1979年にリリースの松原みきさんのデビュー曲「真夜中のドア」が世界中でリバイバルヒットを記録し大きな話題になっています。
この記事では松原みきさんの「真夜中のドア」をはじめ、家族や結婚した旦那や子供、晩年や死去、死因の子宮頸がんや葬儀、墓についてまとめました。
この記事の目次
松原みきのプロフィール
松原みきのプロフィール
生年月日:1959年11月28日
没年月日:2004年10月7日(没年44歳)
出身地 :大阪府堺市平岡町
血液型 :O型
松原みき(まつばら・みき)さんは、1979年から1990年代にかけて活躍した歌手で、「真夜中のドア〜Stay With Me」、「ニートな午後3時」などのヒット曲があり、1970年代終わりから1980年代にかけて流行した「シティ・ポップ」の代名詞的な存在として知られています。
晩年は作曲家としても活躍し、特にアニソンの主題歌や挿入歌の作曲で人気を得ていましたが、子宮頸がんを患い44歳という若さで死去しています。
そんな松原みきさんのデビュー曲であり代表曲である「真夜中のドア」が、2020年後半から世界中でのリバイバルヒットを続けており、2023年の現在もYouTubeやSpotifyでの再生数を伸ばし続けており、大きな話題を呼んでいます。
今回はこの松原みきさんについて改めて紹介していきます。
松原みきの経歴
松原みきさんは1959年11月28日に大阪府岸和田市で生まれ、幼い頃に堺市平岡町へと家族で移住してそこで成長しています。
3歳の時にピアノを習い始め、ジャズシンガーだった母親の影響もあり幼い頃からジャズに親しみました。
地元の堺市立平岡小学校を卒業後、1972年に大阪市生野区にあるキリスト教系の私立校プール学院中学校に入学。
松原みきさんは中学時代からロックに興味を持つようになり、「愚麗」というロックバンドを組んでキーボードを演奏しています。
1975年にプール学院高等学校に内部進学し、高校時代は「吉野家バンド」というロックバンドでキーボードを担当。この頃は京都市の有名なライブハウス「磔磔(たくたく)」にも出演していました。
高校3年生に進学した1977年、松原みきさんはプロの歌手を目指し、文化女子大学附属杉並高等学校に転入して単身上京しています。
松原みきさんは上京後、米軍キャンプや都内のジャズやパブに飛び込みで歌う活動をはじめています。この当時、松原みきさんは米軍キャンプで暮らすアフリカ系アメリカ人の家族の家に居候していたという逸話もあります。
そして、六本木の有名なジャズライブハウス「バードランド」に飛び込みで歌った際、偶然居合わせたジャズピアニストの世良譲さんが、その歌を絶賛。これがデビューのきっかけになりました。
出典:https://castellamoon.cocolog-nifty.com/
20歳になる直前の1979年11月5日、松原みきさんは林哲司さん作曲の1枚目のシングル「真夜中のドア〜Stay With Me」をリリースしてプロ歌手としてデビューしました。
「真夜中のドア」はオリコンチャート最高順位28位、発売元のキャニオン・レコード発表で30万枚の大ヒットを記録し、松原みきさんはこの曲で各新人賞に輝きました。
1981年には5枚目のシングル曲「ニートな午後3時」が、その年春の資生堂キャンペーンソングとして起用されています。この曲は非常に高い技術を要求される難しい曲で、まだ若手歌手だった松原みきさんが天性とも言える高い歌唱力を持っていた事が良くわかります。
その後は、当時流行した「シティ・ホップ」を代表する歌手の1人として活躍し、1991年に歌手活動を休止するまでに、17枚のシングルと15枚のアルバムを発表しています。
1990年代以降は作曲家として幅広く活躍し、数々の名曲を残しましたが、2001年に子宮頸がんを告知され、3年半にわたる闘病の末に44歳という若さで死去しています。
松原みきのヒット曲「真夜中のドア〜Stay With Me」
松原みきさんのデビューシングルであり、最大のヒット曲でもある「真夜中のドア〜Stay With Me」が、2020年末に突如として世界中での大ヒットを記録し、2023年の現在も人気を集め続けています。
まずは、ポニーキャニオンの公式YouTubeチャンネルで「真夜中のドア〜Stay With Me」のリリックビデオが公開されているので紹介しておきます。
