山地悠紀夫の生い立ちと母親や家族!イケメン顔画像・彼女との結婚願望・事件詳細と動機・死刑執行や映画化も総まとめ【大阪姉妹殺人事件の犯人】

大阪姉妹殺人事件の犯人・山地悠紀夫は未成年の時に母親も殺害しており、生い立ちや家族との関係も話題です。

 

今回は山地悠紀夫のイケメン画像、生い立ちや家族、2つの事件詳細と動機、彼女との結婚願望、死刑執行や映画化を紹介します。

山地悠紀夫は「山口母親殺害事件」「大阪姉妹殺人事件」の犯人

 

山地悠紀夫は、2000年(平成12年)7月29日に起きた「山口母親殺害事件」、2005年11月17日に起きた「大阪姉妹殺人事件」の犯人です。

 

「山口母親殺害事件」とは、山地悠紀夫が母親を金属バットで滅多打ちにして殺害した事件です。 

 

また、「大阪姉妹殺人事件」とは、2005年11月17日に大阪市浪速区のマンションで飲食店店員だった姉妹が山地悠紀夫に強姦され刺殺された事件です。

 

「大阪姉妹殺人事件」「山口母親殺害事件」という凶悪事件を2件も引き起こした山地悠紀夫は、最初に母親を殺害した時点では16歳の未成年でした。

 

そして、22才の頃に大阪で姉妹を殺害しています。

 

そんな山地悠紀夫が裁判やインタビューなどで残した数々の言葉は、その冷酷非道な性格をうかがわせる恐ろしいものでした。

 

「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった」

 

「ふらっと買い物に行くように、ふらっと人を殺しに行ったのです」

 

「蚊も人も俺にとっては変わりない」

 

「人を殺す事と物を壊す事は全く同じ事」

 

「何のために生まれてきたのか、答えが見つからない。

人を殺すため。もっとしっくりくる答えがあるのだろうか。ばく然と人を殺したい」

 

「私の裁判はね、司法の暴走ですよ。魔女裁判です」

 

これらの言葉から、山地悠紀夫は人間の心を持たない悪魔のような存在に思えます。

 

山地悠紀夫がこのように歪んだ思考を持つようになったのは、家庭環境が影響していると言われています。

 

 

山地悠紀夫はイケメン?顔画像を紹介

 

山地悠紀夫が逮捕されてテレビ番組で報道された際に、ネット上ではSNSなどで少なからず「イケメン」「かっこいい」という声が挙がりました。

 

確かに、鼻筋が通っていて目鼻立ちが整った顔立ちのように見えます。

 

ただ、逮捕されパトカーで連行される際の画像からは、不敵な笑みを浮かべているとも見える冷静な表情で、何とも薄気味悪い印象を強く感じる方も多いのではないでしょうか。

 

 

山地悠紀夫の生い立ちと家族① 父親は母親のせいで死んだと思い込む

山地悠紀夫の父親は山口県山口市出身で、定職を持たずにふらふらと仕事を転々とし、毎日浴びるようにお酒を飲んでは暴れて、山地悠紀夫や母親に暴力を振るっていたと言われています。

 

その父親は、山地悠紀夫が小学5年生の頃に重度のアルコール依存による肝硬変で他界しました。

 

山地悠紀夫が逮捕後に語った話によれば、父親について「大切な人です」としており、優しい面も持ち合わせている、必ずしも悪魔のような父親ではなかったのかもしれません。

 

また、父親が亡くなる時の母親の冷たい態度が、山地悠紀夫の心の奥底に母親への憎しみを植え付けるきっかけとなったと言われています。

 

「自宅で父親が吐血していたのを見て、小学生の山地が母親の職場に電話したところ、『放っておきなさい』と言われたことが忘れられないようです。その夜、母親が救急車を呼びましたが父親は死にました。さらに父親の通夜の席で母親が『死んでせいせいした』と話していることを耳にして、父親の死は母親のせいだと思い込むようになった。そのため山地は父親について『大切な人です』と表現して、いい思い出ばかり語る一方で、母親については『大切でない人ですね』と言い、『はっきり言って嫌いでした』と突き放しています」

 

引用:文春オンライン – 《16歳で母親を殺害》「金属バットで頭ではなく、より苦しむ躰を殴った…」元死刑囚・山地悠紀夫が語った母親を殺害した3つの理由

 

