ハローキティなどの人気キャラクターを生み出した「サンリオ」の創業者の辻信太郎さんが話題です。
この記事では辻信太郎さんがサンリオを生み出すまでの経歴、500年以上続く一族、嫁や子供、息子、現社長の孫などの家族、自宅の豪邸や総資産、現在の様子などについてまとめました。
この記事の目次
- 辻信太郎(サンリオ創業者)のプロフィール
- 辻信太郎(サンリオ創業者)の経歴① 学生時代に甲府空襲を経験
- 辻信太郎(サンリオ創業者)の経歴② 桐生工業専門学校から山梨県庁へ
- 辻信太郎(サンリオ創業者)の経歴③ 山梨シルクセンターを株式会社化
- 辻信太郎(サンリオ創業者)の経歴④ ハローキティなどで成功
- 辻信太郎(サンリオ創業者)の一族は武田信玄の重臣・山県昌景子孫を自称
- 辻信太郎(サンリオ創業者)の家族① 嫁は泰子さん
- 辻信太郎(サンリオ創業者)の家族② 子供は息子の辻邦彦氏1人だが急死
- 辻信太郎(サンリオ創業者)の家族③ 孫の辻朋邦は現在のサンリオ社長
- 辻信太郎(サンリオ創業者)の家族④ 息子・辻邦彦の嫁の友子は執行役員
- 辻信太郎(サンリオ創業者)の自宅は世田谷区の高級住宅地にある豪邸
- 辻信太郎(サンリオ創業者)の資産
- 辻信太郎(サンリオ創業者)の現在…96歳ながら健在でサンリオの名誉会長
- まとめ
辻信太郎(サンリオ創業者)のプロフィール
辻信太郎のプロフィール
生年月日:1927年12月7日
出身地 :山梨県甲府市
辻信太郎さんは、「ハローキティ」、「けろけろけろっぴ」、「ぐでたま」、「マイメロディ」、「シナモロール」などの人気キャラクターで知られる「株式会社サンリオ」の創業者です。
一代で国内外で絶大な人気を誇る「サンリオ」を築き上げた凄腕の実業家として知られ、2024年現在は96歳と高齢であるため一線からは退いており、株式会社サンリオの代表権を持たない名誉会長職に就かれています。
辻信太郎(サンリオ創業者)の経歴① 学生時代に甲府空襲を経験
甲府中学校時代の辻信太郎さん(後列右から2番目)
サンリオの創業者で現在は名誉会長である辻信太郎さんは、昭和の初め1927年12月7日(昭和2年)に山梨県甲府市で生まれました。実家は古くから続く名家で当時は料亭を営んでいました。
旧制甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校)に在学中であった14歳の時に太平洋戦争が開戦し、17歳だった1945年4月、兵役から逃れる目的(当時は敗色濃厚で、徴兵されれば生きて帰れる保証はなかった)もあり、地元を離れて群馬県の旧制桐生工業専門学校(現在の群馬大学工学部)へと進学しています。
辻信太郎さんは、桐生工業専門学校では応用化学を専攻し、在学中は学んだ知識を活かしてサッカリンや石鹸などを製造し闇市で販売して生活費や学費を稼がれていたそうです。
1945年7月6日〜7日、地元の山梨県甲府市がアメリカ軍の戦略爆撃機B-29によって空襲を受けました。(甲府空襲)この時、辻信太郎さんはちょうど実家へ帰省していた被害を受けています。
当時、辻信太郎さんは17歳。1945年3月に甲府中学校(現・山梨県立甲府第一高校)を卒業、桐生工業専門学校(現・群馬大学工学部)に進学していたが、空襲の日はたまたま帰省していた。生家は料亭を営んでいたが、時節柄、閉鎖中。母親は13歳のときに亡くなっており、広い家には父、弟、妹が暮らしていた。
引用:「戦争だから仕方ない」みんなそう思っていた──サンリオ辻名誉会長が語る軍国主義教育の恐ろしさと、「みんな仲よく」の信念
この空襲被害の経験により、辻信太郎さんは戦争の恐ろしさや悲惨さを実感し、平和の尊さと人が仲良くなることの大切さを強く感じ、人々を優しい気持ちにし平和をもたらすような可愛らしいキャラクターを生み出す動機に繋がったと後に語られています。
