芦川いづみさんと言えば日活の黄金期を支えた看板女優ですが、俳優の藤竜也さんとの結婚エピソードが話題です。
今回は芦川いづみさんの身長やプロフィール、若い頃の活動、旦那との馴れ初め、子供(息子、現在をまとめました。
この記事の目次
芦川いづみは和製オードリー・ヘップバーンと言われた女優
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藤竜也の嫁である芦川いづみ
1953年から1968年まで、日本のトップ女優として君臨した芦川いづみさん。その美貌から「和製オードリー・ヘップバーン」と呼ばれていました。
引退してからかなりの年月が経過していますので、40代より若い方だとご存知ない方も多いことでしょう。
まずは、プロフィールから見ていきましょう。
芦川いづみのプロフィール
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芦川いづみ
本名: 伊藤幸子
生年月日: 1935年10月6日
出身地: 東京市滝野川区(現在の東京都北区南部)
愛称: おムギ
芦川いづみの身長
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美しい顔立ちだけではなく、抜群のプロポーションでも知られていた芦川いづみさん。身長と体重が気になりますね。
1968年に芸能界を引退していますが、引退前に所属していた日活には、身長や体重などのデータが保管されていないようです。
ただ、現役時代に共演した浅岡るり子さんと並んで写っている写真があります。
これを見る限り、芦川いづみさんのこめかみくらいに、浅丘ルリ子さんの頭のてっぺんがあるので、おおよそ162cm~164cmぐらいではないかと言われています。
1930年代に生まれた女性の平均身長が150cmであることから見ても、当時はかなりの高身長だったと思われます。
芦川いづみの若い頃① デビューのきっかけ
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ここからは、芦川いづみさんの若い頃を振り返ってみましょう。
松竹歌劇団に入団したことをきっかけに、芸能界デビューしています。
ここからは、松竹歌劇団時代、そして女優になった経緯も紹介します。
松竹歌劇団とは?
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グランドレビューが人気だった松竹歌劇団
松竹歌劇団は、ミュージカルやレビューを得意とした歌劇団です。当時は、SDKともよ呼ばれていました。
松竹を母体として、浅草に本拠地を置き、1930年代には兵庫県宝塚市を拠点とする「宝塚歌劇団」と東西で人気を二分していたのです。
1960年代に入ると、徐々に人気に陰りが出て低迷。1990年に、ミュージカル専門にリニューアルしたものの、1996年に解散しました。
同劇団からは、草笛光子さんや淡路恵子さん、倍賞千恵子さんなど有名女優を多数輩出しています。もちろん芦川いづみさんもその1人です。
高校を中退して松竹歌劇団へ
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東京都で生まれ育った芦川いづみさんは、法政大学国際高等学校に通う学生でしたが、突如中退し、1952年に松竹歌劇団付属の松竹音楽舞踏学校に入学しました。
ちなみに、松竹音楽舞踏学校は松竹歌劇団の養成学校にあたります。毎年受験倍率は、20倍から30倍とかなり狭き門だったようです。
芦川いづみさんとの同期には、女優の野添ひとみさんや姫ゆり子さんがいました。
監督の目に留まりデビュー
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芦川いづみさんが女優デビューしたきっかけは、ファッションショーに出演していた時、偶然居合わせた松竹の映画監督・川島雄三さんの目に留まり、スカウトされたことでした。
そして、川島雄三さんが手掛ける映画「東京マダムと大阪夫人」に、ヒロインを演じた月丘夢路さんの妹役として抜擢されました。
その後、川島雄三さんは松竹を退社し日活へ移っていますが、そのツテで芦川いづみさんも、松竹歌劇団から日活へと移っています。
芦川いづみの若い頃② 日活の看板女優として活躍
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芦川いづみさんは日活に移籍後、出演した作品が次々にヒットします。
そして北原三枝さんと共に、日活を支える看板女優へと昇りつめていきます。
北原三枝とのツートップ体制
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後に石原裕次郎と結婚した北原三枝
芦川いづみさんが1955年に日活に移籍した当時、既に北原三枝さんが日活のエースとして君臨していました。
