義手・義足のダンサー「キャロットyoshie」さんが話題です。
この記事ではキャロットyoshieさんの本名や事故前と事故後の経歴、結婚や離婚の経験と元旦那さんや子供について、右腕右脚を失う原因となった事故の詳しい内容と事故のその後の再生の軌跡と現在の活躍についてまとめました。
この記事の目次
キャロットyoshieは義手・義足のダンサーでパラリンピック開会式で話題
キャロットyoshieのプロフィール
本名 :松田よしえ
生年月日:1967年11月17日
出身地 :東京都
キャロットyoshieさんは、交通事故により右腕と右脚を失いながらも、義手・義足で活躍されているダンサーです。
キャロットyoshieさんが一躍注目を浴びたのは東京2020パラリンピック開会式でのパフォーマンスでした。光と音の洪水の中、キラキラと輝く義手と義足を身につけ、全身で生命の躍動を表現するその姿は多くの人々に衝撃と感動を与えました。
しかし、その圧巻のパフォーマンスの裏には、想像を絶する苦難とそれを乗り越えた不屈の精神、そして子供との深い絆の物語がありました。ここでは、そんな義手・義足のダンサー・キャロットyoshieさんについて詳しく紹介していきます。
キャロットyoshieの本名は「松田よしえ」さん

出典:https://prdurbanosichapp1.blob.core.windows.net/
キャロットyoshieさんの本名は「松田よしえ」さんです。
市原市在住で東京パラリンピック開会式でのセレモニーキャストとして出演した義手・義足のダンサー、キャロットyoshie.(キャロットよしえ/本名:松田よしえ)さん。
キャロットyoshieの事故前の経歴…美容師とトラック運転手の兼業
キャロットyoshie(本名・松田よしえ)さんは、1967年11月17日に東京都で生まれました。
若い頃は美容師を志し資生堂技術専門学校を卒業後に美容師としてのキャリアをスタートさせています。事故に遭った当時は自身のお店も構えられていました。
プライベートでは結婚し、子供(娘さん)も授かりましたが、子供が2歳の時に旦那さんとは離婚しシングルマザーとなります。
キャロットyoshieさんは女手1つで幼い子供を育て、将来のために少しでも多くの蓄えをしようと、昼間は美容師、夜は大型トラックの運転手というダブルワークの生活を送っています。
当時は、睡眠時間はわずか2、3時間だったとの事で、心身ともに相当無理をした状態で懸命に愛する娘のために働き続けていたようです。
キャロットyoshieの結婚と離婚と旦那や子供について
上述のように、キャロットyoshieさんは結婚されていましたが、子供が2歳の時に離婚されています。
しかし、キャロットyoshieさんの元旦那さんがどのような方なのかや、結婚の経緯や離婚の理由などの詳しい情報は明かされていません。
キャロットyoshieさんの子供については、娘さんで2015年にキャロットyoshieさんが事故に遭った当時は中学2年生だった事が明かされています。したがって、キャロットyoshieさんが子供を出産したのは2011か2012年頃と推測できます。
キャロットyoshieさんが事故により右腕と右脚を失った後、キャロットyoshieさんを精神的に、そして物理的にも支え続けたのがこの娘さんでした。
キャロットyoshieさんによれば、右腕を失って美容師の仕事を続けられなくなった際の手続きを、何も行っていないのに娘さんが全てやってくれたのだとか。また、キャロットyoshieさんは精神的に参ってしまう時もあったそうなのですが、そうした時に、力強い言葉で励まし続けてくれたのもやはり娘さんだったようです。
キャロットyoshieが右腕・右脚を失う原因となった交通事故の内容

