プロ野球界は芸能界とは異なり、「プロ野球選手一家」というのは少ないですが、例外が菅野智之選手の一族です。菅野智之選手のプロフィールや経歴、華麗なる家系図と実家の家族(父親・母親・兄弟)、原辰徳との関係をまとめました。
この記事の目次
菅野智之は読売巨人軍のエースピッチャー
菅野智之
生年月日:1989年10月11日
出身:神奈川県相模原市南区
身長:186cm
所属:読売巨人軍
ポジション:ピッチャー
投打:右投右打
菅野智之さんは読売巨人軍に所属しているピッチャーです。巨人の絶対的なエースとして君臨し、NPBでは合計24個のタイトルを獲得しています。2021年には年俸8億円になるなど、名実ともに日本球界を代表する選手です。
学生時代
1989年に神奈川県相模原市で生まれた菅野智之さんは、小学校入学前の1995年10月に伯父の原辰徳さんの引退試合を生で観戦したことがきっかけで本格的に野球を始めました。
小学生の時からピッチャーで、中学時代には最速124km/hを投げるエースとしてチームを引っ張ります。高校は、名門の東海大相模高校に進学しました。
高1の時は右肩を故障し投げられない時期が続いたため、野球を辞めようと考えていましたが、父親からの励ましてリハビリを続け、2年生の秋からは主力として活躍します。
高3の夏の神奈川県大会ではエースとしてチームを引っ張りますが、連投が続き疲労困憊になったことで決勝で相手チームに打ち込まれ敗退し、甲子園出場はできませんでした。
大学は東海大学に進学しましたが、3年生の時の全日本大学野球選手権大会では、準々決勝でノーヒットノーラン、準決勝では完封するも、決勝では連投による疲労で5回2/3を投げて3失点と精彩を欠き、準優勝に終わっています。
学生時代の菅野投手は絶対的なエースであるがゆえに、連投が続いてしまうのかもしれません。
ドラフト会議での入団拒否
出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
菅野智之選手は大学4年生の時の2011年ドラフト会議で、読売ジャイアンツと日本ハムファイターズから1位指名を受け、抽選で日本ハムが交渉権を獲得しました。
以前から巨人入りを熱望していた菅野選手は日本ハムへの入団を拒否し、1年間大学を留年(卒業延期制度の利用)し、1年間自主トレをして、翌年のドラフト会議に賭けることに決めました。
翌年のドラフト会議では巨人から単独1位指名を受けて、晴れて巨人入りが決まりました。
プロ入り後
ルーキーイヤーの2013年から先発ローテーションの一角を担い、13勝6敗という素晴らしい成績を残し、チームのリーグ優勝に貢献し、新人特別賞を受賞します。
その後も2020年シーズンまで安定した成績を残し、2016年シーズン以外は2桁勝利(2016年は9勝)を挙げます。
2013年から2020年まで、最多勝3回、最高勝率1回、奪三振王2回、最優秀防御率4回の個人タイトルを獲得。さらに沢村賞は2回、MVPも2回獲得し、巨人の絶対的エース、さらに日本球界を代表するエースになりました。
メジャー入りを目指すが
2020年のシーズン終了後、菅野智之選手はメジャー挑戦のためにポスティングシステムを使っての移籍を球団に申し入れますが、ポスティング成立には至らず、巨人に残留することになりました。
ポスティング不成立の理由は、新型コロナ流行によるMLB球団の財政が圧迫されたことで、菅野選手の希望額に届かなかったと代理人が明かしています。
巨人残留を決めた菅野選手は、巨人と当時日本プロ野球歴代史上最高年俸の推定8億円(半月後に田中将大が最高年俸を更新)で単年契約しています。
その後も巨人でプレーし続けていますが、2021年~2023年シーズンはそれまでと比べるとやや低調な成績に終わっています。しかし、2024年には最多勝と最高勝率の2冠を獲得し、復活をアピールしています。
菅野智之の家系図
菅野智之選手の家系図を見ると、野球一家であることがわかります。
・祖父:原貢(元東海高校野球部監督)
・祖母:原カツヨ
・伯父:原辰徳(元プロ野球選手、元巨人監督)
・伯母:原明子
・従兄弟:原嘉宏
・父親:菅野隆志(野球選手)
・母親:菅野詠美
・姉:菅野那奈
この家系図を見ると、菅野智之選手が東海大相模高校→東海大学→巨人というコースを歩んできた理由がよくわかります。
祖父の原貢は東海大相模高校監督
出典:jiji.com
原貢
生年月日:1936年3月30日
没年月日:2014年5月29日
出身:佐賀県神埼郡三田川町
活動:元野球指導者
菅野智之選手の母方の祖父は原貢さんです。
原貢さんは社会人野球の東洋高圧大牟田でプレーした後、福岡県立三池工業高校野球部監督に就任します。
