平岡都さんは、2009年11月に発覚した「島根女子大生殺人事件」の被害者です。
この記事ではこの平岡都さんについてを中心に、両親やタトゥーの噂、島根女子大生殺人事件の概要、犯人とされている矢野富栄の逮捕やこの事件にまつわる心霊現象の噂などについてまとめました。
この記事の目次
平岡都は島根女子大生殺人事件の被害者
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平岡都さんは、2009年11月6日に発覚した「島根女子大生殺人事件」で殺害された被害者です。
平岡都さんは殺害された当時19歳で、島根県浜田市の島根県立大学の1年生でした。事件当時の報道やその後続々と出てきた関係者証言によれば、平岡都さんは身長は147cmと小柄だったものの活発な性格で、真面目で明るく、また、とても優しい性格の女性だったそうです。
平岡都さんの出身地は香川県坂出市で、事件の前年度までは、同県高松市にある香川県立高松商業高等学校英語実務科に実家から通っていました。平岡都さんは活発な性格だったということで、高校時代には応援部に所属し、アメリカへ語学研修に行った時には現地の受け入れ先にすぐに溶け込んだそうです。
島根県立大学進学後の平岡都さんは、発展途上国の支援活動などに取り組むサークルに参加し、駅前で募金を呼びかける活動などに参加していたそうです。当時のサークルの先輩によれば、1年生の中でも特に大きな声を出して支援の呼びかけを行っていたのが平岡都さんだったそうです。
当時の一部のメディアでは平岡都さんは胸にタトゥーを入れており、交友関係が派手だったなどと報じられていましたが、周囲の知人らの証言によれば、派手なところはなく、特定の異性関係もなかったという事です。また、特にトラブルを抱えている様子もなかったとの証言も出ています。こうした平岡都さんのタトゥーや交友関係の噂の真偽については、この後の見出しで改めてみていきます。
この記事では、この島根女子大生殺人事件の被害者の平岡都さんに焦点を当ててまとめます。
平岡都が殺害された「島根女子大生殺人事件」の概要
まず最初に、平岡都さんが殺害された「島根女子大生殺人事件」の概要をまとめておきます。
行方不明になっていた平岡都の頭部が臥龍山山頂で発見され事件発覚
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島根女子大生殺人事件が発覚したのは、2009年11月6日の事で、広島県北広島町にある臥龍山(がりゅうざん)の山頂付近(広島県と島根県との県境付近)で、キノコ狩りに来ていた男性にが若い女性の遺体の頭部を発見した事がきっかけでした。
この女性の遺体の頭部はDNA鑑定の結果、同年10月26日から行方不明になっていた平岡都さんのものである事が確認されました。
平岡都さんは10月26日の夜にアルバイト先の島根県浜田市内のショッピングセンター「ユメタウン」のアイスクリーム店から退勤したのを最後に行方不明となっており、10月28日に両親が捜索願を出していました。
広島県警と島根県警は合同捜査を開始し、翌11月7日には左大腿骨の一部、翌々日の11月8日には両手足の無い胴体部分、その次の日の11月9日に左足首、さらに、11月19日には爪が発見されています。検死の結果、平岡都さんの死亡推定時期は行方不明となった10月26日から31日の間だと推定されています。
平岡都の遺体の状態があまりに猟奇的だったため社会の注目を集めた
また、平岡都さんの遺体はただ単にバラバラに解体されていただけでなく、頭部は顔面が鬱積し目が充血し、生前に激しく殴打された痕跡があり、左頬には足で踏みつけられた痕が残されていました。
また、首には紐状のもので絞められた痕があり、抵抗した痕(吉川線)があり、そして、頭部は切断面の形状からナタや斧などの大きな刃物で一気に切断されたと見られました。
さらに、胴体部分には直接火がつけられた痕跡があり、内臓が抜き取られて、乳房は肋骨が見えるほど抉り取られ、性器は性別が分からないほど切り刻まれていたそうです。そして、大腿骨からは肉を削ぎ落とした痕なども見つかっており、犯人が遺体を食べた可能性までが指摘されました。
両腕や右脚、左脚の一部は未だ発見されていません。
こうしたおぞましい遺体の状態が報じられた事で、島根女子大生殺人事件は、近年まれに見る猟奇殺人事件として、社会の注目を集める事になったのでした。
事件発生から7年後に犯人が浮上
警察は犯人の逮捕に向けて大規模な捜査を続けましたが、平岡都さんが連れ去られた時の目撃者はおらず、有力な手がかりも発見できないまま数年が経過してしまいました。
しかし、島根女子大生殺人事件発生から7年が経過した2016年に、犯人と思しき容疑者として島根県益田市に住む当時30代の矢野富栄という男が浮上した事で事件は急展開を迎えました。
