「ロマンティックが止まらない」で一世を風靡した「C-C-B」ですが、解散後の現在は逮捕されたり死去したメンバーもいます。
今回はC-C-B元メンバー5人についてプロフィール、逮捕歴や死去・結婚など解散後をまとめました。
この記事の目次
- C-C-Bとは
- C-C-Bの解散理由とは
- C-C-Bメンバーのプロフィール① 田口智治(キーボード)
- C-C-Bメンバーのプロフィール② 渡辺英樹(ベーシスト)
- C-C-Bメンバーのプロフィール③ 笠浩二(ドラマー)
- C-C-Bメンバーのプロフィール④ 米川英之(ギタリスト・ボーカル)
- C-C-Bメンバーのプロフィール⑤ 関口誠人(ギタリスト・ボーカル)
- C-C-Bメンバーの解散後と現在① 田口智治は3度も薬で逮捕
- C-C-Bメンバーの解散後と現在② 渡辺英樹は急性大動脈剥離で逝去
- C-C-Bメンバーの解散後と現在③ 笠浩二は脳梗塞で逝去
- C-C-Bメンバーの解散後と現在④ 米川英之はギタリストとして成功
- C-C-Bメンバーの解散後と現在⑤ 関口誠人は結婚したがヒモ状態
- まとめ
C-C-Bとは
概要
出典:https://middle-edge.jp/
バンド名:C-C-B(シーシービー)
結成当時のバンド名:coconut boys(ココナッツボーイズ)
結成年:1982年
メンバー:渡辺英樹、笠浩二、田口智治、米川英之、
旧メンバー:関口誠人、山下康文、山本達也
経歴
1982年、青山に開局したミニFM局「KIDS RADIO STATION」により、夏をイメージさせる新生バンドを、数組結成させ競わせるというプロジェクトが開催されました。
そのうちの1つとして結成されたのが、「和製ビーチボーイズ」をコンセプトにした「coconut boys」で、結成当初は渡辺英樹、笠浩二、関口誠人、山下康文、山本達也の5人で活動を開始します。
1983年に「Candy」でデビューしましたがヒットにはつながらず、翌年には初期メンバーであった山下と山本が脱退しました。
新メンバーとして田口智治と米川英之を迎え、2ndシングル「瞳少女」をリリースすると、CMにも起用されて話題になりました。
1985年、バンド名を「C-C-B」に変更。
起死回生をかけた3枚目のシングル「ロマンティックが止まらない」が、人気ドラマ「毎度お騒がせします」の主題歌に起用され、一躍ブレイクを果たします。
その後は松本隆と筒美京平のタッグにより、「スクール・ガール」「Lucky chance をもう一度」「空想KISS」などのヒットソングを次々にリリース。
この年の日本レコード大賞金賞を受賞し、紅白歌合戦にも出場するなど大躍進の年となりました。
翌年にも、「ないものねだりの I want you」「不自然な君が好き」などがヒット。
1987年になると、関口の脱退が発表されたことにより、コーラスポジションだった米川がメインボーカルを務めるようになりました。
1989年4月21日、「ミュージックステーション」に出演した際に、同年10月でグループ解散を発表。
解散理由は、「メンバー個々の音楽性、可能性を更に昇華させるため」とされ、解散後もメンバーはそれぞれに音楽活動を続けていくと語られました。
1989年10月9日に解散したものの、その後もメンバーがランダムに集まってC-C-B名義でなく音楽活動を続けるなど、たびたびテレビにも出演。
5人のメンバー全員が集まることもあれば、欠席者がいる中でゲリラ的にライブが行われることもありました。
また、解散後も最大のヒット曲「ロマンティックが止まらない」がCMやドラマの挿入歌に起用されたことで、彼らの楽曲は今もなお広く知られています。
C-C-Bの解散理由とは
出典:https://a-genzai.com/
人気絶頂の中で、C-C-Bが解散という道を選んだのはなぜだったのでしょうか。
C-C-Bを辞めたいと1番初めに言い出したのは田口智治でした。
1989年にC-C-Bが解散するより前、関口誠人がグループを脱退した際には、C-C-Bは解散することなく、残った4人のメンバーで活動を存続してきました。
そのため、辞めたいと言った田口は、自分が抜けても残った3人でC-C-Bを続けていくものだと考えていたそうです。
