渡嘉敷勝男さんは元ボクサーで、逮捕や書類送検も話題です。
今回は渡嘉敷勝男さんの身長などプロフィール、若い頃の経歴と強さや戦歴、年収やビートたけしとの関係、逮捕など噂と真相、結婚した嫁と子供(娘)、現在の様子を紹介します。
この記事の目次
- 渡嘉敷勝男のプロフィール:元ボクシングチャンピオン・身長は157cm
- 渡嘉敷勝男の若い頃の経歴① 高校時代は不良少年だった
- 渡嘉敷勝男の若い頃の経歴② 具志堅用高に憧れて協栄ジムに入門
- 渡嘉敷勝男の若い頃の経歴③ 1978年にプロデビュー・世界王座を獲得
- 渡嘉敷勝男の若い頃の経歴④ 引退を機にタレントへ転向
- 渡嘉敷勝男の若い頃の経歴⑤ 役者としてドラマに多数出演
- 渡嘉敷勝男の若い頃の経歴⑥ 映画デビューもしている
- 渡嘉敷勝男の若い頃の経歴⑦ ジムを開設するなどボクシング界に貢献
- 渡嘉敷勝男の若い頃の経歴⑧ 袴田事件の再審を訴えていた
- 渡嘉敷勝男の強さは?戦績は25戦中19勝4敗2分で4KO
- 渡嘉敷勝男の年収:現役時代のファイトマネーは3500万円・現在は?
- 渡嘉敷勝男にまつわる噂① ヤクザに拉致されてビートたけしが助けた?
- 渡嘉敷勝男にまつわる噂② 松本人志と自宅マンションで乱闘寸前?
- 渡嘉敷勝男にまつわる噂③ 生放送で先輩・ガッツ石松に説教
- 渡嘉敷勝男が起こした事件:傷害・強要容疑で書類送検・逮捕はガセ
- 渡嘉敷勝男の結婚した嫁は一般人・愛妻家で評判
- 渡嘉敷勝男の子供(娘)は歌手の渡嘉敷佳重
- 渡嘉敷勝男の現在① 渡嘉敷ジムに所属するボクサーが逮捕される
- 渡嘉敷勝男の現在② YouTuberとしても活動中
- まとめ
渡嘉敷勝男のプロフィール:元ボクシングチャンピオン・身長は157cm
出典:ここにURLを入力
生年月日:1960年7月27日
出身地:沖縄県
所属事務所:太田プロダクション
渡嘉敷勝男さんは元プロボクサーで、役者・タレント・YouTuberとしても活動中です。
身長は157cmと小柄ですが、ボクサーとして「WBA世界ライトフライ級王者」に輝いています。
現役時代は”ヤンバルクイナ”というキャッチフレーズが印象的でした。
このヤンバルクイナというキャッチフレーズは、先輩である具志堅用高のキャッチフレーズが”カンムリワシ”であったことから名付けられたそうです。
タレントになってからは”トカちゃん“の愛称で親しまれています。
渡嘉敷勝男の若い頃の経歴① 高校時代は不良少年だった
渡嘉敷勝男さんは沖縄県で生まれ、赤ちゃんの頃に兵庫県へと引っ越ししたそう。
同県の浪速工業高等学校へと進学しますが、高校時代は不良少年だったそうで、喧嘩に明け暮れる日々を送っていたのだとか。
無免許でバイクを運転したり、夜は街を徘徊したり、警察のお世話になることも何度かありました。
幼稚園時代、沖縄から来たという理由でいじめられていたという渡嘉敷勝男さん。
不良少年になったきっかけは、意外にも「強くなってみんなを助けたい」という気持ちからだといいます。
当時はウルトラマンとか仮面ライダーとかヒーローものに憧れがあったので、俺が強ければみんなを助けてあげられると。俺のようにいじめられている連中を守るために暴れてしまって。それがだんだんエスカレートしてしまい「不良」「渡嘉敷は怖い」というイメージがついてしまいました。
渡嘉敷勝男の若い頃の経歴② 具志堅用高に憧れて協栄ジムに入門
出典:https://pixabay.com/
渡嘉敷勝男さんは、1977年放送の「WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ」で具志堅用高さんとハイメ・リオスさんの試合を観たことをきっかけに、ボクシングの道を志しました。
テレビで偶然、当時の世界王者・具志堅用高選手の試合を目にした。序盤にダウンを奪われながらも逆転勝利する劇的な展開に釘付けになった。隣にいた友人に聞けば、具志堅選手は身長・体重ともに小柄な自分とあまり変わらないという。「小さな体で、こんなに強い人がいるのか。この人と勝負したい」と、負けん気に火が付いた。
高校を中退して単身で上京し、具志堅用高さんの所属する「協栄ボクシングジム」へと入門。
