上方落語を代表する落語家・桂ざこばさんが2024年6月に76歳で亡くなりました。
この記事では桂ざこばさんの若い頃の画像や経歴、物議を醸した「バーニング」発言、嫁の真弓さんとの結婚や関口まいさんら子供、溺愛していた孫や自宅、脳梗塞や現在、死因、葬儀についてまとめました。
この記事の目次
桂ざこばのプロフィール
桂ざこばのプロフィール
本名 :関口弘(せきぐち・ひろむ)
生年月日:1947年9月21日
没年月日:2024年6月12日(76歳没)
出身地 :大阪府大阪市西成区
身長 :163cm
血液型 :O型
桂ざこばさんは、中学卒業後の1963年に故・桂米朝さんに弟子入りして落語の世界に入り、2024年に76歳で亡くなるまで60年以上にわたって落語家として活躍された方です。
当初は桂朝丸を名乗り、1988年4月に2代目桂ざこばを襲名しました。1992年には上方落語大賞の大賞、2017年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞するなど、上方落語を代表する落語家でした。
テレビタレントとしても活躍し、「笑点」、「たかじんのそこまで言って委員会」、「探偵!ナイトスクープ」など多数の人気番組に出演し、落語ファンだけでなく幅広い層からの人気を集めました。
2024年6月、そんな桂ざこばさんが76歳で亡くなった事が報じられ悲しみの声が広がっています。
桂ざこばの若い頃① 暴力を振るい離婚した父親が自死の壮絶な生い立ち
桂ざこばさんの若い頃について見ていきます。
桂ざこばさんは、元大阪府警の父親の家庭に生まれました。しかしこの父親が警官を辞めて友人と始めた事業に失敗してギャンブルにハマって、桂ざこばさんの給食費にまで手をつけるようになり、嫁(桂ざこばさんの母親)にも暴力を振るうようになって両親が離婚します。
両親の離婚後、桂ざこばさんは父親に引き取られています。(当時は明らかに父親が悪い離婚であっても後と継ぎという理由で子供を手放さないケースがあった。また、経済的にも女手1つで子供を育てていくのは難しい場合が現在より多かった)
桂ざこばんさんはしばらくは父親と2人で旅館暮らしをしていましたが、小学2年生の時に父親が突然電車に飛び込んで自殺してしまい、その後は母親に引き取られて姉と3人で暮らすようになりました。
この頃は一時は生活保護を受けるほど生活が厳しかったそうで、桂ざこばさんは家計を助けるために小学5年生の時から大阪球場のアイスクリームの売り子と新聞配達、中学進学後はビールの売り子と百貨店での靴磨きの仕事をするようになりました。
その後、桂ざこばさんはミナミの繁華街の精肉店で配達のアルバイトをするようになり、この店の従業員宿舎に泊まり込みで働くようになって、学業よりも仕事を優先するようになっため、中学は不登校になってしまったのだそうです。
桂ざこばの若い頃② 中学卒業後に桂米朝に入門
桂ざこばさんは15歳の時、大阪の千日デパートにあった演芸場「千日劇場」で3代目桂米朝さんの落語「浮世床」を見た際に、桂米朝さんの後ろにオーラのような後光が差しているように見えたため、そのまま楽屋に押しかけて弟子入りを志願したそうです。
最初、桂米朝さんは「学校をサボるような子(桂ざこばさんは中学をサボって見に来ていた)は噺家にはなれん」と、弟子入りを認めませんでしたが、桂ざこばさんは諦めずに何日も桂米朝さんの元へ通い詰め、ついに桂米朝さんに呼ばれて「落語ができるか」と問われたのだそうです。
桂ざこばさんは元々笑いや落語が好きだったため、うろ覚えで「浮世床」の演目を我流で披露したところ、近くにいた弟子の桂小米さんが「師匠、弟子にとりましょう」と口添えしてくれ、入門させてもらえる流れに傾いたそうです。