キャロットyoshieさんが右腕と右脚を失う原因となった交通事故の内容についても詳しくみていきます。
キャロットyoshieさんがこの事故に遭ったのは、2015年10月13日の早朝4時34分でした。その日、トラック運転手のキャロットyoshieさんは夜通し運転をしていたそうです。
荷物を積んで走行中、前方を走っていた大型トラックがセンターラインを大きくはみ出し、キャロットyoshieさんの運転するトラックに正面から突っ込んできたのだそうです。狭い道幅では、もはや避ける術はなく、激しい衝撃と共に、キャロットyoshieさんの意識は一瞬にして失われたようです。
その後、キャロットyoshieさんは押しつぶされた運転席の中で意識を取り戻します。アドレナリン分泌のためか痛みは感じなかったそうなのですが、右腕にぬるりとした感触があり、目をやるとそこにあるはずの腕がなかったそうです。
この時、キャロットyoshieさんは後に自分でも不思議に思うほど冷静だったそうで、右腕を見つければ後から接合できると考えて、周囲の人に「見つけたら救急隊員の方に渡してください」と伝えたのだそうです。
朦朧とする意識の中、キャロットyoshieさんの脳裏に浮かんだのは、やはり、当時中学2年生だった子供(一人娘)の顔だったそうです。「私、母子家庭なので死ねないんで、命だけは助けてください」。救急隊員に必死に、繰り返しそう叫び続けたといいます。しかし、受け入れ先の病院が22件目でようやく見つかるほどの深刻な状態でした。
17時間に及ぶ大手術の末、一命は取り留めたものの、その代償はあまりにも大きいものでした。
事故の衝撃で右腕は肘の上から切断。右足も粉砕骨折しており、治療を続けていましたが、約2ヶ月後、医師から「このままでは悪化して壊死するリスクが高い。切断してリハビリをすれば、早期の社会復帰が可能になる」と、切断を勧められました。
当初、キャロットyoshieさんは決断できずにいましたが、その場にいた娘さんから「切っちゃえばいいじゃない」、「早く切って社会復帰できるんだったらその方がいいじゃない」という力強い言葉を受け右足の切断を決意しました。
事故の原因は、完全なる相手側のセンターラインオーバーであり、キャロットyoshieさんに落ち度はありませんでした。あまりにも理不尽な形で、彼女は自身の身体の一部を永遠に失うことになったのです。
このあまりにも理不尽な事故により、キャロットyoshieさんは右腕と右脚を失い、約2年半にも及ぶ長く過酷な入院・リハビリ生活を送ることになりました。しかし、この絶望的な状況が、後に彼女を「義手・義足のダンサー」として再生させる大きな転機となったのです。
キャロットyoshieの事故後の経歴① 長く過酷なリハビリとその後の生活

事故後、合計2年半にも及ぶ、キャロットyoshieさんの長く過酷な入院とリハビリ生活が始まりました。
そして退院後、ようやく自宅に戻っても、そこには新たな困難が待ち受けていました。バリアフリーではない自宅では車椅子が使えず、室内では娘の肩を借り、片足でケンケンしながら移動するしかなかったそうです。義足での生活に慣れるまでには、さらに2年の歳月を要したといいます。
当時のキャロットyoshieさんを苦しめたのは、肉体的な痛みや不自由さだけではありませんでした。街を歩けば向けられる好奇の視線。「周囲の好奇な目が苦痛だった」と後に彼女は語っており、次第に引きこもるようになっていったと言います。
そんな絶望の淵に沈むよキャロットyoshieさんを、ただ献身的に支え続けたのが、当時まだ中学生だった娘さんだった。彼女は学校に通いながら、母親の介護を一身に引き受けたそうです。朝、母を起こすことから始まり、食事の準備、入浴やトイレの介助、そして3匹の愛犬の世話まで、文句一つ言わずにこなしたと言います。
キャロットyoshieの事故後の経歴② ダンスとの運命的な出会い

失意の日々を送っていたキャロットyoshieさんに転機が訪れました。リハビリの一環として見学に訪れた「車いすダンス教室」。そこでキャロットyoshieさんが目にしたのは、様々な障がいを持つ人々が、心の底から楽しそうに、笑顔いっぱいで踊っている姿でした。
「障がいを持ってもこんなに踊れるんだ!」。その光景は、失意で凝り固まっていたキャロットyoshieさんの心を打ち、閉ざされていた世界に光を差し込んだようです。自分も堂々としていていいんだ、と次第に思えるようになり、気持ちが開放的になっていったといいます。
この運命とも言える出会いをきっかけに、キャロットyoshieさんはダンスの世界にのめり込んでいきました。そして、キャロットyoshieさんの新たな挑戦を後押しする、もう1つの運命的な出会いがありました。義肢装具士の臼井二美男さんとの出会いでした。
その後、キャロットyoshieさんは入院中に見たディズニー映画「ズートピア」の主題歌「トライ・エヴリシング」に感銘を受け、「この曲で踊りたい」と臼井二美男さんに話したところ、彼は「右腕にニンジンのソケットを付ければいい」と提案。主人公のウサギ、ジュディ・ホップスが持つニンジン型のペンにちなんだ、ユニークで愛情あふれるアイデアでした。
そして、それにちなみ「キャロットyoshie」という現在の芸名が誕生しました。絶望の象徴であった失われた右腕が、ニンジン(キャロット)をモチーフにした義手という希望のシンボルへと生まれ変わった瞬間となりました。
キャロットyoshieの事故後の経歴③ ダンサーとしての目覚ましい活躍

