「光市母子殺害事件」の犯人・福田孝行(現・大槻孝行)は残虐な犯行はもちろん、生い立ちや家族、事件後の異常な発言でも注目を集めています。
今回は事件の経緯、福田孝行の生い立ちや家族(父親・母親・弟)、裁判の経緯と判決など現在をまとめました。
この記事の目次
福田孝行が起こした「光市母子殺害事件」の概要
福田孝行は父親と弥生さんを性の対象として話題にしていた
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福田孝行が起こした忌まわしき「光市母子殺害事件」は、今から約20年前の1999年4月14日、山口県光市内にある新日本製鐵光製鐵所の社宅アパート内で発生しました。
当時、福田孝行と被害者・弥生さんは、同じ社宅アパートで暮らしていました。つまり、福田孝行の父親と被害者の夫である本村洋さんは、同じ職場の同僚だったわけです。
にもかかわらず、福田孝行とその父親は、以前から弥生さんについて、次のように語り合っていたと言います。
「いい女だからヤリたい」
とても親子の会話とは思えないものですが、日頃から親子揃って弥生さんを性の対象として話題にしているういちに、やがて抑えられない欲情に支配されていったのでしょう。
福田孝行は遂に、弥生さんを強姦する目的で本村さん宅への侵入を決行することに…。
福田孝行は水道管の戸別点検を装って弥生さん宅に侵入
福田孝行は高校卒業と同時に水道配管設備会社に就職しています。
そして入社間もない1999年4月14日の午後2時半頃、水道管の戸別点検を装って、社宅アパート内の本村さん宅に侵入することに成功します。
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居間で当時11ヶ月だった長女・夕夏ちゃんを抱いてテレビを見ていた弥生さんに、福田孝行は後ろから抱きつきました。
弥生さんをそのまま押し倒し、強姦しようと馬乗りになるのですが、弥生さんの激しい抵抗を受けたため、彼女を殺害した上で目的を遂げようと考え、首を絞めて窒息死させたのです。
福田孝行は絞殺した弥生さんを死姦し、泣き止まない夕夏ちゃんも殺害
その後、福田孝行は絶命した弥生さんを裸にして死姦するのですが、すぐ傍らで泣き止まない生後11ヶ月の夕夏ちゃんを床に叩きつけた上で、首にヒモを巻き付けて窒息死させました。
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目的を遂げた福田孝行は、事件の発覚を遅らせるために、弥生さんの遺体を押し入れに、夕夏ちゃんの遺体を天袋に隠し、居間にあった弥生さんの財布を盗んで本村さん宅を後にしています。
その後、福田孝行は何事もなかったかのようにゲームセンターや友達の家で平然と遊んでいたそうです。
そんな福田孝行は、それから4日後の1999年4月18日に逮捕されています。
「光市母子殺害事件」の犯人・福田孝行の生い立ちと家族① 父親からのDV
福田孝行の父親と母親はお見合いで知り合うのですが、なんと結婚前に父親が母親を強姦して妊娠させ、その結果誕生した子供が福田孝行だったのです。
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結婚後も父親の母親に対する暴力は日常的に行われており、物心がついた福田孝行が母親を守るために止めに入ると、父親は容赦なく殴りつけては失神させていたと言います。
また、父親は給料のほとんどを酒とギャンブルにつぎ込み、お金がなくなると母方の実家に借金をするという、そのクズっぷりは半端なかったようです。
「光市母子殺害事件」の犯人・福田孝行の生い立ちと家族① 母親が自殺
福田孝行の母親は父親のDVに絶望して自ら命を断っていた…
福田孝行と母親は、毎日のように繰り返される父親のDVに耐えながら生活していました。
ですが、やがて母親は精神疾患を抱えるようになり、福田孝行が中学1年生の時に自宅のガレージで首つり自殺をしてこの世を去っています。
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「光市母子殺害事件」後、福田孝行の精神鑑定が行われ、事件当時18歳だった福田孝行ですが、その精神年齢は母親が自殺した12歳の時点で止まっているとの鑑定結果が出ています。
母親の突然の死が、福田孝行の精神に多大なダメージを与えていたことは、想像に難くありません。
福田孝行の父親はフィリピン人女性と再婚し、2人の弟の兄となる
福田孝行の母親が亡くなった後、父親は性懲りも無く、さっさとフィリピン人女性と再婚しています。恐らく、通いつめていたフィリピンパブなどで知り合った女性なのでしょう。
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そして、間もなくこの新しい母親との間に男の子が誕生しているんですよね。
元々、父親と実の母親との間に2つ年下の弟がいた福田孝行ですが、腹違いの弟の誕生により、2人の弟の兄となります。
「光市母子殺害事件」の犯人・福田孝行の生い立ちと家族③ 事件当時の父母兄弟など家族構成とその後
福田孝行が「光市母子殺害事件」を起こした当時の家族構成は、父親と再婚相手であるフィリピン人の新しい母親、そして父方の祖母と2人の弟という6人家族だったようです。
しかし、「光市母子殺害事件」が孫による犯行だと知った祖母は、極度の心労のために急死しています。
さらに、事件当時高校生だった2つ年下の弟は、家を飛び出して連絡が付かない状態のようです。
福田孝行の事件後の父親のクズっぷりが話題に!
