「ミッチー・サッチー騒動」で一躍有名になった浅香光代さんですが、若い頃の恋愛遍歴や子供の父親も話題です。
今回は浅香光代さんの若い頃の離婚や不倫、内縁の旦那、子供と父親と噂される大物政治家8人、死去した現在をまとめました。
この記事の目次
浅香光代のプロフィール
浅香光代
本名:北岡昭子
生年月日:1928年2月20日
出身:東京都千代田区神田
身長:163.5cm
血液型:B型
活動:剣劇女優
浅香光代さんは、9歳で舞台劇団「新生国民座」の門戸をたたき、「新生国民座」が解散後は「浅香光代一座」を発足させます。
その後一座は成長していき、女剣劇全盛時代を作り上げていきます。
自身の殺陣に絶対の自信を持っていて、バラエティ番組で殺陣の指導をすることがありますね。
その後、「演劇舞踊浅香流」を創設。名取だけで600人以上の門弟がいて、後進の指導に当たっています。
1999年にはラジオで野村沙知代さんのことを「あんな人はもう嫌。引っ叩いてやりたい」と批判し、そこからミッチー・サッチー騒動に発展しました。
このミッチー・サッチー騒動で、浅香光代さんは若い世代にも名前を知られるようになり、全国的に知名度が上がりました。
2010年には82歳という年齢でプロレスに参戦し、高山善廣さんとの対戦が話題になりました。
アグレッシブな活動を続けていましたが、2020年12月に亡くなっています。
浅香光代の若い頃① 美人舞台女優として活躍
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浅香光代さんと言えば、「おばちゃん!」というイメージが強い方が多いのではないでしょうか。
一躍浅香光代さんが全国区となったミッチー・サッチー騒動からも、気が強くて口数が多いおばちゃん(おばあちゃん)といった印象です。
しかし、もともと舞台女優(剣劇女優)出身の人であり、しかも「新生国民座」では座長のお気に入りだった人物です。そして、弱冠16歳で浅香光代一座を立ち上げている実力者なんです。
そんな浅香光代さんは、若い頃の写真を見ると、本当に綺麗ですよね。目力が強く、凛とした美しさが特徴的で、男性を引き付ける魅力がありますよね。
浅香光代の若い頃② 離婚5回・不倫3回など波乱万丈すぎる恋愛遍歴
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浅香光代さんは若い頃はとてもキレイでした(今もキレイですが)。ですので、若い頃からかなりモテたようなんです。
浅香光代さんは後述するように、現在は内縁の夫がいます。でも、その夫の前には5回も結婚・離婚をしていたそうなんです。
詳細な情報はありませんので、誰と結婚・離婚をしていたのかは不明ですが、5回も結婚・離婚をしていたということで、間違いなく、モテる方であることが分かります。
また、江戸っ子気質のちゃきちゃきでサッパリ&男勝りの性格かと思いきや、意外と恋愛体質なのかもしれませんね。そうでないと、5回も離婚しませんから。
お付き合いはできても、5回も結婚に至るというのは、ただただすごいの一言です。
5回も離婚している浅香光代さんですが、さらに分かっているだけで3人の男性と不倫しています。
不倫相手の1人は後述する大物政治家で、あとの2人は老舗の会社社長と、「脱税王」と呼ばれた実業家です。
現在の内縁の旦那さんを含め、6回の結婚をし、5回の離婚をした。さらに3人と不倫をしていた。すごい人生ですよね。
最初の不倫が19歳の時で、1992年に今の旦那さんと熱愛が報じられた時、浅香光代さんは64歳でした。この間、45年間です。
19歳から64歳までに6回の結婚・5回の離婚・3人と不倫…この溢れすぎているバイタリティは、草食系が増えた今の若者からすると、「信じられない…」の一言かもしれませんね。
それだけ浅香光代さんがキレイで魅力的な女性で、それだけモテたということですよね。
波乱万丈だったとは思いますが、非モテ女子からすると羨ましい限りです。
浅香光代の最後の旦那・世志凡太は内縁の夫だった
浅香光代さんは先ほど説明したように、今までに6回の結婚をして5回の離婚をしています。
ここでは現在の旦那さんについて説明していきます。
