免田栄の現在!生い立ちや前科・結婚歴と娘・免田事件での冤罪や真犯人・補償金などその後や死因も徹底解説

1948年に起きた冤罪事件「免田事件」の死刑囚・免田栄さんは無罪確定後も、前科の噂や補償金批判で苦しみました。

 

今回は事件詳細や真犯人、裁判や判決などその後、免田栄さんの生い立ちや家族、結婚や娘、死因など現在を紹介します。

免田栄は「免田事件」で逮捕されて冤罪が確定した元死刑囚

 

場所: 熊本県人吉市

日付: 1948年(昭和23年)12月30日3時ごろ 

武器: 鉈

死亡者: 祈祷師一家4人のうち夫婦2人

負傷者: 祈祷師夫婦の娘2人

被害者: 冤罪:免田 栄

武器: 鉈

賠償: 刑事補償法に基づき、補償金9,071万2,800円が免田栄に支払われた

 

免田栄さんは、「免田事件(めんだじけん)」で逮捕されて死刑判決が出たものの、冤罪が確定した元死刑囚です。

 

「免田事件」とは、1948年(昭和23年)12月30日に熊本県人吉市で発生した強盗殺人事件で、後の再審裁判で免田栄さんの無罪が確定したことから冤罪事件となっています。

 

「免田事件」は、財田川事件、松山事件、島田事件と並んで4大死刑冤罪事件の1つとして、日本弁護士連合会が支援していました。

 

そして、免田栄さんは死刑囚の再審裁判で無罪を勝ち取った初めての人で、「死刑台からの生還者」と呼ばれました。

 

しかし、23歳の時に逮捕されてから57歳で無罪を勝ち取って釈放されるまで、実に34年6か月を刑務所の中で過ごすことを余儀なくされ、苦しみに満ちた人生だったと言えるでしょう。

 

 

免田栄の生い立ちや実家の家族

出典:https://www.google.com/

 

免田栄さんの詳しい生い立ちや実家の家族については、熊本県免田町(現あさぎり町)出身という以外には不明ですが、実家は農家ではなかったと見られています。

 

当時、農家ではない人々は食料の調達が非常に難しく、農家に物を持っていって米と交換してもらう必要があり、物が盗まれることが横行していました。

 

免田栄さんも玄米を盗んだ容疑で別件逮捕されていた上、人吉市内で派手に遊んでいたことで、事件前から警察に目をつけられていたのかもしれません。

 

 

免田栄の冤罪事件「免田事件」の詳細

「免田事件」の発生

 

1948年(昭和23年)12月30日3時頃、熊本県人吉市に住んでいた祈祷師夫婦(夫・当時76歳 妻・同52歳)が殺害され、夫婦の娘2人(同14歳と同12歳)が重傷を負わされました。

 

さらに、室内にあった現金が盗まれていたことも分かっています。

 

その後の警察による現場検証から、犯行時刻は12月29日深夜から翌12月30日午前3時の間と断定されました。

 

免田栄が逮捕される

事件から約2週間後の1949年1月13日に、警察は熊本県球磨郡免田町(現・あさぎり町)に住んでいた免田栄さんを別件の窃盗容疑で逮捕しました。

 

そして、同月16日には祈祷師夫婦一家4人への強盗殺人などの容疑で再逮捕しています。

 

警察は3日間におよび、免田栄さんを拷問や脅迫により自白を強要し、罪を認めさせました。

 

 

免田栄の冤罪事件「免田事件」の裁判詳細 【死刑判決から無罪獲得までの流れ】

免田栄は無罪を主張した

免田栄さんは、1949年1月28日に強盗殺人などの罪で熊本地方裁判所八代支部に起訴されます。

 

第1審となる公判は同年2月17日に開かれ、免田栄さん側は撮影以外の起訴事実をおおむね認めました。

 

しかし、同年4月14日に開かれた第1審の3回目の公判で、免田栄さんは一転して、警察の拷問や強迫によって自白を強要されたと主張。

 

そして事件当日、風俗系の飲食店の接客婦と飲んでいたことがアリバイだとして、無罪を主張したのです。 

 

しかし1950年3月23日、熊本地裁八代支部は免田栄さんに死刑判決を言い渡しました。

 

免田栄さん側は控訴しましたが、1951年3月19日に福岡高裁でこの控訴は棄却されています。

 

免田栄さん側はさらに上告しましたが、同年12月25日に最高裁から再び棄却され、これにより1952年1月5日に死刑が確定しました。

 

特別恩赦は実現しなかった

 

 

1968年(昭和43年)、死刑囚の再審請求が認められやすくなる再審特例法案が国会に提出されましたが、翌年の1969年に廃案となっています。

 