辻信太郎(サンリオ創業者)の経歴② 桐生工業専門学校から山梨県庁へ
出典:https://upload.wikimedia.org/
辻信太郎さんは終戦から2年後の1947年に桐生工業専門学校化学工業学科を卒業し、戦後の混乱期を経て1949年に山梨県庁に職員として入庁しています。
山梨県庁では、辻信太郎さんは保険料率の算出や当時の天野久知事のサポートをし知事選の手伝いも積極的にしていたのだそうです。その業務の中で山梨県の外郭団体で、山梨県特産のワインや絹製品などに携わる「山梨シルクセンター」の業務に関わるようになりました。
辻信太郎(サンリオ創業者)の経歴③ 山梨シルクセンターを株式会社化
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山梨県職員時代、辻信太郎さんが関わった「山梨シルクセンター」では、特産品のワインや絹製品の海外輸出事業が発案されていました。しかし、税金が投入されている山梨県の外郭団体であったため海外輸出事業のようなリスクの高い事業を展開する事には反対の意見が多く出ました。
そこで辻信太郎さんは、1960年8月、32歳の時に山梨県庁を辞職し、自分が起業家となって「山梨シルクセンター」を株式会社化し運営していく決断をしました。この独立起業の際には当時の天野久山梨県知事や副知事の力添えもあったようです。
この「株式会社山梨シルクセンター」こそが、現在の「株式会社サンリオ」の前身にあたる企業なのですが、当時はかわいいキャラクター展開とは無縁の、絹製品の輸出業や物品販売を主な事業としていました。
また、本社は山梨県ではなく東京都の日本橋小舟町におかれました。
辻信太郎(サンリオ創業者)の経歴④ ハローキティなどで成功
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当初は山梨県の特産品輸出業を推進する目的で株式会社化された「株式会社山梨シルクセンター」でしたが、創業早々、韓国向けの絹製品輸出業で500万円もの不渡り手形を掴んでしまい、創業資金が枯渇して瞬く間に倒産危機に陥ります。
辻信太郎さんは、コスト削減のために日本橋から秋葉原に本社を移転させ、早々に山梨県の特産品の輸出業から小物雑貨の物品販売に事業をシフトさせます。
結果としてこれがうまくいき、3ヶ月で500万円の債務を完済して倒産を回避すると、辻信太郎さんは、当時若者を中心に普及し始めていたビーチサンダルの販売業に目をつけ、1962年に花柄をつけた可愛らしいサンダルを販売したところこれがヒットします。
かわいらしい小物が女性や子供たちに売れる事を悟った辻信太郎さんは、「イチゴ柄」のデザインを入れた雑貨小物を多数開発して販売したところ、子供達の間でイチゴ柄ブームが起こり、経営は軌道に乗っていきました。
そして、辻信太郎さんはかわいらしいオリジナルキャラクターを生み出し、それをグッズ化して販売するビジネスを思いつき、これも大成功を収めました。
1973年、社名を「株式会社サンリオ」に改め、その翌年の1974年、今では国内外で絶大な人気を誇る「ハローキティ」が生み出されました。
辻信太郎さんはキャラクターグッズで世界でも成功した名物社長として知られるようになり、多くのメディアに出演し、さらにサンリオを大きな会社へと成長させていきました。
辻信太郎(サンリオ創業者)の一族は武田信玄の重臣・山県昌景子孫を自称
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辻信太郎さんの一族は、山梨県で500年以上も続く旧家で、甲斐国(山梨県)の戦国大名・武田信玄が最も重用した重臣の1人である山県昌景の一族の末裔であると自称しています。
