欽どこ女優であり、日本のお母さん役のイメージが強い真屋順子さんは、壮絶な闘病の末に亡くなっています。
今回は真屋順子さんの経歴、若い頃の画像、結婚した旦那や息子、寝たきりになった闘病生活、死因や葬儀など現在をまとめました。
この記事の目次
真屋順子は欽どこ女優
真屋順子のプロフィール
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真屋順子
生年月日:1942年月1月8日
没年月日:2017年12月28日
出身:朝鮮(韓国)の釜山
身長:156cm
所属:劇団樹間舎
血液型:O型
活動:女優
真屋順子さんは「お母さん役」の印象が強い女優です。
1942年に日本統治下の朝鮮(現在の韓国)の釜山で生まれ、3歳の時に終戦を迎えます。終戦を機に日本に引き揚げてきて、大分県の日田市で生活します。
日田高校を中退後は松竹歌劇団(SKD)に入団し、その後は女優を志して、1960年に俳優座に13期生として入所します。
真屋順子の女優の経歴
俳優座13期生には真屋順子さんのほかに、加藤剛さん、細川俊之さん、石立鉄男さん、佐藤オリエさん、佐藤友美さんなどそうそうたるメンバーがいました。
俳優座を卒業した後は女優として活動を開始し、テレビデビューは1965年のこと。NHKの連続テレビ小説「たまゆら」です。
その後、同じくNHKの朝ドラの「おはなはん」などにも出演。大河ドラマや「銭形平次」、「遠山の金さん」、「太陽にほえろ」など人気ドラマへの出演を重ねていきます。
そして、真屋順子さんの女優としての転機になったのが1976年にスタートした「欽ちゃんのどこまでやるの!」への出演です。
視聴率100%男と呼ばれていた国民的スター・萩本欽一さん主演の「欽ちゃんのどこまでやるの!(欽どこ)」は、ホームドラマ形式のコメディ番組でした。
真屋順子さんはこの欽どこで、萩本欽一さんと夫婦役を演じ、お母さん役としてのイメージが強くなっていったのです。
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1978年から1979年にかけては、山口百恵さん主演の「赤い絆」に百恵さんの天敵役で出演。あまりにもはまり役だったために、真屋順子さん自身にもバッシングが来るようになりました。
それを見ていた萩本欽一さんは、「順子さんを日本一のいいお母さんにしてあげよう!」と思い、欽どこではそのような脚本が増えていき、「いいお母さん」のイメージが強くなりました。
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その後も、映画やドラマなどに出演をしましたが、映像作品への出演は2001年で最後になっています。
真屋順子の若い頃の画像
「欽どこのお母さん」というイメージが強い真屋順子さんですが、ここからは若い頃の映像を見ていきましょう。
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「正統派の超美人!」とか「華がある女優」というタイプではありませんが、若い頃の真屋順子さんは独特の雰囲気があって色気がある女優、人を引き付ける女優と言えます。
こちらは、「赤い絆」で志摩登喜役を演じた時の真屋順子さんです。
山口百恵さん演じる渋谷恵子の天敵でした。平均視聴率29.5%という超人気ドラマでしたし、当時の山口百恵さんは人気絶頂でした。
さらに、真屋順子さんが「はまり役」と言われるほどうまく演じていたので、山口百恵さんファンからバッシングを受けることになったんですね。
真屋順子の旦那は俳優・高津住男
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真屋順子さんの旦那さんは俳優の高津住男さんです。真屋順子さんと高津住男さんは、1969年に結婚しました。
高津住男さんは「ケンちゃんシリーズ」の「カレー屋ケンちゃん」のお父さん役で人気になった俳優で、その後も時代劇を中心にたくさんのドラマに出演しています。
1980年には真屋順子さんと高津住男さんは劇団樹間舎を立ち上げ、自身が演出家・劇作家として活動します。また、劇団樹間舎演劇研究所を作り、俳優養成にも力を入れていました。
真屋さんが脳梗塞になった後は献身的に介護をして、2003年には高津住男さんと真屋順子さんの共著「ありのまま」を出版しています。
その後も、夫婦二人三脚で舞台公演を続け、さらに介護体験などの講演も行っていました。
2009年年末には末期の肝臓がんであることが判明。闘病生活を送りながら、舞台出演を続けていましたが、最後の舞台出演を終えた3日後の2010年7月31日に亡くなっています。
真屋順子の息子は見栄晴?