具志堅用高さんのスパークリングパートナーを務めるなどして、ボクシングの実力をつけていきます。
ちなみに渡嘉敷勝男さんは具志堅用高さんらとともに、”沖縄県出身のボクサー”とグループ分けされることが多いのだそう。
しかし、本人は真面目な性格から「生まれてすぐに転居しているのに沖縄県出身のくくりでいいのだろうか」と気にしていたといいます。
そんな時、沖縄県出身の世界チャンピオンたちが集まって写真を撮る機会があり、その場に参加するか躊躇していたところ、先輩方から「早くしろ」と呼ばれたことで安堵できたそうです。
渡嘉敷勝男の若い頃の経歴③ 1978年にプロデビュー・世界王座を獲得
渡嘉敷勝男さんは、1978年12月にプロデビュー。
1980年2月には、プロデビューからわずか1年ほどで「全日本ライトフライ級新人王」を獲得しています。
さらに、翌年の1981年12月には世界戦にも挑戦。韓国の金煥珍さんに勝利し、「WBA世界ライトフライ級王座」を獲得しました。
以降、渡嘉敷勝男さんはメキシコのルペ・マデラさん、日本の伊波政春さん、韓国の金成南さん、さらに金煥珍さんからの防衛に成功。
しかし、ルペ・マデラさんとの3度目の防衛戦で負傷判定により破れ、王座から降りることになってしまいます。
その後、ルペ・マデラさんと再戦するも15回判定負けとなり、王座に返り咲くことはできませんでした。
1984年には当時の「WBC世界ライトフライ級王者」である、韓国の張正九さんに挑戦するも9回でTKOとなり敗退。
24歳という若さでしたが、ドクターからストップをかけられたことを理由に、同試合を機にボクサーを引退しています。
当時懇意にしていたコンディションドクターに「これ以上はやめたほうがいい」と引退を勧められました。脳の検査をしたら脳波が乱れていて、これ以上は危険だろうという理由で引退を決めました。
渡嘉敷勝男の若い頃の経歴④ 引退を機にタレントへ転向
渡嘉敷勝男さんはボクサーを引退すると、知名度とキャラクターを活かして芸能界入り。
ボクサー引退直後はこれからについてかなり悩み、お酒におぼれた期間もあったそうですが、かくし芸大会のオファーをきっかけに、タレントに転向することを決意したそうです。
以降、TBS系列で放送されていたバラエティ番組「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」や、フジテレビ系列で放送されていたクイズ番組「たけし・逸見の平成教育委員会」などに出演。
緑山スタジオの一画にある23、000坪の敷地に、400坪のたけし城を建設。その周辺には、バネでできた飛び石の竜神池。迷路で悪魔が待ちうける魔人の館。泥沼の上を渡るジブラルタル海峡。命知らずの男が手ぐすねひいて潜む人食い穴といった8か所にもおよぶ難関を張り巡らした。これらの悪魔の手をすり抜けた精鋭たちだけが「たけし城」に辿り着くことができるのだが…。
引用:風雲!たけし城
フジテレビ制作のクイズ番組。放映は1991年10月~1997年9月。司会:北野武、逸見政孝。おもに小中学校の入試問題を出題。1994年10月、『平成教育委員会』と改題。レギュラー放映終了後も不定期にスペシャル番組を放映。
特に、平成教育委員会では珍回答を連発し、芸人さながらの笑いを巻き起こして番組を盛り上げていました。
渡嘉敷勝男さんが「日本三景を答えなさい」という問題で、「小椋佳、谷啓、真梨邑ケイ」と答えたのを、よくたけしさんがおっしゃいますね(笑)
ちなみに、番組側からは「真剣に向き合ってほしい」と出演者がわざとボケないよう事前に説明があったそうです。
解答者の皆さんには「入試問題なので、まずは真剣に向き合ってください。ただ、どうしても分からない場合は、一番テレビ的にしらけるのは白紙の答案なので、何かひねり出して書いてください」とお願いしてるんですよ。たけしさんの意向もあって、わざとボケないようにと説明していました。だから、本当に一生懸命やっても、答えが出ずに残り10秒で時間切れという状況で追い込まれて出た解答なんです。
その後もクイズ番組に出演することが多く、よみうりテレビ系列で放送された「電脳☆GQバトラー!!」、フジテレビ系列で放送された「クイズ!ヘキサゴン」などにも出演しています。
