「プチエンジェル事件」はショッキングな内容で当時話題でしたが、警察やマスコミの動きが不可解だと現在でも憶測を呼んでいます。
今回は「プチエンジェル事件」の経緯、犯人など真相、顧客名簿や被害者少女のその後をまとめました。
この記事の目次
「プチエンジェル事件」とは
出典:https://plaza.rakuten.co.jp/
「プチエンジェル事件」とは、2003年7月に児童買春デートクラブ「プチエンジェル」を経営していた吉里弘太郎容疑者によって、当時小学6年生の少女4人が誘拐・監禁された事件です。
この事件はそのショッキングな事件内容もさることながら、日本政財界の大物や弁護士や医師など、2000名以上が名を連ねる顧客名簿の存在が明らかになり、当時大変な話題になりました。
ところが、事件発覚当初こそ連日のように児童誘拐事件として報道していたマスコミが、なぜかある時点からパタリと報道を止めてしまします。
そして、様々な証拠や証言が組織犯罪であることを示しているにもかかわらず、警察は早々に吉里弘太郎容疑者の単独犯と決めつけて、事件は収束します。
さらに、問題の顧客名簿についても、その大半が偽名だったことを理由に、強引に捜査を打ち切られてしまいました。
これにより、その影には「プチエンジェル」の背景にある裏社会、あるいはその顧客だったとされる政財界の大物による圧力がかかったことは明白で、現在もなおネットを中心に陰謀論が囁かれている事件でもあります。
今回は、この「プチエンジェル事件」の真相と、被害者少女のその後について、現在分かっている範囲でまとめてみました。
「プチエンジェル事件」の全体像を時系列で整理
まずは、この「プチエンジェル事件」の全体像について整理しておくことにしましょう。
2003年7月上旬
吉里弘太郎容疑者は渋谷で1人の小学6年生の少女を勧誘し、「会ってくれたお礼」として1万円を渡しています。
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その後、この少女は「プチエンジェル事件」の被害者の1人となるわけですが、吉里弘太郎容疑者はこの少女と、「プチエンジェル事件」の犯行当日まで、連絡を頻繁に取り合っていたことがわかっています。
2003年7月11日
吉里弘太郎容疑者はこの日、所有する2台のフェラーリを売却しています。ちなみに、このフェラーリのうち1台は、時価2,500万円相当の超高級車だったと言います。
さらに同日、「プチエンジェル事件」の犯行現場となる赤坂のウィークリーマンション「インターナショナルプラザ赤坂No.1」の1101号室を契約しています。
ちなみにこの部屋は、マンション最上階である11階の2LDKでした。
この部屋の契約金を支払ったのは吉里弘太郎容疑者でしたが、契約の名義人は「ヤマザキ」となっていたことが分かっています。
この“ヤマザキ”が、「プチエンジェル事件」にどう関わっていたのか等の詳細については不明ですが、一説によると六本木の大物クラブ経営者ではないかと言われているようです。
そして、その繋がりで「プチエンジェル事件」の背後に関東連合が関係しているのではないかとの噂もあるようですが、確証はないようです。
2003年7月12日
赤坂のウィークリーマンション契約の翌日、吉里弘太郎容疑者は都内の量販店でポリタンクや鉄アレイなど、「プチエンジェル事件」で被害者少女達を拘束するために使用したと思われる物品を購入しています。
さらにこの際、吉里弘太郎容疑者が自殺の際に使用した練炭や七輪も購入しており、もしも吉里弘太郎容疑者が本当に自殺であるなら、すでにこの時点でその意思が固まっていたことになりますね。
2003年7月13日
「プチエンジェル事件」当日です。まず、吉里弘太郎容疑者は、7月上旬に渋谷で勧誘した少女に友人3人を誘わせ、合計4人の少女(全員小学6年生)を渋谷駅前に呼び出します。
そして、少女たちは「部屋の掃除を1万円でしてほしい」という言葉に誘われ、渋谷から赤坂のマンションまでタクシーで連れてこられます。
しかし、マンションの部屋に入るなり、「ここに来た意味わかるよね」と吉里弘太郎容疑者が豹変し、手錠と目隠をされて拘束されてしまいました。
その際、2人が逃げようとしたところ失敗し、スタンガンで負傷したことが分かっています。
拘束された被害者少女達は、吉里弘太郎容疑者が前日に購入した鉄アレイとポリタンクで重しをつけられ、監禁状態に突入しました。