三池工業はそれまで甲子園出場はありませんでしたが、原貢さんが監督に就任した後の1965年に夏の甲子園に初出場し、優勝に導きました。
その後、東海大学総長からの勧誘を受け、1966年12月からは東海大学付属相模高校野球部監督に就任し、東海大相模を高校野球の名門校に成長させます。
1977年からは息子の原辰徳の進学に伴い、東海大学野球部に就任し、首都大学リーグ7連覇を達成しました。
その後も、東海大学系列校の野球部監督を務めました。
2014年には心筋梗塞で他界し、東海大学学長から「東海大学野球部名誉総監督」の称号が追贈されています。
伯父の原辰徳は元巨人軍監督
出典:hochi.news
原辰徳
生年月日:1958年7月22日
出身:神奈川県相模原市
身長:181cm
所属:読売ジャイアンツ
ポジション:内野手・外野手
投打:右投右打
活動:元プロ野球選手、元野球指導者
原辰徳さんは読売巨人軍で4番打者を務めた元プロ野球選手で、長年にわたり巨人の監督を務めた人物です。
原貢さんの長男として生まれた原辰徳さんは東海大相模高校に進学し、甲子園に4回出場します。実力だけでなく、甘い爽やかなルックスで人気になり、「原フィーバー」を起こしました。
ドラフトでプロ球団から指名される可能性もありましたが、当時の巨人は上位指名はピッチャーという方針だったため、「巨人に入れないなら進学する」ということで、東海大学に進学します。
大学でも大活躍し、1980年のドラフト会議では4球団から1位指名され、巨人がくじを引き当てて巨人に入団することになりました。
その後、巨人の主力・4番打者として活躍し、入団から12年連続20本以上のホームランを放っています。
1995年シーズン終了後に引退後は野球解説者を務めた後、1998年には巨人の一軍コーチとして球界に復帰し、2002年からは監督に就任します。
それからは3期・17年間にわたり、巨人の監督を務め、日本一3回、リーグ優勝9回を成し遂げました。さらに、2009年の第2回WBC日本代表監督として侍JAPANを率い、優勝に導いています。
菅野智之の実家の家族:父親は菅野隆志
菅野智之選手の父親は菅野隆志さんです。
菅野隆志さんは、高校時代は菅野選手と同じ東海大相模高校で野球部でプレーをし、エースとして活躍しました。この時の監督は、原貢さんです。
その後、大学は法政大学に進学し野球部に所属しますが、腰痛に悩まされ、公式戦での登板機会はなく、大学卒業後は一般企業に就職しました。この時に就職したのは大手不動産会社で、2000年には独立して 株式会社ワイズ都市開発という不動産会社を立ち上げました。
ビジネスはうまくいっているようで、馬主にもなっているようです。
菅野智之は父親の支えで成長?
菅野智之選手も父親もピッチャーだったことで、普段から野球の話をすることがあったそうです。菅野選手が中学の時には、父親の隆志さんは自分の経験に基づいてアドバイスしましたし、菅野選手が高校の時に肩を痛めて野球を辞めようとした時にも厳しくアドバイスをしています。
私が智之に電話すると「肩が痛くて治らない。やめたい」と。手術の選択肢や、野手をやれば、とか野球を続けさせるためにいろいろ話をしました。でも本人は泣きじゃくって前向きじゃなかったので「じゃあ、もうやめちまえ」とだけ言って電話を切ったんです。
菅野選手は父親の隆志さんと電話した翌日から、なぜか痛みが消えて野球ができるようになったとのこと。不思議ですね。
また、食事面でも厳しく育てたと話しています。
「もう食べられないという状態から、もっと食べろ」と。何杯もご飯をおかわりさせて涙ぐみながら食べていました。
自分の経験から、菅野智之選手に英才教育をしていたのでしょう。
菅野智之の実家の家族:母親
菅野智之選手の母親は詠美さんです。原貢氏の長女で、原辰徳さんの妹です。
菅野選手のドラフト会議で日本ハムが交渉権を獲得した時には、菅野選手が入団拒否をするという決断の背中を押し、1年間の浪人生活を支えました。
でも私は智之は日本ハムには行かないと思う。だからそうなったときに、周りの人から何と言われても、あの子の夢を叶えてあげたい。そのために、これからどんな大変なことが起ころうとも、私は智之を支えていく覚悟は決まっています
引用:菅野智之、日本ハム1位指名拒否の裏に母の壮絶な覚悟 「どんなに大変なことが起きても…」(2/5) – ドラフト会議 | プロ野球 – Number Web – ナンバー
母親の詠美さんは食事面でも菅野選手を支えていました。
菅野智之の実家の家族:兄弟は姉
菅野智之選手には姉が1人います。
姉の名前は菅野那奈であるとわかっていますが、それ以外の詳細は分かっていません。
菅野選手は2024年で35歳なので、姉の那奈さんは30代後半と思われます。
菅野智之と原辰徳の関係は不仲?