自称とはいえ、少なくとも一族の間でそのように伝わっているというのは事実だと思われます。(辻信太郎さんやその一族はビジネスで成功しており、あえて嘘をつく理由がないため)
辻信太郎(サンリオ創業者)の家族① 嫁は泰子さん
辻信太郎さんの嫁は、泰子さんという方で、サンリオの創業家の資産管理会社である清川商事と光南商事株式会社の代表取締役社長を務められていた事があります。
現在はこれらの役職は退かれているようですが、現在、どうされているのかは分かりません。
また、辻信太郎さんと嫁の泰子さんの結婚エピソードや、いつ頃結婚されたのかなどの情報も明かされておらず不明です。
ただ、辻信太郎さんの最初の子供で息子さんの辻邦彦さんが1952年に生まれているので、この年かその少し前に嫁の泰子さんと結婚された可能性が高そうです。
辻信太郎(サンリオ創業者)の家族② 子供は息子の辻邦彦氏1人だが急死
辻信太郎の子供(息子)・辻邦彦のプロフィール
生年月日:1952年8月31日
没年月日:2013年11月19日(61歳没)
出身地 :山梨県甲府市
辻信太郎さんと嫁の泰子さんの子供は、1952年8月31日に生まれた息子の辻邦彦さんです。
辻信太郎さんの息子の辻邦彦さんは1976年に日本大学理工学部を卒業後、同年にサンリオに入社。現場で経験を積んだ後、1982年にサンリオの取締役に就任しました。
1987年1月にはサンリオの海外事業を手掛ける「Sanrio,Inc.」の代表取締役社長に任命され、その後は、サンリオの海外展開の中心的な人物として手腕を発揮しました。
辻邦彦さんは周囲からもバイタリティあふれる人物で経営者としても極めて有能と評され、辻信太郎さんの後継者として期待され、2002年にはサンリオ本社の代表取締役副社長にも就任していました。
ところが、辻邦彦さんは2013年11月19日、アメリカ・ロサンゼルスへの出張中に突如急性心不全で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。まだ61歳という若さでした。
サンリオは20日、辻邦彦代表取締役副社長(61)が同日未明に死去したと発表した。心不全だったという。辻副社長は海外事業の担当責任者で、米ロサンゼルスに滞在中だった。創業者である辻信太郎社長(85)の長男で、後継者としても有力視されていた。
辻信太郎(サンリオ創業者)の家族③ 孫の辻朋邦は現在のサンリオ社長
辻信太郎の孫・辻朋邦のプロフィール
生年月日:1988年11月1日
出身地 :東京都品川区
辻信太郎さんの息子である辻邦彦さんの子供で、辻信太郎さんにとっては孫にあたるのが、現在の株式会社サンリオの代表取締役社長(2代目)である辻朋邦さんです。
辻信太郎さんの孫である辻朋邦さんは1988年の生まれで、幼い頃からサンリオのキャラクターに囲まれて育ったそうです。子供時代は毎週末、サンリオピューロランド(サンリオキャラクターと触れ合える人気テーマパーク)に遊びにいき、サンリオのキャラクターがとても身近な存在だったのだそうです。
辻朋邦さんは父親の辻邦彦さんから「将来はサンリオに入るんだろう?」と言われながら育ち、いずれはサンリオに入社するだろうと自分でも考えていたそうなのですが、慶應義塾大学卒業後は、父親の辻邦彦さんからも「サンリオへの入社は30代後半からでもいいんじゃない?」と提案され、別の会社に就職されています。これはいきなり一族経営の会社に入るより、別の会社で経験を積んでから入社した方が良いとの判断もあったのではないかと思われます。
しかし、2013年11月、辻朋邦さんが25歳になったばかりの時に父親の辻邦彦さんが急性心不全で急死。辻朋邦さんが父親の訃報を知ってからわずか2時間後、祖父の辻信太郎さんから「すぐにサンリオに入社してほしい」と、辻朋邦さんの元へ連絡が入ったのだそうです。