ダンサー「キャロットyoshie」として新たな一歩を踏み出した彼女の快進撃は、目覚ましいものがありました。
ダンスを始めたキャロットyoshieさんは、ひたすらに練習を重ね、その表現力に磨きをかけていきました。やがて、九州国際ダンスコンペティションで準優勝、パラダンス大会では優勝を飾るなど、数々の大会でその才能を開花させていきます。
さらに、障がい者陸上競技大会の100mでも優勝を果たしており、その身体能力の高さと、何事にも挑戦するバイタリティは多くの人々を驚かせ、勇気を与えました。
そして2021年、キャロットyoshieさんはついに、東京2020パラリンピック開会式という世界的な大舞台に立ちます。デコトラチームの一員として、光り輝く義手と、スワロフスキーで装飾された義足を身につけて舞うキャロットyoshieさんの姿は、世界中の人々に感動を与え、共生社会の可能性を鮮烈に印象付けました。
この出演を機に、キャロットyoshieさんの活動はさらに幅を広げていきました。ダンサーとしての舞台活動はもちろん、写真家の越智貴雄氏による写真集「切断ヴィーナス2」のモデルを務め、そのしなやかで力強い身体の美しさを披露。また、新人歌手のミュージックビデオやブリヂストンのYouTube CMにも出演するなど、メディアへの露出も増えていきました。
さらに、2021年4月からは、事故前に勤めていた運送会社(ヒタチ株式会社 千葉センター)に点呼者として職場復帰も果たしています。
ダンサーという表現者であると同時に、社会の一員として再び歩み始めたその姿は、多くの障がいを持つ人々に勇気を与えています。
キャロットyoshieの現在
現在、キャロットyoshieさんは千葉県市原市を拠点に、精力的な活動を続けています。地域のイベントに積極的に参加し、ダンスパフォーマンスを披露するかたわら、全国の学校や企業に招かれて講演会を行っています。
自身の壮絶な体験や、義手・義足との生活について、子供たちにも分かりやすく、そして真摯に語りかけています。実際に義足に触れてもらうなど、体験を交えた授業は、共生社会や多様性への理解を深める貴重な機会となっているようです。
その多忙な活動の様子は、自身のYouTubeチャンネルでも発信されています。そこでは、華麗なダンスパフォーマンスだけでなく、筋電義手を使ったリハビリの様子や、房総の郷土料理である太巻き寿司作りに挑戦するチャーミングな日常も公開されており、キャロットyoshieさんの人間的な魅力にも触れることができます。
キャロットyoshieさんは自身の活動の目的を「差別の無い共存共栄の世界、人間だけでなく動物も含めた命の尊さが認められる世界を目指し、元気と笑顔を届けるために、今この一瞬を大切に見つめ舞っています」と語られています。
まとめ
今回は、義手・義足のダンサー「キャロットyoshie」さんについてまとめてみました。
キャロットyoshieさんは2015年に交通事故が原因で右腕と右脚を失いました。本名は「松田よしえ」さんといい、事故に遭う前は美容師とトラック運転手として活躍されていました。プライベートでは結婚と離婚を経験。元旦那と別れ、シングルマザーとしてかけがえのない子供を育てるため、懸命に働いていた日常は、あまりにも理不尽な交通事故によって一変しました。
しかし、彼女の物語はそこで終わりませんでした。その後、愛する娘の力強い支えもあり、義手・義足のダンサー「キャロットyoshie」として再生を遂げます。
そして現在、キャロットyoshieさんは、過去のすべての経験を糧に、誰よりも眩い光を放ちながらステージに立ち続けています。その生き様は、どんな逆境の中にも希望の光は必ず存在するという力強いメッセージを発信し多くの人々に勇気を与えています。



















