水中カメラマン2名が入ったまま行方不明になりその後遺体となって発見された1987年の忍野八海で発生した水難事故が話題です。
この記事では、忍野八海の死亡水難事故の概要や経緯、その後の状況や心霊の噂、忍野八海に伝わる民話や伝承などについてまとめました。
この記事の目次
忍野八海で発生したテレビクルーダイバー水難死亡事故とは
世界文化遺産・富士山の構成資産の1つで国の天然記念物にも指定されている、山梨県南都留郡忍野村の湧泉群「忍野八海(おしのはっかい)」は山梨県内でも人気の観光名所の1つです。
その美しい景観で、現在も全国や海外からの多くの観光客で賑わう忍野八海ですが、過去にはテレビ番組の取材で訪れた2人のカメラマンダイバーが潜水中に行方不明になり、その後死亡した状態で発見される水難事故がありました。
今回はこの「忍野八海水難事故」についてまとめていきます。
忍野八海水難死亡事故の経緯① 新アフターヌーンショーのスタッフが取材に
忍野八海水難死亡事故が起きたのは1987年7月16日でした。その日は、テレビ朝日系のワイドショー番組「新アフタヌーンショー」で翌週から放送される予定であった「富士山特集」の中のコーナー「八海めぐり」の取材のために、テレビ朝日ディレクターら番組スタッフを中心とした10名が現地入りしていました。
当時、テレビ朝日には水中撮影の専門カメラマンがいなかったため、番組側は外部のテレビプロダクション「モリアソシエート」に、水中のカットを撮って欲しいと依頼しており、同プロダクションから2名のスタッフが加わっていました。
この2人は、同プロダクションの社長で横浜市緑区在住のカメラマンMさん(事故当時40歳、男性)と、同プロダクション社員で、東京都品川区在住のアシスタントのSさん(事故当時27歳、男性)で、Mさんは潜水歴25年のベテラン、Sさんも潜水歴8年を持ち十分な経験がありました。
忍野八海水難死亡事故の経緯② 2人が潜水後行方不明に
同日16時45分頃、MさんとSさんは、15分ほどの予定で忍野八海を構成する池の1つで八海の中で最も湧き水量と透明度が高い事で知られる「湧池(わくいけ)」に潜水し水中撮影を始めました。
2人は150気圧の水中ボンベをそれぞれ1本ずつつけており、水深が5メートルほどのところでは潜水可能時間は1時間ほどでした。
ところが、その潜水可能時間を過ぎても戻らず行方不明となったため、同日19時頃にテレビスタッフの1人が110番通報しました。
忍野八海水難死亡事故の経緯③ 捜索は難航も5日後に遺体発見
通報を受けた栃木県警富士吉田署は、捜索の対策を練りますが、2人が行方不明になった忍野八海湧池は横道が多く迷路のような構造になっているため、2次被害発生の恐れもあり捜索は難航。
同日23時過ぎになってようやく栃木県警機動隊のアクアラング隊員が潜水しての捜索を開始しましたが、発見する事ができずに10分ほどでその日の捜索は打ち切られています。
翌17日から、再び県警による捜索が開始され、行方不明から5日後までに2人とも遺体となって発見されました。
忍野八海水難死亡事故の経緯④ 事故原因は横穴に迷い込んだ事と見られている
忍野八海水難事故の原因は、被害者2人が美しい写真を求めて予定にはなかった湧池の横穴へと入り込み、出口を見失った事ではないかと見られています。
当時の報道では、湧池の横穴は入ると一段推進が深くなる上、藻や溶岩石が足ヒレで蹴り上げられて舞い上がり視界が利かなくなるとする関係者証言も紹介されていました。