この日の深夜、娘が帰宅しないことを心配した被害者少女の家族から警察に捜索願が出されました。
2003年7月15日
この日、マスコミが4人の少女が行方不明になっていることを報道し、初めて「プチエンジェル事件」が報道されます。
この時、行方不明少女が未成年であること、詳しくは後述しますが、ある理由から性犯罪の被害者である可能性があったため、この時点から実名は一切報道されることはありませんでした。
2003年7月16日
この日、捜査は急展開を見せます。16日の午前、警視庁は2002年3月に中学2年生の少女を買春した容疑で、吉里弘太郎容疑者の逮捕状を請求したからです。
警察はこの時点で「プチエンジェル事件」の犯人を吉里弘太郎容疑者と特定し、既に犯人の住所付近で聞き込みを始めていたと言います。
一方、同日午前11時~12時頃、都内の風俗店に吉里弘太郎容疑者から電話で、「少女達に“行為”をしているところを見せたいから、女性を派遣して欲しい」との連絡が入ったそうです。
その電話に出た店長は、内容が内容なだけにもちろん断りますが、1時間ごとに吉里弘太郎容疑者からなんとかならないかと電話が入ったそうです。
それでも断り続ける店長に、吉里弘太郎容疑者は困った様子で「今日しかないんだ」と言ったとも伝えられています。
結局、吉里弘太郎容疑者の思いは店長に届かず、女性の派遣は実現されませんでした。
そしてその日の深夜、失意のうちに吉里弘太郎容疑者は、ウィークリーマンションのリビングで、先日購入していた練炭と七輪を使って自殺を図ります。
ビニールシートと椅子を使ってテント状の空間を作り、椅子の下に練炭が入った七輪を置き火をつけるという方法だったようです。
一酸化炭素が漏れないように、しっかりとビニールテープで目張りもされていたとのこと。
この日の未明、「プチエンジェル事件」の主犯とされる吉里弘太郎容疑者は死亡しました。
2003年7月17日
監禁主の死亡により、物音がしなくなったことに気付いた被害者少女の1人が手錠を外して部屋を出ると、吉里弘太郎容疑者の遺体を発見します。
そのままマンション近くの花屋に助けを求めて、駆けつけた警察官が少女4人全員を無事保護、さらにリビングで死亡している犯人を確認し、「プチエンジェル事件」は一旦終息しました。
「プチエンジェル事件」のその後の捜査
この「プチエンジェル事件」を受けて、翌日には渋谷で一斉補導が行われ、実に少年少女1500人以上が補導されたそうです。
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その後の捜査によって、借りていた埼玉県久喜市のアパートから1,000本以上のビデオテープと2,000名に及ぶ顧客リストが押収された。しかし、多くが偽名であることを理由に捜査は打ち切られた。そのため、芋づる式の一斉検挙といった動きはなく、当事件は解決を見せたが、その背後にあるとされたデートクラブ絡みの疑惑は真偽不明のまま終わっている。
引用:プチエンジェル事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
これが「プチエンジェル事件」の全体像となります。しかし、あくまでこれはマスコミが報じた内容を元にしたものである点に注意が必要です。
詳しくは後述しますが、「プチエンジェル事件」におけるマスコミ報道はかなりの偏向報道だったことが明らかで、どう考えてもつじつまが合わない点、被害者少女たちの証言の矛盾など、不可解な点が多くあると言われています。
「プチエンジェル事件」の真相① 犯人・吉里弘太郎【単独犯の矛盾点を紹介】
警察は「プチエンジェル事件」を吉里弘太郎容疑者による単独犯と断定しました。
しかし、実は「プチエンジェル事件」の全てを吉里弘太郎容疑者に押し付けるには、少し無理がある点がいくつも存在するんですよね。
そこで、まずは「プチエンジェル事件」を単独で起こしたとされている吉里弘太郎容疑者について詳しく見ていくことにしましょう。
吉里弘太郎容疑者の生い立ち
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吉里弘太郎容疑者の父親は、元警視庁キャップであり、朝日新聞に転職したという、なかなかのエリートだったようです。
裕福な家庭に育った吉里弘太郎容疑者は、東京芸術大学出身のデザイナーをしていたようです。
しかし、上の写真を見てもわかる通りかなりのイケメンで、大学時代から複数の女性と交際し、ヒモのような生活を送っていたと言います。
