岡田茉莉子の現在!身長や若い頃・夫の吉田喜重や子供・三國連太郎との関係・親など家族もまとめ

戦後の日本代表する女優・岡田茉莉子さんの若い頃や現在が話題です。

 

この記事では岡田茉莉子さんの身長などプロフィールや若い頃の画像と経歴、三國連太郎さんとの恋愛の噂、父親母親などの家族、旦那・吉田喜重さんとの運命的な結婚、子供、夫の死去を乗り越えた現在についてまとめました。

岡田茉莉子のプロフィール

 

岡田茉莉子のプロフィール

 

本名  :吉田鞠子(旧姓・田中)

生年月日:1933年1月11日

出身地 :東京府東京市渋谷区代々木

推定身長:158cm〜160cm

 

岡田茉莉子(おかだ・まりこ)さんは、戦後の時代を代表する女優で、現在は92歳を迎えるもその圧倒的な存在感は健在です。

 

若い頃は数々の映画に出演した映画史に残る名女優であり、生涯の伴侶となった旦那・吉田喜重監督と二人三脚で数々の名作を生み出した映画人でもあります。

 

ここでは、この戦後日本を代表する大女優・岡田茉莉子さんについて詳しく紹介します。

 

 

岡田茉莉子の身長は推定で158cm〜160cm

 

出典:https://img.jisin.jp/

 

岡田茉莉子さんの身長は公表されていませんが、「158cm〜160cm」と推測されています。

 

これは、旦那さんの吉田喜重監督(推定身長170台半ば)、共演女優の岩下志麻さん(身長165cm)、近年「徹子の部屋」に出演した際に共演した黒柳徹子さん(身長162cm前後)との比較で導き出された推定身長です。

 

岡田茉莉子さんが活躍した昭和20年代から30年代にかけての日本人女性の平均身長(1950年代初頭で20歳女性が約150.8cm)と比較すると、これは比較的高身長であったと言えます。そのスタイルの良さが、彼女の持つモダンで華やかな魅力を一層引き立てていたことは間違いありません。

 

この恵まれた身長は、洋装をエレガントに着こなす上で大きなアドバンテージとなりました。戦後の洋風化が進む世相の中で、岡田茉莉子さんのモダンな美貌とすらりとした立ち姿は、新しい時代の女優像を象徴するものとして、多くの観客の憧れの的となったのです。

 

岡田茉莉子の若い頃の画像と経歴① 映画「舞姫」の準主役に抜擢

 

出典:https://stat.ameba.jp/

 

岡田茉莉子さんの若い頃の経歴を当時の画像と共に詳しく追っていきます。

 

岡田茉莉子さんの女優人生は、まさに彗星のごとく始まりました。1933年、無声映画時代のトップスター・岡田時彦さんを父親に、元宝塚歌劇団の男役スター・田鶴園子を母親に持つという、サラブレッドとして生まれました。しかし、父親・時彦さんは彼女が1歳の時に早逝しており、その偉大な存在を知ったのは高校時代だったそうです。

 

1951年、高校を卒業した岡田茉莉子さんは、東宝のプロデューサーであった叔父・山本紫朗さんの勧めで東宝ニューフェイス第3期生のオーディションを受けます。そして見事合格し東宝演技研究所に入所したのですが、本当の驚きはその直後に訪れました。

 

入所してたった20日後、巨匠・成瀬巳喜男監督の新作、川端康成原作の映画「舞姫」の準主役(ヒロインの娘役)に、突如抜擢されたのです。これは新人としては異例中の異例であり、岡田茉莉子さんの持つ天性の華とオーラが、巨匠の目に留まったことの証左でした。

 

そして、芸名「岡田茉莉子」は、父親の時彦さんの名付け親でもあった文豪・谷崎潤一郎さんによって授けられました。

 

この鮮烈なデビューは、18歳の岡田茉莉子さんに大きな栄光と共に、「二世俳優」という重い十字架を背負わせることにもなりました。若い頃の岡田茉莉子さんは、周囲から「岡田時彦の娘だから」という目で見られることに強い抵抗を感じ、一時は女優を辞めたいと母親に訴えたこともあったのだそうです。しかし、この逆境が、後の岡田茉莉子さんの反骨精神と、自らの力で道を切り拓くという強い意志を育む土壌となりました。

