渡邊恭史の現在!生い立ちや家族(両親/姉)・結婚や最新情報を徹底解説【女子高生コンクリート殺人事件の犯人】

1989年に発覚した「女子高生コンクリート殺人事件」の犯人の1人である渡邊恭史は、主犯4人の中で唯一再犯で逮捕されていません。

 

今回は事件の経緯と判決、渡邊恭史の生い立ちや家族、姉の情報や結婚の有無、現在をまとめました。

渡邊恭史は「女子高生コンクリート殺人事件」の犯人

 

出典:twitter.com

 

渡邊恭史とは、1988年~1989年にかけて発生した女子高生コンクリート殺人事件の犯人(主犯格の1人)です。

 

渡邊恭史は事件当時16~17歳(事件途中で17歳になった)で、裁判では「少年D」とされていました。

 

ほかの主犯格であるA(宮野裕史)、B(小倉護)、C(湊伸治)と比較すると、積極的に事件に関わったわけではありません。

 

しかし、被害者の女子高生が死亡する直接的な原因となる暴行を加えたことから、女子高生コンクリート殺人事件の主犯格の1人となっています。

 

 

渡邊恭史が関わった「女子高生コンクリート殺人事件」とは

まずは、女子高生コンクリート殺人事件について、見ていきましょう。

 

女子高生コンクリート殺人事件は、1989年12月から1月にかけて、被害者の女子高生・古田順子さんを拉致監禁し、強姦・暴行を加え死亡させた事件です。

 

主犯は渡邊恭史ほか次の3名です。

 
・犯人A:宮野裕史
・犯人B:小倉護
・犯人C:湊伸治
・犯人D:渡邊恭史

 

この4人の主犯は全員未成年で、事件当時16歳~18歳でした。

 

胸糞が悪くなるほど残酷な事件でしたが、最高でも懲役20年の実刑判決で、渡邊恭史は4年以下で出所しています。

 

あまりにも残忍な犯行と刑罰が釣り合っていないことや、このような残忍な事件を起こした少年たちが本当に更生できるのかなど、少年法の議論が巻き起こったきっかけの事件でもあります。

 

 

女子高生を拉致

出典:twitter.com

 

この女子高生コンクリート殺人事件は、1988年11月25日に発生しました。

 

アルバイト先から帰宅途中だった女子高生の古田順子さんを、宮野裕史と湊伸治が拉致しました。

 

暴力団の存在をちらつかせるなどして、被害者を脅迫し、ホテルに連れ込んで強姦します。

 

その後、小倉護と渡邊恭史が合流し、小倉が「さらっちゃいましょうよ」と宮野にけしかけたことで、湊伸治の自宅の部屋に被害者を拉致監禁しました。

 

 

暴行・リンチ・強姦

出典:twitter.com

 

湊伸治の部屋に被害者の女子高生を監禁した渡邊恭史ら主犯4人は、交替で見張りをしていましたが、11月28日に不良仲間たち合計6人で被害者を輪姦しました。

 

その後、被害者に対して、身の毛もよだつようなリンチ・暴行を加えるようになりました。

 

・マッチの軸を膣に入れて火をつける
・剃刀で陰毛を剃る
・顔を何度も殴る
・足首にライターの火を近づけてやけどさせる
・全裸にさせて腹踊りさせる
・自慰行為させる
・マジックで顔にひげを描いて嘲笑する
・膣に鉄筋を挿入する
・ガラス瓶を肛門に入れる
・シンナーを吸わせる
・ウイスキーや焼酎を一気飲みさせる
・12月の夜に半裸でベランダに出す
・小泉今日子の「なんてったってアイドル」の歌詞の中の「イエーイ」に合わせて被害者の脇腹を思いっきり殴る
・何度も顔を殴り、腫れあがった顔を見て嘲笑する
・手足に揮発性の油を注いで火をつけてやけどを負わせる
・顔に蝋を垂らして、顔面を蝋で覆いつくす
・瞼に火のついたままのろうそくを立てる
・尿を飲ませる
・鉄アレイを腹部に落とす
・何度も回し蹴りをする

 

このような暴行を加えた結果、被害者の女子高生は食欲をなくし、顔は人相が変わってしまうほど腫れあがった上、手足はやけどで化膿し、衰弱していきました。

 

 

死体を遺棄

出典:takaar.com

 