インターネットを見ていると、真屋順子さんの息子はタレントの見栄晴さんではないか?という意見がチラホラ見られます。
見栄晴さんは、欽どこの中で真屋順子さんと萩本欽一さんの長男役だった人ですね。つまり、欽どこの中で、真屋さんの息子役でした。
一時不仲になった
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欽どこファミリーはとても仲が良く、本当のファミリーのようでしたが、一時期は真屋順子さんと息子役の見栄晴さんには確執があり、不仲であると報じられました。
その理由は見栄晴さんの結婚です。
見栄晴さんは2007年に結婚しましたが、その結婚報告を真屋さんにしておらず、真屋さんが怒ってしまったそうなんです。
真屋さんは見栄晴さんを息子のように思っていたでしょうから、怒るのは当然かもしれません。
しかし、見栄晴さんにも事情はあって、この頃ちょうど母親が体調を崩し、前頭葉萎縮が起こって、認知症のような状態になっていたとのこと。
そのような事情があったため、親しい人でも報告する余裕がなかったのかもしれません。
しかし、2015年に放送された「爆報!THE フライデー」の中で、真屋さんはサプライズで見栄晴さんと再会することになり、そこで仲直りすることが出来ました。
真屋順子の息子は旦那の連れ子で血縁はなし
真屋順子さんの子供について見ていきましょう。
息子は旦那の連れ子
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真屋順子さんには健一郎さんという一人息子がいます。
でも、実は息子さんと真屋さんの間には血縁関係はありません。息子さんは旦那・高津住男さんの連れ子です。
旦那さんの高津さんは離婚歴があったんですね。真屋さんとは再婚になります。
真屋さんと高津さんは、健一郎さんが6歳のころに結婚しています。真屋さんは結婚と同時に6歳の息子の母親になったということですね。
息子さんは最初、真屋さんを「詔子(本名)おねえちゃん」と呼んでいましたが、小学2年生の時に「お母さん」と突然呼ぶようになったそうで、その時は真屋さんは泣いて喜んだそうです。
真屋順子さんは息子を溺愛していた
真屋順子さんは血縁関係はない義理の息子を溺愛していました。授業参観ではない日も、真屋さんは学校に来て授業を見学することがあったそうです。
また、息子の健一郎さんが20代のころに結婚したい相手を真屋さんに会わせたら、結婚を反対されたこともありました。
反対した理由は、「息子を取られると思って嫉妬した」からだそう。溺愛そのものですよね。
旦那さんの高津さんが亡くなってからは、さらに息子への依存・愛情を深めていき、息子さんは献身的に介護をしていました。
血縁関係はなくても、本当の親子以上に親子になることが出来るんですね。
真屋順子は闘病で寝たきりに…
真屋順子さんは2000年代に入って以降、ほとんど女優としての活動をしなくなりました。
理由は病気です。2000年から亡くなるまで、真屋順子さんはずっと壮絶な闘病生活を送ることになりました。
2000年に脳出血
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真屋順子さんは2000年12月23日、音楽会の司会をしていましたが、ちょうど舞台袖に引っ込んだ時に脳出血を起こして倒れます。
脳出血を起こす直前には、左足が氷のように冷たくなっていたと語っています。
救急搬送されて緊急手術を受け、5日間意識不明になります。一命を取り留めますが、左半身に麻痺が残り、歩行具を使ったり、車椅子に乗っての生活となりました。
しかし脳出血から2ヶ月後には退院し、2001年にはNHKの情報番組に車椅子で出演して、仕事復帰を果たすことが出来ました。
11年で5回の脳梗塞
2000年に脳出血を起こした真屋順子さん。真屋順子さんを襲う病魔は、これだけではありませんでした。
脳出血を起こしたことで血圧をコントロールしていたら、今度は脳梗塞を起こしてしまったのです。
最初の脳梗塞は2004年。それから2015年までに、合計で5回も脳梗塞を起こします。