しかし、芦川いづみさんが出演した映画「幕末太陽傳」が大ヒットします。
この映画は、川島雄三監督の代表作品と呼ばれています。そして、映画と共に芦川いづみさんの人気も急上昇したのです。
翌1956年に出演した「乳母車」では、初めて昭和の大スター・石原裕次郎さんと共演。芦川いづみさんは、爽やかな演技で女優としての人気を不動のものにしています。
そして、北原三枝さんと看板女優ツートップとして日活を支えました。
ちなみに、北原三枝さんは1960年に石原裕次郎さんとの結婚を機に芸能界を引退。以後は「石原まき子」として内助の功を発揮し、石原プロの代表取締として事務所を支えています。
そして2020年には石原プロを閉鎖し、新たに石原裕次郎さんの遺品管理を行う新組織「一般社団法人ISHIHARA」の名誉会長に就任しています。
芦川いづみの若い頃③ 吉永小百合から絶賛されている
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「美しい暦」で共演した芦川いづみと吉永小百合
北原三枝さん引退後、芦川いづみさんは圧倒的な実力で日活の看板女優として君臨し続けました。
現在大物女優として知られる吉永小百合さんですが、若い頃は芦川いづみさんは憧れの存在そのものだったそうです。
ここからは、若い頃の吉永小百合さんとの微笑ましいエピソードについて見ていきましょう。
吉永小百合のプロフィール
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吉永 小百合(よしなが さゆり)
生年月日: 1945年3月13日
出身地: 東京都渋谷区
血液型: O型
身長: 155cm
吉永小百合にとってのマリア様
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1963年に公開された映画「真白き富士の峰」で芦川いづみさんが姉の磯村梢役を、吉永小百合さんは妹の磯村梓役を演じています。
2人は日活の先輩・後輩の関係で、日々演技を競い合う女優仲間でした。
当時を振り返って吉永小百合さんは、「いづみちゃんは、私にとってマリア様のような存在でした」と語っています。
吉永小百合さんがNGを重ねて泣きそうになった時には、「泣いちゃだめよ」と抱きしめて優しく語り掛けてくれたのだとか。
作品の設定上姉妹という関係でしたが、「本当に姉のようないづみちゃんに寄り添って懸命に演じました」と明かしているので、吉永小百さんにとって大切な人の1人であるようですね。
芦川いづみが結婚した旦那は俳優・藤竜也
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芦川いづみと結婚した俳優の藤竜也
芦川いづみさんが結婚したのは1968年で、当時33歳でした。
旦那は俳優の藤竜也さんです。現在でこそ、芸能界の重鎮として様々な作品に出演していますが、結婚した時はかけけだしの無名俳優だったんです。
藤竜也のプロフィール
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藤 竜也(ふじ たつや)
生年月日: 1941年8月27日
出身地: 神奈川県横浜市
身長: 173cm
血液型: O型
所属事務所: 藤竜也エージェンシー
藤竜也さんといえば、ダンディーな俳優として知られています。最近は、NHKの朝ドラ「おかえりモネ」で清原果耶さんが演じるヒロインの祖父役を演じています。
趣味は陶芸で、横浜高島屋で「藤竜也 陶芸展」を開催したこともある本格派。この経験を活かして、陶芸家の役で作品に出演したこともあります。
昔から回転寿司が大好きで、毎週日曜日は必ず嫁の芦川いづみさんと一緒に、回転寿司屋へ行くことが楽しみの1つなのだとか。
格差婚だった
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藤竜也さんは、令和の現在では有名な俳優ですが、結婚当時は駆け出しで仕事もさほど入っていない若手の俳優でした。
しかも、芦川いづみさんよりも6歳年下です。
かたや、芦川いづみさんは日活のトップ女優。2人の実力差は明らかでした。
現在で言うところの格差婚ですが、当時はこういった言葉がなかったものの、それでも簡単に結婚できない雰囲気だったそう。
事務所にも相談できず、破局しかねない状況を打破してくれたのは、昭和のスターとして知られる石原裕次郎さんだったのです。
芦川いづみと旦那・藤竜也の馴れ初めは?石原裕次郎がキューピッドに
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若い頃の石原裕次郎
藤竜也さんと芦川いづみさんは、芸能界の知名度において天と地の差がありましたが、どのようなきっかけで交際に至ったのか、馴れ初めが気になりますよね。
ここからは、2人の馴れ初めと、石原裕次郎さんが果たしたキューピッド役を紹介します。
馴れ初めはビビビ婚?