 

岡田茉莉子の若い頃の画像と経歴② 東宝の看板女優へと駆け上がる

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

デビュー後の岡田茉莉子さんは、破竹の勢いでスターダムを駆け上がりました。父親譲りのコケティッシュな美貌と、新人離れした演技力は多くの観客を魅了し、瞬く間に東宝の看板女優としての地位を確立したのです。

 

当時の岡田茉莉子さんは、月に1本のペースで映画に出演するという殺人的なスケジュールをこなし、9年間で80本以上の作品に出演しています。デビュー翌年の1952年には「思春期」で不良少女を演じてその魅力を発散させ、1953年の「坊っちゃん」ではマドンナ役を演じ、大人の女優へと成長を遂げました。

 

そして1954年、池部良さんを相手役にした「芸者小夏」にて、初の単独主演を果たします。この作品で岡田茉莉子さんが見せた清楚なエロティシズムは絶賛を浴び出世作となりました。

 

出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/

 

しかし、その華やかなキャリアの裏で、岡田茉莉子さんは深い葛藤を抱えていました。会社から与えられる役は、芸者や水商売、奔放で気の強い女性といった類型的なものがほとんどでした。

 

後に「勝手に貼られたレッテルに抵抗しないわけにはゆかなかった」と語る岡田茉莉子さんは、22歳の時、ついに大胆な行動に出ます。ホームドラマの役が「芸者役のイメージに合わない」と反対されたことに憤慨し、撮影所長に直談判したのです。強い意志によって、岡田茉莉子さんは自ら役柄の幅を広げるチャンスを掴み取りに行ったのです。

 

この頃には、成瀬巳喜男監督の「浮雲」(1955年)や「流れる」(1956年)といった名作にも出演しましたが、助演に留まるなど、必ずしも本人が望む役ばかりではありませんでした。高峰秀子さんや森雅之さんといった名優たちが、役柄を超えて自分自身を表現している姿を目の当たりにした岡田茉莉子さんは、「岡田茉莉子自身を表現したい」という渇望を強めていったと言います。

 

岡田茉莉子の若い頃の画像と経歴③ 松竹への移籍と女優としての飛躍

 

出典:https://www.pintscope.com/

 

自身のキャリアとイメージに対する会社との溝を埋められなかった岡田茉莉子さんは、1957年、人気絶頂の中で東宝を退社し、フリーとなることを決断します。大スターが映画会社を辞めることは、当時としては極めて異例のことでした。

 

岡田茉莉子さんはフリーとして数本に出演した後、同年9月には松竹と専属契約を結びます。女性映画を得意とする松竹で、岡田茉莉子さんは有馬稲子さんと共に二枚看板として活躍。小津安二郎監督の「秋日和」(1960年)や「秋刀魚の味」(1962年)といった日本映画史に残る傑作にも出演し、その演技にさらなる深みを加えていきました。

 

松竹時代、岡田茉莉子さんはただ運命に流されるのではなく、それに抗い、自分の愛に誠実に生きようとする、強い自我を持ったヒロイン像を確立していったのです。

 

岡田茉莉子の若い頃の画像と経歴④ 「秋津温泉」を手掛け女優から映画人へ

 

出典:https://www.cinemaclassics.jp/

 

岡田茉莉子さんの若い頃を語る上で、最大のターニングポイントとなったのが、1962年に公開された映画「秋津温泉」です。これは、彼女自身の映画出演100本を記念して、自らが企画・プロデュースを手がけた作品でした。

 

この野心的なプロジェクトで、岡田茉莉子さんは監督として、当時まだ松竹で助監督の身分だった若き日の吉田喜重さん(後の旦那さん)を大抜擢します。彼のデビュー作「ろくでなし」に感銘を受けていた岡田茉莉子さんは、その才能を確信していたのです。

 

企画から衣装、色彩設計に至るまで、岡田茉莉子さんの情熱と美意識が注ぎ込まれたこの作品は、興行的にも批評的にも大成功を収め、数々の映画賞に輝きました。17年間にわたる男女の愛の変遷を、岡田茉莉子さんは十代から三十代までを見事に演じきり、その演技はキャリアの集大成として絶賛されたのです。