渡嘉敷勝男の若い頃の経歴⑤ 役者としてドラマに多数出演
渡嘉敷勝男さんは1986年頃より役者業にも挑戦。演技に挑むにあたり、養成所にも通ったといいます。
同年にフジテレビ系列で放送されたドラマ「春一番が吹くまで」や、同系列で1990年に放送されたオムニバス形式のドラマ「世にも奇妙な物語」などに出演。
その後も、1991年にテレビ東京で放送された時代劇「江戸中町奉行所 第1シリーズ」最終話や、1993年にフジテレビ系列で放送されたドラマ「お願いダーリン!」にも出演しました。
- 1997年にフジテレビ系列で放送された「踊る大捜査線」第10話や、2012年にテレビ朝日系列で放送された「相棒 season11」第3話といった人気ドラマにも出演しています。
スポーツ記者の松井(渡嘉敷勝男)によると、荒木は代役として出場した試合で世界ランカーをKO。一気に世界タイトルへの挑戦権を手に入れ、ゴールデンボーイともてはやされているボクサーだという。元ボクサーでトレーナーの石堂(山本龍二)や荒木の話では、殺された宮坂は荒木の同郷の先輩。なぜか石堂の手は包帯で覆われていた…。
引用:こ第3話「ゴールデンボーイ」
渡嘉敷勝男の若い頃の経歴⑥ 映画デビューもしている
映画に関しては、1998年公開の「いこかもどろか」、「ふ・し・ぎ・なBABY」、1990年公開の「3-4X10月」といった3作品に出演している渡嘉敷勝男さん。
2000年以降はVシネマへの出演が中心となっており、2000年発売の「新 銀鮫 六本木金融伝説」をはじめ、2018年発売の「任侠哀歌」などにも出演しています。
渡嘉敷勝男の若い頃の経歴⑦ ジムを開設するなどボクシング界に貢献
渡嘉敷勝男さんはタレント・役者として活躍しつつ、ボクシングに関する活動も続けてきました。
1987年には、片岡鶴太郎さんに古巣である協栄ジムを紹介。片岡鶴太郎さんとは番組を共演したことをきっかけに知り合い、仲介役を買って出たと言います。
片岡鶴太郎さんはそんな当時を、インタビューで以下のように振り返っていました。
「やるからにはライセンスを獲得したい」と一念発起し、プロテストに向けて1年間、徹底的にトレーニングに励んだ。「渡嘉ちゃん(元世界王者の渡嘉敷勝男氏)にお願いして、周囲には秘密でいろいろ指導をしてもらいました。本当に32~33歳の1年間はライセンスを獲るために、精神と肉体を鍛え上げました」
引用:「人生のベースはボクシング」 映画「春に散る」で好演の片岡鶴太郎…実はプロテスト合格の腕前 主演の横浜流星に感じたセンス
渡嘉敷勝男さんはその後、1997年に「渡嘉敷ボクシングジム」を開設。同ジムで会長を務め、新たなボクサーを育てるべく尽力しています。
また、同ジム開設をきっかけにボクシングへと比重が置かれるようになり、タレント活動は徐々に縮小。
そのため、現在はジム運営とYouTubeをメインとしているようです。
ボクシングの世界王者になり、王座を5度防衛。現役引退後は芸能界でも活躍したが、現在はメディアでの露出は減らし、1997年に開設したジムで後進の指導・育成に励む日々だ。愛称の「トカちゃん」よりも「会長」と呼ばれることにすっかり慣れたと笑う。
ボクサー引退後は俳優の養成学校で演技を学び、芸能界の門をたたいた。一方でボクシングジムを開設。しばらく二足のわらじをはいたが、40代になって原点のボクシングに「恩返しをしたい」気持ちが強くなり、ジムの指導に専念するようになった。
渡嘉敷勝男の若い頃の経歴⑧ 袴田事件の再審を訴えていた
渡嘉敷勝男さんは、2006年に元ボクサー・袴田巌さんを巡る袴田事件の再審を訴えていました。
渡嘉敷勝男さんは、輪島功一さん・玉熊幸人さん・飯田覚士さん・戸高秀樹さんらとともに、袴田巌さんの無罪を訴えており、最高裁判所に再審を求める要請書を提出。
元ボクサーたちが懸命に訴えて注目を集めたことも影響してか、再審開始が決定し、袴田巌さんは47年ぶり釈放され、自由を得ることができました。
1966(昭和41)年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社「こがね味噌」の専務一家4人を殺害した強盗殺人罪で死刑が確定し、囚われの身だった袴田巖さん(85)が静岡地裁の再審開始決定とともに自由の身になったのは、2014年3月のことだった。実に47年が経ち、30歳で逮捕された男は、この時78歳になっていた。
