寺沢武一さんは「コブラ」で知られる漫画家ですが、生前のセクハラ騒動や死因も話題です。
今回は寺沢武一さんのプロフィールや経歴、世界的に評価されている画力、嫁や子供など結婚歴と家族、晩年や死因など現在についてもまとめました。
この記事の目次
寺沢武一のプロフィール:漫画家で、代表作は「コブラ」「ゴクウ」
生年月日:1955年3月30日
出身地:東京都
所属:寺沢プロダクション
寺沢武一(てらさわぶいち)さんは漫画家で、本名は「寺沢武一(たけいち)」さんといいます。
代表作の「コブラ」は世界中で愛されており、発行部数は5,000万部を突破。
お笑いコンビ「メイプル超合金」のカズレーサーさんは、金髪かつ全身赤色のファッションに身を包んでいますが、これはコブラに憧れて始めたファッションなのだそうです。
人気漫画「COBRA(コブラ)」の主人公・コブラをイメージしているというカズレーザー。「赤いヒーローって強いし、かっこいいじゃないですか。おれも、かっこよくなりたいっていうのはあるから、赤を着ようと」と現在のファッションに至った経緯を説明した。
寺沢武一の経歴① 手塚プロのアシスタントを経て「コブラ」でデビュー
寺沢武一さんは、1955年に北海道で誕生。北海道立旭川東高等学校を卒業し、医学部進学を目指して浪人生活を送っていたそう。
そんな浪人時代に、「他に仕事がない」という理由で漫画家を志すようになりました。
高校卒業から2年ほど経った1976年に、アシスタントを募集していたアニメ制作会社「手塚プロダクション」に応募。
この時の漫画が漫画家・手塚治虫さんの目にとまり、手塚治虫さんに師事することになります。
それに伴い、寺沢武一さんは北海道から上京し、手塚プロダクションの漫画部スタッフとして勤務していました。
そして1977年、漫画「大地よ、蒼くなれ」が「第13回漫手塚賞」の佳作に。
さらに同年には少年向け漫画誌『週刊少年ジャンプ増刊号』でデビュー。代表作でもある漫画「コブラ」が読み切りとして掲載されました。
その翌年の1978年には『週刊少年ジャンプ』の本誌で「コブラ」の連載がスタート。1985年に連載が終了するまで、7年もの間人気を誇っていました。
また、1982年には「コブラ」が初めてアニメ化され、人気がさらに過熱します。
コブラの連載が終了した1985年には、同誌で新作「BLACK KNIGHT バット」の連載がスタート。
同作では彩色にPCを用いており、作画にデジタルを取り入れた漫画家の先駆け的存在となりました。
寺沢武一の経歴② 「ゴクウ」「NINJAカブト」などを連載
寺沢武一さん1987年に、個人事務所「寺沢プロダクション」を設立。
月刊漫画誌『コミックバーガー(のちの月刊バーズ)』で、新作「ゴクウ」の連載をスタートさせました。
また、『週刊少年ジャンプ』から派生した月刊漫画誌『フレッシュジャンプ』でも、新作「NINJAカブト」の連載をスタート。
1990年には、ジャニーズ事務所所属のアイドルグループ「忍者」の衣装デザインを担当し、デビューシングルのコスチュームを手掛けました。
そして1992年、コミックバーガーで“世界初のフルCG漫画”とされている「武 TAKERU」の連載をスタート。
さらにデジタル漫画家らしく、黎明期の頃よりインターネットの世界にも乗り出しており、1996年にホームページ「Manga Magic Museum」を開設しています。
寺沢武一の経歴③ 1998年に悪性脳腫瘍が発覚・後遺症で車椅子生活に
寺沢武一さんはその後もさらなる活躍が期待されていましたが、1998年に受けた人間ドックで悪性脳腫瘍が見つかり、その後3回の手術とそれに伴う治療・リハビリに励みました。
悪性脳腫瘍は脳そのものから発生します。原発性脳腫瘍を発症する人は年間2万人程度と考えられ、そのうちの約半分が悪性脳腫瘍です。悪性脳腫瘍はいわば「脳のがん」で、急速に増殖を増大する上に、正常な組織との境目がはっきりしないという、やっかいな特徴を持っています。そのために再発もしやすく、治療をしないと命に関わることもあります。
懸命に病と向き合ってきた寺沢武一さんですが、後遺症によって左半身が麻痺したことを機に要介護4の状態に。車いす生活となり、排せつや入浴にも解除を要するようになってしまいます。
そんな状況ながらも、1999年に青年向け漫画誌『スーパージャンプ』で新作「GUN DRAGON Σ」の連載をスタート。
2003年には著作権管理・エージェント業務などを担う「エイガアルライツ」を設立します。また、同年には病気を患っていたことを公表。
さらに2004年からは「GUNDRAGON II」の連載をスタートし、2008年にはテレビアニメ・OVAとして「コブラ」の制作が決定しています。
OVA版では、脚本・絵コンテ・監督を担当するなど、飽くなき制作意欲を見せていました。
また、2019年には画集「ARTWORKS OF COBRA」を発表。古参ファンだけでなく、後追いファンからも喜びの声が挙がりました。
さらに同年創刊したWebコミック誌『COMIC Hu』では、コブラの新作「COBRA OVER THE RAINBOW」の連載をスタートさせ、新たな歩みを見せていました。
寺沢武一の結婚歴と家族:嫁や子供はいる?