また、犠牲者の2人は地上とのガイドロープ(命綱)をつけずに潜水したという事で、これも事故の原因になったと見られています。こうした水中洞窟に入る際には、ガイドロープを繋ぐのが常識となっているという事ですが、どういった理由があったのかこの時2人はガイドロープを使用していませんでした。
忍野八海水難事故のその後① これ以降は行方不明事故は起こっていない
続けて、忍野八海水難事故のその後についても見ていきます。
忍野八海水難事故のその後、別の行方不明事故が起こり、現在も見つかっていないという噂がネット上にありますが、これはデマ情報で、1987年の水難事故以降は1度も忍野八海での行方不明事故は発生していません。
忍野八海水難事故のその後② 現在は潜水禁止になっている
忍野八海水難事故のその後、潜水が禁止になりました。
投げ込まれた小銭を回収するためのダイバーは潜っている
出典:https://yamanashi.uminohi.jp/
事故のその後、潜水禁止になっている忍野八海「湧池」ですが、賽銭がわりに小銭を投げ込む人が後を立たず、景観を損ない水質汚染にもつながるとして、定期的にボランティアのダイバーが水中に入り、小銭や落とし物などを回収する作業を行っているという事です。
世界文化遺産・富士山の構成資産のひとつで、美しいわき水で知られる「忍野八海(おしのはっかい)」(山梨県忍野村)の「湧池(わくいけ)」で22日、池の中に観光客が投げ入れた硬貨を回収する作業があった。ボランティアのダイバーが早朝から水中に入り、手作業で水底にたまった硬貨を引きあげた。水温は年間を通じて13度ほどで、身を切るように冷たい。ダイバーらは約20分で交代しながら回収を続けた。
2014年頃には、湧池内にiPhoneが落ちてそのまま放置され、苔むした状態になっているのが観光客の間で話題になっていましたが、これも現在はダイバーによって回収されているようです。
忍野八海水難事故のその後③ 心霊スポットとして話題になる事も
忍野八海は、古くから霊場とされる神秘的な場所という事も関係してか、忍野八海水難事故を絡めて心霊スポットとして話題になる事も多いようです。
ネット上では、忍野八海で行方不明になったダイバーは、横穴に迷い込んだのではなく何か得体の知れないものに足を掴まれて引き摺り込まれたのだといった内容の心霊話が確認できます。
こうした心霊話では、忍野八海の湧池は面積は152平方メートル、潜水深度は5メートルほどの小さな池で、事故当時に池の周囲には8名ものテレビスタッフがいたにもかかわらず、2人が予定にはなかった横穴へと侵入したのは、何か得体の知れないものに引っ張り込まれたのだ、テレビスタッフの目撃証言もあるが、怪しげな話しとして揉み消されたといった内容が語られています。
ただ、「湧池」は水深3メートルを超えると地上からは水中のダイバーの目視が難しくなり、テレビスタッフは被害者2人が横穴へと入って行ったのを確認できなかった可能性の方が高いようです。ただ、逆にこうした現場の環境から、小さな池であるにもかかわらず、2人が忽然と姿を消した事が、不可思議な現象のように捉えられ、心霊話へとつながった事も考えられそうです。
現在も心霊マニアの間では、忍野八海は心霊スポットとして人気なようです。
一応、心霊スポットの忍野八海へ
— ふじっぷ@心霊探索 (@shinrei_master) November 22, 2018
うっすらと富士山 pic.twitter.com/Gb7HfivoK1
【今月の心霊スポット:10月編】
— Rei 🙂 4/21マサラーフェス (@r__01__r__01) October 14, 2018
山梨県の忍野八海と旧御坂トンネルに行ってきました!!