渡嘉敷勝男の強さは?戦績は25戦中19勝4敗2分で4KO
渡嘉敷勝男さんは、プロボクサーとして25戦中19勝を挙げています。
1978年のプロデビュー戦で浜田信男さんに勝利して以来、連勝。
翌年の1979年に佐藤勝美さんと引き分けとなるも、その後の試合では再び勝ち続け、1980年開催の「全日本ライトフライ級新人王決定戦」では伊藤富士男さんに勝利して王座を獲得。
王座獲得後、すぐに開催された韓国のパク・チョルさんとの試合には負けてしまいますが、以降は安定して勝ち続け、10連勝しています。
そのうち、1981年に開催された「WBA世界ライトフライ級タイトルマッチ」では、韓国の金煥珍さんに勝利して王座を獲得。
前述にもあるように、5度の防衛を果たしながらも、1983年にはメキシコのルペ・マデラさんに負傷判定によって王座を奪われてしまいます。
なお、王座奪還のため、ルペ・マデラさんとすぐに再戦した渡嘉敷勝男さんでしたが、再び判定負け。
翌年の1984年に開催された榊原隆史さんとの試合では勝利していますが、同年開催された「WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ」では、韓国の張正九さんにTKOをとられています。
渡嘉敷勝男の年収:現役時代のファイトマネーは3500万円・現在は?
渡嘉敷勝男さんはボクサー時代はチャンピオンとなり、引退後もタレントとして活躍しました。
そのため、年収に関しても多くの人が興味を示しているようです。
渡嘉敷勝男さんは現在の年収について明かしていませんが、現役時代のファイトマネーは3,500万円程度だったのだとか。
また、バブル期にタレントとして活動していたことから、当時は芸能活動でも数千万円ほどの年収を得ていたのではないでしょうか。
ただし、渡嘉敷勝男さんはその後、ボクシングジムを開設。立ち上げ費用も当然あったでしょうから、出費も少なくなかったはず。
噂によれば格闘技関連のジムは運営が難しく、「経営者は年収500万円あれば御の字なのでは」と予想されているほど。
YouTubeやタレントとしての収益があったとしても、年収1000万円いくかどうか…といったところではないのでしょうか。
渡嘉敷勝男にまつわる噂① ヤクザに拉致されてビートたけしが助けた?
渡嘉敷勝男さんは、TBS系列で放送されていたバラエティ番組「風雲!たけし城」に出演。
その後もビートたけしさんが司会を務める番組に多々出演していることから、“たけし軍団”の1人とされています。
そんな渡嘉敷勝男さんとビートたけしさんにまつわる噂のひとつに、「渡嘉敷勝男さんがヤクザにさらわれ、それをビートたけしさんが救い出した」という話が。
噂によると、街を歩いていた渡嘉敷勝男さんがヤクザとぶつかったことをきっかけに、そのまま事務所へと連れて行かれ、慰謝料を請求されたのだとか。
電話でその事実を知ったビートたけしさんがすぐに駆け付け、ヤクザを相手に漫談を披露。渡嘉敷勝男さんは無事、解放された…という内容です。
しかし渡嘉敷勝男さんは「そもそもヤクザに拉致されたことは1度もないよ」と噂を否定。
渡嘉敷 いや、たけしさんと飲んでいて、ヤクザにからまれたことはあったよ。たけしさんは酔っぱらうと「殴っちゃえよ」と言うんだけど、世界チャンプの私が簡単に殴るわけにはいかないもんね。
また、ビートたけしさんも冗談で「殴っちゃえ」と言いつつも、元プロボクサーである渡嘉敷勝男さんの立場に配慮していたのだそう。
渡嘉敷 たけしさんは「軍団は殴るけど渡嘉敷は殴らない」って言ってたみたいだけど、私が殴ったら大事件になるからね。私の家族を食べさせていけなくなる。
──では結論として、ビートたけしが漫談で窮地を救ったというのは“都市伝説”のままに終わったということですね。
渡嘉敷勝男さんはこの噂について、伝言ゲームのように話が変わっていったと説明。
たけし軍団がテレビで話したこともあったそうですが、真面目な渡嘉敷勝男さんはネット上にある関連動画を削除するよう申し出たといいます。
渡嘉敷勝男にまつわる噂② 松本人志と自宅マンションで乱闘寸前?
