1999年に起きた「徳島県自衛官変死事件」は不審な点が多く、なんJでもたびたび話題になっています。
今回は徳島県自衛官変死事件の経緯、被害者や発見現場・警察の対応など不審点、犯人が暴走族説など真相、現在をまとめました。
この記事の目次
徳島県自衛官変死事件とは
徳島県自衛官変死事件とは、1999年12月25日に起こった自衛官の変死事件です。
デート後に行方不明に
広島県の海上自衛隊第1術科学校勤務だった海上自衛官の三笠睦彦さんは、1999年12月25日に休暇を取って、実家がある徳島県に帰省していました。
そして、12月25日と言えば世間はクリスマス。三笠さんも彼女と神戸でドライブデートをしていました。
ドライブデートが終わったのが夜7~8時ごろです。三笠さんは家族に、自宅で夕食を食べると伝えていましたので、デートの後は自宅に帰る予定だったはずです。
しかし、三笠さんはその日は帰りませんでした。
その翌日、自宅から60kmも離れた阿南市で三笠さんの車が見つかり、警察から家族に連絡が入ります。
この時点では警察は事件性があるとは考えず、ただ「通行の邪魔になるから車を移動してほしい」という要請の連絡でした。
橋の下の河川敷で遺体を発見
家族が三笠さんの車が放置されている現場に向かうと、怪しい点が複数あったため、警察に通報しました。
しかし、警察はきちんと取り合ってくれません。県警本部に行って捜索を求めますが、明日の朝まで待つようにと言われます。
そして12月27日午前2時30分頃、阿南市福井の新逆瀬橋の下の河川敷で、阿南署員が三笠さんの遺体を発見しました。
警察は早い段階で三笠さんの死は自殺であり事件性はないと断定し、捜査を打ち切ります。
遺族は自殺という結論に疑問を持ち、事件性があると見て、徳島県警に再捜査を申し入れました。警察は2度の再捜査を行いますが、殺害された疑いはなく自殺であると再度判断します。
2004年、遺族が徳島検察審議会に審議を申し立てましたが、2005年に不起訴相当と議決されました。
徳島県自衛官変死事件の被害者にまつわる不審点① 遺体の発見場所がおかしい
この徳島県自衛官変死事件の被害者の死には、不審な点があまりにも多いんです。
今から説明する不審な点を知れば、遺族でなくても誰でも「自殺ではない」「殺人の可能性が高い」と思うはずです。
橋から遺体発見現場までは4.2mも離れていた
徳島県自衛官変死事件の被害者である三笠睦彦さんは、阿南市の橋の下の河川敷で発見されています。この橋は高さ15mあります。
この橋の直下から遺体発見場所まで、直線距離で4.2mも離れていました。4.2mも離れた場所に転落するのは、走り幅跳びのように助走をつけないと物理的に不可能です。
さらに、この橋には高さ85cmの欄干がありますので、助走をつけても転落することは不可能なんです。
助走をつけても転落できない位置に遺体があった、つまり、自力では三笠さんは遺体発見現場に転落することができないのです。
これにより、何者かよって投げ捨てるようにして転落させられた可能性があります。
車から橋まで足跡がなかった
被害者の三笠さんの車が発見された場所から橋までは、20m近く離れていました。また、飛び降りたと思われる橋の欄干側とは反対車線に車は停まっていました。
もし、三笠さんが橋の欄干まで自分の足で歩いたのであれば、何らかの足跡が残っているはずです。しかし、三笠さんの足跡は一切見つかりませんでした。
また、三笠さんの靴にはこすったような、引きずったような不審な傷が残っていました。さらに、左の靴底が折れ曲がっていたことも分かっています。