出典:ここにURLを入力
寺沢武一さんは晩年に一人暮らしをしていたことから、独身なのかと思われていましたが、実際は結婚しているそうです。
嫁がどのような人物なのか、いつ結婚したのかは不明ですが、病気を患い介護を要する状態になった時にはすでに別居していたといいます。
子供についても明言していませんが、ネットでは息子がいるとの噂があります。ただ、子供がいたとしても嫁と一緒に暮らしている可能性が高いでしょう。
また、過去には北海道に住む家族を心配する発言もありました。
それが両親のことなのか、嫁・子供のことなのかはわかりませんが、嫁と子供が北海道に住んでいる可能性もありそうです。
寺沢武一の画力が凄いと話題に・カラー原稿はもはやアート作品
寺沢武一さんは画力が高く評価されており、アメコミの影響を強く受けたと思われる作風が特徴です。
ただ、外国のファンからすればアメコミよりも日本寄りの作風に見えるとのこと。
- また、寺沢武一さんと言えばカラー原稿。
- 早くから作画にデジタルを取り入れており、背景の細かいところまで描かれていることから、漫画原稿の枠を超えて単体のポップアートとしても通用するレベルです。
しかしクオリティに比例するかのように制作には相当時間がかかっており、その遅筆ぶりは有名。度々休載していたといいます。
寺沢武一先生のご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。小学生の時に初めてコブラを見て、その世界観と圧倒的な画力にとても魅了されました。直接お会いすることは叶いませんでしたが、私のベストセレクションにイラストをご提供頂き、とても感謝しております。本当にありがとうございました。 pic.twitter.com/DzCAkq15Iu
— Yuzo Koshiro (@yuzokoshiro) September 11, 2023
コブラの鼻は衝撃的だったのである。この顔は当時の日本のマンガ絵の主人公キャラには類例がないと思う。ジャン・ポール・ベルモンドがモデルとされているが、じゃあ同じ芸当を皆できるかったら普通できない。寺沢武一の驚異的画力と野心の発露であり、それが時代とともに大人しくなっていったと思う。 pic.twitter.com/n4iPbQSn5I
— ゾルゲ市蔵 (@zolge1) September 21, 2022
寺沢武一の現在① 女性アシスタントを家政婦扱い?セクハラ騒動も
寺沢武一さんは1998年に悪性脳腫瘍を患い、後遺症によって車いす生活に。自力での生活が困難で、介護を要する状態だったといいます。
結婚はしていたものの、嫁とは別居状態で一人暮らしだったため、日中はヘルパーやお手伝いに頼り、夜は一人で過ごしていたのだとか。
そんな中、寺沢武一さんはSNSを通じて40代の漫画家である女性・Aさんと出会います。
Aさんは特養老人ホームでのアルバイト経験があり、寺沢武一さんの世話をしたことを機にその動きに感激した寺沢武一さんから「アシスタントになってほしい」と懇願されたそう。
Aさんはそれを承諾し、住み込みのアシスタントとして働くように。
2人の間でどういった取り決めがあったのかは不明ですが、身の回りの世話もしていたことから「アシスタントに職域を超えた仕事をさせ、家政婦扱いしている」とも噂されていたようです。
また、寺沢武一さんの漫画制作には大きな障害があったのだとか。
それが、寺沢武一さんの愛人の存在。愛人が度々訪れることで漫画制作がなかなか進まなかったとAさんはいいます。
「イッちゃんが来るときは、私は先生に“着替える”“ちんちん拭いて”などと必ず命じられ、しばらく別室に待機し、事後処理もさせられるようになりました。“ここを拭いて”と……」さらに寺沢氏の欲望の矛先は愛人に留まらず、葵さんにも向けられた。陰部を洗うときには卑猥な言葉を投げつけられ、体をまさぐられ……