報道ステーションで放送された父親のインタビュー内容がクズ過ぎると話題になりました。
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インタビュアーから「親としての責任は?」と問われた父親は、次のような信じられない答えを返したからです。
「息子がしたことだから、息子が責任取るのが当たり前。親は責任取ってやりようがない。僕はそういう主義ですから」
そう語る父親に対して、「責任の放棄では?」と聞き返すと…
「僕にどうせいちゅうんですか。できることは頭を下げることしかない。下げるチャンスがなかったです。謝罪する機会は作ればあったと思いますけど。しなかったというより僕が避けとったと言った方が正しいかも。悪いなという気持ちがありますから、心を逆撫ですると言ったらおかしいんですが、あまり刺激を与えるような行動っていうのは出来なかったですね、自分からは」
と、絵に描いたようなクズ発言をまくし立てたんですよね。
福田孝行の史上稀に見る凶行を、全てこの家庭環境せいにはできません。
しかし、福田孝行がこんな父親に育てられたこと、そして何より、この父親の血を分けた親子であることは、少なからず事件に影響していると言って良さそうです。
「光市母子殺害事件」の犯人・福田孝行の現在① 養子縁組により“大月孝行”に
プロフィール
・名前:大月 孝行(おおつき たかゆき)
・旧姓:福田
・犯行当時年齢:18歳1ヶ月
・生年月日:1981年3月16日
・犯行日付:1999年(平成11年)4月14日
・罪状:強姦致死罪・殺人罪・窃盗罪
・養子縁組:大月純子
福田孝行の現在の本名は、拘置所で支援者の大月順子氏と養子縁組をしたため”大月孝行”に変わっています。
この手の養子縁組は、死刑制度反対の団体にはよくあることのようです。
と言うのも、死刑囚との面会は近親者のみに限られるため、面会するための手段としてよく用いられている手法なのだとか。
大月純子氏は、神戸出身の人権屋でプロ市民で左翼活動家です。光市母子殺害事件の福田孝行を養子にして、「大月孝行」に改姓させたことで一躍有名になりました。
強姦や殺人という犯罪は決して珍しい犯罪ではありませんが、生後11ヶ月の赤ちゃんを平然と殺害できる人間はそうはいません。
さらに、いくら精神年齢が12歳の時点で止まっていると鑑定されたとは言え、逮捕後も倫理観の欠片もない態度をとり続けている福田孝行は、一部の間では“サイコパス”と呼ばれています。
しかし、福田孝行の精神の破綻原因は、家庭環境、特に父親の影響が大きいことは間違いなく、サイコパスよりもむしろ、後天的な異常者”ソシオパス”に属すると言われているようです。
「光市母子殺害事件」の犯人・福田孝行の現在② 裁判の経緯
「光市母子殺害事件」が世間の注目を集めたのは、福田孝行の残虐な犯行はもちろん、裁判での反省していない態度や子供じみた証言が、多くの人にやり切れない怒りを与えたからでしょう。
福田孝行の主任弁護人は死刑制度反対の安田好弘
「光市母子殺害事件」での福田孝行の凶行は、たとえ少年であっても死刑は免れないと言われていたこともあり、主任弁護人には死刑制度反対の急先鋒、安田好弘弁護士が務めました。
安田好弘のプロフィール
プロフィール
・名前:安田 好弘(やすだ よしひろ)
・生年月日:1947年12月4日
・出身地:兵庫県
・学歴:一橋大学法学部卒業
・所属:第二東京弁護士会
・弁護士登録番号:16969
「光市母子殺害事件」が残虐極まりない犯行であり、福田孝行から聴取した証言があまりにも常軌を逸しており、弁護を展開した安田好弘弁護士は世間から猛バッシングを浴びることに…。
もしかすると福田孝行が心から反省の色を示し、法廷の場で真面目に証言していれば無期懲役になっていた可能性は高かったのかも知れません。
