大きく引き離し、ゴール時にはスピードを緩め人差し指を立てて勝利に対する喜びを全身で表現していたベン・ジョンソンさん。
しかし、競技が終わった後のドーピング検査で陽性反応が出て、金メダルを一瞬で剥奪されてしまったのです。
結果的に、2位でゴールしたカールルイスさんが銀メダルから金メダルへと繰り上げされました。
ただ、後日行われた記者会見においてベン・ジョンソンさんは、意図した薬物使用を否定し、「家族、友人、祖国に恥をかかせるようなことしません」とコメントしています。
カールルイスを殴りたいとコメントしたベン・ジョンソン
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ベン・ジョンソンさんは、2012年3月に発売された「週刊現代」においてドーピング疑惑に対してインタビューを受けています。
2012年の段階でも怒りが収まらないベン・ジョンソンさんは、「カールルイスを殴れるもんなら殴りたい」と率直に心境を語るベン・ジョンソンさん。
カールルイスさんも当時はドーピング疑惑を掛けられた1人で、なぜカールルイスさんがセーフで、ベン・ジョンソンさんがアウトだったのか、という問いにハッキリと答えています。
実はベン・ジョンソンさんは、自身に付いたスポンサーがナイキやアディダスといった大手企業では無かったことが原因だと考えているようです。
ベン・ジョンソンさんに付いたスポンサーは、イタリア企業の「ディアドラ」というシューズメーカーでした。確かに、ナイキやアディダスの企業規模を比較すると対等とは言えません。
「ソウルの前年(’87年)の世界選手権で私がルイスを破って世界新(9秒83)を記録して以来、セールスが飛躍的に伸び、世界一になろうとしていた。それが問題だった。私を犠牲にすることで、ディアドラを引きずり落としたかった誰かがいたというわけさ。」
引用:あの人はいま オリンピック選手篇 – 週刊現代 https://gendai.ismedia.jp/
実際にスポンサーの大小により審議が変わっていたのかという点に関しては、真偽の程は定かではありません。
ソウル五輪後、ベン・ジョンソンさんのスポンサーが降板し、出演していた共同石油のCMは打ち切りになっています。
大会だけではなく、その後の人生の明暗まで分けてしまうドーピング検査に対して、自分は犠牲になったと考えているようです。
カールルイスの華々しい記録
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世界中が見守るプレッシャーをものともせずに、次々と記録を打ち立ててきた、カールルイスさんの輝かしい現役時代をご覧ください。
ロサンゼルス五輪で全種目制覇
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1984年に開催されたソウル五輪において、カールルイスさんがエントリーした競技は100m、200m、走り幅跳び、4×100mの4種類でした。
出場した全てを金メダルで飾り、4冠を達成しています。
五輪の記録によると、陸上において4冠達成したのは遡ること1936年、ジェシー・オーエンスさん以来の快挙となり、世界中から注目を集めることになりました。
日本でもカールルイスフィーバーが巻き起こり、日本において芸能活動をするきっかけになったのです。
走り幅跳びで4連覇達成
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1992年以降は、短距離の競技のエントリーをしても金メダルを取る事が難しくなっていきました。
しかし、最後の大会まで走り幅跳びにおいて圧倒的な強さを見せてきたカールルイスさん。
初出場になった1984年のロサンゼルス五輪から、1996年のアトランタ五輪までの4大会において全て金メダルを獲得しています。
4大会連覇の難しさは、同条件の該当者が世界中で6人しかいないことから見ても明白です。
人類初の9.8秒台を記録
1991年の世界陸上が東京で開かれ、100m決勝においてカールルイスさんが世界新記録を更新しました。
人類初の9.8秒台へ到達したことで、大きな話題となったのです。当時の動画を見ることも可能です。
当時のスポーツ医学によると、2000年までに9.89秒に達することができるだろうと言われていましたが、その予測を9年も早く、9.8秒台へ名乗りを上げたことも注目された要因でした。
レースは後半まで最後尾を走っていたにも関わらず、残り30mで一気に加速したカールルイスさん。
恐ろしい速さでゴールをしたことで、解説者はコメントが追い付いていませんでした。
カールルイスの引退後の活動とは?