松原みきさんの「真夜中のドア」が世界中でリバイバルヒットするきっかけとなったのは、インドネシア出身の歌手で、影響力のある人気YouTuberでもあるレイニッチ(Rainych)さんが、自身のYouTubeチャンネルで2022年10月29日に同曲を日本語でカバーしこれが大きくバズった事でした。
これをきっかけにして、松原みきさんの「真夜中のドア」は、瞬く間に話題となり、2020年11月の時点で世界47か国のApple Music J-PopランキングTOP10入り、12月初めの時点で、Spotifyバイラルチャート「グローバル バイラルトップ50」のTOP3にランクインという前代未聞ともいえるスピードでの大ヒットを記録。
これがメディアで報じられるやその勢いはさらに増し、12月中に「真夜中のドア」は、Spotifyグローバルバイラルチャート1位へと上昇し、さらにそれから18日連続世界1位を記録しました。
「真夜中のドア」はその後もロングヒットを続け、Spotifyのグローバルバイラルチャートの上位をキープし2022年2月の時点ではApple MusicのJ-POPランキングで50カ国で1位を記録。2023年3月の現在はYouTubeの公式リリックビデオの再生回数が1950万回を突破。Spotifyではなんと再生回数が2億回に到達する勢いを見せています。(2022年2月時点で1億回を超えていたので、さらに1年で数千万回再生されている)
この記録的な大ヒットを受けて、再ブレイクのきっかけとなったYouTuber・Rainychさんの「真夜中のドア」のカバーも収録された2枚組のコンピュレーションアルバム「CITY POP Voyage-STANDARD BEST」が2021年3月21日にリリースされています。
同アルバムでは、「真夜中のドア」をRainychさんの他に、Ms.OOJAさん、今井優子さん、田中裕梨さん、中島愛さんがカバーしています。
さらに、2021年3月31日には、ポニーキャニオンから松原みきさんの1stアルバム「POCKET PARK」が重量盤LPレコードとして復刻販売されています。
さらに、2022年11月5日には、「真夜中のドア〜Stay With Me」の当時のミュージックビデオが、再編集され松原みきさんの公式YouTubeチャンネルで公開されています。
松原みきの家族…父親は実業家で母親は元ジャズシンガー
松原みきさんの家族については、歌手として活躍されていた頃のメディアインタービューや特集記事、テレビ出演時の発言などから、父親は実業家、母親は元ジャズシンガーである事が明かされています。
松原みきさんの父親が実業家としてどのような事業を展開されていたのかはわかりませんが、母親については、1960年代に絶大な人気を誇ったコミックバンド「クレージーキャッツ」と共演した事もあると明かされています。
松原みきさんはこの母親の影響で3歳からピアノを習いはじめ、幼い頃から音楽に親しんで成長されています。
松原みきの結婚した旦那はドラマーで歯科医師の本城真樹さん
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松原みきさんは1991年に歌手としての活動を休止された後、バックバンドのドラマーだった本城真樹さんと結婚されています。
松原みきさんの旦那さんの本城真樹さんについては、1953年生まれで松原みきさんの6歳年上、1975年に慶應大学経済学部を卒業後、東京歯科大学に入学し直して1984年に卒業。1986年に千葉県市川市大野で歯科医院「大野歯科」を開業されています。
松原みきさんの旦那さんの本城真樹さんは、慶應大学在学時からジャズ・ドラマーとして活躍しており、大学卒業後は在日アメリカ軍の横田基地で黒人のミュージシャンとバンド「ブッダ」を組んで活動されていました。「ブッダ」ではレコードデビュー直前まで行ったようですが、直前にメンバーの病気のために解散しています。
東京医科歯科大学入学後も音楽活動を続け、フォークデュオ「ブレッド&バター」や歌謡曲歌手の弘田三枝子さんのバックドラマーを務めています。
その頃に松原みきさんのバックドラムも担当する事になり、その縁で交際に発展し1990年代に結婚されています。
旦那さんの本城真樹さんは、松原みきさんが1991年に歌手活動を休止した後もプレイヤーとして音楽活動を続け、2004年に44歳で松原みきさんが死去した後もサックスカルテットのジャズバンドやタワーオブパワーのコピーバンドで活動されていたようです。