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しかし、広島高等裁判所での差し戻し審で、安田好弘弁護士は「母恋しさ、寂しさからくる抱き付き行為が発展した傷害致死事件。凶悪性は強くない」と、驚きの主張を展開したのです。
世間の怒りを駆り立てた、その他の弁護団の主な主張は次の通り。
・強姦目的ではなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた
・(乳児を殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ
・乳児を押し入れに入れたのは(漫画の登場人物である)ドラえもんに助けてもらおうと思ったから
・死後に姦淫をしたのは小説『魔界転生』に復活の儀式と書いてあったから。
引用:Wikipedia-光市母子殺害事件 https://ja.wikipedia.org/
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これらはあくまで福田孝行から聴取した証言から組み立てた主張だそうですが、この証言の他にも、福田孝行は獄中から知人に宛てた手紙を出しており、その内容も世間の怒りを煽りました。
実は福田孝行は無期懲役になると考えていた
次の文章は、一審で「無期懲役」の判決を受けた後、福田孝行が知人へ出した手紙の内容です。
「勝ったと言うべきか負けたと言うべきか?何か心に残るこのモヤ付き・・・。イヤね、つい相手のことを考えてしまってね・・・昔から傷をつけては逃げ勝っている・・・。まあ兎に角だ。二週間後に検事のほうが控訴しなければ終わるよ。長かったな・・・友と別れ、また出会い、またわかれ・・・(中略)心はブルー、外見はハッピー、しかも今はロン毛もハゲチャビン!マジよ!」
「ま、しゃーないですね今更。被害者さんのことですやろ?知ってます。ありゃー調子付いてると僕もね、思うとりました。・・・でも記事にして、ちーとでも、気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし」
「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」
「オイラは、一人の弁ちゃんで、最後まで罪が重くて『死』が近くても『信じる』心をもって、行く。そして、勝って修行、出て頭を下げる。そして晴れて「人間」さ。オレの野望は小説家。へへ」
「犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのままやっちゃった・・・これは罪でしょうか」
「5年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも」
引用:キジも鳴かずば撃たれまい https://plaza.rakuten.co.jp/
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その内容があまりに被害者の弥生さんと夕夏ちゃん、そして遺族の本村洋さんを馬鹿にしたものだったことから、検察庁は「反省していない証拠」として広島高等裁判所に提出しました。
そして、最高裁判所では福田孝行に一辺の情状酌量の余地は無いと判断され、死刑判決が確定することになります。
犯行当時18歳1カ月だった福田孝行は、1審山口地裁、2審広島高裁で無期懲役判決が下ります。
しかし最高裁は、「年齢は死刑回避の決定的事情とまではいえない」と両判決を破棄。差し戻し審判決で高裁は死刑を言い渡し、最高裁も上告を棄却したことで、死刑が確定しています。
福田孝行に死刑判決が遂に確定!