ただ、桂米朝さんは当初、「これからの噺家は高校ぐらいは出てないかん」と難色を示し、桂ざこばさんは中学の出席日数が足りずに進学できる高校が1つもなかったため、入門の条件として「社会に出て世間の空気を吸ってみろ」と言われ、桂ざこばさんは中学の同級生の配線工事会社の息子に頼み込んで1ヶ月だけ働かせてもらい、これをもってようやく1963年5月に入門が許されました。
桂ざこばの若い頃③ ウィークエンダーなどテレビ番組出演で全国区に
桂米朝さんの弟子になって、高座名として「桂朝丸(かつら・ちょうまる)」と名付けてもらい落語としてデビューしました。
15歳で弟子入りし、前述の通り実の父親を幼い頃に悲惨な形で亡くしている桂ざこばさんにとっては、師匠の桂米朝さんはまさしく父親代わりのような存在で内弟子時代には落語以外にも様々な事を学ばれたそうです。
桂ざこばさんは入門3ヶ月後に慰問で京都の拘置所で「子ほめ」を演じたのが初舞台で、その1ヶ月後の1963年9月から1965年10月まで、「上方ばなし若手会」に加わって修行に励まれています。
その後、桂ざこばさんは1965年10月から放送された、桂米朝司会の大喜利番組「お笑いとんち袋」にレギュラー出演してテレビ番組にも出演するようになって知名度を上げ、1966年10月には入門3年目の若手ながら大阪・自安寺で「朝丸自身の会」という独演会を開いています。
桂ざこばさんは27歳だった1975年から日本テレビ系の全国番組「テレビ三面記事 ウィークエンダー」のレポーターとしてレギュラー起用され、その歯に衣着せぬ毒舌リポートが人気となり、桂ざこばさんはこれを機に全国区の知名度を獲得しました。
落語家としても人気を上げ、1981年3月13日にサンケイホールで開催した「桂朝丸独演会」は立ち見が出るほどの大盛況となっています。
1985年から86年にかけて、「上方お笑い大賞金賞」、「日本放送演芸大賞奨励賞」、「大阪府民劇場賞奨励賞」を受賞し、1988年4月に「2代目・桂ざこば」を襲名しました。
桂ざこばはバーニング発言でも話題に(北野誠舌禍事件)
桂ざこばさんは、「バーニング」という発言で話題になった事がありました。
2009年4月、タレントの北野誠さんが自身がパーソナリティを務めるラジオ番組「誠のサイキック青年団」やその他で不適切な発言をしたとして、所属する松竹芸能から無期限謹慎処分を下されました。
北野誠さんはレギュラー番組を全て降板となり、ブログも告知なしで突然閉鎖、さらに出演が決まっていたイベントも理由説明もなく突如中止になるなど、瞬く間に芸能界から追放されたような状態となりました。
北野誠さんが一体どのような不適切発言をしたのかなど、具体的な内容は一切説明されず、スポーツ紙やウェブ上では「北野誠さんが芸能界の大物を激怒させた」、「創価学会を批判した」などの憶測が飛び交う事態になりました。
こうした流れの中、2009年4月14日に桂ざこばさんは朝日放送のラジオ番組「元気イチバン!!芦沢誠です」(火曜日にレギュラー出演していた)の中で、「北野誠!がんばれよ!何を言うたんや、北野誠!」と突然発言。パーソナリティの芦沢誠アナウンサーが慌てて「何が聞きたいんですか、本当に…。先に進ませていただきますんで…」と、無視して番組を進行させようとしますが、ここで桂ざこばさんが唐突に「バーニング!」と叫んだのでした。
この桂ざこばさんの意味深な「バーニング」発言はネット上で話題になり、芸能界に絶大な力を及ぼすと言われている大手芸能事務所「バーニングプロダクション」を指しているのではないかとの見方が浮上しました。
このバーニングプロダクション代表取締役社長の周防郁雄さんは「芸能界のドン」とも呼ばれ、絶大な影響力を持っていると言われています。
この事から、北野誠さんがラジオ番組内でこの周防郁雄さんにとって何か都合の悪い発言をしてしまい、バーニングプロダクションからの圧力を受けて干されたのではないかという噂へと発展したのでした。