しかし、田口が辞めると言ったのをきっかけにグループ解散が決まってしまったようです。
田口がグループを辞めたいと言い出した理由は、決してメンバーとの不仲やトラブルがあったというわけではなく、C-C-Bを嫌いになりたくないという理由からだったようです。
長く共に音楽を続けていると、方向性や仕事のやり方は各々で変わってきます。
そのため、C-C-Bの活動方針については、メンバーで意見を出し合って最終判断はリーダーがするというのが通例でした。
田口はこれまでの話し合いの中で、自分の意見を言うことはなく、なーなーで従っていた部分があったため、「このまま続けていくと嫌いになるかもしれない」と感じ始めたんだとか。
そこで、嫌いになってしまう前にグループを抜け、付かず離れず良い距離感を保とうとした結果、残された3人からも自然と解散という話が出るようになり、解散が決定しました。
解散後の活動を見ても、解散時に噂されたようなメンバー同士の不仲やお金のトラブルがあったなどの情報はデマカセであることが分かります。
解散後もそれぞれがランダムに組んでライブやイベントを行っていますし、C-C-Bとして復活したこともありました。
決して仲が悪くなったのではなく、それぞれが自由に音楽を続けていくための手段だったのかも知れませんね。
C-C-Bメンバーのプロフィール① 田口智治(キーボード)
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名前:田口智治(たぐちともはる)
生年月日:1960年10月27日
出身:東京都足立区
身長:169.5cm
クラシックからハードロックまで、ジャンルを問わずキーボード奏者、ピアノ奏者としての評価が高い田口智治。
豊かな感性を持って奏でられる音色が特徴的です。
C-C-Bが結成される以前、10代の頃からキーボード奏者として業界でその名が有名になると、近藤真彦さんのバックバンド「ダブルス」に加入してプロとして活動を開始しました。
しかし、「大手ジャニーズ事務所の下に所属していれば安泰だ」などと揶揄されていたことや、自身の音楽性を最大限に発揮できない当時の状況にジレンマを抱えるようになりました。
1984年初め、C-C-Bの初期メンバー2人の脱退を知り、以前から交流のあった渡辺と笠の誘いを受ける形で、C-C-Bのメンバーとして「瞳の少女」から参加。
「ダブルス」時代からは一変、収入が激減しアルバイトをしながらの音楽活動を強いられましたが、「ロマンティックが止まらない」のヒットを契機に劇的に多忙な日々を迎えます。
広いジャンルで活躍してきたこともあり、田口による作曲や編曲、様々なジャンルを取り入れたアレンジは、メンバーからも一目を置かれ、C-C-Bの音楽性を牽引する存在となりました。
C-C-Bメンバーのプロフィール② 渡辺英樹(ベーシスト)
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名前:渡辺英樹(わたなべひでき)
生年月日:1960年2月1日
出身:東京都文京区
身長:165cm
中学時代にアマチュアバンドで活動を開始し、ライブハウスなどで演奏する中でベーシストとして頭角を現した渡辺英樹は、1977年頃に後にC-C-Bのメンバーとなる田口や笠と出会います。
プロのミュージシャンとして音楽ユニットやセッションなど精力的に参加する中、C-C-Bの前身・ココナッツボーイズ誕生のきっかけである「KIDS RADIO STATION」への参加が決定。
C-C-Bの初期メンバーで、リーダーとして活躍し、ブレイクした当時はベースを胸の位置で演奏する姿が特徴的でした。
単独でバラエティ番組などに出演することも多く、過去にはドラマなどにも出演し演技にも挑戦していました。
プライベートでは、1980年代後半にキャビンアテンダントの一般女性と結婚しましたが、その後離婚し、2人の娘の親権を渡辺が持ちました。
C-C-Bメンバーのプロフィール③ 笠浩二(ドラマー)
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名前:笹浩二(りゅうこうじ)
生年月日:1962年11月8日
出身:福岡県川田市