父親が亡くなってから、山地悠紀夫は母親と2人暮らしになりました。

 

 

山地悠紀夫の生い立ちと家族② 問題行動が増えて不登校に

 

小学校での山地悠紀夫は目立たないおとなしい存在であり、友達もいなかったとみられています。

 

また、母親の安月給では家庭科の教材費などを支払うこともできなかったようです。

 

そのため、教師からは調理実習で作ったものを食べる資格はないと言われ、せっかく作った料理をゴミ箱に捨てさせられたこともあったと言われています。

 

こうした極貧生活や教師からのいじめなどが山地悠紀夫の心を蝕んでいったのか、次第に学校で問題児として目立つように。

 

中学校に上がった山地悠紀夫は、自分よりも弱い人間に難癖をつけていきなり殴ったり、校舎の窓を割ったりするなど、問題行動はエスカレートしていきました。

 

そのため、同級生から「悪魔」と呼ばれたり、山地悠紀夫を疎ましく思うグループからいじめを受けたりするようになりました。

 

それがきっかけで、山地悠紀夫は中学2年生の頃から不登校となり、修学旅行など学校の行事にも一切参加せず、中学3年生の頃は1年の3分の2近くを欠席したようです。

 

 

山地悠紀夫の生い立ちと家族③ 新聞配達を始めて真面目な生活を送る

1999年1月の中学校卒業前、山地悠紀夫は岡山県倉敷市にある縫製工場の採用試験を受けたものの不合格となり、卒業生の中でただ1人高校にもいかず就職もしないという身の上になります。

 

ただ、知人の紹介で新聞販売店で配達員の仕事を始めています。

 

仕事後はトレーディングカードに興じる

 

山地悠紀夫はその犯行の冷酷さから、人間の心を待たない悪魔のような印象が持たれがちです。

 

しかしこの頃の山地悠紀夫は、新聞配達員として真面目に働きながら、トレーディングカードにはまって子供達とおもちゃ屋で遊ぶという、至って普通な面も持ち合わせていました。 

 

 その後、建設工事の仕事をしてみたが、中学を卒業したばかりで線の細い山地には体力的に無理があり、すぐに音を上げた。そんなとき、中学時代の友人から誘われ、新聞配達のアルバイトを始めることになった。大阪での事件が起きて新聞販売店を訪ねるも取材拒否で、話を聞くことはできなかったが、新聞配達の仕事は山地に合っていたようだ。彼はそこで熱心に働き、認められ、初めて自分自身で稼ぐ喜びを知った

 

 自由に遣えるカネを持つようになった山地が通っていたのは、物心ついたころから知っているオカダトーイ(仮名)というおもちゃ屋だった。そこでトレーディングカードを使ったゲームを、小中学生相手に楽しむのを日課としていた。

 

引用:文春オンライン – 《16歳で母親を殺害》「金属バットで頭ではなく、より苦しむ躰を殴った…」元死刑囚・山地悠紀夫が語った母親を殺害した3つの理由

 

こうしたエピソードを見ると、山地悠紀夫は中学卒業後、住み込みで働ける縫製工場に勤められていれば、人生を誤ることもなかったのかもしれません。

 

 

山地悠紀夫の生い立ちと家族④ 母親が借金まみれになり親子関係が悪化の一途をたどる

出典:https://pixabay.com/

 

山地悠紀夫が新聞配達の仕事を真面目にこなしている中、この頃の母親は、ストレスから買い物依存症で500~1000万円ほどの借金を作っていたようです。

 

母親は考えなしに方々でローンを組み多重債務者となっていたことから、毎日のように借金返済の催促の電話や、取り立てが家に来るようになりました。

 

1999年6月頃に山地悠紀夫は莫大な借金の事実に気付き、自分の月収9万円のうち、半分を借金に当てていたと言われています。また、生活保護の申請をするも、通らなかったといいます。

 

しかし母親は、そうした山地悠紀夫の真面目な努力をあざ笑うかのように、勝手に山地悠紀夫のお金を盗んで使っていたようです。

 

そうしたお金にだらしのない母親に愛想が尽きた山地悠紀夫は、ほとんど会話もなく険悪な関係になっていきました。

 

まっとうな道を歩もうとする山地悠紀夫を阻んでいたのは、母親だったことは間違いありません。

 