代わりに、当時の法務大臣だった西郷吉之助が、GHQ占領下で起訴された死刑囚7人に対して特別恩赦の検討を約束し、免田栄さんの特別恩赦も検討されましたが実現しませんでした。

 

第6次再審請求で再審が確定した

免田栄さん側は再審請求に次ぐ請求を行いましたが、第5次請求まで全て棄却されました。

 

1972年に第6次再審請求を行ったところ、一度棄却されたものの、1979年9月27日に福岡高裁が再審開始を決定

 

検察側が特別抗告をしましたが、1980年12月11日に最高裁で特別抗告が棄却されたため、免田栄さん側は晴れて再審開始が確定しました。

 

免田栄は34年を経て無罪を勝ち取った

再審は1981年5月16日から開かれました。

 

免田栄さんが事件当日のアリバイを実証する明確な証拠を提示したことや、検察側が主張していた逃走経路に不自然な点が見られたことなどが争点になりました。

 

1982年11月5日に、検察側は免田栄さんに対して2度目の死刑求刑。

 

しかし、熊本地方裁判所八代支部はアリバイの有効性や、当時の自白に信用性がないとして、1983年7月15日に免田栄さんに無罪判決を言い渡しました。

 

免田栄さんが無罪を勝ち取ったのは、事件発生から実に34年6か月後のことでした。

 

 

免田栄が「免田事件」で冤罪を着せられた理由

 

警察が免田栄さんを犯人に仕立てた理由は、当時の捜査担当だった人吉警察署の益田刑事が売春幇助をしていたことを免田栄さんが知ってしまい、口封じのためと言われています。

 

警察は免田栄さん側の主張の真偽を確かめるという名目で、事件当日一緒にいたという接客婦に事情聴取をしました。

 

しかしその際、「一緒にいたのは翌日」というように証言を誘導したことが分かっています。

 

おもしろいのは、逮捕のきっかけになる「接客婦」こそが青年の無実のアリバイを証明する人物であることだ。あちこちで、かき集められた情報や証拠が逆さまに読まれていく。

 

アリバイを潰すために「接客婦」と一緒だった夜を翌日に設定する。翌日に設定すると、犯行の後に空白が生まれる。

 

青年から教えられて、逮捕の後に手に入れたナタやハッピを証拠とする。ナタやハッピが、殺人の証拠としてはきれい過ぎるために、それを隠したり、洗ったりする段取りが必要となった。

 

かくて犯行の後に、青年は深夜の盆地を生家に向かって歩き続け、凶器のナタを埋め、川でハッピを洗い、(翌日の朝に人吉市内でのアリバイがあるために)また線路伝いに人吉市内に戻るという奇妙な物語が生まれたのである。

 

引用:刑事弁護OASIS – 【免田事件】奇妙な物語

 

 

さらに、証拠品として押収した、凶器の鉈や血痕がついた法被・マフラー・ズボンなどを、鑑定により真犯人が免田栄さんではないことがバレるのを恐れて警察が破棄したようです。

 

 

免田栄の冤罪事件「免田事件」の真犯人

出典:https://pixabay.com/

 

免田事件発生直後から、真犯人の足取りは全く分かっておらず、現在までに逮捕につながる有力情報は出ていません。 

 

免田栄さんの無罪確定後、警察や検察は真犯人の捜査をしなかったため、自動的に事件は公訴時効を迎え、未解決事件となっています。

 

 

免田栄は前科があった

 

免田栄さんが逮捕されたのは、最初は「免田事件」ではなく、前科である窃盗によるものでした。

 

青年(免田栄さん)は生家近くで盗難届の出た玄米一俵の窃盗犯として逮捕される。嫌疑の理由は「盗難届の提出、被疑者の自供、身分不相応の金銭の浪費」であった。女性のいる飲食店で遊んだことが、事実上の逮捕の理由だった。写真は、犯行後、北泉田町を出た青年が「木上(きのうえ)に通ずる県道に出て県道を通って高原(たかんばる)の滑走路」へ渡るため通ったはずの川辺川付近。

 

引用:刑事弁護OASIS – 【免田事件】奇妙な物語

 

ただ、この前科と言われる窃盗も、免田栄さんが警察にでっち上げられた可能性が捨てきれないと言われています。

 

免田栄には他にも前科があった?

