富田京子さんはキュートなルックスがかわいかった「プリンセスプリンセス」の元メンバーですが、劣化したと話題です。
今回は富田京子さんの若い頃のエピソード、森純太さんとの関係、結婚した旦那や子供、乳がんなど現在をまとめました。
この記事の目次
富田京子は伝説のバンドの元ドラマー
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富田京子さんは「プリプリ」の愛称で親しまれる伝説のガールズバンド「プリンセスプリンセス」でドラマー兼作詞家として活躍していました。
数多くの大ヒット曲を世に送り出してきたプリンセスプリンセスですが、1996年に惜しまれながら解散。
ガールズバンドのパイオニアという異名を持つプリンセスプリンセスのメンバーだった富田京子さんのプロフィールを見ていきましょう。
富田京子のプロフィール
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富田 京子(とみた きょうこ)
愛称: きょんちゃん
生年月日: 1965年6月2日
出身地: 神奈川県横浜市
血液型: B型
身長: 非公開
プリンセスプリンセスの元ドラマーであり、楽曲の大半の作詞を手掛けた富田京子さん。
バンド活動とは別に、「とみたきょうこ」名義で作詞家として活動もしており、酒井法子さん、安達祐実さん、観月ありささん、平家みちよさんなど多くのアーティストに提供しています。
プリンセスプリンセスとは?
富田京子さんがドラマーとして参加していたプリンセスプリンセスは、1983年から1996年まで活動した5人組のガールズバンド。
結成後数年は目立ったヒットはありませんでしたが、1988年にリリースしたシングル「MY WILL」がスポーツ用品のCMに起用されたことで注目を集めました。
その後はリリースした作品が次々とヒットを飛ばし、7枚目のシングル「Diamonds」がミリオンヒットを記録。
一躍トップアーティストに上り詰め、伝説のグループの名を欲しいままにしていきます。
富田京子の若い頃① プリプリメンバーとして人気を獲得
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後列左側の女性が富田京子
まさに「一世風靡」という言葉がピッタリのプリンセスプリンセス。女性からの支持も厚く、「プリプリ」の名で親しまれてきました。
リリースした楽曲を見るとヒット作揃いで、いかに当時売れっ子だったかが明らかです、
そんなプリンセスプリンセスの人気がわかるエピソードを紹介します。
紅白すら辞退していた
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1980年代から1990年代は、音楽番組に出演することが1つのステータスとして考えられていました。
プリンセスプリンセスは、目標として「夜のヒットスタジオ」に出演することが成功の証だと考えていたそうです。
初出演が叶うと、スタジオでは電飾を施したお祝いがなされ、メンバー達は余計に緊張するはめになったそう。
その後、トップアーティストの仲間入りをしたプリンセスプリンセスは、1989年に日本有線大賞を受賞。
NHKからも紅白歌合戦への出演オファーが来たそうなのですが、既に予定がビッシリだったので断っています。
痛みとの闘いだった
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富田京子さんは2018年に公開されたネットでのインタビュー「The BodyCare Company」において、売れっ子だった時代について語っています。
過密スケジュールの中、常に頭も体もフル活動で毎日走りっぱなしのような感覚で、腱鞘炎やバネ指に悩まされるなと身体的にもボロボロでした。
仕事の合間を縫って病院へ駈け込んでも「安静にしてほしい」と言われるだけで、問題は解決しませんでした。
当時の富田京子さんは「休めないから病院に来ているのに」と、医者に対して腹立たしく思ったそうです。
当時を思い返し、まだミュージシャンが自分で体をケアする時代ではなかったことも影響していたと富田京子さんは分析しています。
休みたいけど休めない程、凄まじい人気だったということですね。
富田京子の若い頃② プリプリ解散
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プリンセスプリンセスが解散したのは1996年のこと。メンバー同士納得するまで話し合いを続けて出した結果でした。
富田京子さんは、自分は解散を止めることができなかったと後年明かしてします。ここでは、解散に関するエピソードを見てみましょう。
もしも電話が繋がっていたら?
