「毎日かあさん」などで知られる漫画家・西原理恵子さんは、高須克弥院長との熱愛ぶりが度々メディアを賑わせ話題を集めています。
今回はそんな西原理恵子さんの元夫・鴨志田穣さんとの結婚と離婚、2人の子供、高須克弥さんとの馴れ初めや衝撃のエピソードなどについてまとめました。
この記事の目次
西原理恵子(漫画家)のプロフィール
西原理恵子のプロフィール
生年月日:1964年11月1日
出身地 :高知県高知市浦戸
血液型 :A型
西原理恵子(さいばらりえこ)さんは、その波乱万丈な人生経験を元にした型破りなエッセイ漫画でカルト的人気を集めている漫画家です。代表作は「毎日かあさん」「パーマネント野ばら」「ぼくんち」「恨ミシュラン」「まあじゃんほうろうき」「いけちゃんとぼく」など。
西原理恵子の経歴
西原理恵子さんは高知県高知市浦戸の出身。実父は重度のアルコール依存症で、西原理恵子さんがまだ母親のお腹にいる時に両親が離婚し、祖父のいる浦戸に母親が出戻り、3歳までそこで育ちました。
西原理恵子さんが7歳の時に母親が再婚し、継父は理恵子さんを実の子供のように可愛がりましたが、重度のギャンブル依存で莫大な借金を背負い、母親とは喧嘩が絶えず罵声が飛び交う家庭だったそうです。
出典:https://www.kochinews.co.jp/
1982年、私立土佐女子高等学校3年生だった西原理恵子さんは、他の生徒数名とスナックで飲酒した事が学校にばれ退学処分になってしまいます。西原理恵子さんは一方的な処分を不服として学校側を提訴しました。この時の弁護士代は、大人達の中でただ1人西原理恵子さんの味方をしてくれた継父が、「金を出すから戦ってみろ」と用立ててくれたそうです。
西原理恵子さんは裁判で高校への復学を争いましたが、その最中に大検に受かったため復学する必要がなくなり訴訟を取り下げています。
その後、西原理恵子さんは美大受験を目指し、翌日の受験のために上京したその日に、継父が首を吊って亡くなってしまいます。借金を苦にしての自殺でした。
これによってこの年は受験できませんでしたが、その翌年には武蔵野美術大学に合格し、ホステスなどのアルバイトをしながら大学に通いました。大学在学中の1988年ヤングサンデーで4コマ漫画「ちくろ幼稚園」の連載を開始して漫画家デビューを果たし、翌1989年には無事大学を卒業しています。
その後、西原理恵子さんは漫画週刊誌のほかに、パチンコや麻雀などの専門誌でのギャンブル漫画の連載も持つようになり、プライベートで自身もギャンブルにのめり込み、数年で損失額は5000万円にものぼったといいます。
1996年にはフリージャーナリスト(戦場カメラマン)の鴨志田穣(かもしだゆたか)さんと知り合って結婚し一男一女を儲けますが、2003年に離婚しています。この夫・鴨志田穣との結婚生活は西原理恵さんの代表作「毎日かあさん」で詳しく描かれています。
2012年には、美容整形外科の高須克弥さんと恋人関係にある事が報じられ話題になり、現在も2人で度々メディアに登場し独特の個性を放つ熟年カップルとして人気を集めています。
西原理恵子(漫画家)の結婚した元夫はフリージャーナリスト・鴨志田穣
ここからは、漫画家・西原理恵子さんが1996年に結婚した元夫のジャーナリスト・鴨志田穣さんとの関係について見ていきたいと思います。
鴨志田穣のプロフィール
生年月日:1964年7月2日
没年月日:2007年3月20日(享年42歳)
出生地 :神奈川県川崎市
出身地 :北海道札幌市
大学進学を諦め、東京でアルバイト生活を送っていた若き日の鴨志田穣さんは、戦場カメラマンに憧れ、23歳の時に、アルバイト代を貯めてカメラを持って単身タイへと渡ります。
その後、鴨志田穣さんはアジアを放浪する中で、著名な戦場ジャーナリストの橋田信介さんと出会い弟子入りし、東南アジアの紛争地帯を中心に戦場カメラマンとして活動します。その取材活動の中で、当時カンボジアで勢力を伸ばしていた武装組織「クメール・ルージュ」の捕虜となった事で世間に名前を知られるようになりました。
西原理恵子と鴨志田穣の馴れ初めと結婚
1996年、タイ・バンコクを活動拠点としていた鴨志田穣さんは、当時週刊誌記者だった勝谷誠彦さんに漫画の取材でタイを訪れていた西原理恵子さんを紹介され、その1年後に西原さんの旅ルポ漫画「鳥頭紀行」のアマゾン川取材旅行の企画にカメラマンとして同行する形で再開。その帰国の飛行機の中で、鴨志田穣さんは西原理恵子さんにプロポーズします。
帰国後は西原理恵子さんのマンションに鴨志田穣さんが転がり込む形で同棲をスタートさせ、その後、2人は結婚する事になりました。
西原理恵子(漫画家)と元夫・鴨志田穣の離婚理由はアルコール依存症とDV
出典:https://www.cinematoday.jp/