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カールルイスさんは1997年に競技生活から引退し、その後はイベントや慈善事業など、広い範囲で活していました。
タレントとして活躍していた
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引退から3年後の2000年、演技の勉強を行っているという近況を発表したカールルイスさん。
現在は子供向けのスポーツ番組やヒップホップの番組を担当し、将来はオールラウンダーな俳優になりたいと、意気込みを語っていました。
慈善事業にも注力していた
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カールルイスさんは、2007年よりドナルド・マクドナルド・ハウスの支援者として名乗りを上げて活動しています。
ドナルド・マクドナルド・ハウスとは、遠方に家族が入院した際に、病院の近くの建物を提供し、宿泊してもらうというボランティア事業です。
建物内においては、自炊や洗濯など日常通りの生活を送ることができ、これらにかかる支出を、支援によって成立させています。
元々は、難病の子供と家族を支援するために、アメリカの病院に作られた宿泊施設が始まりでした。
フィラデルフィア新聞社が紙面にて支援を募ったところ、マクドナルド社が名乗りを上げたことで、「ドナルド・マクドナルド・ハウス」と名付けられました。
主に団体が主宰するイベントへ参加して、呼びかけを行う役割を担うカールルイスさん。
「人のために尽くす素晴らしさを知りました」とコメントを発表しています。
カールルイスの人柄が分かる名言2つ
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当時、スーパースターと言われたカールルイスさんは、天性の才能に頼った競技生活を送っていたわけではありません。
人知れず努力を続け、挑戦を続けることの素晴らしさを発信しています。そんなカールルイスさんの人柄がうかがえる名言を紹介します。
99%の努力が必要
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ここ愚かな人間は、ただ速いから100mに勝てると思っている。
完璧と言えるくらいに99%の努力が必要であることを、全く理解していない。
引用:【カール・ルイス】陸上選手の英語の名言 16選 ‐ English-communication https://communication-english.com/
これまでの華麗な記録の裏には、日々の努力によって成立していると、言及しています。
トレーニングは楽しむ
楽しいと思う方法で毎日トレーニングせよ。ベストを尽くせば誇りに思える。
自分にとってのオリンピックで「達成感」という金メダルを勝ち取ろう。引用:カール・ルイスの名言 – 偉人たちの名言集 https://meigen.pt-hamamoto.biz/
トレーニングと聞くと苦しいイメージがありますが、カールルイスさんは、毎日継続させるためにも、楽しい方法を考えましょうと提唱しています。
カールルイスの現在① 国連で勤務
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陸上競技を引退したカールルイスさんの現在の様子を見てみましょう。50代後半を過ぎて、生活に変化は起きたのでしょうか。
経営者をしながら国連大使
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引退後、タレントとして活動していた期間もありましたが、現在のカールルイスさんは、マーケティングに関する会社を起業し、経営者として辣腕を振るっています。
その他に、国連の親善大使も担う、多忙な生活を送っているようです。
カールルイスの現在② 招致活動
出典: https://news.goo.ne.jp/
カールルイスさんの活動範囲の広さは留まるところを知りません。五輪招致活動のサポーターとして世界を駆け巡っています。
まだ東京五輪の開催が決まる前の2013年に東京に赴き、国立競技場を視察しました。
施設内の説明を受けて、「このスタジアムも新しい日本の象徴となり、東京での五輪開催に向けて力になると思う。」とのこと。
現在は、2024年に開催されるオリンピックのロサンゼルス招致活動に取り組んでいます。
カールルイスさんは、招致プロモーションビデオに登場して熱い思いをぶつけています。
カールルイスの現在③ スポーツを続けている
エアリアルシルクに夢中
Carl Lewis doesn’t run anymore—he flies, with a workout using aerial silks. http://t.co/bpaYTvymha pic.twitter.com/28jBYEr4NK
— The Wall Street Journal (@WSJ) September 7, 2015
カールルイスさんは、現在マラソンを行っていませんが、趣味としてエアリアルシルクを楽しんでいます。
エアリアルシルクとは、本来大道芸の1つで、天井から絹をぶらさげて体幹を駆使してバランスを取るパフォーマンスです。
陸上競技を引退してから長い年月が経過していますが、引き締まった体躯は変わらないようです。
まとめ
出典:https://middle-edge.jp/
カールルイスさんは、短距離走において、ラストスパートで驚異の追い込み方が特徴的の陸上選手です。た。
現役時代は、ドーピング検査において陽性反応が出たことで大会出場が危ぶまれたこともありました。
結果的に出場は問題ありませんでしたが、一方でドーピング疑惑により金メダルを剥奪されたベン・ジョンソン選手のような悲劇もありました。
カールルイスさんは、走り幅跳びも得意で、五輪において4大会連覇という華々しい記録を叩き出しています。
1997年に陸上競技を引退すると、慈善事業やタレント業を行っていましたが現在は、会社の経営をしながら国連の親善大使として世界中を駆け回っています。
五輪の招致活動のMVに登場しているカールルイスさんの、今後の活躍が楽しみですね。