身長:165cm
メガネがトレードマークとして知られていた笠浩二ですが、実は伊達眼鏡で、普段は眼鏡はかけていなかったそう。
アマチュアバンドでドラマーとして活躍を始め、「ステーション」というバンドに在籍した際に渡辺と田口に出会いました。
C-C-Bの代表曲でもあり、彼らのブレイクのきっかけとなった「ロマンティックが止まらない」ではメインボーカルを務めました。
C-C-Bがブレイクを果たすと、多忙を極める生活の中で十二指腸潰瘍、摂食障害、脚気、胃潰瘍など多くの病気を患い、一時はドラムを叩くことも困難な状況でした。
プライベートでは一般の女性と結婚しましたが、1990年代に離婚しています。
C-C-Bメンバーのプロフィール④ 米川英之(ギタリスト・ボーカル)
出典:https://matome.naver.jp/
名前:米川英之(よねかわひでゆき)
生年月日:1964年3月3日
出身:東京都杉並区
身長:170cm
中学生の頃にギターを始め、高校生になるとハードロックやヘビーメタルに傾倒し、特にTOTOのギタリスト・スティーヴ・ルカサーから強い影響を受けました。
特定のバンドに所属はせず、高校卒業後には武蔵野音楽学院に入学した米川英之は、ギタースクールにも2年間通い、そこでの優秀な実績を買われてスカウトを受け、C-C-Bに加入。
プロのギタリストとして活動を開始しましたが、ブレイクするまではアルバイトをしながらの音楽活動を強いられました。
その後、1985年に「ロマンティックが止まらない」で大ブレイクしたことで、生活は一変し多忙を極めました。
プライベートでは、1997年に結婚されています。
C-C-Bメンバーのプロフィール⑤ 関口誠人(ギタリスト・ボーカル)
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名前:関口誠人(せきぐちまこと)
生年月日:1959年5月2日
出身:東京都世田谷区成城
身長:167cm
父親は歯科医で、3人兄弟の次男として生まれた関口誠人は、何一つ不自由ない生活を送っていましたが、小学校の入学式当日の朝に父親が急逝。
父の死をきっかけに学校に馴染めず、不登校を繰り返しながらなんとか中学を卒業した関口誠人。公には高卒としていましたが、高校には行かず就職した過去があります。
不登校時代の不良との交流や仮病、この頃の感情や体験を基に楽曲もいくつか作っています。
音楽好きの兄の影響で、小学生の頃からギターに触れていました。
1980年代には、芸能関係者が多く出入りするレストランでアルバイトをしながら、自作の曲の入ったデモテープを音楽関係者に渡すなどして、プロを目指してアプローチしていました。
その後、渡辺を紹介されたことがきっかけでcoconut boysを結成し、C-C-Bの初期メンバーとして活動しました。
しかし、グループが解散するよりも一足早く、1987年4月6日のステージをもってグループを脱退し、ソロ活動を開始。
プライベートでは、2回の結婚歴と1回の離婚歴があります。
C-C-Bメンバーの解散後と現在① 田口智治は3度も薬で逮捕
出典:http://blog.esuteru.com/
田口智治はC-C-B解散後は特定のバンドに所属せず、多くのアーティストやバンドとセッションしたり、ユニットに参加し、元C-C-Bメンバーと組んでライブを行うことも。
2004年には、田口と元C-C-Bメンバーの渡辺、米川によるユニット「ヨネタワタル」を結成し、ライブ活動などを行うと、チケットは即完売するなど大盛況となりました。
その後も「ヨネタワタル」は精力的に活動し、ファンキー末吉をサポートミュージシャンに加えたユニット「AJ-米田渡ー」名義でもライブを行っています。
また、2015年4月に体調を崩して入院を余儀なくされましたが、5月には渡辺英樹とのユニット「TANaBE」のライブで仕事復帰を果たしました。
しかし2015年7月、覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕され、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決を受けました。