山地悠紀夫の母親は再婚願望があった

山地悠紀夫は極貧借金生活から何とか抜け出そうと頑張っていた一方、母親には彼氏ができていたようで、自分が再婚したらどう思うかとたびたび聞いてきたといいます。

 

「浩二さんが死んでから、再婚相手を探していた敏江さんは、化粧が濃くなり、服装もだんだん派手になっていきました。ただ、おしゃれにおカネを遣う余裕はなかったはずで、聞いた話だと、ローンを組んだり借金をしてまかなっていたようです」

 

引用:文春オンライン – 《16歳で母親を殺害》「金属バットで頭ではなく、より苦しむ躰を殴った…」元死刑囚・山地悠紀夫が語った母親を殺害した3つの理由

 

山地悠紀夫は「勝手にしろ」と突き放していたようですが、「俺は邪魔だ」と感じるようになり、一人暮らしを計画し始めました。

 

 

山地悠紀夫の生い立ちと家族⑤ 憧れの女性との仲を母親が邪魔をする

山地悠紀夫

出典:https://tanteifile.com/

 

山地悠紀夫は2000年4月頃から、行きつけのおもちゃ屋で新しく働き始めた7歳年上の23歳女性店員に憧れるようになりました。

 

明るい茶髪の小柄で可愛らしい印象の女性で、山地悠紀夫からしてみれば、おしゃれな大人の女性に見えたのでしょう。

 

女性店員には交際5年目の彼氏がおり、山地悠紀夫もその話を聞いていましたが、女性店員は彼氏との関係に悩んでいることを打ち明けるなど、山地悠紀夫に思わせぶりな態度を取ります。

 

そのため、山地悠紀夫は7月26日夜に女性店員に告白をしており、女性店員はその翌日、山地悠紀夫を部屋に招き入れて肉体関係を持ちました。

 

山地悠紀夫は真面目に働き、母を助けていた

山地悠紀夫は憧れの女性と関係を持てたことで、新聞配達員の仕事後に女性店員に会いに行くという新しい楽しみができ、とても真面目な生活を送っていました。 

 

この頃は給料日に母親とカツ丼を食べることが楽しみだったとも語っており、充実した生活だったようです。

 

しかし、母親との生活は借金地獄による末期の状態で、電気や水道まで止められてしまい、後は住んでいるアパートの立ち退きが迫っていたと言われています。

 

母親は山地悠紀夫の恋路を邪魔しようとした

こうした中、山地悠紀夫が思いを寄せていた女性店員に、母親が無言電話をかけていたことが発覚しました。

 

 翌日、珍しく新聞配達の仕事を無断で休んだことを心配した、販売店の関係者が山地家を訪ねた。敏江さんも山地が昨夜帰って来なかったことを心配していて、心当たりはないかと尋ねてきたため、その関係者は山地が最近よく口にしている久美さんのことを洩らしてしまった。息子の財布から時折カネを抜き取っていた敏江さんは、財布のなかにあった名刺でその名前に心当たりがあった。

 

 かたや山地の心は不安で揺れていた。というのも、関係を持った後も久美さんが彼氏と自分を天秤にかけていたからだ。そしてその天秤は、彼氏のほうにやや傾いている。

 

 そんなとき、久美さんから彼女の携帯電話に何度か無言電話がかかってくることを聞かされた。敏江さんは携帯電話に、かけた側の電話番号が表示されることを知らなかったようだ。山地は母が借金で自分を苦しめるだけでなく、恋路までも邪魔しようとしていると確信した

 

引用:文春オンライン – 《16歳で母親を殺害》「金属バットで頭ではなく、より苦しむ躰を殴った…」元死刑囚・山地悠紀夫が語った母親を殺害した3つの理由

 

この件をきっかけに、山地悠紀夫は完全に母親を憎むようになります。

 

 

山地悠紀夫は彼女と結婚願望があった?

