ネットフリックスの「極悪女王」が人気になり、極悪女王に登場する往年の女子プロレスラーが再注目されるようになりました。その1人がジャンボ堀さんです。
ジャンボ堀さんのプロフィールや身長、若い頃からの経歴、昔のヌード写真集、大森ゆかりさんとの引退試合や結婚した旦那や子供と現在をまとめました。
この記事の目次
ジャンボ堀は女子プロレスラー
出典:youtube.com
ジャンボ堀
生年月日:1962年9月25日
出身:東京都武蔵村山市
身長:180cm
所属:元全日本女子プロレス
活動:女子プロレスラー
ジャンボ堀さんは女子プロレスラーです。全日本女子プロレスでデビューし、大森ゆかりさんと「ダイナマイト・ギャルズ」というタッグチームを組んで人気レスラーになりました。
1985年に一度は現役を引退したものの、フリーとして現役に復帰し、「孫がいても現役のおばあちゃんレスラー」として不定期に活動していたこともあります。また、極悪女王では安竜うららさんがジャンボ堀さん役を演じたことで、再び注目を集めることになりました。
ジャンボ堀の身長
ジャンボ堀さんの身長は公称180cmです。しかし、実際は身長175cmとのこと。なぜ、身長の公称180cmにしたのか?それは会社の命令があったからです。
以前のインタビューで、「「デビュー当時)身長175cmだったが会社の命令で180cm、80kgを自称させられた」と答えていました。おそらく、身長175cmよりも180cmにした方が、「ジャンボ」っぽさが出ると思ったのかもしれません。
オーディションの時には身長172cmでしたが、審査員のジャッキー佐藤さんに「172cmもないでしょ」と言われて、言い返し、2人で並んだら、公称173cmのジャッキー佐藤さんよりも高かったそうです。
「審査員のジャッキーさんがプロレスラーだと知らなくて、私の履歴書を見て『172もないでしょ』って言うんで、『すいませんけど、身長おいくつですか? 上げ底(の靴を)はいてるじゃないですか!』って言い返しちゃった(笑)。ヒールを脱いだジャッキーさんの横に並んだら、私のほうが高かった」
オーディションを受けた時は15歳。デビューは16歳ですから、1年間で3cmも身長が伸びたんですね。一般的に女性は15歳になったらほとんど身長は伸びませんが、ジャンボ堀さんは元々身長が高いので、伸び続けていたんですね。
ジャンボ堀の若い頃からの経歴
ジャンボ堀さんの若い頃からの経歴を見ていきましょう。
プロレスデビューまで
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ジャンボ堀さんは、15歳の時に全日本女子プロレスのオーディションがフジテレビで開催されることを知り、「アイドルに会えるかも」という気持ちから、オーディションに応募します。そして、なんと一発合格しました。
最初から「どうしても女子プロレスラーになりたい」というわけではなくて、「アイドルに会える」という思いから、女子プロレスラーになったんですね。しかも、オーディション前にバレーボールのスポーツ推薦で高校進学が決まっていたそうです。
しかも、中学生の時はバレーボール一筋でテレビを見ていなかったので、プロレスのことをほとんど知りませんでした。それでも一発合格したのは、プロレスラーの才能と適性があったからでしょう。
ただ、オーディションに合格した後、デビュー前に足首を複雑骨折してしまったため、同期よりもデビューは遅れてしまいます。同期のデビル雅美さんは1978年8月にデビューしましたが、ジャンボ堀さんがデビューしたのは1978年12月2日のことでした。
デビュー後
同期よりも遅れてデビューしたジャンボ堀さんは、翌年の1980年に1年後輩たちが参加する新人王決定トーナメントに参加して優勝します。
17歳の時には世界に通用する身長とルックスを買われて、刑事コロンボのピーター・フォークが主演した映画「カリフォルニア・ドールズ」に出演しました。
また、同年12月には横田利美さんとタッグを組んで、第72代WWWA世界タッグ王座を獲得(その後横田の意向で返上)し、翌年にはナンシー久美さんと組んで第73代WWWAタッグ王者になりました。
デビューして数年でWWWA世界タッグ王者になったなんて、それだけ実力があったということでしょう。
大森ゆかりとダイナマイト・ギャルズ結成
1983年になると、ジャンボ堀さんは大森ゆかりさんと「ダイナマイト・ギャルズ」というタッグチームを組んで、第76代WWWA世界タッグ王者に輝きます。
このダイナマイト・ギャルズはライオネス飛鳥さんと長与千種さんのタッグチーム「クラッシュ・ギャルズ」とライバル関係であり、女子プロレスブームを支えました。
1983年8月には、クラッシュギャルズの挑戦を退けますが、クラッシュギャルズファンからは大ブーイングを浴びます。それでも、試合内容はレベルが高く、正統派のものでした。その後も、ダイナマイト・ギャルズは防衛を続け、ダンプ松本さん率いる極悪同盟も退け、最強王者としての実力を発揮します。