 

「秋津温泉」は、岡田茉莉子さんが1人の「女優」から、作品全体を創造する「映画人」へと飛翔した記念碑的作品だと言えます。そして、この作品での出会いが、のちに結婚し公私にわたる生涯のパートナーとなる吉田喜重監督との運命的な物語の始まりでもありました。

 

岡田茉莉子と三國連太郎の恋愛関係の噂

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

若い頃、岡田茉莉子さんと三國連太郎さんには恋愛の噂が付きまといました。その理由や背景についてみていきます。

 

岡田茉莉子と三國連太郎の共演

 

まず事実として、岡田茉莉子さんと三國連太郎さんは数々の映画作品で共演しています。特に知られているのが、内田吐夢監督による長編時代劇の傑作「大菩薩峠」三部作(1957年~1959年)です。この作品で2人は重要な役どころを演じており、その演技の応酬は多くの映画ファンを魅了しました。

 

この他にも、2人は複数の作品で顔を合わせており、プロフェッショナルな俳優同士として、互いの才能を認め合う関係であったことは間違いありません。岡田茉莉子さんが東宝から松竹へと移籍し、キャリアの転換期を迎えた時期と、三國連太郎さんが独自の俳優道を突き進んでいた時期は重なります。同じ時代にトップスターとして走り続けた2人が、撮影現場で互いに刺激を与え合っていたであろうことは、想像に難くありません。

 

なぜ岡田茉莉子と三國連太郎の恋愛の噂が生まれたのか

 

では、なぜ岡田茉莉子さんと三國連太郎さんの間に恋愛関係の噂が立つようになったのでしょうか。その背景には、大きく分けて2つの要因が考えられます。

 

1つ目は、三國連太郎さんの奔放な女性遍歴です。三國連太郎さんは生涯で4度の結婚を経験するなど、その私生活は非常に華やかで、恋多き男として知られていました。三國連太郎さんの強烈な個性と役になりきるあまり私生活と役柄の境界が曖昧になるという役者魂は、共演した女優との間に数々のロマンスの噂を生む土壌となりました。

 

太地喜和子さんなど、実際に深い関係にあった女優も存在したことから、「共演者キラー」としてのイメージが定着し、「岡田茉莉子とも何かあったのではないか」という憶測を呼びやすかったと考えられます。

 

2つ目は、当時の映画界とメディアの在り方です。映画が最大の娯楽であった当時、人気スター同士の共演は、それだけで大きな話題となりました。特に美男美女の組み合わせであれば、週刊誌やスポーツ新聞がその関係を面白おかしく書き立てるのは常套手段でした。

 

スクリーン上での息の合った演技が、そのままプライベートでの親密な関係を想像させ、ファンやメディアの憶測に拍車をかけたのだと考えられます。

 

岡田茉莉子と三國連太郎の恋愛関係を裏付ける証拠は見つかっていない

 

様々な状況証拠が噂の背景を物語る一方で、岡田茉莉子さんと三國連太郎さんが恋愛関係にあったと断定できるような具体的な証拠や、本人たちによる肯定的な証言は、現在に至るまで一切見つかっていません。

 

岡田茉莉子さん自身、自伝やインタビューなどで自身のキャリアや私生活について赤裸々に語っていますが、その中で三國連太郎さんとの恋愛関係に触れたことはありません。岡田茉莉子さんの人生における最大のパートナーが、旦那さんである映画監督・吉田喜重さんであることは、彼女自身の言葉からも明らかです。

 

また、映画評論家や関係者の証言をみても、2人のプロフェッショナルな共演関係を伝えるものはあっても、プライベートでの特別な関係を示唆するような信頼性の高い情報は見当たりません。

 

岡田茉莉子の家族① 父親は和製ヴァレンティノと称された俳優・岡田時彦

 

岡田茉莉子の父親・岡田時彦のプロフィール

 

本名  :高橋英一

生年月日:1903年2月18日

没年月日:1934年1月16日(30歳没)

出身地 :東京市神田区宮本町(現在の千代田区外神田)

 

ここからは、岡田茉莉子さんの家族についても詳しく掘り下げていきます。

 