ただ、昔からロリータ趣味があったらしく、ホストクラブでアルバイトをしながら、稼いだお金でロリータデートクラブに入り浸っていたそうです。
やがて吉里弘太郎容疑者は、非合法の買春斡旋を始めますが、最初は自分の趣味であるロリータではなく、人妻などの斡旋で稼いでいたそうです。
資金を作った吉里弘太郎容疑者は、満を持してロリータクラブ「プチエンジェル」を開業。莫大なお金を稼ぐようになったのだとか。
なんでも事件発覚直前には、都内の高級ホテル暮らしをしており、先ほども出てきましたが、時価2500万円のシルバーのフェラーリと、さらにもう1台フェラーリを所有していたそうです。
ちなみに、事件後に発覚した吉里弘太郎容疑者の預金総額は…なんと!
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この場合、35億人じゃなくて、35億円と読み替えてくださいね。
吉里弘太郎容疑者の肉親の相次ぐ自殺
実は、吉里弘太郎容疑者は大学生だった頃、立て続けに父親と兄が自ら命を絶つという不幸にみまわれています。
先ほどエリートと紹介した父親ですが、朝日新聞社の記者時代である1993年に頭頸部ジストニアという難病を発症。そんな自らの病気を悲観してか1996年に自殺により他界されています。
そして、まるでその後を追うかのように、吉里弘太郎容疑者のお兄さんも、1999年に自殺。
立て続けに夫と長男を亡くした母親も、2001年に後を追おうとしますが未遂に終わり、現在は沖縄へ移住されているようです。
そして吉里弘太郎容疑者本人も、幼い頃から酷いアトピー性皮膚炎に苦しんでおり、周囲にはよく自殺をほのめかすような発言をしていたそうです。
だからと言って、非合法な買春の斡旋や、児童を拉致監禁することは許されるわけではありませんが、少なくとも肉親の相次ぐ不幸により、自暴自棄になっていた面があったかも知れません。
「プチエンジェル事件」の真相② 不可解な点が多数
吉里弘太郎容疑者は「プチエンジェル事件」発覚前から指名手配されていた
実は、吉里弘太郎容疑者は「プチエンジェル事件」が発覚する前から、指名手配を受けていたようです。
吉里弘太郎容疑者は、以前に高校生2人との買春により一度逮捕されており、その執行猶予中だった2002年3月には、中学2年生との買春が発覚し指名手配中でした。
また、元々、東京都多摩地区を中心に主婦売春組織を運営していたことから、警視庁にマークされていたと言います。
「プチエンジェル事件」が発覚した直後には、警察は既に吉里弘太郎容疑者を犯人と定め、周辺の聞き込みを始めていたのはそのためのようですね。
「プチエンジェル事件」の矛盾点
とは言え、それまで指名手配されていた容疑はあくまで買春です。小学生4人を拉致監禁することとはレベルが違います。
しかも、そんなことをすると世間や警察が大騒ぎになり、ほどなく自分に容疑が向かうであろうことも承知していたはずですよね。
それにも関わらず、少女の拉致監禁を決行したこと、そして事前に愛車2台を売却していた点、監禁用ポリタンクや鉄アレイと同時に、自殺用の練炭と七輪を買っていた点が矛盾するのです。
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つまり、事件前にフェラーリを売却したのが、事件発覚後の逃走資金を確保するためだと考えれば、自殺用の練炭と七輪は必要ありません。
自暴自棄になって事件が発覚した場合は自殺しようと考えていたのであれば、フェラーリをわざわざ売却する必要はどこにもないんですよね。
そこで思い出してください。前述した事件の経緯は、あくまでマスコミによってかなり歪曲された報道を元に作られていることを…。
練炭と七輪の購入の事実と、2台のフェラーリを売却した事実のうち、どちらが客観性が高いかと言えば、断然、フェラーリの売却です。
だとすれば、あくまで吉里弘太郎容疑者は、もしも事件が発覚するようなことがあれば、国外逃亡するつもりだったと。
そして、吉里弘太郎容疑者が練炭と七輪を購入したという情報は、吉里弘太郎容疑者を自殺に見せかけるための後付けなんじゃないか。そんな風に考える説があることも事実なんですよね。
要するに、吉里弘太郎容疑者の死因は、「実は自殺ではなかった」とする説です。
そして、そもそも「プチエンジェル事件」自体、吉里弘太郎容疑者を葬るための陰謀だった可能性を指摘する声もあるんですよね。
吉里弘太郎容疑者は自殺ではなく他殺だった?