被害者の女子高生はひどく衰弱していて、起き上がることもできないほどでしたが、1989年1月4日午前8時ごろから、再び渡邊恭史ら主犯4人に2時間にわたってひどい暴行を加えられます。

 

・血で汚れるのが嫌だから、ビニール袋で手を覆って、数十回以上も殴る
・1.74kgのキックボクシングの練習器(鉄球入り)で太ももを数十回以上も殴りつける
・その練習器を腹部に落下させる
・揮発性の油を太ももに注いで火をつける

 

これらの暴行を加えられた被害者の古川順子さんはぐったりと動かなくなり、その日の午後10時ごろまでに死亡しました。

 

翌日の1月5日に見張りの不良少年から「少女の様子がおかしい」と連絡を受けた渡邊恭史以外の主犯3人が様子を見に行き、被害者の女子高生が死亡したことを確認したようです。

 

事件の発覚を恐れた主犯3人は、遺体をバッグに入れた後にドラム缶に移し、そこに練ったセメントを流し込んで、ガムテープで密封して、東京都江東区の埋め立て地に遺棄しました。

 

 

逮捕

出典:ameblo.jp

 

この女子高生コンクリート殺人事件は、遺体が遺棄された後すぐに遺体が発見されたわけではありません。

 

被害者の女子高生の遺体を遺棄した後、主犯の宮野裕史と小倉護の2人は別件の強姦事件とひったくり事件20件の容疑で逮捕されました。

 

そして、1989年3月29日に少年鑑別所内の取り調べで、被害者の遺体を遺棄したことを供述します。

 

供述に従い、警察の捜査で被害者の遺体が発見されたため、3月30日に宮野と小倉が逮捕され、その後に渡邊恭史も逮捕されました。

 

この事件の報道で発覚した事実の中で世間は驚愕したことは、「湊伸治の親は、息子の部屋に女性が閉じ込められていることを知っていた」ということです。

 

湊伸治の親は、12月の初めに息子の部屋に女の子がいることを知っていました。そして、12月末には一緒に食事をしているんです。

 

「早く家に帰りなさい」と被害者に言うだけで、それ以上は何もせず、見て見ぬふりをしていたんです。

 

非行に走った息子や不良少年が怖かったとしても、警察に相談はできたはずです。

 

それでも、息子には1度注意をするだけで、何もすることはなく、結果として被害者の女子高生は死亡しました。

 

 

渡邊恭史が被害者に加えた暴力行為とは

 

Wikipediaや報道などでは「犯人D」と記載される渡邊恭史は、女子高生コンクリート殺人事件の主犯の1人とされています。

 

しかし、主犯4人の中では「従犯」ともいえる存在で、最初から最後までずっと事件に関わっていたわけではありません。

 

では、渡邊恭史は女子高生コンクリート殺人事件で何をしたのでしょうか?

 

・被害者を監禁することに同意・共謀した
・被害者を強姦した
・被害者の腹部や肩などを力任せに数十回も殴りつけた(1月4日)
・被害者の腹部に1.7kgの鉄球入り練習器を上から落とした(1月4日)

 

これ以外にも、被害者をリンチ・暴行していたと思われます。

 

1月4日に被害者を殴る時は、手が血で汚れると嫌だから、ビニール袋で手を覆ってから殴りつけるという胸糞の悪いことをしています。

 

さらに、1.7kgのボールを衰弱しきっている女子高生の腹部に上から落とすなんて、残虐なことも平気でしています。

 

1月4日の暴行・リンチで、被害者の女子高生・古川順子さんは死亡しました。渡邊恭史はこの暴行・リンチに積極的に加わったため、主犯の1人となったのです。

 

また、「うちの子が、なぜ!―女子高生コンクリート詰め殺人事件」という本によれば、遺体を処理する方法を主犯4人で話し合っていた時、渡邊恭史は次のように発言したとされています。

 

「殺すならミンチがいいですよ、骨まで細かくして風呂場から下水に流せばばれない」

 

引用:女子高生コンクリート詰め殺人事件(本スレ)50

 

この後説明しますが、渡邊恭史はあくまで従犯だったと裁判で判断されました。

 

しかし、渡邊恭史がやったことやこのような発言を見る限り、単なる「従犯」では済まされない関わり方であり、ただただ胸糞が悪いですよね。

 

 

渡邊恭史に下された判決とは?裁判の経緯も紹介

 

渡邊恭史は1989年4月に逮捕されました。逮捕された時は渡邊恭史は17歳でしたので、東京家庭裁判所に送致されました。

 