渡嘉敷勝男さんは、お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志さんとのエピソードも有名です。
「自宅マンションの駐車場で乱闘寸前まで揉めた」という噂がありますが、これも渡嘉敷勝男さんは明確に否定しています。
──松本本人が語ったところによれば、マンションの駐車場で車を出そうとしたら、バイクに乗った渡嘉敷さんとぶつかりそうになり、フルフェイスのヘルメットをかぶっていたため誰だかわからず、怒鳴ってしまったということです。
当時2人は同じマンションに住んでいたそうですが、渡嘉敷勝男さんいわく駐車場でやりあった記憶はないそう。
しかし交流はあったそうで、松本人志さんの部屋に遊びに行ったこともあるそうです。
渡嘉敷勝男にまつわる噂③ 生放送で先輩・ガッツ石松に説教
渡嘉敷勝男さんにまつわる噂には、「生放送中に先輩であるガッツ石松に説教をした」という話もあるのですが、これは事実だそうです。
渡嘉敷 これは本当。亀田興毅の試合が波紋を呼んでいた時に、ガッツさんが「あれは八百長だろ」って言うんだよ。もちろん、ガッツさんは偉大な大先輩だけど、「それはおかしい。ボクシング界をバカにすることになるから軽々しく言わんでください」と。
また、当時世間を騒がせていた亀田興毅さんの父親・亀田史郎さんにもしっかりと、「これ以上ボクシング界を荒らさないように」と釘を刺したとのことです。
渡嘉敷勝男が起こした事件:傷害・強要容疑で書類送検・逮捕はガセ
渡嘉敷勝男さんは過去にとある事件を起こしています。それが、1998年に起こしたジャーナリストとのトラブルです。
詳細は不明ですが、なんでも渡嘉敷勝男さんがトラブルの相手となった男性ジャーナリストに謝罪文を書くよう強要したそうです。
結果として不起訴になっていますが、強要容疑で書類送検され、4ヵ月ほどの自宅謹慎期間があったといいます。
ちなみに、渡嘉敷勝男さんの運転手を務めていた人物も、同事件で傷害と強要の容疑で書類送検されているそうです。
しかし、事件の際に身柄は拘束されておらず、「逮捕」にはあたらないのだそう。そのため、「逮捕」に関してはガセネタであると言えます。
逮捕は、犯罪があったときに容疑者の身柄を拘束することです。通常は最初に逮捕されて、検察官に送られ(送検)、その後勾留という手続きでさらに拘束されていきます。
書類送検とは、逮捕していない容疑者について、検察庁に送ることです。逮捕していないので容疑者本人ではなく書類だけを送ります。そのため書類送検といいます。
引用:逮捕と書類送検
逮捕は身柄が拘束されることであり、書類送検の場合は身柄が拘束されていない場合の手続きと考えてもらうといいと思います。
引用:逮捕と書類送検
渡嘉敷勝男の結婚した嫁は一般人・愛妻家で評判
渡嘉敷勝男さんは愛妻家で、娘も溺愛していることでも有名です。
愛妻家で一人娘をこよなく愛する良き家庭人としての姿が多くの人々に愛され慕われている。
引用:BIOGRAPHY
嫁とは1985年に結婚したそうですが、一般人のため詳細は不明。
ボクシング世界戦の前に出会ったそうですが、当時は前の彼女と別れたばかりだったという渡嘉敷勝男さんは、傷心のあまり練習に集中できなかったといいます。
しかし、嫁と出会ったことで再び練習に没頭できたのだとか。
ちなみに嫁は協栄ジムに勤務していた女性で、具志堅用高ファンクラブの会長も任されていたそうです。
渡嘉敷勝男の子供(娘)は歌手の渡嘉敷佳重
渡嘉敷勝男さんには子供が1人います。それが娘の渡嘉敷佳重さんです。
渡嘉敷佳重さんは、2015年にCD「もう一度…」を発売。翌年の2016年にCD「MY DEAR」を発売しました。
