バブル時代にジュリアナ東京の”荒木師匠”としてブレイクした荒木久美子さんですが、現在も過去の経歴を生かして活躍中です。
今回は荒木久美子さんの若い頃や学歴、医師との結婚や離婚・再婚、子供の有無、現在もまとめました。
この記事の目次
荒木久美子のプロフィール:ジュリアナ東京の”荒木師匠”としてブレイク
生年月日:1968年5月19日
出身地:不明
所属事務所:不明
荒木久美子さんは“荒木師匠”として親しまれた、ダンサー・タレントです。
1991年に大ブームを巻き起こしたディスコ「ジュリアナ東京」で話題となり、メディアに取り上げられたことでブレイク。
そのカリスマ性から”お立ち台の女王”、”ディスコの女王”などと呼ばれ、バブル時代を語る上で欠かせない人物となりました。
また、荒木久美子さんの父親は、音楽グループ「トニーズ」のリーダー・トニー荒木さん。母親は銀座でクラブを経営していました。
荒木久美子の学歴:学生時代は真面目で生徒会も経験
荒木久美子さんは学歴について詳細を明かしていませんが、インタビューによれば、学生時代は真面目で、生徒会を務めた経験もあるのだとか。
荒木 学生時代、私は結構な真面目ちゃんで、生徒会とかもやっていたタイプでした。でも、おしゃれは好きだったから、その反動でしょうね。遊ぶからにはとことんやろうと思って、裁縫が得意だったから、市販のプレーンなボディコンを買ってきて、自分ではさみを入れて、胸元をハートにくり抜いたりしていたんです。さっき言ったようにスーツは高いから、毎週違う服着て行くためには、低予算で工夫するしかない。
高校を卒業後は、アナウンス学校「アナウンスアカデミー」に進学。同校を卒業しています。
荒木久美子の若い頃の経歴① ”ジュリアナクイーン”としてブレイク
荒木久美子さんはアナウンスアカデミーを卒業後、映像制作会社に就職しますがすぐに退職。
卒業して企業用ビデオ社内向けなどのナレーションをやらされる会社に入りましたが、つまらないからとすぐ辞めてフリーになりました。それから間なしにバブルが弾けて仕事が減りこんな時は遊ぶしかない!と言ってジュリアナ通い。ここから荒木師匠の誕生です!
引用:荒木師匠になる! 成人編
また、19歳~20歳の頃はイベントコンパニオンとして勤務していたそうです。
その後、1990年代にテレビ朝日系列の深夜番組「トゥナイト」に、ボディコン・ミニスカ・ハイヒール姿といういわゆる”ジュリアナスタイル”で登場し、注目を集めました。
特に“ジュリセン”と呼ばれた羽根扇子を振りかざして踊る姿が話題で、次第に”ジュリアナクィーン”と称されるようになります。
母親が銀座のママだったので、お茶用のちっちゃい扇子を借りて、ジュリアナに行ったところ、「これはいいな」と。胸の谷間のところに挟んで踊っていたら、案の定暑くなってきて、曲に合わせてカッコ良くあおいでみたら盛り上がっちゃって(笑)。そこから振り付けっぽく見せるジュリ扇に進化して、流行っていった感じです。実は、風が来るようにするための暑さ対策だったんだけどね。
ちなみに、バブルというとお笑い芸人の平野ノラさんがネタで着用するファッションが思い浮かびがちですが、同じバブルといえど荒木久美子さんが活躍した時代とは異なるのだそう。
たとえば、平野ノラさんはバブルキャラとして有名だけど、あれは80年代のバブル。ワンレン(段の入っていないロングヘア)、肩パット入りのスーツで、『ジュンコシマダ』や『ピンキー&ダイアン』といったDCブランドで身を包む感じですね。一方、90年代バブルは、ソバージュヘアでトサカ前髪、派手なボディコンスーツを着るといったファッション。
そのド派手なヴィジュアルだけではなく、同番組に出演していたタレント・乱一世さんや、映画監督の山本晋也さんとの軽妙な掛け合いもブレイクの要因となった荒木久美子さん。
アナウンス学校出身で、司会やナレーションといった仕事をしていたこともあり、ブレイク後はモデルやタレントとしても活躍しました。
また、著書を出版したり、パラパラのビデオを発売したりと多方面で活躍しています。
荒木久美子の若い頃の経歴② ジュリアナブーム後は司会業で活躍
荒木久美子さんはバブル崩壊&ジュリアナブームの終焉後は、司会業に注力。