桂ざこばさんは、目上の存在や権力者に全く忖度しない言動で知られていたため、この説には妙な説得力がありました。
その後も、桂ざこばさんといえば、この「バーニング!」だとしてネット上ではよく話題にされています。
新潮の芸能プロパワハラ、ガチでエーライツだとしたらまた桂ざこばの「バーニング!」が聞けるかもしれない
— koh (@koh24nov_) November 21, 2018
小泉今日子と豊原功補の不倫交際について聞かれた桂ざこばが一言『バ、バーニング!』
— J-POP (@monkichi1984) February 2, 2018
桂ざこば「バーニング!」
— hound_suzuki (@hound_suzuki) July 18, 2015
桂ざこばの結婚は1972年で嫁は真弓さん
出典:https://www.sponichi.co.jp/
桂ざこばさんは1972年に一般女性の真弓さんという女性と結婚されています。
桂ざこばさんが、嫁の真弓さんが働いていた大阪ミナミのバーに客として訪れた際に見初めて口説き、出会ってからわずか4ヶ月で結婚を決められたそうです。
結婚されたのは1972年12月25日で、テレビ局とのタイアップで結婚式と披露宴も開かれて大きな話題になりました。
桂ざこばさんは自伝的エッセイ「ざこBar 酒とテレビと落語と〇〇」で、この結婚披露宴の時に、嫁の真弓さんの父親が泥酔して「実は私、娘のセミヌード写真を撮ったことがあるんですよ」と発言したとの内容を書いているのですが、これが事実ではないとして嫁の真弓さんが激怒し、一時は離婚危機になったとの内容も話題になりました。
実際には桂ざこばさんと嫁の真弓さんはおしどり夫婦だったようで、2人の子供でタレントの関口まいさんはインスタグラムで「ママとパパは、私の理想のカップルで。理想の夫婦」と綴られています。
桂ざこばの子供は娘が2人で次女はタレントの関口まい
桂ざこばの子供・関口まいのプロフィール
本名 :関口真衣(読みは同じ)
生年月日:1983年1月11日
出身地 :大阪府箕面市
身長 :154cm
血液型 :B型
桂ざこばさんと嫁の真弓さんとの間には子供が2人生まれています。
桂ざこばさんの1人目の子供は1976年に生まれた長女ですが、一般の方のため名前や顔画像、どのような方なのかは公開されていません。
桂ざこばさんの2人目の子供は、1983年1月11日に生まれた次女の関口まいさんです。関口まいさんはタレントとして活動しており、関西を中心に活躍されていました。
桂ざこばさんは、ギャンブルに溺れて家庭内暴力をふるった自身の父親を反面教師にして、子供2人をとても大切にされたようです。桂ざこばさんは生前、娘さんについて「何でも買うてやろうとした。甘やかしたね。良いか悪いか結果は分からへん」と語られていました。
桂ざこばさんの2人目の子供である関口まいさんは、2008年8月に桂三枝さんの弟子の落語家の桂三若さんと結婚し、2010年には桂ざこばさんにとって初孫となる子供(息子)も出産しています。
しかし、2011年3月に離婚されています。離婚の理由は価値観の違いによるすれ違い生活だという事でした。
落語家、桂ざこば(63)の次女でタレントの関口まい(28)と落語家、桂三枝(68)の弟子、桂三若(41)が今年3月に離婚していたことが18日、分かった。
関係者によると、2人は価値観の違いなどが積み重なり、昨秋からすれ違い生活に。昨年3月に誕生した長男、郁翔くん(1)の存在もあり、関係修復へ向けて話し合いを続けたが、今年3月に互いを尊重するために離婚を決断した。
桂ざこばは孫は2人で関口まいの子供の郁翔さんとは2人旅も
桂ざこばさんには孫が2人います。
桂ざこばさんの1人目の孫は、上でも触れたように次女の関口まいさんの子供で、2010年3月に生まれた男子・郁翔(いくと)さんです。