裏社会の権力者や「プチエンジェル」の顧客名簿に載っている政財界の大物が、単に「プチエンジェル事件」のもみ消しを図ったなら、吉里弘太郎容疑者をわざわざ自殺に見せかける必要はないと言えます。
その筋の人を雇って殺害させれば済む話なのです。
「プチエンジェル事件」の最も不可解な点は、何と言っても吉里弘太郎容疑者の不自然な練炭自殺だと言われています。
確実に死ぬ方法としては不確実すぎる自殺方法
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このイラストのように、椅子にビニールシートを張ってテント状にし、周囲をキッチリと目張りした上で、椅子の下に七輪を置いて、練炭を燃やした…と、報道ではそうなっています。
実は、この自殺方法は、テレビ各局でも「無理がある」と言われており、当時特集番組まで組まれていました。
特報番組「真相報道 バンキシャ!」が行った検証では、練炭から出る高熱で、テント内部は千度を超えることもあり、ビニールシートが溶けて自殺が失敗する可能性が高いと分かりました。
また、例えビニールが溶けるのが遅かったとしても、密閉された内部は非常な高温になります。
そのため、吉里弘太郎容疑者には火傷の痕が残るはずですが、火傷の形跡もなく、少女達も焦げるような臭いなどはしていなかったと証言しています。
「バンキシャ!」の実証実験で不可能と出るも後日ひっくり返される
ところがその数日後、その「バンキシャ!」で何故か再び検証が行われ、前回の検証結果について、無理やりともとれる不可解な訂正がなされたんですよね。。
再検証結果では、気絶寸前か睡眠薬などで意識が混濁している状態でビニールテントの内側から確実に目張りをし、練炭の熱を直接浴びない位置取りをすれば、火傷せずに自殺できる…と。
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睡眠薬などを飲んで意識が混濁している状態で、キッチリと目張りをして、なおかつ火傷をしない位置で横になるという、なかなかすごい要求です。
きっとどこか上の方から、番組に手が回ったんでしょうねぇ…。
まぁ、それはさておき、この自殺方法は、確実に死ぬ方法としては不確実過ぎると言わざるを得ません。確実に死ぬのであれば、もっと楽に簡単な方法がありますよね。
そもそも、吉里弘太郎容疑者が借りていたマンションの部屋は11階にあるわけですから。
保護された被害者少女や店員の証言にばらつき
「プチエンジェル事件」の様々な点で、マスコミによる報道と警察が発表した内容について、食い違いや辻褄が合わない点が少なくないことも、この事件の大きな特徴でした。
一部には、事件の隠蔽工作の統制が取れていなかったためと考えられています。
特に、被害者少女の証言と、最初に部屋から脱出した少女が助けを呼びに飛び込んだとされる花屋の店員の証言には、一致しない点がいくつかあり話題になりました。
出典:https://rocketnews24.com/
まず、4人の少女の中には1人世話役だった少女がおり、彼女だけは手錠がかけられていなかったと報じられましたが、警察の発表では脱出の際に“手錠が外れた”ということになっています。
また、花屋の店員は、「少女が窓から助けを求めていた」と証言しましたが、警察の発表では、「裸足で花屋に駆け込んできた」に変わっていたのです。
さらに、少女らを脅すための凶器であったスタンガンは、当初警察は「押収していない」と発表されていましたが、数日後に「押収した」とだけ発表しています。
世話役の少女にATMでお金を下ろさせていた?