岡田茉莉子さんの父親は、大正末期から昭和初期にかけて絶大な人気を誇った無声映画の二枚目俳優、岡田時彦(おかだ・ときひこ、本名:高橋英一)さんです。その憂いを帯びた甘いマスクから、当時ハリウッドで人気だったルドルフ・ヴァレンティノになぞらえ「和製ヴァレンチノ」と称賛され絶大な人気がありました。

 

1903年に東京で生まれた岡田時彦さんは、17歳で映画界入りし、数々の作品で主演を務めました。特に溝口健二監督の「瀧の白糸」などで見せた演技は現在でも高く評価されています。

 

芸名である「岡田時彦」は、彼を可愛がっていた文豪・谷崎潤一郎さんによって名付けられたものです。

 

しかし、人気絶頂だった1934年1月16日、岡田時彦さんは結核のため30歳という若さでこの世を去ります。これは、娘である岡田茉莉子さんが1歳の誕生日を迎えたわずか5日後の悲劇でした。そのため、岡田茉莉子さんに父親の記憶はほとんどないといいます。

 

岡田茉莉子の家族② 母親は宝塚歌劇団の元男役スター・田鶴園子

 

岡田茉莉子の母親・田鶴園子のプロフィール

 

本名  :田中利子

生年月日:1907年10月25日

没年月日:1989年10月8日(81歳没)

出身地 :大阪府大阪市天王寺区

 

岡田茉莉子さんの母親は、宝塚歌劇団の元男役スターである田鶴園子さん(たづる・そのこ、本名:田中利子)です。 

 

田鶴園子さんは1924年に宝塚歌劇団14期生として入団し、月組や花組で男役として活躍しました。

 

1932年に宝塚を退団し、岡田時彦さんと結婚(非入籍)。翌年、娘の岡田茉莉子さんを出産しましたが、旦那の岡田時彦さんの早逝により、女手一つで娘を育てることになります。旦那の死後、母親の田鶴園子さんは岡田茉莉子さんに父親が誰であるかを長年告げずにいました。

 

母親が父親について語らなかった理由について岡田茉莉子さんは後に、「『普通の子』として育てたかったのではないでしょうか」と推察しています。

 

岡田茉莉子さんが父親の存在を知ったのは、高校2年生の時でした。友人と偶然観に行った父親の出演作「瀧の白糸」の話を家でしたところ、母は顔を伏せて泣き出し、「その映画に映っていたのは、あなたのお父さんです」と初めて明かしたのだそうです。この宿命的な出来事が、後に岡田茉莉子さんが女優の道へ進む大きな伏線となりました。

 

母親の田鶴園子さんは、娘が女優として大成した後も、楽屋に手伝いに来るようなことはせず、家庭で娘を支えることに徹したといいます。

 

岡田茉莉子の家族③ 叔母の御幸市子と叔父の山本紫朗

 

岡田茉莉子さんの家族を語る上で、母親の妹である叔母・御幸市子(みゆき・いちこ)さんとその旦那である叔父・山本紫朗(やまもと・しろう)さんの存在も欠かせません。

 

叔母の御幸市子さんも姉と同じく宝塚歌劇団のスターでした。岡田茉莉子さんは幼い頃、上海でダンス教師として働く母親と離れ、この叔母夫婦のもとで暮らした時期があります。

 

そして、岡田茉莉子さんが女優になる直接のきっかけを作ったのが、叔父の山本紫朗さんです。東宝でプロデューサーを務めていた山本紫朗さんは、高校を卒業した岡田茉莉子さんに東宝ニューフェイスのオーディションを受けるよう勧めたのです。

 

「あなたはお父さんの映画を、偶然見てしまった。お父さんが呼び寄せたのよ。映画女優になるのは宿命かもしれない」という母親の言葉にも背中を押され、岡田茉莉子さんは映画界への扉を開いたのでした。

 

岡田茉莉子の結婚と旦那・吉田喜重

 

岡田茉莉子の旦那・吉田喜重のプロフィール

 

生年月日:1933年2月16日

没年月日:2022年12月8日(89歳没)

出身地 :福井県福井市佐佳枝下町

 

大女優・岡田茉莉子さんの人生を語る上で、旦那であり、世界的映画監督であった吉田喜重さん(よしだ・よししげ、本名:よしだ きじゅう)の存在は不可欠です。2人の関係は、単なる夫婦という言葉では到底表現しきれません。

