長年活躍した大女優の淡路恵子さんですが家族をめぐる波乱万丈な人生も話題です。
この記事では淡路恵子さんの家族について萬谷錦之助さんら2人の旦那との結婚と離婚、4人の子供(息子)、長男、次男、早逝した三男と四男との逸話、孫、死因などについてまとめました。
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- 淡路恵子のプロフィール
- 淡路恵子の家族① 父親は海軍軍人、母親は助産婦、歳の離れた兄2人
- 淡路恵子の家族② 最初の結婚の旦那はフィリピン人俳優ビンボー・ダナオ
- 淡路恵子と最初の結婚の旦那ビンボー・ダナオの離婚原因は度重なる浮気
- 淡路恵子の家族③ 2度目の結婚の旦那は歌舞伎役者で俳優の萬屋錦之介
- 淡路恵子と2度目の結婚の旦那・萬屋錦之介との離婚原因は不倫
- 淡路恵子の家族④ 子供は息子が4人で長男は俳優・島英津夫
- 淡路恵子の家族⑤ 子供のうち次男・井田照さんは一般の方
- 淡路恵子の家族⑥ 子供のうち三男は俳優・小川晃廣でバイク事故で死去
- 淡路恵子の家族⑦ 子供のうち四男は俳優・萬屋吉之亮で自殺により死去
- 淡路恵子の孫は2人で長男・島英津夫の娘と三男の小川晃廣の娘
- 淡路恵子の死因は食道がん
- まとめ
淡路恵子のプロフィール
淡路恵子のプロフィール
本名 :井田綾子
生年月日:1933年7月17日
没年月日:2014年1月11日(80歳没)
出身地 :東京府東京市荏原区(現在の東京都品川区荏原)
身長 :163cm
血液型 :AB型
淡路恵子さんは、1940年代の終わりから2010年代の初め頃まで長きにわたって活躍した大女優です。映画「野良犬」、「この世の花」、東宝の喜劇映画シリーズ「社長シリーズ」、「駅前シリーズ」、テレビドラマ「若い季節」、「男嫌い」などの代表作で知られています。
淡路恵子さんは1948年、府立第八高等女学校在学中にSKD(松竹歌劇団)に合格し、高等女学校を退学して松竹歌劇団の養成学校「松竹音楽舞踊学校」に4期生として入学。1949年に黒沢明監督の映画「野良犬」でデビューした後、1950年に松竹歌劇団に入団。草笛光子さん、深草笙子さんと「スリーパールズ」と呼ばれて絶大な人気を得ました。
多くの松竹映画に出演後、松竹歌劇団を退団し、1954年にアメリカのマーク・ロブソン監督のオファーを受けて米パラマウント映画「トコリの橋」に出演しています。
晩年は熟女枠としてバラエティ番組で人気を得て、2013年からは「アウト×デラックス」にもレギュラー出演し若者の人気も得ていました。
淡路恵子さんはプライベートでは、2度の結婚と2度の離婚。4人の子供のうち息子2人に先立たれるなど波乱万丈の人生でも知られています。
ここでは、そんな淡路恵子さんの家族についてを中心に紹介していきます。
淡路恵子の家族① 父親は海軍軍人、母親は助産婦、歳の離れた兄2人
出典:https://archives.bs-asahi.co.jp/
淡路恵子さんが生まれた実家の家族については、斎藤明美さんの「家の履歴書 男優・女優篇」で詳しく明かされています。
それによると、淡路恵子さんの父親は元海軍の軍人で淡路恵子さんの幼少期には胸を患って海軍省を辞めて自宅で療養していたそうです。淡路恵子さんは幼い頃、タバコが好きだった父親のためにシケモクを拾い集めて父親に渡していた事なども明かされています。
また、淡路恵子さんの母親は茨城県久慈浜の網元の娘で、地元で1度結婚したものの道楽者の旦那に愛想を尽かし息子2人(淡路恵子さんの父親違いの兄)を連れて家を出て東京へ出て助産師として働き始めた頃に淡路恵子さんの父親と出会い再婚したという事です。