山地悠紀夫の母親殺害事件「山口母親殺害事件」の詳細を紹介する前に、山地悠紀夫が彼女と結婚したいと思っていたのかどうかについて書いておきたいと思います。

 

山地悠紀夫はこの憧れの彼女について、事件後に深く語っていないようで、結局交際に発展する前に事件起こしてしまったため、その後二度と会うことはなく刑務所に入ることとなりました。

 

しかし、山地悠紀夫はこの女性との交際を望み、ゆくゆくは結婚したいと思っていた可能性はあるでしょう。 

 

 

山地悠紀夫が起こした「山口母親殺害事件」の詳細と動機

 

2000年7月29日午後9時頃、山地悠紀夫はパートから帰ってきた母親に、借金の状況を尋ねます。

 

すると母親は「あんたには関係ない」と突っぱねたため、山地悠紀夫はカッとなって「彼女に無言電話したろう」と語調を強めて問いただしました。

 

母親が「知らんわ」「出ていけ」と吐き捨てたことで、山地悠紀夫は我慢の限界を超え、母親の顔面を拳で殴り、首をつかんで隣の部屋に放り投げます。

 

そして顔や背中などを激しく蹴り、近くにあった金属バットを持って母親の胸や腹、足などを思いっきり殴りました。

 

後に山地悠紀夫は頭を殴らなかった理由について、即死する可能性のある頭ではなく、より苦しむであろう体を狙ったと語っています。

 

山地悠紀夫は執拗に殴り続け、我に返ると血の海で横たわるすでに絶命した母親の姿があったといいます。

 

山地悠紀夫は母親をそのままにして、翌朝に通常通り新聞配達の仕事に出かけました。

 

家に戻ってくると、山地悠紀夫は床一面に広がっていた母親の血液をバケツの水で洗い流し、ほうきで掃いて水を捨てています。

 

それから、山地悠紀夫はおもちゃ屋に出向いてトレーディングカードで遊び、休憩時間に入った彼女を誘って喫茶店で食事をとりました。

 

その後、2人で雑貨屋に行き、彼女が前から欲しがっていた2000円の小さなポーチを買ってプレゼントしたようです。

 

30日の夕方頃に自宅に戻ってきた山地悠紀夫は、母親の遺体を毛布で包んで、首と足首の辺りを紐で結ぶと玄関の土間に運びました。

 

そして翌31日午前1時10分頃に、山地悠紀夫は警察に電話をかけて「母親を殺した」と自首しました。

 

山地悠紀夫が母親を殺害した3つの動機とは?

 

山地悠紀夫は逮捕された後の事情聴取やインタビューなどで、母親を殺害した動機について以下の3つであることを明かしています。

 

付き合い始めたばかりの彼女に無言電話をかけたこと、自分のおカネをくすねたこと、ひどい育てられかたをしたこと、の3つを口にしました。それで、『その3つとお母さんが殺されることについて、バランスはどう?』と尋ねると、『同じぐらいの価値』と無表情で答えました。なので私が、『殺すってことは、相手の可能性をゼロにすることなんよね。それは本当に同じ?』と再度聞くと、『ああ、そうか、それは……』と考え込む反応を見せました。ある意味予想通りのその姿を見て、彼に対しては理屈とか、そういうところで勝負しないと……。情緒に訴えても、それは無理やなって思いました」

 

引用:文春オンライン – 《16歳で母親を殺害》「金属バットで頭ではなく、より苦しむ躰を殴った…」元死刑囚・山地悠紀夫が語った母親を殺害した3つの理由

 

彼女に無言電話をかけたことは事件のきっかけとなる動機であり、日頃から財布のお金を盗まれていたことやひどい育てられ方をしたことが最も強い動機と言えます。

 

母親の殺害は決して正当なものではありませんが、この事件に同情の余地はあるでしょう。

 

 

山地悠紀夫の「山口母親殺害事件」のその後:ゴト師グループを追い出され野宿生活

 

山地悠紀夫は2005年2月頃に少年院を出所すると、福岡県福岡市で活動していたパチスロ機を不正操作してコインを盗むという「ゴト師」のグループに加わりました。

 

その後、このゴト師グループが摘発されたことを受けて山地悠紀夫も逮捕されましたが、不起訴処分で釈放されています。

 

このグループは福岡から大阪に拠点を移しましたが、山地悠紀夫は全く稼ぎを上げられず、役に立たないと思われて同年11月、グループから追い出されました。

 

活動拠点のマンションから外に出た山地悠紀夫は、近くの神社の境内や公園などで野宿生活をしていたようです。

 

 

山地悠紀夫が起こした「大阪姉妹殺人事件」の詳細や動機

 

2005年11月17日午前2時半ごろ、山地悠紀夫は飲食店で仕事を終えて帰宅途中の女性の後をつけて、この女性が自宅のドアを開けた瞬間に背後から襲い、ナイフで胸を突き刺しました。