ところが、この矢野富栄は平岡都さんの遺体発見から2日後の2009年11月8日に交通事故を起こして既に死亡していたため被疑者死亡のまま書類送検されており、当然逮捕して取り調べる事もできないため、この島根女子大生殺人事件は多くの謎を残したままで捜査は終了となってしまったのです。
以上が、平岡都さんが殺害された「島根女子大生殺人事件」の概要となります。
この島根女子大生殺人事件の犯人・矢野富栄については後半で改めてまとめます。
平岡都(島根女子大生殺人事件被害者)の両親について
平岡都さんの両親についてもみていきます。
平岡都さんの父親は旦(あきら)さんという方で、2009年11月の時点で40歳と報じられています。また、母親は美由紀さんという方で、2009年11月の時点で39歳と報じられています。
平岡都さんは何度か警察を通じてコメントを発表されているので紹介します。
平岡都さんの両親は、平岡都さんの遺体発見後の2009年11月25日に県警を通じて以下のコメントを連名で発表されています。
この悲劇に遭い、今まで味わったことのない苦しみとつらさ、なぜ、こんな試練を 受けなくてはならないのかという思いで気持ちが、はりさけそうです。 でも、私たち以上に苦しんだ都のために、今、何ができるかを必死に考えながら、 生活の一歩を踏み出そうとしているところです。 どうか、皆様、今まで通りそっと見守りください。
引用:2009年11月27日配信のスポニチアネックスより
また、平岡都さんの両親は、2010年の1月26日も以下のメッセージを警察を通じて発表されていました。
両親はメッセージの中で、平岡さんが好きな言葉として「逃げることはずるくない ずるいのは逃げ続ける事だ」を挙げ、「この言葉を胸に頑張っていた娘の姿が浮かんできます。まだまだ都を失った悲しみが深く、今はこれ以上のことをお話しすることができません」とした。
引用:時事通信
2013年3月19日には、平岡都さんが在籍されていた島根県立大学で在学証書授与式が開かれ、その際に平岡都さんの両親に平岡都さんの在学証書が授与されています。また大学から平岡都さんの両親に卒業アルバムも贈られたという事でした。
別会場では、在学証書授与式が催され、平岡都さんへの在学証書が、都さんのご両親に授与されました。
平岡都(島根女子大生殺人事件被害者)の胸にタトゥーがあった報道はデマ
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「島根女子大生殺人事件」が発覚した当時の報道で、一部のメディア(夕刊フジのウェブメディアのZAKZAKなど)が平岡都さんの胸にはタトゥーがあり、交友関係が派手だったと思わせるような記事を掲載しています。
現在は既に削除されていますが、当時の「ZAKZAK」の記事では、捜査関係者からの情報として平岡都さんの胸にタトゥーが入ってたと書かれており、警察は平岡都さんが出会い系サイトを利用して事件に巻き込まれた事なども想定して捜査を進めているなどとも書かれていました。
まるで、被害者である平岡都さんの方にも落ち度があったと言わんばかりの書き方でしたが、タトゥーという部分のインパクトが強かったためか、この情報がネットに拡散されてしまいました。
しかし、この記事以外に平岡都さんがタトゥーを入れていたという情報などは一切出ておらず、関係者からも平岡都さんはタトゥーなど入れていないかったと思おうとする証言が複数出ており、現在では完全なデマ情報だと断定されています。
「ZAKZAK」がこの平岡都さんがタトゥーをしていたとの記事を出したすぐ後に発売された週刊文春の11月26日号には、捜査関係者からの情報として「タトゥーなんてどこにもない。大金が出入りするような形跡はないし生活はごくつつましやか」と平岡都さんは至って真面目な女性だったという反論記事を掲載しています。
また、ネット上の一部では平岡都さんは胸にタトゥーを入れていて素行が悪かったとする噂に関連させる形で、アメリカの過激なメタルバンド「Slip Knot(スリップノット)」の大ファンだったと言った真偽不明な書き込みが見つかります。
このスリップノットというバンドのメンバーは、身体に「死」や「嫌悪」といったタトゥーを入れており、これを平岡都さんのタトゥーの噂と関連づけ、さらにそれが島根女子大生殺人事件に関係しているのではないかとするこじつけのような書き込みも見られますが、それらも全てタチの悪いデマだと言えるでしょう。
平岡都(島根女子大生殺人事件被害者)の事件は犯人が逮捕されず時が経過
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「島根女子大生殺人事件」は、犯人が逮捕されないまま年月が経過しました。