これを受けて、辻朋邦さんは2014年1月に株式会社サンリオに入社しています。辻信太郎さんは、息子を亡くした今、なんとしても孫に会社を継がせたいとの気持ちからすぐに辻朋邦さんをサンリオに入社させたのでしょう。
辻 私は慶應義塾大学を卒業後、他の企業で働いていました。小さい頃からキャラクターに囲まれて育ち、いずれはサンリオに入社することになると考えていましたが、まだ少し先のことと思っていました。ところが、2013年に父が急逝し、これをきっかけにサンリオに入りました。父には生前、「いつか(サンリオに)入るんだろう?」と言われていました。
辻信太郎の孫・辻朋邦サンリオ代表取締役社長のサンリオ入社後の経歴
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辻信太郎さんの孫の辻朋邦さんは、入社1年目は経理部で財務に携わって会社の経営状態を把握後、2015年6月より企画営業本部担当執行役員に就任し、2015年6月に取締役企画営業本部副本部長就任。2017年6月には専務取締役に就任しメディア部およびキャラクタークリエイション室の担当に就任、2019年4月には映画準備室担当に就任。
そして、2020年7月に長年社長を務めた辻信太郎さんの後を継ぎ、株式会社サンリオの代表取締役社長に就任しました。
辻信太郎さんは社長就任後、経営陣の若返りなどの改革や様々な新規事業展開などに取り組み一定の評価を得ています。サンリオの代表的キャラクターである「ハローキティ」のハリウッド映画化プロジェクトも推進しこれも注目されています。
辻信太郎(サンリオ創業者)の家族④ 息子・辻邦彦の嫁の友子は執行役員
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辻信太郎さんの息子である辻邦彦さんの嫁は辻友子さんという方で、現在は株式会社サンリオの常務執行役員を務めて息子である現在の代表取締役社長の辻朋邦さんをサポートされています。
辻友子さんは、2023年5月にサンリオの公式メディアである「Sanrio Times」のインタビューに登場しており、写真も公開されています。辻友子さんは1968年11月19日生まれで、1991年にサンリオに入社しています。このインタビューの2023年時点で55歳ですがとてもその年齢には見えない美人です。
辻友子さんは1991年に株式会社サンリオに入社し、一時休職(おそらく辻邦彦さんとの結婚や子供出産により)し13年間は会社から離れたものの、2013年に復職し海外事業担当を経て、2015年に取締役に、2022年に2022年よりグローバルサステナビリティ推進室室長、常務執行役員に就任しています。
辻友子さんの情報は他にはあまりありませんが、2024年7月12日に国際連合開発計画の駐日代表がサンリオを訪問し、辻友子さんに面会した事がXに投稿されています。
下の投稿の画像の3人の女性のうち、真ん中の小柄な美人女性が辻友子さんのようです。
ハジアリッチUNDP駐日代表は株式会社サンリオを訪問。辻友子常務執行役員やグローバルサステナビリティ推進室の方々に対し、動画「【人類絶滅の危機!?】恐竜「フランキー」が #ハローキティ に会いにきた!」の制作について直接お礼を伝えました。 pic.twitter.com/SclfuqPzbo
— 国連開発計画(UNDP)駐日代表事務所 (@UNDPTokyo) July 12, 2024
辻信太郎(サンリオ創業者)の自宅は世田谷区の高級住宅地にある豪邸
出典:https://presidenthouse.net/
辻信太郎さんの自宅はサンリオの会社登記簿に記載の代表者住所から判明しています。
辻信太郎さんの自宅は東京都世田谷区にある立派な邸宅です。
出典:https://presidenthouse.net/
Googleのストリートビューでも、辻信太郎さんの自宅住所に立つ邸宅に「S .TSUJI」の表札が確認できます。
