チチローこと鈴木宣之さんは元野球選手のイチローさんの父として有名ですが、イチローさんとの絶縁状態も話題です。
今回はチチロー(鈴木宣之)さんの仕事など経歴、イチローさんと絶縁の理由、豪華すぎる自宅、現在を紹介しします。
この記事の目次
チチロー(鈴木宣之)のプロフィール~仕事など経歴も紹介
プロフィール
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名前:鈴木宣之(すずきのぶゆき)
生年月日:1942年12月8日
出身:愛知県名古屋市
経歴
高校時代は野球部に所属し、外野手として活躍しており、夏の高校野球愛知県大会でベスト4に進出を果たしました。
大学を卒業後は伯父の営む会社に勤務しましたが、1970年に機械製造部品会社を自ら創業しています。
また、日本を代表するプロ野球選手で、2019年7月に引退を表明した元メジャーリーガーのイチローさんの実父で、イチローさんの個人事務所「オフィス・イチロー」の代表でもあります。
イチローさんの父親であることから「チチロー」の愛称で親しまれている鈴木宣之さん。
イチローさんが小学3年生の頃から中学入学まで、下校後は日が沈むまで毎日練習に付き合い、練習後は足のマッサージをするなど、イチローさんの野球人生の基盤となる時代を支えました。
過去には、イチローさんが出演したCM出演料を個人所得とせず、「オフィス・イチロー」の所得に計上したため、名古屋国税局から約9000万円の申告漏れを指摘される騒動もありました。
現在は、イチロー記念館「アイ・ファイン」の運営会社BTRの代表もしており、講演活動にも積極的に取り組んでいます。
チチロー(鈴木宣之)の息子・イチローのプロフィール
プロフィール
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名前:イチロー
本名:鈴木一郎(すずきいちろう)
生年月日:1973年10月22日
出身:愛知県西春日井郡
身長:180cm
学生時代
小学生の頃に地元の少年野球チームで野球を始め、エースで3番を任されており、6年生の時には全国大会で3位入賞を果たしました。
その後、愛工大名電高校に入学すると1年生からレギュラーを獲得。2年の夏、3年の春の2度、甲子園に出場しましたが、いずれも初戦で敗退しています。
プロ野球への意志を固め、ドリフト会議では当初は中日ドラゴンズを希望していましたが、オリックスBWが4位指名したことにより入団が決定しました。
日本プロ野球時代
1992年7月12日、プロ初の一軍出場を果たすと同時にプロ初安打を記録しました。
1993年は打率が振るわず、2軍行きを宣告されるなど暗黒時代を過ごしますが、この2軍時代に打撃コーチだった河村健一郎氏と共にイチローさんの代名詞「振り子打法」を完成させました。
そして、登録名を「イチロー」に変更した1994年、日本プロ野球史上初のシーズン200本安打という偉業を達成。
1998年には、こちらも日本プロ野球史上初となる5年連続首位打者獲得を達成するなど、日本野球界において大記録を残しました。
マリナーズ時代
2000年、イチローさんはそれまで誰もなしえなかったことに挑戦します。
2000年11月10日、日本人初のポスティングシステムによる独占交渉権をシアトル・マリナーズが獲得し、3年契約で日本人野手初のメジャーリーガーとなったのです。
背番号51をつけ、2001年にシーズン242安打を放ち、メジャーリーグの新人最多安打記録しました。
その他にも、新人王・MVP・首位打者・盗塁王・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞など数多くの賞を総なめにし、「イチロー」という名が世界中に知れ渡ることとなったのです。
日本から来た野球選手が「新人王を獲得する」なんて語った時、「日本人が何を言ってるんだ?!」と周囲は大笑いしたと言います。
しかし、イチローさんはその夢を馬鹿にした人たち全員を見返すために、並々ならぬ努力をして、本当に新人王を獲得したのです。
その後も、2004年にはジョージ・シスラーが84年間保持し続けたメジャー歴代シーズン最多安打記録の257安打を262安打に更新。
2006年にはWBC日本代表に選出され初代王者となり、2009年にはメジャー最速となる9シーズン目でのメジャー通算2000本安打を達成しました。
マーリンズ時代
2012年にニューヨークヤンキースへの移籍を経て、2015年からはマイアミ・マーリンズと1年契約を結びました。
2016年、日本プロ野球、メジャー通算4,257本目の安打がプロ野球における通算最多安打数の世界記録としてギネス記録に認定されます。
同年8月7日、史上30人目のメジャーリーグ通算3000安打を達成。
マリナーズに復帰
そして2018年に、古巣であるマリナーズに復帰し、2019年3月21日に現役引退を発表。
東京ドームで行われたアスレチックス戦が引退試合となり、その最終打席でプロ入り後28年目で初のシーズン無安打となりました。
試合終了後に東京ドームを一周し、試合を完成んした多くのファンが球場に残って、イチローさんの現役最後の勇姿を見届けました。
イチローさんの引退は世界中で大きく取り上げられ、「イチローロス」が巻き起こるほどでした。
メジャーリーグで共に戦った同志、先輩、後輩みながイチローさんを労い、号泣する選手がいたことも話題になりました。
これだけ大きな功績を残し、最後までかっこよくクールでイチロー節を貫いたその姿は世界中のファンに夢と希望を与えました。
チチロー(鈴木宣之)と息子・イチローの関係とは?