2017年に、所属していた「株式会社ピースボイスエンターテイメント」が契約終了を発表して以降の活動については不明ですが、芸能界を引退した可能性が高いのではないでしょうか。
日頃より渡嘉敷佳重へのご声援、誠にありがとうございます。
2017年12月末日を持ちまして当社との契約を終了することとなりました。
当社との契約は終了となりますが、引き続き渡嘉敷佳重への
変わらぬご声援のほど何卒よろしくお願い致します。
また、ご本人かどうかは明確ではありませんが、医療系コンサルティング会社のHPに同姓同名で、ルックスもよく似た女性が掲載されていました。
プロフィール欄によれば産業医紹介業を経て、同社に入社したとのこと。現在はチームマネージャー職に就いているそうです。
渡嘉敷勝男の現在① 渡嘉敷ジムに所属するボクサーが逮捕される
渡嘉敷勝男さんが経営する「渡嘉敷ボクシングジム」に所属していたプロボクサー・儀間謙英さんが、2011年に逮捕されています。
容疑は、覚せい剤取締法違反(所持)です。
警視庁組織犯罪対策5課が、覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで、渡嘉敷ボクシングジム所属のプロボクサー儀間謙英容疑者(26)を現行犯逮捕した。逮捕容疑は先月30日午後7時ごろ、都内の路上で覚せい剤約0・5グラムを所持していた疑い。組対5課によると、儀間容疑者は容疑を否認している。警察官の職務質問の際、覚せい剤を持っていたという。
逮捕を受けて、儀間謙英さんはライセンス取り消し処分、渡嘉敷勝男さんも厳重注意処分となりました。
6月に覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで逮捕、起訴されたプロボクサー儀間謙英被告(26=渡嘉敷)がライセンス取り消し処分、同ジム渡嘉敷勝男会長(51)も厳重注意処分となったことも報告された。
渡嘉敷勝男の現在② YouTuberとしても活動中
渡嘉敷勝男さんは2017年にYouTubeチャンネル「トカチャンネル」を開設。
同チャンネルはボクシング情報を中心としており、2023年現在で登録者数は3万人ほどとなっています。
また、2019年には竹原慎二さん・畑山隆則さんとの合同チャンネル「元世界王者3人ぶっちゃけチャンネル」も開設。
元世界王者3人が試合を生観戦しながら意見を交わすという、ボクシングファンを中心に人気を博しており、2023年現在で登録者数39万人を突破する人気チャンネルとなっています。
なお今後は、社会貢献のために立ち上げた「勇者の会」に注力していきたいと語っていました。
DVやストーカー問題、イジメなどを解決する会として、子供たちを集めて運動会やバーベキューなどを主催したり、恵まれない子供たちの為になる活動をしています。
今はコロナの影響で直接交流するような活動はできませんが、今後も積極的に活動していくつもりです。
まとめ
渡嘉敷勝男さんは元プロボクサーで、身長157cmと小柄ながら圧倒的な強さで輝かしい戦績を収め、WBA世界ライトフライ級王者にまでなっています。
ドクターストップを受けたことを機に24歳という若さで引退すると、タレント・役者に転向。
ビートたけしさんの番組を中心にバラエティ番組で活躍し、ドラマ・映画・Vシネマなどでも活躍しました。
ボクシングジムを設立して以降は、ボクシング業界の発展と育成に注力。過去には自身が書類送検されたり、ジムに所属しているボクサーが逮捕されたりといったトラブルもあったそうです。
プライベートでは、結婚した嫁と子供を溺愛していることでも有名な渡嘉敷勝男さん。
現在は竹原慎二さん・畑山隆則さんとの合同YouTubeチャンネル「元世界王者3人ぶっちゃけチャンネル」が人気を博し、公私ともに順調な様子。
これからも元気に活躍していってほしいですね。