逮捕から2ヶ月半後、自身のホームページに直筆の謝罪文を掲載し、その後は愛猫をかわいがる様子や健康的な生活を心がけている様子を投稿していました。
しかし翌年、再び体調を崩して検査したところ大腸に穿孔が認められたため、即日、大腸の一部を切除する手術を受けるなど、体調面が優れない状態が続きました。
そして4月、再び覚せい剤取締法違反で逮捕され、懲役1年6ヶ月、保護観察付き執行猶予2年の判決が下りました。
2021年には頚椎症性脊髄症の手術を受け入院していたことや、心の病を患い精神科のプログラムに通っていることなどを明かしています。
その後、2024年6月には覚せい剤取締法違反で3度目となる逮捕をされています。愛猫が交通事故死してしまい、気分を紛らわせるために再び覚せい剤に手を出してしまったとのこと。
3度目の逮捕ということもあり、同年9月に懲役2年の実刑判決が言い渡されました。
C-C-Bメンバーの解散後と現在② 渡辺英樹は急性大動脈剥離で逝去
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渡辺英樹はC-C-B解散後は、BEEPUBLICの丸山正剛らと「VoThM」を結成したり、元C-C-Bメンバーと組むなど精力的に音楽活動を行いました。
田口、米川とともに「ヨネタワタル」を始め、「WY」「TANaBE」「B×B」など元C-C-Bメンバーとランダムにユニットを組んでライブを敢行。
また、自身が参加したユニットのグッズ制作などを行っていた会社が運営していたミュージックスクールで、月に1度、ベース教室の講師なども行いました。
また、2006年には北野武監督作品「監督・バンザイ!」の劇中楽曲の編曲、演奏を野村義男とともに担当し、2009年には芝居にも挑戦するなど幅広い活躍を見せました。
しかし、2014年以降は病気を患うことが多くなった渡辺秀樹。肺気胸を患い、愛煙家でしたが禁煙しています。
2015年6月には大動脈剥離により緊急手術を受け、予定されていたC-C-B名義での26年ぶりのライブツアーが全公演中止となりました。
術後、容体が安定してきたことをブログで明かしていましたが、2015年7月13日急性大動脈剥離による多臓器不全のため55歳で逝去しました。
その後、近親者のみで通夜および告別式が執り行われ、8月10日に新宿BLAZEにて「お別れの会」として2部制の式典が開かれました。
第一部はチケットが無くても参加できる献花式で、第二部は渡辺と縁の深かったミュージシャンがステージにあがりました。
そして、ステージ後方に設置されたスクリーンに映し出された渡辺のかつてのライブ映像と“共演”するという演出で行われ、この様子はニコニコ生放送で生中継されました。
翌年以降、毎年命日である7月13日に縁の深いミュージシャンたちが集いライブを行い、故人を偲んでいます。
C-C-Bメンバーの解散後と現在③ 笠浩二は脳梗塞で逝去
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笠浩二はC-C-B解散後はソロとして活動し、初ソロシングル「30センチでつかまえて」はコーヒーのCMソングに起用されるなど、根強い人気を集めていました。
幼少期から病気がちで、C-C-B全盛期にもストレスや不規則な生活が原因で度々体調を崩していましたが、ソロになってからも体調不良が原因で1993年頃に音楽活動を休止。
復帰後は、ソフマップが運営していたDTMスクールの講師や通信カラオケの監修、プログラミングなどに携わりました。
その後、両親の出身地である熊本へ移住し、ローカルで音楽活動を続けながら、農家として農業に従事していました。
体調を気遣い、「スローライフ」を軸に、音楽の仕事がある時だけライブハウスで演奏するというスタンスをとっていました。
C-C-Bメンバーとも交流を続け、「ヨネタワタル」のライブにゲスト出演したり、「あの人は今?!」のようなバラエティ番組に出演など、細々ながらも音楽、芸能活動を続けていました。
2016年4月14日、熊本地震で被災した笠浩二は自身が発起人となり、熊本在住のミュージシャンやタレントの賛同を得て熊本復興応援プロジェクト「明日へのエール once again」を発足。
