新潟少女監禁事件・佐野房子と佐藤宣行の現在!被害者と犯人の詳細・その後まとめ

「新潟少女監禁事件」は、当時9歳の少女が9年2ヶ月に渡って男に監禁されたという社会を震撼させた事件です。

 

今回は事件の経緯や発覚のきっかけ、犯人の佐藤宣行の生い立ち、被害少女の佐野房子さん、その後や現在をまとめました。

 

新潟少女監禁事件とは

 

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新潟少女監禁事件とは、1990年11月13日に新潟県三条市で発生し、2000年1月28日に発覚した未成年者略取および逮捕監禁事件です。

 

事件発生当時9歳だった小学生女児・佐野房子さんは、学校からの帰宅途中に当時28歳の無職男性・佐藤宣行に刃物で脅されて車で連れ去られました。

 

そして、9年2ヶ月(3364日間)に渡って佐藤宣行の自宅自室に監禁されていました。

 

その間、佐野房子さんは1度も部屋から出た事がなく、9歳から19歳になるまでの期間を、犯人の佐藤宣行以外の人間に1度も会う事なく過ごしました。

 

 

少女連れ去り時の状況

 

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1990年11月13日の午後5時頃、犯人の佐藤宣行は新潟県三条市内の農道に車を走らせていました。

 

その道で佐藤宣行は、学校から自宅へと帰宅途中だった被害者少女・佐野房子さんを発見し、「女の子がかわいかったし、側に誰もいなかったので」という理由で連れ去りを決意します。

 

佐野房子さんはその日、午後3時45分の授業終了後、学校のフェンス越しにクラスの男子のソフトボールの練習をしばらく見た後、下校しました。

 

その時期の新潟は日の入りが早く、佐野房子さんが下校に使っていた一本道も、その時刻には日が落ちて真っ暗になっていました。

 

佐藤宣行は、佐野房子さんに車で近づき、スピードを落として佐野房子さんの左側に停車させました。

 

車から降りると、護身用に持っていたというナイフを佐野房子さんの胸のあたりに突きつけ、「おとなしくしろ」などと脅迫。

 

佐野房子さんを抱きかかえると車の後部トランクへと押し込め、蓋を閉めてそのまま車を発進させました。

 

柏崎市内の路上で一旦停車し、「少女が暴れる事や自宅周辺を見られる事を恐れ」、車の清掃用に積んであった粘着テープで、佐野房子さんの両手首と両脚膝を緊縛し目隠しをしています。

 

この時、佐野房子さんは佐藤宣行に「三条市のお父さんお母さんの家に帰れるの?」と尋ねますが、それに対して佐藤宣行は「だめだな、ずーっと俺と一緒に暮らすのだ」と答えています。

 

 

少女を自宅へ連行し監禁

 

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佐藤宣行はこの時、「自宅で少女と一緒に生活しよう」と考え、車をそのまま自宅方向へと走らせました。

 

そして、同居する母親に気づかれないよう、正面玄関ではなく自室へと直通できる増築部の玄関側に車を停車させ、緊縛したままで抱え上げ、2階の自室の南側窓枠へと少女を運び込みます。

 

一旦少女を自室に放置した佐藤宣行は、通常通り帰宅したように工作するため、車をいつも通り正面玄関前へと停車し直し、いつも通りに正面玄関から帰宅、改めて自室へと向かっています。

 

それから、自室窓枠に緊縛したまま放置していた佐野房子さんを自室に運び入れ、目隠しを取り、佐野房子さんに向かって、

 

「この部屋からは出られないぞ」「出ようとしたら怒るぞ」

 

「ここでずっと暮らすんだぞ」

 

「俺の言う事を絶対に守れ」「守らなければお前などいらなくなる」

 

「いらなくなれば山に埋めてやる、海に浮かべてやる」

 

などの脅迫する言葉を浴びせかけています。

 

 

 

新潟少女監禁事件で佐野房子さんが受けた凄惨な監禁状況

 

監禁中の生活

 

 

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佐藤宣行は、佐野房子さんを誘拐後2~3か月の間、自分が眠る時や外出する時には佐野房子さんの両手両足を粘着テープで縛り、脅迫を続け、佐野房子さんの脱出する気力を奪いました。

 

そして、佐野房子さんから脱出する意思が喪失した事を確認すると、粘着テープで縛る事を止めましたが、発覚を防ぐために佐野房子さんにいくつかの命令をしています。

 

「部屋を出ない事、ドアに触らない事」

 

「俺が部屋を出入りする時は、自分で目を塞いで部屋の外を見ないようにする事」

 

「ベッドの上から勝手に降りない事」

 

「大声を出さない、暴れない事」

 

「テレビの競馬番組の録画を言われた通りにやる事」

 