浅香光代の旦那
浅香光代さんの現在の旦那さんは、世志凡太さんです。
元々はミュージシャン(ベース奏者)としてデビューしますが、その後はコメディアンに転向。
音楽プロデューサーや芸能プロダクションの経営者としても活躍していて、フィンガー5を世に送り出し、せんだみつおさんなどを育てた人物です。
1992年、芸能リポーターの梨元勝さんなどから「浅香光代は世志凡太と男女の関係にある!」とスクープされます。
そこで、「じゃあ一緒になっちゃおう」と3ヶ月間のお試し婚のつもりで、結婚生活を始めたとのこと。この時は、きちんと結婚式も挙げたとのことです。
3ヶ月間だけのお試しのつもりでしたが、そのまま現在まで結婚生活を続けているとのこと。
2016年1月には、テレビ番組の中で世志凡太さんが公開プロポーズをして、サイン済みの婚姻届けと指輪を浅香光代さんに渡していました。
しかし結局は婚姻届けは提出せず、そのまま内縁の関係を続けているとのこと。
もう浅香光代さんくらいの年齢になって、お金に一切困っていないような地位があれば、婚姻届を出す・出さないなどは関係なくなるのかもしれません。
法律に縛られた関係ではないけれど、ずっと一緒にいられるというのは、なんかステキですよね。
ちなみに、2人の寝室は別々で、旦那さんとは「夫婦・夫」というよりも仕事上のパートナーとしての意識が強く、お互いのことを「社長」「家元」と呼び合っているとのことです。
恋愛感情を超えた夫婦という感じでしょうか。
浅香光代の子供① 隠し子が2人
浅香光代さんには2人の子供がいます。子供と言っても、2020年時点ですでに60代半ばの年齢です。ご長男は保険会社を経営し、次男は芸能関係の仕事をしているとのこと。
この2人の子供は浅香光代さんの隠し子として育てられました。
生まれてから兄弟2人は浅香光代さんとは別の場所で暮らしていて、高校に入学してからようやく一緒に暮らし始めたのだそうです。
そして一緒に暮らし始めてからも「お母さん」と呼ばせず、「先生」と呼ばせていたんだとか。
しかも、一緒に住むと言っても、同じ敷地内ではあるものの、浅香さんは豪邸に住み、兄弟2人は小さな家だったそうです。
浅香光代の子供② 父親は不倫相手の大物政治家
浅香光代さんの2人の子供は、なんと不倫の末にできた子供だったとのこと。
子供の父親は誰なのか、噂とその真相を見ていきましょう。
2014年に大物政治家との間の隠し子の存在を告白
浅香光代さんは2014年、雑誌「婦人公論」で2人の隠し子がいて、その2人の子供の父親は大物政治家であることを告白しました。
浅香光代さんはある料亭で、当時の大蔵大臣だった泉山三六氏から、とある政治家を紹介されます。その政治家には奥さんがいましたが、すぐに男女の仲になり、2人の子供を出産します。
しかし、浅香光代さんの立場はあくまでも「愛人」。愛人という立場に耐えられず、浅香光代さんはその政治家と別れることにしました。
その時、政治家の奥さんからは「私が離婚するから、主人と一緒になって」と言われるものの、それを断ったと語っています。
浅香光代さんは愛人という立場が本当に嫌だったようで、その後は「2」という数字が大嫌いになったんだとか。愛人を意味する「2号」という言葉を連想するからですね。
住所に「2」が入っていたら変えてくれるように文句を言い、電車の「2号車」や旅館の部屋番号の「2」も徹底的に避けたそうです。
そして、別れた後は隠し子として2人の子供を育てながら、芸能活動を続け、2人の子供の父親が大物政治家であることは誰に言わずに隠し通してきました。
しかし、2012年に次男がふとした時に気づいたそうです。
《ひょんなことから次男が、父がただ者ではないらしいと気づいたから。ある日電話がかかってきて、「先生、怒らないでください。父親は誰なのか教えてくれませんか」と。もう隠し通せないと観念して、「立派な政治家だった」とすべてを話したんですよ》
それまでは、子供2人には父親は飛行機事故で死んだと話していたそうです。
次男がなぜ生まれてから50年以上経って、「父親がただ者ではない」と気づいたのか、気になるところですね。
総理大臣?総理になり損ねた人物?
