民主党所属の現役議員が自宅前で殺害された2002年10月に起きた石井紘基刺殺事件ですが、謎が多く、暗殺説や黒幕が話題です。
今回は石井紘基さんの経歴や嫁と子供、事件の経緯や犯人の、暗殺説や黒幕など残る謎、判決をまとめました。
この記事の目次
石井紘基は自宅前で刺殺された衆議院議員
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石井紘基さんが亡くなったのは、2002年10月25日のこと。民主党に所属する衆議院議員が殺害されたというショッキングな事件として、大きなニュースになりました。
犯人が逮捕された後も、謎が多い事件として、テレビのドキュメンタリーや書籍で事件に関する取材をするメディアが後を絶ちません。
まずは、事件の概要と石井紘基さんがどのような人物だったのか見ていきましょう。
事件概要
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民主党に所属する石井紘基議員は、東京都世田谷区の自宅ガレージの外に停めてあった公用車に乗り込もうとしたところ、頭にバンダナを巻いた男に包丁で刺されて殺害されました。
犯人は右翼団体「守煌塾」の代表を務める伊藤白水。自分がやったと警察に出頭し、逮捕されています。
裁判において、動機があまりにも曖昧過ぎると指摘されるものの、明確にされないまま刑が確定しました。
その他にも、石井紘基さんの亡くなった状況に不自然な点が多いことが注目を集め、各メディアが継続的に事件を追ったことで新たな供述を引き出し、更に新たな謎も浮上しています。
石井紘基のプロフィール
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石井 鉱基(いしい こうき)
生年月日: 1940年11月6日
没年月日: 2002年10月25日 (61歳)
出身地 : 東京都世田谷区
最終学歴: モスクワ大学大学院卒業
1993年に行われた第40回衆議院議員総選挙において、日本新党から旧東京3区で出馬し初当選。翌年、羽田内閣において総務政務次官に就任しています。
その後、「国民会計検査院-国会議員の会」を創設し、代表を務めていました。
石井紘基の経歴や家族(嫁と子供)
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ここからは石井紘基さんの経歴について見ていきましょう。
日本で学生運動が盛んに行われていた激動の時代、石井紘基さんも学生として参加していました。
政界を目指したのは安保闘争がきっかけ
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石井紘基さんは東京都世田谷区生まれです。
中央大学に進学した後は、社会党の活動に参加したり、大学の自治会長委員を務めるなど、いつしか学生運動のリーダーとして頭角を現していきました。
そして安保闘争に参加して、国会に突入するデモ隊の先頭で経緯を冷静に見ていたそう。
国会議員が我先にと逃げ出す中でただ1人、日本社会党書記長の江田三郎議員だけはデモ隊の学生の先頭に赴き、警察官を押さえようと必死になっていました。
この江田三郎議員の様子を見たことがきっかけで、石井紘基さんは政界を目指すことを決意したのです。
留学先で嫁との出会いがあった
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嫁の石井ナターシャ
石井紘基さんは中央大学卒業後、早稲田大学大学院法律研究科へと進み、大学院を卒業後はモスクワ大学大学院へと留学しました。
留学先で出会ったナターシャさんとその後、結婚しています。2人の間には、子供が1人誕生しました。
1人娘は1972年5月15日に誕生しています。名前は石井ターニャさんと言います。成長後、衆議院議員の落合貴之さんの秘書を務めたことがあります。
石井紘基さんはモスクワ大学を卒業すると日本に帰国、政治家としての道を進み始めることになります。
国会の爆弾発言男として活動
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1993年に出馬した衆議院議員総選挙で初当選を果たし、政治家としての活動を始めた石井紘基さん。具体的にどのような政策に関わっていたのかを紹介します。
石井紘基さんは「国会の爆弾発言男」と呼ばれていました。
「日本政府の不正や税の無駄遣いを許すまじ」という姿勢で、独自で調査を進めています。
例えば1997年11月、年間約2兆円にのぼる防衛庁の装備品発注が不正に行われていたという事実を突き止め、マスコミを上手くリードして東京地検の強制捜査に発展させています。
防衛庁の本部長と副本部長が結託して、メーカーと癒着し職員の天下り先確保してきたことが明らかにされました。
当時の防衛庁長官を務めていた額賀福志郎氏が責任を負い、辞任に追い込まれています。
1999年には、「民主党有志の会(通称・国会Gメン)」室長に就任しました。
バトル・ロワイアルの上映規制を求める
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2000年には、映画「バトル・ロワイヤル」の公開を巡り、「青少年に悪影響を与える」という理由で国会において上映の規制を求めた石井紘基さん。
映画「バトル・ロワイヤル」は、高見広春さんの同名漫画が原作で、全国の中学校3年生の中から選ばれた生徒たちが、無人島に集められて制限時間3日間で殺し合いを行うという物語です。
映画が公開された2000年と言えば、西鉄バスジャック事件など少年犯罪が頻発し、社会問題として取り沙汰されていました。