淡路恵子さんの父親違いの兄は、13歳年上と11歳年上だったそうです。
淡路恵子の家族② 最初の結婚の旦那はフィリピン人俳優ビンボー・ダナオ
淡路恵子の1度目の結婚の旦那・ビンボー・ダナオ
本名 :Rodrigo Custodio Danao
生年 :1915年
没年月日:1967年7月23日
出身地 :フィリピン
淡路恵子さんは生涯に2度結婚され2度とも離婚されています。
淡路恵子さんの1度目の結婚は1953年で、旦那はフィリピン人俳優で歌手のビンボー・ダナオ(Bimbo Danao)さんです。
淡路恵子さんの1度目の結婚の旦那さんであるビンボー・ダナオさんはフィリピン出身の俳優、歌手で1930年代から1950年代までフィリピンで映画を中心に活躍し、クルーナー歌手としても人気を得ていました。
ビンボー・ダナオさんは歌手としては日本でも人気を得ており、淡路恵子さんは20歳の頃にステージを観に行った際に紹介され知り合っています。淡路恵子さんはビンボー・ダナオさんの甘い歌声とアメリカの大人気俳優であったクラーク・ゲーブルに似た顔立ちに魅力を感じ交際するようになったそうです。
ただ、ビンボー・ダナオさんはフィリピンで女優のイサ・デルガド(Isa Delgado)さんと結婚しており子供3人いたため不倫の関係でした。ビンボー・ダナオさんは離婚を禁じるカトリックの信者だったため本妻と離婚できず、淡路恵子さんとビンボー・ダナオさんとは事実婚でした。当時売れっ子女優として稼いでいた淡路恵子さんは、ビンボー・ダナオさんのフィリピンの本妻や3人の子供、両親に生活費を仕送りしていたそうです。
淡路恵子さんは、最初の旦那のビンボー・ダナオさんとの間に2人の息子(長男と次男)を出産していますが、1965年に離婚しています。その後、ビンボー・ダナオさんは1967年に52歳で死去しています。死因は腺肉腫でした。
淡路恵子と最初の結婚の旦那ビンボー・ダナオの離婚原因は度重なる浮気
出典:http://blog-imgs-55.fc2.com/
淡路恵子さんは、最初の結婚の旦那さんであるフィリピン人歌手で俳優のビンボー・ダナオさんと1967年に離婚(厳密には事実婚で結婚はしていなかった)していますが、離婚の原因はビンボー・ダナオさんの度重なる浮気だったという事です。
淡路恵子の家族③ 2度目の結婚の旦那は歌舞伎役者で俳優の萬屋錦之介
淡路恵子の2度目の結婚の旦那・萬屋錦之介
本名 :小川錦一
前芸名 :中村錦之助
生年月日:1932年11月20日
没年月日:1997年3月10日
出身地 :東京府東京市麻布区(現在の東京都港区)
身長 :162cm
淡路恵子さんの2度目の結婚の旦那さんは歌舞伎俳優、時代劇俳優として昭和の時代に活躍した萬屋錦之介(よろずや・きんのすけ)さんです。
淡路恵子さんの2度目の結婚の旦那さんである萬屋錦之介さんは三代目中村時蔵の息子として生まれ、4歳で初舞台を踏み21歳だった1953年まで活躍。
1954年より映画俳優に転向し、新東宝を経て東映に所属して東映時代劇のスター看板俳優となりました。特に宮本武蔵の役を何度も演じた事で知られています。1968年に東映を退社して個人事務所「中村プロダクション」を設立し、以降はテレビ時代劇にも多数出演し親しまれました。
淡路恵子さんは萬屋錦之介さんとは1966年に結婚しています。馴れ初めは結婚前年の1965年に山下耕作監督映画「花と竜」での共演で、萬屋錦之介さんは1961年11月に女優の有馬稲子さんと1度目の結婚をしていましたがこの1965年に離婚して淡路恵子さんと再婚しました。
淡路恵子さんはこの萬屋錦之介さんとの結婚を機に1度女優業を引退されています。