さて、浅香光代さんが隠し子2人の子供は大物政治家であると告白してから、世間は「父親である大物政治家は誰だ?」と話題になりました。
そんな時、浅香光代さんは東京都内で行われた映画「8月の家族たち」の公開直前イベントに出席して、父親である大物政治家について語りました。
リポーターから父親について「元総理大臣?」と聞かれた時、「そうです、そうです」と答えています。また、「福田武夫さんが旦那とか言われたり、違います」とも答えています。
浅香光代さんの隠し子の年齢からして、当てはまる日本の総理大臣経験者は限られていますので、福田武夫さんを除くとすると、かなり候補者は絞られてきますよね。
そして、今まで子供の父親が大物政治家であることを秘密にしていた理由は、次のように語っています。
私みたいなのが立派な人の子どもを産んだといったらその人の名前が傷つく。だからその先生を好きだったからどんなことがあっても言いたくなかった。
相手の政治家生命を思って、相手のことを思って、何十年もの間、自分の胸にしまっておいたというわけですね。乙女心ですね。
子供の父親は元総理と答えたことで騒然となりましたが、その後の取材で総理経験者ではなく、「総理大臣になるところだった人」と訂正、「アイムソーリー」とダジャレをかましています。
本当に間違ったのかもしれませんが、この情報だとあまりにも限定されてしまうため、あえて「元総理大臣」→「総理大臣になるところだった人」と訂正した可能性はありますね。
50年以上もずっと胸の中にしまっておいた秘密を、そんなに面白おかしく騒ぎ立てられたくないし、相手の名誉もあるので、フェイクを混ぜて話すのは当然かもしれません。
大物政治家のヒント
ここで、浅香光代さんが小出しにしてきた子供の父親に関する情報をまとめておきましょう。
・総理か副総理
・自民党の大物(重鎮)
・イニシャルはS
・すでに故人
・奥様も故人
・浅香光代さんより30歳くらい年上
・吉田内閣で閣僚となった
・『剃刀』の異名を持っていた
・自民党のNo.2
・相手夫婦に子供はいなかった
・夫人は学習院
・亡くなる直前に国会で倒れた
これだけ見ると、子供の父親という大物政治家を絞り込めそうな気がしますが、実はこの情報にピッタリと会う人物はいないんです。
おそらく、この中にはフェイクの情報が混ざっているのだと思われます。
いい具合にフェイク情報が入っているため、「父親はこの人物だ!」と特定できていません。
浅香光代の子供の父親候補の大物政治家8人
浅香光代さんの子供の父親とされる大物政治家は、しっかりと特定することはできません。
しかし、「この人かもしれない」とされる人物はいます。浅香光代さんの子供の父親候補の大物政治家を見ていきましょう。
福田赳夫
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まずは福田赳夫氏です。
福田赳夫氏は第68代内閣総理大臣です。総理大臣経験者で、年齢的にもまあ合っています。ただ、イニシャルがSではありません。
また、1948年時点ではまだ政治家ではありませんでした。浅香光代さんは福田赳夫氏ではないと否定していますね。
しかし、もし福田赳夫氏が父親だったとしても、「そうなんです。子供の父親は福田赳夫なんです」とは言わないでしょう。
佐藤栄作
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子供の父親候補の大物政治家2人目は、佐藤栄作氏です。
佐藤栄作は第61、62、63代の内閣総理大臣で、ノーベル平和賞受賞者でもあります。年齢的に浅香光代さんの27歳上ですし、イニシャルはSで、吉田内閣では建設大臣を務めました。
ここまでは父親の大物政治家の条件に合致していますが、佐藤栄作には子供がいますので、その点では候補からは外れます。
鈴木善幸
鈴木善幸氏は第70代内閣総理大臣です。
自民党の大物政治家ですし、1948年にはすでに衆議院議員でした。イニシャルもSですね。
ただ、年齢的には浅香光代さんと17歳差ですので、浅香さんの証言する大物政治家にしてはちょっと若いです。
また、本妻との間に子供がいますので、その点では父親候補の大物政治家とは合致しません。