 

山地悠紀夫は女性のズボンと下着を片足ずつ脱がせて強姦し、跡を残さないように隠蔽工作をしました。

 

その10分後、女性の妹が帰宅してきたため、山地悠紀夫は姉同様に妹の胸もナイフで突き刺して、倒れている姉の横で妹も強姦しました。 

 

ことが終わった山地悠紀夫はベランダでタバコを吸い、部屋に戻ると姉妹の胸にそれぞれナイフを突き立ててとどめを刺し、室内に放火して現金5000円と貯金箱を奪って逃走しました。

 

この姉妹はその後に病院に搬送されましたが、間もなく死亡が確認されています。

 

大阪府警は同年12月5日に、建造物侵入容疑で山地悠紀夫を逮捕し、同月19日に強盗殺人容疑で再逮捕しました。

 

山地悠紀夫が姉妹を殺害した動機

 

山地悠紀夫は姉妹を強姦殺人した理由について、「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった」「誰でもいいから殺そうと思った」と供述しました。

 

また、山地悠紀夫は「ふらっと買い物に行くように、ふらっと人を殺しに行ったのです」と弁護士にも語っています。

 

殺人と強姦どちらに重きをおいて犯行に及んだのか、山地悠紀夫は深くは触れていないようですが、 口ぶりからすると殺人のついでに強姦をしたと思われます。

 

 

山地悠紀夫の「大阪姉妹殺人事件」の3年後に死刑執行されている

 

山地悠紀夫は「大阪姉妹殺人事件」から約3年後となる2009年7月28日、大阪拘置所内で死刑が執行されました。享年25歳でした。

 

山地悠紀夫は母親を殺害した時は自首していますが、姉妹を殺害した時は自首していませんので、死刑覚悟で犯行を犯したのかもしれません。

 

なお、山地悠紀夫は死刑執行前の心境について最期の言葉などは残していないようです。

 

山地悠紀夫は途中までは真面目に生きようとしていたのに、あまりにも放蕩過ぎる母親のせいで真っ当な人生を歩むことができなかったことは本当に残念です。

 

ただ、少年院から出た後も犯罪行為を続け、無関係な姉妹を殺害したことはやはり許されることではありません。 

 

 

山地悠紀夫の起こした事件は映画されている

松竹芸能のピン芸人・松原タニシが映画化

 

 

名古屋放送(メーテレ)の番組「北野誠のおまえら行くな」の企画としてスタートした、松竹芸能のピン芸人である松原タニシさんの「松原タニシのパラノーマル日記」。

 

このコーナー内をまとめた書籍『怖い間取り』が、8月28日に映画化され、松竹系の映画館で公開されました。

 

この映画で紹介された事故物件のマンションの一室が、山地悠紀夫が大阪市浪速区で姉妹を殺害した現場でした。 

 

北野誠とある怪談イベントで話した、松竹芸能の稽古場そばにある芸人仲間の住むマンションの不思議な話をしたところ、北野誠からタニシに『お前、そのマンションに住めよっ‼️』と言われたことからこの企画がスタートし、そのマンション契約の最終段階で理由も告げられずにマンションの大家から契約を断られた為、結局のところそのマンションには住めず、既に上述した番組で北海道ロケに入っていた北野誠に相談した結果、大阪浪速区にある曰く付きのマンションの一部屋を紹介され、そこに住むことになり松原タニシのメジャーデビューがスタートするのであります ┐(´∀`)┌

 

引用:ゑびすたろうのブログ – 久々の映画館へ

 

結局、この部屋で何か心霊現象が起きたという話はありませんが、凄惨な殺人現場であることには間違いありません。

 

 

まとめ

 

2000年と2005年にそれぞれ発生した「山口母親殺害事件」「大阪姉妹殺人事件」について、犯人の山地悠紀夫の生い立ちや家族、死刑執行までの流れをまとめてきました。

 

無関係な姉妹2人を殺害した山地悠紀夫は決して許されませんが、山地悠紀夫の生い立ちを知ると同情を禁じ得ない人も少なくないでしょう。

 

山地悠紀夫が中学卒業後に住み込みで働ける縫製工場を不合格となってしまったことが、運命の分かれ道だったのかもしれません。

 

被害者の方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

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