2008年10月1日に発生した「大阪個室ビデオ店放火事件」では犯人の小川和弘に死刑判決が出ましたが、その後の動向も話題です。
今回は小川和弘の生い立ちや家族・学歴、犯行動機、裁判や死刑判決、その後など現在を紹介します。
この記事の目次
小川和弘は「大阪個室ビデオ店放火事件」の犯人
「大阪個室ビデオ店放火事件」は、2008年(平成20年)10月1日に、大阪府大阪市浪速区難波中にあった個室ビデオ店で発生した放火事件で、16人が死亡しました。
小川和弘(当時46歳)は同店にいた客の1人であり、放火犯です。
火災が発生した約12時間後に逮捕されましたが、警察関係者の話では小川和弘は逮捕当時、以下のように語っていたようです。
「白い肌着とトランクス姿で避難していた小川は、現場から立ち去ろうとしたところを、『あの男が犯人や』と客から聞いた店員に止められ、追及されると、『すいません。弁護士もつけるんで。保証もしますんで』と口にしていました。
その後、火災現場に駆けつけた警察官に対し、『ごめんなさい。煙草を吸った』と話したため任意同行され、事情聴取で『死にたかった。火をつけて怖くなり逃げ出した』と容疑を認めたことで逮捕されました。逮捕後の取り調べでは、生きていくのが嫌になり、持参したキャリーバッグ内の新聞紙と衣類にライターで放火したことを供述しています」
多くの人を巻き込んで自殺しようとしたことだけでもとんでもないことですが、火をつけたけれど怖くなって自分だけ逃げた・・・という究極の身勝手さが大惨事を引き起こしました。
事件から6年後の2014年(平成26年)、小川和弘の死刑が確定しましたが、その後の裁判で無罪を主張したため、現在も日本弁護士連合会の支援対象事件として争われています。
小川和弘が起こした「大阪個室ビデオ店放火事件」とは
2008年10月1日午前3時頃、個室ビデオ店「試写室キャッツなんば店」で火災が発生します。
「試写室キャッツなんば店」は、大阪府大阪市浪速区の南海電気鉄道難波駅前商店街の一角にあった檜ビルの1階に入っていました。住所は「大阪府大阪市浪速区難波中3丁目3-23」です。
32室の個室があり、火災の発生当時は26人の客と3人の店員が店内にいました。
フロアーに黒煙が充満し、約1時間40分後に完全に鎮火したものの、15人が一酸化炭素中毒で死亡、10人が重軽傷を負いました。
この重傷者のうちの1人は意識不明の重体のまま意識が回復せず、10月14日に入院先の病院で亡くなったため、最終的な死亡者数は16人となっています。
また、死亡者のうち12人は翌日の2日夜までに身元が判明しましたが、残りの3人は身分証を所持していなかったため身元確認が難航し、24日までかけて身元確認が行われました。
小川和弘が逮捕された
当初、警察の現場検証で火災の原因はタバコによる不審火と見られていましたが、事件発生日の午後、火元だった個室を使用していた東大阪市在住の小川和弘が任意同行により連行されます。
そして、犯行をほのめかす供述をしたため、現住建造物等放火などの容疑で逮捕されました。
事件発生当時、周辺で現場を見ていた人物は以下のように証言しています。
「その当時近くのスナックで飲んでいました。外がスゴく騒がしかったので会計して様子を見に行ったんです。声のする方へ近づいていくと焦げ臭さがすごく鼻について火事が起きたんだなとすぐにわかりました。そこの個室ビデオ店は宿泊してる人が多いのは知っていたんですが、その時避難していた人はスゴく少なくてまだ中に人が居るんだろうなとすぐに察しました。 その後はニュースなんかでも言ってた通り消防車や救急車がたくさん来てました。火事が収まったころにはブルーシートで覆われていて、でもすごく静かだったので生きていないんだろうなと。今でもこの近くを通る時思うのは自分に何かできることは無かったのかという事ですね」
インタビューを受けたこの男性は、火災発生現場となった「試写室キャッツなんば店」をよく知っていたため、事件後は無力感を感じていたようです。
小川和弘が「大阪個室ビデオ店放火事件」を起こした犯行動機とは
事情聴取で小川和弘は、生きるのが嫌になり、店内にあったティッシュにライターで火をつけ、持参していた新聞紙や衣類などが入ったキャリーバッグに燃え移らせたと供述したといいます。
大阪地裁の第1審の判決文では、小川和弘が店内でどのような心境になって犯行に及んだかが克明に記されていました。