イチローさんがあるのはチチローのおかげ?!
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チチローこと鈴木宣之さんは、自身が機械部品製造会社を設立するなど実業家として成功を収めたことで、イチローさんに幼少期から野球の英才教育を受けさせることができたそうです。
中学に上がるまでずっと、父・宣之さんは毎日イチローさんの練習に付き合い、なんと部活動が始まる時間に、グラウンドに通ってイチローさんの練習風景を見ていたと言います。
自営業だからこそできることですが、練習について何か口を出すことはなく、ただひたすらイチローさんの練習を見て、部活動が終わると家でも自主練を欠かさなかったそう。
ここまで徹底していると、イチローさんも、また監督やコーチもやりづらい部分はあったようですが、これだけ熱心に野球の指導に力を入れてきたチチローさんの存在は大きかったはずです。
イチローさんには実は兄がいて、チチローさんは兄にも野球の英才教育を受けさせたそうです。
しかし、イチローさんの中に眠る素晴らしい才能を見出したチチローさんは、次第にイチローさんへの指導に集中するようなりました。
ドラフトでは4位指名で、この頃は誰もが世界に名を轟かせるような選手になるとは思っていませんでしたが、父・宣之さんはその才能に早くから気づいていたということです。
努力したのはもちろんイチローさんですが、野球人生の1番基礎にはチチローさんのサポートがあったことは間違い無いでしょう。
絶縁状態はほんと?
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イチローさんとチチローさんが不仲、という噂は以前からファンの間では有名でした。
イチローさんが引退した際のインタビューでも、二人三脚でやってきたはずの父・宣之さんに対してコメントは一切ありませんでした。
また、記者も父親に一切触れておらず、明らかにインタビュー前にイチローさんからNGが出ていたものと思われます。
一部報道では「絶縁状態」とまで言われていますが、そもそもなぜチチローさんとイチローさんの間に確執が生まれてしまったのでしょうか。
チチロー(鈴木宣之)と息子・イチローの絶縁状態の原因とは
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①イチローさんと妻・弓子さんの間に子供がいない
長年、アスリートであるイチローさんを懸命に支え、食事、フィジカル、メンタル全てにおいてサポートしてきた妻・弓子さんですが、実は2人の間にお子さんはいません。
今の時代、子供のいない夫婦は珍しくありませんが、一昔前には子どもを産んで育てることが女性の仕事という考え方が当たり前の時代もありました。
そのため、イチローさんと弓子さんの間に子供がいないことで、チチローさんとイチローさんの間で考えの相違が生まれ、確執につながった可能性があります。
そもそも、チチローさんは8歳年上の弓子さんとの結婚に反対していたとも言われています。
確かに、親の立場から考えると、特にイチローさんほどの才能を持った方ですから是非ともその遺伝子を引き継いでほしいと願うのは当然です。
イチローさん夫婦の間にお子さんがいない理由などについては詳しく明かされてもいませんし、いくら望んでもこればっかりは神のみぞ知ることですから、仕方ありませんよね。
②税金申告漏れ騒動
チチローさんとイチローさんの確執を決定づけたとも言える出来事が、先ほども述べた、チチローさんによる税金申告漏れ騒動です。
イチローさんのCM出演料などを管理するための個人事務所「オフィス・イチロー」の代表を務め、お金の管理をしていました。
しかし、約9000万円の申告漏れを名古屋税務署から指摘され、イチローさんは宣之さんにひどく腹を立てたと言います。
自身のお金を管理する以上、しっかり責務を全うしてほしいと思うのは当然です。
また、チチローさんのこの騒動せいで、イチローさんの名前も一緒に報道されてしまうわけですから、イチローさんが怒るのも無理はありません。