トンネルだけのスポットは久しぶりだった💦
途中の街灯無しの山道が濃霧過ぎて怖過ぎて笑った(語彙力)
行って欲しい場所やおすすめのスポットがあったら教えてほしい〜🙏 pic.twitter.com/ccC1MM19J6
忍野八海は霊場とされ民話や伝承も多く伝わっている
心霊スポットとしても話題になっている忍野八海ですが、上で触れたように古くから霊場とされている神秘的な雰囲気のある場所です。
忍野八海には、8つの池ごとに民話や伝承などが伝わっているので、最後にそれを紹介していきます。
忍野八海「出口池」にまつわる民話伝承
昔、出口池のほとりには3匹の古狐が住んでおり、化けて出て周囲の人々を驚かしたり、家畜の鶏を食い殺したりして村人を困らせていたそうです。
村人達は信心者に相談し「狐を神として祀れば災いはなくなる」というお告げを得たため、1925年9月14日に出口稲荷大明神を建立して狐を祀ったところ古キツネの被害はぴたりと無くなったという事です。この神社は現在も池の南側の小高い場所に残っています。
忍野八海「お釜池」にまつわる民話伝承
昔、お釜池のほとりに、年老いた父親と姉妹の2人の美しい娘が住んでいました。
ある日、妹が池のほとりで洗濯をしていると、突然池の中から巨大な蟇(ガマガエル)が現れ、強引に池の中に引きずり込んでしまいました。
それを見た姉は泣き叫びながら周囲の村人に助けを求め、畑仕事をしていた父親も呼んで池を探しましたが、どれだけ探しても妹は見つからず、遺体も浮かんでこなかったそうです。
それ以来、父親と姉は命ある限り、お釜池のほとりの家に住み、妹の冥福を祈り続けたという事です。
忍野八海「底抜池」にまつわる民話伝承
底抜池には昔から、食器を洗っている時にそれを池の中に落とすと沈んでしまって行方不明になり、いくら探しても見つからなくなり、それからしばらくすると池の底の横穴を通って近くのお釜池に浮かび上がってくるという現象が何度かあったそうです。
村人らは、これは池の神様が食器を洗うことを嫌っているのだと考え、以来、池の神様に畏敬の念を持つようになったと伝えられています。
忍野八海「銚子池」にまつわる民話伝承
昔、ある祝言の席で花嫁が近所の人々にお酌をして回っている時におならをしてしまい、それを恥じらった花嫁は晴れ着姿でお銚子を持ったまま祝言の場を抜け出し、池に身を投げてしまいました。
その後、池にはお銚子と草履だけが浮かんできたそうです。のちにこの話がもとになり「銚子池」と呼ばれるようになったとされています。この伝承から銚子池は縁結びの神様として語り継がれています。
忍野八海「湧池」にまつわる民話伝承
昔、富士山が噴火した時に、激しい熱風による喉の渇きや、野火や火事を消すために村人らは水を求めて叫び声を上げました。
その時、天から「私を信仰し永久に敬うならば、水を与えよう」という美しい声が響きました。この声は木花開耶姫命という神様のもので、まもなく地面から水が湧き出し。これが「湧池」となったと伝わっています。
忍野八海「濁池」にまつわる民話伝承
この池は元々は澄んだ水を湛え、飲料水となっていました。ある日、池の持ち主の家の軒先に乞食のような身なりをした行者が現れ、一杯の水を求めましたが、この家の老婆が無愛想な態度で断ってしまいました。
すると、池の水はみるみる濁ってしまい、以来「濁池」と呼ばれるようになったそうです。この濁り水は器に汲み取ればたちまち澄んだ水に戻ったとも伝えられています。
忍野八海「鏡池」にまつわる民話伝承
この池の水には昔から全ての物事の善悪を見分ける霊力があると伝わっており、村で何か揉め事が起こると、揉めている方がこの池で身を清めて祈願したといいます。
この池は濁っていますが、水面が穏やかな時ははっきりと反射した富士山の姿が映し出されるので、「鏡池」と呼ばれるようになったとも伝わります。
忍野八海「菖蒲池」にまつわる民話伝承
昔、この池の近くに仲の良い若い夫婦が住んでしましたが、夫が肺病にかかってしまいます。
妻は懸命に看病をしましたが、夫の病は重くなるばかりでした。そこで妻は神仏にすがり、この池の水を毎日浴びて身を清めて一心不乱に祈願したところ、37日目に「池の菖蒲を持って夫の身に巻けば、病魔は退散する」とのお告げが下りました。
妻がお告げの通りにしたところ、夫の熱はさがって食欲もどり、1ヶ月もたたないうちに病気は治ってしまったのだそうです。
この伝承から、「菖蒲池」は夫婦仲を深める池として言い伝えられています。
まとめ
今回は、忍野八海の「湧池」で1987年に発生したダイバーの行方不明死亡事故についてまとめてみました。
この事故は、ワイドショー「新アフターヌーンショー」の富士山企画の撮影のために同地を訪れていた水中カメラマン2名が、池内に入ったまま行方不明になり、その後2人とも遺体となって発見されたという悲惨な事件でした。
その後、この池は潜水禁止となり、一部では心霊の噂などもたっています。ただ、現在は観光名所として人気を集めており、多くの人々が訪れています。