大阪地裁での第一審の判決文によれば、Oは数日前に知り合った占い師の男性に連れられて、同日午前1時半ごろに個室ビデオ店に来店した。そこで「個室ビデオ店の部屋が狭いと感じたこと、トイレで大便をきばる声が聞こえたこと、他の部屋から男性のもだえ声が聞こえてきたことをきっかけに、「こんなやつらと同類か」「自分の人生とは何なのか」と思うようになり、生きていくのが嫌になった。その結果、他人を巻き込んでも構わないと思いつつライターで店内のティッシュペーパーに火を付け、持ってきたキャリーバッグの荷物(占い師の男性のもので新聞紙や衣服が入っていた)などに燃え移らせた」という旨の供述をしていることが明らかにされており、この火がソファーなどに燃え移って延焼したと見られている。
小川和弘の無駄に高いプライドと、一時の鬱屈とした感情で行なった自殺未遂が、16人もの尊い命を奪ったわけですから、 その罪深さは底知れません。
そんな「大阪個室ビデオ店放火事件」は、2021年11月までは、単独犯での殺人事件として連合赤軍事件の坂口弘に次ぎ、戦後最悪の死者数でした。
なお、2021年12月に大阪市北区の雑居ビルで起きた放火事件については、記事最後に触れます。
小川和弘は「大阪個室ビデオ店放火事件」で死刑判決が確定するも無罪を主張
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2008年10月22日、大阪地方検察庁は小川和弘を殺人、殺人未遂、現住建造物等放火の罪で起訴しました。
2014年3月には小川和弘の死刑が確定しましたが、弁護団が再審請求をしたため、死刑の執行は保留に。
第1審再審請求は棄却されましたが、2019年11月に弁護団は2度目の再審請求をしました。
弁護団はこの第2次再審請求で、死刑が確定した判決時の認定とは異なる可能性を示す認証実験の結果を大阪地裁に提出していたことが、2021年1月12日にわかりました。
大阪府警による現場検証では、個室に置かれていた小川和弘のキャリーバッグが火元と認定されています。
ですが、弁護団は小川和弘のキャリーバッグではなく、外部から火の手が上がった可能性があるという実験結果を証拠として提示したのです。
この点が、現在も争点として裁判で争われています。
小川和弘の生い立ちや家族・学歴
小川和弘は離婚と母親との死別で人生が狂った
小川和弘は高校卒業後、トラック配達の助手をしていたそうで、最終学歴は高卒です。
その後、大手電機メーカーにライン工として就職し、真面目に約20年間務め上げて、早期退職して多額の退職金を得ていました。
ですが、その直後に夫婦関係が悪化して離婚となり、ギャンブルにはまっていったようです。
「小川さんが早期退職した直後に、奥さんとの仲がこじれて離婚したんです。なんでも、彼がギャンブルにハマって、家におカネを入れなくなったのが原因だったそうです。それに、もともとお母さん(小川の実母)と奥さんの折り合いが悪く、大声で怒鳴り合う声もしょっちゅう聞こえていたので、家庭内は大変だったと思います。
ただ、奥さんが家を出て間もなくして、お母さんが病気で亡くなったんですね。それからですよ、小川さんの様子が明らかに変わっていったのは……」
小川和弘はタクシー運転手などをしていましたが、長くは続かなかったようですぐに無職となりました。
自分の母親が死亡したことで手に入った数千万円の生命保険金も、ギャンブルやキャバクラなど夜の街で遊ぶための資金として散財していたようです。
しかし、こうしたお金は約2年で使い果たしてしまい、小川和弘は自宅を売却して東大阪市にあるワンルームマンションに移り住みました。
この頃から小川和弘は奇行が目立つようになり、他人の部屋に突然不法侵入をしたり、パンツ1枚でうろついたりしていたことがわかっています。
小川和弘は事件直前にもスナックを訪れていた
小川和弘が犯行直前に訪れていたスナックの店員の証言では、同行していた知人の占い師の男性が会計を全て支払い、その後も小川和弘はお店に残って飲んでいたようです。
「9月24日の夜9時頃に突然、『おお、オレ、オレ』なんて言いながら、真っ黒のサングラスをかけて、7年ぶりに店にやってきたんです。男性の知人とふたりでしたが、30分くらいしてその知人が全部の会計を済ませて帰りました。それからはひとり残った小川さんが、自分の喋りたいことだけをベラベラとまくし立てて、会話はまったくの一方通行でした」
スナックに来ていた小川和弘ですが、この時すでに無職で、2008年の春から毎月12万円の生活保護を受ける身でした。
さらに、小川和弘は夜の街で遊ぶためのお金として消費者金融に多額の借金を抱えていました。
こうした底辺の生活を続けていたことから、人生が嫌になり自殺を図ろうとしたようです。