 

 

免田栄さんが無罪が確定して晴れてシャバに戻ってからも、世間は免田栄さんの前科に対して強い偏見の声が多かったようです。

 

免田栄さんの前科と言われた事件は以下のようなものがあります。

 

冤罪として有名な免田事件の被告、免田栄さんについて質問です。

ネット上で、免田さんが

①強盗殺人の前科がある

②窃盗の前科がある

③無罪を勝ち取ったあと、自転車泥棒や万引きをしている

という情報が散見されますが、どれも信頼できる情報源からのものではない印象を受けます。

これらの情報の真偽はどうなのでしょうか?

ご存知の方、教えてください!!

 

引用:Yahoo!知恵袋

 

ただ、これらの免田栄さんの犯行と言われている事件も、資料は残っておらず、でっちあげられた可能性があるようです。 

 

 

免田栄は自転車泥棒や万引きをしていた?

免田栄さんが自転車泥棒や万引きをしていたという情報の出所は、地元の人の証言とのネット上の話もあります。

 

再審無罪の2年くらい後に知り合いのオバチャンから聞いた話しです。

朝、警官が自転車を押して家に来たそうです。

自転車はオバチャンの家の自転車。

「なんで?」ってオバチャンが警官に聞いたら、「盗まれてました」との返事。

「泥棒は捕まえた?」とオバチャンが聞くと、警官の返事は「免田栄です」。

オバチャンはビックリして「捕まえた?」と聞いたら、警官は「すみません」。

 

完全黙秘。

顔で誰かわかった。

裁判で人生が潰される。

などなど。

オバチャンから貴重な話を聞いていました。

 

タブーっつうか、アンタッチャブルにする連中は居るし、そもそも熊本地検が不甲斐なかったんよ。

 

引用:1592takakumaさんのブログ – 免田栄元死刑囚死去

 

まことしやかに語られるこうした話も、地元の人が事実を話しているという確証はありません。

 

こうした出所不明な話が方々から上がるため、噂が噂を呼んで免田栄さんの前科を作り上げていったのかもしれません。

 

 

免田栄は女性関係が派手だった?

 

出典:https://pixabay.com/

 

免田栄さんがこれほど世間から風当たりが強かった理由には、もともと素行が良くなかったことが挙げられているようです。 

 

免田栄さんはもともと夜の街で遊ぶのが好きだったようで、さらに事件当日は風俗系の接客婦と一緒だったことがアリバイとして挙げられていました。

 

このように免田栄さんが夜遊び好きだったことも、でっちあげられた事件に信憑性を持たせてしまったようです。 

 

 

免田栄のその後① 釈放されて補償金を受け取った

 

無罪判決により免田栄さんは即日に釈放され、1983年7月28日に検察が控訴を断念したことから無罪が確定しました。 

 

そして、免田栄さんの無罪が確定したことから、刑事補償法に基づいて獄中に拘禁されていた31年7か月(12,599日)に対しての補償として、9,071万2,800円の補償金が支払われました。

 

免田栄に批判が殺到した

無罪により釈放された免田栄さんを待っていたのは、世間の心ない批判の声でした。

 

免田栄さんが受け取った補償金は当時としては非常に高額であり、その使い道などに関して週刊誌などが騒ぎ立てました。

 

また、落語家の立川談志さんは、1989年6月1日放送のテレビ朝日刑系番組「プレステージ」に出演した際、「昔の法務大臣に聞きましたよ。『やってねえわけねえ』んだってね」と発言。

 

ただこの発言は、11におよぶ市民団体がテレビ局に抗議文を送るなどの炎上騒動に発展し、立川談志さんが謝罪に追い込まれる事態となりました。 

 

つまり、冤罪が確定してもなお、免田栄さんの無罪を信じない人がいたばかりか、補償金の受け取りを妬み、興味本位で騒ぎ立てる人たちであふれていたことが分かります。

 

 

免田栄のその後② 結婚してひっそりと暮らしていた…娘がいる?

 

 

免田栄さんは無罪確定後、玉枝(たまえ)さんという女性と1984年に結婚し、ひっそりと暮らしていたようです。

 

ただ、「週刊朝日」などの週刊誌数誌が免田栄さんの元にたびたび取材に訪れ、その後の様子について写真付きでインタビュー記事を掲載していました。

 

記事によると、免田栄さんは補償金の半分以上を弁護団や支援団体などに謝礼金として渡したこと、拘留期間は年金に加入していなかったため年金を受給できていないことを語りました。

 

補償金をもらったからといって、決して金銭的に恵まれている生活ではなかったようです。

 

そんな免田栄さんは、毎日釣りをして過ごしていました。これは、社会に対して不信感が拭えず、人と付き合うことが難しいためでした。

 

冤罪により長い間拘束されたことに加え、出所して地元に帰った際に一時は歓迎されたものの、多額の補償金を受け取ったことで批判を受け、他市に引っ越したことも関係しているようです。