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人気街道をひた走るプリンセスプリンセスでしたが、次第に、新たなことに挑戦したいメンバーと、これまでと同じようにバンドを続けたいメンバーと、考えが分かれるようになりました。
話し合いの結果、解散が決まりましたが、最後のアルバムの収録時に富田京子さんは、「やはり解散させてはならない」と考えたそう。
すぐにリーダーの渡辺敦子さんに電話をかけたのですが、外出していたのでしょうか、電話が繋がらなかったのです。
結局、解散をとどまるよう渡辺敦子さんに話をする機会をそのまま失ってしまったといいます。
そして1996年5月から6月にかけて日本武道館で、解散ライブを行ったプリンセスプリンセスはグループ活動を終了しています。
その後の2012年、東日本大震災の復興支援の一環として限定再結成が行われているだけになっています。
富田京子の元彼氏は森純太?名曲「M」の歌詞の内容
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富田京子さんには熱愛の噂がありました。その気になる噂の相手というのが森純太さん。
自身が書いたあの楽曲の歌詞は、元彼氏との過去を表現した富田京子さんの想いがこもっていると言われています。
「M」は元彼と別れたことで作られた楽曲
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2004年に出版した初のエッセイ集、「プリンセス・プリンセスだった! Wonderful Days of Princess Princess」の中で、名曲「M」について綴られています。
楽曲「M」は、富田京子さんが元彼氏と破局した際、ヴォーカルを担当する奥井香さんに勧められて、失くした恋を悲しむ女性の心理を表現する詞を書きました。
歌詞ができると奥井香さんが曲を作り、リリースしたところ大ヒット。まさにプリンセスプリンセスの代表曲と言われています。
当時の富田京子さんには「Mに仕返ししたい」という復讐の気持ちもあったそう。
楽曲が売れると「Mは誰なのか」と、ファンの間で憶測が流れるようになりますが、富田京子さんはMの正体について「墓場まで持って行きます」とコメントし、明かしていません。
Mは森純太説が浮上
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JUN SKY WALKERSの森純太
森純太さんは、1980年代から1990年代にかけて「JUN SKY WALKERS」のメンバーとして活動していました。
グループ解散後は、自身のレーベルを立ち上げ、音楽プロデューサーやDJなど幅広い活動をしています。
森純太さんと富田京子さんに面識があることは間違いないのですが、交際に発展したのかは明らかになっていません。
富田京子が結婚した旦那は一般人
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富田京子さんは既婚者です。気になる結婚相手の旦那とはどのような人なのでしょうか。
旦那の情報は非公開
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富田京子さんは2001年頃に結婚しました。旦那は一般人のようで、生年月日や画像などの個人情報は公開されていません。
富田京子に子供は息子が2人
2人の息子がいる
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富田京子さんは、2人の子供に恵まれています。2001年7月に長男の漣さん、2005年には次男の悠里さんを出産しています。
まだ息子達が小さい頃は、家族で遊びに出かけた時の後ろ姿の写真を自身のブログにアップしていました。
長男は2021年に20歳になる計算ですので、手はかからなくなっていることでしょう。
富田京子が劣化? かわいかったのに…という声も
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富田京子さんの若い頃は、プリンセスプリンセスの中でも1位2位を争うキュートなルックスで、アイドルにもなれそうだと言われていました。
2021年現在、55歳を迎えている富田京子さん。近年劣化しているとの噂もありますが、本当でしょうか。
少し太ったが、かわいらしさは健在
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近景を見る限り、少しふっくらしたようです。ネットでは「劣化した」「かわいかったのに」と色々書かれているようです。
確かに若い頃よりも顔がふっくらしていますが、色白の肌は瑞々しく、きめ細かい様子が画像からも窺えますし、変わらずキュートで年齢よりも若々しいですね。
劣化とまではいかないのではないでしょうか。
富田京子の現在① 乳がんと闘っている?
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富田京子さんには、いつからか乳がんの噂が浮上しています。身体は大丈夫なのでしょうか。
ピンクリボンアドバイザーとして啓蒙活動中
2017年9月に行われた「ピンクリボンふじさわ実行委員会」の立ち上げメンバーとして、イベントを仕切った富田京子さん。
どうやら自身が乳がんを患っているということは、現状なさそうですが、一緒に実行委員会を運営している歌手の麻倉未稀さんがかつて乳がんに罹った経歴を持っています。
実は富田京子さんは、NPO法人が認定している「ピンクリボンアドバイザー」の資格を持ち、2013年から継続して「積極的に受診しましょう」と、乳がんの啓蒙活動を行っています。
2020年からは新型コロナウイルスが拡大した影響で、病院に行くのも不安で受診を控える人が続出し、医療体制も逼迫状態です。
そのため、富田京子さんは2020年5月にブログを更新し、これまで通り乳がんの受診啓蒙を続けて良いのか悩んだこともあったと苦悩を明かしました。
病院に電話してみたところ、「通う病院と相談して欲しい、セルフチェックと併せて検討を」とアドバイスを受けたそうです。
ブログの最後を「コロナにも乳がんにも負けないで」とエールを送り、締めくくっています。
富田京子の現在② 母親として家族を見守っている
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富田京子さんは2人の息子がいますが、2021年に次男の受験が終わったことが明かされています。
サクラサク
2012年2月17日に自身のブログを更新し、中学校3年生の次男の1年を振り返りました。
コロナ禍の影響で塾が閉まり、所属していたバスケットボール部の試合も中止のまま引退。修学旅行もいけないまま、次男は卒業を迎えることになってしまったそう。
しかし、次男は見事に志望校に合格したようで、富田京子さんはブログで喜びを報告しています。
さらに、一般受験生に向けて「自分がやってきた時間を信じて、応援する人の力を信じて頑張ってください」と、エールを送っています。
まとめ
出典:https://thetv.jp/
富田京子さんはかつて、ガールズバンドのパイオニアとして知られる「プリンセスプリンセス」の元メンバーとして活動してきました。
1989年に「Diamonds」がミリオンセラーを飛ばすと、名実ともにトップアーティストの仲間入りを果たしています。
1996年にプリンセスプリンセスは解散。2000年頃に一般人男性と結婚し、専業主婦として家庭を支えてきたようです。
旦那との間には2人の子供に恵まれ、2021年に次男が高校受験で志望校に合格したことをブログで明かしました。
現在55歳の富田京子さん。ネットでは劣化したと噂されることもありますが、現在も乳がん検診の啓蒙活動を続けるなど生き生きと活動し、年齢よりも若々しく見えます。
いずれまたシンガーとして活動する日は来るのでしょうか。これからも富田京子さんを応援していきましょう。