小川和弘の現在① 第2次再審請求の行方が大きなカギ
死刑が確定した小川和弘は現在、大阪拘置所に収監されています。
弁護士による新たな実験結果が提出され、第2次再審請求が行われているものの、2022年1月末現在は続報は出ていません。
また、いくら再審請求中とはいえ、過去には死刑が執行された例もありますので、小川和弘の命が法で守られているというわけでもありません。
今後再審請求が認められるか、刑の執行はいつになるのか、その動向に注目が集まっています。
小川和弘の現在② まるで別人になっていた
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WEBメディア「TOCANA(トカナ)」の記者が小川和弘にインタビューを敢行した際、逮捕された時の冴えない風体とは違い、きっちりとした格好をしていたようです。
まず、恥ずかしながら筆者は小川が面会室に現れた時、彼だとすぐに分からなかった。というのも、マスコミ報道で見かけた逮捕当初の小川は、顔がやつれて血色が悪く、髪がぼさぼさで、いかにも生命力の弱そうな中年男に見えた。だが、この日の小川は顔がふっくらし、髪もすっきりと短く刈られ、精悍な顔つきの男になっていた。逮捕当初とはあまりに容貌が変わっていたため、筆者は目の前の小川を別人だと誤認し、何らかの手違いがあったのではないかと戸惑ってしまったのだ。
小川和弘はもともと大手電機メーカーでライン工として20年間真面目に勤め上げた実績もあるため、それなりに自負があったのだと思います。
それが大金を手にしたことでギャンブルや夜の街にのめり込み、借金漬けになるというある意味典型的な転落人生を味わった結果、「大阪個室ビデオ店放火事件」を起こしてしまいました。
ルックスが劇的に変化したのは、拘置所で過ごす中で規則正しい生活と運動をし、自分を見つめ直した結果なのでしょうか。
事件を起こした時に比べて精神的に回復したようで何よりですが、見た目の変化よりも、罪を反省し、償うことを優先してほしい思いがどうしても拭えません。
小川和弘が起こした「大阪個室ビデオ店放火事件」のその後① 消防法違反の店が多数発覚
全国の個室ボックス設置店舗に警察の緊急立ち入り検査
「大阪個室ビデオ店放火事件」が発生した当日は、奇しくも自動火災報知器の設置を義務付ける改正消防法が施行された日。
そのため、同事件発生後、全国の個室ビデオ店やカラオケボックスには、警察による緊急の立ち入り調査が行われました。
その結果、多くの店舗で火災報知器や消火器などが正しく設置されておらず、消防法違反のまま営業されていた実情が浮かび上がりました。
小川和弘が起こした「大阪個室ビデオ店放火事件」のその後② 2021年12月に放火が発生
2021年12月17日の15時49分、大阪市北区曽根崎新地1にある8階建て雑居ビル「堂島北ビル」において、「大阪個室ビデオ店放火事件」を彷彿とさせるような放火事件が発生しました。
17日午前10時20分ごろ、大阪市北区曽根崎新地1の8階建て雑居ビル「堂島北ビル」で、「4階が燃えている」と多数の通行人らから119番が入った。大阪府警や市消防局によると、4階には心療内科と精神科の医療機関「西梅田こころとからだのクリニック」が入っている。火は約30分後にほぼ消し止められたが、男女28人が負傷し、うち27人が心肺停止の状態になっている。府警は現場の状況から放火事件の疑いが強まったとして捜査を始めた。
警察は、事件で死亡した谷本盛雄容疑者(当時61)を殺人と放火の疑いで捜査中ですが、谷本容疑者が社会から孤立し、多くの人を巻き添えに自殺を図ったというのが有力です。犯行動機が、小川和弘と酷似していますよね。
なお、この事件では、巻き込まれた25人が死亡、1人が重体になっています。
「大阪個室ビデオ店放火事件」でも、2021年12月の放火事件でも、巻き添えになって亡くなった方々は本当に無念だったことでしょう。
まとめ
2008年10月1日に大阪府の「試写室キャッツなんば店」で「大阪個室ビデオ店放火事件」を起こした犯人、小川和弘についてまとめてきました。
小川和弘の放蕩生活とあまりにも身勝手な犯行動機には、到底同情の余地はありません。
ただ、再審請求で今後どういう結果が出るのか、小川和弘は冤罪なのか、死刑は執行されるのか、2021年12月の放火事件で、「大阪個室ビデオ店放火事件」に注目が集まっています。
最後に、亡くなった16人の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。