芦川いづみさんが藤竜也さんと出会ったのは、映画「四つの恋の物語」で共演したことがきっかけでした。
共演して1ヶ月半後に結婚するというスピード婚が話題になりました。
藤竜也さんは、テリー伊藤さんとの対談で馴れ初めを聞かれ、以下のように答えています。
かつて松田聖子さんが「ビビビッときた」なんてうまいこと言っていましたけど(笑)、まさにそういう感じでして。
引用:芦川いづみさんは最高の奥さんだな – exciteニュース https://www.excite.co.jp/
これを聞いたテリー伊藤さんは「さぞかし嫉妬されたでしょうね」と聞かれると、「それはすごかったですよ。撮影所でも誰も口をきいてくれなかった」と答えています。
いかにトップ女優との結婚が大変なものかが伝わってくるようなエピソードですよね。
しかし藤竜也さんにとっては、その障害が逆にエネルギーになったのだとか。
「ほら、藤なんとかという、どこの馬の骨とも分からない奴と一緒になるからだ」と、芦川いづみさんが陰口を叩かれることだけは避けたいと考えていたそうです。
藤竜也さんが役者として成功した影には、こういった周囲からのプレッシャーと向き合い続けてきたからなのかもしれませんね。
石原裕次郎が事務所の役員を説得
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2人の結婚を後押ししてくれたのは、石原裕次郎さんでした。
石原裕次郎さんは藤竜也さんを可愛がってくれていたそうで、藤竜也さんは、結婚について最初に相談したそうです。
話を聞いた石原裕次郎さんは「俺に任せておきな。心配するな」と言ってくれたのです。
それから1週間後、石原裕次郎さんから「自宅に来て欲しい」と連絡を受けました。石原裕次郎さんの自宅を訪れると、日活の重役が何人も顔を揃えていたそう。
驚く藤竜也さんを尻目に、石原裕次郎さんは「タツ(藤竜也)と、芦川いづみさんは結婚することになったから、よろしく」と高らかに宣言。
藤竜也さんは重役からの視線を一身に受けたものの、誰からも文句は出なかったそうです。大スターの石原裕次郎さんに文句を言える人など、そうそういなかったのです。
こうして芦川いづみさんは、藤竜也さんとの結婚にこぎつけることができました。
結婚式はサンドイッチと唐揚げ
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まだ売れていない役者だった藤竜也さんには、お金がありませんでした。
この様子を見ていた石原裕次郎さんは、タキシードを用意してくれたそうです。
さらに、結婚式では豪華な食事も難しいと考えた藤竜也さんは、貯金をおろし、サンドイッチと唐揚げを購入して参列者をもてなしています。
参列者には「今、僕にできることはこれしかできないので、勘弁してください。その代わり、お祝いのお金も何も持ってきてくださらないで」とお願いしたのだとか。
藤竜也さんと無事入籍した芦川いづみさんは、結婚を機に惜しまれつつも芸能界を引退しました。
芦川いづみさんは、芸能界を引退してから1度も女優としての仕事をしていません。
芦川いづみと旦那・藤竜也に子供は息子が1人
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結婚後、芦川いづみさんと藤竜也さんは子供をもうけたのでしょうか。俳優をしているという噂もあります。
ここからは、2人の間に誕生した子供について見ていきましょう。
1人息子が誕生
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2人の間には、息子が1人誕生しています。具体的な生年月日や、氏名、職業などは一切明かされていません。
俳優をしているという噂は、大物俳優と女優の間に誕生した子供なので、デビューしていてもおかしくないとの憶測から生まれたようですが、どうやら息子は一般人のようですね。