佐野房子さんが命令に従わなかったり、自分の事を「おじさん」と呼んだりすると、佐藤宣行は激昂し、両手拳で佐野房子さんの顔面と太ももを腫れ上がるほど殴打する罰を与えました。

 

さらにしばらく後には、スタンガンを押し当てて放電したり、ナイフを腹部に押し当てたりなどの虐待も加わります。

 

佐野房子さんは苦痛に思わず声をあげそうになったものの、大声を上げるとさらなる虐待を受けるため、自分の手や腕に噛みつくなどして必死に声を上げるのをこらえました。

 

 

監禁中の食事状況

 

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また、監禁中に佐野房子さんに与えられていた食事は、当初は母親が佐藤信之のために毎晩作っていた重箱に詰められた食事(二段で一段に白米、もう一段におかずが入っていた)でした。

 

ですが、佐藤宣行が高齢の母親の負担を考え、途中からコンビニ弁当に変えられています。さらに、コンビニ弁当は当初2個与えられていましたが、1996年頃には1個に減らされました。

 

これは、佐藤宣行が、佐野房子さんを栄養不足にさせて足腰を弱らせ、脱出を防止するために行っていたと後の裁判で指摘されています。

 

栄養不足に陥った佐野房子さんは、それから3~4か月の内に健康状態が悪化し、事件発生時46kgあった体重は38kgまで激減、日常的に失神するようになっています。

 

この状態を見ても、佐藤宣行はコンビニ弁当にコンビニのオニギリを1つ追加しただけで、まともな対応を取っていません。

 

 

入浴やトイレでの排便も許されず

 

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さらに、佐藤宣行は逃亡を防ぐために、監禁中に佐野房子さんの入浴を許しませんでした。

 

9年2か月に渡る監禁期間でシャワーを浴びたのは1度だけで、それもセミベッドから佐野房子さんが転落して埃まみれになったのを洗い落とすために止むを得ず入浴させています。

 

また、用便に関してもトイレの使用は禁止され、ビニール袋の中に用を足させていました。

 

後述しますが、これは犯人の佐藤宣行が異常な潔癖症によって自宅のトイレを使用できず、佐藤宣行自身もビニール袋の中に排便しているのを習わせたためでした。

 

 

着替えは数ヶ月に1度だけ

 

佐野房子さんは、衣服を使用できないほど汚れた状態になるまで着用させられ、着替えの頻度は数ヶ月に1度だけとされました。

 

主に男物の黒い衣服(トレーナーやジャージ上下)を着用させられ、下着は佐藤宣行がショッピングセンターなどで万引きしたものが与えられていました。

 

 

新潟少女監禁事件が発覚したきっかけとは

 

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こうした凄惨な監禁生活が9年2か月の長期に渡って続けられましたが、2000年1月28日に、佐野房子さんはようやく発見され救出されました。

 

 

母親が佐藤宣行を入院させたいと保健所に相談

 

新潟少女監禁事件の発覚は、佐藤宣行の母親が保健所に息子の入院を相談したのがきっかけでした。

 

1999年12月、佐藤宣行から受ける暴行に悩んだ母親は、柏崎市内の精神病院を訪れて「息子を入院させてほしい」と訴えますが、病院から「本人を連れてこなければ無理」と断られました。

 

約1か月後の2000年1月12日、佐藤宣行の母親は今度は柏崎保健所へ赴き、「なんとかして息子を入院させてほしい」と相談し、保健所側は「家庭訪問して本人の様子を見る」と約束します。

 

そして1月19日、保健所職員、市の福祉職員らが自宅を訪問しますが、佐藤宣行が面会を拒み自室に立てこもったため、面会は叶いませんでした。

 

 

措置入院のための面会によって少女が発見される

 

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そこで保健所側は、措置入院のための手続きを取るため、1月28日に精神病院の副院長、精神科医を含む7人で再度訪問、母親の案内で佐藤宣行の自室へと踏み込んでいます。

 

医者らが「あなたは精神科医の診断を受ける必要があるから、これから病院へ連れて行く」と話すと、佐藤宣行は「なんで俺たちがうまくやっているのに、部屋に入ってきたのか!」と激昂し暴れ始めました。

 

そこで、介護士らが押さえつけ、医師が鎮静剤を注射するなどして眠らせます。

 

その間、ベッドの上に置かれている毛布の塊がうごめいているのを、同行していた保健師が気づき、不審に思いハサミで切り裂いたところ、中から異常に色が白い短髪姿の少女を発見します。

 

発見された少女に対して、保健師の女性は「あなたは誰?」と尋ねますが、監禁中佐藤宣行以外の誰とも会っていない佐野房子さんは、酷くおびえた様子を見せ、声が出ない状態でした。

 