ディスコ関連イベントや企業パーティーなどから依頼を受け、ディスコダンスも披露していたのだとか。
また、早くからネット上での活動も取り入れて、ブログやメールマガジンなどを運営。今では一般化しているダウンロード写真集の販売にもいち早く着手していました。
これからはインターネットの時代になると言われていたから、日本で最初のネットビジネスの塾に入ってみたんですよ。そのときに、自分にはどんな独自資産があるんだろうって考えたら、芸能界と水商売で学んできたことしかない。もっと掘り下げると、モテるテクニックや恋愛テクニックならそれなりに自信があると思ったので、それを武器にネット集客を学んで、メルマガを発行したりしました。
引用:「モテるのと結婚は、まったく違うスキルでしたね」ディスコの女王→婚活トレーナーに…荒木師匠が語る“令和の婚活事情”
2007年にグッドウィル・グループ代表取締役会長・折口雅博氏が、子会社コムスンの問題で話題になると、同氏がジュリアナ東京の仕掛け人であった縁から再びメディアに出演するように。
当時、コムスンは厚生労働所から人員配置に関する更新書類未提出を指摘され、介護サービス事業を継続するには困難な状態にありました。
しかし、荒木久美子さんは折口雅博さんが介護事業に乗り出した頃から付き合いがなくなっていたとコメントしています。
荒木久美子の若い頃の経歴③ ディスコ関連のイベント・企画で活躍
荒木久美子さんは折口雅博さんの件でメディアに登場したことをきっかけに、再び注目を集めます。
2007年には、パチンコ台「アンルイスと魔法の王国」のCMに出演。ディスコシーンをメインとした同CMにピッタリのキャスティングとなりました。
以降も“ディスコの女王”のイメージからくるオファーが続き、2008年にはエイベックスが主催したイベント「The Legend of JULIANA’S TOKYO」に出演。
また、ダンサーだけではなく、振付師としてきのこブランド「ホクト」のアニメーションCMで使用された、キノコたちのディスコダンスを振付するといったこともありました。
2009年には、ディスコミュージックアルバム「アラフォーユーロビート」のCMに出演。同CMでは企画やスタイリストを担当するなど、裏方でも活躍しています。
そんな荒木久美子さんの活躍もあってか、同アルバムはヒット。2010年には「アラフォーユーロビート2」が発売され、引き続き企画・スタイリスト、さらにナレーションも担当しました。
2011年に発売されたCD「J-POPディスコ伝説」においては、銀座の巨大モニターに荒木久美子さんが出演するCMが2週間にわたって流されるなど、”バブルのアイコン”として活躍。
2012年には、テレビ東京系列で放送されたドラマ「好好!キョンシーガール〜東京電視台戦記〜 」第9話にも出演しています。
荒木久美子の若い頃の経歴④ 婚活事業など複数事業を展開
荒木久美子さんはバブルのアイコンとして活躍する一方で、様々な分野の事業に乗り出しています。
婚活スクール講師をはじめ、占い、ヒーリング、飲食店と多岐にわたり、複数の事業を同時に経営していたのだとか。
意外にも、その中でも最初に始めたのが”占い”でした。荒木久美子さんは、2013年にルーン占いの教材「5時間でプロになれる!ルーン占い講座」を発売。
神秘」や「秘儀」を意味するルーン文字。タロットよりも古い歴史を持つ、神託を読み取る占いです。1文字1文字にパワーがあるとされ、北ヨーロッパの各地には、ルーン文字が占いや魔術で利用されていたことを表す石碑が現存しています。ゲームやファンタジー映画にも登場するため、意外に親しみがある人もいるかもしれません。
2014年には、婚活塾「レンアイをカガクする美女活工房」をスタートさせました。
複数展開している事業の中でも婚活事業は好調のようで、2016年に婚活サロン「サロンドアプレ」をオープン。2017年には結婚相談所「アプレ」も開業しています。
さらに、その翌年には男性向け婚活塾「育男研究所」をスタート。2019年には、婚活ファッションに特化したアパレル「アプレ・ガール」もローンチしました。
荒木久美子の結婚歴① 最初の旦那は医師・離婚した原因は?