妹の証言で、12月25日に家を出た時にはそのような傷はなかったことが分かっています。
足跡はないけれど、靴には引きずったような傷があることから、第三者によって運ばれた可能性が高いと言えるでしょう。
橋の欄干には指紋がなかった
被害者の三笠さんが転落した橋には、高さ85cmの欄干がありました。普通に考えると、自殺をするために橋の欄干を乗り越えるためには、手で欄干を掴んで乗り越えますよね。
でも、橋の欄干には三笠さんの指紋は残っていませんでした。
ということは、飛び越えたのでしょうか?鍛えている自衛官なら85cmの高さを飛び越えるのは、それほど苦労はないでしょう。
でも、飛び越えて、4.2m離れた場所に落下するのはどう考えても不可能です。
徳島県自衛官変死事件の被害者にまつわる不審点② 遺体の異変
大動脈損傷があった
三笠さんは司法解剖の結果、転落前にできた大動脈損傷が見つかり、それが死因であることが分かりました。
警察はこの死因について、車のエアバッグが作動したことで胸に圧力が加わったことにより、大動脈損傷が起こったと推測しました。
しかし、大動脈の周辺臓器には損傷がないことから、被害者の三笠さんは大動脈にピンポイントで圧力が加わったと見られています。
また、エアバッグではそのような大動脈が損傷することはないと見られています。
上着に円状の圧痕
遺族の証言によると、被害者の三笠さんの上着には円状の圧痕があったそうです。
しかし、警察で鑑定した後に遺族に返却された時には、圧痕は消えていました。しかも、警察は「そもそも圧痕なんてなかった」と発表しているんです。
円状の圧痕があると、何かまずいことがあったのかもしれません。
徳島県自衛官変死事件の被害者にまつわる不審点③ 車の傷や発見場所がおかしい
車に不審な傷があった
出典:ameblo.jp
被害者の三笠さんの車は橋の近くで発見されましたが、発見された時には、車は事故に遭ったようにボコボコの状態になっていたんです。
・左のライトやバンパーが破損
・左のフロントタイヤは引きちぎられていた
・助手席側のフロントガラスに亀裂が入っていた
・左右のエアバッグが開いていた
このような状態になっていました。ちなみに、ドアはロックされておらず、キーは差し込まれたままでした。
また車の天井には、鉄パイプのようなもので叩かれた傷がありました。しかし、警察はレッカー車によって付けられた傷と結論付けています。
ただ、レッカー車ではそのような傷がつくことはまずありえないということです。
事故現場から車両発見現場までが遠い
さらに、警察が事故現場と断定したのは、車が発見された場所から8kmも離れた場所でした。
8kmもの道のりを、エアバッグが出た状態のボコボコの車で走ってきたとは考えにくいですよね。
しかも、三笠さんはその事故で、死因となる大動脈損傷の傷を負っているのですから。
致命傷を負いながらも、8kmも車の運転をするのは不可能に近いです。
徳島県自衛官変死事件の被害者にまつわる不審点④ 怪しい警察の発表
早々に自殺との連絡が入る
被害者の三笠さんは死因を詳しく調べるために、司法解剖されることになりました。
司法解剖が終わらないと死因がわかりませんので、自殺か他殺かの判断は一般的にはされません。
でも、司法解剖が終わる前に、徳島県警から自衛隊に自殺であると連絡が入りました。まるで、最初から自殺で決まっていたかのようですよね。
自殺理由が怪しい
警察が発表した被害者の三笠さんの自殺理由は、「事故を起こし、車が壊れた腹立たしさから」というものです。おかしくないですか?
普通、事故を起こして、車が壊れて腹立たしいから自殺をするでしょうか?