ダイナマイト・ギャルズは大ブーイングを浴びたが、試合は正統派そのもので、試合の熱気とレベルは一気に向上。クラッシュを3度退け、ダンプ松本率いる極悪同盟も撃破して実に7度の防衛に成功。
1985年8月に、後楽園ホールでクラッシュギャルズに敗北するまで、7回の防衛に成功しました。
全日本女子プロを引退
ダイナマイト・ギャルズとして人気・実力ともに申し分ない実績を残していたジャンボ堀さんですが、1985年になると、持病の腰痛が悪化して、思うような試合ができなくなります。
そのこともあり、1985年12月に結婚を理由に引退することになりました。本人は、「まだできる」と思われながら引退したかったとのことです。
大活躍した先輩が肩たたきで引退したのを見てきたので、私は『まだできるのに……』と思われる状態で辞めたかった。
当時、全日本女子プロレスは25歳定年制でしたが、23歳での引退は本当に早いですよね。それだけ、腰の状態が悪かったのでしょう。
引退後の活動
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23歳で寿引退をしたジャンボ堀さんは、その後結婚生活・育児などを優先していて、女子プロレスからは距離を置く生活をしていました。
しかし、1998年8月に行われたOGマッチ「メモリアル・オールスター戦〜あの時、君は強かった!!」に現役時代から交流が続くダンプ松本さんや大森ゆかりさんと共に発起人として参加。さらに、2005年にはLLPWの「立野記代25周年記念バトルロイヤル」にも参加しています。そして、その後はフリーとして現役復帰しました。
2007年には孫が誕生していますので、「おばあちゃんレスラー」です。孫がいるおばあちゃんレスラーは日本初とのこと!すごいですね。
ジャンボ堀は昔にヌード写真集を出していた
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ジャンボ堀さんは、1984年にヌード写真集「チャンピオン・ハイウェイ」を出版しました。
ただ、ジャンボ堀さんは、最初はヌードになるとは思っていませんでした。しかし、おそらく企画段階でジャンボ堀さん以外の関係者はヌード写真集にすることを考えていたのでしょう。
だから、撮影時はジャンボ堀さんが脱がないと終わらない雰囲気になり、出版前のネガチェックの時もヌードを省いていたのに、結局はヌード写真集として出版されたそうです。
事前に『ヌードはないよね?』と念を押したら、『あるわけねぇだろ!』と言われていたんです。ところが、撮影現場で“脱がないと終われない”状況に追い詰められて、仕方がないから脱いで……。ネガチェックでヌードは省いたのに、電車の中吊りに『ジャンボ堀、ヌード!』って出ていてビックリ! 会社に猛抗議したら、『袋とじになってるから大丈夫だよ』って、訳わかんない言い訳をされた(笑)
こんなこと、現代で起こったら訴訟になりますよね。大きな社会問題になり、その出版社はバッシングされるはずです。ただ、この頃はいわゆる「大人たち」の力が強く、1人の女子プロレスラーの意見なんて無視される状態だったのだと思います。
ジャンボ堀の引退試合は大森ゆかりが相手を務めた
ジャンボ堀さんは、1985年12月に大田区体育館で引退試合とセレモニーを行いました。
この引退試合でジャンボ堀さんの相手を務めたのが、ダイナマイト・ギャルズでタッグを組んでいた大森ゆかりさんです。大森ゆかりさんとジャンボ堀さんは仲が良く、引退後も連絡を取り合っていた親友関係でした。
ただ、大森さんはこの時、ケガをしていて、とてもプロレスの試合ができる状態ではなかったんです。それでも、親友のジャンボ堀さんが引退するということで、ケガを押して、ジャンボ堀さんの花道を作り上げました。
ちなみに、大森ゆかりさんとは2005年に後楽園ホールで行われたLLPWの「立野記代25周年バトルロイヤル」で合体攻撃を見せるなど、ジャンボ堀さんと大森ゆかりさんのタッグは21世紀になっても健在のようです。
ジャンボ堀は若い頃に結婚!旦那は力士
ジャンボ堀さんは23歳の若さで結婚しています。持病の腰痛が悪化したこともありますが、ジャンボ堀さんがプロレスを引退した表向きの理由は「結婚」です。寿引退ですね。
ジャンボ堀さんの馴れ初めや旦那さんについてみていきましょう。
2人の馴れ初め
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ジャンボ堀さんの旦那さんは、5歳年上の高砂部屋の力士でした。
20歳の時に大森ゆかりさんに誕生日を祝ってもらうために六本木のお店に行ったら、大森さんが店を間違えてしまったんです。そこにいたのが、未来の旦那さんを含む力士グループで、意気投合しました。お互いに「格闘技をやっている」ということで、通じ合う部分があったのでしょう。