こういった背景から、石井紘基さんは映画公開の規制を試みたのですが、政府の見解を求める質疑がマスコミで大きく報道されたことで却って映画が話題に。
結局、映画は公開されて興行収入30億円を越える大ヒット作品になりました。
2003年には「バトル・ロワイヤル2【鎮魂歌】」、2010年11月には「バトル・ロワイアル3D」が上映されています。
石井紘基刺殺事件の犯人は伊藤白水
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事件翌日に出頭した犯人は伊藤白水と名乗る48歳の男でした。
山口組系右翼団体代表を務めており、活動家の間では「一匹狼的な武闘派」という異名で知られていたそうです。
自供によると、石井紘基さんと面識があったことを匂わせています。
金銭トラブルで逆恨みを自供
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犯人の伊藤白水
伊藤白水によると、石井紘基さんとは顔見知りで、周囲には「石井は俺が当選させてやった」と得意げに話していたという証言があります。
別の議員秘書には「石井には貸しがある」と話していたことから、友人や知人という関係ではなく、何かしら利害関係があったと思われます。
1988年から東京都世田谷区奥沢にあるアパートに居住していましたが、3年間で家賃200万円を滞納していました。
2002年に家主から家賃の支払いを求められた伊藤白水は、石井紘基さんに肩代わりを依頼したものの、断られています。
結局退去せざるをえなくなり、家を失くしたことで新宿の路上で寝泊まりする生活になったようで、石井紘基さんを恨んでいたそう。
石井紘基刺殺事件の犯人・伊藤白水の裁判と判決
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犯人の伊藤白水は、事件翌日に自身で警察に出頭し、裁判で容疑を認め、殺害動機も黙秘することなく詳細に語っています。
2004年に行われた東京地裁での第1審は無期懲役を求刑されますが、伊藤白水はこの判決を不服として最高裁まで争われました。
動機が論点になった
裁判の論点になったのは犯行の動機です。
既に紹介しましたが、伊藤白水はアパートの滞納金の肩代わりを石井紘基さんに依頼して断られたことに恨みを持ったと供述しました。
しかし、裁判所はそれが本当の理由なのかと疑問を持ち、第1審では「理由が信用できない」と異例のコメントを出しています。
同じ疑問を警察側でも抱いたと考えるのが普通ですが、警察側は詳しい聞き取り調査を行った様子は見られませんでした。
結局、2005年11月に最高裁で無期懲役の判決が下されて、多くの謎を抱えながらも一応決着が付いたのです。
石井紘基刺殺事件の暗殺説① 殺害方法が素人離れしていた
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石井紘基さん殺害には謎が多いと言われており、怨恨による殺人だと犯人は自白していますが、暗殺説が囁かれています。
実は、単純に刺されたという情報だけでは見えてこない事実があります。
その1つに、あまりにも無駄のない犯人の動きが、怨恨で思いつめた挙句の犯行とは考えにくいとして、不審がられたのです。
一突きで仕留めていた
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事件当日、石井紘基さんを迎えに来た公用車の後ろに潜んでいた伊藤白水が襲い掛かりました。
気が付いた石井紘基さんは「何をするんだ」と叫び、逃げようとしたところ、うつぶせに転倒してしまいます。
そこに追いついた伊藤白水は、石井紘基さんの肩を掴んで仰向けにし、馬乗りの状態で刃渡り20cmの柳刃包丁で左胸を一突きしています。
すぐに救急車で搬送されましたが、肺に繋がる血管が切断されており、心臓マッサージしようにも、心臓内に血液が一滴も残っていませんでした。
さらに、顎の骨は刃物の一撃で砕かれていたとのこと。
石井紘基さんが抵抗している状態で一突き、かつ救命不能の状況に持って行くことができた難易度の高さから、暗殺説が浮上しました。
石井紘基刺殺事件の暗殺説② 世田谷区長の証言
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世田谷区長の保坂展人
犯人は、山口系の右翼団体に所属する伊藤白水であり、事件の翌日に出頭しています。
しかし、石井紘基さんが搬送先の病院で絶命するかしないかくらいのタイミングで、すでに犯人が伊藤白水である目星がついていたようです。
世田谷区長の保坂展人さんが当時を振り返り、証言しています。
事件後すぐに捜査線上に伊藤が浮上していた
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東京都世田谷区の区長を務める保坂展人さんは、2010年10月31日にブログを更新し、石井紘基さん殺害事件の謎について振り返っています。
事件当日、テレビを見ていた保坂展人さんは、石井紘基さんが何者かに刺されたというニュース速報に衝撃を受けました。
驚いているところに、永田町の記者から電話が入り、「保坂さん、伊藤白水という男を知っていますか」と聞かれたのです。
電話が鳴った時点では、石井紘基さんが病院に搬送されたばかりの時間帯で、刺されたという事実以外に何も分からない状態でした。
しかし、犯人の伊藤白水の名前が政治記者の間に広がっていたのです。
そのため、伊藤白水が刺殺を認めて出頭したのが事件翌日だったことを考えると、保坂展人さんは犯人特定が早すぎることに疑問に感じたそうです。
また、国会に関わる人間であればこの事実は誰もが知っていたはずのエピソードですが、どのメディアもニュースで取り上げることはありませんでした。