少年審判の結果、「刑事処分が相当」という結論を出し、東京地検に逆送致されることになったのです。

 

それから、東京地検は渡邊恭史ら主犯4人を殺人・わいせつ目的の略取誘拐・逮捕監禁・強姦などの罪状で東京地方裁判所に起訴されます。

 

1989年7月31日、東京地裁で第1回公判が開かれ、約1年後の1990年7月20日に渡邊恭史には懲役3年以上4年以下の不定期刑(求刑・懲役5年以上10年以下の不定期刑)が言い渡されます。

 

ほかの主犯3人と、渡邊恭史の第一審での量刑を比較してみましょう。

 

・犯人A:宮野裕史=懲役17年
・犯人B:小倉護=懲役5年以上10年以下の不定期刑
・犯人C:湊伸治=懲役4年以上6年以下の不定期刑
・犯人D:渡邊恭史=懲役3年以上4年以下の不定期刑

 

渡邊恭史が主犯の中で最も罪が軽いと判断され、量刑は少ないです。

 

判決では、渡邊恭史は「終始Aらに従属的ではあったが、過激な暴行は被害者に深刻な打撃を与えた」と判断されたようです。

 

つまり、渡邊恭史は宮野に従っていただけで、自発的に拉致監禁・暴行をしたわけではないと裁判では判断されたということですね。

 

 

1人だけ上告をしていた

 

第一審の判決後、検察側は量刑が不服として控訴しています。そのため、渡邊恭史の量刑は「懲役5年以上7年以下の不定期刑」と量刑が重くなったんです(宮野と宮野も重くなった)。

 

それを受けて、渡邊恭史は量刑不当・事実誤認を訴えて上告しました。

 

ほかの主犯3人は上告せず、高裁の判決を受け入れているため、主犯の中で1人だけ上告したことになります。

 

その結果、最高裁で「懲役3年以上4年以下の不定期刑」が確定しています。

 

どんな人でも、どんな犯罪者でも上告する権利はあります。だから、渡邊恭史が上告したのは悪いことではありません。権利を行使しただけです。

 

ただ、渡邊恭史が被害者にしたこと、そして被害者の遺族の心情を考えると、量刑を少しでも軽くするために上告するのは、ちょっとモヤッとします。

 

 

渡邊恭史の家族とは?

 

渡邊恭史の家族は次のような構成でした。

 

・父親:渡邊一弘
・母親:渡邊ヤス(事件当時44歳)
・姉:かおり(?)(事件当時18歳)
・恭史:事件当時16~17歳

 

渡邊恭史は4人家族で育ちました。

 

姉の名前は「かおりさん」という噂がありますが、証拠があるわけではありません。

 

 

渡邊恭史の生い立ち

 

渡邊恭史は4人家族で育ちました。しかし、幼少期の頃に両親が離婚し、母親に引き取られます。

 

ちなみに、父親は離婚後すぐに交通事故で死亡したようです。

 

母親は元美容師ですが、離婚後は渡邊恭史と姉を育てなくてはいけないため、美容師ではなく、生活保護を受けながら、時計の部品工場でパートとして働いていました。

 

渡邊恭史は4人の主犯の中では、一番痩せていて声が小さいタイプで、ファミコンが好きなゲーム少年でした。

 

被害者を暴行死させた1月4日も、4人で渡邊恭史の部屋でファミコンで遊んでいます。

 

中学時代には教師に体罰を受け、10円玉くらいの白髪ができています。最終的にはこぶし大にまで広がっていたそうで、残酷な犯行とは裏腹に、気が小さいタイプなのかもしれません。

 

中学卒業後は定時制の工業高校に進学しますが、たった1週間で退学します。

 

その後、中学の同級生だった小倉護とつるむようになり、そこから湊伸治の家に出入りし、不良仲間に加わるようになりました。

 

そして、事件の約2ヶ月前から主犯4人でひったくりやレイプを繰り返すようになっています。

 

また、宮野を通じて暴力団ともつながり、暴力団の花屋で仕事を手伝ったり、暴力団の忘年会・組事務所の当番も行うようになりました。

 

ここまでの情報をまとめてみると、渡邊恭史は中学までは、気が弱そうなタイプでファミコン好きのゲーム少年だったようです。

 

しかし、渡邊恭史は高校を中退してから、転がり落ちるように不良少年とつるむようになり、暴力団ともつながりを持ち、そして女子高生コンクリート殺人事件を起こしていくのです。