椎名悦三郎
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自民党の大物政治家である椎名悦三郎も、浅香光代さんの子供の父親候補の1人です。
自由民主党において政調会長、総務会長、副総裁などを務め、さらに外務大臣や通産大臣などを歴任しています。イニシャルもSですね。
ただ、1948年時点ではまだ政治家ではありません。また、夫人との間に子供がいます。
川島正次郎
出典:nikkei.com
川島正次郎さんも、浅香光代さんの隠し子の父親ではないかと言われています。
自民党幹事長、自民党副総裁、自治庁長官、行政管理庁長官、北海道開発庁長官などを歴任しています。閣僚としてはあまりぱっとしませんが、自民党の重鎮で「ナンバー2」の人物でした。
名前のイニシャルはSですし、お子さんは11歳の時に亡くなっています。さらに、「カミソリ正次郎」という異名を持っていました。
吉田内閣で入閣はしていませんが、ほぼ全部の条件に当てはまる人物です。
重宗雄三
重宗雄三氏は、運輸大臣や参議院議長を務めた自民党の重鎮です。佐藤栄作内閣はこの重宗雄三の協力・支持を得たために、長期政権を築くことができたと言われているほどです。
その権勢から「重宗天皇」と称され、参議院は「重宗王国」とまで呼ばれた人物ですから、自民党の重鎮であることは間違いありません。
イニシャルはS、年齢的にも浅香光代さんとは約30歳差。
また、本人は芸能界ともつながりがあったため、浅香光代さんと不倫関係になってもおかしくはないとも言われています。
前尾繁三郎
出典:nikkei.com
自民党の重鎮で法務大臣や衆議院議長を歴任した前尾繁三郎氏も、浅香光代さんの子供の父親候補の1人です。
名前のイニシャルはSですし、衆議院議長まで務めた自民党の重鎮です。ただ、ナンバー2と言うには、ちょっと微妙なところがありますね。
羽田孜
出典:jiji.com
浅香光代さんの子供の父親候補の大物政治家、最後は羽田孜氏です。羽田孜氏は第80代内閣総理大臣です。
浅香光代さんが相手と出会ったとされる1948年、羽田孜氏はまだ13歳ですから、浅香光代さんの不倫相手としては若すぎることが明白です。
ただ、浅香光代さんの息子さんの顔が羽田孜さんに似ていて、羽田孜さんの息子さんと浅香光代さんの息子さんの顔が瓜二つなんです。
あまりにも似ているため、浅香光代さんの不倫相手は羽田孜さんでは?と思えてきます。
浅香光代の晩年と現在…すい臓がんで死去
浅香光代さんの晩年、どのように過ごされていたのでしょうか。
晩年はお年を召しているためあまり表には出てきておらず、どうなっていたのか気になるところですよね。
終活を終える
出典:msn.com
浅香光代さんは、終活を終えていたとのことです。
50年間かけて集めた総額3億円の衣装を売却しています。売却総額は450万円でした。
また、遺言書を作成し、自分の遺産の半分は内縁の旦那の世志凡太さんが相続し、残りの半分を子供2人に相続させるとのこと。
最初は子供に相続させるつもりはなかったけれど、一緒に暮らさなかったなど子供にはかわいそうなことをしたとして、その罪滅ぼしの意味も含めて相続させることにしたそうです。
まだまだ現役と言っていた
出典:mainichi.jp
終活を終えた浅香光代さんですが、まだまだ現役と言っていました。
90歳を過ぎていますが、90歳の卒寿を祝うパーティーを都内ホテルで行い、「浅香光代、これからも頑張ります」と元気に宣言しています。
すい臓がんで死去
浅香光代さんは2020年12月13日、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなりました。息子の北岡昭次さんが「浅香光代は病名を知ることなく、膵臓がんのため痛みを感じることなくやすらかに永眠いたしました」と明かしています。
まとめ
浅香光代さんのプロフィールや若い頃の恋愛遍歴、内縁の旦那や子供の父親の大物政治家、現在をまとめましたが、いかがでしたか?
・5回の離婚を経験している
・現在の旦那さんの世志凡太さんは内縁関係
・隠し子が2人いた
・子供2人の父親は大物政治家
・終活を終えており、2020年12月に亡くなった