保坂展人さんは、「まるで何かの力が働いているかのように、マスコミが報道しない姿勢を保っているように映った」と感じていたそうです。
石井紘基刺殺事件の暗殺説③ 事件前後の言動に謎が多い
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嫁のナターシャさんは、石井紘基さんが亡くなる前からいくつか不審に感じる言動があったことや、亡くなった後も周囲の行動に疑問を感じたと明かしています。
事件前から追いかけられていた
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石井ナターシャさんによると、亡くなる6日前の10月19日、石井紘基さんが「何者かに車で追われたので知人の家に助けを求めた」と怯えた様子だったことを明かしています。
その4日後には、石井紘基さんがリンチに遭っているそう。
また、事件前日に植木業者の営業マンを名乗る不審な男性が家を訪問しています。こちらは対応に出た石井紘基さんの子供・ターニャさんが断ったようです。
そして事件当日、石井紘基さんを搬送するにあたり、嫁のナターシャさんは救急車に同乗することを許可されませんでした。
中指を切られ書類は行方不明
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石井紘基さんは10月28日に国会質問を行う予定でした。
前もって資料を作成していたのですが、事件前日に家族に「これで与党の連中がひっくり返るぞ」と発言していたのです。
まさに事件当日の10月25日は、これらの資料を提出するために家を出ようとしていたところでした。
しかし不思議なことに、石井紘基さんの鞄の中にあるはずの資料や手帳が押収品から戻ってこなかったのです。
しかも、石井ナターシャさんは遺族として何回も警察側に返却を依頼したのに、調査には至りませんでした。
また、鞄の取っ手を握っていたと思われる石井紘基さんの中指には、鋭利な切り傷があったことが分っています。
なぜ中指を負傷しているのか、家族は疑問を持ちましたが、捜査の詳細を教えてもらうことはできなかったそうです。
石井紘基刺殺事件の暗殺説④ 犯人・伊藤白水が黒幕の存在をほのめかしている
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石井白水の裁判の判決は、2005年11月に無期懲役で確定しましたが、その4年後である2009年、報道番組で改めて事件を考察する企画があり、伊藤白水にインタビューが行われました。
ここでの伊藤白水の発言は、これまでの捜査や裁判をあざ笑うかのような内容で、大スクープとして報道され、黒幕は誰なのかと大騒ぎになったのです。
殺害依頼があったと獄中インタビュー
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事件を洗い直した番組は、2009年2月11日に放送された「スーパーJチャンネル」です。
伊藤白水への獄中インタビューで、「殺害動機は金銭トラブルではなく、殺害依頼に基づいて行われた」と、爆弾発言が飛び出しました。
さらに記者から「殺害を実行した人物は誰なのか?」と質問すると、「それを言ってしまうと、ある人の顔に泥を塗ることになる」と依頼者の名前を口にすることはありませんでした。
伊藤白水によると、殺害の動機は「色々と政治の裏側で動くお金や人脈が関係したことにある」と、闇の力が動いていたことを示唆しています。
また、殺害を請け負うにあたり、最初に手付金として3000万円、次に1500万円の合計4500万円を受け取ったそうです。
まさにちゃぶ台をひっくり返すような爆弾発言が飛び出しました。しかし、警察は捜査を行いませんでした。
石井紘基刺殺事件の黒幕とは
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事件前後の石井紘基さんの言動、伊藤白水の獄中インタビュー、そして警察をはじめとする周囲の不可解な行動を見ると、自ずと事件には黒幕がいることが見えてきます。
当時の自民党やアメリカが関与している説
テレビの獄中インタビューで、殺害依頼を受けたことを認めた伊藤白水は、最後まで黒幕が誰なのかという問いには答えていません。
しかし、裏に控えている人間には政治の力が働いていることを示唆していますし、質問を投げた記者も、政府が背後にいることを知っている素振りでした。
実は、石井紘基さんが亡くなる前に調査し暴露しようとしていたのは、特別国家予算から、アメリカに流出している使途不明金でした。
日本国政府はその問題を明るみに出したくなかったと思われ、自民党清和会やアメリカが黒幕だったのでは、と推測されています。
石井紘基刺殺事件のまとめ
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現役の議員である石井紘基さんが自宅から出たところを包丁で刺されて殺害された石井紘基刺殺事件は、発生から2021年現在で19年という歳月が流れました。
犯人は翌日に出頭し逮捕され、殺害動機は金銭トラブルによるものと供述しています。
しかし、事件当日まで石井紘基さんが政権がひっくり返るような資料を作成していたことや、嫁などの証言から事件前後の多くの不可解な点が判明しています。
また、現場にあったはずの書類が紛失していたり、鞄の取っ手を握っていた中指が切られていたりと、謎が多く残されています。
2009年には、犯人の伊藤白水が獄中インタビューにおいて、「殺害を依頼された」と爆弾発言をするなど、事件には黒幕がいたことが推測されます。
現在でもその依頼主は不明で、捜査も改めて行われていません。今後、事件の真相や黒幕が明らかになる日はやってくるのでしょうか。