保健師は佐藤宣行の母親に「説明してください」と尋ねますが、母親は「知りません、私は息子に叱られるのでこの部屋にはずっと入った事がない」と、非常に驚いた様子だったそうです。

 

 

警察へ通報〜事件発覚へ

 

その後、佐野房子さんは一時病院へと運ばれ、治療を受けます。

 

病院から柏崎署に通報が行き、駆けつけた警察官と共に警察署へ伴い、指紋照合を経て、9年以上前に行方不明になっていた佐野房子さん本人である事が確認されました。

 

これによって、新潟女児監禁事件が発覚、医療保護入院していた佐藤宣行は、2月11日、退院と同時に逮捕されました。

 

 

 

新潟少女監禁事件の被害者・佐野房子さんとは

 

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新潟女児監禁事件の被害者・佐野房子さんは、事件当時9歳の小学生でした。佐野房子さんは、両親の他、姉と妹の2人の姉妹と、農業を営む祖父母の7人家族でした。

 

スポーツが大好きな快活な少女で、事件発生当日にあったマラソン大会では完走し、学年4位の好成績を収めています。

 

ソフトボールが得意で男子にも負けないほどで、事件当日に男子生徒のソフトボールの練習を眺めていたのも「本当は一緒にやりたかった」からなのだそうです。

 

 

新潟少女監禁事件の犯人・佐藤宣行の異常な生い立ちとは

 

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新潟少女監禁事件の犯人・佐藤宣行は、何故これほど異常な事件を起こしたのでしょうか?

 

それには、佐藤宣行の異常な生い立ちが関係していると見られています。佐藤宣行の生い立ちについても紹介していきます。

 

 

甘やかされて育った「ボクちゃん」

 

佐藤宣行は、1962年7月15日、当時36歳の母と62歳の父の間に生まれました。

 

佐藤宣行の両親は、高齢になってからの子供である息子を「ボクちゃん」と呼んで溺愛し、欲しいものはなんでも買ってあげるなど、甘やかし放題に育てたと報じられています。

 

しかし、佐藤宣行は小学生の時、当時既に高齢だった父親を同級生から「お前の父ちゃんはお爺さんみたいだ」などとバカにされるなどし、父親を次第に忌む様になったとされます。

 

 

母と2人の引きこもり生活へ

 

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地元の高校を卒業した後に、柏崎市内の自動車部品製造会社で工員として働き始めた佐藤宣行。

 

しかし、出勤途中で立ち小便をした時に蜘蛛の巣にかかって不潔だから帰宅して入浴するなど、奇行が目立ち、入社から数ヶ月で退職。その後は働かず自宅で引きこもり生活をしていました。

 

会社を辞めた後は、父親との関係はさらに悪化しており、棒状に丸めた新聞紙で父親の頭をポンポンと叩くなどの行動をとる様になり、暴力もふるい始めた様です。

 

父親は前妻との間に設けた娘の元に身を寄せるようになり、その後は佐藤宣行は母親と2人で自宅に暮らすようになります。

 

この頃、母親と口論になった佐藤宣行は、自宅で暴れまわり仏壇に放火する事件を起こしています。

 

これを見た母親は、「自分を見捨てたら家に放火して自分も死ぬ」というメッセージだと解釈し、「お母さんが悪かった。ボクちゃんを独りにしない」などと謝罪したんだそう。

 

そして、その後は以前にも増して息子の言いなりになってしまったという事でした。

 

 

両親に自宅を増築させる

 

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1985年の夏頃、23歳になっていた佐藤宣行は相変わらず自宅で引きこもりを続けていました。

 

母親に「僕もそろそろ自立したい。いつまでも甘えているわけにもいかないので独立して生活するために、この家の南側に玄関や風呂がついた居宅を増築して欲しい」と頼みます。

 

母親が「ボクちゃんが就職先を見つけて働きに出るつもりなのね」と聞くと、「そうしたいと思う」と答え、母親は「息子のためになるならば」と84歳になる別居中の父親に相談します。

 

増築の見積額は700万と高額なものでしたが、父親も「本人のためになるなら」と同意し、増築工事が始められました。

 

しかし、いざ増築工事が始まり、元々の自室に工事関係者が立ち入る必要が生じると、それを佐藤宣行は頑なに拒否、工事は進められなくなり、中途半端な状態で中止になってしまいます。

 

増築部分の台所や風呂場は中途半端な状態で放置され、自室へとつながる玄関口だけが残されたのでした。

 

その後の「新潟女児監禁事件」の際、佐野房子さんを自室に運び込むさいに使用されたのは、この増築された玄関でした。

 

また、佐藤宣行が佐野房子さんへの虐待に使ったスタンガンは、母親が佐藤宣行さんに買い与えたものでした。

 

このように、両親が際限なく甘やかし続けた結果、佐藤宣行は自身の欲望を制御することのできないモンスターに変貌してしまったと考えるべきでしょう。

 

