野村沙知代さんと浅香光代さんは芸能界きっての犬猿の仲で、その喧嘩は「ミッチー・サッチー騒動」として現在も話題です。
今回は野村沙知代さんと浅香光代さんについて、関係悪化のきっかけや喧嘩エピソード、その後をまとめました。
この記事の目次
野村沙知代のプロフィール
野村沙知代
生年月日:1932年3月26日
出身:福島県西郷村
所属:株式会社エフエンタープライズ
血液型:B型
活動:タレント
野村沙知代さんと言えば、三冠王に輝き、「野村ID野球」と言われるように緻密な戦術で名監督と言われた野村克也さんの奥様です。
野村克也さんと出会った頃は、お互いに既婚者で配偶者がいたので、ダブル不倫状態でした。
その状態で三男のカツノリさんを出産、その後ようやく野村克也さんと結婚しました。
球団運営やチーム編成などに口を出すことでも有名だった野村沙知代さんは、「プロ野球選手の妻」という枠組みにおさまらず、タレントとしても活躍。
さらに、落選はしたものの、衆議院議員選挙にも立候補しています。
浅香光代のプロフィール
浅香光代
生年月日:1928年2月20日
出身:東京都神田
身長:163.5cm
血液型:B型
活動:女優
戦前から「新生国民座」の門戸をたたき、女優人生を歩み始めた浅香光代さんは、若干16歳で浅香光代一座を発足、さらには女剣劇の全盛時代を作り上げ、一座を人気劇団へ成長させます。
さらに1979年「演劇舞踊浅香流」を創始して、多数の門弟を抱えている家元でもあります。
このように実績はあったものの、テレビや映画などが活躍の舞台ではなかったため、世間一般的な認知度はあまり高くはありませんでした。
しかし、野村沙知代さんとの関係性が悪くなり、ミッチー・サッチー騒動が起こってからは、マスコミにも積極的に出演し、名前が全国区になります。
さらに、その後はプロレスに参戦して高山善廣さんと試合をしたり、大物政治家との隠し子を告白したりと、定期的に世間を驚かせるような話題を提供してくれています。
野村沙知代と浅香光代の関係① 仲が悪くなったきっかけとは?
野村沙知代さんと浅香光代さんの関係と言えば、犬猿の仲であることが有名ですよね。
関係がこじれて仲が悪くなってしまい、世間を巻き込んだミッチー・サッチー騒動を巻き起こします。
ミッチー・サッチー騒動の始まりから終わりまでの流れを見ていきましょう。
野村沙知代と浅香光代は最初は仲が良かった!?
野村沙知代さんと浅香光代さんは、実は最初から仲が悪かったわけではありません。最初は意気投合して、仲が良く、良好な関係を築いていました。
でも、舞台の共演をきっかけに2人の関係性に暗雲が立ち込めます。
浅香光代さんは自分の舞台に野村沙知代さんを招待したところ、野村沙知代さんは「胸のすくような芝居でいいわね、私も踊りたい」と浅香さんにお願いします。
それをきっかけに、浅香光代さんと野村沙知代さんは舞台で共演することになります。
しかし野村沙知代さんが、舞台の本番中に客席に手を振ったり、浅香光代さんに「私の方が上手いんだから、指示を出すな」と言ったそうで、2人の関係は悪くなっていきました。
ただ、この舞台共演のエピソードは、あくまで浅香光代さん視点のものなので、野村沙知代さん視点からだとまた違った見方が出てくるのかもしれません。
野村沙知代と浅香光代の関係② 喧嘩は「ミッチー・サッチー騒動」として話題に
浅香光代の批判からミッチー・サッチー騒動に発展!
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浅香光代さんと野村沙知代さんが仲が悪くなったのは、1998年の舞台共演が最初でした。そして、その関係性に完全に亀裂が入るのが1999年のことです。
1999年3月31日、TBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』の中で、浅香光代さんが野村沙知代さんのことをぼろくそに批判しました。
浅香光代さんは「あんな人はもう嫌。引っ叩いてやりたい」とまで言っています。
この浅香光代さんの批判をきっかけに、2人の仲は決定的に悪くなり、2人だけでなく、他の芸能人を巻き込み、さらに世間も巻き込んだミッチー・サッチー騒動が巻き起こりました。
浅香光代派には、十勝花子さんや渡部恵美さん、美川憲一さん、デヴィ夫人などが名を連ねました。
野村沙知代派には、細木数子さんや神田川俊郎さん、テリー伊藤さんなどがいて、毎日のようにワイドショーを賑わせていた話題でした。
ちなみに、当時政治家だった田中真紀子さんは、このミッチー・サッチー騒動を「恐竜対恐竜」と表現しています。これほど的確な表現はなかなかないですよね。
サッチー批判へと風向きが変わる
出典:twitter.com
このミッチー・サッチー騒動は野村沙知代さんと浅香光代さんの一騎打ちではなく、その他の周囲の芸能人を巻き込んでの喧嘩となっています。
そして、ミッチー・サッチー騒動は2人の喧嘩というよりも、野村沙知代さんを一方的に批判する状態に風向きが変わってきました。
2人が仲が悪いことなんて関係なしに、とにかく「野村沙知代さんを叩く」、「野村沙知代さんをバッシングする」という感じになっていったんです。
なぜ2人の仲が悪いこと以上に、野村沙知代さん批判がひどくなったのか?それは、野村沙知代さんの経歴詐称が問題になったからでした。
野村沙知代さんは外国人記者クラブでの会見で、「コロンビア大学の聴講生だった」と答えています。さらに、選挙公報にも最終学歴はコロンビア大学卒業と記載されていました。