その後、弓子さんと結婚したイチローさんは、それまでチチローさんに任せていたお金の管理を弓子さんに任せるようになりました。
妻・弓子さんとの結婚を反対し、子供がいないことで溝ができたところに、チチローさんがしていた仕事をとられてしまい、いい気はしなかったようですね。
③過度な干渉
チチローさんが毎日グラウンドにイチローさんの練習を見学しに通ったエピソードからも分かるように、チチローさんは過度にイチローさんに干渉しすぎるところがあるようです。
すでに思春期を迎え、親が毎日自分を監視しに来るというのは嫌がって当然ですが、その干渉は大人になっても続きました。
結婚した後も、夫婦のことにずかずかと首を突っ込んだり、勝手にイチローグッズを作って販売したり、その入れ込みようはあまりに行き過ぎています。
こういった過度な干渉に嫌気がさし、どんどんイチローさんは父・宣之さんと距離を置くようになりました。
チチロー(鈴木宣之)が建設した自宅が豪邸過ぎると話題に
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チチローさんは、2000年に地元である愛知県西春日井郡に、2階建ての豪邸を建設しました。
チチローさんは、弓子さんと結婚したイチローさんとみんなで暮らすための家を勝手に建設し、しかもイチローさんが地元である中日ドラゴンズに移籍するという夢まで描いていたそうです。
イチローさんは当時神戸で単身赴任しており、この豪邸でチチローさんと暮らしていた弓子さんは、ネギ一本買うのにも領収書を要求されるなど、かなり息苦しい生活を強いられました。
そのため、数ヶ月で弓子さんは豪邸を飛び出し、神戸にいるイチローさんのもとへ行ったと言われています。
イチローさんへの愛情は本当に深いことは伝わりますが、その2人の間に挟まれる弓子さんにとっては本当にしんどい生活だったに違いありませんね。
チチロー(鈴木宣之)と息子・イチローの現在
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イチローさんがメジャーリーグへ挑戦を決めて渡米して以来、イチローさんは徹底してチチローさんとの関係を断ち、顔を合わさないようにしていました。
そんな2人の仲をかろうじてつないでいたのが、妻・弓子さんです。
過去に、チチローさんが記者に弓子さんからのメールを公開していたように、近況報告などは全て弓子さんがしていたそう。
本当に絶縁状態が続いたチチローさんとイチローさんですが、イチローさんの引退を機に、少し関係が変わってきているようです。
イチローさんの引退の後、週刊文春の取材に答えたチチローさん。
そこで、弓子さんが「今までありがとうございました」とチチローさんに手を差し出したと明かし、その手を握った時にわだかまりが解けていく感覚だったと言います。
また後日、弓子さんから「彼と日本でゴルフをやってもらえませんか。彼がお義父さんとやりたがっています」というメールも届いたそう。
イチローさんからも、不器用ながら歩み寄ろうとする姿勢が見られるようです。
一緒に歩み、そして誰よりもイチローさんの野球人生を応援してきたチチローこと鈴木宣之さん。
応援する気持ちと愛情が大きすぎて、溝が深まってしまった時期もありましたが、少なくともチチローさんのサポートがイチローさんの野球人生の根っこを築いたことは間違いありません。
そのことをイチローさん本人もきっと理解しているでしょうし、現役を引退し大きな荷物を下ろした今だからこそ、少しずつ関係を修復できることを願いたいですね。
まとめ
日本を誇る野球選手イチローさんは、かつてチチローこと鈴木宣之さんと名物親子として注目されていました。
しかしその後、チチローさんの過度な干渉などが原因で絶縁状態になったことは有名な話です。
いろんな確執がありましたが、イチローさんが現役を引退し、大きな荷物を下ろした今では、少しずつその関係が修復されていると言います。
2人が、親子水入らずでゴルフを楽しむ日が来るのも近いかもしれませんね。