 

釈放後の免田栄さんを支えた妻の玉枝さんは、神経が太くて小さいことを気にしない性格だったことから、免田栄さんの心の支えだったと見られています。

 

しかし、それでも玉枝さんは離婚を考えたこともあったようです。

 

結婚当初の数年間。免田さんは酒に酔うと「俺が死刑囚だからか」と暴力を振るった。眠れば死刑執行の夢にうなされ、奇声を上げて跳び起きた。

 

 時間の流れとともに地元での理解者も増え、鋭かった目つきは丸くなり、暴力も収まった。特に炭鉱マンたちと気が合った。大好きな焼酎を酌み交わし、自宅そばの畑で育てた野菜や花を配って回った。「主人は『気遣いをしなくていい』と炭鉱の街を気に入っていた。周囲の人に恵まれた」と玉枝さん。

 

引用:西日本新聞 – 消えない烙印…獄中34年、釈放後も苦悩 冤罪と闘い続けた免田栄さん

 

 

娘がいる?

 

ネット上では、免田栄さんに娘がいるという情報も流れています。

 

しかし、結婚当時の玉枝さんの年齢はすでに48歳であり、高齢出産もほぼ難しい年齢のため、娘がいるという情報はデマだと見られています。 

 

 

免田栄のその後③ 制度の改正を求めて活動

免田事件

出典:https://upload.wikimedia.org/

 

国に年金受給資格を求めて訴えた

 

2009年5月、免田栄さんは留置所に拘留されていた間に国民年金納付の機会を失っていたとして、国に対して年金受給資格の回復を求めて申し立てました。

 

これにより、2013年6月にいわゆる「免田法」と呼ばれる「死刑再審無罪者に対し国民年金の給付等を行うための国民年金の保険料の納付の特例等に関する法律」が議員立法で成立。

 

これに基づいて、免田栄さんは約34年分の未納保険料約180万円を2013年秋に一括して支払いました。 

 

そして、受給できていたはずの年金を一括で受け取り、2014年から晴れて国民年金の受給がスタートしたようです。

 

死刑制度廃止を訴える

 

免田栄さんは自身の冤罪体験から複数の著書を出版しており、死刑制度の廃止を訴えてきました。

 

以下が、免田栄さんが現在までに執筆してきた著書と、他社が執筆した「免田事件」に関する著書です。

 

免田によるもの

『免田栄獄中記』(社会思想社、1984年)

『私の体験にもとづく冤罪論・死刑廃止論』(いのせんと舎、1993年)

『死刑囚の手記』(イースト・プレス、1994年)

『死刑囚の告白』(イースト・プレス、1996年)

『免田栄獄中ノート』(インパクト出版会、2004年)

 

免田以外によるもの

真蔦栄『私はアリバイのある死刑囚』(汐文社、1980年)

東京三弁護士会合同代用監獄調査委員会編『ぬれぎぬ』(青峰社、1984年) – 免田も含め30人の冤罪者の証言を収録。

熊本日日新聞社(著)『検証免田事件』(日本評論社、1984年) – 増補として『冤罪免田事件』(新風舎、2004年)

潮谷総一郎『死刑囚34年』(イースト・プレス、1994年)

 

引用:Wikipedia – 免田事件

 

免田栄さんは執筆活動と並行して、人権の大切さを訴えて全国で講演して回り、 2001年にはフランスのストラスブールで行われた第1回死刑廃止世界会議に参加しました。

 

さらに2007年には、ニューヨークにある国際連合本部において行われたパネルディスカッションに参加し人権の大切さを訴えました。

 

 

免田栄の冤罪事件「免田事件」は映画化されている

 

ドキュメンタリー映画『免田栄 獄中の生』

公開日: 1993年10月2日 (日本)

監督: 小池征人

キャスト: 免田栄

 

1993年10月2日に、免田栄さんにインタビューを重ねて作成したドキュメンタリー映画「免田栄 獄中の生」が公開されました。

 

この映画では、長きにわたり獄中生活を送りながら無罪を勝ち取った免田栄さんの闘いを追い、日本の警察や司法のあり方を問うドキュメンタリーです。

 

映画監督を務めた小池征人さんは、同映画について以下のようにコメントしています。

 

記録映画『免田栄 獄中の生』はひとりの獄外者にあてた千通以上に及ぶ手紙を読むことから記録の方法を考えた作品である。空間的に隔てられた人間の受難と、その魂の再生の物語である。

 