しかし、実の弟さんの伊藤信義さんが、「中等学校で終了し、終戦後の数年間は第一ホテルで皿洗いのバイトをしながら、アメリカ兵相手にパンパンとして身を立てていた」と暴露しました。
これにより、野村沙知代さんが経歴を詐称していることが明らかになりました。
さらに、前夫との実の息子であるケニー野村さんも暴露本を出したため、「肉親にも暴露されるなら、ミッチーよりもサッチーが悪い」という流れになります。
「野村沙知代VS浅香光代」という対立構造ではなく、「野村沙知代VS浅香光代+他多数」という対立構造になっていきました。
野村沙知代さんと浅香光代さんは相変わらず仲が悪く、関係性の改善は見られなかったものの、2人の関係の良し悪しは置いてきぼりになった感がありました。
野村沙知代と浅香光代の関係③ 野村沙知代の脱税逮捕でひと段落
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野村沙知代さんと浅香光代さんの仲違いから発生したミッチー・サッチー騒動ですが、このミッチー・サッチー騒動は2001年に収束しました。
ミッチー・サッチー騒動が収束したきっかけは、野村沙知代さんの脱税容疑での逮捕です。
野村沙知代さんが約5億6,800万円の所得を隠し、合計2億1,300万円の脱税をしていた容疑で逮捕され、執行猶予付きの判決となりました。
この野村沙知代さんの逮捕を受けて、浅香光代さんは「正義は勝つ」と宣言しています。
野村沙知代と浅香光代の喧嘩エピソード3選
野村沙知代さんと浅香光代さんの喧嘩にまつわるエピソードを紹介していきます。
浅香光代が野村沙知代を公職選挙法違反で訴える!
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浅香光代さんは、ミッチー・サッチー騒動中に野村沙知代さんを公職選挙法違反で訴えました。
1996年に野村沙知代さんが衆議院議員に立候補した時に、選挙公報に掲載した情報に虚偽があったと訴えたのです。虚偽の情報とは、前述の最終学歴や結婚時期などですね。
ただし、証拠が不十分だったり、入籍はしていなかったものの事実婚状態だった事実が認められたことで、この訴えでは不起訴となっています。
この時、浅香光代さんは「残念ながら受理されなかった。こんなことがあっていいのかと思います」と悔しそうに話していました。
野村沙知代出演時だけスポンサーが降りる
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ミッチー・サッチー騒動の中、野村沙知代さんにバッシングが集まるようになった1999年、野村沙知代さんが出演する番組では、その時だけスポンサーが降りるという事態に発展しました。
その番組は以下の2番組です。
・とんねるずのみなさんのおかげでした…花王
野村沙知代さんがこの2つの番組に出演した時、商品のイメージにそぐわないとの理由から、資生堂と花王が、それぞれその日の放送分のみ提供を取りやめています。
その番組の顔とも言えるスポンサー企業が提供を取りやめるなんて、いかにミッチー・サッチー騒動の影響が大きかったのかが分かりますね。
野村沙知代と浅香光代が若者に認知される
野村沙知代さんと浅香光代さんの喧嘩である「ミッチー・サッチー騒動」は、野村沙知代さんと浅香光代さんの知名度を一気に押し上げた騒動でした。
野村沙知代さんと浅香光代さんはそれまであまり若者に知られていませんでしたが、初老のおばあさん2人が公共の電波を使って思いっきり喧嘩をする様子は、面白おかしく映ったようです。
そのため「ミッチー・サッチー」という言葉は、1999年の流行語にノミネートされています。
「ミッチー・サッチー」という言葉のキャッチ―なイメージも、若者にとっては捉えやすかったのかもしれません。
2人の仲違いによって、野村沙知代さんと浅香光代さんは一気に知名度を上げ、若者人気を獲得していきました。
野村沙知代の死後、浅香光代が追悼コメントを出し話題に
出典:daily.co.jp
野村沙知代さんは2017年、虚血性心不全で亡くなっています。一方で2020年現在、浅香光代さんはご健在です。
一時は仲違いをしていましたが、浅香光代さんは野村沙知代さんを偲んで、次のようにコメントしています。
「この世では2度とああいう女には会えないだろうね。あと何年かしたら、“座布団敷いて待ってたわよ”って迎えてくれるかもね(笑)」
また、浅香光代さんの内縁の夫である世志凡太さんは、野村沙知代さんについて、次のように語っていました。
「サッチーがしていたことって全部“野村監督”のためなんだよ。お金を貯め込んだのも、派手な服装できれいに着飾ったのもね。確かに度を越したところもあったけど、それだけ一生懸命だったんだなって今は思うね」
野村沙知代さんが亡くなった後のこのようなコメントを見ると、なんだかんだ言いつつも、浅香光代さんは野村沙知代さんのことを認めていたのかもしれませんね。
もし本当に嫌いなら、わざわざボロクソには言わないですよね。
まとめ
野村沙知代さんと浅香光代さんの関係や仲違いしたきっかけ、ミッチー・サッチー騒動の顛末などをまとめてみましたが、いかがでしたか?
・舞台共演後に仲違いをして、関係性が悪くなった
・ミッチー・サッチー騒動へ発展し、そこから野村沙知代さんへの批判へ変わった
・野村沙知代さんが脱税で逮捕されて、騒動は収束
・野村沙知代さんの死後の追悼を見ると、浅香光代さんは認めていた部分もあった模様