桂ざこばさんの2人目の孫は2010年9月に誕生した長女の子供です。2人目の孫については性別か名前は明かされていません。
桂ざこばさんの1人目の孫である郁翔さんは、関口まいさんのSNSで顔出しでよく登場しています。
桂ざこばさんは孫をとても可愛がられているようです。特に孫の郁翔さんはおじいちゃん子のようで、2022年に関口まいさんのXで、桂ざこばさんと郁翔さんが2人で旅行に行っていた事が明かされています。
息子と父が無事に沖縄旅行から帰ってきました。初めての男2人旅✈️珍道中だったと思います。お迎えに行った私は2人の顔をみて泣きそうになりました。お爺ちゃんの面倒をよくみた息子への感動と。念願だった孫との2人旅ができたこと、嬉しかっただろうなぁと父に対する思いで…。続く https://t.co/NqDhWrbULU
— 関口まい(スタッフも管理しています) (@maisekiguchi) October 15, 2022
さらに、孫の郁翔さんは「お爺ちゃんと僕」というアカウント名でXを利用していて、桂ざこばさんとの仲の良さそうな日常をポストされていました。
久しぶりにおじいちゃん達と焼肉行きましたー!美味しかった😋#桂ざこば #おじいちゃん #焼肉 #美味しい pic.twitter.com/IPk7OSSf30
— お爺ちゃんと僕 (@ikuto_ikuzen) June 9, 2023
今日は僕の13歳の誕生日でした。お母さんが仕事からかえってきてからおじいちゃんとおばあちゃんとお母さんと4人でお誕生日のお祝いでご飯食べに行ってきました!帰りにおじいちゃん家でケーキでお祝い#13歳 #お誕生日 #おじいちゃん #桂ざこば #おばあちゃん #お母さん #関口まい #お祝い #ケーキ pic.twitter.com/lW53s1fK0e
— お爺ちゃんと僕 (@ikuto_ikuzen) March 25, 2023
桂ざこばさんも、孫の郁翔さんが可愛くて仕方がなかったのではないかと思います。
桂ざこばの自宅
出典:https://presidenthouse.net/
桂ざこばさんの自宅は吹田市の閑静な住宅街にある戸建ての豪邸です。
出典:https://presidenthouse.net/
桂ざこばさんの自宅ば場所は吹田市の津雲台という場所で高級住宅街として知られています。
桂ざこばの現在① 2017年に脳梗塞、2021年からは喘息等で入退院を繰り返していた
桂ざこばさんは2017年5月27日に、稽古に向かう途中に体調が悪化し、病院で検査した結果、塞栓性脳梗塞や左中大脳動脈閉塞症と診断を受けて緊急入院しました。
落語家の桂ざこばさん(69)が塞栓性脳梗塞などと診断され、大阪市内の病院に入院したと、所属事務所が28日発表した。舞台やテレビのレギュラー番組、落語会などは当面、出演を見合わせる。 事務所によると、ざこばさんは27日、6月1日から始まる大阪松竹座(同市中央区)の公演「銀二貫」の稽古に向かう途中、体調が悪化。病院で検査した結果、脳梗塞に加え、左中大脳動脈閉塞症と診断された。
この脳梗塞での入院では手術の必要はなしと判断され、桂ざこばさんは2ヶ月ほどで無事退院して仕事に復帰されています。
桂ざこばさんはヘビースモーカーでしたが、この脳梗塞をきっかけに煙草をやめられています。ただ、長年の喫煙の影響により、ぜんそくの症状が出ていました。
2021年11月6日、桂ざこばさんは高座後に体調不良を訴え、12月1日にはぜんそくとCOPDを併発した事を明かされています。
その後も、桂ざこばさんの体調は安定せず、2021年から2023年にかけても何度も入退院を繰り返している事が本人の口からしばしば語られていました。