 

それは、互いの才能を触発し合い、共に映画という芸術を創造し続けた「戦友」であり、57年という長きにわたり深い愛と尊敬で結ばれた、日本映画史においても稀有なパートナーシップでした。

 

ここでは、岡田茉莉子さんと旦那・吉田喜重さんの運命的な出会いから結婚、そして突然の別れまでを詳しくみていきます。

 

岡田茉莉子と旦那・吉田喜重の出会い

 

岡田茉莉子さんと旦那・吉田喜重さんの運命が交差したのは1962年でした。当時、松竹の看板女優としてキャリアの頂点にいた岡田茉莉子さんは、自身の映画出演100本記念作品として、自ら企画・プロデュースを手がけることを決意します。その作品こそ、後に日本映画史に残る名作となる「秋津温泉」でした。

 

この野心的なプロジェクトで、岡田茉莉子さんは監督として、当時まだ助監督の身分で、長編デビュー作「ろくでなし」(1960年)を撮ったばかりの新進気鋭の若手監督・吉田喜重さんを大抜擢したのです。大手映画会社のスター女優が、実績のほとんどない若手監督を指名するのは前代未聞のことでした。

 

岡田茉莉子さんは吉田喜重監督のデビュー作に強烈な才能のきらめきを感じ取り、「この人しかいない」と確信していたといいます。

 

この岡田茉莉子さんの慧眼は的中する事になります。「秋津温泉」は、企画、脚本、美術、衣装に至るまで岡田茉莉子さんの美意識が貫かれ、吉田喜重監督の斬新な演出と見事に融合。作品は芸術的にも興行的にも大成功を収め、数々の映画賞を受賞したのです。

 

そして、この濃密な共同作業を通じて、2人は互いの才能と人間性に深く惹かれ合い、公私にわたるパートナーへの道を歩み始めることになるのです。

 

結婚と独立プロダクション「現代映画社」の設立

 

出典:https://livedoor.blogimg.jp/

 

「秋津温泉」の成功から2年後の1964年、岡田茉莉子さんと吉田喜重監督は結婚しています。トップ女優と新進監督の結婚は当時大きな話題となりました。

 

そして1966年、2人はさらなる大きな決断を下しました。大手映画会社のシステムから離れ、より自由な映画作りを目指すため、独立プロダクション「現代映画社」を設立したのです。岡田茉莉子さんは女優としてだけでなく、プロデューサーとしても旦那の吉田喜重監督を支え、資金繰りにも奔走しました。

 

これは、岡田茉莉子さんが単に「監督の妻」という立場に収まるのではなく、吉田喜重監督と共に映画製作の全責任を負う「同志」であることを明確に示すものでした。

 

現代映画社を拠点に、2人は次々と意欲的な作品を世に送り出しました。「エロス+虐殺」(1969年)、「煉獄エロイカ」(1970年)、「告白的女優論」(1971年)といった作品群は、その前衛的で難解な内容から商業的に成功したとは言えませんでしたが、国内外で極めて高い評価を受け、吉田喜重監督の名を世界的な映画監督へと押し上げました。

 

これらの作品において、岡田茉莉子さんは旦那・吉田喜重監督のミューズとして、これまで演じたことのないような複雑で挑戦的な役柄を見事に体現し、女優として新境地を開拓しました。旦那・吉田喜重さんが監督し、岡田茉莉子さんが主演した映画は、実に11本にものぼります。

 

岡田茉莉子と旦那・吉田喜重の結婚生活

 

出典:https://ovninavi.com/

 

岡田茉莉子さんと旦那・吉田喜重さんのパートナーシップは、その創造の現場だけでなく、私生活においても深く、穏やかなものでした。2021年にテレビ番組に出演した際、岡田茉莉子さんは「57年間、一度も夫婦喧嘩をしたことがない」と語り、多くの人々を驚かせたのです。

 

岡田茉莉子さんは「喧嘩になるようなことは彼が全部譲ってくれる」、「彼には不満なんて一つもなかった」と語っています。それは単なる忍耐ではなく、互いの人格と才能に対する絶対的な尊敬と信頼に基づいた関係性だったようです。

 