震災による被害を風化させないために、当時の心境や状況を伝え、音楽を通じて被災した人々の傷を癒す活動を続けていました。
2018年に脳梗塞で倒れリハビリをしながら音楽活動を続けていましたが、2020年頃からは激やせした姿が心配されるようにもなりました。
2022年7月には持病の糖尿病の治療のため入院。同年12月14日に入院中の病院で脳梗塞のため60歳で逝去しました。
遺族の意向により、通夜・葬儀は近親者のみで執り行われました。
C-C-Bメンバーの米川は「唯一無二のハイトーンボイスが聴けないのは残念でなりません」などと悲痛な思いをSNSに綴っています。
笠は亡くなった後に2022年の日本レコード大賞の特別功労賞を受賞。関口誠人はSNSで「残されたオレらが祝ってやろう!」と笠の受賞を祝福しました。
C-C-Bメンバーの解散後と現在④ 米川英之はギタリストとして成功
出典:https://www.ragnet.co.jp/
米川英之はC-C-Bが解散した翌年からソロとして活動を開始し、同時に多くのミュージシャンやバンドとセッションしたりユニットに参加したりと精力的に活動しました。
「独奏会」という弾き語りの単独ライブをはじめ、首都圏を中心に年間数十本ものライブを開催。
C-C-Bではギターを担当していましたが、キーボードやピアノ演奏なども「独奏会」で披露することもありました。
解散後もメンバーと交流が続いており、渡辺、田口と「AJ-米田渡–」を結成してC-C-Bの楽曲をセルフカバーしたり、年数回ライブもするなど、ミュージシャンとして活動を続けました。
1997年頃からは他のアーティストへの楽曲提供やCM音楽制作、各種サウンドトラック制作にも積極的で、2015年には矢沢永吉のアルバムやライブにギタリストとして参加しています。
2024年3月の誕生日で還暦を迎えており、プロ活動40周年及び還暦を祝う記念ライブを開催しています。
C-C-Bメンバーの解散後と現在⑤ 関口誠人は結婚したがヒモ状態
出典:https://hochi.news/
関口誠人は、C-C-Bの解散を待たずして一足先にグループを脱退しました。
脱退後はソロ活動に専念していましたが、グループが解散した後で1990年代には再びC-C-Bのメンバーと組んで単発ライブに参加するなど、音楽活動を続けました。
2008年に渡辺、笠とともに正式にC-C-B名義で活動を再始動させた関口誠人は、ライブツアーやテレビ出演も行いましたが、2009年に入ると活動は縮小されて自然消滅となっています。
また、有名アーティストへの楽曲提供も多く行っていて、中森明菜、五木ひろし、羽野晶紀、松本伊代などそうそうたる顔ぶれが並んでいます。
2007年、心筋梗塞を発症し入院を余儀なくされましたが、声質やろれつに多少の違和が生じたものの、ギターを弾く手指の神経などに問題は残らずに済みました。
自分を待ってくれているファンのためにもう一度C-C-Bとして活動したいという思いが病気になったことでより強くなったと言い、その後も音楽活動を続けています。
プライベートでは2度結婚しており、現在は整体師の奥様がいるそう。
2016年3月に出演したバラエティ番組では、自身がヒモ状態であることを明かしました。
シュッとしたイケメンでしたが、今では太ってしまい、ソロの音楽家としてほとんど仕事がないようで、ヒモ状態を脱却するために芸能事務所タイタンに面接を受けに行ったそうです。
結果は不合格でしたが、今後もヒモ状態を抜け出すためにあきらめずチャレンジしていくと明かしていました。
口ではそう語っていましたが、実際には昼間からお酒を飲む生活を送っており、2019年にはアルコール性肝疾患を発症。糖尿病や肥満、鬱病なども併発していたようです。
その後も体調を崩し入院することもありましたが、生活習慣の改善を試みながら、現在は弾き語りライブを行ったり、イラスト制作などを行っているとのことです。
まとめ
「ロマンティックが止まらない」で一世を風靡し、その後も多くのヒット曲を世に送り出してきたC-C-B。
グループ名を知らない今の若い世代も一度は楽曲を耳にしたことがあるように、今も歌い継がれる名曲がたくさんあります。
田口は逮捕され、渡辺と笠は亡くなってしまったC-C-Bですが、その歴史は今後も続いていくことでしょう。