淡路恵子さんには前の旦那であるビンボー・ダナオさんとの間の2人の息子の連れ子がいましたが、萬屋錦之介さんは実の子供と同様に可愛がられたようです。その後、淡路恵子さんは萬屋錦之介さんとの間にも2人の子供(ともに息子)を出産し4人の息子の母親になりました。
旦那さんの萬屋錦之介さんには当時「午後3時までしか撮影しない」という不文律が撮影所にありましたが、これは萬屋錦之介さんが「妻や子どもたちと夕食を囲み、川の字になって寝たい」という希望を持っていたためだったそうです。
しかし、1982年2月に萬屋錦之介さんの個人事務所「中村プロダクション」が13億円とも15億ともいわれる莫大な負債を抱えて倒産し、別荘や自宅の豪邸も人手に渡ります。
さらに、萬屋錦之介さんは事務所倒産から3ヶ月後に歌舞伎公演の最中に倒れて難病「重症筋無力症」と診断され、同年8月には呼吸困難に陥って胸腺腫の摘出手術も受けました。この間、淡路恵子さんは献身的に萬屋錦之介さんの看護にあたり、生活費を捻出するために六本木のクラブで雇われママとしても働きました。
その甲斐もあってか、1983年に重症筋無力症を克服した萬屋錦之介さんは1984年に1年半ぶりに現場に復帰を果たしました。
ところがそれから3年後の1987年に淡路恵子さんと萬屋錦之介さんは離婚しています。
淡路恵子と2度目の結婚の旦那・萬屋錦之介との離婚原因は不倫
淡路恵子さんと、2度目の結婚相手である旦那さんの萬屋錦之介さんは1987年に離婚しています。
淡路恵子さんと萬屋錦之介さんの離婚の原因は、萬屋錦之介さんが元宝塚のトップスターで当時は女優として活躍していた甲にしきさん(小川甲子)と不倫している事が発覚した事でした。
萬屋錦之介さんは当時、方位学(占い)に凝っており、それで方角が悪い場合は自宅に帰らずにホテルに宿泊する事もあったそうで、これが甲にしきさんとの不倫につながったともいわれています。
淡路恵子さんは甲にしきさんとは友人関係で、萬屋錦之介さんの不倫が報じららた時にも「私は本人から聞いたことしか信じない、お友達ですもの、彼女は」と甲にしきさんをかばっていました。一方で甲にしきさんは淡路恵子さんとの友人関係を否定するもこの件で批判が集まり事実上芸能界から干される形となりました。
しかし結局、萬屋錦之介さんと淡路恵子さんはこのすぐ後に離婚となり、萬屋錦之介さんは1990年に甲にしきさんと再再婚しており、2人の不倫関係は事実だったとみられています。
淡路恵子の家族④ 子供は息子が4人で長男は俳優・島英津夫
淡路恵子の息子(長男)・島英津夫のプロフィール
本名 :井田晃一郎
生年月日:1961年1月15日
出身地 :東京都
身長 :164cm
血液型 :AB型
淡路恵子さんには4人の子供がおり全員が息子さんで、このうち長男と次男が、1度目の結婚の旦那であるビンボー・ダナオさんとの子供、三男と四男が2度目の結婚の旦那である萬屋錦之介さんとの間にできた子供です。
淡路恵子さんの初めての子供である長男は、俳優の島英津夫(しま・えつお)さんです。
淡路恵子さんの長男である島英津夫さんは堀越高校の出身で世界的に活躍する俳優の真田広之さんと同級生で現在も仲の良い友人だそうです。真田広之さんとは当時家族ぐるみの付き合いをしており、淡路恵子さんの事も慕っていて手料理を食べに来た事もあったのだとか。淡路恵子さんが2014年に亡くなった時には、真田広之さんから島英津夫さんに電話があったのだそうです。
そんな淡路恵子さんの息子の島英津夫さんですが、高校在学中の1970年代から俳優として活動をスタートし、時代劇や刑事ドラマを中心としたテレビドラマや映画に出演しました。