戦場カメラマンの鴨志田穣さんと結婚した西原理恵子さんですが、その結婚生活は約6年ほどしか続きませんでした。2人は2003年に離婚。その離婚理由は、鴨志田穣さんのアルコール依存症と、それが原因となった西原理恵子さんへのDVでした。
アルコール依存症で西原理恵子への暴言や暴力、離婚へ
鴨志田穣さんと西原理恵子さんの幸せな結婚生活は半年ほどで終焉を迎えます。戦場の悲惨な現場を目の当たりにし過ぎたためにアルコール依存症になっていた鴨志田穣さんが、西原理恵子さんに暴言や暴力を振るうようになったのです。
西原理恵子さんとの間には、1998年に長男その2年後に長女を儲けますが、鴨志田穣さんは子育てにはほとんど関心を示さず、さらに精神を病んでいき精神病院への入退院を繰り返すようになります。
その後、西原理恵子さんとは別居し2003年に離婚。鴨志田穣さんと西原理恵子さんの結婚生活は約6年で終わりを迎えました。
西原理恵子(漫画家)は元夫・鴨志田穣と離婚後も連絡を取り続け治療をサポート
命の危険を感じるほどの暴力を受け、鴨志田穣さんとの離婚を決断した西原理恵子さんでしたが、それでも愛する男性を見捨て切る事はできなかったのか連絡を取り続けました。
鴨志田穣さんの方も、離婚して初めて西原理恵子さんの大切さに気がつき、「酒をやめて復縁したい」と繰り返すようになります。西原理恵子さんはその言葉を信じる事はできなかったそうですが、それでも元夫のアルコール依存症の治療をサポートしました。
温かい家族を取り戻した最後の半年間
鴨志田穣さんは西原理恵子さんのサポートを受けて治療を続け、次第に西原さんと出会った頃の明るく優しい姿を取り戻し始めた矢先、1年前に発覚し手術を受けていた鴨志田さんの副腎癌が再発。肺にも転移しており、余命はもって半年との宣告を受けます。
鴨志田穣さんは、家族の元に戻りたいと願いますが、西原理恵子さんは当初「また酒を飲んで暴れたらどうしよう」と恐ろしくなり、最初は躊躇したそうです。
後述しますが、そんな西原理恵子さんに鴨志田穣さんを受け入れる決断をさせたのが、現在の西原さんの恋人である美容整形外科の高須克弥さんでした。
以前から西原理恵子さんは高須克弥さんと友人関係で、元夫のアルコール依存症や癌治療について相談していました。西原さんが元夫から復縁を求められている事を相談すると、高須院長は「受け入れてあげなさい。」と即答。この言葉に後押しされ、西原理恵子さんは余命半年の元夫を受け入れる事を決断しました。
この決断によって、西原理恵子さんと鴨志田穣さん、そして2人の子供達は、鴨志田さんが亡くなるまでの半年間、温かい家族として生活する事ができたそうです。
この生活の中で鴨志田さんは西原理恵子さんに「毎日君といるのが楽しい」「子供達がかわいい」と優しい言葉をかけるようになり、かつての朗らかで優しい性格を取り戻しました。
鴨志田穣さんは2007年3月20日に亡くなりますが、亡くなる直前「子供を傷つけずに済んだ、人として死ねて嬉しい」「幸せな人生だったありがとう」と言葉を遺されたそうです。
西原理恵子(漫画家)と元夫・鴨志田穣の間には子供が2人
西原理恵子さんには、元夫の鴨志田穣さんとの間に一男一女の2人の子供を儲けています。この2人の子供は、西原さんの家族をモデルにした漫画「毎日かあさん」の中で「ぶんじ」「ぴよ美」の名前で登場します。
長男の名前は「雁治」である事は公開されているのですが、長女の実名は明かされていません。しかし、西原理恵子さんの長女が舞台女優として活動しているとの情報が2017年頃にネット上にあがっています。
西原理恵子の娘さんが舞台に出てたって聞いたから少し調べたら、マームとジプシーって団体で今日マチ子の「cocoon」をやったんだってね。cocoonが舞台になってるの知ってたら絶対見に行ったのになぁ。舞台ってもっと宣伝されるといいのに。 pic.twitter.com/JmRvNMQGMo
— 鍋さん (@amashokuamama) April 17, 2017
この情報から、西原ひよさんという舞台女優が西原理恵子さんの長女ではないかとの情報が浮上しています。
真偽不明ですが、2000年生まれという事で年齢的にも一致しており、写真の顔立ちも西原理恵子さんにとてもよく似ているように見えます。
西原理恵子の長男・雁治
西原理恵子さんの長男雁治さんについては、16歳でカリフォルニアの高校に留学している事や、その後は東京の大学に進学した事などが明らかになっています。
そして、2020年2月、新宿歌舞伎町に1ヶ月期間限定で開店していた居酒屋「サイバラ酒場 feat.高須院長」で開かれた高須院長の誕生日パーティに、この西原理恵子さんの長男がサプライズゲストとして登場しました。
「さらに、スペシャルゲストが来てくれています!」というアナウンスと共に呼ばれたのは、西原さんの息子・雁治さん。『毎日かあさん』などで登場している、あのお子さんです!