監禁されていた4人の少女のうち、1人は世話役を任されていたと前述しましたが、実はこの世話役の少女は、監禁中に吉里弘太郎容疑者に代わってATMでお金を下ろしていたと言われています。
出典:https://fromfukuoka.com/
吉里弘太郎容疑者から「もし戻ってこなければ友達3人を殺す」と脅されていたとすれば、十分にありうることでしょう。
ただ、その前日には練炭と七輪を用意までして、自殺の意思を固めていた吉里弘太郎容疑者が、そもそも何のために危険を冒してまでATMでお金を下ろさせたのでしょうね。
ちなみに、この情報はCNNによるもので、世話役と言われている少女が銀行のATMのカメラに記録されていたことが確認されています。
「プチエンジェル事件」の真相③ 顧客名簿とその後
突然の捜査打ち切りと、潮が引くように報道をやめたマスコミ
吉里弘太郎容疑者が借りていた埼玉県のアパートから、千本以上のビデオテープと2千人以上の名前が載った顧客名簿が押収されたのと同時に、「プチエンジェル事件」は一気に収束に向かいました。
出典:http://www3.u-toyama.ac.jp/
警察がこの顧客名簿を精査した結果、リストの中に政財界や裏社会の超大物がいたのかはわかりません。
ただ警察は、「顧客リストの大半は偽名だった」と発表し、事実上それ以上の捜査は打ち切られてしまったのです。
そして、本来であればそんな警察の姿を、批判する立場にあるマスコミが、まるで警察と示し合わせたかのように、パッタリと「プチエンジェル事件」についての報道をしなくなったのです。
こうして潮が引くように事件は急速に終焉を迎えてしまったわけです。
ただ、事件直後にはマスコミが「顧客名簿に載っていたのは医師や弁護士、政治家など」と報じていたことから、たとえ偽名で登録されていたとしても、少なくとも顧客の職業は明記されていたということに他なりません。
また、顔や名前が知られている政治家が偽名を使うことは、難しいように思うのですが…。
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そもそも偽名で登録できるのであれば、本当の職業も書きませんよね。名誉ある地位にある人ならば、余計にそうするんじゃないでしょうか。
吉里容疑者を単独犯と断定した裏に警視庁幹部の影
また、被害者少女たちの目撃証言から、吉里弘太郎容疑者以外にもこの事件に関わった人物が多くいるはずです。
客引きや運転手、事件現場となったウィークリーマンションの名義人“ヤマザキ”など、本来なら捜査の手がいくべき対象ですが、警察はあくまで吉里弘太郎容疑者1人による単独犯と断定しました。
また、それ以外にも、マンションに出入りしていた2人の男女が目撃されており、ある情報によると、その男女のうちの男の方は、警視庁幹部の息子だったと暴露されています。
「プチエンジェル事件」の捜査がそそくさと打ち切られたのは、その警視庁幹部の圧力によるものとも言われています。
犯行現場となったマンションにはあの大物政治家がからんでいた
吉里弘太郎容疑者が被害者少女の監禁に利用するめ、直前に契約したとされる、赤坂のウィークリーマンション「インターナショナルプラザ赤坂No.1」。
実は、小沢一郎さんの資金団体である「陸山会」が所有する物件だったと言われています。
出典:http://news.livedoor.com/
この事件について、当の小沢一郎さんは一切触れていませんが、もしかすると警察に圧力をかけたのは小沢一郎さんだった可能性は…なくはないですね!