松原みきの旦那の本城真樹さんは2017年に64歳で死去
松原みきさんの旦那さんの本城真樹さんは、2017年に64歳で亡くなられています。死因は公開されていません。
松原は’04年に子宮頸がんのため44歳の若さで亡くなった。今回、本誌の取材で、歯科医の夫も4年前に亡くなっていることがわかった。
本城真樹さんが院長を務めていた大野歯科は、現在も別の院長によって運営されています。
なお、松原みきさんお旦那さんの本城真樹さんの顔画像などはネット上などには残されていません。当時のライブ映像やテレビ出演映像などでは確認できるようですが、こちらもネット上には残されていないようです。
松原みきの子供
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松原みきさんと旦那さんの本城真樹さんとの間に子供がいるという情報はありません。
松原みきさん本人も結婚や子供について語られた事は特になかったようです。
旦那さんの本城真樹さんが開業した歯科は現在は血縁の無い方が後を継がれているようなので、松原みきさんと本城真樹さんの間には子供がいない可能性が高いかも知れません。
松原みきは44歳で死去で死因は子宮頸がん
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松原みきさんは、 2004年10月7日に44歳という若さで死去しています。
死因は「子宮頸がん」と報道されています。
歌手松原みき(まつばら・みき)さんが10月7日、子宮頚(けい)がんのため死去していたことが14日分かった。44歳。大阪府出身。
松原みきの晩年は子宮頸がんで約3年半の間闘病しながらも作曲家として活躍
松原みきさんの晩年については、2001年に子宮頸がんを告知され3年半にわたって闘病生活を続けていた事が死去後に明かされています。
松原みきさんは子宮頸がんの闘病中も作曲家として精力的に音楽活動を続けており、数々の楽曲を残されています。
最近ではテレビアニメ「おジャ魔女どれみ」シリーズの挿入歌などの作曲を手掛ける一方、約3年間にわたって闘病を続けていた。
松原みきさんが作曲家としての活動中に残した楽曲で代表的なものを挙げると、ガンダムシリーズのオリジナルビデオ作品「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」の後期のオープニング曲「MEN OF DESTINY」、「機動戦士ガンダム0083 ジオンの残光」の主題歌「True Shining」、アニメ「ご近所物語」のオープニング「ヒ・ロ・イ・ン」、エンディング「DON’T YOU KNOW?」、劇場版エンディング「素直になって」、挿入歌として「Heart〜言葉にできない〜」、「探さなくちゃ」、「一緒にいようよ」などのアニメ作品の楽曲が多数あります。
特に晩年には、「おジャ魔女どれみ」シリーズの挿入歌の作曲を多数手掛けた他、特撮ドラマ「ウルトラマンガイア」の主題歌も担当されています。
また、松原みきさんは、アニメ作品や特撮の主題歌や挿入歌以外にも、高橋由美子さんや高橋克典さん、影山ヒロノブさん、前田達也さん、折笠愛さん、飯塚雅弓さん、三重野瞳さん、國府田マリ子さんらの楽曲も手掛けられています。
松原みきさんの作曲した楽曲は、公式部公開されているYouTube動画がないためここでは紹介できませんが名曲ばかりで、松原みきさんが作曲家としても素晴らしい才能を持っていた事がわかります。
松原みきの葬儀
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松原みきさんの死去が発表されたのは、2004年12月14日の事で、死去から2ヶ月後でした。
この時の報道では松原みきさんの葬儀についての情報は発表されておらず、おそらく家族や親しい関係者のみで執り行われたのだと思われます。
その後もファン向けのお別れ会なども行われておらず、葬儀に参列したという関係者からの言葉もネット上含めて確認できないため松原みきさんの葬儀については何もわかっていません。
また、死去発表当時、松原みきさんのオフィシャルフェスブックで、「後日東京でお別れ会を催したいと思っておりますので、企画整いましたら、オフィス・ロッキングチェアー山口より関係各位ご案内させいただきます」との告知がありました。