辻信太郎(サンリオ創業者)の資産
株式会社サンリオの創業者で名誉会長である辻信太郎さんの保有資産にも注目が集まっています。
辻信太郎さんの正確な総資産は公開されていないため不明ですが、サンリオの代表取締役社長を務めていた2019年の同社の有価証券報告書の内容かrあ、辻信太郎さんの年収は約1億1600万円と算出でき、長年同社社長を務めていた事から相当な数十億円規模の資産を保有していると見て間違いありません。
また、2024年3月時点で辻信太郎さんは株式会社サンリオの株を約755万4000株保有しており、この保有株の資産価値は現在の株価レートで約230億円となります。
こうした事から辻信太郎さんの総資産価値は少なく見積もっても250億円〜300億円規模ではないかと推測されます。
ちなみに、少し古い情報となりますが、2014年の日本フォーブス主催の億万長者番付で、辻信太郎さんは45位にランクインしていました。
辻信太郎(サンリオ創業者)の現在…96歳ながら健在でサンリオの名誉会長
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辻信太郎さんは2024年7月の現在、年齢は96歳とかなりの高齢です。
2020年に孫の辻朋邦さんに株式会社サンリオの代表取締役社長の座を譲った後は、同社の代表取締役会長に就任されていましたが、2022年に第一線から退く事を表明し代表権を持たない名誉会長となる事が発表されています。
サンリオは15日、創業者の辻信太郎会長(94)が、6月下旬の株主総会後に名誉会長に就任すると発表した。代表権を持たず、後任は空席となる。「ハローキティ」をはじめとする人気キャラクターで事業を拡大してきた経営者が、一線を退く。
ただ、辻信太郎さんは現在も健在だという事で、2025年には東京・九段南の戦前、戦時期の暮らしなどを紹介する博物館「昭和館」にて、辻信太郎さんのインタビュー映像の公開予定が発表されています。
辻信太郎さんがインタビューに応じられた正確な時期は明かされていませんが、そこまで過去に収録された映像だとは考えづらいため、先行公開されているインタビュー時の画像からは現在も矍鑠とされている辻信太郎さんの様子が窺い知れます。
まとめ
今回は「ハローキティ」、、「マイメロディ」、「シナモロール」などの世界中で人気のキャラクターで知られる「株式会社サンリオ」の創業者で、現在は名誉会長を務められている辻信太郎さんについてまとめてみました。
辻信太郎さんの経歴ですが、太平洋戦争前の1927年12月に山梨県甲府市で生まれ、戦争中には甲府空襲も経験されています。戦争の悲惨さを実感した事が、平和をもたらすようなかわいいキャラクターを創出する動機となったのだそうです。
辻信太郎さんは桐生工業専門学校化学工業学科を卒業後、山梨県庁の職員として働き、この時に関わっていた「山梨シルクセンター」を株式会社化する形で独立起業し、これが「サンリオ」の前身となりました。
辻信太郎さんはかわいい小物雑貨やキャラクターグッズで大成功を収め一代でサンリオを世界的な大企業へと成長させました。
辻信太郎さんの一族は山梨県で500年以上続く旧家で、武田信玄の重臣・山県昌景の末裔を自称しています。
辻信太郎さんの家族については、嫁の泰子さん、ただ1人の子供で息子の辻邦彦さん、その子供で自身にとっては孫にあたる辻朋邦さんがいますが、時期サンリオ社長と目されていた辻邦彦さんが61歳の若さで他界し、現在は孫の辻朋邦さんがサンリオ社長を継いでいます。
辻信太郎さんの自宅は、東京都世田谷区にある立派な邸宅で、総資産は少なく見積もっても250億円から300億円と見られます。
辻信太郎さんは現在は96歳と高齢ですが、健在だということでサンリオの名誉会長を務められています。