辻元清美の黒幕は小沢一郎か。。
— おはな @国防最優先! (@ohanalomi) 2017年8月23日
小沢一郎といえば、いつも思い出すのは【プチエンジェル事件】←検索
解明して欲しい一番は、未成年児童売春組織の不審死容疑者の手元から消えた顧客名簿。
政界法曹界経済界の大物氏名がズラリだったとか。
事件を追った人やら何やら不審死複数。
今も闇のまま。
「プチエンジェル事件」のその後~ジャーナリストの死・被害者少女たち
「プチエンジェル事件」を暴こうとしたフリージャーナリストの死
見えざる強大な権力によって蓋をされてしまった形の「プチエンジェル事件」ですが、そんな「プチエンジェル事件」の闇を暴こうとした人物がいました。
フリージャーナリストの染谷悟さんは、踏み込んではいけない領域に踏み込んでしまいました。
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「プチエンジェル事件」から約2ヶ月後である2003年9月12日、死体となって東京湾に浮かんでいる染谷悟さんが、通りがかりのトラック運転手によって発見されました。
報道によると、背中8箇所を刃物で刺された痕があった他、頭部に2箇所殴られた痕があったのだとか。
発見当時、両手は紐で縛られている状態で、両足にも紐の痕が残っていた他、腰には潜水用の重しの入ったベルトが巻かれていたそうです。
染谷悟を殺害したのは中国マフィア?児童愛好家の政治家?
事件収束後も「プチエンジェル事件」を取材を続けていた染谷悟さんは、殺される直前、「中国人マフィアに命を狙われている。殺されるかもしれない」など、周囲に話していたと言います。
出典:https://twitter.com/
そうなってくると、「プチエンジェル事件」は中国人マフィアと繋がりがあった可能性も出てくるわけですが、元々染谷悟さんは、組織的な児童買春の実態を暴こうと取材を続けていました。
「プチエンジェル事件」を追う中で、たまたま中国マフィアと日本ヤクザの児童売買ネタの核心に迫りすぎただけ、との解釈もあるようです。
一方で、染谷悟さんが「プチエンジェル事件」の顧客名簿にあった児童愛好家の政治家の実名を掴んでいたとされており、暴露を恐れた大物政治家が染谷悟さん殺害に関与しているという見方もあります。
「プチエンジェル事件」被害者少女たちのその後は?
「プチエンジェル事件」で拉致監禁された4人の少女達は、当時小学6年生だったということ、性犯罪に巻き込まれている可能性があったことから、実名での報道はされませんでした。
ネット掲示板2ちゃんねるで、一瞬「プチエンジェル事件」の被害者少女らの写真と実名が載りましたが、すかさず法務省より削除命令が出て、今では確認できないようになっています。
実名がわからない以上、その後の被害者少女達がどのように生活しているのかは知るよしもありません。
一説によると、「プチエンジェル事件」から数年以内に、1人は自殺し、1人はひき逃げで事故死、1人は感染症による死亡、最後の1人は肺炎で死亡…と、4人全員死亡との噂もありますが、著しく信憑性に欠けるようです。
「プチエンジェル」に在籍していた女の子が芸能界にいるかも
4人の被害者少女ではないのですが、吉里弘太郎容疑者が経営していた児童買春デートクラブ「プチエンジェル」にかつて在籍していた少女が、アイドルになっているという噂があります。
「プチエンジェル事件」から15年が経過しているので、2018年現在、芸能界に元「プチエンジェル」在籍の少女達がいるのかはわかりません。
ですが、当時のプチエンジェルのスカウトをしていた人の話によれば、声掛けする女の子は、かなり容姿を厳選していたと言います。
年齢的に言っても、現在バリバリのアイドルとして活躍している女の子の中にも、かつて「プチエンジェル」に在籍していたという少女がいても、おかしくありませんね。
まとめ
・プチエンジェル事件の顧客名簿には政界の大物や警察幹部の息子の名前があったために警察に圧力がかかり、捜査が打ち切りになったという噂がある。
・プチエンジェル事件には不可解な部分が多く、真相の解明が待たれる。
いかがでしたでしょうか。
今回は、見えざる強大な権力によって真相が闇に葬られた「プチエンジェル事件」についてまとめました。
顧客名簿の存在によって警察もマスコミも、まるで潮が引くように手を引いてく様は、なんとも恐ろしいものがありますね。果たして真相が明らかになる日が来るのでしょうか?