義理の父親である萬屋錦之介さんとは多数の作品で親子共演しており、映画では「赤穂城断絶」、「徳川一族の崩壊」、「仕掛人梅安」、「魔界転生」、テレビドラマでは時代劇「鬼平犯科帳」などがあります。
- 2012年には、多くの作品で共演するなど世話になった義理の父親である萬屋錦之介さんの名前を埋もれさせたくないとの思いから時代劇劇団「平成時代劇 萬屋錦之助一座」を立ち上げて座長に就任し2015年頃まで活動されていました。
淡路恵子さんの長男の島英津夫さんはプライベートでは2度結婚していますがいずれも離婚しています。子供は元妻との間に娘が1人いるとの事で淡路恵子さんの孫にあたります。
淡路恵子の家族⑤ 子供のうち次男・井田照さんは一般の方
淡路恵子さんの2人目の子供は、1度目の結婚の旦那であるビンボー・ダナオさんとの間に生まれた次男の井田照さんです。
淡路恵子さんの次男の井田照さんは一般の方で芸能活動はしておらず、顔画像や経歴などは公開されていません。
淡路恵子の家族⑥ 子供のうち三男は俳優・小川晃廣でバイク事故で死去
淡路恵子の息子(三男)・小川晃廣のプロフィール
生年 :1968年
没年月日:1990年7月31日(22歳没)
出身地 :東京都
淡路恵子さんの3人目の子供は、2度目の結婚の旦那さんである萬屋錦之介さんとの間に生まれた息子さんで、三男の小川晃廣(おがわ・あきひろ)さんです。
淡路恵子さんの三男の小川晃廣さんは俳優として活動し時代劇「名奉行 遠山の金さん」や1988年映画「姐御」などに出演しました。
しかし1990年にバイク事故を起こし22歳という若さで亡くなっています。
生前に結婚しており、子供(淡路恵子さんの孫)も1人生まれています。
淡路恵子の家族⑦ 子供のうち四男は俳優・萬屋吉之亮で自殺により死去
淡路恵子の息子(四男)・萬屋吉之亮のプロフィール
本名 :井田哲史(いだ・さとし)
生年 :1974年
没年月日:2010年6月15日(36歳没)
出身地 :東京都
淡路恵子さんの4人目の子供は、2度目の結婚の旦那・萬屋錦之介さんとの間に生まれた四男の萬屋吉之亮(よろずや・きちのすけ)さんです。
淡路恵子さんの四男の萬屋吉之亮さんは、6歳の時に萬屋希之照の名前で歌舞伎俳優として初舞台を踏み、1997年にNHK大河ドラマ「毛利元就」に出演し、1999年25歳の時に浅茅陽子さん主演で美空ひばりの生涯を描いた舞台「美空ひばり物語・不死鳥ふたたび」では父親の萬屋錦之介さんの若い頃を演じました。
しかしその後、萬屋吉之亮さんは両親が離婚した頃から精神が不安定になり学校でいじめを受けて高校を中退しフリーターのような生活を送っていたという事です。
萬屋吉之亮さんはアルコール依存症になって飲酒をして暴れるなどし、躁うつ病も患いました。更生のために住み込みで京都の寺で働き始めるも、2004年1月に酒代欲しさに仏具を盗んで逮捕され懲役1年6ヶ月執行猶予3年の有罪判決を受けます。
しかし2004年5月、萬屋吉之亮さんは酒代を盗むために母親である淡路恵子さんの自宅に侵入して金品を物色しているところを、通報により駆けつけた警察官に住居侵入などの容疑で現行犯逮捕されます。
警察は当初、家庭内の問題だとして穏便に済ませようとしましたが、淡路恵子さんは萬屋吉之亮さんが酒によって暴れるために手を焼いており、刃物まで持ち出して暴れる事もあったため身の危険も感じていました。それもあって淡路恵子さんは警察官に「とにかく逮捕してください」と朝まで頼み込み、警察署長に電話で逮捕してほしいとお願いまでしその結果、萬屋吉之亮さんは逮捕されたという事でした。