獄窓に飛んでくる雀に心を奪われる人間はひとりであることの孤独を意識する。やがて、たったひとりの人間の中に小さな社会を発見する。一人ではないという自覚者は「事件と自分史」を手紙の形で発信し続ける。34年間である。獄中の囚われ人と世間の人との文字による交通は、人間存在の原初の姿である。

 

免田さんが獄中で握手して見送った死刑囚は十数人に及んだ。その中には冤罪と思われる人が多くいたという。別れ際に握り締めた両手の感触が免田さんの心を形作った。手のひらの思想である。死刑台からの生還者・免田栄さんは「言葉の力」を信じた奇跡の人である。

 

引用:アムネスティ日本 – 免田栄 獄中の生

 

 

代用監獄が冤罪を生む温床となっている

 

 

日本ではこれまで多くの冤罪事件が生まれていますが、その理由の1つとして代用監獄制度が挙げられているようです。

 

なぜ冤罪は生み出されてしまうか。その背景の一つに代用監獄がある。 代用監獄とは、裁判前の身柄拘束を警察留置場で行うことで、警察は最長で23日間被疑者を署内に拘禁できる。 しかし実際には、別件逮捕による拘禁もあわせるため、身柄拘束が長期化する傾向がある。 例えば、自衛隊官舎の郵便受けにビラを入れたために3人が逮捕された立川テント村事件(2004年)では 75日間も拘禁されている。 国際的には、原則として取調べ段階での捜査機関による身柄拘束は避けなければならず、 認められても1~3日である。 代用監獄は極めて特異であり、世界でもDAIYO KANGOKUで通用している。

 

留置場での拘禁中、被疑者は警察の管理下におかれ、取調べ中は弁護人の立会いが認められず、 取調べ時間に関する規定や規則もない。このため、うその自白を強要する温床となっているとの批判が強い

 

引用:アムネスティ日本 – 免田栄 獄中の生

 

現在でも痴漢などの冤罪で数十日間留置所に入れられるなどはざらにあり、まさに人権侵害以外の何者でもない扱いを警察は平気でしていると言えます。 

 

 

免田栄の現在:2020年12月5日に亡くなっている…死因は老衰

 

 

2020年12月5日午前に、免田栄さんは福岡県大牟田市の高齢者施設において老衰のために亡くなりました。享年95歳でした。

 

葬儀や告別式は6日に近親者のみで行われ、喪主は妻である玉枝さんが務めました。

 

なお、免田栄さんの死の直前、玉枝さんは「頑張らんとでけんよ」と励ましたそう。免田栄さんは穏やかな微笑みを浮かべたまま眠るように亡くなったそうです。

 

過酷な人生だったと思いますが、最後の瞬間は幸せだったことがせめてもの救いですね。

 

その後の玉枝さんは、免田栄さんの遺志を引き継いで、死刑制度廃止を訴える活動を続けています。

 

免田栄についてネットの反応は?

ネット上では「免田事件」について、免田栄さんの名前をもじって「免罪」とする声も見られました。 

 

18ニューノーマルの名無しさん2020/12/05(土) 17:08:55.80ID:kcItxjBO0>>36

>免田事件

 

名前的に免罪ってわかりそうなもんだけどな

 

19ニューノーマルの名無しさん2020/12/05(土) 17:09:29.17ID:7EkYhfqC0

お疲れ様でした

ご冥福をお祈りします

 

24ニューノーマルの名無しさん2020/12/05(土) 17:13:26.99ID:IZGM0hUs0

名前からして免罪だろう。

 

26ニューノーマルの名無しさん2020/12/05(土) 17:14:34.08ID:p5TfSVLM0>>30>>31>>38

捕まえた刑事と検察官の責任を追及するべき。

 

31ニューノーマルの名無しさん2020/12/05(土) 17:16:38.21ID:3oxtcN/B0

>>26

事件の関係者はほぼ全員世を去ったはず

70年以上前の事件だから

 

引用:5ちゃんねる – 【訃報】元死刑囚の免田栄さん死去。享年94。「免田事件」で死刑囚として初めて再審無罪 [記憶たどり。★]

 

免田栄さんは自身の冤罪事件の体験から、冤罪被害者の救援活動をしてきましたが、多くの共感を得てきたと言われています。

 

しかし、現在も冤罪事件は生まれ続けています。

 

免田栄さんはそうした現在の社会をあの世から見て、もどかしい気持ちでいるかもしれません。

 

 

まとめ

 

1948年に熊本県人吉市で発生した一家4人が殺傷された「免田事件」と、冤罪で逮捕された免田栄さんの人物像についてまとめてきました。

 

昔も現在も、警察が自らの保身のために一般人を犠牲にするという体質が全く変わらないことに恐怖を覚えます。

 

最後に、免田栄さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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