 

「強制わいせつ未遂」を起こしている

 

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1989年6月13日、佐藤宣行は「強制わいせつ未遂」で現行犯逮捕されていますが、母親はこの時の裁判でも息子をかばっています。

 

「実刑だけは避けて欲しい」とし、「頭が良く優しい子、今回のような事は魔が差したとしか思えない、これからは私が厳しく指導監督するので寛大な判決をお願いします」と訴えています。

 

結果として、佐藤宣行は懲役1年、執行猶予3年の判決を受けています。

 

新潟女児監禁事件が発生するのは、それからわずか2年半後、執行猶予期間中の事でした。

 

 

 

新潟少女監禁事件の裁判などその後とは

 

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新潟少女監禁事件の裁判は、最高裁まで争われました。一審では懲役14年の判決を受けています。

 

佐藤宣行が起訴された「未成年者略取・逮捕監禁致傷」の刑罰は法律では最大で「10年以下の懲役」と定められています。

 

しかし、何の罪も無い9歳の少女から10年近い時間を身勝手に奪った罪に対し、「10年」はあまりにも短いという世論感情が考慮されました。

 

佐藤宣行は、少女に着用させるために下着を万引きした事に対して「窃盗罪」で追起訴され、その罪状を加える事で「懲役15年」が求刑されました。

 

これを受けて裁判所はほぼ満額の回答となる「懲役14年」の判決を下したのです。

 

弁護側は控訴し、控訴審では「懲役11年」に減刑されますが、検察側、弁護側の双方が上告した最高裁では、二審判決が棄却され「懲役14年」の判決が確定しています。

 

 

 

新潟少女監禁事件の被害者・佐野房子さんの現在

 

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新潟少女監禁事件の被害者・佐野房子さんは、事件後にリハビリ施設に通って心身の回復に努めたのち、家族の元で暮らしている事が明らかになっています。

 

20歳になった時には成人式にも出席し、運転免許の取得もできるほどに回復した事などが報じられていました。

 

ただ、佐野房子さんは20歳になった頃に母親に対して、

 

「川の流れがあって、私がいない9年間も流れていたのなら、その川に私も入りたい。だけど、私が入ったために、川の流れが淀んだり、ゴミが溜まったりするのはとても耐えられない。だからこっそりと川の流れを見ているだけ」

 

と話したのだそうです。

 

これは、何の落ち度もない完全なる被害者である佐野房子さんが、あたかも自分が周りに迷惑をかけ、戸惑わせているように感じ、自分の事を責めてしまっている事を表しています。

 

現在、佐野房子さんは40歳前後になっているはずですが、幸せに生活されている事を願わずにはいられません。

 

懲役を終えて罪を償ったとはいえ、何の罪も無い女性の人生を大きく狂わせた佐藤宣行の身勝手な犯行を、社会としてはこの先も絶対に許すわけにはいかないでしょう。

 

 

 

新潟少女監禁事件の犯人・佐藤宣行の現在【2017年に病死】

 

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新潟少女監禁事件の犯人・佐藤宣行は、懲役14年の実刑判決を受けて服役し、その後は出所しています。

 

監禁事件が発生した新潟の居宅は現在も残されており、母親が死去した際、佐藤信之が相続しました。

 

佐藤宣行は千葉県に移り住んでいるとされていますが、監禁現場の家は現在も取り壊される事なく残されているようです。

 

また、佐藤宣行は服役中に精神障害である事が認められ、「障害者手帳(2級)」の交付を受けています。

 

2級の障害者手帳により、所得税や住民税の控除、障害者枠での仕事の斡旋を受けるなどして生活していると考えられていましたが、2017年に病死したことが報道されています。

 

 

 

 

まとめ

 

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当時28歳の引きこもり男性・佐藤宣行が、当時9歳の少女・佐野房子さんを9年2ヶ月に渡って自室に監禁した「新潟少女監禁事件」についてまとめてみました。

 

犯人の佐藤宣行は「寂しいから話し相手ほしい」という身勝手な理由だけで、佐野房子さんを無理やり連れ去り、ナイフやスタンガンなどを使った暴力で服従を強要し監禁し続けました。

 

食事や衣服、トイレなども満足に与えられなかった佐野房子さんは、心身ともに衰弱した状態で発見され、解放された後もしばらくの間、身体の障害や「PTSD」などに悩まされました。

 

1人の罪のない女性の人生を大きく狂わせ、貴重な10代の時間を根こそぎ奪い去った佐藤宣行の犯行は決して許される事ではありません。

 

佐藤宣行が懲役刑を終え、司法的な決着もつき、本人も死亡した以上、私たちに出来る事は、2度と同じような事件が起こらないよう、この事件を風化させず教訓としていく必要があるでしょう。

 

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