菅野智之選手が巨人に入団した時の監督は伯父の原辰徳さんでした。その後も、長年にわたり、選手と監督という関係性だったので、ただの甥と伯父よりも親密な関係と思われます。しかし、菅野智之選手と原辰徳さんは不仲ではないかという噂があるんです。
不仲説が出る理由には3つあります。
不仲説①:巨人に縛り付ける存在
菅野選手と原辰徳さんが不仲と言われる理由の1つ目は、原辰徳さんの存在がメジャーへの足かせになっている説です。
原辰徳さんは巨人の4番であり、17年間にわたり巨人の監督を務めました。菅野智之選手も日本ハムからの1位指名を蹴って1年間浪人生活をしてから巨人に入団したほど、巨人入団を熱望していました。
しかし、2017年ごろからは菅野選手はメジャーでのプレーを志すようになり、ポスティングによるメジャー移籍を希望するようになりました。しかし、チームの監督は伯父の原辰徳さん。
監督がエースの菅野選手のメジャー移籍を許すはずがなく、菅野選手は全盛期にメジャーでプレーすることができず、不仲になったのでは?と噂されています。
不仲説②:エコひいきと厳しい姿勢
出典:hochi.news
菅野智之選手と原辰徳さんは選手と監督である前に、甥と伯父です。そのため、どうしてもひいきしているように見えることがあるようです。
https://twitter.com/NPB38821418/status/1190042071530430466
こちらの動画は、巨人の納会ゴルフでのこと。原監督は「ある選手が遅刻をした」と聞いたら、「クビだ!そういう奴は!」と言っていましたが、遅刻をした選手が菅野選手と知ったら、ちょっと口ごもりながら「え~、謹慎1週間に」と言っていました。
もちろん、これはテレビ上の冗談のやり取りではありますが、日常的にこのような「エコひいき」と思えることがあり、菅野選手本人はチーム内でやりづらかったのかもしれません。
菅野智之選手はチームで圧倒的な成績を残し、誰もが認めるエースなので、「伯父と甥」という関係がなくても監督から特別扱いされてもおかしくはないのですが、「伯父と甥」という関係が根底にある以上、何をやっても「エコひいき」と見られてしまって、菅野選手は居心地の悪さを感じた可能性はあります。
また、逆に原監督は不自然なほど厳しく指導することもありました。自分の甥だからこそ厳しくしたのかもしれません。やはり、近しい親戚関係の人が同じチーム内で監督と選手という関係でやっていくのは難しいのかもしれませんね。
不仲説③:菅野智之が不信感を抱く
菅野智之選手は、原監督に対して不信感を持っていたとも言われています。
原監督は上原浩治さんを引退させたという噂があります。メジャー経験者で巨人のピッチャーから尊敬を集める上原浩治さんを引退させたことで、菅野選手は原監督に不信感を持ったとのこと。
また、2012年に原監督が不倫スキャンダルで元暴力団員に1億円を支払ったという報道がありました。
週刊文春は2012年6~7月、原監督が過去の女性問題に絡み元暴力団員に1億円を支払ったとの記事を掲載。暴力団員と知って金を渡した場合は野球協約違反となるため、巨人側が記者会見で「反社会的勢力ではない」とうそをついたとも報じた。
自分の伯父、しかも監督になる人が不倫をして脅されて、元暴力団員に1億円支払ったと知ったら、原監督に対して不信感どころか嫌悪感を抱く可能性は高いですよね。
菅野智之は原辰徳から解放されてメジャーに行くか?
菅野智之選手は2020年シーズン終了後に、ポスティングをしたもののポスティング不成立でメジャー移籍を断念しました。
そのため、巨人軍でプレーし続け、2021年シーズンオフに海外FA権を獲得しています。しかし、ここ数年は成績がやや低迷していたため、海外FA権を行使することはありませんでした。
そして、2024年。2024年シーズンは復活し、菅野智之選手は最多勝と最高勝率のタイトルを獲得し、海外FA権を行使して、メジャー移籍を目指すことを公表しました。
海外フリーエージェント(FA)権を行使してメジャー挑戦を検討していた巨人の菅野智之投手が7日、同権利を行使する申請を行ったことを明らかにした。
菅野智之選手は今後、祖父と伯父が敷いたレールから飛び立って、メジャーでプレーすることはできるのか。また、メジャーで結果を残すことはできるのかに注目が集まります。
菅野智之と家族のまとめ
菅野智之選手のプロフィールや経歴、家系図と実家の家族(父親・母親・兄弟)、原辰徳さんとの関係をまとめました。
菅野智之さんは35歳でメジャーに挑戦することになります。全盛期は過ぎているかもしれませんが、黒田博樹さんの例もありますので、どれだけの成績を残せるか楽しみですね。