百歩譲って、事故を起こして誰かを死なせてしまったら、罪の意識にさいなまれて自殺したくなるかもしれません。
でも、三笠さんの事故は自損事故です。誰も傷つけていませんし、自分も運転できる程度で外傷もありませんから、事故を苦に自殺なんて普通に考えたらあり得ないのではないでしょうか。
徳島県自衛官変死事件の犯人は暴走族の可能性大
徳島県自衛官変死事件は警察は自殺と断定しましたが、どう考えても自殺とは思えません。
では、犯人は誰なのでしょうか?犯人は地元の暴走族であると考察されています。
現場付近では暴走族がよく目撃されていました。そして、被害者の遺族が探し出した目撃者の証言も、犯人は暴走族であることを示唆しています。
「頭になにか冠った人が火花が散った車を運転していた」
「遺体があった橋の下を覗いていた3人の男がいた」
「事件当日に現場で被害者の車両と共に2台の車両が停車していた」
・大動脈のピンポイント損傷→鉄パイプで思いっきり突いた
・足跡がない→暴走族が引きずるように運んだ
・上着の円状の圧痕→鉄パイプで突いた痕
・橋直下から4.2m離れ、欄干に指紋がない→暴走族に投げるように転落させられた
・事故現場から8kmも離れた場所で破損した車が見つかった→暴走族から逃げていた
徳島県自衛官変死事件の真相
被害者の三笠睦彦さんが暴走族に襲われた末に死亡したのなら、警察はきちんと調べるはずですよね。
でも、警察は最初から自殺と決めつけた捜査をしているかのようでした。司法解剖の結果が出る前に、自衛隊に自殺の連絡をしたことも怪しいですよね。
また、事件当日の被害者の足取りを掴むためにも、Nシステム(車両監視システム)を使うべきなのに、警察は当初の捜査でも、再捜査でもNシステムを使っていないのです。
実は、この徳島県自衛官変死事件の真相には、政治的な圧力が関係していると噂されています。
政治的な圧力がかかったために、警察はきちんと捜査をせず、自殺と決めつけて事件を終わらせようとしたというのです。
阿南市長候補の息子だった?
実は被害者の三笠さんを殺害した暴走族は、地元の有力者である息子だったと言われています。
父親が事件当時は衆議院議員で、その後は阿南市長になった人物です。
その有力者の息子は地元の暴走族に入っているワルで、地元では有名な存在でした。
そして2003年ごろには、2ちゃんねるでその有力者の実名を挙げ、その息子が犯人だとの情報が多数見られるようになります。
2003年と言えば、阿南市長選挙が控えていました。その有力者は息子の関与を疑わせる書き込みをした人物を、選挙妨害をしたとして名誉棄損容疑で告訴すると発表しました。
しかし、急に告訴を取り下げてしまいました。
この怪しい動きに対して、2ちゃんねるではさらには「やっぱり息子が犯人なのでは?」と噂が広がっています。
自分の息子が加害者である証拠を突き付けられて訴えることを止めたものの、この有力者は「衆議院議員」という立場を使って、警察に圧力をかけ、自殺で片付けさせたのかもしれません。
また、警察・公安のドンであり、徳島県出身の大物である後藤田正晴氏が何らかの形で絡んでいたのではないか?とも言われています。
以前、この有力者は後藤田正晴氏の秘書をしていたという関係があります。ただ、事件当時は敵対関係でしたので、後藤田正晴氏がもみ消しに手を貸したとは考えにくいようです。
でも、自衛官殺人事件をもみ消すほど警察を動かせる権力を持つのは、徳島県では「カミソリ後藤田」しかいません。
徳島県自衛官変死事件はなんJでもスレが立つ
出典:twitter.com
この徳島県自衛官変死事件は、本当に謎が多い未解決事件です。
警察の中では「自殺」ということで方がついていますが、状況的に「自殺」とするのは無理があります。
この徳島県自衛官変死事件は、5ちゃんねるのなんJ(なんでも実況ジュピター)で「未解決事件部」などのスレッドなどが立つたび、たびたび話題にのぼっています。
確かに、興味深い事件ですので、いろいろ考察したくなる事件ですよね。
徳島県自衛官変死事件の現在
徳島県自衛官変死事件は自殺として扱われ、徳島検察審議会にも申し立てが行われましたが、不起訴処分相当の結論が出されています。
そのため、この時点で徳島県自衛官変死事件の捜査は終了したということになります。
しかし、その後も遺族は自主的に情報収集・捜査を続けています。
事件から10年以上経った現在でも、まだ母親は1人で情報提供を求めているとのことです。
そして、事件の真相に関わっているかもしれない有力者は長く阿南市長を務めていましたが、2019年の選挙で落選し、現在は政治の第一線から退いています。
徳島県自衛官変死事件のまとめ
徳島県自衛官変死事件の概要や被害者の死の不審点、事件の犯人や真相と現在をまとめました。
徳島県自衛官変死事件は本当に謎が多い事件です。おそらく、真犯人自らが明らかにしない限り、事件の真相が解明されることはないでしょう。
ただ、被害者のご冥福をお祈りするしかできません。