1976年頃に誕生したことが判明しているので、2021年現在、息子は40代半ばくらいではないかと言われています。
芦川いづみの現在① 今でも旦那と仲睦まじい
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2021年現在、芦川いづみさんは85歳になりました。
芸能界を引退して50年以上の年月が経過していますが、どのように過ごしているのでしょうか。
藤竜也さんがインタビューで、芦川いづみさんの現在について語っていますので紹介します。
おやすみの握手を欠かさない
芦川いづみさんは、SNSのアカウントを開設していないので、どんなことを日々感じて過ごしているのかをうかがい知ることはできません。
インタビューで藤竜也さんは「元気ですよ。ただ、僕より6歳年上なので、そろそろ心配にはなっているんですよ」と、加齢による衰えについて懸念しているようですね。
しかし、足腰を鍛えるために2人で運動をしていることを明かしています。
家内と握手して、マサイ族みたいにジャンプはしませんけど、膝を曲げ伸ばしするような感じの縦の動きを50回やってから「おやすみなさい」をする。
まあ、軽い運動なんですけど、お互いもう年ですから、明日無事に起きられるかどうか、わかりませんからね。そういう意味もあって、2人で毎日やってるんです。
引用:芦川いづみさんは最高の奥さんだな – exciteニュース https://www.excite.co.jp/
この運動を、藤竜也さんと芦川いづみさんは「跳ばないマサイ族」と名前を付けたのだとか。仲睦まじいエピソードですよね。
芦川いづみの現在② インタビューを受けていた
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芦川いづみさんは引退後、1度もメディアに登場していませんでしたが、2019年にデビュー65周年を迎えたことで、記念上映会やDVDが販売されています。
また、文春オンラインのインタビューを受けて、現在の生活について語っています。
どうやら、芸能界で培った友情は今でも続いているようです。
引退後も交流会を開いている
芦川いづみさんは芸能界で活動をしなくなってからも、日活で同時期に活動していた松原智恵子さんら、当時仲の良かった女優達と交流が続いていることを明かしました。
松原智恵子さんの自宅の柿の木が実ると「収穫祭」と銘打って、香月美奈子さんや白木マリさんなど集まっているのだとか。
その他にも、現在も現役で活躍している浅丘ルリ子さんの舞台にはみんなで集まることが恒例になっているようで、第2の人生をエンジョイしているようですね。
まとめ
出典:https://ameblo.jp/
芦川いづみさんは、松竹歌劇団を経て日活の看板女優を務めました。
当時はその美貌から「和製オードリー・ヘップバーン」という異名もあったくらい人気でした。
プライベートでは、1968年に33歳で藤竜也さんと結婚し、看板女優と駆け出し若手俳優という身分の差で大きな話題になっています。
日活のスター俳優だった石原裕次郎さんが重役達を説得してくれたことで、結婚にこぎ着けました。
トップ女優の座を捨てて藤竜也さんとの生活を選んだ芦川いづみさんは、そのまま芸能界を引退。現在まで一切芸能活動をせず、一般人として生活を送っています。
子供は、1人息子が誕生しています。息子は芸能界とは縁のない生活を送っているようで、個人情報を特定できるような情報は入っていません。
そして、現在の芦川いづみさんは85歳になりました。
旦那の藤竜也さんとは今も変わらず仲睦まじい様子で、かつての女優仲間とも交流を持ち、幸せな人生を送っているようです。
これからも芦川いづみさんの人生を見守っていきましょう。