安田好弘弁護士は、死刑確定の判決に訂正の申し立てをしましたが棄却され、2012年3月14日、福田孝行の死刑が正式に確定しています。
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犯行当時18歳1ヶ月の少年に死刑判決が言い渡されたのは、平成においては1992年「市川一家4人殺人事件」、1994年「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」に次いで3例目です。
「光市母子殺害事件」の犯人・福田孝行の現在③ 死刑判決が確定
福田孝行は広島拘置所で筋トレに励む毎日
福田孝行は、2019年10月1日時点で広島拘置所に死刑囚として収監されているようです。
2012年に伝えられた様子では、獄中では筋力トレーニングに励んでおり、事件当時とは別人のように体格が良くなっているのだとか。
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ちなみに、福田孝行が筋トレをしているのは、一応まだ再審請求中であり死刑を免れる可能性に賭けているのかもしれませんね。
「五年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも」 大月(福田)孝行
— 殺人鬼発言集 (@murder_bot) 2019年7月21日
とは言え、2017年12月には、「光市母子殺害事件」と同じ少年犯罪である「市川一家4人殺人事件」の死刑囚の死刑が執行されており、福田孝行の死刑もそう遠くないとも見られています。
2019年11月7日、福田孝行の再審請求が退けられる
2019年11月7日、広島高裁が福田孝行の再審請求を退ける決定をしたことが明らかになりました。これにより、福田孝行の一縷の望みも絶たれたことになります。
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死刑囚は死刑執行を当日の朝に初めて知らされるため、朝が来るのが恐怖で不眠症になる囚人も多いのだとか。
この先、果たしてどれだけの時間が残されているのかは分かりませんが、福田孝行はこれからの1日1日を、怯えながら生きていくことになりそうです。
「光市母子殺害事件」の被害者遺族・本村洋さんの現在
被害者遺族・本村洋さんが再婚
事件から13年あまりが経過して福田孝行の死刑が確定した際、本村洋さんは次のように語っています。
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「死刑判決が下されたことに大変満足していますが、喜びの感情は一切ありません」
引用:NEWSポストセブン-光市母子殺害事件の遺族・本村さん 再婚相手は7才年上同僚 https://www.news-postseven.com/
本村洋さんはこれまで「事件が起きた時点で全員敗者」と、犯罪には1人として勝者はいないと訴えてこられました。
しかし、先進国の中でも歪んでいると言われる日本の司法に一石を投じた本村洋さんの功績は計り知れません。
そんな本村洋さんの長い長い戦いを、すぐ側で支え続けてきたのは、同じ会社の同僚で、再婚した7歳年上の新しい奥様だったそうです。
「本当に長い裁判でした。本村さんは妻と娘を思いながら、つらく苦しい日々と闘ってきました。ぶつけようのない怒り、そして寂しさのなかで、彼の気持ちを理解し、ずっと支えてきたパートナーの存在は実に大きなものだったことでしょう。再婚され、共に生きていく人を見つけられたことを祝福したいと思います」
殺害された弥生さんと夕夏ちゃんの命日には、再婚した妻とともにふたりの墓前を訪れ、手を合わせるという本村さん。会見の終了間際にこう語った。
引用:NEWSポストセブン-光市母子殺害事件の遺族・本村さん 再婚相手は7才年上同僚 https://www.news-postseven.com/
出典:http://news.ifeng.com/
そんな本村洋さんは、福田孝行の死刑判決が確定する2年ほど前から、辛い思い出が残る光市から少し離れたところに新居を構えて、新しい奥様との同居生活をスタートさせたそうです。
そんな本村さんは、2年ほど前に再婚して、光市から少し離れたところに新居を構えて新たな生活をスタートさせているという。
「奥さんは7才年上の同じ会社の同僚だそうです。趣味のテニスを通じて仲良くなったそうですよ」(本村さんの知人)
引用:NEWSポストセブン-光市母子殺害事件の遺族・本村さん 再婚相手は7才年上同僚 https://www.news-postseven.com/
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回の記事をまとめると…
・「光市母子殺害事件」は1999年4月14日、福田孝行が本村弥生さんを殺害後に死姦し、生後11ヶ月の夕夏ちゃんを床に叩きつけた上、首を絞めて殺害した事件である
・福田孝行は父親が母親を強姦して妊娠させ、その結果誕生した子供が福田孝行だった
・福田孝行の母親は父親のDVを苦に自殺している
・事件後の精神鑑定の結果、福田孝行の精神年齢は母親が自殺した12歳の時点で止まっているとの鑑定結果が出ている
・福田孝行の父親は母親が亡くなった直後にフィリピン人と再婚し、弟が生まれている
・福田孝行は2人の弟の兄だが、2つ年下の弟は事件後に家を飛び出して音信不通になっている
・福田孝行の事件後、孫の犯行にショックを受けた祖母が急死している
・福田孝行は一審・二審では無期懲役判決を得るも、反省の色は一切なく、2012年に少年犯罪では平成3例目となる死刑判決が確定した
・2019年11月7日に福田孝行の再審請求が退けられ、死刑が最終的に確定した
・被害者遺族の本村洋さんは現在、7歳年上の同僚と再婚した
平成に起きた少年犯罪の中でも特に残虐極まりない事件として世間を震撼させた、福田孝行の「光市母子殺害事件」について、今回は特に福田孝行の生い立ちを中心にまとめてみました。
時代が平成から令和へと移ったことで、忌まわしい記憶を引きずらないためにも、福田孝行の死刑執行は案外早く行われるかも知れませんね。
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最後になりましたが、「光市母子殺害事件」で亡くなられた本村弥生さんと本村夕夏ちゃんのご冥福を、心よりお祈りいたします。