ただその後は続報がないため、一般のファン向けのお別れ会ではなく、関係者向けのものだったと思われます。
毎年松原みきさんを偲ぶイベント「松原みきNight」が開催されていた
松原みきさんの死去では、葬儀は関係者のみ、ファン向けのお別れ会も開催されていませんが、毎年、とあるDJの方が「松原みきNight」という松原みきさんを偲ぶクラブイベントを開催されていました。このイベントにはファンの方も訪れていたようです。
出典:https://livedoor.blogimg.jp/
こちらのイベントは2018年まで開催されていた事が確認できますが、現在も続いているのかは確認する事ができず不明です。
松原みきの墓
熱心なファンの方の中には、松原みきさんのお墓参りがしたいという想いを持たれている方も多いようです。
しかし、松原みきさんのお墓の場所は公開されておらず場所は不明です。出身地の大阪か東京都内、あるいは旦那さんの本城真樹さんが歯科医院を営んでいた千葉県市川市にあるのではないかとも言われていますが、いずれも推測です。
ちなみに、ネット上で故人にお線香をあげたりお供花ができるサービス「まいり」には、松原みきさんのページもあり年間延べ1万4000人の人がお墓参りがわりに閲覧しているようです。このサイトではコメントを残す事も可能で、多くの愛に溢れたコメントから松原みきさんがファンに愛されていた事がよくわかります。
松原みきのその他の楽曲
ここまで、松原みきさんの代表曲である「真夜中のドア〜Stay With Me」、「ニートな午後3時」の公式のYouTube動画を紹介しましたが、他の楽曲も名曲揃いです。
松原みきさんの楽曲のうち、いくつか公式から公開されているものを紹介しておきます。
愛はエネルギー
「愛はエネルギー」は、松原みきさんの2枚目のシングル曲です。西友のキャンペーンソングに起用され、関東地方では松原みきさんが出演する西友のテレビCMも放映されました。
BACK TO PARADISE、THE WINNER(機動戦士ガンダム0083の挿入歌)
松原みきさんは、自身のオリジナルアルバム、シングル曲以外に、「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」の挿入歌を多数歌っています。
「THE WINNER」と「BACK TO PARADISE」もその中の1曲です。ガンダムシリーズが好きな人なら聴いた事があるかも知れません。
この他にも松原みきさんの往年の名曲が、松原みきさんのオフィシャルYouTubeチャンネルで多数公開されています。シングル曲以外のアルバム収録曲も数多く公開されています。
まとめ
今回は、1979年から1980年代にかけて活躍した歌手の松原みきさんについてまとめてみました。
松原みきさんは19歳の時に「真夜中のドア〜Stay With Me」でプロの歌手としてデビューし、その天性の歌唱力で注目を集めました。
松原みきさんの家族は、実業家の父親と元ジャズシンガーの母親の存在が明かされていますが、その他の情報は特になく詳しい事は不明です。
松原みきさんは1990年代に歌手活動を休止後に、バックバンドのドラマーだった本城真樹さんと結婚されています。松原みきさんの旦那さんの本城真樹さんは音楽活動を続けながら歯科医としても活躍し、千葉県市川市で歯科医院を営まれていましたが、2017年に64歳で死去されています。
松原みきさんと旦那さんの本城真樹さんの間に子供がいるのかどうかは情報が公開されておらず不明です。ただ、子供はいない可能性が高いとみられています。
松原みきさんは、歌手活動の休止後は作曲家として活躍されていましたが、2001年に子宮頸がんを告知されます。晩年は闘病を続けながら作曲家として精力的に活動されていましたが、2004年10月7日に44歳の若さで死去しています。死因は「子宮頸がん」と発表されています。
松原みきさんの死去は2ヶ月後に発表されており、葬儀は家族や親しい関係者のみで行われたようです。また、ファン向けのお別れ会なども開催されませんでした。
松原みきさんのお墓の場所も公開されておらず所在不明です。
現在、松原みきさんのデビュー曲で最大の代表曲である「真夜中のドア〜Stay With Me」が世界中でリバイバルヒットしており、松原みきさんにも再び注目が集まっています。