吉田喜重監督もまた、妻・岡田茉莉子の女優としての才能を誰よりも信じ、彼女を主演に据えることで自らの芸術を追求したのでしょう。

 

岡田茉莉子と旦那・吉田喜重の間に子供はいない

 

岡田茉莉子さんと旦那・吉田喜重監督の間に子供はおません。

 

これは、子供ができなかったのではなく、生涯を女優として生きることを選んだ岡田茉莉子さん自身の意思によるものだったと言われています。

 

岡田茉莉子さんは「二人で製作した11本の映画が私にとっては子供のようなものです」と語っており、その言葉からは、女優という仕事への並々ならぬ覚悟と、旦那・吉田喜重監督と共に歩んだ映画製作への深い愛情がうかがえます。

 

岡田茉莉子の旦那・吉田喜重の死去

 

岡田茉莉子さんと旦那・吉田喜重監督。長年連れ添った最愛のパートナーとの別れは、2022年12月に突然訪れました。吉田喜重監督が肺炎のため89歳で死去したのです。

 

「秋津温泉」「エロス+虐殺」などの作品で知られる映画監督の吉田喜重(よしだ・よししげ)さんが8日、肺炎のため死去した。89歳だった。葬儀は近親者で行う。喪主は妻で俳優の岡田茉莉子さん。

 

引用:吉田喜重さん死去 映画監督「秋津温泉」「エロス+虐殺」

 

死去の前日まで元気に過ごしていたという夫のあまりにも突然の死は、岡田茉莉子さんに計り知れないショックを与えたといいます。

 

2023年にテレビ番組「徹子の部屋」に出演した際には、夫の死去から1年近く経ってもまだ実感が湧かず、遺骨も自宅に置いたままで、毎日話しかけていると涙ながらに語っています。「夫がいたから生きてこられた」、「私の目には狂いがなかった」という言葉に、旦那・吉田喜重監督への深い愛情と信頼が凝縮されていました。

 

岡田茉莉子の現在

 

旦那・吉田喜重監督を亡くした悲しみは計り知れませんが、岡田茉莉子さんは92歳となった現在も気丈に前を向いて生きているようです。

 

2023年には「生誕90年記念 映画女優・岡田茉莉子」と題した特集上映が開催されるなど、その功績は現在も高く評価され続けています。

 

そして、現在、岡田茉莉子さんは夫の死後も、メディアの取材に応じ、気品とユーモアをたたえた姿を見せています。最近では、特に目立った健康問題もなく、日々の生活を楽しみながら過ごしているという事です。

 

女優業としては、2019年まで23年間にわたりテレビ朝日の人気ドラマシリーズ「温泉若おかみの殺人推理」で大女将役を務めるなど、長きにわたり活躍を続けていました。

 

現在は高齢もあってか女優としての活動はセーブしているようですが、2025年11月には第38回東京国際映画祭の日本映画クラシックス、生誕120年成瀬巳喜男特集として「浮雲」が角川シネマ有楽町で上映された際に、トークショーイベントに出演。現在92歳とはとても思えない若々しい姿を見せました。女優・岡田茉莉子の存在感は現在も少しも衰えてはいません。

 

まとめ

 

今回は、戦後日本を代表する女優の1人である岡田茉莉子さんについてまとめてみました。

 

岡田茉莉子さんは160cm弱という当時の日本人女性としては高い身長と共に芸能の世界で活躍した両親譲りの華やかな美貌で人気を得て、若い頃は東宝や松竹の看板女優として数々の映画に出演しました。

 

私生活については、三國連太郎さんと恋愛関係が噂される事もありましたが、これは事実ではなく、生涯の旦那となる吉田喜重監督と運命的な出会いをし、1964年に結婚して以後は公私のパートナーとして一緒に歩んでいます。

 

岡田茉莉子さんと旦那・吉田喜重監督の間に子供はいませんでしたが、これは岡田茉莉子さんが生涯を女優として生きるために自ら選んだ道だと言われています。

 

2022年12月、最愛のパートナーであった吉田喜重監督が89歳で死去し、岡田茉莉子さんは悲しみを抱きつつも前を向いて生きており、2025年現在、トークイベントにも出演して92歳とはとても思えない若々しさを見せ、少しも衰えぬ存在感を示しています。

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