昨年11月に持病のぜん息に慢性閉塞性肺疾患(COPD)を併発して入院し、同12月に復帰した落語家の桂ざこば(74)が3日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで行われた「米朝一門会」に出演し、昨年末まで再入院していたことを明かした。
桂ざこばの現在② 76歳で自宅で死去したと発表
桂ざこばさんは2024年6月11日に76歳で亡くなっています。
2017年に脳梗塞で倒れた後、ぜんそく、COPDなどの症状もあり体調が安定せず何度か入院もされていた桂ざこばさんでしたが、その中でも高座やテレビ出演を続けられていました。
しかし、2023年秋頃からさらに一段体調を崩し入退院を繰り返していたという事です。
昨秋から不調に悩まされていた。1月3日の新年恒例「米朝一門会」では、弟子塩鯛、孫弟子米紫とトークショーに参加したのみで、ネタは演じず。「(昨年)10、11月と入院退院の繰り返し。
桂ざこばさんはその後、2024年4月30日に弟子の桂ひろばさん、桂ちょうばさん、桂そうばさんの襲名発表会見にも師匠として出席しましたが、これが公に姿を見せた最後となりました。
その1ヶ月半後の6月11日の夜、桂ざこばさんは自宅で倒れて意識を失い、嫁の真弓さんが救急車を呼んだものの、日付が変わった12日の午前3時14分にそのまま自宅で亡くなったという事です。
上方落語家の桂ざこば(かつら・ざこば、本名関口弘=せきぐち・ひろむ)さんが12日午前3時14分、ぜんそくのため、大阪府吹田市の自宅で死去した。
桂ざこばの死因はぜんそく
桂ざこばさんの死因は「ぜんそく」と発表されています。
落語家の二代目桂ざこばさんが12日、76歳で死去したのはぜんそく(喘息)のためだった。
桂ざこばさんの事務所の発表によると、桂ざこばさんは11日の夜に自宅で夕食を摂った後、いつもと同じように就寝したという事ですが、その後ぜんそくの発作に見舞われ、嫁の真弓さんに「薬ちょうだい」と言っていつもの薬を服用した後に意識を失ったという事です。
嫁の真弓さんが救急車を呼びましたが、そのまま回復せず亡くなられたという事でした。
桂ざこばの葬儀
出典:https://encrypted-tbn0.gstatic.com/
桂ざこばさんの葬儀は、2024年6月14日に自宅のある吹田市内の斎場(公益社千里会館)で執り行われました。師匠である桂米朝さんの葬儀が行われたのと同じ斎場だという事です。
葬儀は親族と一門の関係者のみの密葬の形式で執り行われています。喪主は次女の関口まいさんが務められたとの事でした。
後日、お別れ会が行われる事も発表されています。
まとめ
今回は、上方落語を代表する落語家として60年以上にわたって活躍し、2024年6月に12日に76歳で亡くなった桂ざこばさんについてまとめてみました。
桂ざこばさんの若い頃は、中学卒業後に桂米朝さんに弟子入りして落語家となり、27歳の時に「ウィークエンダー」のレポーターに起用されると、歯に絹着せぬ物言いや愛嬌のあるキャラクターで全国区の人気を得ました。
桂ざこばさんは1972年に真弓さんという一般女性と結婚し、2人の子供も生まれています。桂ざこばさんの子供のうち次女はタレントとして活躍されている関口まいさんです。
孫も2人誕生していて、特に関口まいさんの子供の郁翔さんはおじいちゃん子で2人で旅行をしたり、食事に行ったりされていました。
桂ざこばさんの自宅は、大阪府吹田市津雲台の閑静な高級住宅街にある豪邸です。
桂ざこばさんは2017年に脳梗塞を発症して入院し、2021年頃からはぜんそくとCOPDを併発して入退院を繰り返しており、死因も「ぜんそく」と発表されています。
桂ざこばさんは2024年6月12日に76歳で亡くなり、現在は悲しみの声が広がっています。葬儀は吹田市の公益社千里会館で密葬(家族葬)の形式で執り行われました。