ジャンボ堀さんが「明日、東京で試合なんです」と伝えると、旦那さんは応援に来てくれたそうです。そこから交際がスタートしました。
ただ、お互いに地方遠征が多くて、なかなかデートらしいデートは出来ませんでした。
両手いっぱいの10円玉に両替えして、公衆電話から部屋にかけたり。彼が負担してくれて、コレクトコールを頼んだり。デートらしいデートはしなかったかも
「両手いっぱいの10円玉」なんて、今では考えられないような胸キュンの恋愛ですよね。
当時の全日本女子プロレスは「男、酒、たばこ」を禁じた「3禁」でしたが、ジャンボ堀さんは人気実力ともに申し分なかったので、会社も恋愛を黙認していたとのことです。
結婚を理由に引退
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全日本女子プロレスは「3禁」でしたので、「寿引退」というのはあり得なかったのですが、ジャンボ堀さんは「恋愛を黙認されていて、全日本女子プロレス初の寿引退をしました。
引退後は夫婦でちゃんこ屋を経営
結婚して引退したジャンボ堀さんは、夫婦でちゃんこ屋さん(酒どころ)をオープンし、店を切り盛りして生活していました。また、生活費のために、パン屋さんでバイトをしたり、保険の営業をしたりしていたとのこと。
中学を卒業後にすぐに女子プロレスの道に入り、そこから結婚して、お店を経営していたので、外で働くのは楽しかったそうです。確かに、外で働くと、世界が広がったように感じたのかもしれませんね。
子宮頸がんをきっかけに離婚
高砂部屋の力士の男性と結婚したジャンボ堀さんですが、41歳の時に離婚しています。離婚した原因は、ジャンボ堀さんの子宮頸がん発覚だったそうです。
子宮頸がんが見つかり、ジャンボ堀さんが「私、死んじゃうの?」と不安になって、旦那さんに話したら、「お金はないからお父さんに言って」と言われてしまったそうです。
子宮頚がんが見つかって。『私、死んじゃうの?』って頭の中が真っ白なのに、元ダンナからは『俺は(経営難で)お金ないから、お父さんに(治療費の工面を)言えば?』って言われ……。この人に頼らないで生きていこうと決めました」
ガンが発覚してショックを受けている時に、お金のことを言われ、しかも「自分はお金がないから、治療費は父親に言え」と言われたら、即離婚したくなる気持ちはわかります。自分が苦しい時に支えてもらえないなら、家族でいる必要はないですよね。
ジャンボ堀の子供は2人
ジャンボ堀さんには子供が2人います。2人とも女の子です。
長女は1987年生まれなので、2024年で37歳。次女は1991年生まれなので、2024年で33歳になります。長女の息子は高校2年生、次女の息子は3歳とのこと。
長女は学生時代はバレーボールをやっていて、全国大会クラスの強豪校だったとのこと。長女もジャンボ堀さんに似て、身長が高いのでしょう。父親も元力士ですから、身体は大きかったはずですし。
次女もそのDNAをしっかりと受け継いでいるようで、次女の息子は2歳にして小学生並みの体格をしているそうです。
「今は2歳の孫が可愛くって仕方ない! すごくデカくて、服のサイズが110センチ、靴が18センチと小学生並み。運動神経が良くて、走り回ってます」
身体が大きくて運動神経が良いなら、将来はスポーツ選手になるかもしれませんね。
ジャンボ堀の現在:極悪女王の構成に参加
ジャンボ堀さんは現在も引退はしていませんが、事実上は引退状態になっています。
2020年からは放送作家の鈴木おさむ氏が経営する「メシ酒場 鈴木ちゃん」で働いていて、その縁でネットフリックスのドラマ「極悪女王」の構成も手がけました。
鈴木氏が関わっている縁から、後輩の悪役プロレスラー・ダンプ松本(62)の半生を描いたNetflixドラマ「極悪女王」の構成などを手伝っている。
また、ブル中野さんやジャガー横田さんのYouTubeにも出演して、全女時代の話や極悪女王の裏話などを話していました。YouTubeを見ていると、ジャンボ堀さんは明るくてとても気さくな方だとわかります。
ジャガー横田さんのYouTubeでは鈴木おさむさんの女子プロレス関係の番組が人気になり、そこからみんなで話をしていた時にパッと閃いて、話を鈴木おさむさんがネットフリックスに持っていったら、極悪女王の話がトントン拍子に進んだと話していました。
ジャンボ堀さんは極悪女王の産みの親と言える存在なのかもしれません。
ジャンボ堀のまとめ
ジャンボ堀さんのプロフィールや身長、若い頃からの経歴や昔のヌード写真集、大森ゆかりさんとの引退試合、結婚した旦那や子供と現在をまとめました。
ネットフリックスのヒットドラマ「極悪女王」はジャンボ堀さんなしでは生まれなかったのかもしれません。