事件が発覚した後の報道では、平岡都さんがアルバイト先のショッピングセンターを出た後、その後ろを付けるように走行する白いセダンタイプの車(旧型のマーク2)の目撃情報や、アルバイト先からの帰宅ルート上、平岡都さんが当時住んでいた学生寮から約500メートルほどの地点に平岡都さんの物の可能性のある靴の片方などが発見されたなどの情報が出ていましたが、それ以外の手がかりはほとんど発見されなかったようです。
警察は、7年間で延31万人もの捜査員を動員し、現場近くを事件当日に走っていた車両や、平岡都さんの交友関係、付近のレンタルビデオ店でスプラッター映画など猟奇性のある作品をレンタルした人のリストまで作って虱潰しに犯人を探したという事ですが、犯人逮捕にはつながりませんでした。
こうした警察の徹底的な捜査の中で、容疑者として取り調べを受けた事で、島根女子大生殺人事件の犯人だと噂され白い目で見られたり、その結果大学を中退せざるを得なくなったりなどの二次的な被害者も出ています。
平岡都(島根女子大生殺人事件被害者)殺害の犯人として矢野富栄が浮上
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2016年12月20日、島根県警、および広島県警は、「島根女子大生殺人事件」の犯人である疑いが強いとして、島根県益田市の当時30代の会社員・矢野富栄(よしはる)を松江地方検察庁に書類送検しました。
警察発表によると、「島根女子大生殺人事件」で平岡都ささんが連れ去られた当日に付近の浜田市内の国道に設置されている自動ナンバー読み取り機に矢野富栄の自動車のナンバーが記録されていた事や、この男が過去に3度性犯罪を起こして逮捕され実刑判決を受けていた事などから犯人の可能性が高いとして2016年に浮上していたようです。
そしらぬ顔で社会生活を送る矢野容疑者には、前科があった。
「福岡県北九州市や東京都杉並区で3件の事件を起こしていました。通りがかりの女性に刃物を突きつけ行為に及ぼうとし、ケガをさせ、懲役3年6ヶ月の実刑判決が下っています」
警察は2016年の夏頃からこの矢野富栄の島根県下関市の実家に頻繁に訪れていたようです。この実家には矢野富栄の弟夫婦が住んでおり、そこから矢野富栄の所持品が押収されたという事です。
そして、押収した矢野富栄の所持していたデジタルカメラの消去された写真データを警察が復元したところ、平岡都さんの遺体を刃物を使って解体してく様子などが1時間半にわたってくまなく撮影された画像が記録されていたのだそうです。
この画像データは全部で57枚あり、平岡都さんの遺体画像のほか、解体に使用された文化包丁なども写され、画像背景には矢野富栄が当時住んでいた自宅の風呂場なども写っており、これが決定的な証拠となって、矢野富栄の書類送検へとつながったという事です。
捜査関係者によると、画像はデジタルカメラやUSBなどに計57枚あり、容疑者が住んでいた自宅風呂場や平岡さんの遺体、包丁などが写っていたという。
また、この写真の撮影時間などの状況から、平岡都さんは行方不明になった直後に殺害されたと見られています。
なお、平岡都さんと犯人の矢野富栄との間に事件以前に接点はなかったそうです。
平岡都(島根女子大生殺人事件被害者)殺害の犯人・矢野富栄は遺体発見2日後に事故死していた
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押収されたデジカメの画像データなどから平岡都さんを殺害した可能性が高まり「島根女子大生殺人事件」の犯人とされた矢野富栄ですが容疑者として名前が上がったときには既に死亡しており逮捕はされていません。
既に触れていますが、この犯人の矢野富栄は、平岡都さんの遺体が発見された2日後の2009年11月8日に、山口県美祢市の中国自動車道の下り線でガードレールに自動車で衝突し、同乗していた母親(当時58歳)と共に死亡しています。
矢野容疑者が運転する車は山口県美祢市の中国自動車道下り線でガードレールに衝突。車は炎上し、容疑者本人と同乗者である母親が焼死した。
矢野富栄はこの日、母親と2人で山口県萩市にある父親の墓に墓参りに行き、その帰り道で事故を起こしたという事です。
矢野富栄は、平岡都さんの遺体発見が報じられた2009年11月6日に、当時勤めていた住宅設備会社の社長に「実家に帰るので明日と明後日の2日間代休が欲しい」と連絡を入れていたそうです。
矢野富栄の乗った車はガードレールに激突する前から炎を出していたという目撃情報もあり、母親を道連れにしての無理心中ではないかという見方も出ています。
矢野富栄は、平岡都さんが行方不明になった前後に、勤務先の社長に「担当地域を変えたい」と申し出ていたという情報もあり、矢野富栄が警察から疑いを向けられないように活動地域を変えようとしていたのではないかとも疑われています。