 

 

渡邊恭史の姉は、宮野裕史と同棲していたと言われている

出典:twitter.com

 

渡邊恭史には姉が1人いました。事件当時は18歳だったようです。

 

この姉は事件当時、なんと女子高生コンクリート殺人事件の主犯であり、量刑が一番重く懲役20年の実刑判決を受けた宮野裕史と交際していたようなんです。

 

しかも同棲していて、「18歳になったら結婚しよう」と約束していた間柄でした。

 

自分の姉の彼氏と一緒に、何の落ち度もない女子高生を拉致して輪姦した挙句に殺害していたなんて、もう道徳観も倫理観も破壊されています。

 

ただ、渡邊恭史の姉と宮野は、事件当時は既に破局していたようです。

 

宮野が暴力団とつながりを持つようになり、レイプなどの性犯罪を繰り返すようになってからは、姉のほうから愛想をつかして別れています。

 

 

渡邊恭史は結婚している?

 

渡邊恭史は結婚しているのでしょうか?

 

渡邊恭史に関係する報道などを詳しく調べましたが、結婚したという情報は一切出てきていないので、結婚はしていないものと思われます。

 

同じ主犯の1人である小倉譲は、中国籍の女性との結婚・離婚歴があるとの情報はあります。

 

また、主犯ではないものの、同じく女子高生コンクリート殺人事件で逮捕された犯人の中にも、結婚した人はいます。

 

しかし、渡邊恭史は少なくとも結婚はしてないと思われます。

 

 

渡邊恭史の現在

 

渡邊恭史は1996年に出所し、2001年ごろは母親と同居していたことが確認されています。

 

少年院でいじめに遭い、引きこもり生活をしていたようです。その後は、溶接工や空調設備作業員など仕事を転々としていました。

 

そして、現在は神奈川県横浜市金沢区のアパートに姉夫婦と一緒に住んでいるという情報があります。

 

渡邊恭史と姉の関係性は良かったようで、渡邊恭史が逮捕された後も母親との面会は拒否していましたが、姉との面会は受け入れ、姉は差し入れを続けていました。

 

姉としては、自分が宮野と付き合っていたことから、宮野と弟がつるむようになり、弟が女子高生コンクリート殺人事件に加担するようになったと責任を感じていたのかもしれません。

 

だから、逮捕された後も面会・差し入れをしていたし、出所後も一緒に住んでいるのかもしれません。

 

ただ、「姉夫婦と同居」とのことですから、一番心が広くてすごいのは姉と結婚した男性ですよね。あの事件の犯人というだけで、普通なら結婚には二の足を踏んでしまうはずです。

 

それでも、姉の夫は結婚し、しかも主犯の1人だった義弟と同居しているなんて、あり得ない懐の広さです。

 

渡邊恭史は目の病気を患ったようで、現在は生活保護を受けながら、生活をしているとのことです。

 

 

1人だけ再犯歴なし

 

現在の時点で、渡邊恭史は女子高生コンクリート殺人事件の主犯4人の中で、唯一再犯歴がありません

 

・犯人A:宮野裕史=2009年に振り込め詐欺の受け子で逮捕(不起訴処分)
・犯人B:小倉護=2004年に三郷市逮捕監禁致傷事件で懲役4年
・犯人C:湊伸治=2018年に殺人未遂事件で保護観察付き執行猶予3年
・犯人D:渡邊恭史=逮捕報道なし(再犯なし)

 

女子高生コンクリート殺人事件の主犯4人の中で、渡邊恭史だけがその後に罪を犯していないのです。

 

ほかの3人は見事に罪を犯し、カタギとは思えないような生活をしているようです。

 

それに対し、渡邊恭史は引きこもりになってしまったものの、世間には迷惑をかけずにひっそりと生活しています。

 

もちろん、長い人生、今後どうなるかは分かりませんが、生い立ちから分かる性格を考えると、今後もひっそりと生きていく可能性が高いですね。

 

 

渡邊恭史のまとめ

女子高生コンクリート殺人事件の主犯・渡邊恭史の生い立ちや家族・姉の情報、結婚の有無と現在をまとめました。

 

渡邊恭史は犯罪史に残るような残虐な事件を起こしたことは間違いありません。今後の人生を全部賭けても、被害者の遺族の気持ちは晴れないでしょう。

 

それでも、出所後もしっかり反省して、贖罪の気持ちを持ち続けてほしいですね。

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