荒木久美子さんは30歳で医師だった男性と結婚しますが、33歳の時に離婚しています。
結婚期間は3年ほどで、離婚原因は価値観の相違なのだそう。
荒木 私は、30歳で結婚して、33歳で一度離婚しているんですね。相手は、整形外科の開業医。人柄もよく、下町のお兄ちゃんのような人でした。でも、彼は真面目だしエリート。私はご存じのように享楽的に生きてきた人間だから、価値観が合わない部分もあって、宇宙人と生活してるみたいな感じだったと思う。まわりとの板挟みもあって、彼もつらかったと思います。
引用:「モテるのと結婚は、まったく違うスキルでしたね」ディスコの女王→婚活トレーナーに…荒木師匠が語る“令和の婚活事情”
また、結婚当時を振り返った荒木久美子さんは、「私はかわいいから」と面倒なことは家族や旦那に押し付けてきたと語っています。
しかし離婚を機に、「若い」「かわいい」とちやほやされない年代になったことを痛感したそうです。
その代わり……と言ったら変だけど、かわいくある努力だけは頑張りました。親からもらった素材はたいしたことないけど、それをどうやれば良く見せることができるかばかり考えてきた。私は勉強も運動も苦手だったから、生きるすべがそれしかないと思っていたんです。ところが、33歳で離婚したときに、人生ってそんなに甘くないなと気が付いて。若い、かわいいは、もう通らないよねって。
引用:「モテるのと結婚は、まったく違うスキルでしたね」ディスコの女王→婚活トレーナーに…荒木師匠が語る“令和の婚活事情”
荒木久美子の結婚歴② 再婚した旦那は一般人
荒木久美子さんは、2013年に一般男性と再婚しました。
旦那の詳細は明かされていませんが、のちのインタビューでは「今の主人よりいい人はいないと思う」とコメントしています。
おびただしい数の男性に会ってきて、デートもいろいろな人としたけど、今の主人よりいい人はいないと思う。彼より、お金持ちだったりかっこ良かったりした人はいましたよ。
引用:「モテるのと結婚は、まったく違うスキルでしたね」ディスコの女王→婚活トレーナーに…荒木師匠が語る“令和の婚活事情”
また、旦那は荒木久美子さんとの結婚で、”再々婚”となるのだそうです。
うちの主人は、私との結婚で再再婚になるんだけど、まあまあ痛い目に遭っているわけですよ。痛い目を見ている人間のほうが人に優しくなれるし、人の感情を読み取る能力も上がる。傷つかないで成長するなんてことはありえない(笑)。コミュ力を上げるとか、人間的に成長するって仕事じゃないんですよね。恋愛のほうが急成長すると、私は思うんだけどなぁ。
引用:「モテるのと結婚は、まったく違うスキルでしたね」ディスコの女王→婚活トレーナーに…荒木師匠が語る“令和の婚活事情”
荒木久美子に子供はいない・不妊治療をしていた過去も
荒木久美子さんには子供がいません。
過去には不妊治療に取り組んでいたこともあるそうですが、40歳で再婚したこともあり、体調に影響が出たため、治療を止めたといいます。
ちなみに私は半年ほど通いましたがあまりに具合が悪くて
そんなに体に負担がかかるなら無理しないでくれとダンナに言われて辞めたクチ。
荒木久美子の現在:経営者として今も活躍中
荒木久美子さんは現在も経営者として活躍しています。
2020年からは、自身が経営する婚活向けアパレルブランド「アプレ・ガール」の読者モデルを募集。モデル・インフルエンサーの育成にも乗り出しているのだとか。
また、KONAMIが発売した音楽ゲーム「beatmaniaIIDX14 GOLD」内の楽曲にも、金色のボディコン姿で登場。今もなお、”バブルのアイコン”として活躍しています。
2013年から運営しているYouTubeチャンネル「荒木師匠の恋愛・婚活道場」では、婚活指南からバブル期の振り返りまで、幅広いジャンルの動画を投稿中です。
まとめ
荒木久美子さんはバブルを象徴する人物で、”ジュリアナの女王、”荒木師匠”と呼ばれていました。
ジュリアナブーム終焉後も、持ち前のスキルを生かして司会業などで活躍。経営者として婚活事業などを展開する一方で、バブル関連のイベントにも出演中です。
プライベートでは結婚・離婚・再婚を経験しており、運営するYouTubeチャンネルでは、バブル期の振り返りから婚活指南の他にも、夫婦の生活の様子まで垣間見ることができます。
世界的なシティポップブームに引き続き、次なるブームとして期待がかかっているバブルブーム。ブーム再来の際には、荒木久美子さんの活躍に期待したいですね。