平岡都(島根女子大生殺人事件被害者)殺害の犯人・矢野富栄の生い立ち
平岡都さん殺害の犯人と見られている矢野富栄の生い立ちにも注目が集まっています。
矢野富栄は1976年の生まれで島根女子大生殺人事件当時は33歳。出身地は山口県下関市神田町で、家族は両親と弟の4人でしたが、父親は事件の前年の2008年に亡くなっています。実家は祖父の代からの米穀店で、タバコ屋やクリーニング店なども営んでいたとの情報もあります。
矢野富栄の出身小学校は地元の下関市立神田小学校、出身中学も地元で下関市立向洋中学校だと言われています。
矢野富栄の父親は地域の柔道クラブの指導者で、矢野富栄も小学生時代から柔道をしていたそうです。
矢野富栄の中学時代の同級生の証言によると、当時の矢野富栄は大人しく真面目なタイプで女性と話すのは苦手だったという印象が語られています。矢野富栄は中学時代は陸上部に所属し3年生時には部長も務め、部活の合宿で海に行った時にウニを踏んで怪我をし、それ以来あだ名が「ウニ」になるなどいじられキャラな一面もあったという事です。
勉強の成績はよく、中学卒業後は北九州市門司区の私立鎮西敬愛高校(現在の私立敬愛高校)の理系の特進コースへと進学しています。高校での成績も優秀だったようで、防衛大学に合格していますが、高校の推薦を利用して九州工業大学情報工学部夜間部へと進学しています。
しかし、矢野富栄は大学に進学した頃から様子が変わり、バンドやナンパに明け暮れるようになり大学は中退したという事です。
矢野富栄は大学を中退後はアルバイトを転々としながらバンド活動を続けたようですが、人間関係の悪化によりバンドを脱退し上京したようです。そして、2004年頃に東京都杉並区や北九州市で面識のない女性を刃物を突きつけてわいせつな行為をしようとして怪我をさせるなどの3件の事件を立て続けに起こして逮捕され、懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けています。
その出所後に、矢野富栄は山口県下関市の実家に戻り、近所のラーメン店やコンビニでアルバイトをする生活を1年半ほど続けた後、2009年5月から山口県下関市に所在する住宅設備会社で働き始めています。
そしてそれから数ヶ月後に矢野富栄は島根女子大生殺人事件を起こす事になるのですが、その少し前から矢野富栄はこの会社の益田営業所に派遣されて住宅向け太陽光パネルの営業の仕事をしており、会社の借り上げた益田市の一軒家で暮らし始めていました。この一軒家の風呂場が平岡都さんの遺体を解体した現場になったと見られています。
そして、平岡都さんの遺体が発見された2日後の2009年11月8日に矢野富栄は自動車事故によって死亡したのでした。
平岡都(島根女子大生殺人事件被害者)遺体発見報道時に心霊現象の噂も
平岡都さんの遺体が発見された当時の現地からのテレビ中継中に心霊現象が起こったという噂も存在します。下が心霊現象が起こったと言われているテレビ中継の動画です。
上の動画の「0:11」頃に女性のような声で「凄い痛かった」「どうして」という声が入っているように聞こえます。これが心霊現象ではないかとネットで噂されています。
この心霊現象の噂があった事から、平岡都さんの遺体発見の2日後に犯人とされた矢野富栄が事故死したのはなんらかの呪い的な要素が働いたためではないかとする噂もあるようです。
まとめ
今回は、2009年11月に発覚した猟奇殺人事件「島根女子大生殺人事件」の被害者の平岡都さんについてまとめてみました。
平岡都さんは、事件当時島根県立大学の1年生でしたが、2009年10月26日の夜にアルバイト先から自宅に帰宅する途中に行方不明になり、2009年11月6日にバラバラの遺体となって発見されました。
発見された平岡都さんの遺体は犯人によって酷く損傷させられており、その猟奇性から社会の注目を集め、平岡都さんが胸にタトゥーを入れており交友関係が派手だったなどといった根拠のないデマ情報まで出回りました。
犯人が逮捕されないまま7年が経過した2016年に、矢野富栄という男が容疑者として浮上しましたが、この男は平岡都さんの遺体が発見された2日後の2009年11月8日に自動車事故で死亡しており、被疑者死亡のまま書類送検され不起訴処分となっています。
平岡都さんの遺体発見時のテレビ中継に謎の女性の声の音声が入り込んでいるという心霊現象の噂なども出ており、矢野富栄の事故死は呪いではないかとするオカルトな噂も出ていますが、被疑者が死亡した事で事件の捜査は真相が明らかにされる事なく打ち切られており、平岡都さんの両親など遺族の気持ちを考えると、あまりに理不尽すぎる結末になってしまったと言えます。