ただ、あくまで”漫画のアシスタント”として入ったはずのAさんでしたが、性生活の面でも介助をさせられ、性的な要求や実際に被害が遭ったと主張。
Aさんは性的な要求に対して「私は漫画のお手伝いに来たんです」とはっきりと断ったといいます。
寺沢武一の現在② SNSに不適切画像が投稿され大きな話題に
寺沢武一さんからの性的被害を告発していたAさん。
前述の愛人とは異なる、他の元愛人と寺沢武一さんに対する不満をぶちまけた動画を、あるサイトへ投稿したこともあります。
しかし、寺沢武一さんはAさんの主張に真向から反論。「Aさんとは元々肉体関係にあった」「Aさんに睡眠薬を飲まされるなど危険な行為もあった」とあくまで被害者側と主張していました。
“危険行為”があったことや、「A子さんとはそもそも肉体関係があったし、勝手に自宅の風呂に入り下着姿で歩き回る人だし、セクハラと言う程嫌なことがあったとは思っていなかった」こと、また寺沢氏と懇意にしていた女性をA子氏が脅迫したことなどが寺沢氏の主張として記載されている。
2019年4月にはその裏付けとしてなのか、Twitter(現在のX)にAさんのラインのトーク画面とみられる画像を投稿。
この画像内で、Aさんが寺沢武一さんに睡眠薬を飲ませた旨を発言していることがわかります。
画像の内容は大きな話題となり、事態を重く受け止めた寺沢プロダクションが投稿を削除。以降、アカウントの管理は寺沢プロダクションが行っていくと発表しました。
また、プロダクションもAさんについては過去に問題行動があったとコメントしています。
女性については「昨年の数ヶ月間、寺沢の手伝いとしてマンション別室の書斎に住み込んでいたA子という女性がおりました。しかし、寺沢の盗撮画像(本人曰く7000枚)を撮影・知人に送信、ライン・Twitterの乗っ取り、睡眠薬投与などの危険行為を行ったことを理由に退去させました」と過去に問題行為があったと主張。
セクハラの告発についても、アシスタント解雇・退去を受けたAさんの逆恨みと主張。また、寺沢武一さんは取材時に以下のような主張もしていたといいます。
「話はしたくないが○○のときに寝室に入ってきて『(性的な)お手伝いします』と言ってきたことが何回もありました」
「そもそも呼び鈴も押さず声かけも無く自宅に無断で入ってくるのは不法侵入だし、僕の恥ずかしい姿を盗撮してばら撒くのだから被害者は僕の方です」
両者の主張が食い違い、司法にも問われていないため、どちらが正しいかはわかりません。
しかし、漫画家とアシスタントという立場を超えたいびつな関係であったことには違いないでしょう。
寺沢武一の現在③ 2023年に死去・死因は心筋梗塞で享年68歳だった
寺沢武一さんは、2023年9月8日に死去。死因は心筋梗塞で享年68歳でした。
寺沢武一さんの訃報は、同月11日に寺沢プロダクションによって発表され、数多くのファンがその死を悼みました。
宇宙海賊が活躍するSF漫画「コブラ」などで知られる漫画家の寺沢武一(てらさわ・ぶいち、本名武一=たけいち)さんが8日、心筋梗塞のため死去した。68歳。北海道出身。葬儀は家族のみで行う。
まとめ
寺沢武一さんは漫画家で、代表作には「コブラ」などが挙げられます。
高い画力で知られていましたが、悪政脳腫瘍の後遺症により車椅子生活を余儀なくされることに。
その後も精力的に活動していましたが、女性アシスタントに対するセクハラ騒動が話題となりました。
残念ながら2023年に心筋梗塞で亡くなってしまいましたが、その作品は現在も、そしてこれからも愛されていくことでしょう。ご冥福をお祈ります。