まさか息子さんが来られるなんて想像もしていない参加者は、驚くとともに、大歓声!
これは、サイバラ酒場の公式ウェブサイトで紹介された情報のため間違いありません。
西原理恵子(漫画家)の現在の恋人は美容外科医・高須克弥
西原理恵子さんの現在の恋人は、2012年に熱愛が報じられた美容整形外科医の高須克弥さんです。2人の熱愛ぶりは度々メデイアで報じられ、現在日本で最も有名な熟年カップルといっても過言ではありません。
西原理恵子と高須克弥の馴れ初め
そんな西原理恵子さんと高須克弥さんの馴れ初めは、先ほども簡単に触れましたが、西原さんが元夫のアルコール依存症やガンとの闘病を相談した事でした。
余命半年と診断された元夫の鴨志田穣さんが、西原理恵子さんに復縁を求めた際に、高須克弥さんは「彼を迎えてあげなさい」と西原さんにアドバイスを送りました。
西原:この人(高須さん)はお医者さんだから、毎日会って、元夫のアル中やがんについてもいろいろ相談していました。本当、「医者がそばにいるといいなぁ~~~!」って思った(笑い)。だけど、命が残り少ないことがわかった元夫が、家に戻りたいと言ってきているという話をすると、「彼を迎えてあげなさい」って言われたんです。「彼のためでなくあなた自身のために。そうでないと後悔する」って。
西原理恵子さんはこの高須院長からのアドバイスを最初は、再び元夫から暴力を振るわれるのではとの恐怖心から拒否しますが、高須院長をとても尊敬していた事から、その2週間後にいう通りにしたとの事でした。
高須克弥さんは、この時の事を以下のように説明しています。
高須:だって、彼が悲惨な状態で死んでしまったら、子供たちにすごくトラウマ(精神的外傷)を残してしまうと思ったから。だから、わずかな期間だったら、彼が納得できるように面倒みてあげたほうがいいって言ったんです。
鴨志田穣の死後に2人は恋愛関係に
西原理恵子さんの元夫・鴨志田穣さんの死去後も、西原さんと高須さんは友人関係で交際を続けていましたが、ある日、2人で食事中に高須さんが気分が悪いからホテル暮らしの部屋に帰りたいと言い出し、西原さんはそれに連れ添ってホテルに同行します。
その時に、西原理恵子さんの方からちょっかいを出したものの高須克弥さんが「そんなつもりない!」と拒否してしまいます。それに西原理恵子さんが激怒し「やらせろよおまえ!殺すぞ!」と叫びながら高須克弥さんの腹を蹴り上げて半ば強引に事に及び、2人は男女の関係になったとの事。
常人であれば、かなり衝撃的なエピソードですが、これまでの西原理恵子さんの波乱に満ちた半生を思えば大した事ではありません。
こうして2人は恋愛関係となり、現在も度々メディアを賑わせる熱々のカップルとなったのです。
まとめ
今回は、「毎日かあさん」などのヒット作で知られ、現在は美容整形外科医の高須克弥さんとの熱愛が話題の漫画家・西原理恵子さんについてまとめてみました。
西原理恵子さんは、漫画の取材で訪れていたタイで戦場カメラマンの鴨志田穣さんと知り合って結婚しますが、鴨志田さんのアルコール依存とDVが原因となって離婚します。
西原理恵子さんは離婚後も鴨志田さんを見放さず、アルコール依存の治療をサポートし、末期癌が発覚した鴨志田さんの最後の半年間は復縁を受け入れ、温かい家族を取り戻した中で彼を見送りました。
その後は、鴨志田さんとの事を相談していた、高須克弥さんと恋人関係になり、現在もその熱々ぶりで度々メディアを賑わせています。
波乱万丈な人生を送ってきた西原理恵子さんですが、そんな彼女だからこそ描ける作品の数々は多くのファンの心を惹きつけて止みません。高須院長との熱愛ぶりも含め、西原理恵子さんは今後もファンを楽しませ続けてくれる事でしょう。