さらに淡路恵子さんは「親子だからと簡単にすむと思われては、本人のためにならない」とのコメントを発表しつつ厳罰を求めて刑事告訴。萬屋吉之亮さんには裁判で懲役6ヶ月の実刑判決が言い渡されました。これに寺から仏具を盗んで逮捕された際の執行猶予付き判決が合算され懲役2年の実刑判決になって服役しました。
萬屋吉之亮さんが刑期を終えて出所した時にも淡路恵子さんは「会いたくない」と言って一時は面会を拒否。マネージャーの小林香代子さんに「会ってあげてください。でないと、子供は捨てられたと思っちゃいますから」と頼まれてようやく萬屋吉之亮さんと会い「一生懸命頑張って、何かあったら小林さんに相談して、バイトをして、お母さんにコーヒーの一杯でもご馳走できるようになったら声をかけてね。それまでお母さん元気でいるからね」と声をかけたのだそうです。
しかし、萬屋吉之亮さんはその後も立ち直る事なく、2010年6月16日に新宿区の自宅マンションで首を吊って亡くなっているのが知人によって発見されました。遺書は見つかりませんでしたが警察は自殺と見られると発表しています。発見された時点で死後20時間が経過しており、亡くなったのは6月15日だったようです。まだ36歳の若さでした。
淡路恵子の孫は2人で長男・島英津夫の娘と三男の小川晃廣の娘
淡路恵子さんには少なくとも孫が2人いる事がわかっています。
淡路恵子さんの孫は長男の島英津夫さんの子供である孫娘と、三男の小川晃廣さんの子供である孫娘です。淡路恵子さんの孫の2人はいずれも芸能活動はしていない一般の女性でどのような方なのかは明かされていません。
淡路恵子さんと孫との関係などのエピソードは特に明かされていませんが、三男の小川晃廣さんが亡くなった時に元旦那さんの萬谷錦之助さんが悲観に暮れるあまり「ぼくが死にたい…」といった事に淡路恵子さんが「3人の子供がいて嫁がいて孫がいて、その子たちのために頑張らなくてどうするの!」と元気づけたというエピソードが伝わっているため孫の事を大切に想っていた事は間違いないと思われます。
淡路恵子の死因は食道がん
淡路恵子さんは2014年1月11日に80歳で亡くなっています。淡路恵子さんの死因は「食道がん」と発表されています。
女優淡路恵子さんが11日午後5時24分、食道がんのため都内の病院で亡くなった。80歳だった。昨年7月に直腸に腫瘍が見つかり、摘出手術を受けた後も入院していた。
まとめ
今回は、長きにわたって活躍した大女優・淡路恵子さんの家族を中心にまとめてみました。
淡路恵子さんは、海軍軍人の父親と助産師の母親、2人の兄の5人家族に生まれ、10代で女優としてデビューし数多くの映画やテレビドラマに出演しました。
淡路恵子さんの1度目の結婚は1953年20歳の時で、フィリピン人俳優で歌手のビンボー・ダナオさんで子供2人が生まれています。淡路恵子さんとビンボー・ダナオさんの子供は2人とも息子さんで長男の島英津夫さんは俳優として活躍。次男の井田照さんは一般の方です。
しかし、淡路恵子さんは1965年にビンボー・ダナオさんと離婚しています。離婚理由はビンボー・ダナオさんの度重なる浮気だったという事です。
淡路恵子さんの2度目の結婚は1966年で、旦那さんは歌舞伎俳優で時代劇俳優の萬屋錦之介さんでした。淡路恵子さんは萬屋錦之介さんとの間にも2人の子供を生んでおり、こちらも2人とも息子さんです。淡路恵子さんと萬屋錦之介さんの息子は三男の小川晃廣さんと四男の萬屋吉之亮さんですが2人とも淡路恵子さんより早くに亡くなっています。三男の小川晃廣さん22歳という若さでバイク事故で亡くなり、四男の萬屋吉之亮さんは36歳で自殺により亡くなりました。
淡路恵子さんの孫は長男の娘さんと三男の娘さんの少なくとも2人がいます。
淡路恵子さんは2014年1月11日に80歳で亡くなりました。淡路恵子さんの死因は「食道がん」と発表されています。