さらに、2010年に旦那さんの高津住男さんが亡くなった直後に自宅で転倒し、骨折して入院します。
そして、入院先で心不全が発覚します。心不全の治療が終わったら、今度は腹部動脈瘤が発覚し、4時間にも及ぶ大手術を受けることになりました。
脳出血・脳梗塞で左半身が麻痺している高齢者が長期入院をして、さらに手術を受けていたら、寝たきりになるのも無理はありません。
2017年には寝たきりに
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真屋順子さんは懸命にリハビリをしましたが、2017年にはとうとう寝たきりになってしまいました。
息子の健一郎さんは次のように語っていました。
鎮痛剤を打っても苦しそうで、涙を流しながら『早く殺して』と懇願する姿は残酷すぎて、見るに堪えませんでした。認知症のような症状も出てきて、高津が亡くなったことも十分に理解できていなかったようです。
2000年から15年以上もずっと闘病生活を続けていて、リハビリをしても、次々に病魔が襲ってくるし、最愛の旦那さんは2010年に亡くなってしまった…。
「早く殺して」という思いも共感できてしまいますね。
真屋順子の現在は死亡:死因は?
真屋順子さんの現在を見ていきましょう。
2017年12月に死亡
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真屋順子さんは2017年12月28日3時46分、東京都文京区の病院で死亡しました。
2017年の夏ごろからベッド上で寝たきりになり、12月に入ってからは食事を受け付けなくなっていたとのことです。
死因は全身衰弱
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真屋順子さんの死因は全身衰弱です。
食事を受け付けなくなったら通常は点滴でカロリーを補給します。ですが、全身が弱っていた真屋順子さんは1日に必要なカロリー分の点滴をするとむくみがひどかったそう。
そのため、必要なエネルギーを補給するのも難しい状態になっていたそうです。
17年にも及ぶ闘病生活で全身が弱ってしまい、生命維持が難しい状況になってしまったのでしょう。
孫に会うことはできず
真屋順子さんの息子さんである健一郎さんは、介護のためにずっと独身を貫いていましたが、結婚して、真屋さんが亡くなる半年前に子供が生まれています。真屋さんのお孫さんですね。
でも、生後すぐの赤ちゃんを病院に連れていくこともできず、結局、真屋さんはお孫さんに直接会うことはできなかったそうです。
真屋さんの死後、2018年2月15日には欽どこファミリーの家族葬が行われました。
今日は「欽どこ!?」萩本家の家族葬がありました。
心に沁み入る場でした。
初代の見栄晴さんと、見栄晴さん、私、
3人の息子が一堂に会して
不思議な気持ちでした。
晩年は闘病が続き、事実上女優を引退していた真屋順子さんでしたが、萩本家の家族葬が開かれてみんなが集まるなんて、本当に愛されていた女優だったことが分かります。
見栄晴さんがブログで真屋順子さんをしのぶ
真屋順子さんの息子役だった見栄晴さんは、2018年1月5日、真屋さんの死後にブログで追悼しています。
とにかく優しい!という言葉がピッタリな、
明るく素敵な「お母さん」でした。
連絡を頂き、年末29日の晩にお焼香だけさせて頂きましたが、
長い闘病生活をされていたとは思えないほど、
優しく朗らかなお顔をされていました。
見栄晴さんのブログはほとんどがギャンブル関係ですが、この時はいつもとは全く違い、真屋順子さんとの思い出を思い出しながら書いたことが伝わってくる温かいものでした。
真屋順子のまとめ
真屋順子さんのプロフィールや経歴、若い頃の画像、旦那さんや息子の情報、寝たきりになった闘病生活と現在・死因についてまとめました。
17年に及ぶ闘病生活。ご本人はもちろん、ご家族も本当に大変だったと思います。
でも、車椅子生活になっても、旦那さんと息子さんに支えられ、リハビリをしながら講演会などを行うことが出来たのは、ある意味幸せなことだったのかなとも思います。